リーヴァが灯火を吹き消すと、宛がわれた部屋は真っ暗になった。今日の夜は嫌な感じがする。空気が体に張り付く気がして、リーヴァは肩を撫でた
寝台に身を投げ出して、リーヴァは思案し始めた。目を閉じて浮かんだのは、己が率いる部隊の事でも、態々見聞して見つけてきた有望そうな人材の事でも、要塞周辺の地形の事でもなかった。それはウォーケンを殺す方法だった
唸った。ずっとずっと、それこそ初めて相対してあわや斬られかかった直後からずっと考えているのに、未だに答えは出ていなかった
(…解らん。勝ち負けではない、どうにかして殺せればよいが、その策が浮かばん。何をやっても無駄のような気がする。時が経てば経つほど、その気持ちが大きくなる)
リーヴァは、勝てると感じるときは平然と勝つ物だ。そして勝てないと感じるときは全く勝てない。解らない時は勝ったり負けたりするが、大体は勝つ。不利でも勝利の方向へ無理矢理に引き摺ってゆく
だが、奴は駄目な気がする。リーヴァはぼう、と天井を見つめた。夜目が利くリーヴァには半開きの窓から僅かに入ってくる星明りだけで十分だった
「えぇい、勿体無いな。諸連合なんぞの重臣でなければな。惜しい、実に」
味方には引き込めない。敵としてあれば非常に厄介。引き込めないならば、せめて対抗手段が欲しいのに
「このリーヴァの思い通りに行かんのなら、せめて、せめてドロアが居ればな」
リーヴァは寝台から起き上がると、中途半端な開き具合だった木窓を蹴り開けた。騒々しく開かれたその先には、うってかわって湖の底のような静けさの中で光る星々
空は繋がっている。ドロアも自分と同じ世界に居るのだと思うと、リーヴァの焦りのような苛立ちは不思議と和らいで行った
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ライオヘイツン首都にある劇場はユイカの物よりも少し大きい。その昔、それはそれは大きな剣闘場が二つあったのだが、円形のそれを片方改築して劇場に仕立てた。その名残で劇場は、中心の舞台を観客席が取り巻くような造りになっている
通気性が全くといっていいほど無いため、劇場内のあちらこちらに大団扇で風を起こす人員が居た。それでもまだ暑いよと零すランに、ドロアは笑った
そんな暑い思いまでして見ているのは、海の向こうの大陸、其処で栄華を誇ったとある国の古戦記だという
滅亡に向かって加速してゆく一国に産まれ出た主人公の視点で語られる戦記だ。話は既にいざ国が滅ばんと言う所に差し掛かっており、主人公の父が死の間際、息子に己の胸の内を伝えようとする場面だった
「ぐぅ、っく、あ、涙出てきた」
ドロアを挟んでランの反対側で、カモールがボロボロ泣き始めてしまった。彼女は軍人をやっているくせに、こういう話に弱い。そしてドロアですら耳を疑うであろうが、ギルバートとアルバートもこういうのに弱い。カモールが決して取っ付き易い相手では無かっただろうギルバートと親しくなれた理由には、この相通ずる趣味も一つ、ある
「…何と言うか、な」
だが、ドロアとしては素直に感動できる場面ではなかった
ドロアは“以前”、今舞台の上で繰り広げられているのと非常に似通った場面に遭遇した事がある。今となっては矢張り「未来の昔話」だが、一度記憶が頭をもたげてしまうと、もう駄目だ
どうにも苦く感じる。普段にも増して寡黙、無表情になるドロアに、ランは「こんな時まで大人ぶっちゃって」とその肩を突っついた
同じ空の下であろうと、ドロアはリーヴァと同じ空は見ていなかった
オリジナル逆行25
「クラードが戻っていない?」
カモールの屋敷へと戻ったドロアは、そこ行く侍女を一人捕まえて聞いた言葉を鸚鵡返しに返した
ここへ来た当初の心配は何処へやら、慣れてしまえばどうとでもなる物だ。ドロアに不安が無い訳では無かったが、何も起こらない現状に、漸く警戒も薄れてきた頃だった。ランとカモールの静養の為に来た筈だが、当の本人達が存外に元気な為、あちらこちらを遊行している
今日も今日とて似た様な物。ただ違うのはドロア達とクラードが別行動を取ったと言う事で、尚且つクラードだけが未だ戻っていないと言う事だった
「…剣闘の興行はもう終っている頃合だが」
侍女に向かって問いかけるが、興味の無い者が知っている事柄ではない。古戦記などに興味の無いクラードは、一人で別の見世物を見に行ったのだ。本来ならとっくの昔に終っていても良い筈だが、侍女は恐縮して縮こまりながら、「申し訳ありませんが、解りかねます」と言うばかりである
「良い。そんなに怯えるな」
ドロアは首を振って促す。自身の放つ威圧感の所為だが、指摘する事は侍女には出来なかった
行き先を一々確かめておかねばならない程、クラードとは子供のような男ではない。平常なら「何れ戻るだろう」で済ましてしまうが、今夜は不思議と胸がざわめく
(カモールと分かれる前に興行の時刻を確かめておけば良かったか)
ついさっき、ランとカモールは連れ立って湯浴みに向かった。ドロアでは踏み込めない領域であるし、態々侍女に聞きに行かせるのも大袈裟な気がする
良い、良いさ、と、ドロアはもう一度首を振った
「少々出る、俺の槍を持ってきてくれるか。ランさんとカモールにはお前から伝えてくれ」
侍女は慌てたように返事をした
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ドロアは槍に皮鞘を取り付けると、一直線にクラードが行ったと思われる競技場へと向かった
治安に関してはユイカ以上に厳しい。剥き身の武器をちらつかせていたら、即座に警備兵に呼び止められるのがライオヘイツンだ。その事を意識してドロアは、なるべく問題事を起こさないようにしなければと考えている
騒ぎを起こして皺寄せが行くのはカモールだ。自分一人で済まないだけに、神経質にもなった
到着してみれば競技場は、今日の一切の興行を終了させていた。夜なのだから、当然と言えば当然であったが
(では、酒場か、盛り場か、或いは)
クラードならば、何処へ行くか
(或いは揉め事の起きている場所だな)
ドロアは即断した。それはもう、クラードが哀れになるくらい早く即断した
クラードは揉め事を起こしやすく、また揉め事に巻き込まれやすい男だ
ドロアだって十分そうなのだが、知らぬは本人ばかりなりで、溜息を一つ吐くとクラードを探しに大通りへと足を向けた
ドロアが問題事を起こさないように、と留意しているのなら、まず最初に己の事を深く知らねばならなかった
――
――
「何処にも居らなんだ」
酒場にも盛り場にもクラードは居らず、ドロアは行き違いになったかと一度屋敷に戻るも、矢張り居なかった
しかもランとカモールはかなり時が経つと言うのに、未だ浴場から出てこない。同性同士の友情を深め合っているらしいが、裸の付き合いと言うのはドロアには今一理解できない交誼だ
「お話がお弾みのようで、カモール様もラン様も大変楽しそうにしていらっしゃいました」
「そう言う物か」
「そう言う物に御座います」
クラードを探しに出る前、一人見送ってくれた侍女がクスクスと笑った。肝が太いのか慣れたのか、先程に比べ大分恐れを感じなくなったようで、ドロアに気後れする様子も無い
「御用で私も暫し呼ばれましたが、ラン様は非常に…柔らかいと言うか、暖かなお方ですね。ドロア様の事を我が事のように、誇らしげに自慢なさっておられましたよ」
浴場でにこにこと、ランが侍女に語ったドロアは、侍女自身が想像していた人物像とは大分違った
弁舌に淀みない世慣れした風情に見えて、結構朴訥なドロアが、侍女には可愛くも見えた。意外な新境地である
侍女はランの笑顔を思い出すと、思わずそれとまるっきり同じな笑顔になってしまうのだった
「殿方は、そう言う事は?」
「男同士で共に湯浴みと言うのは、無い。そもそも俺達のような平民は、大抵水浴びで済ます」
「ライオヘイツンでは、高貴な女性の方はよく仲の宜しいお方と湯浴みなされます。他国では違うのですね、…勉強になります」
やはりクスクスと笑う侍女を前に、ドロアは腕を組んだ
「俺に限って言うのなら、赤の他人と湯に浸かった事はある。女だったがな。……何処であろうと、ヤろうと思えばヤれる物だ」
侍女は顔を朱に染めた
「…え? …か、か、からかっておいでですね?」
慌てる侍女を見て、ふ、肩を竦めるドロアは、彼女にとって既に畏怖すべき存在ではなかった。立ち振る舞いには“慣れた”感があるのに、貴人のようでは全く無く、気さくに冗談も飛ばす。カモール様のようだと思った
ドロアは一瞬黙考する
何時の間にか談笑していたが、こんな事をしている暇があったのだろうか、自分には
「もう一度出てくる。…しかしお前、客人に対する態度を少し考えたほうが良いな」
悪戯っぽく咎め、ドロアは踵を返しながら小さく笑った。その様は悠然としていて、侍女はドロアの背を閉じていく門がバタンと隠してしまうと、自分でも気付かないくらい小さな、熱っぽい溜息を吐いた
「ドロア様…………はぁ……」
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クラードはと言えばドロアの想像した通り揉め事の真っ最中であった。劇場や競技場がある区域からはおよそ正反対にある盛り場で、五人以上を相手に大乱闘していたのである
治安に厳しいライオヘイツンではあるが、例え乱闘が起ころうと小規模であったり、凶器が持ち出されたりしない限りは率先して止めようとはしない。少々荒っぽいところのあるお国柄、細々とした事まで縛り付けては、民はそれを不満に思う
この場合五対一と言う乱闘ではあったが、誰も凶器を持ち出さず、クラードが相手の五人に決して負けていなかった為、警備の者達は止めるどころか寧ろ野次馬の方に加わってしまっていたのだ
「はん、お前ら、勘違いはしない方がいいぜ」
クラードは片方の鼻の穴を押さえ、息を噴き出す。鼻腔の奥で固まっていた血が飛んで広がった。少々の傷など物ともしない、勇敢な勝利者の姿である
(そうそう、これよこれ。どうにもドロアの大将が強すぎるからいけないねぇ、自分がどれ程のもんか、今一解らなくなっちまう)
ドロアを相手取って戦うと、どう頑張っても四分の一人前扱いされてしまう。自分が、実は物凄く弱いのではないかと思ってしまう程だ。だが本来はこうだ。クラードは素手での戦いを酷く苦手としているが、市井のごろつき五人程度に負ける筈が無い。負っても、軽傷である。五人の側が五人で戦う事に慣れていないのだから
因みに左肩の脱臼に頭部の裂傷、奥歯も一本折られていて、軽傷なのかどうかは判らない。少なくともクラードはまるで痛そうではなかった
「殺す気だったら、こんな梃子摺る事は無いさね。報復なんて考えんな、次は殺るぜ」
クラードは足腰が立たない男達に言うと、放り出していた槍を拾い上げ、ついでに近くで事態の推移を見守っていた一人の子供を抱き上げた。この子供、乱闘騒ぎの原因とも言える子供である
そしてクラードは逃げ出した。槍と子供を纏め持って高く突き上げ、野次馬に己を見せつけながらのそれは、決して「逃げる」なんて大人しい物ではなかった。警備兵達は追わない。彼らは空気が読めるからクラードを追わないのである。そんな事よりも、五人組の方を縛り上げるのが先決だった
いいぞいいぞ、格好良いぜ兄ちゃん そんな声援を背に受けながら、クラードはヒーローのように去った
――
欠けた歯を食い縛って、クラードは外れた左腕を子供に引っ張らせた。一二、三歳程にしか見えない彼は、荒事で負わされた傷をおどおどしながらも治療する。矢を射掛けられた猪が上げるような唸り声を出しながら、クラードはそれでも肩を填めた
次は、この子供だ。この少年、夜道で五人組の絡まれていたところをクラードが割って入った。お約束と言えばお約束ではあるが、そもそも何でこんな夜中に、子供が一人で出歩いていたのか
上半身裸で体の具合を確かめながら、クラードは思いはした。が、深く聞く心算も無かった。クラードにしてみれば見咎めて助けこそしても、深く首を突っ込む義理は無かった
しかし少年は、どうにもクラードに首を突っ込んで欲しいようだった。少年は傷の治療を終え、朝にならない内に帰れと告げるクラードに向かって、唐突に土下座をかましたのである
「ご、御免なさい! どうぞ、どうぞ俺っちを助けちゃ貰えませんか!」
少年は大きな目をぎゅぅっと閉じて、子供特有のキンキン声で懇願した。クラードは首を傾げて、傾げて、傾げて、自分が何か揉め事に巻き込まれそうな予感を感じた
同時に一つ思い出す。ここ最近クラードの雇用主と言う事になっている、化物みたいに強い男の顔だ
彼は、ドロアは何て言っていたっけ。確か、騒ぐな、揉めるな、暴れるな
そんな風に、厄介事を起こすなと言われていた気がする。それを破れば、怒髪天を突く勢いで怒るだろうなとクラードは予想して、内心冷や汗をかく
少年を見た。良く見れば中々小奇麗な、秀麗とも言える目鼻立ちだった。しかも華奢だ
この野郎、男娼館にでも売り飛ばしてやろうか
途端少年がビク、と震えた。クラードの苦々しい視線を感じたようだった
「出来れば大将の意向を無視したかぁねぇが、俺も、まぁ、なんだ。お前みたいな餓鬼の懇願を跳ね除けたい訳じゃねぇな」
ならば、と少年は目を輝かせる
「話、聞くぜ」
――ランク「THE・出番無し」
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ぐっとぐっと力を溜めても、ポーンと弾まなけりゃ意味がn(ry