――【 新暦67年/地球暦11月 】――多重次元転送をピンポイントで決め、湖水色の魔法陣がリビングを照らした。やがて現れたのは、時空管理局の制服をまとった女性の姿。まばゆく後背を飾る2対4肢の翅と、ビンディめいた額の魔導紋、ポニーテールにまとめられた木賊色の頭髪が特徴的なリンディ・ハラオウン総務統括官である。魔法陣を畳んだリンディが「あら?」と眉を上げた。双子の使い魔が待ち構えていると思っていたのだろう。「アリアとロッテなら、外だよ。 君が来ると知って、敵意をむき出しにするのでね」なるほど、扉と窓の向こう側に気配を感じる。総務統括官が犯罪者の逮捕などに出向いたりしないことは百も承知だろうに殺気充分で、困ったことだ。管理局職員としてロストロギア関連情報の隠匿は重罪だが【闇の書葬送事件】の真相が隠蔽された関係で、表立ってグレアムは告発されてない。司法取引もある管理局法上では、引責辞任で充分量刑に値する。それにリンディは、グレアムが秘密裏に、可能な限り独力でコトを済まそうとした理由に心当たりがあった。公的にも私的にも、グレアムをどうこうする気などない。「ご無沙汰しております」魔力翅を仕舞ったリンディが、苦笑の成分をいくぶんか含ませて腰を折る。「ああ、2年ぶりになるかね」ティーポットに熱湯を落としたギル・グレアムは振り返らない。後ろ手にソファを指し示し、取り出した懐中時計で蒸らし時間を確認している。「一応、確認しておくべきだと思うのだがね?」ティーセットを載せたトレィを手にして、グレアムが応接セットまで。はい。と微笑んだリンディがソファに腰掛けた。「そろそろ私も、清濁併せ呑む度量が必要かと思いまして」**とっておきのアーリーフラッシュで喉を潤したグレアムの向かい側で、受け取ったデータチップの中身をリンディが空間モニターに投影している。「やはり、一番上……ですか」映し出されているのはグレアムが知る限りの、管理局の闇だ。裏取引や違法研究、さらには辿れる限りのその命令系統など。「【闇の書】のあるじを覚醒前に確保できるとなったら、それをどう悪用するか判ったものではない。 ですよね?」リンディの確認めいた疑問に、グレアムは応えない。それがどんな理由であれ、1人の少女の未来を奪おうとした。そのことに変わりはないのだ。リンディも敢えて追求しない。山盛り2杯の砂糖を投入し、早摘みの香りを甘くするのみ。「しかし、本気かね」リンディが立ち上げたフォルダを見て、グレアムが口を開いた。「はい。 【人工リンカーコア】が現実味を帯びてきて、管理局は変わりつつあります。 これを機に、出せる膿は出し切ってしまうべきです」「それは理解できるがね」グレアムが問題にしているのは、そこではない。「出す前に、すこしは役に立って貰おうと思いまして」今リンディが見ているのは、管理局高官のスキャンダル。人に言えない嗜好や犯罪の証拠といった裏情報だ。ゆすりたかりのネタはもちろん、社会的に抹殺するに充分なレベルで。リンディが言うとおり、管理局は変わりつつある。いい意味でも、悪い意味でも。いい意味では、違法研究から手を引き始めているらしいこと。悪い意味では、性急になりつつあること。人工リンカーコアの実現性が見えてきて、管理局上層部はその完成を急かしだした。量産を見越した施策を乱発して人事異動を強行したり、研究者をフルタイム勤務にするようロウランに圧力をかけてきたりするのだ。それらを押しとどめ、さらには各種の譲歩を引き出すために、リンディは覚悟を決めたらしい。膿を逆用する。云わば、種痘の施行を。「止めても、聞くまいな。君は」まったく、似た者夫婦で困ったものだ。と、これは口に出さず。かつての部下の面影をしのぶのみ。順当に行けば自分が先に逝く。その時に併せてクライドに謝っておこう。と瞑目したグレアムに、リンディは返す言葉を持たない。**「それにしても、たった一人の少女、そのレアスキルでこうまで事態が変化するとは」飲み干したアーリーフラッシュとは対照的に、グレアムの嘆息は深い。凍結封印が完璧でないことは判りきっていたことだ。対策ができるようになるまでの時間稼ぎに過ぎなかった。「私はいったい何をしてたのだろうかね」おおまかなコトの経緯を聞いただけで引退を決意してしまったグレアムは、【闇の書葬送事件】詳細を知らない。「偶然に偶然が重なった結果ですわ」ティーカップを手にしたリンディが、唇を湿らせた。「瀕死でレアスキルに目覚めなければ、 暗殺者育成に5年間耐えられなければ、 自爆テロに使われていたら、 その組織が月村家と敵対していなければ、 襲撃時に逃げ延びていなければ、 力尽きたのが八神邸でなければ、 レアスキルがヴォルケンリッターの顕現を早めなければ、 ジュエルシードがばら撒かれなければ、 プレシア・テスタロッサがそれを狙ってこなければ、 【闇の書】を解析しようとしなければ、 どれかひとつでも欠ければ実現しなかったでしょう」指折り数えるように、リンディ。わざわざ挙げないが、グレアムの休暇に合わせて行っていたという年2回の定期監視と重ならず、グレアムが何らかの手を打てなかったことも重要な要素である。「奇跡と言っていい偶然です。 そんなことを期待していたと仰るなら、それこそ失望いたします」それこそ小さい子供を叱るかのように眉をしかめられては、降参するしかない。自嘲にゆがめていた口元を苦笑で引き結んで、グレアムの肩から少し力が抜けた。「どれほどの偶然が重なったのか、ご自身の目でご確認ください」と差し出されたのは、グレアムが渡したものと同規格のメモリーチップ。清濁併せ呑むとの宣言を、さっそく実行する気か。「いいのかね?」「コピー不可の、自律消却データですから」1度しか再生閲覧できない揮発性データで記録されているのは、【闇の書葬送事件】の詳細である。それを見るか見ないかはグレアムが判断することだが、いずれにせよ苦しむことだろう。だが、その苦しみこそがグレアムを救うと、リンディは理解していた。逮捕された逃亡者が却って安堵することがあると、罰を与えられた方が救われることもあると、優しい総務統括官は知っているのだから。……ちなみに、データ閲覧終了時「なお、このデータは再生後、自動的に消滅する」などとアナウンスされて、双子姉妹を無駄に慌てさせたのは全くの余談である。 おわり引き続き、あゆの知らない舞台裏話。クロノがプロジェクトFを追っていた頃、リンディは何をしていたか。ということで対比的に構築してみました。