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No.14434の一覧
[0] 【ネタ・習作・処女作】原作知識持ちチート主人公で多重クロスなトリップを【とりあえず完結】[ここち](2016/12/07 00:03)
[1] 第一話「田舎暮らしと姉弟」[ここち](2009/12/02 07:07)
[2] 第二話「異世界と魔法使い」[ここち](2009/12/07 01:05)
[3] 第三話「未来独逸と悪魔憑き」[ここち](2009/12/18 10:52)
[4] 第四話「独逸の休日と姉もどき」[ここち](2009/12/18 12:36)
[5] 第五話「帰還までの日々と諸々」[ここち](2009/12/25 06:08)
[6] 第六話「故郷と姉弟」[ここち](2009/12/29 22:45)
[7] 第七話「トリップ再開と日記帳」[ここち](2010/01/15 17:49)
[8] 第八話「宇宙戦艦と雇われロボット軍団」[ここち](2010/01/29 06:07)
[9] 第九話「地上と悪魔の細胞」[ここち](2010/02/03 06:54)
[10] 第十話「悪魔の機械と格闘技」[ここち](2011/02/04 20:31)
[11] 第十一話「人質と電子レンジ」[ここち](2010/02/26 13:00)
[12] 第十二話「月の騎士と予知能力」[ここち](2010/03/12 06:51)
[13] 第十三話「アンチボディと黄色軍」[ここち](2010/03/22 12:28)
[14] 第十四話「時間移動と暗躍」[ここち](2010/04/02 08:01)
[15] 第十五話「C武器とマップ兵器」[ここち](2010/04/16 06:28)
[16] 第十六話「雪山と人情」[ここち](2010/04/23 17:06)
[17] 第十七話「凶兆と休養」[ここち](2010/04/23 17:05)
[18] 第十八話「月の軍勢とお別れ」[ここち](2010/05/01 04:41)
[19] 第十九話「フューリーと影」[ここち](2010/05/11 08:55)
[20] 第二十話「操り人形と準備期間」[ここち](2010/05/24 01:13)
[21] 第二十一話「月の悪魔と死者の軍団」[ここち](2011/02/04 20:38)
[22] 第二十二話「正義のロボット軍団と外道無双」[ここち](2010/06/25 00:53)
[23] 第二十三話「私達の平穏と何処かに居るあなた」[ここち](2011/02/04 20:43)
[24] 付録「第二部までのオリキャラとオリ機体設定まとめ」[ここち](2010/08/14 03:06)
[25] 付録「第二部で設定に変更のある原作キャラと機体設定まとめ」[ここち](2010/07/03 13:06)
[26] 第二十四話「正道では無い物と邪道の者」[ここち](2010/07/02 09:14)
[27] 第二十五話「鍛冶と剣の術」[ここち](2010/07/09 18:06)
[28] 第二十六話「火星と外道」[ここち](2010/07/09 18:08)
[29] 第二十七話「遺跡とパンツ」[ここち](2010/07/19 14:03)
[30] 第二十八話「補正とお土産」[ここち](2011/02/04 20:44)
[31] 第二十九話「京の都と大鬼神」[ここち](2013/09/21 14:28)
[32] 第三十話「新たなトリップと救済計画」[ここち](2010/08/27 11:36)
[33] 第三十一話「装甲教師と鉄仮面生徒」[ここち](2010/09/03 19:22)
[34] 第三十二話「現状確認と超善行」[ここち](2010/09/25 09:51)
[35] 第三十三話「早朝電波とがっかりレース」[ここち](2010/09/25 11:06)
[36] 第三十四話「蜘蛛の御尻と魔改造」[ここち](2011/02/04 21:28)
[37] 第三十五話「救済と善悪相殺」[ここち](2010/10/22 11:14)
[38] 第三十六話「古本屋の邪神と長旅の始まり」[ここち](2010/11/18 05:27)
[39] 第三十七話「大混沌時代と大学生」[ここち](2012/12/08 21:22)
[40] 第三十八話「鉄屑の人形と未到達の英雄」[ここち](2011/01/23 15:38)
[41] 第三十九話「ドーナツ屋と魔導書」[ここち](2012/12/08 21:22)
[42] 第四十話「魔を断ちきれない剣と南極大決戦」[ここち](2012/12/08 21:25)
[43] 第四十一話「初逆行と既読スキップ」[ここち](2011/01/21 01:00)
[44] 第四十二話「研究と停滞」[ここち](2011/02/04 23:48)
[45] 第四十三話「息抜きと非生産的な日常」[ここち](2012/12/08 21:25)
[46] 第四十四話「機械の神と地球が燃え尽きる日」[ここち](2011/03/04 01:14)
[47] 第四十五話「続くループと増える回数」[ここち](2012/12/08 21:26)
[48] 第四十六話「拾い者と外来者」[ここち](2012/12/08 21:27)
[49] 第四十七話「居候と一週間」[ここち](2011/04/19 20:16)
[50] 第四十八話「暴君と新しい日常」[ここち](2013/09/21 14:30)
[51] 第四十九話「日ノ本と臍魔術師」[ここち](2011/05/18 22:20)
[52] 第五十話「大導師とはじめて物語」[ここち](2011/06/04 12:39)
[53] 第五十一話「入社と足踏みな時間」[ここち](2012/12/08 21:29)
[54] 第五十二話「策謀と姉弟ポーカー」[ここち](2012/12/08 21:31)
[55] 第五十三話「恋慕と凌辱」[ここち](2012/12/08 21:31)
[56] 第五十四話「進化と馴れ」[ここち](2011/07/31 02:35)
[57] 第五十五話「看病と休業」[ここち](2011/07/30 09:05)
[58] 第五十六話「ラーメンと風神少女」[ここち](2012/12/08 21:33)
[59] 第五十七話「空腹と後輩」[ここち](2012/12/08 21:35)
[60] 第五十八話「カバディと栄養」[ここち](2012/12/08 21:36)
[61] 第五十九話「女学生と魔導書」[ここち](2012/12/08 21:37)
[62] 第六十話「定期収入と修行」[ここち](2011/10/30 00:25)
[63] 第六十一話「蜘蛛男と作為的ご都合主義」[ここち](2012/12/08 21:39)
[64] 第六十二話「ゼリー祭りと蝙蝠野郎」[ここち](2011/11/18 01:17)
[65] 第六十三話「二刀流と恥女」[ここち](2012/12/08 21:41)
[66] 第六十四話「リゾートと酔っ払い」[ここち](2011/12/29 04:21)
[67] 第六十五話「デートと八百長」[ここち](2012/01/19 22:39)
[68] 第六十六話「メランコリックとステージエフェクト」[ここち](2012/03/25 10:11)
[69] 第六十七話「説得と迎撃」[ここち](2012/04/17 22:19)
[70] 第六十八話「さよならとおやすみ」[ここち](2013/09/21 14:32)
[71] 第六十九話「パーティーと急変」[ここち](2013/09/21 14:33)
[72] 第七十話「見えない混沌とそこにある混沌」[ここち](2012/05/26 23:24)
[73] 第七十一話「邪神と裏切り」[ここち](2012/06/23 05:36)
[74] 第七十二話「地球誕生と海産邪神上陸」[ここち](2012/08/15 02:52)
[75] 第七十三話「古代地球史と狩猟生活」[ここち](2012/09/06 23:07)
[76] 第七十四話「覇道鋼造と空打ちマッチポンプ」[ここち](2012/09/27 00:11)
[77] 第七十五話「内心の疑問と自己完結」[ここち](2012/10/29 19:42)
[78] 第七十六話「告白とわたしとあなたの関係性」[ここち](2012/10/29 19:51)
[79] 第七十七話「馴染みのあなたとわたしの故郷」[ここち](2012/11/05 03:02)
[80] 四方山話「転生と拳法と育てゲー」[ここち](2012/12/20 02:07)
[81] 第七十八話「模型と正しい科学技術」[ここち](2012/12/20 02:10)
[82] 第七十九話「基礎学習と仮想敵」[ここち](2013/02/17 09:37)
[83] 第八十話「目覚めの兆しと遭遇戦」[ここち](2013/02/17 11:09)
[84] 第八十一話「押し付けの好意と真の異能」[ここち](2013/05/06 03:59)
[85] 第八十二話「結婚式と恋愛の才能」[ここち](2013/06/20 02:26)
[86] 第八十三話「改竄強化と後悔の先の道」[ここち](2013/09/21 14:40)
[87] 第八十四話「真のスペシャルとおとめ座の流星」[ここち](2014/02/27 03:09)
[88] 第八十五話「先を行く者と未来の話」[ここち](2015/10/31 04:50)
[89] 第八十六話「新たな地平とそれでも続く小旅行」[ここち](2016/12/06 23:57)
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[14434] 第六十八話「さよならとおやすみ」
Name: ここち◆92520f4f ID:81c89851 前を表示する / 次を表示する
Date: 2013/09/21 14:32
「グ、オ、ゲェッ」

耳元まで裂けた口から、防腐作用のある薬剤が混じった赤黒い粘性の液体を吐き出すティベリウス。
封印していた筋力を一部解放したアリスンの左ジャブにより、ティベリウスの仮のボディは致命傷寸前のダメージを負っていた。
破壊力、貫通力よりも、その場から弾き飛ばす力を優先した、距離を空けるための打撃。
アリスンの一撃はティベリウスを肉の砲弾へ変え地下基地の通路最奥まで吹き飛ばし、更に戦車砲にも耐えうる隔壁を容易く打ち破り隣のブロックへと到達させたのだ。
ティベリウスの身体が曲がりなりにも人型を保ち、血を吐く程度には身体の内部にパーツを残していたのは、その身体がティベリウスの魔術研究の粋を集めた傑作であったが故だろう。

「あの、クソ、餓鬼ィ……!」

潰れた声帯から放たれる怨嗟を込めた声もは、その身体が本来持つ美しいソプラノではなく、ごぼごぼと鈍い水音の混じった悍ましい異音。
しかし如何に憎しみの感情を抱いた所で、今のティベリウスの身体では対抗しうるものではない。
死体のパーツを撚り集めて作ったこの身体に搭載されていない筈の魂魄にまで損傷を受けたかもしれないのだ。
沸き立つ怒りを噛み殺し、冷たく勝利へ至るための思考を走らせるティベリウス。
早急に、あの敵から離れて、肉体の損傷を修復し、然る後にベルゼビュートを召喚する。
まずは、逃走経路を手に入れければ。
粗挽き肉レベルまで細切れに粉砕された身体を必死に集めながら、あの化物から逃れる術を探すティベリウス。

魔術で姿を隠して、いや、完全消滅とまでは行かないが、あと一歩でずれた位相空間に仕舞い込んだ魔導書が顔を出すレベルの損傷を負っている。
肉体の再構成にリソースを割いている為、複雑な魔術は発動できない。
真っ先に再構築した眼球と視神経が、土煙の向こうからゆっくりと歩み寄る少年の姿を捉える。
それが本当に自分を殴り飛ばした少年の影であるか、魔術による強化の働いてないティベリウスの視覚では判別できない。
だが、ほぼ完全に無防備な状態のティベリウスには、土煙の向こうの影が酷く恐ろしいモノに見えて仕方がなかったのだ。

アンチクロスとしての、魔術師としてのプライドが自覚こそさせないが、ティベリウスはこの時、初めてマスターテリオンと出会った時と同じ感覚を得ていた。
生まれて初めて心の底から震え上がった、真の恐怖と決定的な挫折。
恐ろしさと絶望に涙すら流した。これもマスターテリオン以来の事だ。
本人すらも自覚していないが、ティベリウスは既に、戦意を失っている。
再起を図るという意図は失われ、冷たく勝利への道筋を探していると思っている思考は、既に逃走経路のみを探り当てる事に向けられていた。

その時である。
通路の向こう、アリスンからは見えない横穴から手が伸び、再生中のティベリウスの腕を掴み強引に引き寄せ、走りだした。

「ティベリウス様、こちらです」

「あ、アンタは……!」

辛うじて耳に届く程度の小さな声だが、ティベリウスにとって聞き覚えのある声。
ブラックロッジの構成員の一人、鳴無卓也。
地獄に仏とはこの事だ。ここで自分に止めを刺さずに連れて逃げているという事は、少なくとも積極的に自分と敵対しようとは思っていないという事だろう。
カリグラが殺されたのは、この男の仕事の性質上仕方のない事でもある。

「よ、良くやったわ! 後で私の事をファックしてもいいわよ?」

妖蛆の秘密に記載された魔術ではないが、性交を媒介にして相手の精神を縛る魔術は決してマイナーではない。
ここから先は、アンチクロスの間でも出しぬき合う場面が増えてくるだろう。
使える人材であるならば、手元に置いておくに越したことはない。
そういった打算に塗れた言葉であったが、その言葉に対する卓也の反応は事務的なものであった。

「いえ、その前に、その肉体をどうにかしましょう」

「アラヤダ、確かにこれじゃあ、勃つものも勃たせられないわね」

言いながら、内蔵剥き出しの胴体を見下ろし、頬骨の飛び出た顔面を引かれていない方の手で触るティベリウス。
手を引かれながらなら走れる程度に再構築を済ませてあるが、それでも女性的な特徴を備えた部分を再生するには至っていない。
肉体を修復し、魔術を行使可能なレベルまで再生するとなればかなりの時間が必要になる。

「ええ、ですが、ここは敵地です。悠長に回復を待つわけにはいきませんですので、予備の方を用意させて頂きました」

「用意がいいのね、嫌いじゃないわ」

予備。
無数の死体から優れたパーツのみを集め造られているティベリウスの肉体は、破損部分を無事な予備パーツと入れ替えることで、魔術による再構成よりも早く、完全な状態に移行することが可能なのだ。
勿論、予備パーツは人間の死体、もしくは死体を加工したものになるので、持ち運びに適したサイズではない。
そもそもここまで緊急で予備のパーツとの入れ替えを必要とする事態がそう起きることではないので、当然持ち歩いているわけもない。
それをこうして、敵側にスパイとして潜り込んでいたこいつが持ってきてくれたというのなら、それは手柄という他──

「……あら?」

足を止めず走りつつ、ティベリウスは首を傾げた。

「アナタ……『何時の間に予備を持ってきた』の?」

ティベリウスの知る限り、音無兄妹は大導師に殺されたかに見えた後、一度足りとも夢幻心母に足を運んで居ない筈。
ティベリウスの肉体の予備パーツは、何もそこら辺に落ちている死体をそのままつなげている訳ではない。
仮にも他人の肉体である以上、それを意のままに操るには特殊な魔術加工が必要になる。
そして、その加工が施された予備パーツは、夢幻心母のティベリウスの研究室兼私室を除けば、誰にも知られていないアーカムの外の隠れ家にしか存在しない。
理屈で言えば、卓也か美鳥がティベリウスの予備パーツを予め手に入れ、常にそれを持ち運んでいたとしなければ辻褄が合わないのだ。

「ああ、はい、いいえ。持ってきたわけではなく、『用意』させて頂きました。丁度持ち合わせがありましたので」

なるほど、と、ティベリウスは内心で掌を握りこぶしで叩いた。
確かに鳴無兄妹には一時期自分の助手まがいの事をさせていた時期もある。
その時にいくつかの技術を盗まれていたのか。
何しろ、二年もの間、ブラックロッジにも匹敵する実力をひた隠しにしてきた様な連中なのだ、それくらいはしてもおかしくはない。

「変なもの使ってるんじゃないでしょうね」

懸念があるとして、それはどれほどティベリウスの技術に近づけられているか、という部分だろう。
死体から女性的な美しさを引き出す事に掛けてはティベリウスは一切の妥協を許さない。
二年の内の数カ月程度でその技術を完全に盗めると思われても困る。
背に迫るアリスンの気配が距離を開けたためか大分遠くになったからか、ティベリウスの中には、少し時間を掛けてでもそのパーツの出来を検分してやろうかと考えられるだけの余裕が生まれ始めていた。

「変なもの? 冗談じゃありません、用意したの予備は百パーセント、間違いなくティベリウス様に合致します。いいでしょう、もう十分引き離しましたし、次の角を曲がった所に美鳥と待機させてますから、検分してもらってもかまいませんよ」

背を向けている為に表情こそ見えないが、卓也はティベリウスの言葉に多少の不満を抱いたらしい。
普段の慇懃な態度からは想像のつかない、意地になった様な口振りを僅かに可愛いかもしれないと思いつつ、ティベリウスの頭には一つの疑問符が浮上する。
美鳥『と』待機させている。
と? 言い方を間違えたのだろうか。
考えている間にも卓也の妹、美鳥が待機しているという角が迫る。

「お兄さん、こっちこっち」

「アタシを待たせるなんて、大導師殿のお気に入りだからって調子に乗りすぎじゃあないのぉ?」

そして、その通路の角から、二つの影が顔を出した。

「…………………………………………え?」

二つの影。
美鳥だけではなく、もう一人。
道化衣装に身を包んだ、不思議と良く通るダミ声の男。
その男を見つめたまま放心するティベリウスに、満面の笑みを浮かべた卓也が腕を大きく左右に広げて振り返る。

「どうです、この『ティベリウス様の予備』は! 何しろ魂(ゴースト)の部分は同一存在ですからね、外見(シェル)を整えてやれば、直ぐにでも入れ替えて出撃が可能ですよ!」

屈託の無い笑顔で告げる卓也に、しかしティベリウスは声を返すこともできない。
男──ティベリウスの予備を見つめたまま固まってしまっている。
いや、よくよく観れば、その身体が雪の中に裸で放り出された人間の様に震えているのが解るだろう。

「な、なん、で」

「はい? なんで、とは、何を指しての事で?」

ようやく搾り出したティベリウスの言葉に、卓也は首を傾げながら問い返す。
もはや目に見えて震えだしたティベリウスは、未だ骨と神経が剥き出しの手を突き出し、卓也の言う、『ティベリウスの予備』を指して、震える声で叫ぶ。

「なんで、アタシの身体が、ソコにあるのよぉ!?」

──そこに存在したのは、この周におけるティベリウスが魔術師になる時に最初に捨て去った最初の、生まれ持った素の身体であった。
正確に言えば、それは卓也の作り出した別の周のティベリウスの複製なのだが、少なくともこのティベリウスの目にはそう映っていた。

「……ははぁ、なるほど」

「あー、つまり、そういう」

何もかもに納得したと言わんばかりに頷く卓也と、事態を察した美鳥。
二人の表情に、ティベリウスは身を震わせた。
その視線は、嘗て、魔術師になる前の非力なティベリウスが何よりも恐れた視線。

男なのに、男が好き。
男の身体に、女の心。
そんな自分に向けられる、奇異の視線。
自分を変えるために、魔術を始めた切っ掛け。
ティベリウスの原風景の一部。

この周におけるティベリウスは、アンチクロスの中では例外的な存在である。
アンチクロスの中で一人だけ、生まれた時点での設定に何一つ手を加えられていない。
たった一つ、人間としての死を切掛けに性癖を歪める事無く、男好きのままに魔術師になった事を除いて、このTSティベリウスは通常のティベリウスと何一つ変わらない。

そう、死体を継ぎ合わせた美少女の身体を操るティベリウスは、紛れも無い『男』。
魂を魔導書に刻みこみ、肉体を感応魔術による遠隔操作によって操る術を得たことで、女性としての肉体を手に入れた、男の魔術師なのだ。

「な、何よ、何よ、何よ何よ何よ! 何がおかしいの! 言いたいことがあるなら言えばいいじゃない!」

捨て去り、ブラックロッジの中では誰一人として知らない自らが生まれ持った本性。
それを見せつけられるのは、ティベリウスにとってはひどい当て付けであった。
男に好かれる女を研究し、媚びるような口調も動作も身に付けたのは、自分が男であったという事実を塗り潰すためのごまかしでしかない。
その事実を知られ、改めてつきつけられ、ティベリウスはみっともないほどに狼狽し、そして、それを誤魔化すかのように癇癪を起こす。

ティベリウスはここまで、魔術を覚えてから今現在に至るまでに、常人であれば傍からその光景を見ているだけで正気を失いかねない様な所業を幾度も繰り返している。
他者を犯し、殺して死体を生み出し、死体を切り刻み腑分けして死肉を作り出し、死肉を継ぎ合わせて身体を作り、その身体に乗り移り、そしてまた誰かを犯し、殺し……。
それほどの所業を繰り返し、それらに関して言及されようとも微塵の罪悪感も無く、『やりたいからやった』『具合のいい連中のモノは残してもある』などと言いかねない。
そんなティベリウスが、たかが自分の生まれ持った性別を看破されただけでここまで狼狽える。
不思議に思うだろうか。
だが、これこそが、ティベリウスの原点にして、唯一のウィークポイント。
生まれ持った性別と、それを受け入れられない自分。
どれだけの人数の異性や同性をを抱こうと、犯し、殺し、自らの一部として取り込もうとも消すことの出来無い、決定的なコンプレックスなのだ。
この一点についてのみ、ティベリウスはブラックロッジのアンチクロス、ティベリウスとしてではなく、生まれ持った自分、性に悩み、その問題から逃げ続ける一人の人間として向き合わざるを得ないのだ。

「だ、大体ねぇ! これが予備っていうなら、このアタシはどうなるってのよ!」

激昂し、片手で予備を指さしながら、自らの胸にもう片方の掌を当てるティベリウス。
卓也はそんなティベリウスの怒りなどどこ吹く風、いやむしろ、『こいつは何を言っているんだ』と僅かに理解に苦しんでいるような表情。
そんな卓也に代わり、予備の隣で、頭の後ろで手を組んで様子を見守っていた美鳥が、あっさりと答える。

「そりゃ、用済みだし、処分するに決まってんじゃん」

「な……!」

「まぁ、言葉を濁さなければそうなりますねぇ」

美鳥と卓也のあまりといえばあまりな発言。
二人から離れようと身を翻した瞬間、ティベリウスの身体から力が抜け、視界が霞む。
ティベリウスがこの世界で最後に目にしたもの、それは、自らの魂が刻まれた魔導書が、嘗ての部下二人の手によって、虚空から引きずり出される光景であった。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

そんなこんなで。
TSティベリウスを改造済みのティベリウスと入れ替え、デモンベインの格納庫へと突撃させた、その十数分後。

「いやぁ、ティベリウスの鬼械神ともう一人の鬼械神は強敵でしたね」

《ああ、つっても、卓也のアイオーンが居たお陰でかなり楽に戦えたけどな》

《あたしも居たろが。てめーは主人公しか目に入らないギャルゲのヒロインかっつうの》

《ギャルゲ……?》

「アルさん、そこに突っ込む必要はありませんよ」

ティトゥスとかぜぽを完殺し、ティベリウスを俺の作り出した複製と入れ替えた時点で、完全に舞台は俺の掌の上。
俺と美鳥の事を言わないように組み替えたティベリウスと、そのティベリウスが死体を操って動かしたかぜぽの召喚した鬼械神を、デモンベインとダブルアイオーンでささっと何のドラマもなく片付けて、この場は一安心である。
詳しい描写を省いて四行くらいのあらすじにすると、
―――――――――――――――――――
『チクショオオオオ! くらえティベリウス! アトランティス・ストライク!』
『さあ来なさいデモンベイン、アタシは実は一発蹴られただけで死ぬわよオオ!』
バキィ。
『グアアアア! こ、このTHE・不死身と呼ばれるアンチクロスのティベリウスが……出来損ないの鬼械神に……バ、バカなアアアアアアア!』
―――――――――――――――――――
今さっきこんな感じのやり取りが終わったとこ。
ちなみに俺と美鳥は大十字との連携でクラウディウスの呼び出した鬼械神(ロードビヤーキーじゃ無かった。性能的にはアンブロシウスのマイナーチェンジ版みたいな感じ)を叩き落としたり、ベルゼビュートのスターヴァンパイアとかを無効化したりした。
かぜぽの死体を操ってるティベリウスを支配してるのが俺達だから、八百長もいいところなんだけども
ベルゼビュートにしても、いい感じの角度でアトランティス・ストライクが入ったのを確認して、こっちで自爆させただけだし、ティベリウスに至っては複製した魔導書を灰に変換して消滅させただけ。
この流れも俺がティベリウスの複製とか作ってる部分を除いて、大導師の掌の上。

「まぁね、まあまあね」

大十字のデモンベインと美鳥のアイオーンに接続した通信に聞こえない程度の小さな声で呟く。
そのまま仮想コックピット内部に敷いた座布団に座り込み、こたつ布団を捲り脚を入れ、ポットのお湯を急須の中にこぽこぽと注ぎ込む。
使っている葉っぱは、元の世界のスーパーで何気なく購入した品の複製であり、なんら特別なところのない既製品に過ぎない。
だが、こうしてお湯を注ぐとどうだろう、僅かに甘さすら感じるこの香り高さは。
湯の温度は七十度がいいとかどうとか、そういう細かい作法もあるのだろうが、ここはシンプルに一分半蒸らすのみ。

「とはいえ、未だ上空のクトゥルーは健在、それに、あの中にはまだアンチクロスが二人も残っているんです。油断は禁物ですよ」

こたつの上に乗せられた器からミカンを一つ取り出しながら大十字に釘を刺しておく。
ああ、なんとなく取り込んでおいた物を複製しただけのミカンだけど、これは中々に良いミカンだ。
手に持って揺すった時の反動がぽすぽすと軽くて、皮と実の間にそれなりに隙間があるのが解る。
そういえば、この世界だとクトゥルフじゃなくてクトゥルーが邪神の間でも通用する公式な呼び方なんだよな。
慣れの問題なんだろうけど、個人的にはクトゥルフの方が呼びやすいから、少し困る。

《……ああ、なんつうか、今まさにそんな感じだな……!》

通信越しに聞こえる大十字の声が緊迫感を取り戻す。
クトゥルーからのプレッシャーが増し始めているのを肌で感じ取ったのだろう。
このTS大十字は、結構な敏感肌である。
ノミと同じサイズの生物兵器を自力で迎撃出来る程ではないにしろ、クトゥルー内部のアンチクロスがクトゥルーを操作したならば、その予兆を感じ取る事が出来る程度には察しが良い筈。
感受性が豊かってのはこの世界の魔術師にとって紙一重な才能なんだけど、そこら辺はニャルさんが上手いこと調節してくれるのだろう。

「たぶん、力の基点の一つとして眼球が露出すると思いますが、正気を砕かれるので目を合わせないでください。アルさんは先輩に精神防壁と、デモンベインに防禦魔術の準備を。美鳥、俺達は結界広めに。地下基地を覆える程度にな」

《言われるまでもない》

《あいあーい》

二人の返事を確認し、俺はミカンの皮を剥く。
ううむ、この白いのが僅かにミカンの水分で剥離してる感じ、当たりを引いたな。
地下施設全体を覆える程度に旧神の印(エルダーサイン)が刻まれた結界を展開しつつ、ミカンの身に親指を挿し込み左右に割る。
半分に割った実を更に小分けにして、口の中に放り込む。
しばし口の中で実を転がしつつ、白い筋を舌と歯で刮げとっていく。
十六型ブラウン管テレビ風のモニターには、夢幻心母と融合したクトゥルーの目玉。
くりくりっとした血走った眼球は、こうして寛ぎながら見る分には中々にキュートなデザインだと思う。

《来るぞ!》

アル・アジフが、クトゥルーから発せられる宇宙的なエネルギーの爆発を感じ取り警告する。
直後、仮想コックピットが僅かに揺れる。
体感で、震度2といったところか。
生憎とボス程コックピットに物を持ち込んでいないので、荷物が倒れる心配は無い。
アイオーンの機体構造に干渉し、仮想コックピットを微調整することで揺れは完全に収まった。
一心地ついたので、口の中のミカンを噛み締める。
強すぎない酸味と、しつこすぎない甘み。単品で食べるならこれくらいのバランスか。

《ぐう、あ、ぁ》

大十字が、悲鳴を堪えるような呻き声を上げている。
アイオーンの仮想コックピットの揺れは収まっているが、クトゥルーからのエネルギー照射は未だ続いている。
アル・アジフが如何に機神招喚以外の全ての記述を取り戻しているとしても、デモンベインのポテンシャルでは搭乗者にも多少の負荷が掛かるだろう。
また、物理的な負荷だけでなく、少なからず大十字の精神にも影響を及ぼしている筈だ。
急須を手に取り、湯のみに緑茶を注ぎながら、デモンベインを庇う様にアイオーンを移動させる。
咀嚼していたミカンを飲み込み、大十字に励ますようにゆっくりと語りかける。

「先輩、お腹の下らへん、丹田に力を込めて、ゆっくりと深呼吸です。……大丈夫、先輩なら、耐えられます」

《お、おう……これくらい……余裕だっての……》

余裕ならいいかな。
湯のみに口をつけ、傾ける。
うん……いい味。
こう、初めてまともに大十字のサポーターをしたと思ったら、大導師の中では俺が大十字を篭絡する感じの計画が出来上がってて、しかもその計画とぴったり合致してしまっているこの現実が与えるストレスから解放してくれる、優しい味だ。
よっぽど下手くそな淹れ方でもしない限り、渋みだけじゃなく優しい甘みも出てくるんだよな。
やっぱり、日本人なら緑茶。大十字もコーヒーじゃなくて緑茶にすればいいのに。

《お兄さん、シリアスシリアス。まだ本番中だよ?》

鬼械神を介さない脳内の直接通信。
俺はポケットからラノベを取り出し、こたつの上でそれを開きながら答える。

《なんだよ、外から見たら俺のアイオーン、凄くシリアスにデモンベイン庇ってるだろうが》

まぁ、このクトゥルーのエネルギー照射の中では他にどんなアクションを取っても分かり難いからってのもあるんだが。

《そりゃそうだろうけどさ……そのボスボロット形式のコックピットだけは勘弁してよ》

失敬な。
和室仕立て四畳一間のボスボロットと一緒くたにされては困る。
なんとこのアイオーン・コックピット・アナザータイプ、驚きの和室仕立て六畳一間に、簡易台所付きである。
居住性においては右にでるものは無いだろう。

《いいだろ、別に。送還する時にはダミーのコックピットから出る様に作ってあるんだから、バレやしないんだし》

それに、いい加減シリアスは疲れるのだ。
どいつもこいつも、勝手に過去のループの記憶を蘇らせたり、勝手に性の問題で悩んだり、勝手に盛り上がってラブコメしたり……。
みんなもう少しでいいから、人に掛かる迷惑とか考えて協調性を持つべき。
もうね、大導師の企みに乗っかる意図とか、無限螺旋を早める切っ掛けになるだろうと思わなければ何もかも放り投げて家に帰っているところだ。

《いや、お兄さんが良いってんならそれでいいけどさ、次の周からは『アレ』だよ?》

《だからリラックスしてんだろ。お前も、次の周は『アレ』なんだから、一分一秒をダラダラと過ごすがいいさ》

と、念話でやり取りしている間に、クトゥルーのエネルギー照射が終了した。
脳内の通信を切り、鬼械神同士の通信に切り替える。

「先輩、無事ですね?」

《ああ、なんとかな、そっちはどうだ?》

「こちらもどうにか。……ですが、あの攻撃を再び防げるかは微妙なところです。飛行ユニットを展開して、一気に敵の体内に潜り込みましょう」

無理だけどな。
俺の持つ金神と機械巨神由来のゴッド・アイが、クトゥルフの端っこに隠れたニャルさんの化身を捕捉している。
惑星保護機構に所属していそうな銀髪の美少女がスケッチブックのカンペを掲げているではないか。

《飛行ユニットっても……いや、そうか、アル!》

大十字が以前に説明を受けていた記述を思い出す間にも、事態は進行する。
ニャルさんの化身が口パクで何か言っている。
ええと、『カウントはいりまーす』かな?
カンペに書いておけよ……。

《凍てつく荒野より翔び立つ翼を我に! シャンタク!》

鋼鉄の鱗を重ねて作り上げられたマント状の飛行ユニットがデモンベインの背面に展開する。
化身がスケッチブックを捲った。
5。

《一番槍はてめえだ、大十字、しくじんなよ》

美鳥のムチャぶりを聞きつつ、アイオーンのシャンタクにエネルギーを多めに回す。
俺はその場に寝転がり、半分に折った座布団を枕に、ラノベのページを捲る。
ううむ、初料理がリゾットなのは許せるが、そもそも作り方を知らないのに作ろうとするのはチャレンジャー過ぎやしないか。
でもやっぱり、電磁力を操る美少女って言ったらレールガン女よりもこっちだ。
三巻で打ち切りなのが勿体無いが、これはこれで名作だろう。華の無い話なのに、彼女の戦闘に関してはセガール的な爽快感がある。無双的な意味で。
化身がページを捲る。
4。

《ああ、やってやるぜ!》

大十字の叫びを聞きながら、こちらもアイオーンを飛翔させ、迫る触手を魔銃で弾き飛ばし軌道を逸らす。
毎度おなじみのカムフラ手加減だが、そこはそれ、ソードベントが緑色の樹脂で覆われた金網を切り裂けないのと同じく、下手に威力が高すぎるよりは不自然な光景には見られないのだ。
化身が再びページを捲る。
3。
俺もラノベのページを捲る。
あれ、この魔女って、能力的に劣化一方通行じゃね?

《うおおおおおおお!!》

まだ叫んでいる。
喉が潰れたりはしないのだろうか。後で喉にやさしい桃のシロップ漬けをあげよう。
ミードも混ぜてあるので幻覚まで見れる優れ物だ。
それはともかく、大十字が無数のクトゥルーの触手相手にアチョー避けを敢行しているのが叫びの原因だろう事は明らかだ。
呪文螺旋にて拡散砲撃。
触手を全て吹き飛ばさない程度にズタズタに引き裂き、デモンベインが通り抜けられる穴を創り上げる。
カンペが捲られ、カウントは2に。
俺もページを捲る。
やっぱこの作品、三巻のボスキャラが一番ヒロインぽい。
個人的には酒場の主人が姉属性でいい感じだけど、出番がな……。

《レムリアあぁぁぁぁ……!》

クトゥルーと融合した夢幻心母に、あと一足で届くかという所で、デモンベインのレムリアインパクトが発動準備に入る。
が、ここで化身が思わぬ行動に出た。
カンペを、二枚同時に捲ったのだ。
カウントは0。
だがニャルさんの化身よ。それでもお前は遅い。あまりにもスロウリィだ。
カウント五の段階でクロックアップを行なっていた俺は、既にこの一冊を読了している──!

《────!?》

読了したラノベをポケットの中に再びしまうと同時に、クトゥルーから目的地のイメージが照射される。
ちなみにこのイメージ、クトゥルーの操作を行なっているニャルさんのものではなく、ワープを強いられたクトゥルーの必死の抵抗だ。
森に撒かれた白い小石とか、ラピュタを射した飛行石とか、そんなのと同種。
Yの門が映像に映し出されているのはあれだ、喪服の結婚式とか、自分が生贄に捧げられてるシーンとかを見せてヒーローを奮起させるヒロイン特有の習性なのだ。
つまり、デモンベイン全編を通しての共通ヒロインであり、触手でずっぽりイッてしまっている暴君ネロと同じ立場だというアピールなのである。

「厄介な相手だ……」

中ボスと要塞と、更に攫われ系ヒロインまで兼任しようとは、業の深い。
ヒロインラスボスの法則は、この頃から存在していたとでも言うのか。

《まったくだ。あの巨体に攻撃力で、まさか転移まで使うとは》

何やら俺の台詞が勘違いされたようだが、特に訂正する必要もないのでそのまま聞き流す。
主である大十字の基礎ポテンシャルが高いお陰か、この時点で何が起こったかまで理解しているとは。

《この状況で、クトゥルーが向かう先なんて、一つっきゃねえよな》

「海底都市ルルイエ、か」

所謂、南極大決戦である。
普段の周なら、ここからは鬼械神なりボウライダーなりで雑魚相手に無双して、大十字の前に道を作るだけのボーナスステージか新兵装の試し撃ち会場なのだが。
今回はそれに加えて、夢幻心母に一緒に突入し、大十字と接触する前にアヌスを始末しなければならない。
地球皇帝はニャルさんが保証してくれたから、労力は半分で済むが……。
はっきりと面倒くさい。
何が面倒って、不自然さを出さない為に、夢幻心母突入と内部で二手に分かれるところまでは鬼械神で行かなければならないところだ。
鬼械神を介して直接アヌスの所に向かうのが一番早くて簡単なのに、二度手間もいいところである。
が、嫌だ嫌だと言っていても何も始まらない。
とりあえず、放っておいたら南極の流氷の上で決闘を申し込んで来そうだったサムライは始末してあるだけ『まし』だ。
ここは大人しく労働に勤しみ、トラブル無く大十字を送り出すことだけを考えるとしよう。

―――――――――――――――――――

×月÷日(もうひとふんばり)

『もうひと踏ん張り、って言うけど』
『便所でもうひと踏ん張りが必要な場面って、大概、ンチのキレが悪い時なんだよね』
『だから、なんというか、今のこの南極に向かうまでの時間って、拭いても拭いてもこびりつく感じのアレに似てるというか』
『決戦準備をして南極に向かうまでのこの時間は微妙な時間だ、適当にデモンベインの調整でも手伝っておくかな』

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

クトゥルーの突然の消滅に、アーカムシティの人々は愕然とするよりむしろ、ただただ呆然とするだけだった。
それもそうだろう。
人間の魂そのものを崩壊させかねない程のプレッシャーを以って君臨していた威容が、跡形もなく消え失せてしまったのだ。
当事者であり、クトゥルーの進路に大体の予測がつく私達でなくても、あれが意味もなく消滅したなんて、信じられるわけがない。
ブラックロッジの連中の意思によるものかどうかは知らないが、クトゥルーは自分にとってのホームグラウンドに戻ろうとしている。
そして、伝承に残る海底都市ルルイエの記述を考えるに、それを浮上させるなんてことをさせるわけにはいかない。
この戦い、これまでにない激しい戦いになるだろう。
地下基地が破壊されるとか、アーカムが破壊されるなんてのが可愛く見えるような規模の戦いが来る。
アンチクロスの襲撃とクトゥルーの破壊によって満身創痍の覇道基地ではあったが、全ての職員、設備をフル稼働させて来る決戦の準備を行なっている。

「あ────っ! 何してくれとんねん! こんな無茶な設計、負荷が強すぎて一発でショートしてまうやろうが!」

「あ、それはいいんですよチアキさん。今のデモンベインは僅かながら自己修復機能がついてますから、多少のリスクは無視してしまった方が勝率も生存率も上がります。ですよね?」

「ふん! 良くわかっているではないか。もっとも、修理の手を必要としないというのも美しくはないのであるが」

降着状態のデモンベインを見上げると、整備士兼執事のチアキさんと卓也、そしてドクターウエストが喧々諤々と話し合いながらデモンベインの調整をおこなっていた。
ブラックロッジの犯罪者という事で反感を買っていたウエストだが、間に卓也が入ることで割りとスムーズに仕事を進められている。
なんでも、二人はブラックロッジとはまったく関係ない食堂で良く顔を合わせており、ちょっとした顔見知りであったらしい。
『彼女の学生時代の論文も、確かミスカトニックに残っている筈です。結構面白いですよ。家庭菜園が楽しくなりますね』
とは卓也の言葉だ。
ウエストがミスカトニック出身だった事も驚きだが、少なくとも『長ネギに宿る霊的脅威』とやらは、こんな最終決戦直前に読むようなものではないだろう。

……こういう時、戦いの無い時には、私はあまり役に立つことができない。
それは当然のことだ。一人で何もかもができる訳じゃないなんて、ずっと前に理解している。
でも……、

「ほれ」

「ひゃ!」

首筋に、僅かに濡れた、固く冷たい感触。
振り返ると、コカ・コーラの瓶を持った美鳥が居た。

「な、なんだ、脅かすなよ……」

「気配を消してたわけでなし、これくらいで驚くなっつーの」

言いながら、私の横、置かれた資材の上にどっかと腰をおろし、資材の上で片足だけ胡座をかく美鳥。
手に持っていたもう一本のコーラの瓶、その王冠が付いたままの呑口近くを親指で軽く弾くと、綺麗な切断面を晒して瓶が切れ、そのまま断面に口を付けて傾け煽る。
見た目の可憐さに似合わない豪快な飲み方だ。
いや、こいつの場合、口調も表情も行動も基本的に外見を裏切っているんだけど。

美鳥に習い、私もコーラに手をつける。
あそこまで豪快な開け方はできないので、歯を使って王冠を外し、中身を口の中に注ぎ込む。
しゅわしゅわと弾ける炭酸が爽やかな、アメリカンドリンク。
刺激と並行して感じる複雑なフレーバーと甘みが脳に染み渡り、雲がかかっていた様な気持ちが少しだけ軽くなった。
なんだか、久しぶりに飲んだ気がする。

「変に気張りすぎだ、てめーは。パイロットってのはな、こういう時にゃどっしり構えて身体を休めとくもんなんだよ」

パイロットが云々の件は妙に実感が篭っているのは気のせいだろうか。
時々こいつの、こいつらの経歴が凄く気になる時がある。
小さい時には日本の農家の子供だった、とかは聞いてるけど、そこから魔術師になるまでにパイロットの経験があったりするんだろうか。

「そうは言うけど……実際、あいつは今もなんかやってるし」

「ああ……まぁ、お兄さんも手持ち無沙汰なんだよ。機械いじりは好きな方だと思うし、魔導工学をメインにしてた頃もあったから」

「そういうもんか」

でも、なるほど。
デモンベインの上でウエストやチアキさんと話している卓也の表情は、心なしか何時もよりも無邪気な感じがする。
私が見たことのない表情。思えば、あいつが趣味に没頭する姿を見たことは無かった。
ああいう顔、するんだ。

しばらくデモンベインの上の卓也を見つめていたら、隣から視線を感じた。
資材に座りっぱなしの美鳥が、こちらを見てにやりと猫の様に笑っている。
見上げるのではなく、首を曲げて、まっすぐに顔を向けている。

「かわいいだろ。やらねーぞ」

こいつはこういう時、人の目を真っ直ぐ見つめて物を言う。
奥底を見透かされる様な感覚。
釘を刺されたようで、ドキリとする。

「…………べ、べつに、欲しくなんかねえし」

「あ? お兄さんが要らないとか何様だよてめー」

誤魔化すように目を背けたら、背中に向けて掛けられるやや低くなった美鳥の声。

「結局どう答えりゃ満足なんだよお前は……」

たぶんこいつは、欲しいと答えたら答えたでまた文句を言うのだろう。
兄を無碍に扱われるのも嫌なら、誰かに取られるのも嫌というワガママを素で押し通そうとするのがこいつなのだ。
こういう場面での協調性の重要さを教えるために、少し文句を言ってやろうか。
そう思い視線を戻すと、そこには美鳥の真顔があった。
猫の様な笑いも、兄を無碍にされたという苛立ちもない、ニュートラルな表情。

「あたしになんか言ってる内はダメだね。本人に直接好きとか抱いてとか言うレベルじゃないと」

「なっ……、ばっ……!?」

真顔の美鳥の、平坦な発音での爆弾発言に、私は言葉を詰まらせる。
私の脳味噌と声を出す部分がまともに動き出すよりも早く、美鳥は言葉の先を口にした。

「定番だけど、『好きです、付き合ってください』とか。そうしたら、お兄さんは『ごめんなさい』って断るから」

「ちょおい!? 断られる事前提かよ!」

私の突っ込みに、美鳥は真顔を崩さず答える。

「あたしの見立てじゃ勝率は限りなく0に近いかんな。でもな」

「でも?」

「何の負い目もなく、『そうなりたい』って欲望を抱けるなら、形にした方がいい。あたしはそう思う」

「…………」

「メメメはそうした。そうなる過程は不自然だったかもしれないけど、不自然だって自覚も無かっただろうけど、あいつは真っ直ぐにお兄さんに飛び込んでいった。
形成される過程はどうあれ、湧き出した欲望は溢れ出す。身体と心を動かすのは欲望、クトゥルーを倒して平和な世界を取り戻したい、ってのと同じだ」

「メメメって誰だよ……」

「端的に言えば被害者。迂遠に言えば……なんだろ、過去、とか?」

これまでの、今までにない、実感の篭った言葉による重い雰囲気を、頭に浮かんだ疑問符で打ち消す美鳥。
なんだそりゃ、と呆れていると、美鳥はコーラの残りを一気に飲み干し、空き瓶を瓦礫の山の中に投げ捨てた。
がしゃん、と瓶が割れる音。

「大十字、お手」

「あ、うん?」

美鳥の出す空気に飲まれていた私は、素直に掌を上に向けて差し出す。
その上に、古めかしいデザインの鍵が乗せられる。
以前に見た、ナアカルコードの解除キーだ。
慌てて美鳥に視線を向けると、今さっき鍵を手渡してきた筈の美鳥は、既に格納庫の壁、避難所に続く廊下への扉の前まで戻っていた。
美鳥は私の掌、その上の鍵を指さしながら、大きくはないが良く通る声で告げた。

「お兄さんからテメーへ。『もう俺が管理する段階じゃない』だってさ」

「どういうことだよ!」

「信頼してるってことだろ」

そのまま背を向け、片手をひらひらと頭の上で軽く振りながら通路に消えていく美鳥。
鍵を手にしたまま、再びデモンベインの上を見上げる。
直接聞けば、本当の意味もわかるんだろうか。
……それは、この戦いが終わって、無事に生き残ってから尋ねる事にしよう。

―――――――――――――――――――

×月⊿日(決戦当日!)

『当日というか、実際にはアーカム崩壊から数日も経っていない』
『クトゥルーの正確な居場所を探し当て、急ピッチでデモンベインと艦隊の準備を済ませてからの強行軍』
『何をして時間を潰そうかと悩んでいたものの、実際に手伝いを始めてみれば時が過ぎるのはあっという間』
『何故だか仕事中、常に視界の端で大十字がこちらの事をちらちらと伺っていたのが見えたのだが、あいつは準備中にすることがないから仕方がないのだろう』
『残る問題は、本当にニャルさんが地球皇帝の言動を操作してくれているか、ということだけだが……』
『こればっかりは気にしても仕方がない』

―――――――――――――――――――

デモンベインの調整と、久しく使われていなかった専用輸送艦『タカラブネ』への積み込みなどで出遅れた覇道財閥の艦隊に先行していた各国の艦隊が、クトゥルーの呼び出した海魔との戦闘を開始していた。
通信から聞こるのは、無数の怒号と破壊された戦闘機や戦艦からのノイズ、そして、味方が次々に落とされながらも統率を崩すこと無く応戦を繰り返す軍人たちの雄叫び。
司令服を見に纏った覇道瑠璃は毅然とした表情で進行方向を見つめているが、大十字の焦燥はひどい。
本当ならもっと飛ばせないのか、とか言いたいところだろう。
が、この場にいるほぼ全員が大十字と同じ心境である事を理解しているために、そういった事を口にする事もできないのだ。

「アルさん、先輩はデモンベインでの長時間戦闘に耐えられると思いますか?」

こっそりとアルアジフの隣に近づき、顔を向けずに小声で尋ねる。
横目でちらりと表情を見るに、俺がこの質問をする事は予測の範囲内だったようだ。

「可能と言えば可能だが……お主ならどうする?」

「シャンタクは攻撃的な術式でも、複雑な術式でもありませんからね。軍隊さんの消耗はともかくとして、ルルイエランド浮上までの時間が心配です」

可能なら、浮上直後に入園したい。
宇宙三大絶叫マシーンと名高い『狂気山脈(マッドネスマウンテン)』にチャレンジするのであれば、やはり入園直後に全力ダッシュで向かうしか無いのだ。
隣に姉さんが居るわけでもなし、乗り物一つに乗るのに何時間も並んではいられない。
妄想の話はともかく、こうして同道して始めて気づいたのだが、やはりデモンベイン単体での運用には虚数展開カタパルトが必要不可欠なのだ。
仮に現時点でのデモンベインがシャンタクを使えなくても、虚数展開カタパルトが無事であったなら、マギウススタイルで現地近くまで飛んでいき、そこで機神招喚が可能だった。
虚数展開カタパルトを壊したのは、間接的には俺なわけだが。

「決まりだな。──九郎、デモンベインの元に行くぞ」

「そう、だな。せめて、到着したら直ぐに出撃できるようにしとかないと」

肩を落としながらとぼとぼとブリッジから出ようとする大十字。
どうやら、この時点でもまだ気付いていないらしい。

「いえ、出撃です。この際消耗云々を気にしてもいられませんからね」

「え、でもデモンベインは……あ」

そう、現時点でデモンベインはシャンタクを使用できるし、原作の流れでもシャンタクを展開した状態で空からの乱入を行なっていた。
直ぐにタカラブネの方も援護砲撃を開始していたようだし、現地に早く到着する為というよりは海から攻めこまれて船ごと撃沈されないように、という配慮なのだろうが。
事ここに至るまでにシャンタクに思い至らなかったのは、シャンタクを初めて展開したのがクトゥルフの砲撃直後、そしてイメージ照射の直前だったために、一時的に記憶から抜け落ちていたのかもしれない。
そんな大十字に背を向け、俺はブリッジから外に出る。

「美鳥」

「あたしたちが先導するんだよね」

屋根の上で腕を組んだ忍者立ちをしていた美鳥がくるりと身軽な動作で飛び降り頷いた。
そのまま船首側に向けて歩きながら、手早く表向きの方針を決める。

「デモンベインも勘定にいれるとして、鬼械神が三体」

ストッパーは必要ない、というか、一緒に居たら流れで正体バレされる可能性があるから地球皇帝戦には参加しないという事は事前に決めてある。

「先に言っておくけど、あたしはクトゥルー内部に突入するよ。アヌスの脳味噌に用事がある」

データを手に入れて、ついでにその手で殺すか。
残機は存在消滅でどうにでもできるから、これには特に異存はない。

《話を聞き出すなら、魔導書剥いどくのもわすれんなよ》

《わかってるって》

会話の合間、考えこむ素振りで作った時間を使い、通信で釘を刺しておく。
こいつの趣味嗜好とかこだわりを否定する必要はないが、せっかくの強化のチャンスを見過ごすこともない。

「じゃ、俺が外で艦隊の援護だな」

決死戦臭かったし、残る理由としては十分だろう。
原作の方の大十字にしても、クトゥルーに突入する寸前は心配そうだったし、三機居るのであれば、一機くらいその場の戦力に回すのは不自然ではない筈だ。
何なら、外で眷属の相手をしながら直接クトゥルフに攻撃を加えても良い。

甲板に到着、舳先の先端に立ち、手に偃月刀を鍛造する。
一振りして詠唱携帯、詠唱補助専用の携帯電話型に変形した偃月刀を掲げる。
美鳥の偃月刀も、何故か腕輪型、もっと言うなら、ゴングの付いた腕輪型に変形を完了したようだ。
ちなみに、俺も美鳥もその気になれば無詠唱ノータイムノーリスクで召喚できるため、このプロセスには趣味的な意図しか含まれていない。
……本当なら俺があっちをやりたかったのだが、仁義なきジョイメカファイト対決により決まったことなので文句は言わない。
どうせ今回一回きりの結果なのだ。

美鳥はキックボクサーの様なポーズを取りながら、腕輪に付いたゴングを鳴らす。
響き渡るゴングが待機中の字祷子を励起させ、続く呪文の通りを良くするのだ。

「来来獣!」

美鳥の、いや、艦隊の背後から、三次元的には未確定なエーテル存在が三体顕れた。
当然この演出にだってさしたる意味はないのだ。
なので、全然羨ましいとか無いし。マジで。全然羨ましくないし。

「マージ・ジルマ・マジ・ジンガ!」

もはや携帯すらまともに使わず、むしろ投げやり気味に握りつぶしながらの詠唱に、これまた不安定な五体のエーテル存在が顕れる。
隣の美鳥は呆れ顔だ。

「お兄さん……召喚のプロセスが抜けてる」

「この期に及んでアイオーンをマジマジン単体扱いとか無いわ。『ウーザ・ドーザ・ウル・ザンガ』なら真面目にやれたんだけどな」

あれなら、掲げるのはファンタジー色の強いブレードで済んだし。
ウルザードさんは紫色以外にありえないだろ常識的に考えて……。
あとガオシルバーも敵側に居た頃の方が格好良かった。
まぁ、ライバルキャラの格好良さを維持したまま味方になんて来られたら、従来のメンバーの人気が食われるのは目に見えているからこその処置なんだろうけども。

「まあいい、行くぞ!」

「アロンジー!」

仮想コックピットへの逆召喚ではない、伝統的な巨大ロボットへの搭乗法に従い、俺と美鳥はビルよりも高く飛び上がる。
空高く舞い上がった俺達の目の前では、朝の七時半からでは見られないような、極めて四次元に近い三次元的な変形を繰り返しながら合体していくゲキビースト(仮)とマジマジン(仮)の姿。
術者である俺と美鳥を芯に、平面の魔方陣が無数に展開し、球体を形成、仮想コックピットへ。
仮想コックピットを包むように、変形を繰り返していたゲキビースト(仮)とマジマジン(仮)のパーツが噛み合わさり──

「アイオーン・ウルフ!」

「アイオーン・キング!」

──双子のように同じデザインの鬼械神が召喚された。
勿論、名乗りにも特に意味はない。
別段片足が狼になっているわけでも無ければ、五体の鬼械神が合体して生まれた鬼械神の王様って訳でもない。
仮想コックピットは前回の1LDKではない、標準的なモーショントレースタイプ。
そんな仮想コックピットの内壁には、相互通信により、美鳥の微妙な表情が映し出されていた。

「……やっぱさ、召喚完了の瞬間が一番恥ずかしいよね」

照れているような、困惑しているような顔で、僅かに朱に染まった頬を人差し指で掻く美鳥。
たぶん俺も美鳥と似たような表情をしているだろう。今この瞬間、心は一つだ。

「わかる。変身とか召喚を実行してる最中はいいんだよな。テンション上がるし」

気分によってBGMを流したっていい。
が、現実はそう美味しいことばかりではないのだ。

「何が辛いって、決めポーズを取って、余韻を味わった後の『間』が辛いよね……」

「三十分番組内部の残り数分戦闘じゃないからこその欠点だな。時間に余裕がありすぎる……」

心地良い余韻が徐々に痛々しい空白に入れ替わっていくこの感覚は、実際に長めのネタ召喚をやったことのある者にしか解らない痛々しさだろう。
だからこそ、普段は正式な詠唱か、もしくはアクセスッ! とか、マテリアライズッ! とか、エンタングルッ! 程度の短文で済ませているのだが。
だが、これも仕方のない処置だ。

「まぁ、次の周はまるまる羞恥プレイだし、これくらいは慣れておかないと……」

「仕方ないね……」

仮想コックピットの中、後方から俺達を追い抜かんとする勢いでタカラブネから飛び出してきたデモンベインを見ながら、俺はがっくりと肩を落とすのであった。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

クトゥルフと融合を果たした機動要塞夢幻心母の内部は、見るも悍ましい光景だった。
血管の様な管が縦横無尽に這いまわり、人工物の内壁は桃色に蠢く神の肉によって斑に覆われ、脈動を繰り返している。

「これぞ血管住宅だなー」

シャンタクで飛翔しながら、片手に構えた偃月刀を無造作に振るい、斬撃波で肉壁を切り裂くアイオーン。
時折ボディの彼方此方に増設されたコンテナから小型の魔導兵器や爆弾を投下し、破壊活動に余念がない。

「でも本当に大丈夫だったのか? あっちに卓也一人で残すなんて」

速度を落とさず破壊活動を続けるアイオーンに対し、飛行に専念するデモンベイン。
これも役割分担の一つ、デモンベインの火力温存だ。
邪神の力を借りて武装に込める通常の鬼械神では、最悪、クトゥルーとの直接対決になった時に火力が足りず、仕留め切れない可能性がある。
要塞の最奥で、クトゥルーの制御を行なっている魔術師と対決するのであれば、それはデモンベインをおいて他にはない。

「だいじょぶだいじょぶ、そもそも、犠牲の数を考えなければ、軍の艦隊だけでもどうにかできただろうしね」

術者である美鳥の動きをトレースしているのか、ひらひらと偃月刀を構えていない方の手を振るアイオーン。
しかし、次の瞬間にはその手の中に輝く字祷子が収束し、形容しがたい宇宙的なデザインの火器が握られた。
躊躇なく引き金を引き、虫の大群が出す羽音にも似た悍ましい銃声を放ちながら魔弾を吐き出す魔導兵器。
銃口はデモンベインに向けられているが、九郎が反応するよりも早く結果は現れた。

「それでもほら、一応立場的にはさ、見逃せないじゃん? 心情的にも見棄てられないだろうし」

魔弾は全てデモンベインをギリギリの所で避け、その向こう側、神の肉と人工物とが混ざり合って造られた拳を打ち砕く。
打ち砕かれた拳が肉と人工物の集まりに戻り、再び周囲の壁が鳴動する。
先の拳よりも大胆に、しかし迅速に寄り集まり、デモンベインとアイオーンを取り囲む様に三体の半人半機の巨人が現れた。
ウェスパシアヌスが召喚する使い魔。
鬼械神という巨大な魔術増幅装置でもあるサイクラノーシュを介する事により、生身の状態で召喚するよりも遥かに強大な力を得た三体の巨人だ。

「謳え! 呪え! ガルバ! オトー! ウィテリウス!」

何処からとも無く響くウェスパシアヌスの声に応え、三体の巨人が結界を結ぶ。
結界の中に閉じ込められたデモンベインとアイオーンに対し、三体の巨人は怨念に満ちた断末魔の声を浴びせかける。
びりびりと装甲を震わせ硬直するデモンベインと、武器を手放し身を丸めるアイオーン。

「だから、うん、さっさと行け。世界がどうのは知らねーけど、こいつを殺すのはあたしの仕事だ」

「……ああ、任せた!」

ダメージを受け、硬直していたデモンベインの姿が崩れ去る。
崩れたデモンベインは機械で造られた内臓を晒す事無く、きらきらと輝く粒子になり、解けて消えていった。

「っ! ニトクリスの鏡!?」

ウェスパシアヌスが見ていた限りでは、クトゥルー内部に侵入してからここまで、デモンベインが、もしくはアイオーンがニトクリスの鏡を発動している様子は無かった。
そう、これも九郎と鳴無兄妹の策の一つだ。
クトゥルフの魔力中枢と、制御を行う魔術師を排除しようとするデモンベインとアイオーンに対し、敵は当然妨害を仕掛けてくる。
三人の知る限り、残るアンチクロスは二人。
一人はクトゥルーの制御を行うにしても、一人は必ず迎撃に現れるだろう。
こちらは敵地に脚を踏み入れるのだから、当然相手は最初から罠を張っているに違いない。
ならば、どうするか。
必ず中枢にたどり着かなければならないデモンベインに、クトゥルー侵入の時点で晦ましの術をかけておけばいい。
だが、完全に見えなければ敵も必ず警戒する。
だからこそ、魔術的センサー、科学的センサーを欺く術で『ずれた位置にデモンベインの姿を映し続けていた』のだ。

「ミラージュコロイドも使った応用さ」

発生源の解らないウェスパシアヌスの声に、美鳥が何処に向けるでもなく声を返す。
身を丸めていたアイオーンが起き上がり、勢い良く両腕を開く。
同時、両腕の間の空間が歪み、弾けるように一つの魔導具が顕現する。

「ギラギラーン、ダブルッ、V!」

エレキギターとミュージックボードを組み合わせたかのようなその魔導兵器をアイオーンが爪弾く。
生み出されるのはハスターの運ぶ狂気のメロディ。
星間宇宙に響くソリタリー・ウェイブは、いとも容易く字祷子同士の結合を強制的に分断する。
崩れ去る三体の巨人に加え、姿を消していたウェスパシアヌスの鬼械神、サイクラノーシュも術式を乱され、その姿を表す。

「いやぁ、中々に、中々にやってくれるものだね」

術を破られ、しかしウェスパシアヌスは余裕を崩さない。
脚の生えた円盤型の鬼械神の上で、にこやかに人の良い、母性すら感じられる笑みを浮かべている。
ウェスパシアヌスから見たアイオーンの操者、音無美鳥は、かなり即物的な部類に分けられる魔術師だった。
その印象は奇跡の復活劇を見せられた後でも、クトゥルーに侵入する前と後の鬼械神での戦いを見ても変わらない。
目眩ましに術のディスペルなどもできるようだが、それでも音無美鳥が第一に使うのは、相手を滅するための攻撃的な術式。
使い魔を命のストックとし、鬼械神を増幅器として多彩な術を操る自分の敵ではないと踏んでいる。

「だが、仮にもアンチクロスの一人である私と、その下位に属する君。正面から戦うには余りにも、余りにも力の差がありすぎるとは思わないかね?」

通常鬼械神で戦う場合、術者の魔術の多彩さはあまり役に立たない。
それは、鬼械神での戦闘を行う際には、威力などの関係から鬼械神に備えられた武装を主に使うからだ。
だが、サイクラノーシュは違う。
他の鬼械神と異なり、最初から呪文を発声するための器官が備わっている。
術者の智恵の届く限り、サイクラノーシュの取れる選択の幅は無限に広がり続けるのだ。

今も、サイクラノーシュの放つ魔術と、倒しても倒しても復活する三体の巨人の波状攻撃に、アイオーンは禄に反撃することも叶わず逃げ惑うしか無いではないか!
天候を操り放たれる雷を、三体の巨人の呪いを、物理的な打撃を浴びながら、しかしアイオーンの操者、美鳥は問いかける。

「一つ聞かせな、てめーが戦闘用に再調整した実験体、メタトロンの洗脳は解けるか」

「ああ……それは、それは無理だろう。何しろ、改造した時点で彼の心は壊れていたのだ。あれは洗脳ではないよ。もうあの状態で心が固定されてしまっているんだ」

それはある意味では嘘で、ある意味では真実。
メタトロンを改造した時点で、確かにライガ・クルセイドの精神状態はかなり不安定な状態だった。
妹に対し強い保護欲を抱いていたのも確かだが、不安定なそれが固まりきる前に手を加え、一つの『作品』として仕上げたのは他ならぬウェスパシアヌスなのだ。
無理というのも、メタトロンが既に引き返せない段階にあり、本人もそれを望まない事だけではなく、ウェスパシアヌスが自分の作品を弄る必要性を見出せないという点が大きい。
そこで、ふとウェスパシアヌスは気がついた。

「なるほどなるほど、君はつまりアレか。彼と彼女に、自分と兄の姿を重ねているのだね? しかし、それは、それはあまりにも滑稽だ。滑稽に過ぎる。彼の心は決して君だけに向くことはないし、重ね合わせたとして、君自身に何か益があるわけでもない」

ウェスパシアヌスの言葉に反論できない美鳥と同じく、アイオーンもまた、サイクラノーシュと三体の巨人の猛攻を一身に浴び続け、反撃すらしてこない。
圧倒的な立場から、相手を見下し、蹂躙し、支配するのは実に楽しい。
支配するので無くても、相対する敵が目的を達成出来ずにもがく様を見るのは、真性のサディストであるウェスパシアヌスにとって、研究に匹敵する娯楽となる。
白衣に身を包み、科学者然としたウェスパシアヌスであるが、実験の為に人の身体を切り裂く時と、戦闘で敵を圧倒している時、その胸は高鳴り、直接的な刺激も無しにオーガズムに達した回数は数え切れるものではない。

だからこそ、気付くことが出来なかった。
戦闘を観戦する自分の背後。
サイクラノーシュの装甲板から滲み出るように現れた、一つの存在に。
いや、ウェスパシアヌスでなくとも、誰が考えつくことができるだろうか。
超次元に存在する鬼械神の大本を経由し、鬼械神から鬼械神へと、何の気配もなく乗り換えることのできる者が存在するなどと!

「そうかい。マジつかえねー奴だな、てめー」

声を掛けられ、始めてその存在に気がつく。
ぎくりと身体を硬直させ、しかし素早くその場から跳ぶウェスパシアヌス。
だが、背後に迫る影はあっさりとウェスパシアヌスを追い抜き、振り向き様に顔面に廻し蹴りを叩きこむ。
何の魔術的な効果も付随しない、とても固い、頑丈な金属のフレームが内蔵されている『だけ』の安全靴の爪先が顔面に突き刺さる。
だが、それは肉体を魔術的に改造し、超人的な強度と身体能力を持つウェスパシアヌスの鼻を叩き潰した。

「ひぎぃっ」

潰された鼻で豚のような悲鳴を上げるウェスパシアヌス。
鼻血が止まらない鼻を抑えながらウェスパシアヌスが見たのは、どこにでも居そうな洋服をを纏った人影。
その少女が音無美鳥であると判別することのできたウェスパシアヌスであったが、それに対して何のリアクションも取れない。
痛みに思考が混乱し、喉は痙攣し、声を発することもできないのだ。
痛覚に対して常人以上の耐性を持っている筈なのに、既に人を超え、窮極の魔人をも創りだそうという私が、何故!?

「いいか……この蹴りは恵の……帰国子女な妹という美味しい設定なのに個別ルートも作ってもらえず、本番シーンは回想で済まされた挙句そのまま捕食され、時には銃殺され、更には家ごと焼かれ、ついでに実験台にされ、まともな生存ルートすら一つ二つしかない恵のぶんだ……。顔面の何処かの骨がへし折れたようだが、それは恵がお前の顔をへし折ったと思え……」

冷たく言い放つ美鳥の言葉に、ウェスパシアヌスの思考は更に混濁する。
恵とは誰か。
あの冷静な鳴無美鳥をここまで激昂させる存在は何か。
自分の使い潰した実験体の内のどれかか?
ウェスパシアヌスがそれを思い出す事はない。
何しろ、このウェスパシアヌスの過去の被験体の中に恵なる人物は存在しない。

「そしてこれも恵のぶんだッ!」

美鳥の左フック!
これ以上殴られては堪らぬと、手元に戻した使い魔の影に隠れるウェスパシアヌス。
だが、如何なる悪魔的な技であったか。

「また隠れるつもりか? だがそれはできねー。今お前の乗るサイクラノーシュに細工をした」

「ひっ!」

ウェスパシアヌスが使い魔の後ろに隠れると、そのウェスパシアヌスの背後にまた美鳥が居るではないか!
超人の身体能力を失い、二本の脚でひたすら使い魔の背後に隠れようとするウェスパシアヌス。
だが、いくら逃げても、何処に隠れても、必ずその先に美鳥が居る!

「ここでは、いくら逃げてもあたしの拳の前にてめーが来る。そして次のも恵のぶんだ。その次のも、次の次のも、次の次の次のも、その次の次の次の次のも……」

ウェスパシアヌスは震え上がる。
美鳥は、決して脅しで言っている訳でもない。
何かの見返りを要求するために痛めつけている訳ではないのだ。
美鳥は、アンチクロスである自分を、処刑しようとしている。
今の美鳥には、精神が正常か否かはともかくとして、言ったことを現実にするだけの『凄み』がある!

「ま、待ちたまえ! 何故、何故大導師に雇われていた君たちが……、大導師は、死んでいるというのに!」

「あ? 言ってることがわからねー……イカれてんのか? この状況で」

掌を突き出し静止をかけるウェスパシアヌスに、苛立ち混じりの視線を投げる美鳥。
だが、現状、何故か魔術が尽く発動せず、見た目通りの成人女性程度の能力しか発揮できないウェスパシアヌスにとってこの会話は唯一の逃走経路になる可能性があるのだ。
美鳥が先程から言っている恵という少女の事は思い当たらないが、美鳥自身の性格には多少聞き覚えがあった。
この少女は短絡的で即物的だが、それは大概の場合、兄の鳴無卓也の利益に繋がるのだという。

「そう、そうとも。君たちがどんな目的で未だにあちら側に手を貸しているのだとしても、中枢でアウグストゥスと大十字九郎が出会えば、全てが終わる! 何なら兄君と共に新たなアンチクロヴぇ」

言いくるめるための台詞が不自然に途切れた。
一瞬の間を置いて、ぶしゅ、と、水気のある何かが吹き出す音が響く。

「あぁーん? アンチクロべぇってなぁに? あたし、ぜぇーんぜんわかんねぇ。つうか、あたしもお兄さんもアンチどころかどっちかっていやぁ幸英推進派よ? DVDで柳生十兵衛七番勝負見たけど面白かったなー」

ヘラヘラと口元に笑みを浮かべ──しかし目元だけは一切笑っていない美鳥。
その手の中には、

「あ、あお、ああえお、あお、あ」

引き千切られた、ウェスパシアヌスの下顎が握られている。
遅れてやってくる、肉体の一部を損失した事による激痛。
だが、それは通常の成人女性として考えれば、かなり軽減された痛みだった。
ウェスパシアヌスの魔術が、この状況では発動している。
今ならば、応戦することも、逃走することも可能だろう。少なくとも、それを試みる事は。
だが、この状況も、この間合も不味い。
研究こそがメインではあるが、仮にも機神招喚を可能とする達人級の自分に、察知出来ない速度での攻撃。
そして、不意を突かれたとはいえ、魔術の発動どころか、身体に施していた改造すら無効化する謎の技術。
アンチクロスの下位に属する? 冗談ではない。
『こいつは、バケモノだ! 真っ向から向かって勝てる相手じゃあない!』
喉を、いや、その気であれば首をねじ切る事も可能だったのに、顎を狙った。
幸いな事に、直ぐに殺すつもりはないのだろう。痛めつけるためか、殺さない理由があるのか。
ここは一度、目の前の敵を欺くために──

「使い魔三匹で、命のストックはみっつぅ」

手の中のウェスパシアヌスの下顎を投げ捨てながら口ずさむ美鳥。
調子の外れたメロディに乗せられた言葉に、ウェスパシアヌスの血の気が引く。

「!」

「死に戻りとか、死に抜けとか、させるわけねーだろ。あたしはな、お兄さんの『妹』として、そして、『全日本姉×兄を暖かく見守りつつ少しだけでいいから兄×妹を推進したい妹たちによる現状維持委員会名誉会員(無認可)』としての義務を果たしに来てんだ。だから──」

ダメだ。
こいつは、知っているのだ。
如何なる手腕、如何なる技術、如何なる魔術によるものか。
種を暴かれている! 脱出の為のトリックは通用しない!

「苦しんで死ね」

ウェスパシアヌスは千切られた顎を抑えながら、獣もかくやという俊敏さでその場から飛び退く。
一足でビルを軽々と飛び越える、位階の高い魔術師ならではの身のこなし。
だが──

「『約束された(エクス)──』」

先の宣言通り、逃げた先にはやはり美鳥の姿。
その手の中には、細長い、長さ六十センチ程の長さの棒状の物体が握られていた。
先の部分が半円状に曲がり、先端には切れ込みの入った、鈍色の金属質の物体。
魔導兵器か、いや、それこそが、彼女が人以外の種族である事実を証明する、宇宙的アーティファクト。

「『──勝利の鉄梃(カリバール)』!」

その先端から金色に輝く魔力の奔流を吐き出す──事もなく、そのままフルスイングで逃げるウェスパシアヌスに向けて振り抜かれ、その背を『頭一つ分低く』した。
低くなった背はそのままに、赤い液体を噴出するウェスパシアヌスの身体。
鼓動に合わせて断続的に降り注ぐ赤い雨は不思議な事に美鳥の身体を濡らす事もなく、全てその身体を避けてサイクラノーシュの装甲に降り注ぐ。

赤い雨の中、ウェスパシアヌスの死体に見向きもせずに歩き出す美鳥。
美鳥の立ち去った後、ウェスパシアヌスの死体が使い魔の死体と入れ替わり、使い魔の居た位置に無傷のウェスパシアヌスが表れる。
そして、ウェスパシアヌスが死亡から復帰すると同時に見たのは、横殴りに迫る鉄梃。
最初の一呼吸をするよりも早く、頬骨を砕かれ、鼻と頬肉毎力任せに骨片を引きぬかれ、もんどり打って倒れるウェスパシアヌス。
激痛に身悶えるウェスパシアヌスに、ゆっくりと歩み寄る美鳥。

「あと三回、か……全国の報われない宿命を背負わされた妹の無念をぶつけるにゃあ、少し足りねーかもな」

ウェスパシアヌスは、それを正面から視界に入れてしまう。
ああ、ああ!
あの『目』、屠殺場に送られる豚を見送る様な、温度の無い『目』が!
バールのような何かを握りしめた、自らの顔面を殴りつけた拳を見ながら、ウェスパシアヌスは必死でこの状況からの打開策を思索する。
……あえて、都合四度目の死をウェスパシアヌスが体験し終えるまでに得られた結論を挙げよう。
『如何に思考力と想像力に優れていたとして、それを実行するだけの能力が無ければ、現状を打開する事はできない』
数々の孤児や一般人の身体を切り開き、実験動物としてきた悪魔の研究者、魔術師ウェスパシアヌス。
その最後の死亡原因は、逃げ場を防がれ、ありったけの魔術を片端からディスペルされながら、首を手刀で切り飛ばされるという、至極呆気のないものとなった。

―――――――――――――――――――

ウェスパシアヌスの生首と亜空間に隠されていた魔導書、そしてついでにたわわなニトロ山脈を取り込んだ私は、手に聖剣エクスカリバールを握り締めながら空を見上げる。
既にサイクラノーシュは消滅し、アイオーンの掌の上に乗っている私の視界には、毒々しい色の肉に覆われた夢幻心母の壁しか映らない。
だが、私の見上げる空には、確かに綺麗な朝焼けが浮かんでいたような気がした。
空には、消えていった仲間達の魂……。

「ヌケサク! 重ちー! ペッシ! 終わったよ……」

茶番が。
しかし、脳味噌と魔導書と脂肪の塊だけだから最適化は一瞬で完了したけど。

「洗脳ではない、か」

脳味噌から取り込んだ知識から見ても、それは尻穴の苦し紛れの嘘ではないようだ。
マザコン風に仕立てられてはいたけれど、あれは普段の周のサンダルと変わらない。
改造時に施した僅かな条件付けと、そこから改造後の肉体に慣らす期間を使っての思考誘導。
ナノポで直接脳の反応を弄る訳ではないから即効性は無いけど、理屈としちゃ、お兄さんがメメメに使った手と変わらない。
長い、それこそ、あの人格と思考を得るまでの期間の十数倍の時間を掛け、精神病院なりなんなりで付きっ切りの手厚い治療を続ければ正常な人格に戻すことも可能かもしれない。
が、それも成功する可能性は低い。治療中にメタトロン──ライガーが大人しくしているという保証はない。
いや、むしろ確実に治療を拒むだろう。

最悪、サンダル──リューさんへの攻撃性を、ヤンデレさを除去できればどうにかなるかもしれないけれど……時間が、圧倒的に足りない。
機械じかけのオレンジ方式でもダメ。それでは抑圧され、もっと歪んだものになるだけだ。
それに、これも問題がある。
完全にライガーの精神が正常になった時、過去の自分の罪を思い、自分は妹と共には居られない、などと言い出しかねない。

「あぁ」

衝動的になりすぎている気がする。
移動中の船の中で、
『やりたい事はやっておけ。これが終わったら二年以上の羞恥ロールプレイだからな』
なんて言われたから、思いつく限りの事をしたいのに、初手でけっ躓いてしまった。
これなら、残り時間全部で、お兄さんに犯して貰う方が有意義な時間になったかもしれない。
でも、やるって決めちゃったしなぁ。

「仕方ないね」

そう、仕方がない。
本来なら改造主の知識をベースにするのが一番確実だったんだけど、あてにならないのだから仕方が無い。
一か八か、ライガーの死体を回収して、ド・マリニーの『巻戻し』を試してみるか。
尻穴に引き取られる前まで脳味噌の状態を巻き戻す。
生身の肉体は存在しないから、ライカ・クルセイドのDNAマップから適度な年齢まで成長させた死体を作って移植させれば、一応の蘇生にはなる筈だ。
そしてそれをリューさんの所に置いておけば、兄の面影をみてついつい引き取ってしまうだろう。
ニャルさんとミ=ゴ☆ミ=ゴナースでも取り込んでれば、巻き戻しも脳移植も確実に成功させられたんだけど。
若返りで肉体年齢が、記憶の巻戻しで精神年齢が妹を下回るけど、それでこの周のライガーがリューさんの兄であった事実が、リューさんがライガーの妹であった事実が消えるわけじゃあない。
どんな形であれ、たとえ本人たちが違いがそれであると気が付かなかったとしても、あの兄妹が和解すれば、それが私達、『全妹会(略称)』の勝利だ。

だが一つ。
あの兄妹とは全く関係無いのだけど。

「これ、なんだろ」

聖剣エクスカリバール、いや、正式名称『名状しがたいバールのようなもの』を掲げ、あたしは首を傾げる。
咄嗟に取り出して使ってしまったが、【あたしはこんなものを取り込んだ覚えはない】何故あのジョジョ全開の場面からいきなりニャル子ネタに走ってしまったのか。
しかも【少なくともこれまで取り込んだどのような物質とも異なる組成をしている】単純な金属の塊を尻穴の処刑道具にしてしまうとか。
これが【どこの何者の齎したものであるかわからない以上お姉さんに一度相談する必要が】もう少し捻りの効いた拷問道具だったなら、苦痛を限りなく引き出してあげられたのに。
もう少し事前に手順を考えておけばよかった。
せめて【お兄さんがこれと接触あるいは使用しないように】お兄さんにこの後の行為で有意義に使ってもらおう。
あたしの【最適化を先延ば】ウェスパシアヌスにお兄さんの梃子の原理を作用させて欲しいとか、エロく言うとどうなるかなぁ。
例えばそう。

「し、しきゅぅが作用点になって、支点柔らかすぎて入り口がひろがっちゃうのぉ! とか、ううむ、さすがあたし決まってるぜ……『子宮が恋しちゃってる』と並び立つ逸材やも」

決まってるは決まってるでも薬がキマってる感じなんだけども。
馬鹿なことを考えつつ、バールのようなものを投げ捨てる。
あたしの扉をこじ開けられるのはお兄さんの万能肉鍵だけと天地創造の時代から決まっているのだ。こんなものに頼る必要はない。

そろそろ、アウグストゥスが排除されて、照夫がネロの腹からナーウ! って感じでイリュージョンごっこしている頃だろう。
見られる事はないと思うけど、脱出する前に激戦があった風に周囲を加工しておくのもいいかもしれない。
そんな事を考えながら、あたしはアイオーンのコックピットへと戻っていった。

―――――――――――――――――――

×月Γ日(とりあえず、一先ず終わった、という事で)

『気心の知れたメンバーを集めて、TS周の打ち上げをすることにした』
『集合のタイミングは大十字が門の向こうに旅立ってから一日後』
『世界中で難民キャンプが出来上がっている様な状況で焼肉パーティをするのは不謹慎なので、一応はアーカムの炊き出しを豪華にして、その配給を以って集まるという形になる』
『シュブさんもほぼ完治したらしいので、炊き出しの手伝いに来てくれるらしい』
『アーカムの連中は他の周でも大切なお客様になるので、可能な限り大切にしたいのだとか』
『実家で毎日大量に生まれるブランド物の山羊を大量に潰して肉にして持ってきてくれると言っていた』
『豚汁ならぬ山羊汁になってしまうのだろうか。焼肉も捨てがたいが、そこはプロの料理人であるシュブさんに任せるとしよう』

『……うん、次の周の事は、次の周が始まってから悩めばいいよね』

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

南極の空に浮かぶ『門』を、手すりに肘掛けながら、ぼんやりと見上げる。

──生まれ変わり、男として再誕したマスターテリオン。
──旧支配者の住まう外宇宙へと繋がる門からは、やがてクトゥルーに匹敵するか、それ以上の力を持つ邪神が無数に雪崩れ込んでくる。
──あらゆる時間、あらゆる場所に繋がる門に入ったが最後、あらゆる時間あらゆる場所を渡り歩く事になる。
──行くのであれば、この時代、この世界には、二度と戻って来られない。

アルがくれた時間は、一晩。
一晩を掛けて考えろと言われた。
征くか、留まるか。
生まれてきてから得てきた何もかもを捨てて、今私の持つ総てを捨てて行く事ができるか、と。

一晩。こうして過ごすには、短いようで長過ぎる。
どちらにせよ、私は行くしか無いんだ。
行かなければ世界が滅びる。
私は、世界ごと殺されるつもりはない。
それに、この世界には、失いたくないものがたくさんある。
だから、私は行かなければならない。

「……」

格納庫で、ウエストとチアキさんと顔を合わせた。
デモンベインの最終調整は順調、夜明け前には万全の仕上がりにできるだろうと言っていた。
艦橋で、御曹司とウィンフィールドさん、執事さん達と話した。
私に何もかもを任せるのを申し訳なく思っているらしく、頭を下げてきた。
リューカさん、教会のがきんちょどもとも話をしたかったけど、それは高望みをし過ぎだろう。

空には門が浮かんでいる。
私の気も知らないで、何も考えてなさそうに。
視線を下ろす。明かりのない夜、海面は黒々とその内を隠している。
既に海魔の残骸すら残らず消え失せた海は平穏そのもの、何を写すこともない。

「何やってんだろ、私」

挨拶はした。
けど、まだ、誰にも総てを話していない。
門をくぐってしまえば、勝敗に関わらず、二度と戻って来られない事も。

手すりを離れ、通路を歩く。
かん、かん。
かん、かん、と、船の上、不思議な程に大きく足音が響く。
唸り声の様な船のエンジン音に、波の音。
足音の後ろに引いた音を聞きながら歩き続け、私は一つのドアの前にたどり着いた。

部屋の中からは話し声も聞こえない。
もう眠ってしまったのだろうか。
あんな戦いの後だというのに、よく眠れるものだ。
いや、逆にあんな戦いの後だから、疲れて眠ってしまったのか。

ドアノブを下げ、戸を開ける。
小さな船室。二段のベッドに、小さな机と椅子。
ベッドの上段は、カーテンが開いて中身が見えている。
誰もいない。

下段のベッドはカーテンが半開きになり、その中のベッドの上には、毛布が不自然に盛り上がっていた。
盛り上がりは、ガタイのいい成人男性くらいだろうか。

「──」

ふと、周囲を見回す。
部屋の中には、他に誰もいない。
隣の船室は空室なのか、誰かが入った気配すら存在しない。
改めて、下段のベッドに向き直る。
目撃者は、居ない。

「っ」

生唾を飲み込む。
そう、今この場所なら、目撃者は居ない。
そして、相手は眠っている。

胸元のボタンに指を掛ける。
ボタンに触れて始めてわかった。
指先が僅かに震えている。
喉もカラカラで、上手く声を出せない。
私は、ぷち、と、一番上のボタンを外しながら、毛布が膨らんだベッドに身を乗り出し──

「なにしてるんです、先輩」

「ひゅあ!?」

背後から掛けられた声に驚き、私はベッドに飛び込んでしまった。
そうしてベッドに飛び乗ると毛布が外れて、中身が顕になる。
それは、赤い鉢巻をした、純白のサンドバック。
太い眉毛と濃い瞳にへの字口な顔も描かれている。

「なんだ、この……なんだ?」

「それはボーナスくんです」

「え?」

背後から掛けられた声の主──卓也の言葉に首をかしげる。

「ボーナスくんです」

真顔で繰り返された。

「ボーナスくん……」

「はい、ボーナスくんです」

そういうものらしい。
卓也は私のとなりに身体を入れて、毛布の下からサンドバック──ボーナスくんを引き摺り出すと、そのまま床に横たえ、それに腰を下ろした。
机の上の電灯のスイッチを入れる。
部屋の中が、橙色の仄かに温かみのある光で照らされた。

「椅子を大量に入れると手狭になりますからね。こんな風に使う為に、誰かが持ち込んでいたらしいんですよ」

ベッドにあったのは、たぶん美鳥のイタズラでしょうね。
そう続ける卓也は、すっかりリラックスし切った表情。
少なくとも、自分の許可無く部屋に入られた事を怒っている様子はない。
開いたままのドアからは、手すり越しに見える海。

「……」

卓也の顔を見る。
卓也の視線はドアの外、夜の海を見つめている。
視線の先を追うと、空の雲は薄くなり、ぼんやりと欠けた月が顔を出していた。
朧月が、薄っすらと海を照らす。
身体には船の唸りが移り、耳に届くのは波の音だけ。

「静かですね」

「ああ」

視線を合わせず相槌を打つ。
……不思議だ。
こいつに会ったら、無茶苦茶に泣いてしまうと思っていたのに。
不思議と穏やかな気持ちになっている。
これが、最後かもしれないのに。

「こんな時間が、何時までも続けばいいんですが」

「……ん、私も、そう思う」

きっとそれは、続くことがないからこそ、そう願ってしまうんだろう。
一夜限りの平穏。
それが終われば、きっと、二度とは来ない時間だから。
それでも、今、卓也が私と同じく思ってくれているのが、嬉しい。

卓也と同じ部屋で、一緒に窓の外、空の月を見上げている。
こんな機会は幾らもあった筈なのに、私はこんなタイミングで、一つの和訳を思い出した。
少し前に死んだ、有名な日本の作家の言葉。

「月が、綺麗だな」

呟く。
予想よりも大きく部屋の中にその言葉は響いた。
口にしてしまってから、波の音を掻き消すように、私の鼓動が大きくなる。
心臓の音がうるさい。
聞こえる筈もないだろうけど、こいつに聞かれでもしたらどうするつもりなんだ。

「……死んでもいい、なんて、言いませんからね」

…………ああ、

「そうか……うん」

こういう奴なんだよな、こいつは。
霞んだ月が浮かぶ夜空が、インクを滲ませたように歪む。
袖でごしごしと目元を拭う。
空には月。
波音にかき消されるように、小さくなった鼓動が聞こえる。

「あのさ」

「はい」

「……帰ったら、また、遊びに行かないか」

「…………」

私の言葉に、卓也は一瞬だけ口を開きかけてから、直ぐに口を噤んで黙りこむ。
こいつの知識は、魔導書一冊から引き出したとは思えない程に幅が広く、深い。
あの『門』がどういうものなのか、たぶん、こいつはわかっているんだろう。
即答なんて出来る筈がない。

「今度は、予定とか立てないでさ、美鳥とかも一緒に、適当に街をふらふら歩くんだ」

でも、そんな事は構わずに、私は喋り続ける。
朝日が昇るまで、まだ幾らも時間があるのだから。
私が続きを捲し立てるよりも早く、しかしゆっくりと卓也は口を開いた。

「……いいですね、それ。でもきっと、休学分の補講とかもありますから、だいぶ先になりますよ」

「うへ、休日返上かよ」

「そうしたら、補講の帰りに飯でも食べて行きましょうか。そろそろ知り合いの店が再開するらしいんで、案内しますよ」

「お前の奢り?」

「先輩、給料貰ってるんですよね?」

「セコい事言うなよ」

「先輩こそ」

卓也は口元に小さく笑みをうかべている。
私も、眦が下がっているのが自分でも解った。
馬鹿馬鹿しい雑談。
随分久しぶりな気がする。

「なぁ、今日、泊まって行っていいか? 眠るまで、話していたいんだ、誰かと」

「構いませんよ。でも途中で美鳥が帰ってきたら……その時は、まあ、美鳥と交渉してください」

「薄情な奴。先輩を助けようとは思わないのか?」

「知らなかったんですか? 俺は肉親以外には薄愛主義者なんですよ」

「相変わらず酷い変換だな、おい」

近くの部屋の迷惑にならない程度に、声を押し殺して笑う。
穏やかな時間が過ぎる。
取り留めもない雑談を繰り返していく内に、私の意識は掠れ、瞼が重くなっていった。
ああ、勿体無い。
勿体無いのに、どんどん意識が遠のいていく。
卓也の言葉の内容も半分しか入ってこない。
世界が九十度回転し、私の身体には毛布が掛けられる。
毛布を肩にかけようとする手を握りながら、私は意識を繋ぎ止める努力を放棄した。

もったいないけど、でも、まぁ、いいか。
きっと、また。
いつか、また。
アーカムに、あの街に帰ったなら。
この話の続きをしよう。私と、お前で。
排気ガスの混じった、騒がしくて、でも、穏やかな風の中で。
大学の講堂で、何処かのカフェテラスで、公園の広場で。
なんてことのない時間の中で、また話をしよう。
また、一緒の時間を作ろう。
だから、今日のところは、

「おや……すみ……」

「ええ、おやすみなさい、先輩。良い夢を」

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

そして、覚醒する。
ドアに嵌めこまれた丸い覗き窓からは、僅かに顔を出し始めた朝陽の光が差し込み、部屋の中を照らす。
まどろみから抜け出し、最初に感じたのはカーテン越しに届く陽射しの眩しさ。
眠る前に握っていた手の感触はない。
カーテンを開けベッドの外を見てみると、卓也は横倒しにされたボーナスくんに凭れ掛かり、毛布を被って眠っていた。
瞼を閉じ、小さく肩を上下させて寝息を立てるその安らかな表情に、自然と笑みが溢れた。

眠る卓也を起こさない様にベッドから降りる。
寝間着に着替えても居なかったけれど、身体にも頭にも疲れはない。
身体には、修行の後に掛けて貰っていた治癒魔術の痕跡。
きっと、気を使ってくれたのだろう。

「ん……」

もう、何も気負う事はない。
顔を近づけて、閉じた瞼に口付ける。

「ほんとは、別の場所にしたかったけど」

もう、お前の答えは聞いちゃったから。
これで勘弁してやるさ。
また会う時は、後悔させてやるからな。
あの時唾を付けておけばよかった、って。
そんな負け惜しみを心の中に留めながら、私は部屋を後にした。
さぁ、行こうか。

―――――――――――――――――――

格納庫に到着すると、入り口近くで美鳥とすれ違った。

「最後の夜にねだるのが添い寝とか、小学生かよ」

「悪いな、私ってプラトニックなタイプだったみたいで」

はん、と鼻で笑う美鳥が後ろ手に手を振る。
どうやら、昨日の夜は気を使ってくれていたらしい。
うん、やっぱり、あいつも良い奴だ。
徹夜明けなのか、寄り添うようにして地面に座ったまま眠るウエストとチアキさんを避けて、デモンベインの元へ。
デモンベインの足元で、アルが仁王立ちで待ち構えていた。

「このヘタレめ」

「純情なんだよ、これでも」

私の言葉に失笑を反し、身体を解いてぬいぐるみの様な小さな姿に変じるアル。
同時に、私の身体はマギウススタイルに変貌していた。
そのまま、デモンベインのボディの凹凸を蹴って幾度か跳躍し、コックピットに搭乗する。

アルを介してシステムをリンク。
擬似連結状態になったデモンベインの身体を動かすと、同時に発進用のリフトが上昇を開始した。
制御室には御曹司、ウィンフィールドさん、チアキさん以外の執事の人たち。
足元では、デモンベインの起動とリフトの動きに目を覚ましたウエストとチアキさんが何か叫んでいる。

……ああ。
こいつらが居たから、皆が居たから、私は今、ここにこうして居られる。
こいつらだけじゃなくて、これまでの人生で関わってきた全ての人達のお陰で。
記憶に残る何もかもが私の後ろ髪を引く。
残ってもいいじゃないか、戦いに行く義務なんてない。
その、当たり前の気持ちが、みんなと一緒に生きていきたいという気持ちが、私の背中を支えてくれる。
だから、私は征く事ができる。
この未練を守るために、私の脚は前に進むんだ。

じれったいほどの時間をかけリフトが上がりきり、デモンベインの全身が、船の外に露出した。
シャンタクの翼を広げて、ゆっくりと船から脚を離す。
何時に間にか東の地平からは朝陽が半分以上顔を覗かせ、黎明の空を澄んだ白い色に染め上げ始めていた。
朝の空気は冷たく澄み渡り、遮るもの無く降り注ぐ朝の輝きがデモンベインの装甲を眩く煌めかせる。

デモンベインが飛ぶ。
輝く魔力を尾のように伸ばしながら、流星の如く、暁の空を切り裂いて。
この世界への、あいつへの未練を断ち切るように、翼を一打ち、加速。
目指すはヨグ=ソトースの門の向こう。
時空渦巻く異界の彼方。
決意を胸に、皆の祈りを背に受け、いざ、超狂気の世界へと飛び込もう。
門が開き、私達を迎え入れる。
その向こうに広がるのは、無秩序、何もかもが融け合い混ざり合い拒絶し合い否定し合う、揺蕩う混沌の海。
時間も距離も方角も意味を持たない世界に脚を踏み出す、その瞬間。

《先輩!》

声が届く。
別れの言葉もなく、一方的なキスだけでお別れした筈の声。
あいつの声が。
デモンベインの身をねじり振り向く。
そこには、何かを投げた後のアイオーンの姿。
デモンベインとアイオーンの間には、拳ほどのサイズの魔力塊。
それは何ら物理的作用を及ぼすこと無く、デモンベインの中に吸い込まれていった。

霊的に重なり合っているデモンベインの状態を、私とアルは体感で感じ取る事ができる。
今送り込まれたのは、魔術兵装の最適化術式。
そして、最適化と同時に、意匠の追加も行われた。
偃月刀や魔銃に刻まれた意匠は文字。

刻まれたLuck(幸運)の文字列。
その頭に、一文字だけ赤く付け加えられた。
Luckの頭に、Pを足してPluck(勇気)!

《グッドラック。また、大学でお会いしましょう》

閉じかけたヨグ=ソトースの門の向こうに見えるのは、地球の空をバックに、私達に向け片腕の拳を向ける、親指を立てるアイオーンの姿。
門が閉じる。
既に私の感覚はこの超空間のものと成り果て、目の前のアイオーンの姿も、正常な形には見えない。
当然、そんなアイオーンの中に居るあいつの姿なんて見える筈もない。
でも、だからこそ。
私は隙が生まれるのにも構わず、デモンベインの拳を突き出し、アイオーンに倣う様に親指を立てる。
サムズアップ。
古代ローマにおいて、自らの行いに真に満足した者だけが許されたというジェスチャーだ。

「……ああ! また、大学で!」

最後に心残りが出来た。
これじゃあ、とてもじゃないけど、未練だけを持ってこの世とお別れなんてできそうに無い。

帰ろう、あの街へ。
この戦いを終えて、何時の、何処に流れ着いたとしても。
幾ら時間を掛けてでも、どれだけの距離が隔てようと。
アーカムシティの、ミスカトニック大学へ。お前の居る、日常に。
お前が待っていてくれるなら、きっと私はたどり着ける。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

目の前で門が閉じる。
大十字を飲み込み、照夫の待つ戦場へと送り込んだヨグ=ソトースの門は、ゆっくりとその存在感を薄れさせ、遂には完全にこの世から消滅した。
俺は仮想コックピットを解放し、滞空するアイオーンの肩の上に立ち、昇る朝陽を見つめながら、口の端を吊り上げる。

「また大学で……! またとは言ったが……今回、その周や時間の指定はしていない」

そのことを、どうかこの俺のモノローグを覗き見ているかもしれない超常の存在にも思い出して貰いたい。
つまり……俺がその気になれば、再会するのは十周後、二十周後ということも可能だろう……ということ……!
まぁどっちにしても、俺がループする時点で覇道鋼造ってかなりの確率で死んでいるし、生きていてもあちらから接触する理由が殆ど無い。

そもそも、覇道鋼造になった大十字の役目は覇道財閥とアーカムシティを作り上げ、デモンベインを完全な状態まで持っていくことに他ならない。
俺が関わるメリットはゼロ。
これが機神胎動の時間軸だったら、新たな魔導書の為に協力するのもやぶさかではないのだけども。

しかし、本当にこのTS周は疲れた。
自分で洗脳した結果ならばともかく、誰かの誘導によりこちらに好意を向ける相手とか、対処に困る。
そう、まるでカンフーファイターのパイロットさんの画像が貼られていた時の様な、そんなレスしづらさを感じる。

だが、それももう終わり。
次の周には次の周で嫌なことが待っているが、明日は明日の風が吹くというし、今周のところは、終わった事を喜ぶとしよう。
喉元過ぎればなんとやら、多少の達成感すら感じるじゃあないか。

朝陽を浴びながらそんなことを考えていると、懐に仕舞ってあった携帯に着信。
画面を確認すると、姉さんからだった。
通話ボタンを押し、耳元に当てる。

『あ、卓也ちゃん、あのね、今朝のご飯目玉焼きとご飯とサラダで、汁物はお吸い物にしようと思ってたんだけどね? なんだか急にシュブちゃんが来てね?』

繋がると同時、俺が何か口にするよりも早く姉さんが捲し立てる。
口調から察するに、どうやら少し錯乱しているらしい。
というか、シュブさん来たんだ。大十字と大導師が消えたから、体調も完全に戻ったのかな。
しかし、この後炊き出しで集合する手はずだったのに、なんで態々姉さんの設営したキャンプ地に?

「落ち着いて姉さん、シュブさんがどうしたの?」

『あのね、酷いんだよ? 来るなり台所貸してって言うから貸してあげたらね? ジンギスカン鍋を取り出してね? お肉と野菜がね? 秘伝のタレがジュワ~ッてね? すっごく美味しいの!』

シュブさんの齎す、ダイエット中の女性にとっては悍ましく冒涜的な旨さのジンギスカンセットにより、姉さんの胃SANチェック……成功。
ニグラス亭のジンギスカン定食出張版の満腹度減少値は1D10/1D100、ダイスロール……今回の出目は7。
一時間の間に5以上の満腹度が減少し、姉さんは一時的食い気に飲まれてしまったようだ。
また、携帯電話越しに肉の焼ける音と油の跳ねる音、台詞の間に挟まれる咀嚼と嚥下音により、俺も満腹度チェックを行う。
なお、昨日の決戦直前から何も口にしていない為、達成値に30%のマイナス。
自動で失敗……ざんねん! おれのぼうけんは、ここでおわってしまった!
精神病院行きのキャラシートを投げ捨て二枚目のキャラシートが必要になるレベルの空腹に、俺は慌てて姉さんに問いかける。

「え、ちょっと待って大十字見送ってから朝食は一緒に食べるって言ってたじゃん! 肉は、まだ肉は残ってるの!?」

『えへへ、今はまだ残ってるよ……今は』

どうやら、姉さんは未来への切符は何時も白紙なので、お前の運命(さだめ)は私が決めると言いたいらしい。
卑劣な……! やはり人間(の食い気)はドス汚れている!
なんか黒っぽい仔山羊とか貪り食ったに違いない。それでお腹の中が真っ黒に……。
姉さんの腹黒さはキャラ的に意外性あってチャームポイントだが、食事に関して譲るつもりは全くない。
アイオーンの仮想コックピットへと舞い戻り、シャンタクを神獣形態へ。

「行くぞ、シャンタっ君!」

みー!

半ば自我を持ち始めた飛行ユニットが、電動スクーターのエンジン音にも似た愛らしい駆動音を発する。
目指すは姉さんとシュブさんの待つ最終キャンプ地!
アイオーンは、大十字出立の余韻を吹き飛ばすように、南極の待機を破裂させながら空へと飛翔した。






なお、最終的に一番遅れてやってきた美鳥を合わせた俺達三人のコズミックストマックによって、シュブさんの持ってきた肉類は全滅。
シュブさんが念のためにと連れてきた何処か黒っぽく、とても山羊には見えない山羊は、アンチクロスの召喚する鬼械神を凌駕する強さを持っていた為、
炊き出し用を含む新たな肉調達が夢幻心母攻略よりも困難を極めたのは、完全な余談になるだろう。

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

十九世紀、アリゾナ。
大気圏外からのダイブにより大破したデモンベインのコックピットの中、丁度陽射しから隠れる位置に、九郎は倒れていた。
その姿は尋常ではない。
衣服は力任せに引きちぎられ、露出した肌には強い力で掴まれたのか、人の手の形をした青あざが幾つも残されている。

「あ……う……」

虚ろな目で呻く。
声に押され、口の中からゴポリと白濁がこぼれ落ちる。
本来なら嘔吐する程の量だが、衰弱しきった九郎の身体はそれすら行えない。
観れば、九郎の全身は、その白濁の掛かっていない場所が存在しない事に気がつくだろう。
引き裂かれたショーツの下からも、血液が混じり、濁ったピンク色になったそれが止めどなく溢れだしている。
髪は乾き始めたその白濁のせいで絡まり、身動ぎする度にぱりぱりと音を立てた。

同じく、この場所に降り立った大導師にこの状態で捨て置かれ、既に丸一日以上の時間が過ぎ去ろうとしている。
胎内に注がれた半神の体液が齎す、容易く人間の正気を打ち砕く快楽に慣れ始めた九郎は、痛む身体を抑えながら、ゆっくりと身を起こした。
貫かれた股が痛む。
だが、それも戦いの中で、修行の中で刃物に貫かれたものに比べればかなりマシな痛みでしかない。

「ん……ん……」

ごくり、と、苦しげな表情で喉を鳴らし、口の中に滞留していた体液を再び飲み下す。
口から、喉から、食道、胃から神経や魂を犯されるような感覚。
気がつけばそれを甘美な味だと認識してしまいそうな自分に、しかし九郎は絶望することもない。
耐えられる。今の自分であれば、この感覚にも。
飲み込み終えた九郎が早口に口訣を唱え、指先で鳩尾に触れ、印を描く。
胎内の液体から、飲み込んだ液体から活力が奪われ、九郎の生命力を補填する。
房中術の応用。
液体の持ち主が半神であったためか、その効果は目に見えて九郎の身体に力を取り戻させていた。
浮かんでいた青痣は薄くなり、血の滲んでいた疵痕は薄皮で塞がれた。

暴行に対する抵抗で落ちた体力も戻ったのか、九郎はそのままゆっくりと立ち上がり、コックピットの中に備え付けられた収納スペースを漁り始める。
中には、万が一遭難した時の事を考えてか、水の入ったボトルに、数食分の高カロリー非常食含む最低限のサバイバルキット、フードの付いた大きめの外套、そして。

「魔導書……」

いや、それを魔導書と言っていいものか、それは市販のルーズリーフを束ねた簡素な紙束。
ルーズリーフに綴られているのは、過酷な環境でも生き延びられるように肉体を改造するものを含む幾つかの所謂外道の術に、幾つかの『印』の描き方と護符の作り方。

九郎は一度荷物を一箇所に纏め、コックピットから這い出ると、外の環境を確認した。
場所は、墜落前にも見た光景と変わらない。
少なくとも、呼吸ができる大気と、青い空がある事は解る。
地球かどうかは解らないが、少なくとも、直ぐに呼吸ができなくなって死ぬ、という事はないだろう。
だが、周囲に水場はなく、空には白い太陽が輝き、地平線の彼方まで広がる茫洋な砂の大地をじりじりと焼き続けている。
手元にある水や食料を最大限駆使したとしても、無事に水場までたどり着けるかは完全な賭けになる。
いや、そもそも、この場所、この星に水場が存在するかは未知数。
目の前の光景は、これからの九郎の行末を暗示しているかのようだ。

そんな絶望的な光景を目にして、しかし九郎はため息を吐くことも嘆きの言葉を口にするでもなく、無言でコックピットの中に戻った。
外套をコックピット内部で広げ簡易な日除けを作り、広くなった日陰の中に荷物を持ったまま移動し、そのまま座り込む。
九郎は身体に纏っていたボロ布同然にまで破損した衣服を脱ぎ、サバイバルセットに付属していた針と糸で、最低限身体を覆えるまでに修復を行うと、それを纏った。
最後に九郎が手にしたのは、魔導書。
それは外道の知識を与えてくれるが、この場にある材料だけで行使できる魔術は殆ど載っていない。
だが、魔導書のページを開き、文字列を追う九郎の爛々と輝く瞳には、強い力が秘められている。

「生きる……生きて……生きて帰るんだ……生きて……」

ひたすらにその言葉を呟き続ける九郎が果たして正気であったのか。
いや、九郎にとって、もはや自分が正気であるか正気でないかはあまり関係ないのかもしれない。

「生きて……あいつのところに……」

陽は直に沈み、凍てつく夜になるだろう。
砂漠を進むのは、夜であれ昼であれ、現在の装備では難しい。
だが、九郎は進む。
大十字九郎は、約束を果たすまで、決して歩みを止めることはないのだ。

―――――――――――――――――――

【~エンディングフェイズ・大十字九郎の帰還~】

―――――――――――――――――――

砂漠に漂着してから、三ヶ月と少しの時を費やし、私は遂にアーカムに戻った。
……そう、図らずも私は帰還してしまったのだ、アーカムシティに。

大破したデモンベインのコックピットの中で、可能な限りあの場で生き残るための肉体改造を施すのに時間を掛けた私は、出発直後に一つの死体を発見する。
貧相ながら砂漠越えの装備を纏い、干からびた人間の死体。
この時点で、ここが地球か、もしくは地球によく似た環境に、人間かそれと殆ど同じ種族の住まう星だという事を確認した私は、デモンベインに収められていた魔導書から得た知識を用いて、ある外法を行った。
似姿の利用である。
魔導書に記載されていた事なのだが、これはその名の通り姿形を真似るだけの術だった。
だがこれは、一定期間摂取し続ける部位に、脳の記憶を司る部位を選ぶ事により、脳細胞の形や履歴を真似て知識を得ることもできるのだ。

彼の頭を割り、知識の奪取に必要な肉体の一部分を摂取し続け、魔術が完成した時、驚くべき事実が判明した。
その死体の名は『覇道鋼造』、嘗てアーカムシティを一代で作り上げた、十九世紀最後の魔人だった。
しかも、彼は今まさに偉大なる覇道の最初の一歩を、デモンベインの墜落による爆発に巻き込まれ、踏み出すよりも早く死んでしまった。
そう、彼はこれから様々な偉業を成し遂げ、その過程でアーカムシティが造られていく。
ここで彼が死んでしまったら、大都市アーカムシティは生まれない。
──帰ることが出来ない!
そう考えた私は、彼の死体から一切合切の荷物を剥ぎ取り、死体を焼却。
……私はこの瞬間、覇道鋼造に成り代わることを決意した。

アーカムシティに戻り、鉱山を掘り当て、カモフラージュの為に子供を引き取り、私は必死で学んだ。
覇道鋼造の知識は冒険家としてのそれでしかなく、恐らくはこれから学ぶ予定だったであろう、経営学、経済学、帝王学を必死で学んだ。
時間が足りない分は魔術で補い、先読みの効かない部分は未来の知識を駆使して、徹底的に覇道鋼造のふりを続けた。
未来の知識と魔術を駆使して成長を続ける私の覇道財閥は瞬く間に成長を遂げ、世界を呑み込む程の大企業へと成長を遂げ、世界の頂点に立つ覇道財閥として完成へ近づいて行く。

かつてのアーカムを作り出した、私の知る覇道財閥。
それとほぼ同じ規模の私の覇道財閥だが、私の知る覇道財閥を完全に再現できた訳では無かった。
私の知る、覇道に関わった偉人の幾人かの性別が、反転していたのだ。
ここは異世界なのか。
それとも地球の過去で、私の行動によって歴史が変わり、その影響を受けた人達の生まれ持った性別が変わってしまったのか。
この誤差を許容するか、それとも何処かで修正するか。
私の懊悩と試行錯誤は続いた。
私はたどり着かなければならない。
帰るべきところを、私の居たアーカムシティを造らなければ。

そんな事ばかり考えながら覇道鋼造としての活動を続ける私の前に、とうとう奴らの姿が現れた。
世界一の大都市と化したアーカムシティに突如として現れた『ブラックロッジ』を名乗る、悪の魔術結社。
そして、

「久しいな……大十字九郎。いや、覇道鋼造。此度はどの様な術で成り代わるかと思えば、まさか貴公がそのような外法を使うとは」

私は、『喜びに打ち震え』た。
再び相まみえたマスターテリオンは、私が戦っていたマスターテリオンと同一人物。
そして奴の言葉も合わせると、一つの事実が判明する。
『奴は同じ経験を幾らも繰り返している』
それは即ち、良く似た別世界に飛ばされたのではなく、私の居た世界の過去に飛ばされた可能性が非常に高いことを意味している。
私は、あの場所に帰ることができるのだ。

それからのブラックロッジとの闘争は苛烈の一言に尽きる。
何しろ、私はブラックロッジと覇道財閥の小競り合いの一つ一つの結果まで正確に知っている訳ではない。
そして、相手は同じく未来の知識を持ち、なおかつ私よりも遥かにこの状況を繰り返しているマスターテリオン。
そんな相手が、本気でこちらを、人類を潰しに掛かってくる。
あの時間にたどり着くまで、人類を滅ぼさせるわけには行かない。
幾つかの記憶にある事件と目の前で起き始める事件を重ねあわせ、可能な限りの方法で立ち向かった。

辛く苦しい戦いが続いた。
勝利を得るために、相手の計画を潰すために、幾らかの民間人に犠牲が出ることも少なくは無かった。
先手を取るために、ブラックロッジよりも先に工作を行い、被害者が出ればブラックロッジに罪を擦り付けもした。
私の知る覇道財閥には、それほどブラックなイメージは無いからだ。
老いによる体力の低下を防ぐため、魔術による肉体の改造も繰り返した。
私の知る覇道鋼造は、死ぬその寸前まで精力的に活動を続けていたのだから、これも当然だろう。

あの時間に至るためには、その全てが必要だった。

三十年の時を重ね、引き取った本物の覇道鋼造の息子に子供が出来る。
やはりこの子も性別が異なっていたが、既に確信を得ていた私の心には余裕すら生まれていた。
御曹司、いや、今の時間だとどう呼ばれるのだろうか、姫さん、とでも呼ばれるのか。
この少女も、あの時代、あの時へ至る為に必要な存在だった。
私は、私が知りうる限りの帝王学、経済学、経営学などの英才教育を行い──魔術に関する知識からは、意図的に遠ざけるように仕向けた。
そういう物が存在する事を最低限教えるだけに留めたのも、デモンベインの操者として、この時代の私を選ばせ、あいつをサポートに向かえさせる為の布石だ。
必要なピースは揃い始めている。

覇道鋼造の息子とその妻の死を見届け、魔術の教えを強請りそうになった御曹司──姫には、遊びに行くことで余暇の時間を潰させた。
ブラックロッジや、その他魔術結社との闘争を繰り返し、デモンベインをアリゾナから回収し、修復を済ませた。
……史実であれば、この時点で覇道鋼造は死んでいる、というのが公式発表だったが、私は表向き覇道鋼造の死を偽装し、裏で暗躍を続け……、
遂に、待ちに待った、運命の日を迎える。

あいつがこのアーカムシティ訪れ、私、大十字九郎と始めて出会った日。

これまでの経験で、恐らく性別が入れ替わっている事は予想が付いていた。
でも、それは私にとってはあまりにも些細な違いに過ぎない。
今の私は覇道鋼造で、あの場所には既に男の大十字九郎が居るのだろう事も予想が付いた。
些細な事ではないけれど、それはそれで納得の行く話だった。

遠目で一目見れればいい。
話が出来たのならなお嬉しい。
あなたの声を聞きたい。
あなたに声をかけたい。

私は、もう一度、あなたの名前を呼びたい。

社会的に覇道鋼造は死んでいるが、私自身には何の問題もない。
私は、実に数十年ぶりに『似姿の利用』を解き、私自身の姿へ戻った。
『自己保護の創造』に始まる幾つもの肉体改造の魔術を重ねがけしていた私の姿は、あの時から殆ど変わっていない。
縛られる身分の無い私は街へ繰り出す。
目的地は、一度だけ訪れたことのある服屋、迷わず赤黒チェックのプリーツスカートに、サイハイソックスを購入。
履きなれないスカートを履き、私は魔術で姿を隠し、ミスカトニック大学陰秘学科の課外授業の現場に脚を運んだ。
あそこでならば、確実にアイツを見つけることができる。

スカートを翻し、ビルからビルへと飛び移り、目的の場所へ向かう。
あそこに居るのが男の私と女のあいつなら、今回の出会いはとても情けないものになるだろう。
物陰から、現場を覗く。
……居た。
倒れこむ、明らかに私と解る男。
そして、その尻餅をついて倒れこむ『大十字九郎』を背に庇い、レイピアの様な魔導兵器を構える、『金髪碧眼の優男』
そして、その傍らに静かに立つ『銀髪金眼の儚げな少女』

……あれは、誰だ。
これまで、性別が入れ替わっていた人間には何人も会ってきた。
だがその全てが、私の時代で公開されていた姿と似た、明らかに同一人物だと解る姿をしていた筈。
でも、今、『大十字九郎』を助けているのは、あいつとは似ても似つかない優男。

私は、その場から逃げるように立ち去った。
次にしたのは、ミスカトニックへの編入生のリストのチェック。
社会の裏に潜り込んでも、覇道鋼造の姿を取れば、まだかなりの権力を行使する事ができるので、この程度の事は造作も無い。
きっと、あの場にあいつらが来なかったのは歴史の揺らぎの一つで、あの場に居なかったというだけで、きっとミスカトニック大学には居るはず。

そう思い、資料を全てひっくり返しても、あいつらの名前は存在しなかった。

私は、私が『覇道鋼造』として行なってきた事業や計画の一つ一つを丹念に洗いだした。
あいつらがミスカトニックに入学しなかったのには、何か原因がある筈なのだ。
その原因を作れるとしたら、マスターテリオンの居るブラックロッジか、私の覇道財閥のみ。
一つ一つ、魔術に関わる事件から企業、土地開発まで、細かい事業の一つ一つを洗い出し……

「は、はは、なんだ、なあんだ。そうだったのか」

隠れ家としてキープしておいた、嘗て大十字九郎として最後に住んでいたアパートの一室で。
運び込まれた書類から、私は、決定的な資料を発見した。
それは、嘗てブラックロッジに先んじて行った破壊工作の計画書。
『大十字九郎』が生まれるよりもずっと昔のその資料。
その資料に添付された、数枚の添付書類。
破壊工作で出た被害者のリストと、経歴。

「はは、ははは、私は、あ、わたしの手で」

嘗て、最後の夜。
寝物語に聞いた話。
あいつが本当に小さかった頃、まだ両親が生きていた頃の話。

あいつの生まれた土地。
あいつの親の職業。
あいつの両親の名前。

「帰るばしょを、つぶしていたんだ」

掌に、魔力が収束する。
銀色の装飾が美しい、一丁の魔銃。
そこには、あいつがくれたお守りが刻まれている。
幸運。
そして、その頭に添えられた、血のように紅い文字。
勇気。
あぁ……なんて、なんて綺麗なんだろう。
もっと、もっと、お前のくれたおまもりを、この目でたしかめたい。
お前の事を、もっと近くで感じていたい。

「卓也、たくや、たくや」

でも、おかしいだろう?
こんなにお前に会いたいのに。
おまえを近くにかんじない。
おまえのすがたを見つけられない。

「たくや、わたし、わたしね」

暗い、くらい穴がみえる。
ゆびのさきに、トリガーがある。
ああ、そうか。
そこにいけば、いいのか。

「たくや、わたしね、あなたのことを、ずっと──」

―――――――――――――――――――

……………………

…………

……

ミスカトニック大学、音楽室。
ピアノの前に座った俺は、大十字と世間話を交わしていた。

「へぇ、それは興味深いね」

話題は最近巷を騒がせる覇道財閥のスキャンダル。
その発端と思しき噂について。

「だろ?」

なんでも、魔力溜りの近くにある安アパートで拳銃自殺していた女性の部屋に、大量に覇道財閥の機密資料が散乱していたのだとか。
そして、女性が手にしていたのはかなり精巧な作りの魔導銃であったらしい。
魔術を知る者の間では、その女性は覇道財閥お抱えの汚れの魔術師で、罪に意識に駆られて自殺したのだとか、口封じに自殺に見せかけて殺されたのだとか、様々な憶測が飛び交っている。
細々とした事件まで完全に追っていた訳ではないが、こういう大きな変動は中々見かけないのでかなりレアなのだ。

というか、銃を口に咥えての自殺ってのは珍しい事ではないのだが、その銃が魔銃であったりするだけでかなり事情は異なってくる。
詳しく調べるつもりはないが、もしかしたら、何故か全弾発射されていたりしたのだろうか。
興味の尽きない話題ではあるが、この周はロールプレイで必死なので調べるのは次に同じことが起きた時にしよう。

「でも、銀色の魔銃か。お前らには似合いそうだよな」

「僕は、あまり銃は好きではないかな。旋律が乱れるから」

旋律かっこ笑い。
うん、とっさの返しとしては無難な方だと思う。
ちらりと、隣で地べたに座る美鳥に視線を送る。

「おにーさん、くろー。これ、にゃーさん。にゃー」

銀髪金眼で、どこからか連れてきた猫を両手で抱え上げて嬉しそうに笑う美鳥。
前の周のRP練習では、捕獲した猫を齧るというスーパートリックを見せた美鳥ではあるが、姉さんからの演技指導の賜物だろうか、そんな事を始める素振りは一切できないようだ。
ああ、なんてイタイ──もとい、痛ましい姿だろう。
後でこの動画データを突きつけて悶えさせてやろうか。

《魂のアルペジオ! 天の月のビブラート、水の月がアレグロビバーチェすれ》

《おいばかやめろ、はやくもこの話題は終了ですね》

なんという危険なマウンテンサイクルを掘り返そうというのかこやつは。
先の課外授業での出来事は俺に早くもホワイトドール級のブラックヒストリーを残していった。
姉さんに『徹夜明けのテンションになる魔法』をかけられてから考えた決め台詞はどれも危険過ぎる。
これはつまり、互いに弱点を突き合うのは自殺行為だからやめようという提案に違いない。

しかし、覇道財閥がそこまでデンジャーな工作を繰り返していたとは。
なんでも、ブラックロッジとの小競り合いに力を入れまくって、出さなくてもいい被害を出し、その罪を擦り付けていた、という話も出てきているらしい。
これはあれだろうか、覇道鋼造が本当は女性だったから、覇道鋼造を演じる上で生じたストレスを発散するために危険思想に走りだした、とか。
恐ろしい話だ。

「……でも、嫌いじゃないね」

「? 何がだ?」

「なんでもないよ、先輩」

ロールプレイは続行しつつ、呟く。
こういった俺から見て遠くでのイベントであれば、これから毎周ドゥンドゥンやらかしてくれても一向に構わない。
先輩、貴女は本当に良いエンターテイナーでしたよ。
俺は心の中で、覇道鋼造と化したTS大十字に、感謝の一礼を送った。





TS編、終わり。
次回へ続く。
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恐ろしく遠回り寄り道編と化したTS編、使い捨てヒロインのTS大十字九郎さんオールアップおめでとうの第六十八話をお届けしました。

ここで衝撃の事実を一つ。
TS編本格始動の五十五話投稿日が昨年の七月三十日で、期間にして約八ヶ月、話数にしてなんと十四話を消費しております。
これがどういう具合なのかというと……スパロボ編本編よりも二話少ない程度の量があるんですねぇ。
で、このTS編、驚くべきことに、今後の進行には殆ど影響しません。
ぶっちゃけ、TS編まるきり削除してしまってもストーリー進行に影響が出ないレベルです。
言わば、無限螺旋の中の少し変わった日常の一コマ、とでも言うべきもの。
そういう話に
しかもこうして数字に換算すると一月に二話も投稿できていない事がバレバレです。
私はいったいぜんたい何をやっているのか。

そこら辺の言い訳とか反省会も踏まえて、恒例の自問自答コーナー。

Q,で、結局TS周にはどんな意味があったの?
A,この理由は後付ですが、『使い捨てヒロイン』の運用実験というのが一つ。
寝取られ無し敗北無しの安心不動のヒロインである姉を据えたはいいけれど、偶には普通にラブコメ的な描写も入れたいなぁ、と思いまして。
で、それなら一定期間限定のヒロイン出して、思いを寄せる過程とかの心理描写やら、大事な物を失って傷つく心理描写やら、感動の再会(ヒロイン視点で観れば)とか、切ないお別れの心理描写とか、胸を高鳴らせる心理描写とか、人生最後の心理描写とかを最後までやりきってしまおう、と。
最終的に今回のTS大十字と似たような結末を迎えさせることで、メメメの様に再登場フラグを後々までずるずる引っ張る事もなく、レギュラーを無闇に増やさないという努力目標も完全に達成できる……というのが、まぁ、理屈。
しかし実際に読んでみれば解ると思いますが、使い捨てヒロインを出して描写しようとすると、他の登場キャラクターの出番が少なくなるという欠点が浮かび上がりました。
主人公たちにとっては殆ど意味のない時間でしたが、作者的には今後の糧になる、と思う感じのお話でした、という事で。

Q,ティベリウスさんホモかよぉ!(驚愕)
A,一応、公式設定、ですね。プロジェクトD2内部のアーカム・ホラーにてそれらしい描写がありますので。

Q,ところどころ、サポAIと主人公の言動、行動に不自然な点があるけど……。
A,ロールプレイの一貫です。特に、デート前の大導師との謁見以降は超意識的にロールプレイが行われています。
ちなみに、瞼にキスをされた主人公は姿を似せたダミー(中身はもしもの時の為の演技指導済みのフーさん)。九郎ちゃんが眠った時点で入れ替わり、朝の時点で主人公は甲板の上でラジオ体操してました。

Q,照夫×九郎。
A,まぁ、TS回やるからには、最終的にはこのネタを入れるべきだろうと思っていました。やるべきですよね、これは、義務として。
マスターテリオンが性転換するであろうタイミングを考えれば、この展開は確実に予測できたと思います。

Q,もしかして作者は九郎ちゃんに恨みでもあるの? ありそで無かった大十字九郎虐待SSなの?
A,自分、愛情表現が小学生レベルなので、好きな人が居るのに宿敵に犯されたりとか、私ってホント馬鹿……、とか、あらゆる物を犠牲にして成し遂げようとしていた目標を自らの手で台無しにしていた事に気がついて絶望、とか、そういうイベントを起こさせてあげたくなるんです。
ほら、なんだかんだで、不幸になってる女の子って、傍から見ててドキドキしますよね。
だから自分はQBさん肯定派です。彼が居たからこそ数々の感動が生まれたわけですし。
最悪の魔女? あれの原因はほむらちゃんかと。ほむら張ではありません。永続的狂気を演出に入れるとか憎いですね。素敵です。続きが待ち遠しい。
というか、それこそ無限螺旋は元から大十字九郎虐待世界みたいなものかと思われます。

Q,もしかして、九郎ちゃんのSAN値って……。
A,クトゥルフ的に自殺エンドは救いのある方ではないかと。そしてCOC的に見れば銃で自殺はむしろお約束。

Q,自己保護の創造、似姿の利用?
A,【自己保護の創造】(P258)のアレンジ。
簡単に言えば、肉体的なダメージを軽減し、加齢を抑えるアーティファクトを作り出す魔法。
準備に三日費やせば三年で一歳加齢、六日を準備に費やせば、六年に一歳だけ加齢するようになる。
通常なら、この魔術は破られると同時に一気に加齢することになるのだが、九郎はこの術が解ける前に本格的なデモベ世界的肉体改造魔術を行使したので、その難を逃れている。
【似姿の利用】(P275)のアレンジ。
その名の通り、相手の姿を真似る魔法。
本文ではさらっと流したが、この魔術を行使する場合、相手の肉体を摂取、つまり食べる必要がある。
ヘビ人間などの種族が主に使う魔法らしい。
一度この魔法をかけ終わると、後から好きなタイミングでその相貌を真似る事ができるようになる。
本来なら多少のダメージを負うだけで解ける魔法なのだが、ニャルさんのハウスルールによってそこら辺の制限は外されている。

どっちもルルブに記載されてる魔法からの転用です。
寿命伸ばすのと姿変えるのを探してたら割りとあっさり見つかったという。

そんなこんなで大団円を迎えたTS周、如何だったでしょうか。
次回は、直ぐに話を進めるか、さもなければ息抜きで一話使うか、まだ決まっていませんが、主人公以外の一人称を使わないで書くつもりなので、今度こそまともな速度で出せると思います。

それでは、今回もここまで。
当SSでは引き続き、誤字脱字の指摘、簡単にできる文章の改善方法、矛盾点へのツッコミ、その他もろもろのアドバイス、そして何より、このSSを読んでみての感想を心よりお待ちしております。


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