――【 新暦66年/地球暦8月 】――「娘さんを下さいと挨拶に行く男の気持ち」とはこうしたものだろうかと、あゆが珍しく緊張していた。学校に本局勤めにと忙しい割に、ヴィータに付き合って見るTVドラマの数は減ってないようだ。昨晩放映されていた【愛の目盛り】の影響だろう。もっとも、「娘さんと結婚しましたと事後報告に行く男の気持ち」と表現したほうが正確であるが。クロノからS2Uを貰った、翌日のことである。あゆは、本局にあるリンディの執務室を訪れていた。第97管理外世界辺縁次元空間『時の庭園』臨時出張署の閉鎖にあたって、リンディは本局から総指揮を執っているのだ。現地での陣頭指揮がクロノ。「はい。今月のお小遣いですよ」接客テーブルの角を挟んで、封筒が差し出された。「ありがとう、なのです」地球まで届けに行く時間を作れないかもしれないから、今月は取りに来て欲しいと言われていたのだ。「……それで、あの。りんでぃさん」出されたリンディ特製砂糖たっぷり抹茶にも手をつけなかったあゆに、リンディの笑顔。「S2Uは、もう貰いました?」あゆの緊張も、その理由も、全てお見通しらしい。「……はい」懐から取り出したのは、待機状態のS2U。実はまだ認証を切り替えてないので、杖にできない。「その子の本当の名前は【Song To You】と言うのよ」クロノにも教えてないけれど。とリンディ。「そんぐ とぅ ゆう?」「ろくに歌ってあげられなかった、子守唄の代わりなの」あゆがその意味を呑み込むのに、時間がかかった。母親の愛情など、知らなかったから。しかし、想像はできる。できるようになった。自らの手の内にあるデバイスを、――どれだけの想いを篭めて息子に贈ったのか、理解しきれるはずはないにしても――自分に貰う資格が無いことだけは、はっきりと。「あの……」差し出されたS2Uを手に取って、しかしリンディはそれをあゆの手に握りなおさせる。「子供はいつか、巣立つものなのよ。 クロノがこの子を手放したのなら、今がその時ってことなの」S2Uを握らせた手を、包むようにリンディの両手。「さみしいことだけど、うれしいことなの」「……」あゆには、到底理解できまい。親心なぞ。リンディがくすりと笑っている。ところで。とリンディは、あゆの座るソファの肘掛まで押しかけてきて、腰を下ろした。「貴女の後見人になってから、私は貴女の母親のつもりでしたけど」背後から抱きすくめるように、その手で再びあゆの手を包んでくれる。「この子を受け継いだ貴女は、私のことをどう思ってくれてるのかしら?」手の中のS2Uに落としていた視線を上げて、リンディを振り仰ぐあゆ。ん?と、促すような微笑み。「……」一度開いた口をやはり閉ざし、あゆはじっとリンディを見つめた。 ……テーブルの上の抹茶が、最後の熱を一筋の湯気に変える。もし、熱量というモノが際限なく失われていくのであれば、あゆが再び口を開くまでの間に抹茶は凍てついてしまったことだろう。はやてさえ居てくれればそれで充分だったあゆに、ヴォルケンリッターたちが居てくれればそれで満たされていたはずのあゆに、この人はさらに与えようとしてくれるのだ。はやては、押しかけるようにして姉になってくれた。家族にしてくれた。この人も、家族になってくれると言う。しかし、一歩踏み出せともあゆに言う。姉よりも、少し厳しい家族に、なってくれると言うのだ。呼んで、いいのだろうか。「……」最後の逡巡を、あゆは呑み下した。「お かぁ……さん?」「はい」その笑顔に、あゆは顔を伏せる。一生口にすることはないはずだった言葉に、ここまで打ちのめされるとは思ってもいなかったのだ。涙はない。感情が、まだ追いついて来なかった。「……おかぁさん」「なあに?」ぎゅっと、握りしめられるS2U。「たいせつに、します」ん。と言葉少なに、リンディ。ようやく落ちた泪滴が、S2Uの上で照り映えた。後年にデバイスマイスターとしてマリエルやシャリオと並び称されるあゆは、数多くのデバイスを製作、改良を加えていくことになる。借り物であった官給品を除いて、あゆの身近にありながら、一切あゆの手が入らなかったのがS2Uであったという。****――【 新暦66年/地球暦9月 】――「おや、スバルのお友達かな?」玄関に現れたのは中年の男性。陸士部隊の叩き上げだと聞いていたから、あゆはレジアスやゼストのような偉丈夫を想像していたが、意外に人懐っこい笑顔だ。「はじめまして。ほんきょくしょくたくの、やがみあゆともうします。 ほんじつは おまねきいただきまして、ありがとうございます。なのです」「ああ、これは失礼した。 陸士部隊、ゲンヤ・ナカジマだ」それにしてもクイントめ……。と、頭を掻きながらなにやら奥のほうへ文句を言うゲンヤに、あゆは笑顔。「すばるちゃんと おともだちになりにきたのは、まちがいないのです。 そのように あつかってください」「そうか、助かる」時空管理局では、子供を使うことも子供に使われることも多いから、ゲンヤとて慣れてないわけではない。しかし、さすがに自分の――血は繋がってないにしろ、そういう年頃の子供が居ておかしくはない――下の娘と同じ年頃のお嬢ちゃんを、しかも自宅で、子供の目の前で同僚扱いするのはやりにくかろう。「まあ、入りなさい」しつれいします。と一礼したあゆは、ゲンヤに促されるまま靴を脱ぐ。建築様式はミッドチルダ式だが、所々が和風で設えられているようだ。「クイントは仕事仲間の女の子を招いたとしか言ってなかったから、ギンガもスバルも驚くだろう。 スバルに至っては、どんなお姉さんが来るのかと今からガチガチだ」「くいんとさん、らしいのです」知り合って5ヶ月あまり。業務連絡を含めて数回しか顔を合わせていないが、そのにじみ出るものをあゆは感じ取っていたのだろう。ちょっとお茶目な、気風のいいお姉さんなのだ。「お客様がお見えだぞ」ゲンヤに続いてリビングに入ると、ソファに座っていた姉妹が立ち上がった。タイプは異なるが、どちらもクイントに良く似ている。「こちらがギンガ、こっちはスバルだ」「ぎんがさん、すばるちゃん、はじめまして。 やがみあゆです。よろしくおねがいします」あゆは深々と一礼するが、ミッドチルダの流儀ではない。少し戸惑いながらもギンガが会釈を返す。「はじめまして、ギンガ・ナカジマです。 ほらスバル。ご挨拶は?」「……」ギンガの陰に隠れるようにして、スバルは顔も見せない。「ごめんなさい。この子、人見知りするから」「だいじょうぶ、なのです。 だれとでも なかよしになれる、まほうのおかしをもってきましたから」ファンファーレが鳴りそうな勢いで差し上げたのは、ホールケーキを入れる紙箱。翠屋のロゴが入っている。生菓子なので、防疫関係の手続きが多少ややこしくなったのは内緒だ。リンディのアドバイスがなければ、そもそも持ち込めなかっただろうが。「あらあら、いらっしゃい」エプロンで手を拭きながら現れたのはクイントである。「おまねき、ありがとうございます」そもそもクラナガンと地球では、暦が違う。1年の長さこそ近しいが、1日の長さも1年の日数も異なるのだ。そのうえクイントは不規則な勤務で、前もってはなかなか休暇が取れなかった。クイントの招きに「ちかいうちに」と返したあゆが、5ヶ月も経ってようやく応じれたのは、そういう事情による。「……おいしい」大人しげな見かけに反して、大きなシュークリームをほぼ一口で平らげたギンガがぽつりと。やはり、ミッドチルダにシュークリームはないようだ。おそらくはバニラビーンズも。「……」スバルが無口なのは、人見知りではなくて、食べるのに夢中になっているから。たくさん食べると聞いていたから、一番号数の大きな紙箱に山盛りで持ってきたのに、もうなくなりそうだ。「すばるちゃん、ほっぺにくりーむがついてますよ」身を乗り出してぬぐってやったあゆが、その指先を咥えてにこりと。「きにいってくれたのなら、またもってくるのですから、そんなにあわてなくてもいいのです」「……」よく事態が呑み込めてなかったスバルが、目を見開く。こうも簡単に人を寄せ付けたことがなかったのだ。ギンガを除けば、クイントでさえ半年。ゲンヤにいたってはつい最近のことであった。スバルは混乱するが、あゆにとっては普段の身ごなしの延長である。相手に警戒させずに内懐に入り込むのは、暗殺者どころか自爆テロ要員の基本だ。「……ありがとう」自身の混乱を、警戒すべき相手ではないからとスバルは誤解してしまったのだろう。ぎこちない笑顔を見せている。「どういたしまして、なのです」横で見ていたギンガは素直に驚いているが、大人2人は経緯を正確に把握したらしい。すこし表情が複雑だ。それでも、あゆに悪意や底意があるわけではないと判るから、口を出したりはしない。「すばるちゃんは、どんな おかしが すきですか?」「……チョコ」なるほど、チョコレートはミッドチルダにもあるようだ。収斂進化だろうか?それとも、地球との間に密貿易が成り立っている?考えてみれば、戴いた給料はミッドチルダ通貨から日本円へ兌換できた。なんらかの交易が成り立っているのであろう。「それなら、こんどは ももこさんに【ちょこれーとけーき】をつくってもらいましょうか。 ももこさんのつくる【ざっはとるて】は、とってもおいしいのですよ」「……チョコポットよりも?」ふむ、こまりました。と、あゆはこめかみに指先を添える。「わたしは【ちょこぽっと】というものをたべたことがないので、どちらがおいしいか はんだんできません」クラナガン訪問は、まだ2度目。今日も地上本局からタクシーで直行であった。「……それなら、こんどチョコポットのおみせに つれていってあげる」「ほんとうですか、たのしみです。やくそくですよ」常識に欠けるあゆはもちろん、クラナガン育ちのスバルも、指きりげんまんを知らないようだ。**「おやすみなさい」クラナガンと日本で、季節が合うはずもない。地球で言うところの乾季に近いらしいクラナガンの夜は、少し早いようだ。時差もあるから、日本ではようやく夕暮れという頃合だろう。「……おやすみなさい」それとも、ナカジマ家が厳しいだけか。「はい。おやすみなさい、なのです」庭で遊び、夕食を戴き、一緒にお風呂に入って、パーティゲームで盛り上がった。愉しい時間は経つのも早い。半年近くクラスメイトたちと接してきて、あゆもそれなりに同年代の子供たちとの過ごし方というものを身に着け始めていた。ゲンヤに付き添われて部屋に下がるギンガとスバルを見送って、あゆは指先をひらひらと振る。「くいんとさん。ぎんがさんと すばるちゃんは、もしかして……?」淹れてくれたお茶を受け取りながら、あゆはそう切り出した。「やっぱり、判る?」別にあゆとて、透視能力を持っているわけではない。ただ2人の周囲の魔力素の挙動が一般人とも魔導師とも異なること、その立ち回りから意外と重量がありそうなこと、あの年代にしては動作が最適化されすぎていることから推測しただけだ。「戦闘機人って言うの。 機械を移植することを前提に調整されて生まれてきた子供なの」「せんとうきじん、……ですか」あゆは、初めて会ったときにクイントが漏らしていたその言葉を憶えていた。そのニュアンスも。「もしかして、いほう ですか?」「ええ。あの子達は、摘発した施設から保護してきたのよ」それはおどろきなのです。と、あゆ。あまりにもクイントそっくりだったから、本当の親子だと思ってたと言う。「ああ、私の遺伝子データを使っているらしいから、親子も同然……。 いいえ、親子よ」湯気の向こうに隠れたクイントの顔に、あゆも淹れてもらったお茶を口に含んだ。紅茶とも煎茶とも違う、鼻に抜けるような苦味。「わたしに なにかさせたくて、ひきあわせたのですか?」顔を上げたクイントは、かぶりを振る。しかし、その後に紡がれた言葉は、あゆとても意外だっただろう。「……ごめんね」「なぜ、あやまられるのです?」カップをテーブルに置き、クイントは居住まいを正す。ただ、視線は合わせない。「あゆちゃんの境遇を、聞かせてもらってたでしょう?うちの子たちと似ていると思って……」「だから、いいともだちになれると、おもったのですか?」ごめんね。と再び、クイント。「わたしはかまいません、じぶんがなにものかは わきまえてますから。 でも、そんな きずのなめあいを ぎんがさんとすばるちゃんに おしえてしまって、いいのですか?」まさかクイントにそんなつもりはなかったであろう。言われて驚いている。「いやぁ、興奮してなかなか寝やがらねぇ。よほど楽しかったんだな、ありゃ……。 ん?どうした?」ようやく子供たちを寝かしつけたらしいゲンヤがリビングに帰ってきたのは、そんな時だった。「お前さんも、なかなか容赦がねぇな」スピリッツらしい酒精をロックで呷って、ゲンヤ。クイントは肴を作る名目で下がらせている。「もうしわけありません。なのです」「いや、怒ってるわけじゃねぇ。こっちも、ちぃと考えが足りなかったみてぇだしな」酒を酌み交わしたら案外愉しそうだと考えるが、さすがに小学生に勧めるわけにもいかない。「わたしのほうこそ、ふかよみがすぎたようです」「お前さんはどうやら、子供らしさが足りねぇみてぇだな」「よく、いわれるのです」ふむ。と、ゲンヤ。ずいっと身を乗り出してくる。「それじゃあ、こいつぁ罰だ。 普通に子供らしく、ややこしいことや理屈は抜きで、うちの子供たちと友達になること。 わかったか?」ばつですか。と、あゆは目をぱちくり。「わかりました。おとなしく おなわをちょうだいするのです」時代劇を良く見るヴィータの影響だろうか、ときおり言い回しが古い。「それが子供らしくねぇって言ってんだ」思わずあゆの額をぺしりと叩くゲンヤ。しかし、しかめ面が長続きせずに噴き出す。漢というものは誰も、くつくつと笑うものなのだろうかと思いつつ、釣られて頬をほころばせるあゆであった。****――【 新暦66年/地球暦11月 】――その年最後のミッドチルダ訪問がまさか一家総出になるとは、さすがのあゆも思いも寄らなかったであろう。「お待たせしました」通された応接室で待つことしばし、現れたのは聖王教会の騎士カリム・グラシアとその護衛、シャッハ・ヌエラである。これまで通信などで顔を合わせたことはあるが、こうして直に対面したのは初めてだった。「ああ、はやてさん。無理しないで、お座りになっていて下さい」カリムが慌てて止めたのは、ソファに座っていたはやてが立ち上がろうとしたからだ。はやてのリハビリは進んでいるが、まだ松葉杖が手放せない。「ほんなら、お言葉に甘えます」隣りに座っているあゆがそ知らぬ顔で上着の裾をひっぱって、立ち上がりにくくしてたことに、そこに居合わせた大人のほとんどが気付いていたが。「グラシアさん。この度はほんまにありがとうございました」カリムが1人掛けのソファに座るのを待って、はやてが頭を下げた。合わせて、一同も。「どういたしまして。とは、とても申せません。 そもそも【闇の書】は古代ベルカの遺失物ですし、それを今まで回収できなかったのは私どもの落ち度です」聖王教会は、時空管理局とは別口でロストロギアの調査と保守を使命としている宗教団体だ。利害が一致する反面、縄張り争いも多くて、時空管理局との関係は微妙である。その位置付けをどう捉えるか。にこやかに見えるあゆの、思考が忙しい。「はやてさん。聖王教会を代表して私カリム・グラシアの謝罪を、受け入れてくださいますか?」そんな。と顔を上げたはやてとカリムの間で、お礼と謝罪の言葉が繰り返されはじめる。リンディの手回しによってはやての存在を知った聖王教会の動きは、決して遅くはなかった。早々に管理局上層部と折衝を始め、かなり早い段階でその保護を確約していたのだ。ただ、【蒼天の魔導書】認定への根回しと、【闇の書】との関連を隠蔽するための工作に時間がかかったのである。もちろん、時空管理局の次元空間航行艦船を1隻沈めてしまった事件そのものを隠し立てすることは出来ない。聖王教会が行ったのは、【蒼天の魔導書】を【闇の書】を滅ぼすために作られた存在であると認定すること。対する管理局が行ったのは、この事件における【蒼天の魔導書】の出所をぼやかしたこと。その2点であった。この2者の間にどんな取引が成立したのか、リンディは黙して語らない。利害の多くが一致した以上、それほど後ろめたい取引は行われてないだろうとあゆは想像している。むしろ、結託してはやてを取り込もうとしているのではないかと、猜疑を強くしているようだが。ともかくもそう云った根回しが済んで、はやては教会の後ろ盾を得ることが出来た。教会の騎士見習いとして身分を保証され、――内情は変わらないが――誰はばかる事もなく管理局に入局できるだろう。そうしてベルカ自治領の市民権を貰ったはやてが、ぜひ直接に御礼に行きたいと言い出して今回のミッドチルダ来訪となったのである。「お2人ともその辺りで」と止めに入ったのは、はやての対面に座るリンディであった。今回の引率役なのだ。そうですね。と頭を上げたカリムを、出された茶菓子に夢中になっている振りをしたあゆが冷ややかに観察していた。この、まだ15歳にも満たずに教会の一翼を担っている女性が、本気でそう謝罪していることは確かだろう。だが、その言い分が本当ならば、聖王教会は多大な借りをはやてに対して負っていることになるはずだ。では、それに見合うだけのものがはやてに差し出されたか?ということに、あゆは疑念を抱く。結局、はやてが管理局に入局せざるを得ない現状に、聖王教会の限界か、本気の程を見出してしまう。「こら!あゆ、てめぇ喰いすぎだ。あたいにも寄越せ!」「びぃーたおねぇちゃんといえど、ゆずれないのです」「あゆ、ヴィータ。恥ずかしやないか、もう」ヴィータと取り合いを演じながらあゆは、聖王教会に全幅の信頼を寄せるわけにはいかないと結論づけていた。