ドロアの金銭欲はまぁ人並みである。否、金銭を手に入れる実力を伴う為、常人よりは些か強いかも知れない
蓄財に興味がある訳ではない。ドロアが嗜む物と言えば、酒と女性だ。酒はユイカの将軍達の中でも三番目に強かったし、ドロアの娼館通いはそれなりに有名だった
かなりの大酒のみだったドロアは、妻も妾も作らずに娼館に通った。それは将軍職の頃からではなく一兵卒の時からで、兵士の先輩から教わった遊びに、ドロアは味をしめた訳だ
身請けしよう等とは考えない。娼館の雰囲気が何と無く好きだった
“我が国の誇る勇将様はちょっと女にだらしない。こりゃ、生涯独身と見たね” 市井の住人達は、親しみを多分に籠めて、そう噂した物だ
何にせよ若かったのである
だが、今となってはそうも行かない。先も言ったようにドロアは蓄財には興味が無いが、今はその蓄財にこそ励まなければならない。ランの面倒を見るのは大変だ。衣食は勿論、医者にも診せなければならないし、薬とてそうだ
何だかんだいって、傭兵や何でも屋の稼ぎは良い訳ではなく、ドロアの趣味趣向に無駄遣いする訳には行かなかった
だが、あの兵士崩れどもがかなりの額を溜め込んでいれば、話はちょっと変わる
(問題は、本当に強盗団が壊滅しているのかどうか、と言う所だな)
二十人近くを討ち取って、それ以上の数の賊となるとそうそうは居ない。ユイカでは皆無であろう
だが未だ生き残りの居る可能性を否定は出来ない。ドロアは賊の根城を壊滅させた訳ではなく、襲ってきた賊を壊滅させただけだ。用心が必要である
ドロアはロードリーにて、頑丈で上等な槍を買い付け、駿馬を一頭借り入れた。渡された羊皮紙に書かれた場所は、馬があれば半日足らずで着ける距離。早いに越した事は無い
溜め込まれた財宝とやらが有っても無くても、良い土産話にはなるだろう。ドロアはそう、気の無い風を装いつつも、心持は冒険に挑む幼い少年のそれであった
「残党が居ても意味は無い。全て斬り捨ててくれるわ」
オリジナル逆行4
馬を飛ばして早半日。ドロアは何時までも馬に跨っている訳にも行かず、その背から降りると、馬を宥めながら引き始めた
地図にある位置は、ここいらでは有名な険山であった。緑深く、道は険しいのは当たり前だが、このカートル北西にある山には更に一つ、厄介な噂がある
笑い飛ばせない話として、「この山には人を丸呑みにする怪魚が出る」と言うのだ
ミンチと言う魚が居る。平均して人の背丈程に育つ大きな種類で、気性は獰猛。人の腕を食いちぎったと言う話も聞く
この山には、そのミンチが生息している。ただし、その大きさは通常の三倍で
「…ふん、嘘か誠か…」
ドロアは馬を引きながら、隣で轟音を上げ続ける激流を見遣り、直ぐに気を散らして山の獣道を急いだ
そしてふと、目的地間近となった時に、耳を欹てる。一瞬気のせいかとも考えたが違う。ドロアはその時、確かに何者かの悲鳴を聞きつけていた
山だけあって悲鳴は方々に反射して位置を断定し辛い。しかしこの付近なのは間違いないだろう。ドロアは移動し辛いのを覚悟して馬に跨り、走らせる。邪魔な木の枝等は豪腕と槍ではらって進む
山の中には木々が開けている位置に滝があった。そこから成る川にはボロボロのつり橋が架けられており、向こう側に渡れるようにはなっている。安全などは欠片程もなかったが
ドロアは其処で悲鳴の元を見つけた。男達が倒れ伏していた。傷だらけの鎧を着た男達が、背に幾本もの矢を突き立てられ、絶命していた
(賊の残党か? まだこれ程の数がいたか)
ドロアは死体に近付き、槍の穂先でうつ伏せのそれをひっくり返す。つり橋の向こうまで逃げようとした所を、背後から射られたようだ
そんな死体が約二十。ドロアがロードリーで斬り捨てたのと、ほぼ同数
(して、これ程の数を討ち果たしたのは…)
ドロアは平然と森へと馬首を返し――そしてそこに迫っていた九つの矢を槍の一閃で叩き落した
……………………………………………………
「第二射、構え」
驚く程冷静なリーヴァの声が森の中に響く。リーヴァは部下達にそう命じつつ、自らも弓に矢を番えた
狙いは先程リーヴァ達が放った九矢を叩き落した男。リーヴァの知る所ではないが、名をドロア。敵が圧倒的多数と知れているのに退こうとせず、爆発的な勢いで馬を駆り、森の中に飛び込んできた男
この突撃は胆からか、それともただ馬鹿なだけか。リーヴァは髪を分け、冷徹な黒の瞳でそれを見つつ、斉射を命じる
「放て」同時に自分も放つ。しかしその九矢は先程と同じく、水平の風車のようにドロアが振り回した槍で、尽く弾かれた
(これ以上隠れては撃てない。あれ程の武の者、位置は読まれたと見るべきか)
「散れ!」 リーヴァはそう叫び、今までドロアに狙いをつけていた木の枝から飛び降りた
「リーヴァ殿、何をなさる! そ奴は私が――ッ!!」
「赤毛の賊! 猪武者が、身の程を弁えろ!!」
弓の使い手が敵に身を晒す愚を無視。そして高所の利点を捨てる未熟を無視。ついでに、スコットの言葉を無視
リーヴァは降り立ち、再びドロアに、赤毛の賊に弓を引いた
ドロアは猛る。何本も何本も矢を射掛けられて黙っている程、ドロアは大人しくない
何時の間にかロードリーで借り受けた駿馬には、ドロアの猛気が乗り移っていた
「貴様が首魁か! いきなり弓引くとは、如何なる道理だ!」
ドロアは一流を超える馬術の将。そしてそのドロアが駆るは、若く精気の漲る駿馬。戦馬の調練を受けていないとは言え、その速度は尋常ではない
ドロアは一呼吸の間にリーヴァに肉薄した。戦場で戦う相手の生死など問う筈も無い。森の野獣ですら後ずさる殺気を腹の内で高めつつ、槍を構える
――刹那の交差! リーヴァの放った矢はドロアの右肩を切り裂いてゆき、ドロアの一撃はリーヴァの弓を絶った
地面が爆ぜる。ドロアは急激に馬を制止させ更に馬首を返し、リーヴァは転がり、立ち上がり、弓を投げ捨てると腰の長剣を抜く
「退かれませい! 御身は大事! 何かあれば、この場限りで収まる事と思いまするな!!」
「賢しい! 詰まらん御託を挟むな!!」」
木々の間からスコットが再び叫ぶ。しかしリーヴァは、矢張りと言うべきか、今度もその声に従う事は無かった
リーヴァは長剣を体に引き寄せる。握る掌は常日頃の鍛錬で荒れていて、逆にそれがしっくりと来る。完全に迎え撃つ心算だった
「無法者とは言え、女の身で見上げた度胸よ…!」
ク、と笑い、再びドロアは肉薄する。最早逃さん、今度こそ一刀両断にする心算で、ドロアは槍を振り被る
相手は自分を賊と勘違いしているようだが、その誤解、敢えて解く心算も無い。言っても簡単には信じないだろうからだ。それに問答無用で襲われて、黙って水に流す気は無い
リーヴァが飛び上がる。ドロアが速度を上げる
リーヴァから繰り出されたのは、身体ごと押し込んでの突きだった。速さと重さの乗った特上の突き。想像以上の力量。ドロアは槍を引き戻すと、紙一重でその突きの威力を逸らす
リーヴァの攻勢はまだ止まなかった。ドロアが斬り返す前にリーヴァの右足は振りぬかれ、ドロアの駆る駿馬の下顎を打ち抜いていた
「我等馬の民を前にして騎乗したまま居られると思ったか! 無礼者!」
暴走、痛みに慣れていない馬はそれだけで猛気を散らし、暴れまわる
ドロアとリーヴァは縺れ合ったまま馬に乗せられ、終いには川の流れの中へと叩き込まれた
着水の瞬間、ドロアは咄嗟に息を大きく吸い込む。ドボン、と景色が移り変わる。とんでもなく冷たくて深い水の中は、青い膜がかかったように全てが暗い
槍を口に銜えて腰の皮鎧を外す。手甲と具足も同様だ。水の中で着けていては自殺行為だと、遥か昔に受けた水練で嫌と言うほど思い知っている
水泡が晴れればリーヴァの姿も見つかった。防寒衣を脱ぎ捨て、身に纏うのは胸と腰部を僅かに覆う鉄糸布のみ
(この女、敵は選ばん癖に戦場は選んでいる。勇か智かと分ければ、間違いなく勇将の気質)
平地で戦えば一瞬でドロアはリーヴァを斬り捨てた事だろう。それをさせない為にリーヴァは戦場を選んでいる。障害物の多い森、そして攻撃力が格段に落ちる水中
そこまで考えて、ドロアは自分の中で血が滾るのを自覚した
戦場に身を置き、勇将と呼ばれるまでに至った。少しは落ち着きが出るかと思えばこれだ。歳不相応に若すぎる。いや、今は相応に若いのだが
貴様も同じ心持であろう。するとドロアは長剣を構えるリーヴァの口が、本人にも自覚は無いだろう、弧を描くのを確かに見た
――笑んでいる
しかし、だ。………例えどこであろうと、今、お前はこのドロアと真正面から対峙した
――ならばお前はこれまでよ
その時だ。ドロアとリーヴァが己の獲物を構えて、再び切り結ぼうとしたその瞬間
その間に割ってはいる巨大な影があった。五メートルはある影だ。泡を撒き散らし、どこぞで人でも食らったのか、血の尾まで引いている。影は身を翻らせると、ドロアとリーヴァめがけ勢いを上げる
巨大な影は魚だった。とんでもない大魚。それは噂に聞く、化け物ミンチ
「「………………………………」」
何と、何と邪魔な事だろう。ぎろり、と、二人がその不躾な乱入者を睨みつけたのは、ほぼ同時だった
「ガボガボッ!!」 魚如きがッ!!
「ガボボ!!」 無礼者め!!
……………………………………………………
「リーヴァ殿ォォーー!! おのれ、何たる事か…!!」
スコットは川岸から身を乗り出して叫んだ。水は激しく暴れ、水中で続く想像を絶する争いを思い浮かばせる
光が通らず、暗い。潜らずして中を確認するのは不可能だ
非常に拙い事になったとスコットは歯を食い縛った。リーヴァの身は西方馬民族有力氏族の長女、こんな所で命を落とされては、ユイカと馬民族の友好にかかわる。特に今は混迷期。下手をすればこの事件が、ユイカを滅ぼす原因となるやも知れないのだ
スコットはリーヴァの部下に指示を出した。水練の経験が無い者六名に荷物の中から縄を持ってくるよう言い、残りの数少ない水練経験者二名を待機させる。自分は動き難い文官衣を脱いだ。もしもの時は衰えかけている身体に鞭打っても、リーヴァを助ける心算だ
水は老人には厳しすぎる程に冷たそうだ。だがそんな事を考える暇は無いし、自分はまだまだ老人ではない。そう鼻を鳴らし、スコットは用意された縄の端に木に結ばせ、その反対の端を握ると、いざ、とばかりに飛び込もうとした
しかしその時、制止の声
「待たれよ、スコット殿」
それと同時に、川の中から巨大な化け物魚が吹っ飛んできた。頭部をリーヴァの長剣に貫かれて絶命している。人を平たく押し潰すなど訳ない重量のそれが降ってくるのだ、スコットとリーヴァの部下達は泡をくって逃げ出す
「猛琥を二匹相手にするよりも、余程容易だった」
スコットが怪魚を避けて振り返ると、リーヴァが川から上がり、首を振って水を飛ばしている所だった
――なんと! この怪魚を、いまだ二十にも至らぬリーヴァ殿が仕留めたのか!
「…リーヴァ殿の剛勇は知っていたが………いやはや、このような化け物すら仕留めてしまわれるとは…。して、あの賊は?」
リーヴァは無言で川を振り返る。すると再び、川の流れの中で暴れる者がある
ザバン、と威勢よく水中から手が突き出された。川岸の土をその手は掴み、力強い動作で己が主を持ち上げた
首だけ除かせたのは、ドロアだった
「私が仕留めた。私の勝ちだな?」
ドロアは悠然と佇むリーヴァの顔を見上げる。秀麗な面では漆黒の瞳が挑戦的にドロアを見下ろしており、何時の間にそんな勝負になったのかと、そう問うのも無粋な気がした
よく解らんが、面白い女だ。ドロアはリーヴァの挑戦を受け、獰猛に笑いながら、身体を引き上げた
その強靭な体躯に捕らわれ、水から引き摺りだされたのは、リーヴァが仕留めたような化け物ミンチ。噂に上る人を丸呑む怪魚とは、二匹居たのだ。こちらは首から先が一刀で切り落とされており、ぽっかりと無い
いや、あった。ドロアは化け物ミンチを引き上げたあと、槍を持ち上げる。その穂先には、しっかりと化け物ミンチの頭部が突き刺さっていた
――闘気は既に無い
――ドロアはこちらも挑戦的に笑い、言い放った
「くく、…誰の勝ちだったか?」
「よく見るが良い。私の仕留めた魚の方が大きい」
ドロアは大声を上げて笑った
「何故笑う。無礼者、決着をつけるか?」
「…~~! この期に及んでまだご自身で戦うおつもりか! 双方これ以上やると言うのなら、まずこの私の首を落としてからにして貰いましょう!!」
ドロアは更に大声で笑った
「黙れ、スコット殿。文官が戦の機を見切れる心算か」 ヒョイ、とリーヴァが、ドロアが転がした巨大ミンチの頭部を投げる
「私は外交官で…むがっ!!」 スコットがそれを真正面から受けた。丁度、首だけのミンチに頭から食らわれたようだった
ドロアはとうとう仰け反って笑い出した
――ランク「マザコン戦士」→「赤毛の賊」
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また一ヵ月後くらいに会いましょう(何