ギルバートは戦場に置いて最前線以外を知らない。初の戦に出て僅か三日目でそう言われる程、敵と切り結ぶ生死の狭間を好む。ギルバートは決して兵のみを戦わせているのではない猛将と呼ばれたかった
己の腕には覚えがあった。父には及ばず、ドロアにも負け、だがそれでも強者であると言う自負が、陣の中に下がる事を絶対に認めない
ただ只管に強く成りたかったし、強く在りたかった。何れ己の中に残っている弱さを全部叩き出して、自分は完成するのだとギルバートは信じていた
――
「右ぃッ! 突撃来るぞ、槍上げろぉーッ!」
ギルバートはそう叫びながら、自分がいの一番に飛び込んでいた
直ぐ其処に敵騎馬の一隊が迫っている。ギルバートはぐぉぉ、と巨剣を天に掲げるように構え、迎え撃った
打ん殴れ
ギルバートを中心に一列に並んだ兵達が、掲げた槍を一斉に叩き下した。敵騎馬の突き出す槍とそれらは噛み合い、ガチリと鳴った後に纏めて弾き飛ばされる
矢張り騎馬の突撃を真正面から受け止めるのは無理だ。ギルバート自身は眼前に迫る敵を馬ごと斬り倒すが、全員が全員そんな真似を出来る訳も無い
ギルバートは仰け反り押し込まれる味方を省みず、単身で其処に踏み出ると、怒鳴り声で指揮を取りながら巨剣を大暴れさせた
「二列目、突けぇいッ!!」
背後に控えていた二列目が唸り声を上げて飛び出してくる。深く沈んだ兵達の腰が、瞬間的に伸び上がる
一斉に突き出される槍。今度は突撃を食い止めた。敵騎馬後続が尚も駆け、味方を馬蹄で踏み付けてでも勢いで押し切ろうとするが、がっつりと組んでしまえば数の多いほうが有利だ
ギルバートの剣舞は乗りに乗った。好き勝手暴れながらの指揮に、満を持してギルバート隊の参列目が躍り出る
「押し返せ! 巨剣の指揮下にあるお前らが、力で負けンのは許さねぇぞッッ!!」
――オォッ!
じりじりと押し返したかと思えば、一定の押し具合を境に、ガリガリと敵の陣列を刈取るようにして猛追しだす。ギルバートの居る場所が一歩分突出すれば、左右の戦列がそれに習い敵を押し返す。その波は伝播して戦線全体に及び、味方が一方的に敵を押し捲り始めた
堅い! ルルガンは心躍る気分だった。要塞の上の高みで大きな指令以外全てを部下に任せながら、ルルガンはギルバートの活躍を見ていた
「ははぁ、矢張り若い者達の内では最も抜きん出ている」
ダナンが歩み出てくる
「敵も次々と陣を入れ替えておりますれば、そろそろ主力の精兵が出てくる頃合と思われます」
「ギルバートでは荷が重いか」
「はい」
「だが…お前自身が出張るほどの相手では無いようだな」
ルルガンがそう判断したのは、ダナンの顔色からだった
ダナンは、このジジイは強い相手を前にすると心が変わる。心が変わると雰囲気と人相まで変わる。まるで他人かと思う程違うから、彼が“そう”なれば一目で解る。ルルガンは、そう聞いた事があった
今のダナンは平素と変わりない。寡黙を通し、冷徹な瞳のまま戦場を見やっていた
「解りますか」
「解るな」
ダナンは愉快そうに笑うルルガンを、相手にしなかった
「ギルバートが押し切ってしまう前に下らせましょう。さすれば敵の攻撃も一旦は収まる事でしょう。その間に、何かしら施せば宜しいかと。万一、引き込まれた上で本気になられたら厄介です」
オリジナル逆行24
リーヴァが騎馬を率いて戻れば連携して戦っていた筈のギルバートはもう居ない。リーヴァは馬を飛び降りると、後を部下に任せて陣の中をずんずん歩き出した
軍議の直後一戦交えてから、昼夜問わずのこの猛攻。攻めて攻めて勝負を決める気かと思えば、ふと攻撃が緩んでザッと退いて行く。のらりくらりとした感じは、リーヴァは好きでは無い
だがこれが戦か。リーヴァの胸は同時に高鳴ってもいた
レゾンの援軍が来るというのに敢えて要塞に篭らずの野戦。ユイカもアイリエンも、諸連合には煮え湯を飲まされている。これ以上弱気な戦はしたくなかった。ドロアをして勇将の気質と言わしめるリーヴァには、その心情がよく理解できる
早歩きで一際大きな陣幕を見つけると、鼻息も荒く踏み込んだ。其処は負傷兵の呻き声が溢れていて、その最も奥にギルバートは居た
負傷兵の治療を手伝っていた。止血をしながら激励し、弱音を吐くヤツは尻を蹴り飛ばす。悲壮感など全く見せずに、戦場の中でも外でもあらゆる意味で戦っている
こうだ、この男は。一時として休まない。何時も何か駆けずり回って、その姿にリーヴァは一瞬、本当に彼女らしくないが、声を掛けるのを躊躇った
だが、ずっとそうしている訳にも行かぬ
「ギルバート殿、話がある」
「五月蝿ぇぞ、静かにしてろ!」
リーヴァが背後に近寄りながら声を掛けると、ギルバートは目を剥いて怒った
彼は兵士の腕を握っていた。リーヴァは覗き込んで、木板の上で苦しげに喘ぐ兵士に即座に見切りをつける。腹の傷が深くてどうしようもない
致命傷だった
――
「…! ッ!」
兵士が必死に何かを喋っていた。見れば若く、ギルバートとそう変わりはしないだろう
酷く早口の上、噛んだり、どもったり、つっかえたり、体力の喪失と死への恐怖から、まともに言いたい事すらも言えない
だが、それでも解る。若い兵士はぼろぼろ泣きながら、自分の腕を握るギルバートの手を握り返した
「俺、お役に立てましたか…!」
ギルバートはにっかり笑う
「おう」
本当に笑顔だ。暗い物が全く入り込めない、嘘臭い笑顔である。作り笑いと誰でも解る
「手前みたいな勇者は大陸中探しても早々居やしねぇさ。その勇猛さを、尊敬するぜ」
若い兵士は涙を流して目を閉じた。ギルバートは短刀と取り出すと兵士の鎧を外し、一瞬の淀みも停滞も迷いもなく、胸に突き立てた
絶命の瞬間に血を吐いた。それでも兵士の表情は、ちっとも辛そうではなかった
――
「将の仕事ではない」
ギルバートの前を歩いて野戦陣幕医局を出ながら、リーヴァは言う。ズンズンと力強い早歩きは、少しも乱れない
続いて出てくるギルバート。その背には、兵達の視線が注がれていた。ギルバートは一度だけ振り返ると、素直にリーヴァの後に従った。兵達は皆頭を下げた
例え将であっても、例え兵達にどんな風に思われていても、ギルバートは下っ端も下っ端だった。出来る事は限られていた
「あぁ言う事しか、俺はあいつらにしてやれねぇんだ」
「そんなに年経た物言いを気取っても、中身までは変わらんぞ」
別に、とギルバートは応える
「農家の三男だ。志願理由は、「男らしく成りたい」だったか。軍の教官の目の前で、そんな馬鹿みてぇな理由を馬鹿正直に言う馬鹿な奴だったのよ」
産まれて初めてであろう、厳しい顔つきをしたギルバートは目を細めた。賊や極少数の傭兵を相手にするのとは違う、全力の死地があり、その中で戦っている
ギルバートは自分はまだ良いと思った。自分には自惚れでなく、人並み外れた膂力があった
だが、兵士達はどれ程鍛え、陣を教え込み、連携の経験を積ませても、ただの兵士だ。何も持っていない
何も持って、いないのだ
持たざる者が、ただ一つ持っている己の身を捧げだして戦い抜いている。それを実感として知ったギルバートが、一人、また一人と死んでいくのを見て、平気な訳が無かった
「やけに詳しいな」
「俺の部隊の人間だ。知ってて当然」
「部隊には百人以上居るだろう。それ全て?」
ギルバートがリーヴァの横に並ぶ
「何時の間にか全員覚えちまったさ」
歩く内に、ギルバートの部下が走り寄る。ギルバート専用の巨剣を担ぎ、ひいこら言いながらだ。巨剣を受け取るとギルバートは、リーヴァに向き直った
「それで、態々ここまで来たのは何でだよ。直々にきやがるんだ、只事じゃなさそうだが」
「次、敵の攻撃が始まるよりも前に別働隊に参加して前線から外れる。迂回して敵側面を突けとの事だが、はてさて、成るか成らぬか…」
一瞬見詰め合って、それから二人して同時に歩き出した
「兵が一人死ぬ度に足を止める事はできん。矢張り、将の仕事ではない」
「止まってねぇよ。止まってる暇なんてねぇよ。振り返ってるだけだ」
……………………………………………………
レゾンの援軍が到着するのは、ダナンの読みが正しければ、明日の夜だった
「弱い兵を前面に押し立てている」 と、アルバート
カシムは黄色い布を頭に巻き直しながらアイリエンの将と話し込むアルバートを見た。今彼が寛ぐ要塞の一室は、彼に宛がわれた部屋ではない
アルバートの部屋だった。カシムは忙しい男だった。ダナンの下に居れば能力に見合った評価はされる。が、ダナンはそれの何倍も部下を扱き使う。カシムは優れた男で、余計ダナンに酷使されていた。リーヴァの補助をしたかと思えば、次はアルバートの所だった
「『海蛇』率いる兵は、疾い者達でございました。リーヴァ殿は非凡な姫将。率いるも風に名が鳴る馬民の兵となれば、それと余裕に向き合い少しも実力を見せていない彼らは、かなり手強いと見受けられます」
「カシム殿、それがしもそう思うな。しかし何時も果敢に攻め寄せる癖に、昨日今日と来る輩は、わざと使えん奴等を選りすぐって攻めているのかと思う程だ」
アイリエンの将、グライアの後押しを得て、カシムの言葉は益々信憑性を増す
髭を伸ばし放題にしているグライアは、背の低い、ついでに鼻も低い男だ。しかしマジマジ見てみると、決して「小さい」と言うような雰囲気の男ではなかった。寧ろ、ひょろっと背だけ高いカシムよりも大きく、がっしりして見える
カシムには二人妹が居て、その内の一人、カシムが何かと世話を焼く方がグライアに仕官していた。その関係からカシムは、グライアとも親しかった
アルバートは筆を取って真っ白い紙に絵を書いた。軍の動きだった。アルバートは一書きしては腕組みし、二書きしては腕組みしながら、少しずつ真っ白い紙を黒く塗りつぶしていく
「…まぁ、明日になれば更にレゾン国の援軍も参ります。そうすれば自然、和議の道を検討する事になりましょう。海洋諸連合も妥協出来ぬ者達ではありますまい」
「明日になれば、な。故に尚の事、勝負を着けに来ると思っていたが」
“軍師”の妥協という言葉に、アルバートとグライアは眉を顰めた。カシムは要らぬ事を口走ったかと後悔する
和議。決して悪い話ではないと思うが、ギルバートとグライアには思うところもあるだろう。慎むべきだったな
「読み過ぎても無為か」
「無為か」
「無為に御座る」
三人が三人とも同じ言葉を口にして、初めにグライアがどっかり座っていた腰を上げた
「今宵はここら辺にしておこう。酒も無いことだしな」
グライアが立ち上がると、尚の事大きく見えた。小男の癖に大きいのが、何とも珍妙だった
「アルバート殿、貴殿は相変わらず強いままのようだ。「何がユイカ軍か」と言う奴も多いが、それがしはアルバート殿が来てくれただけで、十万の兵を得たように心強い」
「そう言ってくれるのはグライア殿だけだ。配下の将兵も喜ぼう、感謝する」
では、これで。短い遣り取りで満足したようで、グライアはそのまま部屋を出て行った
アルバートがグライアと知遇を得たのは、前回ユイカが散々に打ち破られた戦場だった
グライアは雨がしとしと降る戦場の中、惨めな大敗を喫したユイカ軍の中でも、アルバートは強いままだと言うのを直感で感じた。アイリエンの将兵の中でグライアは少数派にあたる。ユイカに対し見下した感じの無い男であった
「それで、明日からは…否、今からは私の軍師か、カシム」
「は。どうやらそれがし、数ある将の方々の中でも、アルバート殿かカモール殿が最も“馬が合う”ようでして」
にこりとして、カシムは語りだした
……………………………………………………
同じ頃、昼に戦場に出張らず、己自ら鍛え上げた最強の兵達を休ませ、温存していたウォーケンは、馬上にあった
夜と言うのは、特に戦陣の中のそれは人を静かにさせる。大声を立ててはいけないという気にさせる
ウォーケンは敢えて戦意に満ち満ちた表情でその静けさを破った
「今から、敵を殺りに行く」
目の前には粛々と隊列を組む騎馬隊の姿があった。ウォーケン直属の千を中核とした、四千の部隊だった。全てウォーケン自身が見繕った兵達だ。どいつもこいつも、皆一様に顔つきが違う
「現状は苦しい。現状が苦しい。打破するにはどうやら、“命運を掛けた戦”と言うのを何度も何度もこなさねばならん。しかもその全てに勝たねばならん。こんな状況にしてしまった俺の無能を、まずは責めてもいいぞ」
責めてもいいぞといわれて、責める者は誰一人としていなかった。ウォーケンに無理なのであれば、誰であろうと無理なのだ。兵達にはそんな認識があった
信頼と置き換えてもよかった。ウォーケンが、例えどんな事であろうと手を抜くのが嫌いなのを、兵達は知っていた。全力のウォーケン以上の働きが出来る者など、神々にだって居るものか
「無いならば、逝こう。我等は河を越え、森を越える。レゾンの弱兵を散々に蹴散らしてやろう!」
そう言って真っ先にウォーケンが馬を駆った。木板を噛ませ、蹄には湿らせた藁を巻き、音が一切起こらないようにした。後に従って駆け出す者達も、皆同じだ
敵に気付かれる訳には行かず、勿論敵の間諜に知られる訳にも行かず
ジッとこれまでを耐えて、今正にウォーケンは解き放たれた。奇襲だった
ウォーケンが星空に青蛇の槍を突き上げる。兵士達は雄叫びの代わりに、ウォーケン同様槍を空へと突きつけた
――ランク「THE・出番無し」
………………………………
ドロアなんて飾りです、偉い人にはそれが(ry