逆賊大暴れ。そこいらでさんざ戦闘し、挙句火まで放たれたと言うのに、王都ラグランにはさしたる被害も無かった
その上、予想された被害の目算は予め…それこそ戦闘が始まるよりもずっと前から計算されており、既に対策も立てられていた。それを平然と無感情にこなすから、骨の髄まで浸かった文官は好かねぇと、ギルバートは後に愚痴っている
ドロアはランを背負って例の市街を歩く。当り構わず暴れまわったのは正に昨日の事で、肩やらに傷を抱えるランは市街の光景を見ながら終始苦笑いしていた
ドロアの横を通り過ぎる兵と市民達が、皆一様に頭を下げていく。今日は朝からずっとこんな感じだ。特に兵士と来たら、昨日激戦を繰り広げた者達が疲労も怪我もおして復興作業に従事している。彼らの興奮は、又聞きでドロアの暴れぶりを知る民達よりも余程強かった
「……………何だか皆ドロアにペコペコして、変な気分だ。人気者だね、ドロア」
「ランさんもその内顔を覚えられるぞ」
「何でさ」
「俺の名が知られるとは、身近に居るランさんもと言う事だ。俺は貴女の子ですから」
背に頭を埋めてくるランに、ドロアはさしたる反応も返さない
「嫌な気分だ」
ランを背負いなおして、ドロアは足を早めた。まずは、家に
……………………………………………………
ルルガンは詰まれた羊皮紙の前で作業をしながら、ルルガンはクワッ、と叫ぶ
「掛かったな阿呆めがッ!」
その直後、ルルガンの執務室の扉を乱暴に開けて入ってきた文官の一団が、上から降ってきた木の棒にしこたま頭を打ち据えられた。縄で括られている。いわずもがな、扉を開けた瞬間に振ってくる仕掛けだ。情けない程に幼い罠だった
「あ痛ッ! ルルガン様、な、何ですかコレは!」
「やかましい、どうせ貴様等の用件は解っておる。御託は良いからその羊皮紙の束を置いてとっとと仕事にかかれ」
「む…は、はぁ。しかし幾らなんでもコレは無いのでは…」
ブツクサ言う文官達をルルガンは無視する。ユイカ国の聡明な新王は、今非常に攻撃的であった
理由は羊皮紙だ。先ほどからドイツもコイツもが同じような馬鹿面を下げて同じように持ってくる羊皮紙ども。全ては今回の鎮圧作戦の指揮を執ったアルバート、……の、下で働いていたギルバートからの物だった
内容は此度の戦場の、知りえる部分の仔細詳細全て。まるまる全て。正に一文字とて漏らすまいぞと言う執念が滲み出ていた
そして、どの羊皮紙の最後にも載る言葉
『先に待つ戦の前哨戦、殆どが新兵であった者達の初陣なれば、相当と思われるより以上の恩賞と、戦死者の家族への補償を願いたく候』
「おぉ、正しい! この俺相手にたかが青二才が物怖じもせん言い草だ。正に正論」
因みにルルガンは二十四歳だ。6歳程しか違わない
ルルガンは、ギルバートが全く不慣れな鉄面皮を装って己と相対しているような感覚を覚える。ただその一文の為だけに幾つも幾つも、よく送ってきたものだ
「ギルバートとカモールを昇進させよ! 加えてギルバートはダナンの隊より俺の直下に異動させる、カモールは遠征軍から外せ、暇を出して傷の治療をさせてこい!」
オリジナル逆行19
カモールは兵舎の壁に凭れかかってぼやりと考える。夜だけあって、少し冷えるか
草と土の匂いが強かった。カモールはクンクンと鼻を鳴らしながら、包帯を巻いた左胸の傷を確かめた
ジワリと傷が熱を持っていた。よく死ななかった物だと、今更ながら思う
俄かにも、自分にも天運と言う物があったのかな。そう熱い溜息を漏らした時
「カモール」
ふと声。咄嗟の事に驚いて、カモールは慌てて立つ。聞こえてきた声が意外な人物の物だったからだ
彼女の知る彼は、こんな所に来る理由が無い。まさか態々私に会いに来たか、とカモールはそんな夢想をしながらクルクル見回す
気付けば彼は直ぐ隣に居た。何時の間に近付かれたのか全く解らなくて、カモールは上擦った声を漏らした
「ドロアさん?!」
「落ち着け。傷に障る。…………まぁ、中に残ってどんちゃん騒ぎを続けていても同じだがな」
言うドロアに、あぁとカモール。兵舎の壁一枚隔てた所では、今も祝勝会が続いていたな。早々に抜けてきたカモールだったが、馬鹿騒ぎは多少の事では収まらないだろう
でも何故ドロアが居るのだろうか。思いはしても、カモールはそれを聞けない。何と無くそんな雰囲気ではなかった
「傷は。中々深くいったろう。まだ痛むか?」
「…あぁはい、いいえ…。今は、そんなには」
ドロアがカモールの直ぐ近くまで来て見下ろす。カモールの身長はさして高くない。自然ドロアを目一杯見上げる姿勢になった
くて、とドロアの手の甲がカモールの額の熱を測る。 「いあ?!」 訳の解らない奇声を漏らして、カモールは飛び退る
飛び退ろうとしたら、ドロアの右手がカモールの背を回って、華奢な肩を包んでいた。カモールの顔は焼けた炭のように真っ赤になる。でも、それ以上逃げようとはしなかった
「……二度とこんな真似をするな、カモール」
ドロアの頭がカモールの首筋に降りて来て、至近からの声にカモールはゾクゾクと震える。余りの事に固く目を瞑った。それでも、自分を抱きすくめるドロアの輪郭は鮮やかに解った
ぐったり身体を預ける。カモールは何も言えない。ドロアも、無言のままだった
心なしか、抱く力が強まったとき、ドロアはカモールの布服を捲り上げた。カモールは背伸びして、ドロアの首に手を回した。捲り上げる手は、嫌にゆっくり
右胸の傷に、包帯越しに啄ばむような口付けが落ちる
「ど、どど、ドロアさん…! うくっあ、…そ、そこは……」
……………………………………………………
――メゴッ! と強烈な異音
木の机に頭を減り込ませて直後、カモールは激痛に色気もへったくれも無い悲鳴を上げて飛び上がる
「あぐああぁぁぁあッ!!」
「あぐあ! では無いわ無礼者め!」
「うっぐぅぅぉぉ…! ……り、リーヴァ殿ですか? いきなり何をなさるんです!」
額が赤くなっていた。カモールは其処を両手で押さえて、目尻に涙を溜める破目になった
「やかましい、貴様真昼間からなんて夢を見ている。何が、「どろあさんそこはだめですー」だふざけおって。私を馬鹿にしているのか」
「そ、そんな事、夢? 私寝言を…?! って聞いてたの?!」
――全部夢か! 何て勿体無い!
「何をほざくか」
リーヴァは仁王立ちしてビシ、と指差す。その先にはリロイが居た。長机の向こうで頬を朱に染め、苦笑いしながら拭き終わった皿を何度も何度も無意味に拭きなおしていた
カモールは最早漏れ出る絶叫も無い。ひたすら大口をぱくぱくさせて、本当に羞恥から真っ赤になる
「……………………!!!!!!」
ここは! リロイの酒場! 何と衆目のある場所で! いや今は自分達三人だけしか居ないのだけれど!
しかし! 兎に角! これは最早死ぬしか! この恥は! しかしただ死ぬだけでは! この生命が!
「………! ま、まだ!」
「あぁ?」
「まだ何もやってませ――ッ」
もう無言でリーヴァはカモールを蹴った。カモールは椅子から転がり落ち、其処で両手で顔を覆って、シクシク泣きながらぐったりとなったのだった
リロイがぽつりと、商売の邪魔なんだけど、と呟いた
こやつら、往年の友の如き息の合い様がありおる
……………………………………………………
その時、当のドロアは一体どんな運命の悪戯か、ギルバートと肩を並べて歩いていた
ドロアは良い物の、問題はギルバート。木材角材木槌と資材を担ぎまくり、且つ格好は上半身裸。とてもユイカ軍団の一部将とは思えない出で立ちである
怪力をこれでもかと発揮するその肉体は未完成ながらも逞しく、しなやかだった
「だがな、俺にはお前の筋肉美を鑑賞する心算は毛頭無いぞ」
「あぁ?! 手前、なに人を露出狂みたいに言ってやがる」
ギルバートが眉を顰めた。ドロアの言わんとする事は十分解っていたが、だからと言ってその通りにする心算は、ギルバートには無い
ドロアとて其処まで強く言う心算も無いのである
ギルバートは雑事を片付け職務を果たした後、ただ己の体の動くままあちらこちらに出張っては町の復旧を手伝っていた。今担いでいる資材だって、全てその為の物だ
己の力を振り絞って民の為に働き続ける男に、ドロアが何を言えようか。否、言える筈も無い
この男の賞賛されるべき行動に比べたら、たかが露出狂である事くらい、何の意味があろうと言うのだ。ドロアはかぶりを振った
「だから露出狂ではねぇと言ってるだろうが!」
「うぐ」
飛んできた拳をドロアは甘んじて受ける。調子に乗りすぎた自覚があったからだ
それから暫く歩く。そしてドロアの家に辿り着く。ギルバートが資材と木槌を降ろした。ここに来たのは……
エウリニーゲの見送りの為
「…思えば生意気な小娘だったな。どうだったよ、短かったが、預かってみて」
ばんばん、と手をはたきながらギルバート。ぎこちなくドロアから顔を背けながら言う
「…短い? …いや、十分だ。奴は俺の妹分だ。ランさんの娘だ」
「…おぉ、そうかい。……何か、意外だったぜ」
「こんな事を言うのがか?」
ドロアが顔を向けるのを見て、ギルバートはふん、と余計にそっぽ向いた
「他人なんざ、どうなろうと知ったこっちゃねぇ。…手前は、そういう奴だと思ってた」
「……なんだ、急に。気持ち悪い」
今度はドロアが眉を顰める。しかし、直ぐにその表情を消した。現れる何時もの無表情
だが、言葉には抑揚があった。ほんの少し嬉しそうに、ギルバートには聞こえた
「お前こそ大分柄を上げたな。たった少しの間に、見違えたぞ。………ん? お前、その癖、……照れているのか」
ドロアが覗くとギルバートは矢張り顔を背けたが、ドロアははっきりと見た
ギルバートは固目を強く瞑っていた。自分の父と全く同じの、照れ隠しの仕種だった
程ほどに、ドロアは歩き出す。別れの時である
……………………………………………………
「そんなこんなで、手前の仇は死んだし、もう縛る物は何も無ぇよ、好き勝手にやれ。…俺はそれを伝える為だけに来た、解ったら頭を下げて礼を良いな」
微かに笑って言うギルバートに、エウリは拳で答えた。ごつ、と音がするが、痛いのはエウリの拳の方でギルバートは笑ったままだ
ギルバートは予想していた返答に鼻を鳴らした。気の強い小娘だ、何だか小気味良かった
「へっ、……達者でやりな」
そういうギルバートは良い。だが、エウリにはまだ関門がある
左手をしっかりと掴んでいるランの存在だ。これが哀しそうな顔で、如何にもエウリまで辛くなってしまう
ドロアがそのランの後ろから見守っていた。エウリは宿命の敵でも睨むかのような目付きで地面の小石を睨み、気まずさを誤魔化していた
「あの、本当、ありがとう。俺迷惑掛ける事しかしてなくて」
「そんな事は良いんだぁぁ~……!」
ランさんがぐお、と口を開く。同時にぐお、と目尻を下げた
「…御免、俺、親父の首を捜すからさ」
エウリは家に帰りたかった。燃えてしまった故郷に帰りたかったのだ。最早無い故郷だが、それでも
恩を受けっ放しなのは心苦しかった。でも、それに報いるのを後回しにしてでも、今は家に帰りたい。欲求は抑えがたかった
「畜生、御免よぉ…!」
ドロアが笑った。エウリの目尻までぐお、と下がったからだ。ランとエウリ、二人して何て顔をしているのか
そっと歩いてきて、包帯の巻かれたランの手を緩やかに解く。ランは大人しく従った。その代わり、歯を食いしばっているようだった
「持って行け」
エウリに押し付けるのは、鷹の細工を施された短剣。毒剣では、刺々し過ぎる。無骨なドロアの土産は、無骨な剣で良い
「乗って行け」
右手には最早すっかりドロアの荒乗りになれた駿馬が引かれている。エウリは正直馬術に不安があったが、ドロアは有無を言わせない
「何時でも頼れ」
最後にドロアは、胸を張る。右手の親指でグイ、と自分の胸を指し示す。ランもドロアの横に並んで、頭数個分低い位置で同じ仕種をした
「帰って来い」
――「絶対にだ」
エウリは馬に跨った。そして頭を下げた。ランが手を振る。エウリは馬を進ませる
何度も何度もエウリは振り返った。家の前でランとドロア、ついでにギルバートは、その姿が見えなくなるまでそれを見送っていた。ずっと見送っていた
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わ た し は も う 死 ん で い る 肉体美あたりで
えぇ、申し訳ありませんでしたとも。