「あぁあぁ、捕えても世話なんかできんし、上の連中にも手懐けて帰順させるような暇は無いだろう。どうにもならんぜ」
夜。ランの教会がある山村から徒歩で一日足らずの距離には、ロードリーと言う町がある。その町にドロアは居た
場所は町の入り口。と言うか、更に外側とも言える町外れ。そこに立つ、やたら大きな鍵で閉じられた倉庫の前で、上から壮年の男が降らす声に、ドロアは閉口した
遠くを見遣れば、乾燥した大地を松明の灯りがかなりの速さで近付いてくるのが解る。十数から成る騎馬で、乗っている者達は皆傷だらけの鎧を着ている
どこぞの兵隊崩れなのが一目で解った。彼等の狙いは、ドロアが背後に守る倉庫
「どこから流れてきやがったのか……、全く迷惑な話だぜ」
フン、と鼻を鳴らし
「着ているのは東の海洋国に多い鎧だ。そちらの方からだろう。大陸北西端のユイカまで、態々ご苦労な事よ」
立て掛けてあった、刃がやたらと広い槍を手に取りつつドロア。屋根の上の男はほぉ、と感嘆した。兄ちゃん若いのに物知りだねぇ。そんな感じだ
そしてどっかりと腰を下ろしながら、男はちょっと意地の悪そうな笑みを浮かべる。それは夜、ベッドの中の子供に恐い話を語って聞かせる父親のような、そんな笑みである
聞かせる相手は、幼子のように可愛らしい面相では無いが…。ドロアはク、と嗤いを噛み殺した
「そういえば兄ちゃん、海洋国って言えば知ってるか? ちょいと前にあっちの方で、海の兵士どもがアマゾネス連中にズタボロにされたろ」
「……うん? ……確か、戦争続きだったフーカー海軍の事だな。隣国のアマゾネスどもに陸で奇襲に奇襲を重ねられて、屈強な筈の海の男達が見るも無残に敗走させられたって話だろう。よくよく見れば、あの鎧はフーカー海軍の物に見える」
確かに、見覚えがある鎧だ
「兎に角その海軍がな、逃げに逃げて逃げまくった挙句、ほうほうの態で漸く自国領域の町まで逃げ帰ったんだが……」
そこで男は声の調子を一転させる。大袈裟なほどに仰け反ると、夜の空いっぱいに声を響かせようと、怒鳴り上げた
迷惑とか、そんな事はどうでも良いといわんばかりだ。兵隊崩れどもを挑発してやろうと言う底意地の悪さが丸見えで、男は傲岸不遜に笑ってみせる
「実は其処は既に占領されてて、娼婦に化けたアマゾネスどもに手前等の“ナニ”が勃たなくなるまで追い掛け回されたってぇ話だァーー!!! あの不能海軍どもはよォォッォーーー!!!」
「ぐわはははははははは!!!!」
男の意図した罵声に、ドロアは心底笑い声を上げた。傑作だ。冗談としてはそれほどではないが、罵声としては最上級。この男、後で上物の酒を奢ってやっても良い
「オイ手前等! 偉そうな鎧を着込んじゃいるが、自分のモノはキッチリ勃つんだろうなァァ!!」
そうでもないと思っていたが、どうした事か。腹が痛い。決めた。この男には後で、この町で一番高い酒を奢ってやる。絶対だ
ビュンと槍を一振り。馬は無く、従う兵も居ないが、それだけで武名が風に唸る。嘗ての勇将ドロアが勇躍せん、と
敵は兵士崩れの強盗団。罵声に色めき立ち、逆上しているのが良く解る。ドロアは鼻で嗤った。兵士としての経験を馬鹿にされて、怒れる程に誇りがあるなら、最初から強盗になどなるなと言うのだ
ダン、と一歩踏み出した。そのたった一歩で、ドロアの気分は戦場に立つ戦士のそれになった
オリジナル逆行3
元兵士が夜盗の類になると言うのは珍しくないが、その手の輩は非常に手強い。普通の賊とは比べ物ようも無いほどに、だ。その上、ドロアの記憶にある東海洋国の兵士は、ドイツもコイツも手練だった。陸よりも命の危険が多い海で戦う彼等は、より強くなる
だがそれは、何でもない事だ。戦場では、戦う相手は選べない。そう言うのは軍師の仕事だ
恐れる理由にはならない。ドロアの心得ではない。世に数多(あまた)居る将軍や軍師と言うのは、どこかに「恐れ」と言う感情を落としてきたか、若しくは初めから持っていない生き物である。敵を恐れでは見ない。「如何言う物か」見ようとする
ドロアも例に漏れず、敵がどんな相手であろうと必要以上に気にしない、胆の太さがあった
音曲を指揮するかのように腕を一振りし、一喝
「馬防柵!!」
それを受け、倉庫の上の男が用意していた松明を振る。瞬間、倉庫まで100馬身と迫っていた兵士崩れどもの目の前に、鋭い木の杭が取り付けられた柵が土中より起き上がる
(海の兵士よ、罠は三段まで重ねてあるぞ。こう言う経験をお前達は中々知るまい)
兵士崩れどもが、そのガタンと言う音を聞いた時にはもう遅い。暗がりの中で止まれなかった兵士崩れどもは、全騎転倒した
ドロアはその余りの情けなさに、溜息を吐いた。おいおい、まさかたった一騎すらも越えてこれんとは
「奴等、件のアマゾネス連中に去勢でもされてるんじゃぁ無いのか?」
「へっへぇ、好都合じゃねぇか! 鐘は如何する? 部下を待機させてあるが」
「必要ないだろう。無駄に付近の民を不安がらせる事も無い」
一人で事足りる。足音高く地に伝えられる力の感触を確かめると、ドロアは一直線に走り始める。慌てたのは倉庫の上の男だ。落ちそうなくらい屋根から身を乗り出して、叫ぶ
「お、オイィ~ッ!! 幾らなんでもたった一人で敵う訳ねぇだろがッ!!」
しかし、男は直ぐに押し黙った。己が目に映った光景が、自分の予想とは全く掛け離れていたからである
男の視界の中では、ドロアが漸く起き上がった集団に飛び掛り、常人離れした膂力と技で一度に三人を切り倒した所だった
否、切り倒したでは生温いか。槍の一振りの筈が、まるで御伽噺に出てくる鬼(オーガ)のような一撃。ちょっとコレは、黙るしかない
「………………一人適当に残して他は殺せよ! 後々面倒になるからな!!」
取り敢えず言っておくか。そんな感じに飛んできた男の言葉に、ドロアは血飛沫と暴力を撒き散らしながら明快に返した
「では一人残して全て、刎ねる事にする!!」
勿論、首の事だった
……………………………………………………
傭兵と言うのが当たり前に認められる時代だ。国が手を出すまでも無い雑事や、町や村単位で起こる問題ごとに関しては、傭兵がその腕を振るう事も少なくない
そのため町、村に置かれている役場には、傭兵専用の受付と言うのもしっかり設置されているのだ。そこいらの何でも屋が個人でこなすような仕事もあれば、大規模な傭兵団やそんな類にしか回せない仕事等もある。最も後者は戦争への参加など、国直々の依頼が殆どだが
しかし、ユイカは平和な国であり、傭兵等の力が必要になる仕事は少ない。否、少なかった。王が没し、その子が王位を受け継いだ混乱期の今、荒事は増加している
王の死に方が悪かった。何と言っても、長らく無かった戦争での討ち死にであるが故、急な軍事改革と併せて軍や治安維持部隊がまともに動いていない。平和呆けしていたといわれれば、それまでであろう。混乱していたのだ
それでも未だ、他国に比べて犯罪発生率が少ないのは、平和呆けしたユイカの美点だと、ドロアはそう思った
「よぉーっし、まぁ飲んでくれよ兄ちゃん。アンタの御蔭で本当助かった。うちの連中には、一人も死人が出なかったんだからなぁ」
町の酒場でドロアは男の酌を受けていた。屋根の上で松明を振り回し、馬防柵の合図を送った男だ。この町で新しく創設された自警団の責任者で、名をジッカと言う。米神に巨大な刀傷の後があるが、それが全く恐くない。何処か人好きする雰囲気のある男だ
どこぞの国で軍役に就いていた事があるらしく、なまじっかその手の経験があるせいで、自警団団長などと言う厄介事を背負い込んだと、ドロアに愚痴っていた
ドロアが受けた仕事の内容は意外に複雑だった。ロードリーはここ暫く、何度も繰り返し盗賊団による襲撃を受けていたのだが、その回数が半端ではない。そのしつこさ故に、早期に何とかせねば禍根を残すと判断され、自警団の依頼と言う形で役場に話が回ったのだ
依頼は第一に盗賊団の撃退。それが終了すれば次は盗賊団の根城を突き止め、それを報告する事だ。あわよくば壊滅させてくれとは言っていたが、流石に其処までは期待されていなかっただろう
丸きり、軍や治安維持部隊の仕事である。が、その両方ともがまともに動いていない以上は、ロードリーの町のみで何とかするしかなった訳だ
そしてドロアはよく立ち寄るこの町の依頼を受け、“あわよくば壊滅”までさせてしまった。これにはロードリー自警団の者達も、度肝を抜かれた
「もう並み居る賊どもバッサバッサと切り倒しちまって、ありゃ痛快だった! 見ててスカッとしたわな。あの連中には散々好き勝手やられてたからよ」
「もうその話は良いから飲め、奢る。アンタの怒声は傑作だったぞ、暫くはアレで思い出し笑いを堪えるのに必死になりそうだ」
「おぉ、こりゃ悪いやな」
酒場で一番高い酒を注文する。酒瓶ごと寄越せと言ったら、酒場の主は本当に酒瓶ごと寄越して来た。主がニヤリと笑って、髭面でウィンクをするのを見て、ドロアは口をへの字に曲げる
取り敢えず、約束どおり一番高い酒を奢った。約束と言っても自分の中だけの約束だが、悪い気はしなかった
それからドロアは取りとめも無く話をした。ジッカは人好きのする雰囲気の上に話上手で、何時まで話しても飽きはこなかった
だが、朝っぱらから飲み続け、夜になってしまってもそれは不摂生である。一頻り話し終えた後ドロアは、最後の話題の心算でジッカに問いかける
「そういえば、賊を一人生かしておいたろう。何か吐いたか?」
「おう、あの野郎か。吐いた吐いた、要らん事まで吐きやがったぜ。あの連中、ユイカに流れてくるまでにも相当やらかしたみたいでな、根城にはかなりのお宝が溜め込まれてるんだとよ。……かなりあくどい事もやった見てぇだし、…全く罪作りな連中だぜ」
完全に酔いが回った赤ら顔で、ジッカは言い捨てた。そして酒杯を置くと、コソコソと言い直す
何とはなしにドロアは耳を寄せた。ジッカが、一枚の獣皮を差し出した
「実は、その根城の場所を聞き出したのよ。この羊皮紙に書いてあるから、兄ちゃんにやる。お宝はまだ残ってる筈だ。……どうせ自警団から出る報酬なんざ高が知れてるだろ?」
ジッカは自警団団長である。だが、自警団の財政を取り仕切るのはこのロードリーのお偉方だ。ジッカ自身は、余り好き勝手できる立場ではないのだ
ドロアは困り顔になった。場所が解っているなら自分で行けば良い。自警団団長としては、こういった盗賊の類が溜め込んだ財貨は国か町に返却すべきだろう。それをせずとも、黙っていれば自分の物としても誰にも解りはすまい。元々が強盗団の物であるから、元の持ち主でもなければバレたとしても誰も文句を言わないだろうが
それを言うと、ジッカは盛大に笑いながらドロアの脇を肘で突く。何真面目くさってんだ、そう言って笑ったのだ
「気にすんな! もう俺としちゃ、可愛い部下に一人も人死にが出なかっただけで万々歳なんだよ。それに二十人近く居たアイツらをたった一人で蹴散らしたのは、兄ちゃんじゃねぇか」
とても兵士崩れどもを前にして、「一人残して皆殺し」等と言った男の台詞には思えない。が、
ドロアは素直に受け取る事にした。思わぬ拾い物であったのは、間違いない
……………………………………………………
ユイカには歴史がある。ここ暫くこそ極めて平和な国ではあったが、四百年前の建国の様は、正に戦をする為に産まれた国、と言うべき物だった
詳しい資料等は全て国の書庫で眠っているが、概要だけであればそこそこの学者なら知っている。ユイカ国は四百年前、大陸の覇を唱えていた一大帝国に離反し、独立の狼煙を上げたのだ。ただ大陸北西端の、豊かでもなく、大きい訳でもない大地のみで
闘争の国だった。ユイカはその名を受けた瞬間から戦いを始め、初代指導者マスターグの名の下に、兵力に勝る帝国の討伐軍を尽く討ち果たしたとされている。それが原因で帝国は疲弊し、大小の国々に分裂する事となった
今のユイカの在り様を見れば、とても信じられる話ではない。四百年前のユイカの戦士が今の祖国を見れば、すぐさまその在り様を恥じ、己の首を掻き切って死ぬだろうとまで言われている
兎に角、ユイカには歴史はあった。戦の歴史が。国境から主要街道で一直線上に結ばれる各町も、それの名残であった
王都より最も近い町、カートル。その町の砦門を、ある一団が通過する
この砦門が、戦の歴史の名残と言う由縁である。ユイカの町や村は、その殆どが元砦や戦陣を改築して作られた。詰まり主要拠点をそのまま町や村にしてしまった訳だ
ユイカは主要街道以外に大軍の進行が可能な道が無い為、数を頼みに攻める帝国軍は其処を使用する他無い。ユイカがそれに対応しようとすれば、当然主要街道に幾つもの城塞を、そしてその付近に死角を補う為の戦陣を建設する事になる。産まれるべくして産まれた町なのだ。カートルや、ロードリーは
だが、良くも悪くも今のユイカに、四百年前のような熾烈さは無かった。その一団が通ろうとする砦門も、穏やかな陽の光に晒され、その威容を全く無価値な物へと変貌させていた
「……相変わらず変な臭いがする。如何にかならん物か、こればかりは何時までも慣れそうにない」
「人の臭いと言うヤツですな、そんなに不愉快そうな顔をしないで下され…。ほら、笑顔笑顔、笑っていた方が門の衛兵達にも受けが良い」
十名程の西方馬民族の装いの者達に、一人だけユイカの文官を交えた奇妙な一団だった。ユイカ文官の歩き難そうな衣は兎も角、西方馬民族の、防寒衣に鉄糸を編みこんだ装いは目立つ。砦門を通る者全てが、一団に物珍しそうな視線を送っていく
先頭を歩くのは、前髪で己の目を隠した十六~七歳程度の少女と、初老に差し掛かる文官衣の男だった。少女は文官衣の男の言葉に、詰まらなさそうに返す
「私は口よりも雄弁に語る目を見せていない。笑っていてもいなくても、同じさ」
黒い髪に隠された奥で、少女の瞳がくるりと踊る
「相手に礼を払う時は見せるのでしょう? 衛兵は治安を守る誇り高い兵士です。非礼に当たりますぞ」
「弱兵に礼を払えるか。それに礼を払う時だけ見せるのでも無いぞ。戦の時にこそ………」
取り付く島も無い少女の言葉に、文官衣の男は慌てて歯止めをかけた
「そこまで。このままだと、またリーヴァ殿の戦談義が花開きそうなので、ここでお終いとしましょう。門も近いですし、そろそろ通行許可証の提出準備をしなければ」
初老の男は年齢を感じさせない軽快な口調で、少女――リーヴァを諌める。リーヴァも素直に従った。不満を覚えない訳ではなかったが、一々言い争いに発展させるほど、子供ではなかった
「……気に入らないが、そうしておこう。それにスコット殿の言う事だ。お目付け役の懇願くらい、聞いてやらんでも無い」
そういってリーヴァが浮かべた表情筋が引き攣りまくった奇妙な顔に、男――スコットは苦笑した
これが彼女なりの愛想笑いなのだろう。今までにも見た事がある。この少女は愛想振り撒くとか、媚を売るとか、自分を偽る事が大の苦手で、無理をするとこうなるのだ
まぁ、若さゆえに可愛らしい物よ。既に思考が老人に至る事を自覚して、未だ若い心算のスコットは、二重の意味で苦笑しつつ、門の衛兵に通行許可証を差し出した
「ご苦労。こちらの方は、友好深きダナンの族の方だ。通行願いたい」
門の衛兵はそれを受け取りつつ、スコットの背後を見て些か腰を引いた。リーヴァの奇面を直視したのであろうと、スコットは推測する
衛兵は腰を引きつつも、それを確認して木の札に何かを刻んだ。そして些かどもりながら、許可の旨をスコットに返してきた
「か、確認しました。どうぞ、お通り下さい」
何だ、情けない。スコットは眉を顰める。少女一人奇妙な面を作っているとは言え、大の大人がそこまで脅えてどうする
だが、後ろを振り返ったスコットは、そんな嘲笑の思いを一瞬で吹き飛ばした
奇面を作っていたのはリーヴァ一人ではなかった。彼女の後につき従う屈強な男達も、一人残らず表情筋を痙攣させて、幼子が直視すれば泣き出すような愛想笑いを浮かべていたのだ
正直、恐い
「………………わ、私は西方馬民族の方の応対をするのはこれで二度目ですが、随分と楽しい方々なのですね」
「……………………」
スコットはこちらも愛想笑いを浮かべた。しかし動揺を隠し切れないそれは、奇しくもスコットの背後でリーヴァ達が浮かべるような、くしゃくしゃの笑みだった
「どうだ、スコット殿。これで文句はあるまい」
(………こ、この道中、致命的な問題が起こらねば良いが……)
――ランク「マザコン戦士」
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宝探しは男の浪漫だと思うのですが