馬上弓、等と言っても、早々中る物ではない。地に足をつけない体勢と言うだけでもう難しいのに、馬の足は激しく揺れ、距離感もどんどん変わる。加えて、相手だって止まっている訳ではない
これらは全て言ってしまうなら確認するまでもない当然の事だったが、それを踏まえた上で敵に命中させ得る、年齢と関係の無い天性の妙技が、リーヴァにはあった
武芸に優れるとは即ち、槍剣弓馬全てに長ずる事を言う
弓矢を取り回しながら巡る視線
(一矢、ニ矢、駆け抜けて三矢。余りにも賊が少ない。……これは外れを引いたか。危険が無いと言えばそうなのだが)
敵の数の無さに不満がるリーヴァはより強大な敵を求めていた。誰も彼も戦の中に身を置く者ならば当然だが、己の名を上げたいという欲がある。ドロア、ギルバート、カモール。誰もが持っている
その為にリーヴァが強い敵を望むのは、至極当然の事。それだからこそリーヴァはスコットを置き去りに、ユイカ国への参も後回しにして、目敏く見つけた戦の火に飛び込んだ。それも、「少し酒でも舐めに行くか」程度の気楽さで
元よりこれは、何処まで行こうとユイカ国と言う他人の戦。打算が無い訳ではない
ユイカ軍の対応は極めて早かった。踏み込みすぎなければ死なぬと言う確信があった
――そうすると後には、馬の民が身の危険を顧みずユイカ国の難事解決に尽力した、そんな事実だけが残る筈である
……………………………………………………
屯所陣幕の中でアルバートはラグランの地図を見下ろしている。彼だけは至極静かでも、彼の周りは大波が岩に当たって砕けるように騒がしい。アルバートはトン、と己の額を指で突く。アルバート殿、と呼ぶ声
「第一軍団からの援兵、動きましたぞッ。ジリジリと来て漸くで御座る、中々良い勘をしておりますな、カモールとか言う新米の奴は」
アルバートは意図的に、陣幕の中に入ってきた将から目を逸らした
カモールの部隊からは、どうにも腑に落ちない報告ばかりが上がっていた。偶然ではないのか
しかし、と手を顎に。どちらにせよ、まだ、である
「まだだ。まだ早い。まだまだ待てと伝えよ」
「…はッ、…しかし、それでは挟撃の好機が…。いえ、了解しもうした」
将をとんぼ返りさせる。力を注いでいる自覚があった。片手間でも済む賊を相手に、ここまで気を張るのは久しく無い感覚である
陣幕の内外から足音がよく響いていた。近くの物は人の物。遠くからの物は、馬の蹄のそれだった
「ギルバートの――」
アルバートは地図の細部までを指で辿りながら呟く。不思議と、己の指図で大軍を動かしている気にはならぬ
「――部隊はどうだ」
陣幕の外まで馬で駆け、転がり込んできた伝令がそれに応えた
「ギルバート隊、見つける端から敵を打ち破り、とうとう西部を完全に鎮圧なされました! これぞ正に破竹の勢いでございます!」
「お前ギルに、付け上がらずに努めよとこのアルバートの釘を刺して来い」
オリジナル逆行16
逃げる民の声よりも剣戟のそれと怒声の方が多くなった時、ドロアの形相は人の物ではなくなっていた
否、顔が問題なのではない。ぐいと歯を食いしばった表情は人以外の何物でもない。が、
この威圧はどうした事か。その歪む空気は戦士達の注意を否が応にも引き寄せる。全速で駆け抜けるドロアには、市場入り口で隊列を組み、敵と押し合い圧し合いしていたユイカ軍の兵士達が最も早く気付いた
列の後方に当る位置で、一人が振り返り叫ぶ
「うん? 誰か! 賊かぁ?! 散れ、寄らば賊と見なして斬り捨てるぞ!!」
ドロアが傍若無人に言い返した
「やっかましいわ! 黙って道を開けぃ! この先に用がある!」
「な、…何を抜かすーッ!」
いきり立って兵士は槍を振り上げるが、それをもう一人が止める。肩を掴まれて眉を寄せる兵士。ドロアは只管に構わなかった
「おい、待て、あの赤髪は…………」
制止をかけた男は見た事があった。アルバート邸の門の前、ピンと伸ばした背筋のままで不動を決め込んだ赤い髪の魔王のような男を、彼は見た事があった
「あれは――ど、ドロアだ!! 間違いねぇ、俺は見た事があるぞ!!」
「ドロアぁ?! あのドロアかッ?!」
無双の傭兵?!
途端、兵士達は示し合わせていたかの如く組んでいた隊列を真っ二つに割った。今回蜂起したのは傭兵の集団で、それを鑑みればドロアとて十分敵の可能性がある。しかしそんな思考は彼等の頭の中には全く生まれなかった
ドロアはいよいよ調子に乗って駆け抜ける。水を断ち割ったかのように現れた道を、それこそ常人の想像では及びつかない速度で行った
視線が集まる。期待か、不安か、憧憬か。その中心でドロアは槍を頂点に構え、身を引き絞る
鈍く行く暇は無い。これこそは好都合。構えられた身が、次の瞬間には暴風になっていた
「押し通ぉォォーーーるッ!!!」
賊兵の隊列に食い込む瞬間の豪力篭めた一撃! 皮切ったとばかりに、繰り出される乱撃、乱撃、乱撃! 寄せ付けぬ、寄り付けぬ斬の嵐!
馬足は最早そのままに行く。止めようと前に立つなら斬り飛ばす、逃げ切れずに前に立つのでもやはり斬り飛ばす
そのただ一騎の突撃は敵最前列を問答無用に貫いた。後に控える隊を引き裂き、ドロアの通った後だけが血煙のみの空白地帯。縦横無尽に振るわれる槍は正に大旋風
束になろうが徒党を組もうが、三十ばかりの小勢が集まっただけの隊列では、ドロアに敵う筈も無かったのだ
「ぐ、ぅぅうう!」
貫かれる隊列の最後尾、最も腕の立つ庸兵がドロアの一撃を身を捨てて受け止めた
しかし駿馬の足に跳ね上げられる。その直後、ドロアの豪槍を受け止めた細槍の柄ごと、彼は空に舞ったまま両断されていた
「ううぉぁあああああ!!」 断末魔は、輪切りにされた身体の上半身が残した
――ただ一人、一本の槍にて、されど馬上にあれば、一騎当千
「ぐ、ぐぉぉ、強ぇぞ! 単騎駆けたぁ初めて見た! コイツは本物じゃ!」
「おぉ、血風…! 正に瞬く間に…!」
―
「血風! 血風の――!」
―
戦の雄叫びを上げながら兵士達が斬りこんだ。市街戦用の短槍を一列に、分けられた二つの隊は互いが互いを追い抜くよう交互に突撃を繰り返す
「うおりゃぁ! 手間をかけずに皆殺せぇ! 我等の援軍はあのドロアだぞ!」
ドロアただ一人に真っ二つにされていた賊の隊列に、それに耐える事は無理だった。元より何せずとも勝つべき相手、これ以上手間取る事は、ユイカの軍団として恥ずべき事だと、皆がそう思った。ただ単騎で駆け抜けていった強者の背中に、誰もが鼓舞され尽くしていた
ドロアはその気勢を背に馬を駆り続ける。ゆっくりと重々しく開いた口から、虎が大口を開けて吐くような熱の篭った吐息が零れ落ちた
(傭兵…賊め! よりにもよってここでか!)
できれば
できればここで戦うなと、そんな虫の良い話をドロアは願っていた。ここにはランが居る筈なのだ。冗談ではない
しかし国、城、町の破壊工作で市場が狙われない筈が無かった。とは言ってもラグランには主要な市場が約十二ほどあり、今ドロアが居るのはその中で最も規模の小さい場所。見落としてくれと願うのは、強ち希望的観測でもない
ドロアの動じぬ筈の将の器が、激しく急いているような気がした
それからドロアは暫く駆ける。市場と言うのは主要路以外は入り組んでいる物で、一々探し回らねばならない
流石に、気は逸る。だがジッとそれを噛み殺すのが、冷静と言う事だ。ドロアは争った痕跡しか残らないラグランの市場を駆け回った
其処にふと感じる気配。来る、と思った次の瞬間には、何者かが詰まれてあった木箱を吹き飛ばし、積土と岩で高く作られた高路から空を舞っている
騎馬だ。たった一騎。目を見張る大柄な馬で、その背では深い黒の瞳がドロアを見下ろしていた
「リーヴァッ!! 何故お前!」
「ほろあッ!!」
リーヴァ。彼女は何故か、口で手綱を操っている。空いた手には人の影。それがランだと気付いた瞬間、ドロアは猛然と走り続けるリーヴァに向かって駆ける
リーヴァの背後から、十数騎の騎兵が、激しい追撃をかけていたからだ
……………………………………………………
リーヴァの横に並んだドロアに、彼女はランを投げた。ドロアは口から胃が飛び出す思いでそれを受け止める。背筋が冷やりとした物だ。ドロアは、取り敢えず黙ってランの様子を確認する
矢を受けていた。しかし死にいたる傷は無い。本人も失神しているだけだ。だが、確かに女であるその身に、傷を受けていた
左の肩に矢傷。右手の小指が骨折。擦り傷、切り傷、火傷。ドロアは吼えた。糞どもが
リーヴァは自由になった手で豪奢な弓を構えていた。飾りが美しいだけではない、力強さのある強弓だ。女の細腕で引けるのかと疑問に思うそれを、しかしリーヴァは後ろを振り向き、手綱を口に銜えたまま引いて見せた
後ろの蝿をぶっ飛ばす。リーヴァの目は既に怒りに満ちている
「ほの……ふれいほんあッッ!!」 無礼者が
放たれた矢は確実に敵を貫く。それを確認すらしなかったドロアは、リーヴァが口に銜えた手綱を無理矢理引き剥がす
狭い道を選んで曲がった。この場は逃げ切るが先決である
「取り敢えず、何故お前がランさんと一緒に居たのか話せ」
ただ少し会い、ただ少し争い、ただ少し共に戦った相手を前に、双方ともまるで臆するところはなかった。旧知の友のような切り出し
ドロアがリーヴァの銜えていた手綱を無理矢理引き剥がす。ランは玉を抱えるように抱き込んだ。これ以上は、例え羽虫が噛む程度の傷ですら、付けさせてやらない覚悟だった
「ふぁんッ! …んっつ、随分な挨拶だな、久方ぶりの戦友を相手に」
「そんな物言いは似合わん、それより何故だ」
「別に意図していた訳ではない。その、お前が言うランと言うのを拾ったのは本当に偶然だ。逃げ遅れたらしくてな」
「…では」
肩に突き立った矢の具合を確かめた。浅い。そして、それ程時間も経っていない。肉が締まっていない今ならば比較的負担もなく抜ける
ドロアは馬上で器用に体勢を変えて、ランの口の中に指を入れる
「何故お前がこんな所で、しかも賊連中に追われている」
問答無用に引き抜いた。ランの身体が痙攣して、口に入ったドロアの指がガジリと噛まれた
「ふん、火付けをしようとしていた連中の頭を打ち抜いたのが気に入らなかったようでな、あの無礼者ども、しつこく追ってくる。ユイカの盟友としての責務を果たしただけなのだが」
「笑わせる。つまり、お前が勝手に首を突っ込んだと言う事か」
「そうとも言う。………む、別の道から先回りを狙ったか」
狭道から他の道と重なる所で、再び敵騎兵の姿が現れた。ドロアは凄まじい眼光でそれを睨む。リーヴァがもう一度矢を放った
俺が馬鹿だったのだとドロアは思った。抱えたランは、小さすぎる
リーヴァが苦々しく舌打ちして、しかし面白そうに言った
「姉か? どうせ縁者だろう。流石は“ドロア”の縁の者だ、大した胆力。そのランとやら、私が見つけた時、幼子を矢の雨から庇おうとしていた。いい根性だと本気で思うぞ」
その幼子は、既に事切れていたがな
つくづく、尽く、ランさんなのだとドロアは感じる。抱きしめる腕に自然、力が篭った
――己の馬鹿め
――この人を置いてなど、行けぬ
「リーヴァ、付いて来い! 逃げ切るぞ!」
「何…?! 無礼者、私に付いて来るのが順当だろうが!」
市場の入り口は近い。其処まで行けば、ユイカの軍団と合流できる公算がある
蹴散らすのはドロアにならば容易い事だ。事実リーヴァだって、今すぐあの賊どもを皆殺してこい、と平気で言う。だがランを抱えたままそんな事出来る筈も無かった。かと言って、ランを人任せにする事も、絶対にできなかった
結局後ろに纏わり付かれたまま駆け続ける。存外に足が速い連中。この市場の構造を予め調べつくした、緻密な速さだった
だが、ドロアは駆ける内に、遠目に一つの軍団を見つける。リーヴァはドロアよりももっと早く気付いた。そして、眉を顰めていた
「何だあの部隊は? 成りも旗も傷だらけだぞ」
ドロアには解る。鎧も、旗印も、何処も彼処も傷だらけの部隊
その先頭に立っているのは、目を血走らせたギルバートだ。ドロアが叫ぶ前に、ギルバートが叫んでいた
「行けぁッッ! 手前の尻の連中は、俺様とこの部隊が引き受けたァァーーッッ!!!!」
――ランク「最近影の薄いアイツ」→「血風ドロア」
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ギルバートこれマジ勇者。そしてカモールとエウリ影も形もなし。
また来月にでも(ry