「何がやりたいのだお前。復讐か。だが無理だな、ひ弱だ。止めておけ、哀れすぎて捨て置けん」
鋼のような肉体はまるで動かない。もがくエウリなど何処吹く風か、ドロアは小柄な体を持ち上げて部屋の中へ押し戻す
焦ったエウリは頭上に見えるドロアの顎に頭突きをかました。駄目だ、固すぎる。ドロアは無表情、この三日間でエウリが見た事もない表情だ。思わず肩が縮こまりそうになる
「ど、ドロアさん…」
「お前も何をしに此処に来たのだ。早く帰れ。話をする雰囲気でないのは見れば解るな」
「今日は、退けません!」
己の用事を思い出したカモールは退かない。「離せよ!」と騒ぎ立てようとしたエウリの口はドロアの大きな手によって塞がれた。無視して、机に打ち付けそうなほどカモールは頭を下げる
彼女には今日が最後の機である。ふと思い浮かべればルルガン王の顔。底意地の悪そうな笑みで、これ以上時間を掛けるな等とほざいた彼の王の事がある。今日が最後の機だ。今日以外ないのだ
「急の報せで私の部隊にも討伐の命が来たんです、本当なら既に動く局面で、無理を言って待って貰っている。…私は貴方の助力が欲しいんです、お願い、手伝って!」
「俺を雇うと言う事か。そうでないならば、お前に仕えよと言う事か」
「言い切れます、私には、貴方の支えが要る!」
ぐあ、と唐突にドロアが吼えた。エウリを抱く腕の力が強まって、骨格が変形するのではと言う錯覚すら起こさせる
カモールは飛び上がった。視線を逸らさないだけでも大した物だ。だってエウリは、ドロアの気迫に一発で足が震えだしたのだから
「動くべき時にここで油を売るのが兵士か! 端から俺に寄りかかって、貴様はこの先ユイカ軍団で何をする心算かぁッ!」
言う程本気で無いのはエウリにも解る。この男が本気で威圧すれば、遊び野にはしゃぎ回る幼子と変わり無い自分など、当の昔に腰が砕けて二度と立てない。ドロアの平常と変わりない息遣いも、それを示していた
だが強すぎる。カモールは歯を食い縛って足を床に叩きつけた。そうでもしなければ立っていられない。猛将の吼え声は、腹の底がぐちゃぐちゃになった気がする程に恐ろしい。力が抜け出す
「行け! 将であろう!」
決別の言葉に目が見開かれた。少し泣き顔。それを見たエウリは何故だか腹が立った。ドロアにであるが、そのまま走るように出て行ってしまうカモールにも腹が立った
頭突きを再び。今度はドロアの胸に何度も何度も叩きつけて、漸くその拘束を解かせる。否、解いてもらった、が正しい。鋼鉄のような胸を打った額の肉が赤くなった
「馬鹿! 大馬鹿野郎! アンタやっぱり冷たいよ!」
何故あんな風に突き放してしまえるんだ。絶対に納得がいかない
一瞬だけ、仇討ちだの帰る場所だの震える足だの、そう言う事が頭から吹っ飛ぶ。怒鳴りつけた後にハッと気付いて、ドロアに掴まれた手を振り払う
馬鹿、何を気にしている。そんな余裕があるものか。今は余分な事は考えるな
握り締めた毒の短剣。ここに復讐の刃。一度ギッと歯を食いしばってから、行かねばとエウリは踵を返した
「行くな、行けば死ぬぞ、むざむざと死ぬな。…兵士でも何でも無いお前を、死なせたくはない」
「関係あるもんか!」
「仇討ちとは例えどんな結果になろうと後に何も残らぬ物。ましてや私怨で動くなら、最早道は無いぞ」
「私怨なんかじゃない!」
エウリは外に走り出しながら言った。騒いでいた心が静まったような気がする。今ならば、ハッキリと言えるだろう
「決着をつける…! 復讐なんて、呼ばないからな!」
オリジナル逆行15
「馬鹿者!」
外にエウリを追いかけてみれば、エウリは動転するカモールに構わず、彼女の駆る馬の尻に飛び乗っていた
制止するカモールに二、三言懇願。カモールは動揺しながらも、それでエウリを乗せたまま走り出す
どれ程早く走ろうが、人の足では馬に追いつけない。ドロアは舌打ち一つで踵を返し、家の中へと入った
「ランさん」
死なせる訳には、いかんよな。ドロアは壁の長刃槍を取りながらランを呼ぶ。次いで篭手に具足。鎧は纏わずとも、着ている服は元より刀槍の類を通さぬ戦衣だ
戦の備え。そして滑り止めの荒皮を手にはめ込んでいる最中、ドロアは気付いた。家の何処にも、ランの気配が無い
「…ランさん?!」
何故居らぬ。答えには、一瞬で辿り着いた
買い物に出掛けたままか! ドロアは転がるような慌てぶりで外に躍り出た
不覚。エウリとカモールに気を取られすぎて、ランの不在に気付かなかった。よくよく考えれば、例えランが家の何処に居ようと、あれだけ騒いでおいて様子を見に来ない筈が無い。ドロアは焦り、つないであった馬の縄を解くのももどかしく断ち切る
(おのれ…! 争いに巻き込まれているとは限らんが…! 無事で居れ、絶対に死んでくれるなよ!)
ランの無事の確保。何よりもそれが最優先だ。エウリは何の心算か知らぬがカモールが共に居る、早々簡単に死んだりはすまい
…カモール自身はどうした物か。そう今更思いつつ、ドロアは怒号で市民を追い散らしながら、猛烈な勢いで市場へと馬を駆った
……………………………………………………
「あぁ畜生め! 逃足ばかり速ぇ野郎だ、傭兵ってのは!!
腕を落とされ逃げ出すアイゲンを、しかしギルバートは追えない
乱戦になった兵達を纏め、残敵を殲滅し、追撃はその後だ。苛立たしげにギルバートは下知を下した
「隊伍を組めぃ! 俺に合流しつつ敵を殺しつくせ、その後直ぐに追撃じゃぁッ!」
言いながらも一人、二人と斬り倒す。雑魚では相手にならぬ故に、捨て置いてアイゲンを追えない事が余計にもどかしかった
ふと、カシムが馬で駆けて来るのが見えた。後ろに伝令を連れている。ギルバートはカシムに背を向けたまま、当たる所やたらめったらに巨剣を振り回し続ける。涼しい顔で口を開くカシム
「そんなに焦らずとも良い。アイゲンに血を止め、体力を回復させる間をくれてやれ。この場は奴を逃亡させろ」
それを聞いたギルバートの頭に一瞬で血が上りきった。この期に及んで何を言いやがるか、敵を見逃せと言うのか
そうやって怒鳴りつけようとしてギルバートは踏み止まる
待て、怒鳴るだけでは成長しない。学び、覚えよ。まずはこのカシムと言う軍師を信じることを覚えよ!
「…ッ! 手前! この野郎! したり顔で! 語りやがって! そうすりゃ! 残りの連中すらも! 燻り出せると! そう言う事か?!」
天を振り仰いでぬがぁ、と吼えるギルバートに、カシムは笑って見せた
「はっは! どうにも貴殿は、根を根絶するよりも先んじて防ぐ戦をしたいようだな。確かに被害は出んが、それでは何時までも懸念の種を抱えたままだぞ。時には割り切れ」
巨剣を振り翳し、再び敵と真向から切り結びつつ、ギルバートは怒鳴った
「…ケッ、良く知りもせん癖に俺を語るんじゃねぇ、簡単に御せるなんて思うなよ」
――
「うら行くぞォッ!」
そう言って先頭切って走り出すギルバートの横を、カシムは馬で追随した
今の戦闘で馬を失った者は多く出た。殺されたり逃げ散ったりで、元の半数以下しか戦馬が残っていない。これは予想された事態だが、こうなってしまっては騎馬隊として機能するのは無理である
結局、ギルバートは残っていた馬も捨てさせた。カシムと伝令以外の実戦部隊は全て徒歩となり、それでも猛烈な勢いで進軍し始めた
カシムは一応ギルバートだけでも馬に乗せようとしたが、他ならぬギルバート自身がそれを拒んだ。地に足をつけて戦う感覚を好んだからであった
「早馬飛ばし、一応の避難勧告が終了したぞ。これより先、目に映る者はほぼ敵と断じて間違いない」
カシムは伝令二名に複数言い含める。伝令達は一礼し、直ぐに走り出した。本来伝令はもっと大勢を用意し、多方向に向けて何度も放つ物だが、ここは王都ラグランだ。ユイカ軍の庭と言っても良い
カシムの周囲には何時も最低四騎侍っており、それらが行ったり来たりで忙しく走り回っていた
「親父からか?」
「『アルバート殿』からだ」
「あぁ、そうかよ。それで、次は何をしろと?」
「『不治の病の如くアイゲンに張り付き、襲撃し続けろ』と。それだけ果たせば、他は何とかしてくれるそうだ」
「おうおう、そりゃご親切な事だぜ」
火吹き酒でも含んだかのような苦り顔で、ギルバートは言う。カシムは無表情のままだ。無表情のまま、どうにも大人に成りきれないギルバートを見た
反抗期とか、そんな類の言葉は、将と言う立ち位置を考えれば吐けないし、事実ギルバートは吐いていない。だがどうにもギルバートの中には、アルバートに対して劣等感に似た負い目がある。そしてギルバートは立場を考えて刃向かわないが、反発はしていた
心を覆って働かねばならない身としては他に無い程未熟。才覚溢れながらも感情に正直過ぎ、達観した部分が無い。一軍を率いるには、もっと年をとらねばならないなとカシムは評した
またもや伝令が駆けて来た。耳打ちしてきた伝令にカシムは一寸黙考し、大声で伝えよと命令した
「はッ! …早くも賊軍、動き出して御座います! 市外、軍舎など含め、決起地点は三十以上に及ぶ模様! 総計として敵は、当初の予想の五倍に及ぶ五百以上かと! 現在は各地域の部隊が即応し、激しい戦闘を繰り広げております!」
五百。目を剥くギルバートを、カシムは黙って観察した
五百の傭兵の決起。凄まじい話であった、真実ならば今動員されて居る兵力では足りなくなる。ギルバートが如何断ずるのか、それをカシムは見たかった
「………嘘だな! 偽報、撹乱は傭兵の十八番、信じる方がどうかしてるぜ!」
数は五百等と言う人数より、絶対に少ない。どれ程多かろうとその半数以下。五百もの傭兵がラグランで不穏な動きをすれば、絶対に気付かない筈が無いからだ
カシムはギルバートの答えを見届けると馬首を返した
それなりに、満足だった
「そろそろアルバート殿はそれがしに兵を動かせと仰るだろう。先んじて屯所の本部に戻っておく事にする」
「…あぁ? ……結局何しに来たんだよ、一体」
「何、ただの道案内よ。武運を祈るぞ、ギルバート殿」
……………………………………………………
国の力を削ぐ、と言うなら、焼く。田を焼き、家を焼き、兵器を焼き、城門を焼き、兎に角焼くのが手っ取り早い。当然、傭兵だって焼こうとする
しかしそんな真似を『大盾』のアルバートが許す筈も無かった。緻密に敵の位置を調べ、監視させ、兵士を即応させる。火計の九割を、堅忍不抜の兵を率いる将は、阻止していた
だが全てに対応すると言うのもどだい無理な話。特に人が多数集まる市街地等は
突如として火の手が上がり、兵士と傭兵が切り結び始めた市場でまずランがした事は、近くにいた少年少女の首根っこを引っ掴んで、適当な家屋に放り込む事だった
「逃げろ! 家に立て篭もって鍵を掛けろ! 家の燃える物は駆けに駆け、屯所で保護を求めろ! 兎に角逃げろぉッ!!」
兵士の叫ぶ言葉に、それならこんな所で戦うな
ランはそう言えなかった。そんな暇が無かったからだ。兎に角逃げねばならなかった。それしか生きる道が無い。買い求めた肉も包丁も放り出して逃げなければ、死ぬ。逃げ惑うのはランだけでなく、市場にごった返していた人々も同様だった
何時の間に現れたのか、其処彼処で切り結ぶ阿呆ども。何故こんな所で、何故そんな風に戦う。無辜の民を巻き込んで楽しいか
市場の入り口にはポツンと似つかわしくない酒場があった。ラグラン自体、他と比較して酒場の多い都であるが、気が動転して如何にも訳が解らないランは、そこの扉に体当たりするようにして転がり込む
膝が震えているのが自覚できた。今まで生きてきた内で、初めての経験。全く見知らぬ空気
(何だこれ、何だこれ!)
四つん這いのまま、主人すら店を捨てて逃げたか無人の酒場の奥を目指し、裏口を探す。例え気が動転していても、本能的に生きようと――逃げようとする。直ぐにそれは見つかった。しかし
開かない。固く閉じられている。華奢な女のランでは、破る事など出来そうもなかった
息が急に荒くなった。先程まででも荒かったが、この荒さは先程までとは全く違う。手取りにされた魚がのたうって暴れる様に似ている
ランは開かぬ裏口の扉に背を預け、必死に呼吸を整えようとした
(戻るのか、外に)
行けぬなら退くしかない。隠れていたって危険だ。この酒場にも、火がかけられるかも知れない。だが、外では争いが続いている筈だ。剣戟の音と刀槍の煌きが恐ろしくて、とても行けた物ではない
普通の、女なら。だがランは胆があった。ランはその胆に、己の身命を掛ける気になった
「…嫌だ…! 治るって言われたんだ、私の胸…!」
死ぬもんか
――ランク「引く手あまた」→「最近影の薄いアイツ」
…………………
如何見てもギルバートが主人公です本当にありがとうございました
ギルバートはもう苦悩する主人公担当で