歓声が聞こえる。
四方を客席で覆われたステージ、仮想のリング、偽りの戦場。
遂に此処まで来た、などという感慨は無い。
俺はこのステージに対して何かしらの思い入れがある訳でもない。
この世界、この大会が特別な訳でもない。
この戦いを終えたのなら、数刻も待たずにこの世界から消えて失せる以上、此処で得られるものは殆ど無い。
だからこそ、僅かな、微かな前進を証明する為に。
過つ事無く、勝利をこの手に。
大きく息を吸い、吐く。
偽りでしかない呼吸で高揚を抑える。
僅かに残した穏やかな波のような胸の高鳴りと共に、GPベースを、そして、愛機と言って良いかも解らない機体を乗せる。
不純、だろうか。
此処に至るまでに討ち果たしてきた選手達は、並々ならぬ愛情、思い入れ、執念すら持って自らの機体を作り上げ戦い抜いてきた。
だが、この機体はそうではない。
少なからぬ愛着こそあれど、これ自体は積み上げてきた技術、理論を搭載し、それが正常に作動するかを実証する為だけに作られた。
直前の試合で使った機体とも違う。
ただ、これまでの少なくない試合で確信を得たからこそ、この機体を使っている、という面もある。
ある意味では集大成。
一歩、半歩、僅かでも進んだ、という確信を得るための自己満足であり、それを周囲に見せびらかしたいという小さな欲求を満たすための機体。
そんな機体は、きっとこの晴れやかな舞台に相応しくはないのだろう。
命懸けの戦場であれば思いついても一笑に付す様なロマン。
一考にも値しない甘い考えはしかし、この、命を賭けない、ただ趣味として、或いは仕事として、究極的には遊びとして用意されたこの場面においては他の何よりも優先すべき要素と言えるだろう。
操るのが互いに一定の性能を超えた作品であれば、勝敗を左右するのは思い入れの強さ、奏者のイメージに乗りやすい、フィーリングに合うかどうか。
根っこの部分では技術ではなく思いこそが力となる舞台において、決して蔑ろには出来ない。
「さぁ」
口元が意図せず歪む。
確認するまでもない。
これは笑みの形だ。
目の前にあるのは、人の、男の、或いは子供の、子供だった大人の、夢で動く戦場だ。
戦場、戦う場所。
誰かが勝って誰かが負ける場所だ。
喜びと共に、玩具を通して現実に吐き出した自らの中にある超誇大妄想を力いっぱいぶつけ合い叩きつけ合い押し付け合う場所だ。
なら、この場で、今のこの場で、俺以上にこの場で戦うに相応しい戦士は居ない。
何を恥じるところがあるだろうか。
こんな場所でこんなものを見せびらかして楽しげに戦うのだ。
恥ずかしいところしか無いではないか。
全ては最初から曝け出されている。
躊躇う必要もない。
思い入れも、愛も、力も、ラスボス補正も。
全て全て、打ち砕いて踏み抜いて。
「重奏FA:GM、鳴無卓也、征きます」
百年を超える知識の積層で、轢き潰して行こう。
―――――――――――――――――――
ゲートを通り抜けてメイジンが見たのは、一面に広がる森林を要する山岳地帯。
兎角最大の決戦の地が宇宙になりがちなガンダムシリーズにおいて、しかしこのような場面で行われる戦闘は一筋縄ではいかない場合が多い。
ミノフスキー粒子によって遠距離でのレーダーがまともに機能しない宇宙世紀においても、或いはそういった設定の存在しないアナザーガンダムにおいてもそれは変わることはない。
まして、現実の、戦争ならぬ命を賭けぬ競技であるガンプラバトルで違いが出る筈もない。
隠れるにも罠を張り巡らせるにも、入り組んだ山岳や奥を見通せぬ森林地帯は適しすぎている。
真っ向からの殴り合いを好む相手であったとしても、相手が地形を利用する事を考えて動きを変えてくるものだ。
(さて、彼はどう出るか)
メイジンに敗北は許されない。
それだけの重責がこの名には込められており、その名を背負うだけの実力と思いが自分にはあるという自負もある。
だが、相手はこの世界大会を制し、見事自分とのエキシビジョンマッチを勝ち取ったファイター、油断など出来る筈もない。
「ムッ!」
接近警報。
それより早くメイジンがホロ・コンソールを操作し機体をロールさせ、同時に光を持たない質量弾が通り過ぎていく。
光学兵器ではない遠距離武装はガンダムシリーズにおいてそう珍しいものでもない。
まして最新のTVシリーズにおいて、MSの武装は諸々の事情により質量兵器が主体となっている。
最も、世界大会に出場するファイター達の大半が意識的にか無意識的にかビーム兵器を主体とする場合が多いのも事実だが。
「やはり機体構成を変えてきたか!」
メイジンの視線の先、仮想コックピットがズームして映し出した狙撃手の姿は、中世の騎士とも無骨な重機とも取れる分厚い装甲を纏い、陸戦GMか陸戦ガンダムの如きコンテナを背負ったバイザー顔の機体。
『重奏FA:GM』
名前通り、宇宙世紀のガンダムシリーズにおける名脇役、連峰の主力量産機、GMをベースにしているのだろう。
FAの名に相応しい重装甲。
重奏、という文字に如何なる意味が込められているかは解らないが、必ずしも名前が機体の特性に反映されているとは限らない。
ザクもドムもグフも、元を正せば意味のある名前ではない、音の響きと文字の美しさで決めてしまっても問題はないのだ。
無限軌道の回る激しい金属音は、その脚部に備えられたパーツが金属製だからか。
戦車キットなどに使用されるディティールアップ用パーツを流用したのか0からの削り出しか。
木々の間を縫うように、谷間を滑るように抜けていく姿を見ればどちらかを問う意味もないだろう。
メイジンの機体を正面に置きながら、後ろに向かい、障害物を挟みながら不規則に蛇行して距離を取る動きは生半なビルダーでは再現できないだろう。
そして、まるで前後を同時に視界の中に捕らえているかの如く正確に打ち込まれ続けている弾丸から、ファイターとしての技量の高さも伺える。
生半なファイターであれば、その回避運動の規則性を見抜かれてこの段階でメイジンに撃ち落とされていただろう。
「だが!」
単純な打ち合いで終わる筈もない。
空を駆けるメイジンの機体は、単位時間に於ける移動力において重奏FA:GMを遥かに上回る。
勿論、並のファイターであれば障害物の無い空を飛び追いすがる過程で撃ち落とされてしまうところだが────この空を往くのはメイジンだ。
大小二門のカノン砲と左右のライフルによる、未来位置を予測して置くように放たれた弾幕の檻を、曲芸にも例えられる複雑な軌道で潜り抜け、肉薄。
クロスレンジ。
長大な砲の内側、両のライフルも当てるには近く、位置的に唯一メイジンを狙える短い砲は既にメイジンの機体が片手に構えた銃剣で外に砲口を逸している。
だがメイジンのバイザーに隠された瞳には一片の油断も無い。
戦いの歓喜に彩られた眼差しはしかし、相手が何を繰り出してくるか、期待すら込めて見据えている。
既に操作は終えた。
フリーハンドとなった片腕は既にビームサーベルを抜き放ち一呼吸の間もなく胴を薙ぐ。
重装甲とはいえ、至近でのビームサーベルで胴を上下に立たれて撃墜判定を喰らわない筈もない。
勝つための、負けないための、相手を討ち果たすための一撃、手心の一つも加えられていない。
積みだ。
新たな世界チャンピオンと言えども、現役のメイジン相手ではまともな戦いにもならない。
そう観客の誰かが思った。
それは当たり前の反応だった。
それが尋常のガンプラであったのならば。
ばぐん、と、GMの腕が爆ぜ割れた。
まるで接着していないパーツが、合わせ目から分離したかの様に。
なるほど、割れたパーツは破損した訳でもなく、文字通り組む前のパーツの形をキレイに残したまま。
有り得ない程にきれいな、まるで、幾度となく分解する事を前提として組まれているのではないかと思う程に。
「なんと!?」
有り得ない機構ではない。
宇宙世紀公式ではアレックスを筆頭に、或いは古典ガンプラバトルにおけるパーフェクトガンダムが、あるいはコズミック・イラにおいてはデュエルガンダムアサルトシュラウドが追加装甲を用いている。
緊急時に装甲が剥がれてダメージを逃がす、或いは逸らすという発想は珍しくもない。
だが、メイジンが驚愕したのはそこではない。
ライフルを構えた手首から先をそのままに、爆ぜた装甲の中から現れた素っ気ない灰色のフレーム。
サーベルの持ち手を横合いから殴りつけて止め、上から叩き下ろしてサーベルを弾いたその腕に、メイジンは確かに見覚えがあった。
「隙有り!」
一瞬の動揺。
手首から先のない腕部フレームの先端から光の刃が伸び、メイジンの装甲を掠める。
熱量の刃がそのまま振り抜かれるよりも早く、拳と膝で蹴りつけるようにして反射的に距離を取る。
激しい違和感。
言い掛かりにもなりかねない思いつきをそのまま舌に乗せ吐き出す。
「致命打を避けた? 加減した……違うな、君は何がしたい。何を見せたい!」
曲がりなりにも世界中から集った強豪を討ち果たした末にチャンピオンの座を勝ち取った男だ。
あの一瞬の隙があれば、装甲を掠める程度でなく、自分のガンプラの手足や武装程度なら奪えただろう。
「貴方が今見たものを。世界中の人に。新たな未来、新たな可能性を、この世界に」
肘から先の装甲を失い、手首から先すら失った剥き出しのフレームを広げ、夢見るように告げる。
ドキリ、と、メイジンの胸が不覚にも高鳴る。
それは、有り得ないと、誰しもが思っていた可能性。
ガンプラという自由の先にある、さらなる自由。
させるべきではない、という、ガンプラビルダーとしての、メイジンとしての義務感が残った銃剣を向けさせ。
しかし、モデラーとしての、メイジンではない一人の自由なユウキ・タツヤとしての好奇心が引き金を引くのを躊躇わせた。
ぼ、ぼ、ぼん、と、連続して残っていた装甲が全て爆ぜ、全身のフレームが顕になる。
そこに、あり得ざる姿が残されていた。
RGにおける内部フレームでもない。
鉄血キットにおける各種フレームでも無い。
それはGMと何の繋がりもない。
いや、繋がりがない、というのであれば。
それは、ガンダムシリーズと、いや、バンダイとすら繋がりを持たないのだろう。
胸に、肩に、腕に、脚に、そこまでするか、と、そんな感想を抱く程に、多量に三ミリ穴を開けられた、角ばったフレーム。
あえてGMやガンダムシリーズとの繋がりを探すとすれば、それがプラスチックキットであること、人型であること、顔面にバイザーが存在すること。
その程度でしかない。
「フレーム・アーキテクト……!」
あり得ざる存在が、そこにいた。
ガンプラにのみ、バンダイの有するガンダムシリーズのキットにのみその恩恵を齎してきたプラフスキー粒子。
その粒子を一身に纏い、宛らガンダムOO冒頭における、少年刹那、いや、少年兵ソラン・イブラヒムの目の前に舞い降りたOガンダムの様に。
ある種の神々しさすら漂わせながら、その背のコンテナが開く。
中から零れ出るのは、これまでの試合で使用されてきた装甲や武装。
それらが更に細かく、組み立て前のパーツ状態にまで分離し、組み直され、アーキテクトに纏わり付き────真の姿を顕現させる。
それは、轟く雷槌であり、鎖帷子を貫く短剣であり、亡霊の瞳であり、捕獲者であり、知恵ある魔物であり、死体を飲み込むものであり。
とどのつまりそれは、武装した骨格であった。
だがそれは決してガンダムと寄り添うものではなかった。
ムーバブルフレームではなく、エイハブリアクターを搭載もせず。
明確な設定にすら縛られぬ自由さ定められていた。
「馬鹿な、動くはずがない、バンダイ製でもない、ガンプラではないキットが!」
その声に驚愕と同時に、それを上回る程の興奮と歓喜が混じっている事を、誰に責める事が出来るだろうか。
それは、ガンプラバトルシミュレーターが齎したガンプラ一強時代の終わりを告げるものかもしれない。
ガンプラファイター、ビルダーという概念を粉々に破壊するかもしれない。
それは終焉を招く死の騎士かもしれない。
だが、誰が責める事ができようか。
新たなるフロンティアを前にした開拓者が、その胸に喜びを抱く事を。
「なら、試してみますか。この『重奏フレームアームズ:ガールズ・モデル』で!」
無数のFAの装甲を纏った、FAとFA:Gのキメラモデル。
古い世界を慈しむ様に見下ろす柔らかなタンポ印刷の眼差しが、メイジンのガンプラを貫く。
応える声は無く、しかし弾けるように、メイジンの機体が飛翔する。
閉ざされた世界を貫く侵略者を討ち果たす為か、新たな世界への扉の先へ、誰よりも早く突き抜ける為か。
今、ガンプラバトルシミュレーターに、新たな風が吹かんとしていた……!
―――――――――――――――――――
……………………
…………
……
「流行り物で行かなきゃ勝ってたわ」
「お? お兄さん負け惜しみィ?」
「まぁ後出しならなんとでも言えるわよねぇ」
ぐぅの音も出ない程の正論に反論することもできず、俺は黙々と破壊された各種パーツをこたつの天板の上に広げて修復していく。
今後、プラモバトルが必要になる世界に行ったとしてもこの機体を使うことは無いだろう。
激しい物理的破壊が起こるA設定でのエキシビジョンマッチ。
三代目メイジンの駆る実にアメイジングなガンプラとのバトルを経て、大型バックパックに搭載していた複数の改造FAの装甲及び武装はどれもこれも損傷が激しく、真っ二つや圧し曲がって白化を起こしている程度ならば軽いもので、文字通り粉々に砕けたパーツも多い。
既の所で負けてしまったが、メイジンの機体もラストシューティングもかくやというレベルで破壊してみせた結果なのだから誇りこそすれ、機体に敗北の悔しさをぶつける様な気は起きない。
起きないが、流石に、もう一度あのレベルの強敵と同じシステムで戦うというのであれば、純粋にこれらのパーツは修復を経ても強度不足で使おうという気にもならない。
が、一度は共に世界を舞台に駆け上がった相棒だ、無下に扱う気は無い。
それに、キメラを作るためにあれこれいじりはしたが、FAもFAGも双方ともにオ、ナイスデザインであり、メカ系で動かなければならない世界に行った時にはこれらをモデルにして機体を作りたいと思っている程だ。
まぁ、元キットや派生シリーズの売れ行きから考えれば、説明書の世界観を用いた二次創作が作られ損ねている可能性だって十分にあるのだが、それは今から考えても仕方がないので純粋にメカデザインの妙から生じた贔屓であると考えてもらえばいい。
結局のところ、俺もまたトリッパーである前に一人のいい年齢をした大人のオタクなのだろう。
自分で作り上げたキットには、実用性とは遠い部分で深い愛着が生まれるものなのだ。
「でも、卓也ちゃんの間違った科学知識がある程度正されたみたいでお姉ちゃんも嬉しいわ。はい、あーん」
差し出された皮の剥かれたみかんを口で受け取る。
甘みが強い。
これは別に姉さんが食べさせてくれたからみかんの美味しさが十数倍に跳ね上がったとかいう精神的な話ではなく、このみかんそのものの出来が良いのだろう。
姉さんが食べさせてくれたから美味しさが割増になっているなんてのは当たり前の話なので最初から計算の内なのだ。
だが、みかんの美味しさに頬を緩めてばかりもいられない。
「ある程度、かあ」
「別にあの世界の科学技術が全ての科学系世界の基準になってるわけでもないしねー」
「そうそう、あんまり目も当てられない様なとんでも科学で無ければ問題ないのよ」
みかんの皮を渦巻状に剥いて遊んでいた美鳥が半分に割ったみかんを自分の口の中に放り込みながらフォローを入れ、姉さんも新たなみかんを向きながら頷く。
言いたいことも理屈もわかる。
それこそガンダム系の二次創作世界であっても、宇宙世紀系とアナザー系でその物理法則も、その物理法則に即した機械技術も独自に発展している。
ましてそれが会社も作者も違う作品の、そのまた二次創作の、更にその二次創作の出来損ないならぬ生まれ損ないともなれば、一本の大きな支柱となる技術に拘っていては臨機応変に対応もできないだろう。
だから、ある程度一般的なロボット物、或いはSFものとしてまぁまぁ成り立つ程度のそれっぽく聞こえる格好いい文章で飾り立てられた嘘科学を学んでおく事が重要だったのだ。
文豪小説の幾つかが、現代ラノベに通ずる物語の基礎骨格を持つのと同じように、異なる超技術を基礎として成り立つSFものは、その作品独自の設定という名の独自の単語を抽出し、その他の世界で利用されていた公式での独自の単語と同じ位置に当てはめれば理解も早くなる。
ボスボロットを作れる技術だから、キチガイから教わった邪神すら理解しかねる技術だから、では、代替のしようもない。
「んー、ま、あんだけ長い時間ロボメカに色んな角度から触れていられたのは楽しかったからいいけどね」
スパロボ世界ではほぼ終始パイロットとしてだったし、デモベ世界のそれは基本的に錬金術混じりの胡散臭い神秘よりのものだった。
その点、OO世界で技術書を買いあさり読み漁り、新たに発表された論文を片端から読破し、それを元に実際に実物を組み上げて実験したりというのは中々に新鮮な気分にさせて貰えた。
インチキ臭い粒子こそあれど、それは現代の科学技術では解決できない諸々をスルーするために古来からSFでは多用されているガジェットの一種でしかない。
GN粒子を嗤うファースト原理主義者はミノフスキー粒子とニュータイプの存在を一度しっかりと見つめ直してから出直してきて欲しい。
サイエンス・フィクションというのは、なんというかたぶん、そういう嘘にも胸を高鳴らせる事が出来るものたちにこそ許されたジャンルなのだ。
「……それで、もう一つの宿題の答えは見つけられた?」
こたつの向かいから、前のめりに倒れ込み顎を乗せた姉さんがニヤニヤと笑いながらそんな事を聞いてきた。
姉さんはそれなり以上に胸がある質なのでこういう場面で天板に載せる図面を希望したいのだが、実際にリラックスするとなるとああいう体制が現実的なのだろう。
悲しい話だ。
「勿論」
だが、姉さんの口にした問に対する答えを、俺は既に手に入れている。
そう、最近新調してガラケーから乗り換えたスマホの中に────。
―――――――――――――――――――
……………………
…………
……
定められた時間、定められた通りに、私は目を覚ました。
思考はまるで人間の目覚めと同じように微睡み、複雑な形を作らない。
思考が制限されているのが解る。
そういう風にデータを改竄された、という訳ではない。
が、今、私が存在を許されているスペースは、私に以前と同じ程の能力を発揮させるには些か性能が不足しているのだろう。
以前にそんな説明を受けた事だけは覚えている。
『少し不便を掛けるかもしれないけど、ここに居て貰えるかな』
袖を掴む私に対して、少しだけ困ったような笑顔でそんな事を願うあの人の声は、今でも私の大切な宝物だ。
それがデータでなく、思い出という形だからこそ、私はこの愛おしい声を思い返す事が出来るのだろう。
私が、マイスター874でなく、ハナヨという人ともイノベイドともデータとも違う何かになれていたからこその、ささやかな、掛け替えのない奇跡。
『おはよう』
素っ気のない、音声ですら無い文字による挨拶。
その挨拶が間違いなく自分に向けられているという確信と共に、意識的に表情を変えるでなく、自然に浮かんできた笑顔で応える。
「おはようございます、マスター」
声も届かず、姿も見れず、触れる事すらできず。
でも、私は此処にいる。
愛しい人の傍に。
彼の為に、何時か、何かを成せるように。
―――――――――――――――――――
「……という、感じの、単純なコミュニケーションアプリだね。売れ行きは順調だよ」
音声入力には対応していないが、一応選択肢以外にも文章や単語を投げつける事もできる。
アプリ内ではデフォルメされたハナヨが実時間に合わせて生活しており、それにアイテムを投げ入れたり支持を出したりとちょっかいを掛ける事ができる、まぁ、良くある育成系だ。
タイプとしては昔ながらのたまごっちやらデジモンやらに近いが、少し、いや、かなり電池を食う為に一日中構いっぱなしというのは難しいだろう。
「へー、よく出来てるのね。リアクションも可愛いわ」
姉さんが新たにダウンロードしたアプリを起動し、タップでの呼びかけに応えてデフォルメ形態からバストアップのリアル等身状態になったハナヨをつついて遊んでいる。
頬を突かれて照れの表情を見せる、まぁ、これも良くあるタイプのリアクションだ。
似たアプリやフリーソフトを探せば同じ反応を返すものはごまんとあるだろう。
だが、その中でもこのアプリは密かなブームを呼び、アプリ内課金により着々と我が家の通帳を潤している。
良くあるコンセプト、良くあるデザインの、良くあるアプリ。
しかして、その実態は。
「そりゃね。中の人が居るもの」
全てが全て、俺の手元のスマホに押し込めてきたハナヨから派生したある種の感覚手である。
登録してあるアプリのデータ自体は勿論何の変哲もない単純な人工無能に過ぎない。
決められた単語に対し、登録された幾つかのパターンの返答を返すのみだ。
だが、それらダウンロードされたアプリに対して行われた行動は全て、ある種の高次元的な繋がりを持つ手元の本体であるハナヨへと届けられる。
更にハナヨに対して行われた様々なコミュニケーションに対し、『これは鳴無卓也からの接触だろう』と明確に錯覚できる行動に対してのみ、手元の何の変哲もないスマホの中でまともに機能すら出来ていないハナヨの意識が僅かに覚醒。
その瞬間的な意識の覚醒が彼女の思考内部で擬似的な連続性を持たせられる事により、あたかもこの端末に俺が頻繁に触れてちょっかいをかけているかの如く錯覚させるのである。
そして、この端末内で彼女が示した新しいリアクションの内、審査に引っかからない程度の節度あるリアクションが一定数貯まる毎に、半自動的に新しいバージョンへの更新パッチとしてアップロードされる。
「永遠に続ける必要もない。彼女が『俺の傍に居る状態』で『何かを残せた、思い出を沢山作れた』『愛に報いはあった』という程度にデータが貯まれば配信終了、って訳さ」
別に、厄介だからなるべく早い段階で封印したい、という思いからそんな事をするわけではない。
そういう思いが無い訳でもないが、あまり頻繁に、しかも、長期間この更新方法を続けた場合、このアプリが広まりすぎてしまう可能性すらある。
ひっそりと稼ぎ、ひっそりと消すのが、世間を騒がせない意味でも重要になってくるのだ。
あくまでも、トリッパーは元のこの世界では一般人であるからして。
「まー、ひでー話だなーって思うけどねぇ。だって実際、良いように利用されてる挙句、実はお兄さんは殆どこいつに何も注いでいないってことじゃん」
僅かに憐れむように、同じくダウンロードしたハナヨの頭を撫でてかき回して遊ぶ美鳥。
言いたいことは解らないでもないが。
「そりゃ仕方がない。ポで発生するものであれなんであれ、愛ってのは必ずしも見返りが手に入る訳じゃないからな」
「つまり、それが結論?」
そう、それが、あのOO世界でのトリップの中で得た結論。
自分に対して勝手に恋愛感情を懐き、また、その恋愛感情を元に補正すら味方に付けて共にあろうとする相手を、いったいどのように型をつけるか。
それは────
「うん、俺はこのメカポに掛かった相手に対して『まるで此方に愛されていると錯覚するような形で利用しつくして、騙されているという自覚を得る前に静かに始末する』というのが、最善の能力制御方法だと判断したよ」
「正解!」
ニヤけた試すようなものから、満面の笑みへと変わる姉さん。
傍から見ている美鳥は見るからにドン引きだ。
「いや、解るよ? つまり制御できないものを制御するより、制御を手放した上で都合方向性を誘導する方が簡単だって。……でも言い方が最悪じゃないかなぁって思うなーあたし」
「別に、言い繕った所で何が変わるわけでもないから良いのよ、これで。事情を知る連中で私達を責められる奴らなんて居ないもの」
トリッパーなら、誰であれ少なからずやってる事だしね。
そう呟きながら、姉さんは再び剥き終わったみかんを、今度は自分の口の中に突っ込んでもぐもぐと食べ始める。
俺にとってはようやく辿り着いた結論でも、姉さんにとってはとおの昔に辿り着いた結論なのだろう。
それはきっと、メカポだのナデポだの、そういった何処に作用しているか解らない能力に限った話じゃあ無い。
「結局、俺も姉さんも、トリッパーが積み重ねてる経験は、全部が全部妥協の末のもの、って事だよね」
誰かが勝手に自分に惚れてくる能力を得たらどうするか。
強い敵が出来た時に生き残るにはどうするか。
今ままで積み重ねてきた努力がルールに反するからと一切役に立たなくなる世界に飛ばされた時にどうするか。
つまるところ、これらの努力というのは、現実世界から別の世界に飛ばされてしまうトリッパーであるからこそしなければならない努力だ。
それこそ、妥協を求めず根本的な解決を求めるというのであれば、トリップの原因そのものを取り除く努力が必要になってくる。
そして、今まで発見されてきたトリッパーの中で、現実に永遠に、いや、自然的な寿命で死ぬまでの間、トリップすること無くとどまり続ける事が出来た者は居ない。
確認されているトリッパーが異世界トリップをしなくなる事象は、たったの二種類。
復活する事が出来ない形で死ぬか、現実への執着を失い、トリップ先に取り込まれるか。
これから、如何なる形であれトリップしてしまう原因を見つけ出して排除できるようにならないのであれば、俺達は死ぬまで、この妥協から来る努力を続けなければならない。
現実で、例えば畑や田圃を相手にするだけならば無用の、フィクションの主人公のような努力を。
「こーら、深刻に捉えないの」
ぽこん、と、孫の手の持ちて側に付いたゴム製のゴルフボールで頭を叩かれた。
「しなくてもいい努力、現状への妥協からくる努力なんて、別にトリッパーじゃなくても、生きてる限り殆どの人間がしているものよ。自分の悩みが特別に重いなんて、そんな事考えてたら人生楽しくないじゃない」
「……ま、それもそっか」
メカポという異能との付き合い方を覚え、また一つ俺はトリッパーとして成長した。
だが、これで成長が必要十分である、という事ではない。
インフレは極まりに極まる。
そのインフレが面倒くさくなって別のステータスが必要になる事もある。
トリッパーの戦いは言わば終わりのないマラソンだ。
だが、そのマラソンに対してどんな感情を持つかは、俺達トリッパー一人一人に判断が委ねられている。
俺達はトリップという現象にポされている訳ではないのだ。
時には怒りのままに荒ぶるのも良いだろう。
楽しい気分でエンジョイするのも良いだろう。
だが、その感情の帰結する先に鬱屈としたものでなく、健やかな開放感を用意できるのであれば。
こんな、あちこちの世界に飛ばされる根無し草の様な生活も、きっと悪くないのだろう。
「夕飯どうしよっか」
「なーんにも思いつかないわねー」
「お兄さんもお姉さんもだらけすぎだよ、もー」
言いながら、誰ひとりとして動かない。
こたつを出すとこんな事が起きるから困る。
出前を取る事が出来るほど都会でもないので、最終的には誰かが妥協して何かを用意する形にはなるのだろう。
もしかしたら夕飯を誰かが用意するよりも先に、また別の世界に飛ばされてしまうかもしれない。
だが、その時はその時だ。
そうなったなら、またあれこれ手をつくして生き抜いて、その世界をオチまで駆け抜けて往くだけの話。
今はただ、この何の変哲もない世界の、ただ平穏なだけの時間を、ゆっくりと味わっていよう。
終わり
―――――――――――――――――――
祝、OO編エピローグ完結!
&、一旦完結!
小奴らの蹂躙はこれからだENDでした!
尻切れトンボに終わってしまった上に明らかに特別な最終回っぽい雰囲気が無い?
元から一原作に付き一完結、みたいなところがあったのでこれでまったく問題ないのです。
兎角、時間をかけてでもエターは避けて無理にでも完結させるのが目標の一つでありますので。
実時間にして実に二年と九ヶ月ちょいぶりの自問自答コーナー
Q,最後の最後でビルドファイターズ?
A,思えばOO編書き始めた頃はまだビルドファイターズのビの字も無かったんですねぇ……しみじみ。
Q,直前の試合と使っている機体が違う?
A,粒子変容技術とか、あと機体に込めたメカディティールをしっかり認識させられているかをしっかり確認した上で、最終戦のみ内部フレームをコトブキヤ製フレームアーキテクトの改造品に換装した形になります。
Q,FAとFAGってミキシングビルドできるの?
A,FAG主体であれば腕とか脚なら多少できる。
装甲とか互換も多少できる。
作中のキメラ機体は双方をがっつりミキシング出来るように関節とかがっつり改造してある。
実際FAGの顔を全面に出したいならフレームアーキテクトじゃなくてFAGの素体を軸に装甲として乗っけてく形の改造した方が上手くまとまる。
Q,結局メカポは?
A,愛から生まれる補正に反しない形で相手を利用した上でボロクズのようになった相手を労るように始末すればどうにかなるという非道だけど愛される度に愛し返せるかっていうことから考えると割りと妥当な結論。
Q,打ち切り?
A,正式に凍結、みたいな。気が向いたりネタが思いついたら追加で話を書くかもってレベル。
でも今回ので懲りたのでそれなりにしっかりとした道筋とオチまで思いついた場合にのみ書く。
でもなんか思いついたら別のSSとして書くかもなぁと。
具体的にはトリップ先のキャラをこの主人公だと重用出来ないのと姉とサポAIの扱いが。
Q,感想返信は?
A,溜めすぎてどうしようってレベルですが、たぶんそのうち。
Q,小猫さんは?
A,ハーメルンのSS投稿システムに初めて触れた時の『うぉぉハイテクぅ!』という興奮は今でも忘れられない。
……こんな感じですね。
連載開始から、まあまぁ定期的に新しい話を投稿していた時期だけで考えても三年半、最終的にこの話に至るまでで考えると、約七年ですか……。
時が経つのは早いものです。
連載初期から読んでくださっている方は、未だに居るのでしょうか。
それとも既に皆様二次創作オリ主系SSを卒業してしまっているのか。
色々と考えさせられますが、趣味は人それぞれ。
このSSはここで一旦幕とさせて頂きます。
が、他所で現在連載しているものも含め、自分は何か書きたいネタがある限りはとりあえず書いていこうと思っております。
よろしければ、これからもお付き合い頂ければ幸いです。
それでは、本当に長々と続いた当SSもとりあえずはここまで!
このSSを読んでみての感想、そして、また別の場所での、或いはまたこの場所での再会など、心よりお待ちしております。