『前々から思っていたが、君はよくそんなものが飲めるな』念話で語りかけてきたのはクロノ。今はあゆの正面で正座中。『おまっちゃに、さとう、のことですか?』なぜか念話でも舌ったらずなあゆである。こちらも正座中だ。『ふつうに ぐりーんてぃ、なのです』茶舗の店頭でリキッドサーバーに掻き回される緑色の液体を、あゆは長らく気にも止めてなかった。スーパーからの帰り道に「今日は暑いなぁ、のど渇かへんか?」と、はやてがそのグリーンティを買い与えてくれるまでは。『グリーンティというのは確か、冷たくして飲むものではなかったか?』少なからず糖分が過剰なその飲み物を歓迎しているらしい自身の味覚に、あゆは、自分が甘味を好むらしいと自覚した。爾来、あゆの好物のひとつである。『あたたかいぶん あまみがまして、これはこれで おいしいのですよ♪』『理解不能だ』と首を振るクロノの隣にはリンディ提督。自分の点てたお茶を歓んで飲んでくれるのはあゆだけだから、嬉しそうに抹茶を点てているところだ。かこーん。と鹿威しが鳴った。あゆが訪れているのは、アースラの応接室である。正しくは、アースラのバイタルブロックを流用して仮設された【時空管理局 第97管理外世界辺縁次元空間『時の庭園』臨時出張署】の応接室であったが。アースラを巻き込んでしまった『闇の書葬送事件』から3ヶ月、その事後処理を引き受けているのは誰あろうアースラクルーである。中央や本局、はては聖王教会とのパイプ役となり、時に調査本部として、時に簡易裁判所として、その乗艦――の重要防護区画だけだが――ともども目まぐるしく立ち働いていた。『りかいふのうなのは、わたしのほう。なのです。 なぜ、あなたたちは じぶんのふねをしずめたちょうほんにんたちを かばおうとするのです?』あゆの言うとおりであった。不幸な偶然とはいえ時空管理局の艦艇を沈めたのである。本局の中には、関係者全員を冷凍刑にしろと声高に叫ぶ者すら居るのだ。ところが、これに真っ向から異を唱えたのが、そもそもの被害者であるアースラクルーであった。あくまで事故であり公務執行妨害には当たらないこと、乗務員の救助に最善を尽くしたこと、事後捜査に協力的だったことを上げ、刑の軽減を訴えたのだ。全員の総意であることを示す署名を添えるのみならず、いまも全力ではやてたちのために奔走していた。『あれは不幸な事故だ。時空管理局は客観的事実を私観で捻じ曲げたりはしない。 家主が追い出した強盗に警官が刺されたからといって、その家主が罪に問われることなどない。 緊急避難であり、予測不可能だからな。 八神はやても君もあのままでは命の危険があった。あの場にアースラが駆けつけることなど知りようがなかった。だろう?』言いたいことは解かる。しかし、そう言うクロノは、【闇の書】との因縁が深い。その言葉をあゆは、どうしても信じきれないのだ。例えばはやてが殺されたとして、その凶器を誰かが大事そうに持っていたとき、その人物が犯人でなかったとして自分は赦せるだろうか?少なくとも「処分しろ」くらいは言うだろう。あゆは、彼らの行動が【闇の書】のあるじであったはやてを捕らえるための罠ではないかとの疑念を、拭い去れないでいた。『君が信じられないのは、やはり僕か』あゆが逸らした視線の意味を明敏に読み悟って、クロノは確認する。クロノ・ハラオウン執務官と知り合って3ヶ月になる。その短い時間でも、彼が実直で篤実な人間であることが判るだろう。だが、それでもだ。『……ごめんなさい。なのです』『いや、君の生い立ちと八神はやてとの関係を考えれば、それも当然といえるだろう。 僕に、【闇の書】に対するわだかまりがあるのは事実だしな』そうして素直に心胆をさらして見せるところなど、信じてみてもいいのではないかと思わないでもないのだが。『……』『ストップだ』何か言おうとしたあゆを制したクロノは、表面上は何気なしに抹茶を啜った。いつの間に砂糖が盛られていたのか、その眉を少ししかめたが。『これはずるい言い方になるが……。 いずれにせよ君たちに、現状を打破する力はない。ヴォルケンリッターは一騎当千の騎士だが管理局全体を敵に出来るはずもないし、権力に至っては言わずもがなだ』空になった碗を置き、隣に座る母親にじとりとした視線を送っている。『君たちに出来ることは、せいぜい管理局に協力的な態度を取って心証を良くする位だ』事情聴取という名目で呼び出されたことになっているあゆだが、実際は自らの意思でリンディ提督に陳情に来ているのだ。『だからこそ君は、今日もここに来た。違うか?』母親から茶道具一式を奪い取ったクロノは、手ずから茶を点て始めた。口直しにするのだろう。『信じろなどと青臭いことを言うつもりはない。 言葉を尽くすことに意味がないとは言わないが、たとえ百万言を費やしたところで君の疑念が晴れることはあるまいしな。 僕はそんな無駄なことに労力を割く気はない』そう言いながら、クロノはいつもより饒舌であっただろう。『これ以上僕の口を煩わせるなら、師弟の縁を切るぞ』【闇の書】の影響下を抜けて再び歩けるようになったあゆが最初に行ったこと。それがクロノへの弟子入りだった。正確には、魔法を教えてくれる人を紹介して欲しいとリンディに頼んで、クロノを推薦されたのである。兄姉と慕うヴォルケンリッターでは甘えが出るし、魔力量が少ない割りにそのレアスキルから魔力制御に長けると予測されるあゆの師匠として、クロノほどの適任は居なかったのだ。管理局官給品のデバイスを貸し与えられ、今ではここまで独力で転移できるほどまでになっている。『わかりました。くろのせんせぇのおせなかを みせていただくことにします。 ごめんなさい。そして、ありがとう。なのです』もちろんクロノは応えない。その代わり、点てたばかりの茶をそっと差し出した。さて。と、まるでその念話を聴いていたかのようなタイミングで、リンディが碗を置く。「それで、あゆさん。本気で時空管理局への入局を希望されるの?」「はい。なのです」あゆは言う。リハビリ中のはやては、もうじき松葉杖でなら歩けるようになる。そうなれば学校にだって通えるだろう。その貴重な時間を、保護観察などで、管理局への奉仕などで潰されたくない。なのはやフェイトもそうだ。好意で手伝ってくれただけの彼女たちには本来、この件に関して罰を受ける必要がない。なのに、はやてやヴォルケンリッターの任期が少しでも短くなるならと同様の奉仕任務を希望しているのだ。そのこと自体は嬉しいが、しかしはやては心苦しく思っているだろう。たとえ学校へ通えるようになったとして、それが友達の犠牲の上に成り立ってると知っていて愉しめるはずがない。はやての気持ちは当然あゆにも適用されるだろうに、当の本人は度外視している。「かぞくなのですから、たしょうのめいわくなどきになるわけない。なのです」と、いつぞやのはやての言葉を繰り返し、「【やみのしょ】とちがっていのちのきけんがないのですから、きらくなものです」と嘯く有様。「貴女のレアスキル、うちの技術部が興味を示してるから、取引材料としては有効ですけど……」リンディ提督はあまり乗り気ではないようだ。就業年齢の低いミッドチルダとはいえ、さすがに5~6歳の子供を従事させることはない。本当は10歳くらいだと打ち明けられてはいるが、それが事実とは思えなかった。「それに、そちらでたつきのみちが ひらけるなら、わたしとしてもねがったり、なのです」戸籍のないあゆは、自身にまともな就職は適わぬであろうことを自覚している。捏造した履歴書で済むアルバイトか、素性など問われぬいかがわしい業界か。それらを厭うわけではないが、あゆは胸を張ってはやての傍に居たい。「めざすは、じりつした いもうと。なのです」贖罪を兼ねた奉仕任務とはいえ報酬は出る。自らの能力に対価が支払われることを知ったはやては、遺産頼りの家計を改めたいと考えていた。ヴォルケンリッターたちも賛同し、協力を申し出ている。問題は自分だった。別にお金など要らない。欲しい物もない。はやての傍でただ暮らすだけなら、さほどの負担にもならないだろう。しかし、はやてへの誕生日プレゼントくらい、自分の手で稼いだまっとうなお金で買いたいではないか。先月行われたはやての誕生日パーティ。貰っていた小遣いを使うこともなかったあゆは、それで誕生日プレゼントを用意した。以前知り合った女性に、【蒼天の魔導書】型のブローチを作ってもらったのだ。はやてはとても歓んでくれたが、なのはのプレゼントを知っていたあゆはあまり嬉しくなれなかった。「ほら、はやてちゃんの誕生日もうすぐでしょ?手作りケーキを作ろうと思ってるんだけど、その材料費ぶん、お手伝いなの」翠屋でウェイトレスをしていたなのはが、そう打ち明けてくれていたのだ。リンディは、それらの話も聞いていた。だが、どうにも話が極端だと困惑する。あゆはまだ子供で、対するはやてへの誕生日プレゼントとて子供の小遣いの範疇の話ではないか。それが一足飛びに就職の話となり、生計の話となるのだ。それに、そもそも気にすべきは金の出所より、プレゼントの用意の仕方のほうだろう。なのはの実例を見ていながら、なぜ手作りするとか手伝いをするとか、そうした子供らしい発想が出てこないのか。どうにもこの子は素っ頓狂というか、アンバランスというか。手近に置いて、見ていてあげないと危なっかしくてしょうがない。とリンディは内心で溜息をつく。できれば、八神一家ごと引き取って面倒を見たいぐらいだ。それを為すには自分は忙しすぎるし、聖王教会のほうから来ている引き合いも無下には出来ない。「貴女の希望は、なのはさんとフェイトさんへの赦免と、はやてさんへの猶予、軽減でしたね?」「はい。なのです」当初は関係者全員の赦免を望んでいたのだが、そこまでの価値をあゆは自分に見出せなかった。だが実際のところ、管理局技術部があゆに寄せる関心は小さくない。ジュエルシードや【闇の書】を短期間で探査してしまったそのレアスキルは各種調査に威力を発揮するだろうし、開発したいと申し出てきた人工リンカーコアは管理局の悲願といっていい。そのうえ魔法の指導を行っているクロノの見立てでは、フロントアタッカー向けではないとはいえそこそこ戦闘の素質もあるという。疑り深く、表面上はともかくなかなか他人を信用しない面があるから捜査官に向いているかもしれないと、そこまでは――それらが現状、自分たちにだけ向けられているとクロノは理解しているから――報告しなかったが。【闇の書】のあるじであった八神はやてを無罪放免にするわけにはいかないが、その他の2人と合わせて猶予を与えるには充分であっただろう。その、当の本人たちが拒否しなければ。「そのきぼうが うけいれられなくても、ひとあしさきに でばいすまいすたーとして にゅうきょくできれば、おねぇちゃんたちの ちからになれるのです」いま言ったとおり、あゆの希望はデバイスマイスターになることである。同じ職場で肩を並べることは出来ないが、デバイスマイスターなら、はやてたちがどんな任務に就こうとも力になれると考えたのだ。まずはレイジングハートやバルディッシュ、【蒼天の魔導書】にカートリッジシステムを積めないか。そう想起するあゆであった。「貴女の希望に添えなくても、入局はすると?」「はい。なのです」すごい言質を取ってしまったことにリンディは一瞬めまいを覚える。彼女ら4人を情報的に分断して巧いこと誘導すれば、すぐさま高資質魔導師3人を確保して、そのうえ将来有望なデバイスマイスターを迎え入れられるだろう。濡れ手に粟とはこのことか。しかしそれをリンディは記憶から追いやった。あとでエイミィに言って、ここの記録も消すことにする。時空管理局は、子供に守ってもらうために組織されているわけではないのだ。ミッドチルダの就業年齢の低さと魔導師資質を持つ者の少なさからクロノのように子供のうちから前線を張る者も居るが、それはあくまで少数派。子供は大人が守るもの。大人が子供に守られるなど言語道断。未来を引き換えに過去を守って、なんになるのだ。しかし、人手不足にあえぐ管理局にとって、彼女らが喉から手が出るほど求めた高資質魔導師であることも事実。今すぐでなくとも、いずれは欲しい。「あゆさんのご意向は承りました。 可能なかぎりご要望に沿えるよう微力を尽くしますね」「はい。おねがい、するのです」二律背反に葛藤するリンディは、せめて彼女たちの希望に添えるように、できるだけのことをすると改めて誓う。「それでは先に訓練室に行っていてくれ、すぐに僕も行くからウォーミングアップを念入りにな」「はい、せんせぇ」膝を崩して毛氈を降りたあゆが、「しつれいします」と一礼して応接室を後にする。その足取りはしっかりとして、不自然な点はない。「クロノ、はやてさんは?」「はい、エイミィから連絡がありました。もうじき着くかと」あゆの決意が固いことを思い知らされていたリンディは、その意向を可能なかぎり叶えるとともに、対抗策を考えていた。はやてと謀って、あゆをも、学校に通わせようとしているのだ。もちろん戸籍も取得できるよう準備している。学校に通うとなれば、たとえ管理局に入局しても専念は出来まい。学業をおろそかにしたら、はやてたちへの猶予を取り上げると脅せば、あゆは逆らわないだろう。逆に、あゆへの戸籍と入学の手続きは、はやてへの牽制になる。それを条件に、せめて義務教育を終えるまでの就業猶予を呑ませるつもりだった。はやてが受け入れれば、なのはやフェイトも説得できるだろう。「……なかなか、ままならないわね」「世界は、いつだって、こんなはずじゃないことばっかりです」そのことを、この親子はよく知っている。ただ、そこから逃げ出すことも立ち向かうことも自由だと思っている。それでも立ち向かうために、管理局員を続けている。管理局に入った。その決意を知る者は少ないが、同じ決意を秘めた者なら大勢居る。だからこそアースラクルーは胸を張って立ち向かう。はやてたちは被害者だと理解し、ならば守るべきと信念に基づいて。それが時空管理局という集団だ。「それでは、僕は彼女の指導に行ってきます」「お願いね。 どう?彼女は」毛氈を降りグリーブを履いたクロノは、少し思案。「なかなかユニークで、しかし剣呑な発想をします。 前回の講義のとき、自分のレアスキルを使えば対象の体内で冠状動脈血栓を誘発できるのでは?と言っていました。 魔法を使うまでもなく相手を殺せるかも、と」まあ。と驚くリンディに肩をすくめて見せる。「そのことを叱り付けると、では頚動脈を塞いでのブラックアウトなら意識を奪うだけで済む。と来るんです」実際には、さすがにあゆのレアスキルでもそこまで巧くはいかないだろう。同じことをするにしろ、むしろ相手の脳神経系を直接狙ったほうがいいかもしれない。「即座に殴りつけて、その危険な思考を何とかしなければ入局などさせん。と釘を刺しましたが」くろのせんせぇのげんこつは、ようしゃがありません。とは、あゆの弁だ。効率よく敵を殺すために真剣に考えているのに、理不尽だと思っていることであろう。「魔法も効きづらいし、あれはなかなかの魔導師殺しになるでしょう。 倫理面さえ何とかなってくれれば、背中を任せられるくらいには」かなりの高評価。めったに人を褒めないクロノのことだから、手放しの賞賛といっていい。レアスキルに援けられてはいるが、少ない魔力をいかに巧く利用するか腐心している。クロノが唱えるところの「魔法は応用力と判断力だ」という教えを素直に受け入れて、思いも寄らない魔法を思いもつかない方法で使ったりする。いくら空戦適性が低いからといって、殺傷設定の魔法弾を壁に突き立ててその上を走ってくるのには驚かされた。そのうち、そのまま宙を走ってきそうだ。かといって魔法に頼り切ったりしない。そのレアスキルからして防御に長けているはずなのに、ほとんどの攻撃をただの体捌きで避ける。手加減しているとはいえ、クロノはあゆが防御魔法を使ったところをまだ見たことがないのだ。【最強のデバイスマイスター】と後に呼ばれることになる八神あゆの、その才能を最初に見出し、育てたのはクロノ・ハラオウン執務官であった。後年、そのことを尋ねられると、なかなかに複雑な表情をして見せたのだが。 おわり