家具以外殆どなにも無い静かな部屋の中を、控え目な寝息だけが響く。熟睡中の姉さんの寝息と今目覚めた俺の呼吸音、この寝室にはそれ以外の音は存在しない。
朝の爽やかな目覚め。ここ最近の俺の一日は隣で眠る姉さんの寝顔を小一時間愛でる事から始まる。時刻は午前四時、この冬の時期は未だ太陽も昇っていない時間帯だが、朝ごはんを作ったり畑を見に行く為の時間を考えればこの時間が起きるには最適だ。
すーすーと可愛らしい寝息をたてながら眠る姉さんの寝顔、思わず人差し指で頬をツンツンと突いて遊んでしまう。毎朝毎朝俺を惑わせる実に罪な寝顔である。
「んゅ……、むぃ」
くすぐったそうな顔で寝返りを打つ姉さん。口をムニムニともごつかせて日本語になっていない寝言を口から漏らす。
たまらん。これだから早起きは止められない。早起きは三文の得などと言うが、三文は現代のお金に換算すれば60円程度だそうな。それでは余りにも安すぎるのでは無いか。
かといって現金に換算できるものではない。お金で買えない価値があるのは言うまでも無いし譲るつもりも欠片も無い。だが仮にこの朝の時間を現金に換算しようとすれば一秒毎に大国の国家予算数年分が軽く吹き飛ぶことうけあいだ。
この朝の時間はそれほどに貴重なのだ。例えば一秒を数万倍に引き延ばしてでも楽しみたいほどなのだが、いかんせん加速状態ではつついた感触がぷにぷにしない(数万分の一秒で頬をつついて凹ませても凹んだ頬が戻るには通常通りの時間が必要となる)ので少し物足りない。
まぁ以前試した時は加速した時間の中、突くのは無しでひたすら眺め続けるという楽しみ方に開眼したのだが、これはどことなくお預けを喰らっているような微妙な気分になれて不思議と恍惚としてしまうので最近は自重している。
そんな訳でそのまま数十分頬を突いたり寝顔をひたすら眺めてニヤニヤしていると、小さな愛らしい鼻がなんとなく気になってくる。内から湧き出る衝動に身を任せ指先で鼻の先端をコショコショくすぐってみると、顔をしかめて鼻をヒクヒクさせ始める。
これは拙い。弄り過ぎて姉さんの安眠を妨害してしまう処だった。今さらながら起こさないようにこっそりと布団から抜け出し、玄関から外に出て新聞を取りにポストに向かう。
外に出ると丁度新聞を配達しにきたチトセさんと鉢合わせる。なにやら姉さんが最近やけに御機嫌なのが気にかかるらしく、『さくやはおたのしみだった?ねえねえおたのしみだった?』とかウザく聞いてきた。
ストレートに『流石に毎日じゃない』と返したら愕然としていた。まさか本当にそんな状況だとは思っていなかったのか? と考えていたら『これで同世代売れ残りはウチだけかー!』とか吠え出したので、姉さんがまだ寝ているから静かにするように伝えてさっさと家に戻る。
売れ残りも何もこの人は駐在さんと恋仲だったような記憶があるのだが、ここでそれを言うと、お互いに意識しているけどどうにも仲の進展しない幼馴染以上恋人未満のテンプレみたいな照れ反応が始まる。
これは聞き流すのがとても面倒臭い。しかも歳の近い人間はこの村では俺と姉さんとチトセさんと駐在さんだけ、なので聞き役に回って被害に遭うのは俺か姉さんなのだ。
正味の話、二十年以上何の障害も無く幼馴染やっておいて恋人にならないとかどうなっているのか。玄関を開けて家に入る前に一度振り向くと、しょんぼりしながら次の新聞を配達しに行く後姿。哀愁が漂っている。
そういえば近親だってことには突っ込まないんだな、と不思議に思いながらも新聞に一通り目を通し、自分の部屋に戻り着替えを用意、居間に移動し新聞をコタツの上に置き、コタツの電源を入れ、シャワーを浴びる為に風呂場に向かった。
―――――――――――――――――――
暗い風呂場の電灯を着け、タオルを肩にかけ風呂場の扉を開ける。熱いシャワーを浴び、身体と頭を洗う。何故か湯が沸いているのでこれ幸いと湯船に肩までゆったりと浸かる。
朝の一番風呂。と言っても昨日の夜の残り湯なんだが、それでも朝っぱらから入る風呂というのは何処か特別なような気分にさせてくれる。
「いいお湯だねぇ~……」
「だなぁ……」
ざぷん、という音の後に放たれた言葉に相槌を打つ。いや、何かおかしくないか。俺は何に相槌を打っているのか。とりあえず目の前の美鳥に聞いてみよう。
「なぁ」
「なになに?」
頭の上にタオルを乗せた美鳥が顎まで湯に浸かりリラックスした表情で聴き返す。
「一つ言ってもいいか?」
「あたしも言いたいことがあるよ?」
「じゃあ先に言ってみな」
「うん。――キャー!お兄さんのエッチ☆」
イラっときてつい放電してしまったが、美鳥が奇怪な短い悲鳴を上げて浴槽に沈んでいった以外には特に被害は無し。頑丈な風呂で助かった……。
ほっとしていると、美鳥が沈んだまま浮かんでこない。呼吸をする必要はない筈だがビジュアル的に危険すぎるので、白目を剥いた美鳥を抱え上げ膝の上に乗せ、今度は電圧を少し下げた放電で気付け。
「で、風呂場でなにしてたんだよ。水死体ごっこ?」
膝の上で目を覚ました美鳥が、頭を傾けこちらの胸にもたれかかりながら身体の関節をポキポキと鳴らす。
「んーっ、昨日の夜最後に風呂入ったのあたしだったろ?リラックスし過ぎてそのまま眠っちゃってねー」
「ああ、でもあれって起きた時逆に疲れるよな」
風呂に入った後にぐっすり眠れるのは風呂で疲労するからだと聞いたこともあるし、それに湯船という限定された空間の中では満足に寝返りもできない。
「ていうかお兄さん、こっちは風呂で裸を覗かれた側なんだからこの対応はあんまりだと思うんだけど……」
確かにさっきのはいくらなんでもあんまりだったか。いや、それならそもそも明かりが点いた時点で声をかけるなりなんなりしろという話だが、相手は仮にも女性人格を有する女性的な存在、気を利かせて風呂場からいったん出る必要があった。
どうにもこうにもブラスレ世界での生活が抜けないというか、気がねない関係といえば聞こえはいいが、不作法な習慣が染みついてしまったな。
「すまん、咄嗟のことだったもんで、つい」
「罰として暫くあたしをだっこし続ける刑ー♪」
首を後ろに傾け笑いかけ、嬉しそうにそんな事を言う美鳥。しかしこの姿勢、なんというか、そう、とても一言では言い表せない感触。
「尻が当たる。俺のジョイスティックに」
「当ててんだよ」
「あ、待てこら動くな! それは位置的にまずい、擦れる!」
「へっへっへっ、口では何と言おうと身体は正直――」
―――――――――――――――――――
無事に風呂からあがり、あの危機的状況を乗り切った。何事も無かったとは言えないが何とか最後の一線だけは守り抜いた俺の手腕は称賛に値するだろう。これでも昔から姉さんと身体の洗いっこ程度はやっていたのでちょっとやそっとの誘惑には負けないのだ。
美鳥は既に服を着こんでいる。ちなみに脱衣所に衣服が無かったのは洗濯の手間を省く為、汚れた衣服を体内に取り込んで綺麗な状態で再構成する方式を取っているかららしい。
それと、姉さんのブラと自分のブラを並べて干された時、戦力の圧倒的な差に心が折れそうになるからだとかどうとか。けっこうあるからな姉さん。
「ガードが固いなぁ」
「普通は抵抗するもんなんだよ、ああいうのは」
流石にそこまで節操無く手を出す訳にはいかないだろう。いくら半身のようなものとはいえ礼儀と言うか貞操観念は最低限必要だ。俺だって姉さんと美鳥が俺の知らない処でレズってたら嫌だし。
俺の心を読んだように美鳥がニンマリと笑う。いやらしい事を考えている顔だ、様々な意味で。
「じゃ、お兄さんの目の前でならいいの?」
「おいおいどんな特殊プレイだよ」
目の前で見せつけられるとか流石に理性が持たない。本能の赴くままルパンダイブで特攻を仕掛けてしまうこと間違いなし。
「と、そんなことより髪の毛を渇かせ」
一応タオルで大雑把に水気をとってはあるようだが、髪の量が多いのでまだかなり湿っており、御蔭でシャツの背中が濡れてブラが透けて見える。
ブラをする必要はまったく無いサイズなのだが、そこはお洒落の一貫か女の意地か。サイズが合わない大人用のブラを自分の身体に合わせて再構成しているらしく、デザインは無駄にエロいものとなっている。
俺の視線の先にあるものから俺が何を考えているか察したのか、艶っぽい表情になり、しなを作りこちらに流し眼をよこす。
「えっち」
「いいから頭こっち向けろ」
美鳥の頭を掴み引き寄せ、バスタオルで髪の毛の水気をとってやり、ドライヤーで乾かす。このやり方であってるかはわからない、姉さんは適当にやっていても髪質は保てるみたいだけど、普通はもうちょっとやり方がある気がする。
しかしそこはそれ、髪の毛にダメージが残ってもその程度のダメージなら弱体化した美鳥の回復能力でもどうにかなるだろう。そんな訳で髪の毛をドライヤーで乾かす。放っておくと髪から水を滴らせたまま室内を歩きまわるので俺や姉さんが髪の毛を乾かしてやらねばならないのだ。
―――――――――――――――――――
そのまま美鳥を伴い畑へ向かう。美鳥のバイトは午前10時からなので朝早起きしている時は少し畑仕事を手伝ってもらうことにしている。
といってもやることはほとんど無い。雪かきは既に終わっているので、この時期でも収穫できる何種類かの野菜を、家で食べる用にいくらか収穫するだけの簡単な作業だ。
融合して複製を作ればこの手間は省けるのだが、わざわざ普通に食べ物が食える状況でまで文字通りの自給自足はしたくない。
ああ、でも俺の身体からでたモノを姉さんに食べて貰うとか考えると謎の興奮を覚えることはある。しかし俺はそんな動物的な衝動だけに身を任せる訳にはいかないのである。
「おにーさーん!こっちは大体収穫できたよー!」
少し離れたところで野菜を収穫していた美鳥が台車を引いてこちらにやってきた。台車に積まれた野菜は俺と姉さんと美鳥が食べる分を差し引いてもやや多すぎる。
「ちょっと取り過ぎじゃないか?」
「何言ってんのさ、そろそろ次のトリップだからうちの味を忘れない為に複製を作れるようにしておくんだろー?」
ああ、そういえばそんな頃合いか。前回のブラスレイター世界へのトリップ以来、一ヶ月以上も自発的なトリップをしていない。姉さんや美鳥との模擬戦はやっていたから戦い方の経験値は詰めているが、全体的な能力の向上はしていないのだ。
年も明けて正月もゆったりと過ごし終えた。七草粥も食べてしばらく何かしらの行事も無いこのタイミングで新たな能力を求め、新たなトリップの旅をすることに決めたのだ。
「まぁ、どんなに遅くなっても節分までには戻ってこれるだろ」
もし帰ってこれなければ姉さんは一人ぼっちの節分を迎えることとなる。誰も居ない自宅で一人寂しく『鬼はーそとー、福はーうちー』とかやって、撒き終えた豆を拾い集め、ちょびちょびと抓む姉さん。
そして一人で台所に立ち恵方巻きを作る姉さん、今年の恵方を向いて独り黙々と恵方巻きを頬張る姉さん、ご馳走様と呟き後片付けをして一人で風呂に入り一人で布団に包まる姉さん、その眼もとには心なしかうっすらと涙が――
――いかん、考えただけで胸が締め付けられて絞殺されてしまいそうだ。まっていろよ姉さん、姉さんを一人ぼっちにはさせないぜ!
「やっぱり節分はお姉さんに『呑み込んで……俺の恵方巻き……』とかやるん? あたし、『それじゃ豆まきじゃなくて種まき』とか突っ込んでみたいんやけど」
「すぐ下ネタを言いたがる口はこの口か?ん?この口か?」
「いひゃいいひゃいいひゃい!ほめんなはいほういいはひぇんふうひへ~!」
いきなり戯けたことをほざき出した美鳥の口に両手の親指を突っ込み千切れない程度の力加減で左右に引っ張る。人が割と真剣に考えていたのにぶち壊しだ。
涙目で謝る美鳥に満足し手を放してやると、口元を撫でさすりながらも話を切り替えてきた。
「いてて……。とにかく、今回のトリップ先の目標とか決めないとね」
美鳥の言葉にうなずく。前回はとりあえずペイルホースとアポカリプスナイツにパラディン、おまけでICBMの一部と標的の数が少なかったが、今回は取り込んで嬉しい技術が目白押しである。
ちなみに姉さんは『次のトリップ先? えへへぇ、ないしょだよ♪』と可愛らしくごまかしているが、ここしばらくトレーニングルームで相手にしてきた敵のラインナップから既に行先はばれてしまっている。
因みに参戦作品の中で家にDVDやらVHSやらがある作品には一通り目を通し直している。姉さんや美鳥と一緒にゼオライマーを見ても、ふもっふを見ても、種を見てもOVAのゲキガンガーを見ても、姉さんは俺にトリップ先を気付かれたと思っていないらしい。
能力的にはとても優れているのに、こういうことに関しては少し間抜けな面も見せる姉さん。まぁ言うまでも無く、そこもまた姉さんの数あるチャームポイントの一つ。特に『だよ♪』のあたりは何時聞いても脳みそがくらくらする。
と、思考が逸れてしまった。しかし、今回のトリップ先での狙いはなにか、か。
「絞りようが無いな。とりあえず第一話からの流れで主人公チームについて行こう。それで殆ど必要なものは手に入るだろ」
最初にどうにかして主人公チームに合流できればあとは行き当たりばったりでなんとかなる。ついでに言えばあの作品なら流れで仲間になることも容易だ。一度ならず殺し合いをしている相手をあっさり味方に引き入れてしまうのだから。
「さ、とりあえずは野菜を運ぶぞ、そろそろ家に戻って朝ごはんを作らないといかん」
言いながら台車を引くのを代わる。今の美鳥の身体能力は人並みなのであまりスピードが出ない、急ぐ場合は俺が代わってやらねばならないのだ。台車に美鳥を乗せ、俺たちは常人ではありえないスピードで家路に付いた。
―――――――――――――――――――
「ずるい」
時刻は朝八時、場所は台所、お浸しを作りながら姉さんが頬を膨らませてむくれている。唇まで尖らせて不機嫌っぷりを表現しているがとても可愛らし、いけない、また思考が逸れるところだった。
「今日はお姉ちゃんも畑仕事手伝うから起こしてって言ったのに……」
「いや、だってあの時間に起こしたら絶対姉さん作業中に眠って泥だらけになってたよ?」
「そしたら卓也ちゃんにお風呂で洗ってもらうもん」
うれしいこと言ってくれるじゃないの、とか茶化せないほどにむくれている。というか、だんだんと元気が無くなってきているような気がする。
徐々に俯き加減になってきて、包丁を持つ手が震えてあああまな板が一瞬で粉みじんになるほどめった切りに!なんという多段ヒット、悲しみとか憤りとかの感情でパワーの制御が利かなくなってきているのか?
姉さんの背を撫でながらさり気無く新しいまな板を差し出す。なんとか機嫌を直して貰わないとまたこの辺りの大陸プレートを裁断されかねない。
ちなみに美鳥は居間で関係無いねといった顔をしながら呑気にテレビを見ている。いや、確かに関係無い上に美鳥が出てきてもややこしくなるだけなんだが。
「いっつも世話になってるんだからさ、畑仕事位は俺に任せて欲しいんだけど」
「美鳥ちゃんは手伝ってたよ?」
居間で我関せずと不干渉を決め込んでいた美鳥がビクッと肩を震わせ『え?そこであたしに振る?』と慌てている。
「美鳥は言ってみれば俺の手足みたいなものだし、姉さんにそんな重労働させる訳にはいかないじゃないか」
「卓也ちゃん……」
朝ごはんの作成そっちのけで手と手を取り合い見つめあう俺と姉さん。こうなると俺も姉さんもお互いしか見えない。背後で味噌汁が沸騰しても焼き魚が焦げだしても気にしない気にならない気付けない。
どうにか機嫌を直してくれたようだ。地球への被害もあれだが、俺自身も姉さんには楽しい気分で居て貰いたい。そのまま目を閉じた姉さんの顔が迫って、唇に――
「おふたりさーん、朝ごはんできたよー?」
やはり美鳥の声で中断、料理は美鳥が引き継いでくれたようだ。送風機能はあるのに空気を読む機能は付いてないらしい。空気清浄機でも取り込ませたら上手いこと空気を読むようになるだろうか……。
―――――――――――――――――――
昼、毛布にくるまって姉さんとごろごろ。今日は天気予報の通り太陽が出て比較的暖かいのでコタツは消して姉さんとの触れ合いタイム。互いの体温で温まるのが乙なのだ。
ちなみに美鳥はバイト先の商店で居眠りしている頃合いだろう。大体バイトの時間の八割は居眠りで終了するらしい。それでは普通問題がありそうなものなのだが、俺と同じく人の気配に反応して起きることが可能なので支障は無いとか。
まぁそもそもあの店は週に二日も空いてれば地域住民のニーズには十分答えられる程度にしか客が入らないので気にすることも無い。
「むー……」
耳を引っ張られる。なにやら姉さんが不機嫌になっていた。
「卓也ちゃん、今、美鳥ちゃんのこと考えてたでしょ」
妬いてる。妬いてるよ姉さんが! 思わず抱きしめて頭を撫でくり回してしまう。
「そ、そんなんじゃ誤魔化されないもん。……うぅ、卓也ちゃんが女誑しになっちゃった……」
「いつ誑した。俺は姉さん以外には恋愛感情を抱きようが無いぞ」
「でも、『男は恋愛感情が無くても下半身の脳みそで動くことがある』って千歳が言ってたよ?」
流石半分ドイツ製、下ネタの切れ味というか表現の露骨さが一味も二味も違う。今度大量のジャガイモを送りつけて嫌がらせしておこう。いや、まだ『股間のヴルストが』とか吹き込まなかっただけましか。
「俺の身体の構造を忘れた? 俺は、上の脳も下の脳もまとめて全部姉さん一筋だよ」
きらりと歯が輝きかねない程、今の自分に出来る最高の爽やかさをこめた口調で断言。
「卓也ちゃん、それ、あんまりかっこよくない」
自覚はあるので突っ込みは勘弁して欲しかったりする。そんなこんなで何事も無い平穏な昼の時間が過ぎていくのだった。
―――――――――――――――――――
朝収穫した青梗菜で昼飯は野菜炒めとかもろもろ、更にご飯に生卵かけて醤油だって垂らしちゃう、かき混ぜて手を合わせいただきます。姉さんと顔を突き合わせてモリモリ食らう。
姉さんの様に整った顔の人が口に食い物を大量に詰め込んで、頬をむいむいもごもごと変形させる様は見ていて気持ちのいいものがある。食事の作法はやはり二の次で、なによりもおいしく食べるのが一番なのだ。
「ふぐ、むぐ、ん、っぐん。そうだ、卓也ちゃんにプレゼントがあるんだよ♪」
口の中の料理を飲み込んだ姉さんが後ろから紙包みを取り出し、俺に手渡してくる。中身は――、日記帳だ。それなりに厚みがあり、一昔前の冒険小説で船乗りが使ってそうなゴツイ装丁のもの。
表紙の素材はなんだろうか、別に人間の皮だったりうっすらと汗をかいていたりする訳では無いが、どうにも異質な雰囲気を漂わせている。中身は日付と文字を書く為のスペースがあるだけの正真正銘の日記帳だ。
「表紙だけ、お姉ちゃんが昔使ってた日記帳の再利用なの。書いた人とお姉ちゃん以外は中身を見ても内容が理解できないように細工がされてる優れものなんだから!」
むふー、と鼻息も荒く説明する姉さん。しかしなんでまたこの時期に日記帳なんだろうか。
「そろそろ次のトリップでしょ?その間、卓也ちゃんがどうやって過ごしてたかを書いて、帰ってきた時にお姉ちゃんに教えて欲しいなーって思って」
なるほど、なんというか、初々しい恋人同士の間で行われる日記の交換行為のような、いやいやむしろ先生に提出する生活ノートのほうが近い。先生?姉さんが先生かぁ……。ありだな。
属性的には先生と姉は被らないから併せてもいける。学校でこっそり隠れて姉さんと、というのも中々素晴らしいシチュエーションだ。
「ワイシャツ、タイトスカートに厚手の黒タイツ、オプションで野暮ったいフレームのメガネとかもいいと思うんだけど、姉さんはどう思う?」
「ごめん、卓也ちゃんが何を言っているかさっぱりわからないわ……」
女教師姉さんという素晴らしい発想は姉さんに受け入れて貰えないらしい、悲しい話だ。
しかし次のトリップ、そろそろと言いつつ伸ばし伸ばしになりそうな気がする。どうにも我が家は居心地が良すぎて自発的に長期の外出をしようという気になれない。ここは思い切ってササッと行ってしまうべきだろう。
思い立ったが吉日と言う。受け取った日記帳を脇に置いて、何気なく姉さんに提案。
「姉さん、今日の夜にでもトリップしようと思うんだけど」
「うん、じゃあ、夕方まではゆっくりしようね?」
いいらしい。こうして俺の二回目の修業の旅的なトリップは始まるのだった!まぁ、今時間から準備をする必要も無いので言われるままにゆっくりと食事を続行。
テレビを見たり姉さんと雑談を交わしながらの昼食。今日の夜出発と決めたからには数ヶ月以上一緒に昼飯を取れないと考えると、この食事もかけがえの無いものに思え、と、しまった。
「醤油とって」
「はい、どうぞ。何にかけるの?」
「ん、豆腐にかけてなかった」
冷奴に醤油が掛かっていない。俺は醤油を受け取り、冷奴の上の鰹節にてーっと醤油を垂らす。
「あ、美鳥ちゃんにメール打っておくね?二三日休みを貰ってくるようにって」
「首になるんじゃない?」
「あそこのお爺さんはおおらかだから大丈夫よきっと」
そういうもんか。箸を置いて携帯をカチカチと操作する姉さんを眺めながら豆腐をつつく。平和な時間だ。この状況で数時間後には異世界にトリップするなんて言っても誰も信じないだろう。緊張感が足りないと言われそうだが、家ではトリップは小旅行程度の感覚なのだから仕方ない。
―――――――――――――――――――
「卓也ちゃんこれは?」
「持ってく持ってく。あ、デジカメとか無いかな、前回のトリップだと全部写メだったから画像小さくて」
夕方、トリップの準備として荷物をまとめる。全ての荷物を身体に取り込んでしまっても構わないのだが、手ブラというのも何を名乗るにしても不自然なので、邪魔にならない程度に手荷物を作っているのだ。
と、言ってもそこはそれ。簡易なトラベルセット程度の量はあるので、結局前回持って行った旅行鞄をそのまま使うことになってしまった。何だかんだでこの鞄とは長い付き合いになりそうだ。
しかし今回は前回ほど鞄を抱えて行動するシチュエーションには恵まれないだろう。何しろ今回は巨大ロボット出しっぱなし、戦艦に乗っての生活である。荷物を盗られる心配も無いので前回よりは数段気楽に過ごせる。
「たっだいまー!」
玄関から美鳥の声。どたどたと廊下を走る音を響かせ、スパーンと俺の部屋の戸を開け放つ。無駄にダイナミックな動き、漫画ならページ半分は使う大ゴマで表記されているだろう
「今日出発ってまじで?急じゃね?」
「もう美鳥ちゃんの荷物もまとめてあるわよ?」
「えぇ!?」
なにやらぐだぐだとやり合っているが気にしない、姉さんが美鳥の相手をしているのでこっそりと向こうに持って行く姉さんの写真を選別する。この寝顔とかなかなかいいが、このあいだの雪合戦の時のこれも雪がキラキラと煌めいて姉さんを彩りなかなかに素敵だな。
迷う。そもそも姉さんには暇つぶしの為と言って鞄に入れてあるこのハードカバーの本にしても表紙を差し替えただけの姉さんアルバム。容量にして一テラ程の姉さんの画像データも取り込んであるパソコンに入っているが、写真となると話は別だ。何より懐にでもしまっておけば見たい時にすぐ見れる。
悩ましい。懐に入れておくということはすぐ見れて即座に姉さん分が補充できるだけのクオリティのものであり、なおかつどんな時に見ても均一に満足できるだけの状況を映したものでなければいけない。
ふむ、そうなると手元にある写真を一旦全て取り込むのが一番かもしれない。懐に入れておく写真は後でゆっくり選別するべきか。画像データも全て洗い直す必要があるだろう。
となればもう準備は完了だ。なにやらまだ騒いでいる美鳥を姉さんと説き伏せて、さっさと新たな修行のトリップを始めよう。
―――――――――――――――――――
俺と美鳥はそれぞれの荷物入れた鞄を手に下げ、姉さんの前に座っている。ついさっき美鳥を説き伏せついでにみんなで風呂に入り、これからようやく次のトリップの説明に入るところだ。姉さんも気合いを入れているのか、学帽を頭に乗せモノクルをかけた説明スタイル。
「姉さん、白衣は無いの?」
「忘れちゃったの?この間の『逆上した実験体に襲われる科学者プレイ』で思いっきり融かしちゃったじゃない」
「あぁ~……」
複製しておけばよかったと考えるも後の祭り、姉さんはそのまま説明を初めてしまった。もったいない……。
「まずは前回のおさらいね。前に行ったブラスレイター世界ではおっきな流れ、俗に言う『原作沿いルート』を片っ端から素通り、それでいて目的の獲物は全て手に入れてきたでしょ?」
「ペイルホースにイシスといったナノマシンにガーランドもどきなパラディン、そこらのリアルロボット程度のサイズはあるアポカリプスナイツの機体、オマケでICBMから一部機能だね」
オマケと言いつつペイルホースに次いで応用の利く技術だ。元の状態ではバリアを張る程度にしか使えなかったが、取り込んだ時点でかなり融通の利く物になった。今なら某カブトムシライダーに対抗することもできるだろう。
カブトムシライダーといえばディケイド版カブトの『いつでも帰れる場所がある、だから俺は離れていられるんだ…』というのは俺や姉さんのような行って帰ってくるタイプのトリッパーに通じるところがあるような気がする。まぁ俺の場合姉さんに送り迎えしてもらっているようなものなのだが。
ディケイドといえば、去年の年末に姉さんと一緒にディケイドの劇場版を見に行った時、姉さんが偶に『あそこで手を出さないとああなるのねぇ……』とか『うそ、メインキャラみんな生き残るの?』とか呟いていた事を思い出す。
劇場公開より前にトリップしたのかとか、どういう介入をしたのかといった疑問は尽きないが、なぜうちの倉庫にblackbird flyのピンクカラーバージョンがテレビ放送前から転がっているのかという疑問が解けた。本人からぶん盗ってきたんだな、納得。
「――でね、前回手に入れた技術を万遍無く使えて、技術も特殊能力も手に入る丁度いい世界、これが次のトリップ先ってわけね!」
「おー」
思考を逸らしていると、説明を続けていた姉さんが一本のGBAソフトを取り出した。数々のロボット達が一つの世界観に押し込まれ力を合わせて戦う感じのシリーズなのだが、これはその中でも珍しい、同時にギャルゲ的な要素を含んでいる作品になる。
勘違いされがちだが、このシリーズにギャルゲ的要素が入り始めたのは何もこの作品が最初ではない。初代αなどはバグで意味の無いものになったが好感度システムが搭載されていたというし、同じGBAの前作でもフラグ立てによりヒロインを選択することが出来た。
それになによりもテッカマンブレードを参戦させてくれたのは素直に嬉しい。ああいう等身大の変身ヒーローも大好きなので、ギャルゲ紛いなどと言われても俺の中での評価はかなり高い。一粒で二度も三度も美味しい作品である。
「……んー、なんだか卓也ちゃん、リアクションが薄くない?美鳥ちゃんもしかしてばらしちゃった?」
「いやぁあんなもんでしょ、別にサプライズってほどの行き先でもねーし」
「主人公が軽くハーレムなのは少し気になるけど、そこは正直どうでもいいしね。それより、今回から入る新しい特典があるって聞いたんだけど、向こうでの戸籍とか説明欲しい」
今回は向こうでの戸籍が存在するという説明しか受けていない、具体的な説明をして貰わないと向こうでの初手を間違えてしまうかもしれない。
釈然としない顔でGBAのロムの前に魔法陣的なものを開く姉さんだったが、気を取り直して説明を再開した。
「んとね、今回は最初に主人公たちと行動を共にできないと始まらないから、まず向こうの世界に干渉して卓也ちゃん達の戸籍とか職業とかを捏造してあるの。そこのところは荷物の中にメモを入れておいたから読んでおいて?あと、ちょっとこっち来て」
くいくいと手まねきされるままに顔を寄せると、首に手を回されそのまま唇を重ねる。回数を重ねた甲斐があって流石に歯をぶつけるような無様なことにはならない。
十秒ほど経って、ようやく唇を放す。普段のキスとは違う、何か不思議なものが流れ込んできた感触があった。これは恐らく――
「何か入れた?またAI?」
「んー、今回のトリップの要。あって邪魔にはならないわ」
なんだか事務的な会話になってしまっている気がする。これはあれだな、何かの新機能を受け渡す作業的なものだと双方が分かってしまっているのがいけない。
「じゃ、あたしは先にいってるねー」
美鳥が魔法陣にそろりそろりと頭から入っていく。魔法陣の向こうには何もなく、下半身だけがぬるぬると動いていて気持ち悪いのでケツを押して一気に魔法陣の中に叩きこんでやった。
さて、このまま事務的に見送られるというのもなんだか気持ちが悪いというかなんというか。とりあえずはあれだ、仲の好い男女が行うというあれで行こう。
「姉さん、ちょっと」
「やぁん♪なぁに、卓也ちゃ、んむ――」
姉さんを抱き寄せキス。そのまま姉さんの唇を吸い、舌で丹念に味わう。上唇も下唇も丹念にしゃぶり、味をしっかりと記憶する。
「んぅ、っぷぁ……。くちびる、ふやけちゃうじゃない……」
唇を放し、仄かに頬を上気させた姉さんが抗議の声を上げる。愛らしい、今にでも押し倒したい衝動に駆られるが、それは帰ってきてからのお楽しみとしよう。
「特別な意味の無い『行ってきますのキス』があった方が気合い入るしね。じゃ、行ってきます!」
「もう、気合い入れた分しっかり頑張ってくるのよ?いってらっしゃい、お土産も忘れないでね?」
姉さんに見送られ、魔法陣の中に一気に飛び込む。帰るまでは姉さんの唇の味の記憶を糧に頑張ろう。向こうに行ったらまずは何から取り込むか、土産はどうしようか。
相変わらず水ではない何かに満ちた、海のような空間。もう少しこう、時をかける少女とかそんな感じの不思議空間でもいいと思うのだがどうだろうか。超空間としてのそれらしさが足りないというか。
そんなことを考えつつ、少し下を降りていた美鳥を触手で捕まえて合流。作品世界に出るまでまだ時間があるが、ここでアポカリプスナイツの機体を複製、触手で捕まえたままの美鳥をスケールライダーのコックピットに叩きこみ、俺はボウライダーのコックピットに乗り込む。
ソードライダーはパイロットが足りないからそもそも複製して無い。しかしスケールライダーもボウライダーも十分に強化されているのでまったく支障は無い。
さらばソードライダー、君の雄姿は忘れない。でもきっと核とかぶっぱなしまくる日が来るからノーモアヒロシマノーモアナガサキは守れそうに無い、許せ。
ボウライダーのコックピットでソードライダーに短く黙祷を捧げ、荷物の確認をしていると、スケールライダーの美鳥から通信が入った。通信を開くとモニタにジト目の美鳥が映し出される。
「お兄さぁん、もうちょっと優しく扱ってほしいんだけども……」
「悪い悪い。っと、そろそろ見えてきたぞ」
遥か下に魔法陣、カメラをズームにすればその向こうの景色、平和な街に迫る虫型機械と、それに立ち向かう鉄の城の姿が。多分第一話だろう。凄い、俺リアルにスーパーロボット見るの生まれて初めてだよ!
「ココロオンドゥル、いや心躍るな!」
超合金ZやニューZなどの頑強な素材も魅力的だ。ロボットの装甲はもちろん、人間体時にも武器に防具にと大活躍の予感がする。最終的にとんでもないキメラなロボットが作れるようになるだろう、名前は安直なのがいいな、ベーポルンツマーゲーとかそういうセンスが欲しい所だ。いや、名前付ける必要は無いけど。
「じゃ、まずはバッタをムッコロシて印象をよくしないとねー」
いかにもその通り。この時点のバッタにはディストーションフィールドが搭載されてないので遠慮なく全滅させてやろう。握った操縦桿から機体に融合を開始、浅くも深くも無い程度に融合、これでダメージは回復しないが弾薬は気にしなくて済む。
バッタ程度に気を遣いすぎか?しかし第一印象が大事なのでここはサクッと決めて行こう。今回の出現地点は高度500メートル、この高度から落ちて平気なのか?この強化ボウライダーなら問題なし!
「さぁ行くよ、お兄さん!新生アポカリプスナイツの初陣だ!」
「おうさっ!」
こうして、俺の異世界トリップが再び始まった。
続く
―――――――――――――――――――
全然トリップものっぽくねえぇ!オリキャラがいちゃついてばっか!というお客様はご安心ください、姉はこれから三話程影も形も存在しません。
お久しぶりです。正月開けて休み取れたと思ったら怪我して入院してました。七草粥食い損ねました。
予定としては原作キャラにお菓子で餌付けして手なづけたり組み手をして稽古したりこっそり格納庫で整備の手伝いするふりをして機体をコピーしたりする程度です。原作キャラ盛りだくさんの予定です。あくまで予定です。予定は未定なんです。わかりますよね?HPの『建設予定』みたいなものです。しかしどうやってでも完結はさせまする。俺はトマトだ!
そんな作品でもよければ、作品を読んでみての感想、諸々の誤字脱字の指摘、この文分かりづらいからこうしたらいいよ、一行は何文字くらいで改行したほうがいいよ、みたいなアドバイス待ってます。どしどしお寄せください。
次回予告(仮)
主人公、原作主人公のヒロイン(あぶれた奴)を手なづけたい!
主人公、蕎麦にはトッピングをこれでもかと乗っけたい!
主人公、テックシステムを解明したい!
の三本の予定が未定。お楽しみに。
前回投稿から半月以上経過しているにも関わらずこの短さ。お怒りの方もいるでしょうが、すまなかった、許してくれ。