「お、ヴィータのスパーク攻撃、大成功やな」「ハンマーの扱いにかけて、ヴィータの右に出る者はおりません」はやてに応えたシグナムは、実はルールを知らない。八神家総出で観戦しているのは、ゲートボールの練習試合。ヴィータが絶賛出場中なのだ。 ――【 がんばれヴィータ! 】――……しかし練習試合に横断幕は、やりすぎではなかろうか?中丘町スィート・パームス VS 海鳴トム・アプローズ。因縁の対決。来月には市民大会があるそうだが、このカードはその決勝戦を先行実施しているようなものらしい。ヴィータの所属する中丘町スィート・パームスは全員が女性――心が女なら医学的には男性でも可――といういささか珍しいゲートボールチームで、名将高柳真理子(旧姓:広岡)女史率いる設立2年目の新進気鋭揃い。対する海鳴トム・アプローズは、ゲートボールが出来た時から有ったと言う名門。そのぶん、草葉の陰から見守っているOBの人数は随一。ちなみに何が因縁の対決かというと、中丘町スィート・パームスの設立理由が、両チームの監督の夫婦喧嘩だったからである。しかも去年の市民大会で、決勝戦にて海鳴トム・アプローズを下していた。****大勝して、機嫌のいいヴィータでは、あるのだが……。「応援に来てくれんのは嬉しいけどさぁ。 ……なんだよ。これ?」 それは、まさに墨塊であった。 卵焼きと呼ぶには、あまりにも焦げすぎていた。「ごめんなさい。ちょっと目を離した隙に……」「砂糖入れた卵焼きは焦げやすいしなぁ」シャマルが初挑戦した卵焼きは、炭焼き風だったようだ。炭で、ではなく、炭を、だが。「失敗作を弁当に詰めてくんなよ。 今日はもう終わったからいいけど、腹壊したら試合どころじゃねぇじゃねぇか」試しにヴィータが箸を刺したら、灰となって崩れ落ちてしまった。蘇生にはカドルトが必要だろう。「ごめんなさい」シャマルは平謝り。けれど視線があゆに。「しゃまるねぇさまが、はやおきしてつくられたのです。 おひろめくらいしないと。なのです」「てめぇのさしがねか、あゆ」言葉面に比べて、その語調は厳しくない。むしろ、炭の欠片を口に運ぼうとするあゆを止めている。「おねぇちゃんのりょうりとは くらべものになりませんが、これはこれで なかなかいけるのですよ?」炭には吸着作用があるので、解毒に使えないこともない。実際あゆは、サバイバル訓練で何度か胃腸薬代わりに食べていた。苦労してすりつぶす必要がないぶん良い炭だ。とまでは、さすがにあゆも言わないが。「精進やな」喜ぶべきか悲しむべきか、それとも恥じ入るべきかと惑うシャマルの肩を、そっとはやてが叩いていた。****あゆが、半透明のテンキーを打っている。いや、数字が8までしかないからエイトキーと呼ぶべきか。口頭ではあゆの喉に負担がかかりすぎるためシャマルが組んだ、クラールヴィント直結のマンデバイスインタフェースである。【瞳】を挟むようにテーブルに着いているあゆとシャマルを、ザフィーラがリビングの端から見やっていた。この2人は、ほっとけばまた昨日のように根を詰めかねないので、ヴィータの厳命で監視しているのだ。「やっぱり、ここから記述式が違うわ。 便宜上ディビジョンと名付けて、構造予測……。 あゆちゃん、そちらに送ったパターンで構造化、さらに内部で階層化していると予測しました」閉じていたまぶたを一度だけ上げて、あゆが立体表示された構造予測モデルを見やった。「わかりました。なのです」再びまぶたを下ろして、あゆは手の中の【瞳】に意識を集中する。浮遊している魔力素単体ならともかく、こうした魔力素集積体、物質化魔力体相手なら、視覚に頼らないほうが明晰に視えると気付いたのだ。今頃シグナムとヴィータは遠方の無人世界へと赴き、リンカーコアを持つ巨大生物からの蒐集を試しているころだろう。出掛けに「きつねは、じぶんのすあなのまわりでは、かりをしないのですね」と言ったあゆが、ヴィータに拳骨を落とされていたか。「さぁて、そろそろ一息入れてなぁ。おやつやよぅ」膝の上のトレィに手作りラスクを満載にして、はやてがキッチンから出てくる。「あっ、わたしお茶入れますね」「しぐなむねぇさまと、びぃーたおねぇちゃん。おそいのです」「せやなぁ。おやつまでには帰ってくるって言うとったのにな」ゲートボールの練習試合程度では晴らしきれない鬱憤を、ぶつけているのであろう。見たこともない巨大生物に、あゆは同情するのであった。****「そんなに おそろしいばしょ だったのですか?」ああ。と、崩れるに任せるようにしてシグナムが座り込む。「あのような手練れが、この世界に居ようとはな」「魔法もなしにわたしの隠蔽魔法を見破られるなんて、思ってもみませんでした」悔しさを隠そうともせず、シャマルは爪を噛む。「あたいの相手も、ありゃ人間じゃねぇぞ」こちらはどさりと、ヴィータがソファに身を投げ出した。残されていた【瞳】、その最後の1個を回収すべく今夜シグナム・シャマル・ヴィータの3人は、とある屋敷の敷地へと侵入した。もとより警戒厳重なのは承知していたから、ヴォルケンリッターといえど油断していたわけではない。だが、相手が悪かった。塀を跳び越え敷地に足を着けた途端に屋敷から現れたのは、3人の男女だった。その身ごなしだけで尋常ならざる使い手と認識したシグナムは、ヴィータと2人で相手の足止め、シャマルに回収を任せようとする。しかし、意に反して足止めされたのはシグナムたちの方であった。二振りの小太刀を自在に操る青年とメイド服姿の女性は、それぞれにシグナム、ヴィータを圧倒した。もう一人の女性の追跡をどうしても振り切れず、シャマルが追い詰められるに至ってシグナムは回収を断念。相手に明確な殺意がなかったことを頼みに強引に合流。連結刃シュランゲフォルムによる防御と、シャマルの隠蔽魔法の強化のもと、ヴィータの転移魔法で別世界へと逃走したのであった。「攻撃さえ出来たらよ!!」憤りに虹彩を青く染め、ヴィータが吼える。横薙ぎにはらったこぶしの、しかしやり場がない。相手を一切傷つけてはならないと申し渡されていたとは云え、ベルカの騎士が同数での戦いに遅れを取ったのだ。ヴィータならずとも吼えたくなるだろう。「ん? どうしたのだ、あゆ」あゆの顔色が悪いことに気付いたのは、留守居だったために精神的な衝撃の少ないザフィーラだった。「……こだち、2とうりゅう。なのですか」あゆは、施設が襲撃された夜に小太刀二刀流を使う敵の姿を見ている。一撃一撃が重く、しかし迅い。あゆたちを歯牙にもかけぬ教官たちが、ことごとく一刀のもとに叩きふせられていった。業の染み付いた技というものを、あゆは初めて見ただろう。業を生む技、業に至った技、業そのものの技。力だけでなく、速さだけでなく。積み重ねられ研鑚された歴史がその太刀筋を支えている。人の意志が、引き継がれるたびに力になっていくのだ。自分では、ああは成れない。理由もなく、ただ感じるままにあゆは悟った。あんな存在が居るのに、あれより強くどころか、同じ高みにすら達し得ない。それはつまり、この世界に居てはいずれ殺される。と云うこと。暗殺者になりたかったわけではない。ただ、その道しかなかっただけだ。けれど、その道すら往く手をふさがれた。どこに行く宛てがあるわけでもなく、あゆは逃げ出した。習い憶えた技を忘れたかのように、身についた力も無くしたかのように、ただ夢中で駆け出した。ぼんやりと灯って見える魔力素だけが道標だった。「あゆが居た組織の、敵対勢力かもしれない。ということか」たまたま同じ武器を使う人間がいたからといって、それだけで結びつけるほどザフィーラは短絡ではない。それはあゆとて同じだ。「あゆの存在が知れたら、拙いか?」しかし、魔法なしとは云えシグナムを圧倒するほどの使い手が、この世にどれだけ居るというのだろう。うむ。とシグナムが立ち上がった。「あの【瞳】の確保は諦める。 シャマル、サーチャーも外せ。最悪、暴走を始めてからでも我らなら間に合うはずだ」「わかったわ」でも。と立ち上がりかけたあゆを引き止めたのはザフィーラで、器用に顎であゆの肩を押さえ、自分にもたれかからせる。あゆの麻痺はふくらはぎ近くまで忍び寄っていて抗えなかったが、尻尾で撫でてもらうにいたり、その気まで奪われただろう。「あのタイミングで打って出てきたということは、前々から警戒していたに違いない。 偵察の時か、魔法監視を気取られたか。 いずれにせよ、下手に突付いてここに辿り着かれるわけにはいかん」当分は手の出しようもないしな。と言い置いて、シグナムはキッチンへと踵を返す。「もう19個もあるんだ。1個や2個、手に入れそびれたからっていいじゃねーか」ソファから跳ね起きたヴィータが、シグナムを追ってキッチンへ。「シグナム! あたいにもアイス♪」「そんなもの出してない!」くすくすと笑って、シャマルもキッチンへ消えた。「わたしにもアイス下さい」「シャマル、お前もか!」ふさふさとお腹を撫でる尻尾を捕まえて、あゆはぎゅっと抱きしめた。「アイス食べんならさー、はやて起こした方がよくねぇ?」「よさんか!」「うちのこと、呼んだん?」パイントカップを抱えたヴィータがリビングに飛び出してくるのと、戸口から車イスが入ってくるのが同時。「おぉ! はやてぇ♪ みんなでアイス食べようぜ」ええねぇ♪ と、あゆに気付いたはやてが、車イスを寄せてくる。ザフィーラを羽織るようなあゆの姿に、笑顔。「こっちも、ええやよねぇ」それっきりなにも言わず、ただあゆの頭をなでた。