「はじめまして、ありしあちゃん」「なっ!」驚いて声を上げたのは、その母親だった。声をかけられた本人は、きょとんとして見上げている。「貴女たち、いったいどうやって……」プレシア・テスタロッサの驚きも当然だ。【時の庭園】は遺跡も同然の古い移動庭園だが、けして見掛けどおりの無防備な岩塊ではない。歴代の所有者によって追加更新されてきたセキュリティに加え、今はプレシアの魔法と技術を注ぎ込まれた一種の要塞である。招かれざる客が、気軽に立ち入れる場所ではなかった。しかし、プレシアに油断が無かったか?と云えば、そうではなかったと答えるしかないだろう。ジュエルシードを20個も従えた魔導師を、一度とはいえ無警戒に招き入れたのだから。その魔導師が何らかの仕掛けを残していくかもしれないことを、考慮にも入れず。さらに、慢心もあっただろう。フェイトやアルフのことなど些事と、なにひとつ対策を行わなかったのだから。各種認証もセキュリティパスも、一切更新されてなかった。そうでなければ、警戒網を潜り抜けて直接転移をゆるし、警報どころか前兆もなく目前まで乗り込まれることなどありえない。もっとも、当のシャマルは悪意があって仕掛けを残していったわけではなかった。純粋にアリシアの予後が心配で、遠隔診断できるように措置していただけだ。「だぁれ?」プレシアの攻撃の手を止めたのは、他ならぬその愛娘であった。この侵入者たちを始末するのは簡単だが、アリシアに見せたいものではない。2人の内1人は見憶えのある顔で、もう1人は子供。胸元に抱いた本は魔導書のようで気にはなるが、慌てて排除するほどの危険はない。と庭園の主人は判断した。「やがみあゆ。なのです」こちらは、ざふぃーらにぃさま。と、自らを抱きかかえてくれている盾の守護獣を紹介する。最近は慣れてきて、片手一本であゆを抱きかかえられるようになったザフィーラであった。「ありしあちゃんと、おともだちになりにきました。 わたしと、おともだちになってくれますか?」「うん、なる!」差し出された手を握り返して、あゆの目からは小さなフェイトとしか見えないアリシアがぴょんと跳ねる。庭園内に設けられた阿舎。見える青空は映像で、広がる草原は人工物だろうか。先行したアルフによって、プレシアとアリシアがティータイム中であることが判っていた。「ありしあちゃんは、しゅーくりーむは おすきですか? みどりやのしゅーくりーむは、せかいいち。なのですよ」「しゅーくりーむ?」どうやら、ミッドチルダにシュークリームはないらしい。「とくにおねがいをして、ぷろふぃとろーるを つくってもらいましたが、きっと つうじませんね」とは、あゆの心の声である。プロフィトロールとは一口サイズの小さなシュークリームのことで、心付けという意味があった。翠屋のメニューには無かったようだが、この日のために予め打診しておいて、なのはに持ってきてもらったのだ。「おいしいのですよ」手提げ式の紙箱を開けてテーブルの上に置いてやると、アリシアが歓声を上げる。もしかすると、ミッドチルダではバニラの香りも馴染みがないのかもしれない。「たべてもいい?」「もちろん。なのです」「かあさま?」と、アリシアからプレシアに送られた視線が、プレシアからあゆへとバトンタッチされる頃には変質している。「どくなど、いれてませんよ」との意味を篭めた視線はプレシアで塞き止められた。「アリシア、お客様が先ですよ」紙箱を押し出されて、あゆはシュークリームをひとつ摘む。摘む直前でもう一押しして、こちらが選んだものを外させるあたり徹底している。躊躇うどころか、むしろ進んで口に入れたあゆを見て、プレシアはさしあたっての警戒を解いたのだろう。本日のお茶請けが乗っていたであろう小皿に、シュークリームを乗せてやった。「いただきまぁす」ひとつ摘んで口に入れ、アリシアが幸せそうに頬を押さえる。「かけても?」プレシアの向ける猜疑の篭った視線を華麗にスルーし、空いている椅子を視線で示す。「好きになさい」では、おことばにあまえて。と、あゆはザフィーラから下ろしてもらう。この阿舎に席が3つしかないことの意味を漫然と推測しながら、「もうしわけ、ないのです」と、腹話術めいて呟く。気にするな。と、こちらもほとんど口を動かさない。「おいしいでしょう?」シュークリームを食べ終わったアリシアが、もの欲しそうに人差し指をくわえていた。母親を見上げるアリシアに、プレシアの微笑み。「あまり食べ過ぎては、いけませんよ」「はい」と元気良く返事をして、アリシアが2個目を頬張る。おいしい。と顔はおろか体全体で表現するアリシアに、プレシアが目を眇めた。それでも、牽制の視線を寄越すことを忘れない。いったい何の用か?と、何度も寄越される視線。ちらりずむ。あなたにようじはないのです。と、返しもされない視線。しらんぷりずむ。そう、あゆの目的はアリシアだ。とりあえずは。3個目、4個目と平らげ、満足そうに口元を拭っている。さて。と手を叩き、あゆはアリシアの気を惹いた。「きょうは、ありしあちゃんに、おねぇちゃんを かえしにきました」「?」「なっ!」あゆが指し示す先、テーブルを挟んだアリシアの正面に、フェイトの姿があった。まるで、ずっとそこに居たかのような佇まいで、しかし、今忽然と現れた。隠蔽と幻術・妨害に長けた18番のジュエルシードは、使いこなせばプレシアクラスの魔導師の目すら欺く。「ありしあちゃんに、そっくりでしょう?だって、ありしあちゃんのおねぇちゃん、なのですから」フェイト・テスタロッサ。と、自己紹介はさせてもらえなかった。円筒状の魔力壁がアリシアを隠し、降りそそいだ稲光が視界を真っ白に染め、轟いた雷鳴が声を掻き消したのだ。だが、誰にも被害はない。白い魔法陣が電光を防いでいた。とっさの防御魔法でプレシアの攻撃をしのいだのは、盾の守護獣の面目躍如。しかし、雷と相討って防御魔法が消滅した途端に撃ち込まれた光弾までは手が回らない。 ≪ Defenser ≫フェイトは、バルディッシュが守る。「くっ……」ザフィーラは、持ち前の頑健さで耐える。「えっ?」あゆは、眼前で掻き消えた光弾に目を丸くしていた。まるで、露天風呂に降った雪のように、ほどけ、消えたのだ。「なっ?」驚いたのはプレシアもだ。怒りと急拵えゆえにたいした威力ではなかったが、突然霧散するような柔な構成のわけがない。高濃度の魔力減成力場でも、ここまであっさりと魔力結合を解くことは出来ないだろう。「おのれっ!」練り上げられる魔力、先ほどとは比較も出来ないほどの雷。 ≪ schutzmauer ≫しかし、今回ザフィーラが張った防護陣は小揺るぎもしない。見れば、その指間に輝きがあった。防御においては他の追随を許さない4番のジュエルシード。デバイスを用いないザフィーラが、どうやってジュエルシードを使ったのかと云えば、もちろんからくりがある。予めパラメータを設定済みで、1術式限定なのだ。 ≪ Friedhof der Magie ≫より強大な2撃目を招来せしめんと、プレシアはコウモリめいた意匠の杖を手元に呼び出す。しかし、組んだ術式に魔力を流し込めない。「魔法を封じさせてもらいました」どこからともなく聞こえてくる声に、聞き憶えがあった。アリシアの蘇生を主導した魔導師だ。魔力操作に長けた2番。拘束を得意とする12番。崩壊と再構築術式を兼ね備えた13番。調整能力に指向した14番で組み上げられた、魔力封鎖の檻。4つのジュエルシードの大魔力には、プレシアとて抗し得ない。「あれ?」きょとんと、アリシア。両手にシュークリーム。プレシアの魔力が途絶えたことで、隔離していた結界が解けたのだ。こころなしか、紙箱の中のシュークリームが随分と減っているように見受けられる。「いま、おおきな かみなりが、おちたのです。 ありしあちゃんのおかあさんが、みんなを まもってくれたのですよ」あゆの口から出任せに、一番驚いたのはプレシアだろう。アリシアが寄せる憧憬の眼差しに、すこし居心地が悪そう。真に受けることはないだろうと思いつつ送った「これで、かり1つなのですよ」との視線は、やはり無視されたようだ。≪ nice to meet you.Alicia ≫驚いたことに、話の接ぎ穂を持ち出してきたのは黒い杖であった。普段寡黙なバルディッシュにしては珍しいが、フェイトに忠実なこのデバイスにとっては当然のことであったかもしれない。「はじめまして。えーと……?」「閃光の戦斧バルディッシュ。私はフェイト・テスタロッサ」「はじめまして、バルディッシュ。 それと、フェイトおねえちゃん?」そうですよ。と、あゆ。「ありしあちゃんは、じぶんのおからだのこと、きいてますか?」「はい。アリシアはびょうきだったので、ずっとねむっていました」思ったとおりの誤魔化し方。と、あゆは内心でほくそえむ。アリシアの死後、どれだけ時間が経っているかは知らないが、その間にプレシアとて変化・老化していることだろう。目を覚ましたアリシアの最初の質問がそれだったことは想像に難くない。「ありしあちゃんの びょうきをなおすために、ふぇいとおねぇちゃんと ばるでぃっしゅは、ずっと たびにでていたのです。 だから ありしあちゃんは、ふぇいとおねぇちゃんたちと あったことがなかったのですよ」そうなんだ。と驚いたアリシアは跳ねるように椅子を降り、テーブルを回りこんで走ってくる。「フェイトおねえちゃん、バルディッシュ、ありがとう!」勢いもそのままに抱きついてきたアリシアに、フェイトはどうすればいいか判らない。≪ You're welcome ≫「……どういたしまして」デバイスに教えられるありさまであった。「さて、ぷれしあ・てすたろっさ」あくまで笑顔のままで、しかしあゆの声音は低い。「げんじゅつまほうで、わたしたちのこえは、たわいのないかいわに ぎそうされているのです。 はらをわって、はなしましょうか?」アリシアは、フェイトとフェイトが今呼んだ――ことになっている――なのはとはやてに気を惹いてもらっている。少し離れた場所に座り込んで、お話ししていた。幻術魔法での吹き替えは、シグナムがプレシア役、ヴィータがあゆ役という処に一抹の不安を感じるあゆであったが。「ぎそうしているのは、こえだけなのです そんなにこわいかおをしていると、ありしあちゃんが しんぱいするのですよ」新しく出来た姉や友達と会話が弾んで、アリシアは楽しそうだ。いくら敬愛する母親とは云え、2人きりでは詰まらなかっただろう。「わらいかたが、わからないのですか? にぱー♪ こうするんですよ。 では、りぴーと、あふたみー。 にぱー♪」どうやればこんな声音で満面の笑みを浮かべられるのか、むしろ、ケンカ売ってるとしか思えないザフィーラであった。「のりのわるいおかた。なのです」だがしかし、相手は稀代の魔導師プレシア・テスタロッサである。腹芸ごときお手の物。「何を企んでいるの」慈母の微笑みを浮かべて、氷点下の声音であった。ケルビンで表記したほうが早そうな。「たくらむだなんて、ひとぎきが わるいのです」胃壁に防御魔法をかける方法を真剣に検討しだしたザフィーラだったが、少なくともあゆは腹芸はここまでにするようだ。声音が元に戻る。「ただたんに、ふぇいとおねぇちゃんを、かぞくに むかえいれてもらいたい。ただそれだけ、なのです」「あんな出来そこないの人形を、家族にですって!」笑いながら怒る人という芸があったなあ。などと思い出した、あゆ役のヴィータは、あたいにゃ真似できねぇ。と妙な関心をしている。もしその表情を見ることが出来たなら、プレシアは雷のひとつも――比喩でなく――落としたことだろう。「そのことについては、しゃまるねぇさまから しつもんがあるのです」「シャマル?」「姿を隠したままで失礼します」アリシアの蘇生を行った魔導師か。と声で判断するものの、位置の特定は難しい。魔法を封じられた今ではなおさら。「フェイトさんは、アリシアさんのクローンですか?」そうよ。と、即答。「出来損ないだけど」と、一瞬仮面がはがれた。「アリシアさんの記憶を移植しようとした?」「ええ。ほとんど欠落したわ。 それだけならまだしも、よりによって名前を留めなかったのよ、とんだ欠陥品だわ」たぶん……。と言いよどんだシャマルは、「まずもって……。いえ絶対に」と言い直す。「成功しません」プレシアは特に反応しなかった。つまらなさそうな視線を一瞬フェイトに向けたのみ。「同一の遺伝子を持つとは云え、成長の仕方が違えば脳構造は変わるんですよ。 そこに記憶を移植したって、うまく定着するはずがありません」「そんなことは判っているわ」良い喩えではないが、ヒトの頭脳とは「自ら配線を変化、成長させるワイヤドロジックのコンピュータ」みたいなものである。ハードとソフトが同義で、分かち難い。これが現在一般的に使われているストアードプログラムコンピュータなら、ソフトもデータも自由にコピーできるし使えるだろう。しかし、ハードソフト一体のワイヤドロジックではそうはいかない。別のハードが実現している動作、保持しているデータを得るには、ハードそのものを改変しなくてはならないのだ。ヒトが新しい能力を得るためには、反復した練習が必要なように。「そこを乗り越えるのがプロジェクトFの目的であり、精髄よ」「でも、うまくいかなかった。なのですね?」やはりプレシアは反応しなかった。アリシアが戻ってきた今、どうでもいいことなのだ。「ならば、ふぇいとおねぇちゃんは できそこないではないのです」ぴくり。とプレシアの眉がひきつる。「うまくいかないほうほうで つくったものは、できそこないになって とうぜんなのです。 とうぜんのけっかなら、それは ただしいことなのです。なるべくして なったのですから」例えば、ガラス細工を壁に叩きつければ壊れるだろう。ガラス細工が壊れたことは悪いことかもしれないが、叩きつけた以上ガラス細工が壊れることは必然だ。なって当然のことをして、相応の結果を得たのだから、その結果に間違いは無い。と、あゆは言う。うまくいかない方法で生み出されたのだから、フェイトはいまのままで正しいのだと。中途半端にアリシアの記憶を持つフェイトは、だけど当然なのだと。「まちがっているのは、うまくいかない ほうほうで、つくろうとしたほうなのです。 ふぇいとおねぇちゃんを できそこないとよぶのなら、うまくいかないほうほうで わざわざ できそこないをつくったあなたが、そもそものできそこないなのです」幻術魔法で吹き替えしてもらっているのは、もちろんアリシアには聞かせられないからだ。だが、それ以上にフェイトに聞かせたくなかったのであろう。結果は、手段を正当化しない。一度は嫌われることを覚悟したあゆだったが、だからといって嫌われたいわけではない。「できそこないが、できそこないをつくった? できそこないだから、できそこないしかつくれなかった? どっち、なのですか? できそこないどうし、にたものおやこなのですよ!!」「詭弁をっ!」言葉と共に振り抜かれた掌が、あゆの頬を打った。いや、打たせたと云うべきか。あゆを庇おうとしたザフィーラを後ろ手に牽制したのだから。「かあさま?」母親のこんな形相を見たことが無かったのだろう。すこし離れて、アリシアが立ち尽くしていた。その向こうで、はやてが片手を挙げて謝っている。「ありしあちゃん、ごめんなさい。 わたしがとても おぎょうぎわるくしたから、しかられただけなのです」「そうなの?かあさま」えっええ……。と、プレシアは思わずその掌を背後に隠してしまう。「あゆちゃん、ダメだよ。 とってもやさしい かあさまを、あんなにおこらせちゃあ」「はい。ごめんなさい、なのです。 ありしあちゃんのおかあさんにも きちんとあやまりたいので、ふたりだけに してくれますか?」叱られるときに、傍で他の人に見られていたくない。そのことはアリシアもよく解かっているのだろう、「うん、むこうでおねえちゃんたちといるね」と、踵を返した。アリシアを出迎えたはやてに目顔で「もうすこし、ひきはなしてください」と伝え、あゆはプレシアに向き直る。「きべんで けっこうなのです。 でも、いいすぎました。ごめんなさい」アリシアがこちらの様子を窺っているのは判りきったことだったので、頭も下げておく。謝意は嘘ではないが、頭を下げるほどのことはないとあゆは思っていた。もとから怒らせるつもりだったのだから。「私は謝らないわよ」「あなたに あやまってもらっても、わたしには いちもんのとくにも ならないのです。 ですが、ひとこと いわせてもらっても いいですか?」逸らした視線を了承の意ととって、あゆは実に静かに口を開く。「あんなにおこったということは、じかくがあったのでは ないですか?」「……」プレシアは口を閉ざす。このうえ何を言っても言い訳にしかならない。さすがにそれは彼女のプライドが許さなかった。special thanks to jannqu様。誤字報告、ありがとうございました。