――【 新暦67年/地球暦8月 】――「理由を訊いても、いいかね?」興味を持ったらしいスカリエッティが、組んでいた足を解いて重心を前に。「わたしはこれでも、けんきゅうしゃの はしくれです。 めのまえに すばらしいけんきゅうのせいか、みごとなぎじゅつがあれば、それをしりたい、てにしてみたいと、つきうごかされてしまう」それは嘘ではない。人工リンカーコアの研究を進めるにあたっては、魔法工学に関わらず広汎な知識を必要とする。なにしろ、あゆの目標は人工リンカーコアを作ることではなく、量産させることなのだから。その過程で身につけた色々な知識が意外なところで融合変化を起こし進化する様を、あゆは面白いと感じられるようになってきていた。「いま、わたしのめのまえに、せいめいの かのうせいをぐげんかした【せんとうきじん】がいます」あゆの視線は、スカリエッティの背後に控えるウーノとセインに。「これほどのけんきゅうせいかを めのまえにして、それが じぶんのせんもんではないというりゆうだけで しりたくないというのなら、それは けんきゅうしゃでは ないのです」ふむ。とスカリエッティ。まんざらでもないのか、あごをなでている。「僕も研究者だからね。君の気持ちはよく解かるよ。 しかし、では君の願いが「知りたい」ではなくて「なりたい」なのは何故かね?」あゆは視線を伏せた。伏せて見せた。「こうして めのまえにいるというのに、わたしは【せんとうきじん】がどういうげんりで うごいているのか、どうやってなりたっているのか、すいそくもできません」じっと、お茶の水面を見る。そこに何かを見出しているかのように、眉をしかめてみせる。「もちろん、わたしが もんがいかんということもあります。 ……でも、いちりゅうのけんきゅうしゃというものは、ほんもののてんさいというものは、じゃんるのかきねなど、きづきもしないうちに またぎこしているものなのです」上目遣いにスカリエッティを見たあゆは、すぐに視線を戻す。「……でも、わたしは……」と、最後まで言いきらない。……黙り込んでしまったあゆを、意外なことにスカリエッティが辛抱強く待っていた。それどころか、「茶が冷めてしまったようだ。ウーノ、頼むよ」と淹れなおさせている。「どうぞ」目の前のカップが交換されて初めて気付いたとでもいうように、あゆが顔を上げた。「もうしわけありません。きちょうなおじかんを さいていただいているのに」「いやいや、自分の力不足を嘆く気持ちは僕にもよく解かるよ。 自慢の娘だったのに、ストライカー級とはいえAMF下の魔導師と相討ちだった、なんて聞くとね。 もっと、してやれることがあったんじゃないかって考えてしまう」背後で身動ぎする気配。クイントを圧倒したとはいえ終始1対1の状況に持ち込まれ、トーレに戦果はない。仲間を助けにもいけず逃げ出すしかなかった彼女に、今の言葉は少しきつかったのだろう。「それはそれとして、なぜ戦闘機人になりたいか、その理由だよ」そうでした。と、あゆ。「みただけでは けんとうもつかない。おしえをこえる あいてもいない。 ならば、このみをささげてみるしかないのです。 たとえ 3りゅうけんきゅうしゃのわたしでも、じぶんじしんが【せんとうきじん】となってしまえば わかることがあるはずです。 もしわからなくても、けんきゅうざいりょうはじぶんじしん、なのです」その薄い胸に手を当てて、スカリエッティを見据える目は真剣そのもの。に見える。「戦闘機人を知りたいから、戦闘機人になる。と?」はい。と即答。「そこまでしなくとも、教えてくれと頼んでみればいいのではないかね?」言われたあゆは、きょとんと。した振り。「みずからは なにもどりょくせず、りかいする さいのうもなく、ていきょうできる たいかももたない。 そんなあいてに、おしえてくださると?」ふむ。とスカリエッティは腕を組む。「この からだを【せんとうきじん】にしてもらうのなら、すくなくとも りんしょうれいを ひとつ、どくたーにごていきょう できるのです」「なるほど、僕にもメリットがあるという訳だ」ぱちんと右手で額を叩いたスカリエッティは、その勢いのままソファに上半身を預けた。はははと愉快そうに笑いながら天井、いや背後の壁を見上げている。「ドクターが笑ってる……」セインとて、スカリエッティが笑ったところを見たことがないわけはないだろう。しかし、こうも無邪気な笑いはどうであったか。ははははと続いていた笑い声がぴたりと治まると、無脊椎動物めいた仕種でスカリエッティが起き上がる。「そこまで言うのなら、してあげようではないか。戦闘機人にね」自分を見下ろしてくるスカリエッティの目に、あゆは狂気と愉悦の渦を見たように感じた。***セインに送られてきたあゆは今、地上本部の執務室で1人であった。あの後、各種検査を受けたのだが、残念なことにあゆには戦闘機人の素体としての適性はなかったのだ。スカリエッティ曰く「適合する可能性はないとは思っていたよ」である。以前にクイントから話を聞いていたから、人工臓器を受け容れやすくするために遺伝子レベルから調整を行ったりすることは知っていた。だがそれが必ずしもあゆの身体が人工臓器を受け入れられないということを示すわけではないし、スカリエッティの技術に期待したところもある。 「今のところ、無調整の素体から戦闘機人化に成功した例は聞かないかな。 もちろん、僕もね。まだまだだよ」それに、結果に対する反応を見ることで、スカリエッティと言う人物をより見極められただろう。「じみちに、つよくなるしか、ないのですね」あゆが戦闘機人になりたかったのは、ゼスト隊の壊滅から判るとおり、AMF下で相対するには危険すぎる相手だからだ。将来はやてが入局した時には、戦闘機人の数も増え、質も向上しているだろう。それまでにその能力を分析し、対抗手段を構築しておきたかった。もうひとつには、純粋に強くなりたかったのだ。はやては、入局する時には危険な任務の多い部署を希望している。そのほうが早く出世できるし、保護観察処分を短くできるだろう。ただのデバイスマイスターでは、いざという時にはやてを守れない。魔力ランクC、レアスキルのおかげでかろうじて魔導師ランクがシングルAの自分では、オーバーSランクと目されているはやてを守れるわけがない。だが、そこに戦闘機人の能力が加わればどうか?特に、AMF下で戦闘機人を相手にするときには。せっかく「脳改造前に逃げ出せた」なんていう言い訳を考えていたのに、使えなくて残念なあゆである。ただ、あゆの目論みはそれだけではなかった。あゆは、戦闘機人のような存在を大々的に運用するのは、かなり巨大な組織だと思っていた。だからその組織の目的や規模によっては人工リンカーコア込みで売り込んで、管理局や聖王教会を滅ぼせないかと企んでいたのだ。はやてに貸しのあるこれらの組織を叩き潰してしまえば、はやては返済を踏み倒すことができる。だが残念なことに、スカリエッティ一味は予想以上にこじんまりとした組織であった。――セインに運ばれていた時間から、あゆはラボの位置をクラナガン郊外と推測している。たとえスカリエッティが大組織の一部だとしても、その研究開発部門を地上本部のお膝元、聖王教会の目前に置いたりはしないだろう――ならば、戦いは数である。AMFと戦闘機人の組み合わせがいかに魔導師殺しであろうとも、あの規模では管理局は打ち破れまい。**「ざんねん。なのです」「ご期待に添えなくて、申し訳ないね」戦闘機人になれず――さらには利用できる組織とも巡り会えずに――落ち込むあゆを慰めたのは、意外なことにスカリエッティであった。なにやら上機嫌な様子で、大きなケースを取り出している。確かにあゆは戦闘機人の素体としての適性を持たなかったが、その身体データはスカリエッティの興味をそそるに充分だったのだ。暗殺者として養成するための各種の処置、薬品投与を行われたあゆの体は、その基本理念や方法論こそ違えど一種の戦闘機人である。特に薬品による記憶や感情の操作、統制、固定化は、人間味を排除した戦闘機人を設計中だったスカリエッティのインスピレーションをいたく刺激したらしい。そして、なによりあゆのレアスキル、魔力支配である。その能力に興味を示したスカリエッティは、「いい物を見せてあげよう。君の身体データへの礼代わり。いや、その解析結果はぜひ僕も聞きたいしね」と赤い角柱様の結晶体を見せてくれたのだ。「【レリック】。戦闘機人のエネルギー源だよ」あゆは、一目見てそれがジュエルシードと似たような目的のために作られた代物だと判った。ざっと見た感じでは、ジュエルシードとは異なる4層構造。その中心部に秘密があるはずと凝視したあゆは、しかし、なにも視えなくて狼狽する。何もないのではなく、何も視えないのだ。あの蠱毒房最後の日以来あゆとともにあった能力が、消え失せてしまったのだろうか?魔導師ランクシングルAですら、なくなってしまったのだろうか?自分を支える大地ごと見失ったか、あゆが平衡を損なう。「ちょ、大丈夫?」支えてくれたのはセインだった。「……はい。ありがとう。なのです」抱き起こしてもらったあゆは、周囲に浮かぶ魔力素の光を目にして平静を取り戻す。どうやら、能力を失ったわけではないようだ。「なにが見えたのかね?」「はい……」言えるわけがない。見えなかったなどと。「あの、どくたー?」「なんだい?」単なる時間稼ぎのつもりだった。だが、そのとき目に入ったのはスカリエッティの傍に控えるウーノ。そしてトーレ。「ひかくしてみたいので、かどうちゅうのものがあれば みせていただきたいのですが」「ふむ。セイン、動力炉に案内して差し上げなさい」「はいは~い♪」ウーノが止める暇もあらばこそ、あゆを抱え上げたセインは飛び板上の高飛込み選手のようにぴょんと跳ねた。「いっきま~す」3階層分ほども落ちただろうか?コマ落しの映像を見るように、いくつかの施設と一瞬の闇を繰り返して、目の前に【レリック】。ガラスシリンダーに蔽われ、巨大な装置の一部となっている。「と~ちゃく~♪ 最下層、動力炉で~す♪ お降りのお客様は~足元にご注~意ください♪」セインの腕の中から降りたあゆが、ガラスシリンダーにへばりついた。やはり、【レリック】の中枢部は見えない。しかし、あゆはまばたきすら忘れて睨みつける。この施設全てをこれ1個で賄っているなら、相当なエネルギーを放出しているはず。きっと何らかの動きを見せるはずだ。「セイン、部外者をそう易々と重要区画に連れてくるな」「あ、トーレ姉。だってドクターがそうしろって」「ドクターはあのとおりのお方だから、我々が気をつけねばならぬのだろうが」じゃあ。とセインがあゆを指差す。「引っぺがして、連れて帰る?」「いや、したいなら監視は許可する。だそうでな。 お前では心許ないから私も来たのだ」「ひどいなぁ」!ゴンと、音がした。「うっわ!……痛くないのかなぁ」【レリック】の内部に動きがあったのだ。思わず身動ぎしたあゆは、自分がガラスシリンダーにおでこをぶつけたことに気付いてない。いま、第3層の魔力素が1個、不可視領域の中に消えた。その直後に第2層の各種回路が稼働しだす。ぱちぱちと連鎖して輝きを変えていくその様は、観客席のウェーブのよう。光の脈動が【レリック】第2層を半周すると、潮が退くように回路が閉じていく。するとまたひとつ、魔力素が不可視領域の中へと消えた。「しゅつりょくけいは、どちらですか?」そっち。とセインが指差した計器の位置を確認したあゆは、自分のおでこが真っ赤になっていることを知らないだろう。ひとつ、またひとつと魔力素が消える度に、あゆの視線が【レリック】と計器を往復する。間違いない。魔力素が不可視領域に送り込まれるたびにエネルギーが発生している。「……」あゆは、それを見たことがない。だが、その存在は聞かされていて、その性質も知っていた。**「どうだい?何か判ったかな?」「はい」セインは惜しげもなくその能力を発揮して、あゆを元の階層に連れ戻してくれた。謝意を述べて、その腕の中から降りる。「【れりっく】のなかにあるのは【じげんだんそう】。 とりだしているのは【きょすうくうかん】の【はんまりょくそ】、なのですね?」「そのとおり!」出来のいい生徒を見るような目で、スカリエッティがぽんぽんと手を叩く。「どうりょくろの【れりっく】は、とりだした【はんまりょくそ】を【まりょくそ】と はんのうさせ、【ついしょうめつ】をおこして えねるぎーにかえている。 ぐたいてきには【でんきえねるぎー】に かえていたようでしたが?」「まさしく! 羨ましい能力だね。こんな短時間でそこまで見抜くとは」わからないのは。と、あゆは眉根を寄せた。「どうりょくろの【れりっく】は、その ないほうするかいろの1わりもつかってないようでした。 せいんさんたちの のうりょくや えねるぎーも【れりっく】にゆらいするとしても、まだまだ みかどうぶぶんがあるでしょう」ふむふむ。とスカリエッティは愉しそうだ。「それはつまり」と水まで向けてくる。「【はんまりょくそ】をもちいた あらゆるぎじゅつを、ただひとつで じつげんする。 それが【れりっく】なのでは?」「すばらしい! いやいや、確かに凄い能力だが、そこからここまで洞察する。 なかなかの研究者振りじゃないか」あゆは敢えて口にしなかった。おそらく【レリック】は反魔力素を用いた反魔法をこの次元世界上で実現しうる能力を所持しているだろうことを。それらを一部なりと実用化したのが、戦闘機人たちのISであろうと。それに、対消滅でエネルギーを得られるということは、そのエネルギーから魔力素を生成することも可能であることを指し示している。つまり、それを操って通常の魔法をも使い得るということだ。人工リンカーコアとは別のアプローチで、一般人を魔導師にすることができるかもしれない。そして、虚数空間に繋がった【レリック】は非常に危険な存在で、間違って反魔力素を1個洩らすだけで大惨事になるだろうことを。それらは、スカリエッティが知っているか、知らせるべきでないか、言うまでもないか、のいずれかに該当するだろう。いずれにせよ、口にする価値はない。「出来るなら君に【レリック】を預けて、僕の代わりに研究してもらいたいよ。 時間が取れなくてね。そこまでは手が回らないんだ」あゆはその提案をやんわりと辞退した。確かに魅力的な提案だが、罠の可能性が高すぎる。欲を見せたとたんにトーレにばっさり斬られかねない。それに、次元断層を維持し続ける【レリック】は危険すぎる。虚数空間と繋がっているということは、この次元世界に充満する魔力素と等量の反魔力素が流れ込んでくる可能性だってあろう。すなわち、この次元世界そのものが対消滅で消え去ってしまいかねない。さすがにそんなものを、おいそれと手元に置いておきたくなかった。「残念だが仕方ない。 でも、ときおり君の意見やその能力の力は借りたいかな。 どうだろう、お互いへの連絡手段を維持しておくのは?」「こうえいです。どくたー」あゆとしても、願ったりだ。研究者としてのスカリエッティには一目置いているし、動向をつかめれば対策も立てやすくなる。教えてもらったのは、戦闘機人への念話の方法であった。各人の専用回線への、発信専用のみ。スクランブルコード付きだ。「受信用は教えられないよ」とスカリエッティ。スカリエッティ側から連絡をとる場合は、セインでも寄越すつもりなのだろう。**そうして早速セインに送ってもらって今、本部の執務室であった。あゆは端末を開き、猛烈な勢いでタイピングしている。スカリエッティのラボで見た【レリック】。なかでも不可視領域間際の魔力素の構成を、忘れないうちにできるだけ。次元断層を保持し虚数空間すら押し込めるあの第3層の組成を調べれば、人工リンカーコアの研究は飛躍的に進むだろう。さらには戦闘機人対策、AMF対策である。根本的な対策は難しいから対症療法的にならざるをえないが、しないわけにはいくまい。もっと時間が、なにより開発力が欲しい。と切に思うあゆであった。****八神宅2階の奥、通称 転送部屋に帰ってきたあゆを待ち構えていたのは、はやてである。「おねぇちゃん?」はやてのリハビリは進んでいた。今も両手用の木製の松葉杖ではなく、片手用のアルミ製の松葉杖を突いている。「いま何時やと思ぉとん?」「えぇ……と」見渡すが、この部屋に時計はない。カーテンの隙間から差し込むのは、街燈の明かりのみ。「夏休みで素行を悪ぅして不良になる言うんは、ホンマの話なんやな」あぶなげなく松葉杖に体重を預けながら、はやてが一歩二歩。「小学2年生で午前様やなんて、悪いコぉや」あゆの目前まで来たはやてが、こつんとあゆのひたいを小突いた。……痛かったわけではない。叱られて悲しかったわけでも、ましてや怖いなんてありえない。けれど、はやての顔を見てから湧き上がりだしたものがあふれて仕方ないのだ。「ちょ、あゆ」とまどうはやてに抱きつき、あゆは嗚咽を噛み殺した。今日あゆは、違法な戦闘機人を作っている犯罪者の研究室に単身で乗り込んだのだ。クイントを圧倒するほどの実力者を含め、戦闘機人4体のただなかに、丸腰で。怖くなどなかった。むしろ愉しかったといっていい。とっさの判断で飛び込んだことそのものは、後悔していない。けれど、もしかしたら二度とはやてに会えなかったかもしれないのだ。今、ようやくそのことを実感した。一方、はやては困惑である。なぜこの子は人が叱ろうとすると、逆に慰めなくてはならないのだろうか?と。しかし、その頭をなでる手は優しい。判別不能な嗚咽から辛抱強く「ごめんなさい」を掬い上げ、「もうええ、ええんやで」と目を眇めるはやてであった。