――【 新暦67年/地球暦1月 】――「あゆちゃん、そのおおにもつ、なに?」「いいもの、なのです」スバルが出迎えてみれば、あゆは大きなリュックを背負っていた。いや、あきらかにリュックのほうが大きくて、背負っていたというより背負わさせられていたと言うべきか。「おもくないの?」「みかけほど、おもくはないのです。 それに、わたしはいがいと ちからもち、なのです」あゆは、管理局での時間のほとんどを本局で過ごす。多くとも1日8時間、少なければ4時間ほどしか研究時間を取れないのだから当然である。ただ、試験運用を任せているゼスト隊との折衝もあり、クラナガンへ来ることが増えた。土日などはほぼ1日使えるので、こうしてナカジマ家を訪れることも多い。クラナガン側の休みや時間帯に合わせるのも、すっかり慣れた。もっとも、最近ではS2Uに任せっきりだが。リビングに通されたあゆがその妙に安っぽいリュックから取り出したのは、6個組みで連結されたヨーグルトなどの容器を連想させるプレートであった。それが、61枚。「これ、なんですか?」ギンガが目を丸くしている。「あいすくりーむ、なのです」「あいすくりーむ!」きらきらと目を輝かせるスバルであった。スバルがアイスクリームも大好きだと聞いて、あゆが一度やってみたかったこと。それは、ハーケンダック全365フレーバーの制覇であった。ハーケンダックは、フランス資本の老舗アイスクリームフランチャイズチェーンであり、常時365種類のフレーバーを揃えていることを売りにしている。要予約だが、その365種類全てを詰め合わせた商品として、イヤーズプレートセットも販売されていた。今日あゆが買ってきたのは、さらにフレーバーが+1されたリープイヤースペシャルである。閏年限定の、このスペシャルセットでないと食べられない特別フレーバーがあった。とはいえ、かなりの高額商品である。早々売れもしないのだろう。いきつけの海鳴店へ予約しに行ったとき、お年玉を注ぎ込む気だと聞いた店長のダイスケさんが感涙に咽んで、特別にリープイヤースペシャルにしてくれたのだ。――ちなみに閏年は来年の話で、ダイスケさんがどんな魔法を使ったのか、あゆは知らない――今日受け取りに行ったときも、店長補のマリアさんがフリード君ぬいぐるみをおまけでくれる始末だった。宇宙合金製だという双頭フックを、あゆはひそかに気に入ったらしいが。それはそれとして、「くいんとさん。 ひょうけつまほうを、かわってほしいのです」ここまで持ってくる間の重さより、冷蔵のための氷結魔法のほうが堪えたあゆである。転送ポート待ちの間に、ドライアイスが昇華しきってしまったのだ。「ゲットレディ!」「セット」クラナガンにも、じゃんけんはあるらしい。「やった♪」「まけた~…」地球のものと違うのは、魔法になぞらえてあって、勝ち負けが逆なところか。パーそのものの防御魔法は、チョキに似た射撃魔法に勝ち、グーそのもののバリアブレイクに負ける。同様にバリアブレイクは、防御魔法を破って射撃魔法に倒される。射撃魔法は防御魔法に防がれ、バリアブレイクを貫く。さらに、一度目の勝ち負けの結果を踏まえた2回戦目を行って勝敗を決する上級編もあるそうだ。例えば、防御魔法をバリアブレイクで破られた場合、2回戦目で射撃魔法で勝てれば逆転勝利とみなされる。まあ、少々ややこしいアッチ向いてホイであろう。あゆはとりあえず、魔法拳と名づけてみた。「つぎはまけないよ!おねえちゃん♪」驚いたことに、あのお姉ちゃんっ子のスバルが、真っ向からギンガに勝負を挑んでいた。そもそもギンガは、スバルに好きなのを選んでいいと言ったのに、それを断って魔法拳勝負に持ち込んだのだ。「あ~!それねらっていたのに」「ほら、一口わけてあげるから」「いいの!しょーぶのけっかは げんせいなの」勝ったほうが先に好きなフレーバーを選ぶ、負けたほうが次に選ぶ。その86回戦目が終わったところだ。意味を解かって言ってるのかしら?とクイントの苦笑はやわらかい。「お姉ちゃん離れが進んでいるみたいで、歓ばしいことだけど」あゆは、クイントと一緒にダイニングでお茶を戴いていた。10回戦までは参加していたのだが、体が冷えてきてとてもじゃないが付き合いきれない。せいぜいスプーン2~3杯分の小さなカップ入りとはいえ、よくもまああんなに食べられるものだ。「そろそろ、夕ご飯の支度しなくちゃ。 あゆちゃんも食べてくでしょ?」時差――と云うか自転周期差であるが――の関係で、あゆにとってはお昼ご飯になるが、ありがたくご相伴にあずかることにした。そろそろゲンヤも帰ってくるだろう。現場叩き上げの人間の苦労話を聞くのは、ためになる。それにしても、クイントが一切心配してないところを見ると、あのアイスクリームを全てたいらげた後で夕ご飯もきっちり食べるのだろう。あの姉妹は。なんだか、今のうちから胸やけしそうになるあゆであった。****――【 新暦67年/地球暦3月 】――オーリス・ゲイズは、自身の複雑な心境をどう喩えていいか解からない。ただし、その元凶は明確に形をなしていた。白衣姿の、少女である。いま案内しているこの少女のことをオーリスが知ったとき、すでに上司であり父であるレジアス・ゲイズへの心無い中傷とワンセットであった。部下であり娘であるオーリスとしては、心証が良くなりようがない。しかし、この少女が研究している人工リンカーコアが海陸揃って管理局の悲願であることは、否定しようのない事実であった。レジアスが夢中になるのも解かるし、なにより非合法な手段から手を引き始めてくれていて嬉しいのも確かだ。それに、この少女の境遇も知っている。家族のために押し売り同然に入局してきたところなど、忙しい父親を少しでも手助けしたくて入局した自分と重ならないでもない。「いかかですか?」辿り着いたドアを開き、中を指し示す。「……」少女の視線がまず、正面に据えられた多機能高級デスクに向けられたのが判る。続いてその手前の本革製ソファとクラナガン杉のテーブルで構成された応接セットに。さらには窓際のマルチドリンクサーバー。最後に行きついた本棚には、今時珍しい紙媒体の資料が所狭しと詰め込まれている。専属の秘書官が配属されてないのが不思議なくらいだ。広さはともかく、設備的には佐官クラスの執務室レベル。「おおげさ、なのです」と少女が溜息をつく。本気で辟易としている様がオーリスにも判った。この少女本人の取扱いについては、各部の折衝の上で行うことが決定している。しかし、その成果物については最初の接触者である海の意向が幅を効かせていた。レジアスの働きかけで試験運用こそ陸が行っている――海や空では事件規模が大きすぎて現場での試験運用は難しい――が、研究が完成し、生産となればその主導権は海がとることになるだろう。今でも優秀な人材は海が持っていってしまうが、それと同じことが人工リンカーコアでも起こるというわけだ。それでは意味がない。と考えた上層部は、開発者であるこの少女そのものの取り込みを画策していた。ノウハウを手に入れて、陸独自に生産しようとしているのだ。当初は、本局と同等かそれ以上の設備を与えようとしたのだが、当の本人に断られた。曰く、非効率だという理由で。個人的には、オーリスとしても賛同である。そこでせめて、陸士部隊との連絡が密になってクラナガンに来ることが多くなった少女のために執務室をという話になったのだ。「おーりすさん。 これは わたしのそうぞうなのですが、れじあす・げいずという じんぶつは、こどものたんじょうびに やまほどのぷれぜんとを とどけさせるのでは、ないでしょうか」「上司のプライバシーに関わることをお話するわけにはいきません」とは言うものの、この少女の推察どおりであった。「届けさせる」というところまでピッタリと。そうですか。と再び少女が嘆息。「あのひとのあつかいかたを おしえていただけたら、うれしかったのですが」そんなものがあるなら、自分が知りたいオーリスであろう。「しょうじき、かんりきょくのなわばりあらそいには きょうみがありません。 しかし、それが こういうむだづかいに あらわれるとなると、そしきとしてのけんぜんせいを うたがわざるをえません」オーリスは応えない。応じられる立場にないのだ。「てはいしてくださったでしょう おーりすさんには もうしわけないのですけど、このおへやは じたいさせていただくのです」そこを。と口を開いたオーリスを手振りで止め、少女は続ける。「わたしこじんを かいじゅうしたところで、けんりかんけいは どうしようもないのです。 いざというときに うったえられるのは わたしですし、そのときあなたがたが わたしをまもってくれる ほしょうもない。 しけんうんように おわたししている【いであしーど】をあなたがたが……」少女が口篭もった内容を、オーリスは知っていた。陸での試験運用は様々な駆け引きの結果、海の黙認の上で進められていることである。その試験運用の最中に、陸がそれを解析することも。それを口に出すことをためらったということは、この少女が管理局内の確執の深さ、利害関係の複雑さを理解している。と云うことだろう。下手なことを口走れば、責任の追及先にされかねないことも。「こちらのひとたちにも よくしてもらっていますから、おこたえしたいきもちはあります」ですが。と続ける少女を、今度はオーリスが遮る。「この件と、八神さんのお気持ちについては私のほうから上司に伝えておきます。 本局との高機密専用回線を用意した小部屋に、ベンチをひとつ。では如何でしょう?もちろん、本局の方にも正式に打診の上で」人工リンカーコアの研究は重要秘匿事項なので、その情報を介するには相応の回線が必要だ。この少女に執務室を与える話が出たときに、オーリスはその希望を聴き取っている。だから、転送ポート待ちなどの空き時間に本局のデータベースにアクセスしやすい環境を欲しがっていたことを知っていた。贈収賄と受けとられかねない事態への警戒と、余計な物は不要と考えているだろうこの少女の性格も、今知ったところだ。「べんちを、こうきゅうひんに しないのなら」「承りました」と応えたオーリスは、この少女が肩肘から力を抜いた姿を初めて見ただろう。案外、気が合うかもしれない。などとオーリスは思うのであった。****――【 新暦67年/地球暦4月 】――「……」見上げてくる瞳が、とても真剣だった。「きたいしてますね」「……」あゆを見上げているのは、最近掴まり立ちを卒業した幼児である。「あゆおねぇちゃんと よんでくれたら、さしあげるのですよ?」「何を勝手に、人の娘を手懐けようとしているのかしら?」振り返ると、菖蒲色の髪の女性がいた。「めがーぬさん」本日あゆがゼスト隊の詰め所に来たのは、第3世代の試作品を渡すためである。代わりに回収する第2世代の試作品を、メガーヌが取りに行ったその間の出来事であった。ゼスト隊に限らず、地上部隊の詰め所に幼児が居ることは珍しいことではない。就業年齢が低いということは、離職年齢が高いということも示し、ひいては一時休職も短いということである。管理局の中でも輪をかけて人手不足である陸では、条件さえ許せば子連れでの執務を認めているのだ。本部内に託児所もある。「いちど、おねぇちゃんと よばれてみたかったのです」あゆの周囲で年下となると、メガーヌの娘のルーテシアぐらいだった。戸籍上ならスバルが1歳年下になるが、ほとんど成長していないあゆの方が背が低くて、お姉さんぶるのは無理がある。それに、スバルにとって姉はギンガだけであろう。そこに割り込む気にはなれなかったのだ。「……」じーっ。と、あゆを見つめる愛娘の姿に嘆息したメガーヌは、持ってきたケースを手近な机の上に置く。「ルゥ、あゆおねえちゃんよ。言える?」「ぅーねーた?」おお。と、あゆ。「けっこう、うれしいかもしれません。 めがーぬさん、るぅちゃんを わたしにください」「あなたが私の娘になるって手もあるわよ?」メガーヌの切り返しに、「むむ」と、唸るあゆである。「ぅーねーた」2度目の呼びかけは、多分に非難が篭められていたであろう。「これはしつれい」と、ルーテシアに向き直ったあゆは、S2Uに命じて格納領域から虫カゴを取り出した。手渡された虫カゴを覗き込んだルーテシアは、首を傾げる。中には木の枝が一本入れてあるようにしか見えない。「【おおあし ながえだ ななふし】さんです。 ちきゅうでは、いちばんながい むしさんなのです」「おーで?」ルーテシアに呼ばれた枝が、その歩脚を伸ばした。触角を震わせ、自分を呼ばった者を探している。「管理外世界の生物を、よくもまあ……」リンディから防疫関係の手続を教わったあゆは、地球の食品などを持ち込む手筈に慣れていた。それでも、生き物を持ち込めるようになったのは最近である。シャマル直伝の術式をいくつか使いこなせるあゆは、持ち込む生物の状態把握に長けるし、必要に応じて特定の病原菌だけを狙い殺すこともできた。昆虫類の召喚を得意とするメガーヌへの手土産としてギラファノコギリクワガタを持ち込んでみたのだが、それを気にいり、なおかつ魔法も使わずに従えてしまったのがルーテシアである。今も虫カゴからだしたナナフシを頭の上に乗せ、「いーこ」と、ご満悦そうだ。「ルゥの忠臣がまた増えたわね」【めがにゅーら】が げんぞんしていたら、よろこんでくれたでしょうか?とは、最近常識を身につけだしたあゆである。special thanks to sato様。誤字報告、ありがとうございました。