――【 新暦67年/地球暦4月 】――……室内を沈黙が支配していた。「りんでぃさん」焦れて声を上げたあゆを、「まあまあ」とリンディがなでている。あゆは、2人きりの時しかリンディを「おかぁさん」と呼ばない。S2Uの本名は2人だけの秘密だから、その絆も内緒であった。リンディの執務室である。応接セットの片方には、あゆ、リンディ、たまたま居合わせたクロノ。対峙する反対側には、はやて、なのは、フェイト。管理局に入局できるよう、3人揃って直談判に来たのだ。はやてたちの言い分は簡潔である。去年1年の通信簿を見せて成績に問題がないこと、ヴォルケンリッター達に鍛えられて実力がついてきたことを理由に、学業と就業の両立ができると主張していた。「あゆさんの気持ちは、考えられました?」「もちろんです。 でも、だからやこそ、うちはあゆに恩返しがしたい」うんうんと、はやての両脇のフェイトとなのはが。一方リンディとしては困惑である。3人の処遇は決定済みとはいえ、その猶予期間を打ち切ることは可能だ。しかし、人工リンカーコアの研究を契約内容に据えてしまったあゆの就業は、縮めようがない。「それに、うちは誰かのための力になりたいんです。 無力やったはずのうちに眠っとった力を、力のない人のために役立てたいんです」「立派だわ」「だが無謀でもある」リンディの賞賛を断ち切ったのは、それまで口を開かなかったクロノである。反駁しようとした3人を身振りで抑え、視線であゆを示す。「君たちの魔力資質は知っているが、今の君たちでは彼女にも勝てまい」え?と驚いたのは、はやてたちだけではない。名指しされた当の本人も驚いていた。もっとも、クロノがなにを言いたいかは解かったらしく、口を挟まないが。はやてたち3人は、直にあゆと模擬戦をしたことがない。本人がものすごく嫌がって、相手になってくれないからだ。しかしながら、ヴォルケンリッターたちとの模擬戦は見たことがある。その上での――ヴォルケンリッターを含めた――共通認識では、あゆが一番弱かったのだ。なにより、すぐに魔力切れを起こす。「あゆ。君が八神はやてを斃さねばならぬとしたら、どうする」「じがい、します」即答である。クロノが望んだ答えではないが。「おねぇちゃんを がいするそんざいなど、ゆるすわけないのです」「……あゆ」ふむ。とクロノ。「設問が悪かったか。 じゃあ、僕ならどうだ?君が僕にしようとしたことを、忘れたとは言わせないぞ」え……と。と、あゆは困惑する。けして口に出しては言わないが、今ではクロノは「おにぃちゃん」なのだ。「クロノ、意地悪が過ぎるわ」よしよしと抱きしめて、リンディがクロノからあゆを隠した。「こいつが僕にしようとしたことを知ったら、きっとそんなことは言えなくなります」憮然とも悄然ともつかないクロノの様子に「あの~」と声をかけたのは、はやてである。「あゆが一体、なにしたん?」家族であるヴォルケンリッター相手の模擬戦において、あゆは搦め手を用いたことがなかった。正面からの真っ向勝負では、攻防いずれにせよ、あっという間に魔力を使い果たしていたことだろう。師匠として胸を借りていたクロノにだけ見せた権謀術数を、はやてたちが知るよしもない。「ああ、こいつはな。模擬戦前に、僕に下剤を盛ろうとしたんだ」「!……」「なんっ!?」「ふぇ~!?」あらまあ。と、リンディはなんだか愉快そう。2回目の、模擬戦前であったか。「未遂で済んだし、きっちり叱ったからそれはいい」いたかったです。あゆがぽつりと。「要は覚悟の問題だ。 こいつは必要があれば、君たちが彼女を敵と認識する前に手を下してしまうだろう。 そして、時空管理局の局員が立つ現場とは、そういう場所なんだ」手をつけずにいたリンディ特製砂糖たっぷり抹茶を飲み干して、クロノが立ち上がった。「この剣呑な八神あゆが、実に穏当な手段で君たちのために猶予を作ったんだ。 君たちが入局する頃には、君たちがより強くなれるよう準備をしてるんだ。 そのことをもう一度、よく考えてみてくれ」予定があるのでこれで失礼する。と執務室を後にしたクロノに、あゆの感謝の心は届いただろうか。****――【 新暦67年/地球暦7月 】――あゆが箱を開けると、真新しいスニーカーが出てくる。昨日買い物に行ったときに買ってきたのだ。自分の小遣いで買おうとしたら、「衣食住は、お姉ちゃんたるうちに責任があるんやで」と、はやてが支払を済ませてしまった。妹にはとことん甘いはやてである。さて、あゆが八神家2階奥の、通称【転送部屋】にスニーカーを持ち込んだのは他でもない。今日から、この紺色のスニーカーで本局に通勤するつもりなのだ。ハイヒールはお役御免である。もちろん、あゆの背丈が伸びたわけではない。単に、本局の職員たちがあゆの存在に慣れただけだ。はやての薫陶が篤い――最近ではそれにアリシアも加わりだしている――あゆは、お世話になったハイヒールに手を合わせてから箱に仕舞った。12年後の9月に、あゆはまたこの箱を開けることになるかもしれないのだが、それは全くの余談である。****――【 新暦67年/地球暦8月 】――ガラス越しに、横たわるゼストの姿があった。「峠は越したらしいから、あとは意識が戻りさえすればって」比較的軽傷で済んだメガーヌである。それでも松葉杖姿だが。ヘルスメーターの術式をシャマルから教わっているあゆは、MICU内の機器が表示している数値の意味を大体理解できた。メガーヌの言うとおり、少なくともゼストが命を落とすことはないだろう。「ゼスト隊が全滅した」という報せにあゆが出くわしたのは、地上本部への転送後、その詰め所へ向かう道すがらのことであった。夏休みいっぱいを掛けて作り出した第5世代の試作品を思わず取り落としたのは、あゆ一生の不覚か。オーリスに連絡をとったあゆが全滅どころか壊滅であると知り、聖王医療院に駆け込んだのがつい先ほど。事件の2日後である。**意識が戻れば連絡が入るという言葉に納得し、傍に居たからといって何ができるわけでもないと緊急病棟を後にした。メガーヌの案内で、一般病棟へと渡る。「あゆちゃん!」ドアが開くなり突進してきたのは、スバルだ。メガーヌがそっと支えてくれなければ、あゆとてもいなしきれなくて押し倒されていたことだろう。「あいがどおぉ!」メガーヌに作戦内容を話す権限はないので、あゆはまだ詳しい事情を掴んでない。「なにごとなのです!?」感極まって泣き喚くスバルは何を言っているのか判らないわ、視界が塞がれて何も見えないわ、すごい力で締め付けられて痛いわ息苦しいわで、あゆの疑問はほとんど悲鳴であった。「スバル、あゆちゃんを放しなさい」駆け寄ってきたギンガがあゆを救出しようとするが、盛大に泣き縋るスバルの耳には届いてない。**「大丈夫?」クイントである。額の包帯に右腕左脚のギプスが痛々しいが、本人はあまり気にしてなさそうだ。今はベッドのリクライニングに上半身を預け、苦笑の成分を多分に含ませた視線を寄越していた。「もんだいないのです」あゆを救出したのは、通りがかった烈火の将である。――要請によりゼスト隊の救援に駆けつけ、その後送を行ったのはシグナムが所属している部隊だったのだ。そのまま事後処理などを受け継いだので、現場と医療院を足繁く往復していたらしい――「……ごめんなさい」今はベッドの向こう側で神妙に座っているスバルである。隣りにはルーテシア。医療院に虫は持ち込めないので、微妙に不機嫌そうだ。聞いたところによるとクイントは、「あゆがくれた御守りが身代わりになってくれたので救かった」と子供たちに説明したらしい。それを極限まで拡大解釈したスバルの感謝の形が、先ほどのベアハッグというわけだった。「あゆちゃん、……これ」ギンガが差し出したのは、人工リンカーコアだ。今は艶やかさを失い、割れ砕けた残骸に過ぎないが。あゆが作った試作品の、最大の欠点がそれだった。貯蔵した魔力を使い切ると、構造を支えきれなくて崩壊するのだ。第4世代のこれは形が残るだけマシで、第1世代など影も形もなく消え失せていた。「もくひょうひんの ほうは?」いつか、それと同じ物を作る。と宣言するあゆの気概を受けて、ジュエルシードから造られた人工リンカーコアのことを【目標品】と名付けたのはクイントである。視線を向けられた命名者が、病衣の袷からジュエルシード製人工リンカーコアを出して見せた。魔力を使い切って艶やかさこそ失っているが、こちらは健在。「みちのりは ながそう、なのです」嘆息を洩らしたあゆは白衣のポケットからケースを取り出すと、第4世代の残骸と引き替えに第5世代を手渡した。「ああ、よかったら。これ、貰えない?」そう言いだしたのは、メガーヌである。手にした小さなビニール袋に、やはり割れ砕けた第4世代。「かいせきが おわったあとでなら、かまいませんけれど?」第5世代と引き替えに受けとりながら、あゆ。「記念にね、持っておきたいの。皆、そう言いだすんじゃないかしら」試作品の作成に慣れてきたあゆが、初めてゼスト隊全員の分を用意できたのが第4世代である。「そうね。私もお願いするわ。 供えても、あげたいしね」壊滅ということは、その損耗率は5割ほど。そのうち死者が何人居るのか、あゆはまだ聞かされてない。「わかりました」ゼスト隊全員の顔を知っているわけではないが、手にした第4世代の残骸がそのまま戦死者の姿のように見えてしまう。もう会えない人が居るという事実を、あゆはどう呑み込んでいいのか判らないでいた。****ゼスト隊の作戦内容とその報告の閲覧をあゆが許されたのは、試作品とはいえ人工リンカーコアの有用性が評価されたからである。 ―― Eyes Only ――目的:戦闘機人プラント捜査経緯:突入時の勧告に応じず発砲したため交戦結果: 損害 ゼスト隊 12名中 死亡者 2名 重傷者 4名 軽傷者 6名 成果 戦闘機人 高速格闘型 1名(仮称サード) 逃走 後方指揮型 1名(仮称フォース) 捕縛 格闘爆撃型 1名(仮称フィフス) 捕縛 多脚型戦闘機械(仮称アンノウン) 27機 破壊 5機 押収 カプセル型戦闘機械(仮称ガジェット) 45機 破壊 19機 押収新たに宛がわれた6畳ほどの執務室で、あゆはさらに個人ごとの経過報告を追う。各人のデバイスが自動記録したものを、それぞれに補完、過去のデータなども統合して整理されたものだ。3体の戦闘機人に対し、ゼスト隊はそれぞれゼスト・クイント・メガーヌで対応。その他の戦闘機械は他の隊員たちが引き受ける。ゼストが相対したのが、格闘爆撃型の戦闘機人。プロテクターの喉元にⅤと刻印されていたため、仮称でフィフスと付けられていた。格闘戦に長ける上に爆発する投げナイフを使ったらしく、実力伯仲。相討ち同然にかろうじて戦闘不能に追い込んだものの、ゼストの意識はまだ戻らない。クイントが対峙したのは高速格闘型の戦闘機人。こちらはⅢと刻印されていたので仮称サードである。高速格闘という点でクイントと好カードになると思われたが、空戦能力を有し瞬間移動までこなす相手に防戦、足止めで手一杯。最終的に逃走を許す。メガーヌが対応したのが後方指揮型と見られる戦闘機人。同じく喉元にⅣとあったためフォースである。戦闘機械を指揮し幻惑能力を有していたが、相手が悪かったためその能力をほとんど発揮できずに捕縛に至っている。メガーヌの負傷は、この戦闘機人直援の多脚型戦闘機械による。この戦闘で特筆すべきは、カプセル型戦闘機械が発生させたアンチマギリンクフィールドであろう。魔力素結合・魔力効果発生を無効化する力場の中で、ゼスト隊は相当に苦戦したようだ。死者を含め、戦闘機人を相手にした3人以外の重軽傷者は、初撃の防御に失敗した結果であった。これに対応できたのは、偏に人工リンカーコアの存在による。と報告書に記されていた。AMFでロスさせられる魔力結合を、人工リンカーコアの魔力で補って対抗したらしい――非公式であるため報告書には書かれてないが、ゼスト・クイント・メガーヌはさらに【目標品】も所持していた――。特に、AMF下にも関わらずメガーヌが召喚魔法をフル稼働できたことが大きかったであろう。対する後方指揮型戦闘機人の幻術も、メガーヌが呼び出した様々な昆虫たち全ての感覚器官を誤魔化すことはできなかったのだ。結果、戦闘機人側の指揮統制を阻害し、仕掛けてきたであろう撹乱を防ぎえたことが最大の勝因である。最終的に後方指揮型戦闘機人を行動不能にしたことで戦闘機械の活動が止まり――これに前後して航空武装隊第1039部隊が来援――、残存していた高速格闘型戦闘機人に逃走を決意させたことで戦闘の終結を見たようだ。あゆの座るベンチには、回収してきた第4世代たちが並んでいる。すべて割れ砕けて、無事な物はひとつもない。それぞれ小さなビニール袋に入れられ、使用者の名前が書かれていた。第5世代の完成があと3日早ければ、もっと被害を抑えられたであろうか?赤く書かれた2人の名前が、黒字で済んだであろうか?そこまで考えて、あゆはかぶりを振る。AMFの存在に気付いてなければ、どれだけ魔力量があっても無駄であっただろう。部隊の損耗はほぼ、最初の一撃で被ったものだ。それにしても。と、あゆは立ち上がる。「せんとうきじん、ですか」あゆは、報告書に添付されていた写真を思い返す。背丈で言えばフェイトと同じくらいの少女の姿をしたフィフスが、ゼストと対等の戦闘力を持つ。さらにはAMF下にもかかわらず、正体不明のテンプレートを展開して魔法を使ってきたものがいたという。瞬間転移めいたサードの超高速移動と、判別至難なフォースの幻覚がそうらしい。それら戦闘機人が大量に、AMFとセットで立ち塞がることがあれば、管理局の戦力で対抗することは難しいだろう。人工リンカーコアによる一時的な魔力量増大などでは、焼け石に水だ。なにか打てる手はないだろうか。と、あゆはその眉をしかめるのであった。