夜
顔をでこぼこに腫れ上がらせて気絶しているギルバートの隣で、ルルガンとアルバートは顔をつき合わせていた
「………」
顰め面のアルバート。対照的に、ニヤリと笑っているルルガン。照らす松明が少ない為に不気味さが生まれ、要らぬ凄みがある
ルルガンは徐に細い筆を取り出した。そのまま嬉々としてギルバートの顔面に落書きし始めるルルガンを、アルバートは止めようとはしなかった
「く、ククク………来て早々、五十人以上と大乱闘か。とんでもない事を仕出かしてくれた」
「どうせ、乱闘の様子をどこかで見物しておられたのではありませぬか…? 貴方は人の悪いお方に御座る故」
「楽しそうだったからな。ギルバートが剣を捨てたから、相手方も揃って獲物を放り出しおった。素手で矢鱈滅多ら殴りあうのが、あそこまで昂ぶる物だとは知らなんだ」
ふむ、と満足気に筆を止めるルルガン。ギルバートの閉じた瞼に、今にもキラキラとふざけた光を放ちそうな目が描かれている。右の頬には「猪突猛進」の四文字。腫れ上がった顔に書いているのに、上手い
アルバートがピクリと眉を跳ねさせる。ルルガンから筆を借り受けると、今度は自分が書き出した
「咎は如何ほどに?」
「昇進を取り消し、棒係に十数回打ん殴らせた。お前の嘆願も効いている」
「…アイリエン側はそれで」
「文句は出ていない。それどころか襲い掛かられた側の癖に、自分から棒罰を願い出る変態どもが十人以上おるのだ。知っているだろう?」
ふむ、と胡坐の上に頬杖をつくルルガン
「“向こう”も苦笑いしておった。……お、良いぞ良いぞ、「身の程知らず」の「青二才」か。これは笑える!」
アルバートはギルバートの額に折れ散った巨剣を描き、その左の頬には「身の程知らず」「青二才」と二つの文字を書いた
これがルルガンにはたまらなかったようで、ユイカの王は、隠す事無く、開けっぴろげに大笑いした
しかし気絶しているとはいえ、好き勝手やるものである
「アルバート。コイツは面白いな」
「我が息子ながら、面白いだけでは将は務まりませぬ」
「そう言うのでは無いかと思っていた」
ふ、とルルガンが馬鹿笑いを止める
アルバートは笑みを消したルルガンの方を見なかった。ルルガンは立ち上がる。場を辞す時、この男は静かか五月蝿いか両極端だ
今のルルガンは極めて静か
「コイツが、このルルガンと同じく、もう六年早く生まれてくれていれば。そうであれば、お前の手で馬鹿を直す暇もあったろうにな」
そうして、王の背中は消えた
――
「…馬鹿で良いと思うております」
アルバートは頭を下げながら言う。次にその顔を上げた時、瞳は閉じられていた
私の息子は馬鹿だが、実はそうでもない。アルバートは思っている。今のギルバートに残っている馬鹿は、何時まで持っていようと構わない筈の馬鹿だ
アルバートが失ってしまったもの。失うべきではなかったものを持っている。ギルバートがそうであるのだから
「馬鹿で良い。…否――」
それだけでもまずは満足
「その馬鹿が良い」
そう言いつつアルバートは己が息子の鼻面を、赤い泡を吹いて鼻出血すら起こるように強打した。ギルバートが覚醒と同時に血を撒き散らしながら飛び退っても気にもしない
鼻の骨が折れなかっただけマシと思え。そう言い捨てたアルバートに、ギルバートは歯を剥き出しにして怒った
「て、めぇ…! 何の心算だこの糞親父が!」
オリジナル逆行23
翌日、軍議が行われる巨大な一室の前でリーヴァと鉢合わせしたギルバートは、速攻で大笑いされた
ギルバートも原因は気付いていた。目覚めてから出会う者出会う者、人の顔を見てはクスリクスリと忍び笑い。嫌な感覚に水の張った小皿を覗いてみれば、其処は余りにも凝り過ぎた感のある落書きだ。即座にギルバートは消そうとしたが、とても小皿一杯分の水では足りない
落としに行く時間は無い。故にギルバートは開き直った。笑わば笑え、例え俺が笑われ、ひいては我が父であるアルバートが笑われたとて、それは自業自得だろう。これをやったのは当のアルバートと見て間違いないのだから
――実際はルルガンも一枚噛んでいるが、そこまでは気付きようも無かった
「ふ、ふふふ……、ハァーーっはっはっはっはっはッ!! うわぁぁーっはっはっはっはっはッッ!!」
「ぐぅ…! コイツ、こういう女だったか…?!」
軍議の最中顔の落書きを咎められた時
ギルバートは「いや、中々に達筆でありましょう」と誤魔化し、雰囲気を和やかにしたと後の記憶には残された
……………………………………………………
ウォーケンが居た。ウォーケンが現れた。二百と言う極々少数の部隊にカザまでをも参加させ、二百と言う極々少数の部隊とは思えない程の堂々とした態度で要塞の真正面に布陣した
要塞門と間を持つ。弓矢の射程よりもやや余裕を持ち、兵全員に気勢を上げさせ、余裕の挑発だった
「カザ。誰が出てくる」
「お抱えの軍師に聞けって。そりゃまぁ、彼の「大盾」殿ではあるまい、程度は考えるけど」
馬首を並べさせ、ウォーケンとカザ。ウォーケンはジッと門を睨んだ
「なら、どんな風に来る」
「伏兵を警戒して様子見の三百から四百。出てきても、敵全体の五十分の一を越えんと見た。最高で五百って所じゃねぇかなぁ?」
「小競り合いの数だな。なぁカザ。俺も、もう四十だ」
知ってるよ、ンな事は。カザは自分の二倍の齢を数える猛将を、少しも畏れていなかった。彼らの付き合いは親子ほどに長い。今更何を気遣う必要も無い
だからウォーケンの言葉は、例えそれがどんな無茶であっても、カザにとっては少しも驚く所では無かった
ウォーケンが無茶を言うのは、それは自分の父親が年甲斐も無く我儘を言うような物だ
「そろそろ俺より強いヤツに会って見たい」
「かぁー、そりゃ無理だぜウォーケン! お前より強いヤツなんてのは、ずぅっと昔に行った剣闘都市にだって居なかったじゃねぇか! あそこでダメなら、どこでもダメさ!」
言いながらカザは背伸びして右腕を振り回した。ブンブンと振ると、それに従って右翼側の兵が上ってくる
防げ、と言わずとも、兵達は剣を構えていた。刃が向けられる其処には、先頭に少女を擁く異相の弓騎馬隊。激しい剣戟の音が僅かの間、鳴り響き、しかし異相の弓騎馬たちは深く食い込もうとしてこず、一撃のみで駆け抜けていく
疾風の突撃。予め門の外に居たな。カザの口端が笑みの形に歪む
数は六百以上。読みは外れた。あの先頭を走る指揮官の少女が無理に攻めてこなかったのは、予想だにしていなかったこちらの陣の堅さを一呼吸で感じたからだ
「うっひょー外れちまった! ウォーケン、あの女はどうだよ! 一瞬だが、気も胆も強そうな目だったぜぇーッ!」
カザが冗談を飛ばすよりも早く、ウォーケンは動いていた。将軍とは彼だ、ウォーケンの動きに合わせて部隊は動く。カザは遅れぬように追随する
ウォーケンは槍を持ち上げる。歪な形をした、古代の蛇の巻きつく槍だ。精巧に造られたそれは青く光っていた。――追うは、異相の騎馬隊
鳴り物の太鼓を殴らせる。伏兵の合図だ。読まれていようと配置して置けば良い。現に敵は「居るかも知れない」程度の読みを斬り捨て、飛び込んできた
「今だ! 一挙に包め! 包んだら潰せ! 敵はユイカ西方に住まう馬民族と見た、堅く重囲せねば破られるぞ!」
そう言って先頭に踊り出ながら、ウォーケンは目を見張った
(既に来ている!)
ウォーケンの指揮で躍り出た伏兵達が見たのは、飛び込んでくる弓騎兵ではない。否、弓騎兵なのは間違いない。間違いなのはそれらの進む方向だ
本当に僅かな間に反転している。この足の速さを何とする――!
「カザ!」
「解ってる、やる事は変わりゃしない! 俺達で足止めして包囲殲滅…!」
――
「こんな真似が出来るのは此度一度だけだ! 精々派手に見せ付けるぞ!」
反転した馬民族の部隊の先頭は、リーヴァであった。彼女以外である訳がなかった
穴等は埋め立てられ、柵等は取り外され、そこは人だろうが馬だろうが、駆け回るのに最適な場所になっている。援軍が来た以上守勢に回る必要の無いアイリエンがそうしたのである
そしてつまりそれは、リーヴァの独壇場と言う事だ。今ならば、敵が西方馬民族と言う部隊の強さを知らぬ今ならば、リーヴァは何でも出来るのだ
反転よりの突撃。後方からは伏兵として隠れていた兵達が追ってきている。しかし歩兵、すぐさま逃げれば追いつかれずに撤退できる。が
「矢、放て! 放ったら槍を持て、弓は封じよ!
それにはまず、目の前の男を抜かねばならぬ。鋭く一斉射した
「リーヴァ殿、カザは見たか!」
「あぁ、見た! 先ほどの先制で目を皿のようにして見たが、不敵な笑みの男だった!」
リーヴァの背後から怒鳴るのはカシム。カシムバーンだ。リーヴァが「頭の回る者が欲しい」と叔父貴に依頼した所、カシムが回された
「では再び目を皿のようにしなされ、真正面から青槍を構えるあの将が…」
「解っている」
人馬一体。そして、指揮官と軍師、部隊も一体。一丸となった六百の騎兵は、堅く迎え撃つ二百の敵に向かって走り続ける。段々と、敵将が近付いてくる
「ウォーケンだな!」
リーヴァは剣を抜いた。抜いたが、切り結ぶ心算は無い。ただ駆け抜けるのみ
「その通りだ!」
突撃するリーヴァと迎え撃つウォーケンが交錯する。ガキン、と一際大きい音が響いた
リーヴァにウォーケンの槍は早過ぎ、そして鋭すぎ、尚且つ重すぎた。リーヴァは自分ですら意識せぬ本能のままに、防御に剣を突き出し、上体を逸らして逃げの体勢を取っていた
「………ッッ!」
馬は。咄嗟に太腿で馬の腹を締め付ける。大丈夫だった。馬に怪我は無い
(いかん、体勢…)
崩れた体勢を立て直さねば。敵の雑兵に討たれる
しかしそれは杞憂だった。リーヴァの目の前には道が一本開かれている。敵兵は左右に退き、見ているのみだ
カザの指揮である。この猛烈な勢いを真正面から受け止めるのは、得策ではない。無理に策を成功させずとも、ここは引き分けにしておこう。打算だった
「やるなッ!」
振り返りたくないと思っても、上半身が振り返る。見ずには居られない。一瞬の交錯で、己は死ぬ程の気を中てられた
相変わらず背後を追随してくるのはカシムだが、それより後の馬民兵達は、皆ウォーケンを避けるように走ってくる。ウォーケンは己を取り巻きながらも駆け抜けていく兵を全く眼中に入れず、駆け去っていくリーヴァを一瞥し、ニヤリと笑った
もうリーヴァは振り返らない。只管に先頭を駆け続け、要塞門へと到達する
一時停止し、気付かぬうちに止めてしまっていた呼吸を再開した。酷く、荒い息だった
「いかかで御座ったか、ウォーケンは!」
「強い、アレは! 全ては見ていないが馬鹿みたいに強いぞきっと!」
荒い息のまま話そうとするから語気は自然強くなる。カシムなど、止めも何もせずとも息は荒い
リーヴァは深呼吸した。長すぎるのではないか、とカシムが心配するほどに息を吸い込み、そして漸く吐き出した
「ドロアの槍を見ていなければ、私は斬り捨てられていた確信が在る。ウォーケンと言うヤツは――」
遠目に、敵も撤退し始めたのが解った
「まるで、ドロアの様な強さだった!」
……
「ダナン軍師に聞いた通り、リーヴァ殿は何を話してもドロア、ドロアですな」
「な、何?」
――
「ウォーケン、何で斬らなかったんだ?」
「斬った。そう思ったが、防がれていた」
未だリーヴァが駆けて行った方を見続けるウォーケンに、カザは問いかける。撤退の指示を出した。のろのろしていては敵が大挙して出てくるだろう
「へぇ、そんなに強いとは思わなかったけどな…。弓の腕は別として」
カザの右肩には矢が一本、突き立っている。リーヴァの放ったものだ。カザは、少女が小さな体から放った鋭い殺気を、明確に思い出す事が出来た
「もしかして、本気になった?」
ウォーケンは馬首を返した。何を軽々しい事を、と、カザを叱った
「なるか。役者に不足よ」
ランク「旅人ドロア」→「THE・出番無し」
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一ヶ月なんて嘘でしたーでもすんません一週間でも十分遅…… (・∀・)
ぐだぐだからは抜けられませんが、それでも気張ってみる次第です