双輪懸。
武者と武者の空中戦の事を言い、この言葉はそのままこの太刀打ちの作法の形を現している。
空中で打ち合う武者二騎の軌道を現して8字戦、またはチェインファイトなどとも呼ばれるこの戦いは、分厚い武者の甲鉄を切り裂き、劒冑の仕手にダメージを与える為の闘法である。
分厚い武者の甲鉄を切り裂く為には武者一騎の力では足りず、相対する武者の力をも利用する必要がある。
逃げる敵に追いすがるドッグファイトでは劒冑を切り裂くだけの力を得る事が出来ず、自然、その形式は顔と顔を合わせたブルファイトとなるのだ。
更に空中という縦方向へも広い戦闘領域を利用する為、位置エネルギーの奪い合い、高所の取り合いが重要視される。
顔を突き合わせた高所の取り合い。
上昇速度など諸々の点でより高い位置を手に入れた武者は、低い位置から迫る武者目掛け下降しながら迫り、重力の力、すなわち位置エネルギーをプラスした威力の高い一撃を繰り出す事が可能。高度優勢。
低い位置から切り上げる武者は、重力に逆らいながら高位の武者目掛け上昇、重力の力の分だけ威力を減衰した一撃で相対しなければならない。高度劣勢。
この優劣は一撃が交差した後も引き継がれる。
高所から重力の後押しを受けた武者はその勢いを利用して素早く上昇し、低い位置から上昇した武者は速度を取り戻す為に下降しなければならない。
すると駆け降りた武者は下から上へ向かう輪を描き、駆け上がった武者は上から下へ向かう輪を描く。
この軌道の形を持って双輪懸と言う。
低位置から上昇した武者が劣勢から逃れる為にこの形を崩す事もあるが、基本的に武者が太刀を交える時はほぼ間違いなくこの形になる。
が、この双輪懸という空中戦の形式、ある条件を満たした武者同士の戦いにおいては適用され得ない。
大前提としてこの双輪懸と言う作法は、戦闘領域に充分な重力が発生している場合のみを想定しているのだ。
例えば、衛星軌道上付近まで戦闘領域を移動する事が可能であれば双輪懸の高度の優劣はほぼその意味を失い、宇宙空間にまで移動すればそもそも高度、重力という二つの概念自体が意味の無い物となる。
あるいは、これはそうそう満たせる条件では無いが、相対する二騎の武者が共に重力を操る術を持っていた場合。
出力の問題もあるが、仮に地上から上昇する際に、上に向けて10Gほどの重力を掛けてやれば十分過ぎる程のエネルギーを得る事が可能である。
更に、互いの力を利用する為のブルファイトという条件。
これはもっと簡単。単純に、相手の装甲を破れるだけの力が存在すれば、ドッグファイトで後ろから斬り伏せても何ら問題は無いのである。
例えば単純な剛力以外でも、先に説明した重力を操る術、陰義を持っていたならばこれも容易く成し得るだろう。
今行われている戦いは、それら双輪懸が意味を成さなくなる条件が、一つ残らず揃った戦いであった。
衛星軌道を超え、完全に重力の頚木から解き放たれた黒と銀の武者が、続け様に交差する。
その交差に、双輪、8、チェインに例えられる軌道など影も形も見当たらない。
息吐く暇も無い交差、激突、離脱、交差、激突、離脱の繰り返しにのみ、辛うじてその影が見てとれる程度か。
銀の影が描く、線に近い美しい楕円の軌道。
黒の影が描く、線に近い超鋭角の歪な軌道。
一度の交差で数手の攻防が繰り返され、離れ、次の瞬間にはまた交差している。
正調の武者の戦いではない。武者では成し得ない異常、超常の極み。
だがそれは、紛れも無く武と武のぶつかり合い。
極低温、無重力の決闘場。
未だかつてこの世界の人類の到達し得ない、頂上決戦、いや、超常血戦であった。
―――――――――――――――――――
交差時に掌の一撃を受けた。物理的ダメージの一切を無効化する筈の甲鉄を突き抜け衝撃が走る。
だが、それはダメージになり得ない。
戦闘時の俺の肉体に生物的な記号は含まれず、内臓、骨格などへ衝撃を与える事が目的の打撃は一切の意味を持たない。
衝撃によって生まれた人型という造形の歪みを修正し、方向転換。
慣性の法則を力技でねじ伏せ真逆に反転。
正面、数千の間を持って相対する銀の影も丁度此方へ振り向き終えたところだ。
敵機に向け加速。
機械的重力制御装置、及び高機動バーニアによる加速を持ってして、その距離を一息の半の半の半程で詰め切る。
詰め切るまでの刹那に接近中の対敵の動きから分析、予測する。
右掌から中段蹴り、左肘の流れか?
対処行動を思案中に割り込み。
《右掌は完全にフェイント、早いタイミングで蹴り、肘の直ぐ後に手刀》
「ん」
短く返し、接敵。
ほぼ予想通り。掌を避け、蹴りをいなし、肘を太刀で受け、そのままの流れで手刀を潰す。
当たった、が、潰せない。力を流される。
すれ違いざまに数度打たれた。速度が乗っていない、無視。
再加速、離脱。
戦闘続行可能。戦闘続行、敵機の観測は順調。
現状での敵機の状態を確認。
「どうだ?」
《まだ駄目、辰気障壁を解く気配が無い》
融合し統合した美鳥(右手ではない)の声に、だろうなと呟く。
受けた腕にも太刀にも、銀星号の甲鉄(はだ)に触れた感触が無い。
感じたのはラムダドライバ、ディストーションフィールドを初めとする力場系の障壁に通ずる気色悪い手応え。
動きも『鈍い』としか言いようが無い。俺がまだ付いていけている。
仮にも楽々主人公を殺し得るラスボスを相手に、俺が余力を持ち、あと二段三段の変身強化を残しているのは不自然。
敵は加減をしている。加減されている。
それを不快とは思わない。当然ですらある。
ドモンも言っていた。俺も認めた。鳴無卓也はファイターに非ず。
それが全力を出さずに戦っている以上、ファイター、戦士、武者であるあちらも全力を出す理由は存在しない。
手加減上等だが、それでは意味が無い。手加減したまま、障壁を張ったままの鈍い銀星号のデータでは役に立たない。
……できればこの世界準拠、剣戟舞踏で相手をしたかったが。
《配慮は無用っしょ。銀星号も無手、ここで意地張って刀に拘る理由も無いよ》
「そうか?」
《そーだよ。それに、刀を使わない武者なんて本編中でも腐るほど居るじゃん》
「なるほど」
加速する戦闘速度から更に乖離した速度の思考と議論、決定。
装備と闘法を決闘仕様から戦争仕様へと移行を開始。
大太刀、グランドスラムレプリカを体内に分解、格納。
肩部に可動式ウェポンラック、重力加速式速射砲二門形成完了。
右腕超電磁電動鋸、左腕レーザーダガー発信装置形成完了。
高機動バーニア変形開始、高機動メガブースター×4への変形完了。
移行完了。動作チェック、完了。
現時点で最も扱いに慣れた装備、魔改造ボウライダーの武装。
フーさんではないがゲンも担いでいる。この武装で撃墜された事は無く、部隊での撃墜数トップであった期間はとても長い。
振り返る。銀の影とは万程の距離が開いている。
近付かない。俺は肩のウェポンラックに据えられた速射砲、その砲口を敵機に向け、明後日の方向に加速しながら砲弾を打ち出した。
―――――――――――――――――――
黒いヒトガタの戦闘法が変わった。
先ほどまでの典型的な武者の戦いではない。
先ほどまでのヒトガタは、その性能こそ突き抜けたものがあったが、戦い方自体は通常の武者のそれと同じ種類のものだった。
接近し、切り結び、離れる。
太刀と素手の間合いの違いこそあれ、互いに接近しなければ打ち合う事の出来ないという道理。
それを、今の黒いヒトガタは極々有り触れた手妻でもって覆している。
射撃。
六派羅やGHQの数打ちが共に刀や剣と共に帯びている物と同質の遠距離武装でもって、間合いの外から狙い打ちにしている。
通常、武者同士の戦いにおいてその手の武装が有効打と成り得る事はありえない。
純粋に火力、威力、速力、貫通力が、劒冑の甲鉄を貫くのに不足しているのだ。
それらの武装は牽制か、さもなければ劒冑以外の通常兵器に用いられるものと相場が決まっている。
劒冑に向かってそれら火器を使ったとしても、甲鉄を貫けない、回避される、刀で切り落とされる、弾丸を掴み取られるなどといった結果しか齎さない。
が、このヒトガタの放つ弾丸は、それら全ての行動を許さない偉力を備えていた。
絶え間なく吐き出される材質不明の弾丸、砲弾を紙一重で回避し続ける。
すり抜ける様に砲弾が脇を通り過ぎて行く度に、甲鉄を覆う辰気障壁が外側へ向けて引き寄せられる感覚を得る。
あの砲弾に引き寄せられているのだ。
空間を歪ませる程の弾速だからこそ起こり得る現象。
避けるしか無い。直撃すれば、いままで破られた事の無い、無敵を誇っていた辰気の盾は濡れた薄紙の様に食い破られる。
指打ちで弾き返すなどもっての外、弾くよりも早く指が飛ぶ。
威力は高いが、ギリギリで回避できる。いや、回避させられ、誘導されている。
近付く事が出来ない。
幾度か弾幕をくぐり抜け接近出来た物の、その度に両腕の奇怪な刀剣で迎撃された。
待ち構えていたかのような見事なタイミングの一太刀で辰気障壁を破られ、騎航に支障無い程度ではあるものの、甲鉄の裂傷を刻まれてしまう始末。
ヒトガタは弾幕の隙間の行きつく先、到達するまでの時間を完璧に把握し、それに合わせて太刀を振るうだけでいい。
つまるところ、遠距離でも近距離でもヒトガタの掌の上。
劣勢だ。
「ふふっ」
その事実に、湊斗光が微笑む。
気が付けば数万を放され、しかし、互いに動く事無く向き合っている。
眼前には、芥子粒の様な人型。
宇宙の真空の中で尚唸り声を上げる鋸の様な剣、光輝く短剣。
変形を繰り返し複雑な機動を作り出す合当理の両脇には、現行のどの劒冑の甲鉄すら抜く事が可能な砲。
武士とは思えぬ異形の武装。
しかし、その戦いは先までの太刀を使った戦いの時よりも、より人間らしさを含んでいる。
余分なもの、ではない。獣のそれとは違う、極めて論理的に正しい知恵のある闘法。
武者の闘いではない。
人間の戦いであった。
そして、目の前のヒトガタは、
己が肩の砲、二門を、
自らの両腕で引き剥がした。
「……」
見守る。
ヒトガタは自らから引き剥がした砲を両腕の剣でもって真っ二つに断ち割る。
盾が意味の無いものである事を示し、速度で勝る事を示し、それらの理を『捨てた』
鋸と融け合った腕を伸ばし、掌を上に、指を揃え、手まねき。
《来いよ、銀星号。辰気障壁(たて)なんて捨てて掛かって来い!》
金打声が響く。人の声だ。人間の感情の籠った、力を漲らせた戦士の声。
それに驚くで無く、応じる。
本気で掛かってこいとの求めに、望みの全力を持って返礼する。
「いざ」
仕切り直し、ここからが正真正銘の真剣勝負。
互いに加減も様子見も出し惜しみも無し。
これが、これこそが100%の銀星号(ムラマサ・ヒカル)
甲鉄の仮面の下、柳眉を立てた獰猛な、如何し様も無い程の喜悦に歪んだ攻撃的な笑みを浮かべ、
「尋常に」
辰気障壁を、
「勝負!」
解除した。
―――――――――――――――――――
銀星号の障壁が消えた瞬間、周囲のタキオン粒子の流れが変わった。
クロックアップ。
倍率は七万五千倍と言ったところか、周囲のタキオン粒子濃度から考えて、現在瞬時に俺の意識の外で切りかえられる最大倍率。
常識的な強さの相手であればこの倍率での戦闘は不可能、ワンサイドゲームに持ち込んだと言える。
が、今現在この世界の湊斗景明の周囲は間違いなく魔王編かその派生へと繋がる道に進んでいる。
俺の目の前に居る対敵は、間違い無くこの世界のラスボスなのだ。油断は禁物。
天体の運行が、太陽のフレアが、ありとあらゆる周囲の動きが緩慢に停止し、
《正面、拳!》
芥子粒程のサイズに見えた銀星号が消え、次の瞬間には眼と鼻の先に、白銀の鋼拳が迫っていた。
「うおぉっ!?」
電動鋸型ブレードを機動させた状態でその拳を受ける。
回転する刃によって拳の甲鉄が僅かに削れ、拳打は外側に逸らされ、間一髪のところで直撃を避ける。
いや、当たってはいる。腕から生やしたブレードが、根元から拉げ掛けているのだ。
ダメージを受け流し損ねた。
身体が傾ぐ。
しかし、体勢を整えている暇は無いらしい。
《左後ろ、下、蹴り!》
崩れた体制が功を奏した。
指示を受けている間にも打たれた衝撃で上下が逆さまに成りかけ、左上からの蹴りが迫る。
レーザーダガーを最大出力で展開、合わせる様に打ち返すと、高出力で力場すら形成しているレーザーの刃を蹴り抜き、左腕が関節部から螺子曲がる。
砕けた腕を再構築、身体構造を更に強靭な物に作り替え、短距離ワープを繰り返しかく乱。
が、何故だかそのことごとくを先読みされ、その度に寸での処で切り払う。
一打毎に並みの武者ならレンジ猫の如く弾けるだろう衝撃。
距離を開け、最大限まで時間を加速する。
現在の倍率十一万五千倍。
それでも純粋な速度で追い付けるかどうかは謎。こちらを追い詰める様に銀星号の速度も上がっていく。
距離を連続ワープで稼ぎながら、思考。
「あいつ、あんなに速かったのか」
無想、夢想剣だからこその肉体を顧みない超加速。
それとも鉱毒病でもがき苦しんでいる間に、人間の持つ第六感を超えた第七の感覚にでも目覚めてしまっていたのか。
良く良く考えずとも、この倍率の俺から見て通常倍率の銀星号があの速度だとすれば、リアルに光速を超えていても可笑しくは無い。
鉱毒病が治って暫く、廃人の様な状態でいたのは六感全てを封じられたのと同じ状況だったからか。
理屈で言えば、五感を失っておらずとも、それらを認識する為の第六感、自我に値すると言ってもいい部分が消えてしまえば至れないでもない、と思う。当然普通なら有り得ないのでラスボス補正込みでの話ではあるが。
これに追随できる心甲一致の三世村正はどんな超性能なのだろう。
《たぶん、あれが二世村正と『健康体の湊斗光』の心甲一致なんじゃない?》
なるほど、魔王編ラストバトルでは金神を取り込んで超出力になっていたが、それで身体が健康になった訳では無い。
あれは治療法としては無理矢理に過ぎる、言うなれば病人の身体に無理矢理大量のエネルギーを注ぎこんで誤魔化しただけ。
穴の空いた桶に、零れる以上の量の水を注ぎ続ける様なものだ。
だが、現在の湊斗光の肉体は、紛れも無く健康体。一切の不備の無い肉体、体力の下で運用される引辰制御の陰義。
流石にリアル光速を超えた訳ではないのだろう。恐らく、やっている事は結果としては俺のクロックアップと同じ。
重力の違う場所では時間の流れが異なる、という現象を超過剰にして行使される加速。
完全に違う時間の流れに乗る俺が参考にしたクロックアップとは違い、物理的な破壊力も加味される可能性はとても高い。
元来の超速度も相まって、おそらく地上でこの加速を行えばそれだけで周囲の地殻が捲れ上がるだろう破壊力を伴った加速性能。
まぁ、それも多分引辰制御の応用でどうにでも出来てしまうのだろうが……。
「自業自得か」
ちょっとした思いつきとはいえ、まさかあの時の治療がここで仇になるとは。
《善因には善果があるもんだと思ったんだけどね》
「悪果があったなら悪因だったんだろうよ」
悪因には悪果があるなら、やはりこの世界にとって湊斗光の肉体の治療、というのは悪行なのだろうか。
だが、これはこれで良い状況だとも言える。
現在の銀星号の騎航、ギリギリ観測して纏まったデータに出来る程度には、最大戦速時の銀星号の甲鉄の動きのサンプルが集まってきているのだ。
あと数合打ち合う事が出来れば──
《! 重力波、来るよ!》
思考を中断、迫る空間歪み目掛けて、振り向き様にグラビティブラストを放ち、相殺する。
接近していた重力波の正体は、おそらく指向性をもった辰気の波動。
銀星号の陰義を応用した術技の一つ『瘴熱疾走・火隕星(ブレイジング・ストリーム)』
《おれを前にしてお喋りとは、随分と余裕があるのだな》
距離にして、約3万。
俺にしても銀星号にしても、一息も掛からないで必殺の一撃を叩きこめる位置。
ふわり、と、銀星号が距離を開けた。助走距離を作り出している。
月をバックに、銀色の女王蟻の劒冑が舞う。
目の前には月をバックにした銀星号。
振り返ると、障壁を張った銀星号と打ち合っていた時よりも大きくなった蒼い地球の姿。
「美鳥」
《うん、あたし達も銀星号も、とっくに地球の重力に捕まってるよ》
なるほど、先に速射砲で誘導し続けたことへの意趣返しか。
短距離ワープの移動先も巧妙に誘導されていた、という訳だ。
敵騎の現時点での最強攻撃、飢餓虚空・魔王星は恐らく俺に対して向けられない。
俺自身試した事は無いが、おそらく敵騎の目から見たら、俺の重力制御能力をもってすれば放たれた魔王星の影響を無効化出来ると踏んだのだろう。
火隕星も先ほど打ち消した。通常の手ではダメージにもならない。
これで、銀星号の決め技は唯一つにまで絞られた。
《天座失墜──》
目の前で、こちらに近づきながら前転を始める銀星号の姿。
全身の甲鉄が流動し、打点である足先に集中していく様まではっきりと見てとれる。
相手が鈍い訳でもない、俺が早い訳でもない。
感覚だけが加速している。回避し得ない攻撃を前に、全感覚が加速し、振り下ろされる死神の鎌を鮮明に瞳に映し出す。
この勝負、俺達の──
《小彗星!》
勝ちだ!
―――――――――――――――――――
空気の壁を、空間を割り砕きながら、天から地へと駆け──
ヒトガタを、貫いた、蹴り砕いた。
弾き飛び、胴体から破裂するヒトガタ。
硝子の割れる様な涼しげな音が鳴り響く。
違和感。
感触が、軽すぎる。
ヒトガタの先ほどまでの強度ではありえない、薄氷を踏み抜くような脆い感触。
そして、砕け散ったヒトガタの破片が、村正の甲鉄に纏わりつき、融ける様にして甲鉄一つ一つに広がっていく。
「村正?」
《陰義、ではないな。これは──》
黒鉄の粉の様であったそれは、溶けるにつれ色を失い、遂には黄金色の水晶となり、銀星号の心鉄を除く全甲鉄を覆い尽くす。
だが、その不可思議な現象を置き、二世村正は驚愕した。
《これは……聖骸断片(らぴす・さぎー)だと!?》
かつて異国より渡ってきた賢者、浦夢より齎され、村正一門の劒冑に含まれている特殊な素材。
劒冑に比類なき異能を与える生きた金属、この世に二つと無い筈のもの、神の断片。
驚愕する村正を捨て置き、湊斗光は空を見上げる。
何故、確実に止めを刺した手応えは無かったが、確かに標的を貫きはしたのに。
相手を薄氷と間違う程の威力が出たからかもしれないではないか。それだけの力を込めもした。
馬鹿馬鹿しい。胴体を貫いたからと言って、相手が死ぬとは限らない。
自分達以外に引辰を操る者が居た。
障壁を張った状態でとはいえ追い込まれもした。
全速全開の状態でも、尚喰らい付いてきもした。
それが、最後の一手に対し、何の返し技も行わなかった。
月を背に立ち留まり、背を向け距離を取り、十分な準備の間を与えたにも関わらず。
で、あるならば。
「それが、貴様らの狙いであったか!」
裂迫の気合と共に全身から破壊的な辰気の波動を放ち、甲鉄に纏わりつく黄金の水晶を弾き飛ばす。
再び微細な粒子と化したそれらは、胴体の半ばより上下に分断されたヒトガタの傍らに集まると、大気中の塵を取り込みながら、一つの形へと纏まっていく。
大人を一人余裕で抱える事が出来る程の、巨大な女王蟻。
心鉄の存在を感じる事は出来ない。劒冑ではない筈だが、それは本物の女王蟻の如くギチギチと顎、足を蠢かせ、羽根を震わせている。
二世村正の独立形体に瓜二つの、生きた彫像。
材料の問題か、それとも何かしらの不可思議な力でも作用したのか、その色は透けた金からオリジナルの銀、赤、藍、蒼、茶、緑、と目まぐるしく色を変え、ヒトガタと同じ、宇宙の暗黒を染み込ませた黒色に染まり、分断されたヒトガタ、その両方に吸い込まれていった。
《いかにも、いかにも、いぃかにもぉ!》
もはや、最初の不気味なまでに寡黙な、返事も返さなかった謎のヒトガタとは思えない程の、悦びに満ちた男の叫び声。
恐らくは分断されたヒトガタの上半身から。
《騙して悪いけど、これが目的なんでねぇ!》
分断された下半身から響く、悪いとは欠片も思ってい無さそうな、鈴の音の如き少女の声。
分断され、二つに分かれたヒトガタは、それぞれ質量保存の法則を無視しながら別々の形へと変形を始める。
上半身はやや筋肉質な成人男性に。
下半身は小柄ながらも鍛えられた少女に。
顔の細かな造形、髪質などの共通点から、おそらく兄妹か親子。
そんな二人には、造形以外に二つの共通点があった。
まず、気配。
先ほどまで対峙していたヒトガタと全く同じ、人とも武者とも劒冑とも器物とも神仏とも取れぬ奇怪な気配。
人の姿のまま生身で浮かんでいる事から考えれば、それは別段可笑しな事では無い。
しかしてもう一つの共通点、表情。これはおかしい。
二人は揃って、『してやったり』といった笑みを浮かべているのだ。
武器も無く、装甲を解いた状態で、しかしその表情は何故浮かべられているのか。
二人が、動く。
いつの間にか、二人の周囲には無数の金属の破片が飛び交っていた。
「鬼に逢うては鬼を斬る」
腕を伸ばし、朗々と口結を唱える。
銀星号、湊斗光にも二世村正にも、馴染み深い言葉の羅列。動き。
幾度となく繰り返し取った構え。
幾度となく繰り返し唱えた口上。
「仏に逢うては仏を斬る」
腕を引き、再び前に突き出す。
二世村正の装甲ノ構。
二世村正の誓約の口上。
「ツルギの理、ここに在り!」
オリジナル、二世村正からすれば間違いなく、偽物であると看破できる。
偽りの構え、偽りの誓約であり、生まれるものもまた偽物。
劒冑の紛い物を纏った、人間の紛い物。
だが、だがしかし。
そこには確かに、二世村正の武者形体が、三騎、存在していた。
―――――――――――――――――――
やった、やってやった。
手に入れた。銀星号、二世村正の甲鉄形状。
引辰制御(グラビトン・コントロール)、重力を操り空を駆ける事において最大効率を発揮できる構造。
最大限に加速した、引辰制御能力を体術に最大限使用した状態でのデータを手に入れた、理解した、取り込まずに。
呪い。善悪相殺の制約は、付加されていない。
成功。俺達の、作戦勝ちだ!
「なるほど、つまり貴様等は銀星号(おれたち)ではなく」
《冑(あ)の方に用向きがあった、という事か》
「それだけじゃあ、無いんだなぁ」
未だ臨戦態勢を解かない銀星号に向け、人差し指をちちち、と振りながら答える。
もう後は届かない距離まで逃げるだけだ。勝利条件を満たした以上、こんなインチキくさいラスボス補正持ちと戦ってはいられない。
美鳥は黙々と安全そう、かつこのラスボスがこれない様な場所の割り出しを行っている。
こうなれば逃げるだけなら打たれるより早く可能なので、答えられる事には全て応えておく。
「一応、医者の真似事をした以上、患者の経過は確認しておきたくてね」
《ふむ、やはりなれらはあの時の》
「ええ、あの折は挨拶もせずご無礼を」
堀越御所に忍び込んだ時、二世村正だけはこちらに反応する事に成功していた。
存在している事に気付いてもそれに対処不能だった事を考えれば術に引っかかっていたと言っても過言では無いのだが、真打すら混じっていた警備の武者が一人も反応する事すら出来なかった事を考えれば上等な探査能力だろう。
「なんと、怪しげな妖物の類かと思えば、俺の身体を『直した』医者であったか」
感心したような響きの湊斗光の声。
治したではなく、直したという響きが彼女の直感の鋭さを窺わせる。
「礼を言おう。医者殿のお陰で、おれは万事不備も無く天下に武の法を敷く事が出来る」
「いやいや。礼なんて要らないので、構えを解いては頂けませんかね」
礼を言いつつ拳を打ち込める姿勢を崩さないとかシュール過ぎる。
治療への礼に込められた真摯さと、こちらに向ける攻撃的な意思の強さが同等とか、知ってはいたけど頭おかしいだろうこの人。頭おかしいのは知ってたけど。
「それはならん」
「なぜ?」
俺の切り返しに湊斗光、銀星号は一先ず構えを解き、顎に手を当て考える。
「医者殿の目的は、村正の構造を調べる事。違い無いな?」
「確かにそれが一番の目的ですかね」
「つまり、医者殿は自らの目的を達成した。この光を相手に勝利したと言ってもいい」
顎から手を除け、再び構えを取る。
「負けっ放しは気分が悪い、と?」
「しかり。天に立つ銀の星はこの光ただ一人。神の座に至る為にも敗北は許されぬ身故、許せ」
「ふむむ。許せと言われてしまえば」
と、ここまでの会話で充分に時間を稼ぐ事に成功した。
ので、装甲を解く。再び生身で滞空。空気が薄い。
此方の行動に警戒した銀星号が構え直し、こちらもそれに対抗する様に構えを取る。
右手の握りこぶしから親指を上げてサムズアップ。
その右腕を肘から緩く曲げ、前に突き出し、
親指を立てた拳を喉の高さまで持ち上げる。
右腕の力こぶの辺りに左手を軽く乗せ、
身体を右に傾ける。
「許さない、絶対に許さないよ! 絶対にだ!」
必勝の構え──許されざる構え!
俺の背後には今、金神エフェクトとしてマケドニアの国旗が輝かしくもはためいている事だろう。
そう、俺は成長している。
大鬼神を超え、金神魔王尊を超え、現人神、いや、アラジン神として!
ならば、この事態をやり過ごせない筈が無い。
「ならば如何する!」
突撃しながらの銀星号の問い。どうあっても逃がす気は無いんやな。
しかしこの構えを取ったからには、許せと言われても絶対に許さない。
逃がせないと言われたからには確実に逃げ切るのみ!
「美鳥ぃっ!」
「ほい来たぁ!」
今の今まで背後で空間を弄っていた美鳥を呼び寄せ、装甲を解いた美鳥の身体を片腕で抱き寄せる。
そんな俺と美鳥の身体を、銀星号の拳が、『何の抵抗も無くすり抜ける』
空間の位相をずらした。もはや通常空間の存在とは互いに物理的干渉はほぼ不可能。
だが油断は出来ない。引辰制御と重力制御は似て非なるもの、ラスボス補正も併せて鑑みれば、次の瞬間にも引辰制御の応用で打撃可能になる可能性は非常に高い。
「逃げるか!」
「違うな、これを一般的に戦略的撤退という」
「あえて言うなら逃げるが勝ち、つまりはあたし達の二勝目だ!」
俺と美鳥は捨て台詞を残し、即座にその場から転位した。
―――――――――――――――――――
……………………
…………
……
奉刀参拝の行われていた八幡宮で銀星号が大虐殺を行い、湊斗景明と三世村正相手に初めて飢餓虚空・魔王星を使った翌日。
伊豆、堀越御所。
「──と言うのが、先日のあらましな訳だ」
簡素ながらそこかしこの造りに匠の技が見てとれる和室にて、茶をすすりながらの説明を終えた。
美鳥は説明に参加するでもなくその場に寝そべり、せんべいをがじがじと齧りながらLOのバックナンバーを読み耽っている。
先ほどまでは運び込まれた蜘蛛正を弄り倒していたが、全身隈なく弄り倒した挙句に『リアクションが無いと詰まらない』という理由で中断。
残りは人間形体に偽装が不可能でかつリアクションが可能なレベルまで回復した後に行うつもりらしい。
「はーい質問しつもーん」
目の前の金髪美鳥もどき──堀越公方、足利茶々丸が手を上げる。
口調こそ緩いものだが、その顔面は何かを堪える様にひくひくと引き攣っている。
「あては、『なんでおめーらがここに居んだよ!』という突っ込みから始めたと思うんだけど、なんで御姫との決闘に話がずれてんだよ!」
途中までは穏やかに問い詰めようと堪えていたのだろうが最後の最後で怒り爆発。
互いに声だけは幾度となく交わしているのだが、顔を合わせるのは初めてだと言うのにこの態度。
声だけでこちらの事を見抜いたのは予想通りとはいえ流石だが、何をいきなり憤っているのか。
カルシウムを積極的に摂取するべきだと思う。牛乳とか小魚とか。
頭から蒸気を噴き出す勢いで怒鳴り始めた堀越公方を落ち着かせる為に茶請けを渡す。
「慌てるな、言った通りここまでが先日の話、つまりまだ話の途中だ。ひとまずカステラでも食って落ち着け」
切り分けたカステラを皿に乗せ差し出す。
「あ、どうも。──って、これあてがとっといた文明堂のカステラじゃねぇか! 無い無いと思ったら手前らかよ! なんで勝手に食ってんの!?」
「ふぅむ」
茶を啜る。一息。
「隠し場所を見つけて貰って来たに決まっているだろうに。君は馬鹿か」
「うわぁ今すぐ殺してぇコイツ」
ふるふると拳を震わせる堀越公方は落ち着くまで置いておくとしよう。
一応、御所の全員に強力な認識阻害と記憶操作で、『俺と美鳥がここに居るのが当たり前』といった風に思わせ、堂々と家探しをさせてもらったのだが、このカステラを除いて大したものは見つからなかった。
あわよくば仕手の居ない真打劒冑でも無いかなとか思ったのだが、残念無念。
カステラは、一応物々交換という事で値段÷10の数だけ美味い棒を置いてきたから問題ないだろう。
文明開化の味を思う様味わうが良いさ。
「あぁ、もういいや。で?」
「うむ、さっきの話を聞いて貰った上で、今現在の湊斗光の容体、どう思う?」
「…………なるほどな。だから改めて、って事か」
結局のところ、湊斗光は戦う度にその生命力を削り続けている事に何ら変わりない。
確かに、俺がこっそり投与した医療用ナノマシンで湊斗光は過剰なまでに健康体になりはした。
が、それに伴い、今度は銀星号として活動を重ねる内に『仕手が健康体である事を考慮したペース配分』を覚えてしまったのだ。
ただ飛んで汚染波をばら撒き、そこらの数打武者を相手に無双する程度なら問題無いが、辰気障壁を解除してそれなり以上の性能の武者相手に全力で戦った場合、加速度的に湊斗光の身体は衰弱していく事となる。
特に少し前のVS俺in美鳥の時に至っては、本来想定していない我流のクロックアップなどを行った為に、更に余分に熱量を消費していた筈だ。
二年前より衰弱している、とまではいかないだろうが、間違いなく前回の戦いで数年分の寿命を消費したと見て間違いないだろう。
「大体あれだ。奉刀参拝の時の排水溝脱出ゲーム、俺がこっそりサポートして無ければ全員纏めて吸い込まれてスパゲッティみたいになっていたんだ。命を救った代金として考えれば数日の滞在位妥当なもんだろう」
「え、それマジ?」
「マジも大マジだ」
その吸引力と来たら、以前の銀星号のそれが年代物の中古手持ち掃除機だとすれば、今の銀星号の放つそれは吸引力の変わらないただ一つの掃除機のスペシャルチューンだと考えてもらえば良い。
あれの直撃を受けたら、鋼鉄の厚さが五段階評価で五の付いた真打武者でも一溜まりも無い。
そうなると三世村正は暗闇星人と共にスクラップになってしまい、蜘蛛正を美鳥に弄らせる事が出来なくなってしまうので、重力制御でどうにかこうにか威力をある程度相殺した。
完全に打ち消すつもりは無かったにしても、威力を多少減衰させるだけでもそれなり以上に手間取った事から考えるに、八幡宮を中心に半径数キロ程度の土地が土埃舞う荒野になった程度で済んだのは幸運だったと言えよう。
今後数十年は重力異常で草木の生えない不毛の土地になってしまったが、周囲の物を吸いこみながら巨大化して、最終的に地球を丸ごと飲み込んだりするよりは余程マシだろう。
……ふと思ったのだが、もしかしなくても署長はすでにあの時点で死んでしまったのではあるまいか。望遠鏡で覗ける位置だとすれば十分過ぎる程に射程内だし。
とはいえ、蜘蛛正を弄れる位置に入りこめた時点で署長の役目は終了している。深く気にしない事にしよう。
「サポートっても、あの時点ではあの場所に居なかったんだろ?」
首を傾げる公方に頷きを返す。
「遠隔地から中継点を経由しての重力操作だな。銀星号が常に制御しているのならともかく、あの技は一度放たれたら銀星号の制御下には存在しない。あのサイズの辰気の渦なら多少減衰させる程度はどうにでもなる」
「何その超人技。遠隔引辰制御って時点で只事じゃないし、どうにでもなるとか言ってられる技じゃねーじゃん」
「超人技じゃなくて神技な。ああ、一応言っておくけど、そこらの死にたそうな人間を誘拐して美系に改造して超能力付与して異世界に転送とか、それ系の神様じゃあ無いからな?」
「余計に訳分からんわ」
大体、結果として視覚情報として入ってくるのは三次元のイケメンが三次元の美少女相手にあれやこれやハーレム作ったりイチャイチャしたりするリア充生活だ。
何処をどう間違えればそんな不快極まりない物を楽しめるというのか。ああいうのは映像を想像し難い文字媒体か二次元であるからこそ見世物に成り得るのである。
そういう娯楽を楽しめる様になるのはリア充になるか、さもなければその世界を二次元に変換して観測可能な能力を手に入れてからではなかろうか。
そんな訳のわからない見世物よりは、ゲーセンのセガのロボゲーでもプレイしている方が有意義に時間を潰せるだろう。
スパロボ世界のチートを使ったリアルバトルでは味わえないあのもどかしさと安心感、癖になるゲームである。
思わずPSPのソフト新品一本分程の金額を一日で使い切ってしまうのも仕方が無い事だろう。後々姉さんにこっぴどく怒られたので最近は自重しているが。
「ま、そんな訳で、湊斗光が起きるまで治療は出来ないから、しばらくここの隅っこを貸して貰うので、悪しからず」
「どんだけ図々しいんだよおめーら……」
疲れた様に項垂れ、カステラを頬張る公方。
そう、ここで項垂れるだけで強く追い出そうと行動に出ないのが、既に俺の術中に嵌まっている証拠なのである。
俺や美鳥に限らず、トリッパー全般が多用するらしい認識阻害や記憶操作の魔法。
この魔法、不思議な事にこの生体甲冑の少女には非常に効果が薄いのである。
まぁ、一発で思考回路を作り替える汚染波が利かない時点で予想してしかるべきなのだが、それではゆっくりと蜘蛛正を弄繰り回す事が出来ない。
そこで、金神を取り込んでから定期的に送っていた怪電波を利用し、徐々に俺達という存在に慣れさせたのだ。
認識阻害魔法の効果が薄いのであれば、薄い効果で充分に効き目が出る程に違和感が無い状態まで持って行けばいい。
正直な話、スパロボJ世界で使用したナノポマシンを使えば一撃なのだろうが、元々が不憫な者に追い打ちをかける様に不憫な思いをさせるのはほんの少しだけ気が引けるのだ。
第一、万が一また投与する量をとちってメメメの様な状態になったら目も当てられない。
ああいう事故は一度で充分だと学習済みなのである。こいつ不憫な上に金髪だから特に縁起悪いし。
「ま、次に湊斗光が目覚めたら勝手に治療しておくし、飯も女中さんが持ってきてくれる事になっているから、特に俺達にはお構いなく」
「あ、あるぇー? あてん家、何時の間にか乗っ取られてね?」
公方はなにやら首をかしげているが、これはむしろ当然の結果と言ってもいい。
以前忍び込んだ時に聞いたのだが、基本的に堀越公方、竜軍中将の足利茶々丸には腹心という者が存在せず、何か命令を出す時も理由を話す事が少ないらしい。
この少女に付き従う者は、基本的に茶々丸を恐れ、盲従し、命令の意味を深く考えずに付き従う者が多い。
そういう人物でなければ部下に心を開かないこの少女には付いて行かないし、付いて行けないのである。
そんな訳で、ここの連中の頭を弄るのは実に簡単だった。
普段よりも軽い認識阻害の魔法に加え、『鳴無卓也と鳴無美鳥は足利茶々丸の個人的な客である』という単純なキーワードを与えてやるだけ。
ここであえて『友人』ではなく『客』とする事で、後は勝手にそれぞれが自分の中で納得してくれるのである。
人の事を言えた義理で無いにしても、友達の類は少なさそうだしな。
と、ここで寝そべってせんべい、雪の宿を齧っていた美鳥がいやらしい顔つきで口を挟んだ。
「そそ、あたしたちは勝手にやってっから、愛しい仕手候補さんの寝顔でも覗きに行ってみたら?」
「ど、どうしてお兄さんが仕手候補って証拠だよぅ……」
因みに平静を装いつつも最後の最後でどもってこの世界には存在しないサブカル言語になっているが、ここで堀越公方が顔を赤くしながら言っているお兄さんは暗闇星人、湊斗景明の事である。
第一章の被害者がゼロであるこの世界では稲城忠保は三世村正との会話を行わず、洗脳された暗闇星人を説得する内容を三世村正が手に入れられない可能性が高い為、きちんと茶々丸ルートに入る可能性があるのだ。
応援してやりたい所ではあるのだが、現状湊斗光は超健康体。衰弱死の可能性は極めて低く、予想寿命は百にも迫る。戦力的に考えて下手をしなくても湊斗景明よりも長生きする可能性が高い。
つまり説得の可能不可能云々を論じる以前に、精神汚染をした後ですら堀越公方は湊斗景明を仲間に引き入れる事が出来ない可能性が高いのである。
重ね重ね、不憫な奴だ。
「なんか今、すっげぇ不愉快な感情を向けられている気がする」
表情に出したつもりは無かったのだが、経験上相手の感情を読み取る術には長けているのだろう。不快そうなしかめっ面を此方に向けてくる堀越公方。
そんなに見つめられても、正直困る。不憫さがこっちにまでうつりそうなのであっち向いて欲しい。
「富士山、綺麗だなぁ」
「なー」
一々弁解するのも面倒だし、正当な評価なので美鳥と共にそっぽを向いてはぐらかしておいた。
曇りなので富士山は影も形も見えないが。
「て、め、え、ら……!」
余計に怒りを買った様だが気にしない。劒冑として仕手を得た状態での戦闘シーンも存在しない上に個別ルートが超短いなんてのは不憫以外の何物でもないのだから。
どうしても暗闇星人を仕手に欲しいのであれば、大和に平和が戻った後にでも暴走編の如く他のヒロインとキャットファイトして決着をつければいいと思う。
正直本編後にそんなほのぼのイベントを発生させる事が出来るかと言えばまず不可能だと思うのだが、どうせ夢見るだけならタダ、気にしてはいけないのである。
―――――――――――――――――――
……………………
…………
……
奉刀参拝から三日後、眠りから目覚め、御所内を案内された後の湊斗景明は、酷く思い悩んでいた
二年もの間追い続けていた銀星号──妹、湊斗光との再会に。
村正の、善悪相殺の制約を知っていて、それを利用して義母を、湊斗統を殺させたという光。
身命を賭した一撃で、届いたと確信した。そしてそれは自惚れであった。
真の力を発揮した銀星号の圧倒的な力の差を見せつけられ、叩き伏せられ、この地で再開をし、ゆっくりと向かい合うに至って、気付いた。
(統様に、似てきた)
そう、二年ぶりにその姿をまじまじと見つめ、怒りに任せ掴み掛ろうと躍りかかり、投げられる段になって、不覚にも唖然としてしまったのだ。
投げられる瞬間に確かに感じた、二年分の成長とはとても信じられない程熟れた、妹の肢体。
自らの内の獣を揺さぶる、女の色香。
部屋へ戻る道を歩きながら、自らの手が確かめる様に虚空に妹の肉体のラインを描きだした辺りで正気に戻り、景明は雑念を取り払う様に首を横に振った。
自分は何を考えていたのか。相手は銀星号、災厄と言っても良い大量殺人の下手人であり、狂っているとはいえ、自分の──
《え、ちょ、何よ貴方達、こら、やめ、キャァァァァァァァァァッッッ!》
全方位に向けての叫び声、絹を裂くような女性の悲鳴を聞き、思考を中断する。。
ただの悲鳴ではない。金打声での悲鳴、村正の悲鳴だ。
(村正、如何した!)
突然の叫びに自らの劒冑へと問いかける。が、返事が無い。
油断していた。ここは仮にも六派羅の四公方の御膝元だというのに、休眠中の劒冑を置いて外出など。
急ぎ、木張りの廊下を駆ける。
幾つかの角を曲がり、自分が寝かせられていた部屋に近づいた景明は、ガタガタという物音と共に、不穏な会話を耳にした。
「……正さんの身体は俺達に弄ばれる為に死蔵されていたんですものね」
《いつもの力が出せれば、こんな奴ら……!》
「良かったじゃねーか、甲鉄のダメージのせいに出来て」
村正の金打声と、聞き覚えの無い男性と少女との声。
身動きの取れない村正が襲われている。その事実を認識した時、景明の心に言い知れぬ感情が湧き立った。
障子を勢い良く開き、
「村正! ……村正?」
その光景に、首を傾げる。
確かに村正が、少女と成人男性に襲われている。
独立形体の巨大な蜘蛛の村正が、と、注釈をつけなければならないが。
「生蜘蛛正様の生合当理の寸法を測らせて頂いてもよろしいでしょうか」
目つきの鋭い屈強な体つきの成人男性が、巨大な蜘蛛の腹部、村正の合当理の辺りにメジャーやその他良く分からない計測器の様な物を当て、あれやこれやとメモを取っている。
よろしいでしょうか、と聞きながら勝手に寸法を測り始めている辺り、聞いてみただけで寸法を取る事は決定済みだったのだろう。
《そ、そんなそこらの雑貨屋で売ってそうな安物の計器なんかで……》
安物の計器で測られると何か不都合な点でもあるのか、村正は独立形体の蜘蛛の形のまま、金属の節足をビクンビクンと、もといガシャンガシャンと震わせている。
何故か声に艶があるように聞こえるのは気のせいだろうか。
と、合当理の後ろ側に取りついて何やら弄り回していた少女が顔を上げた。
「生蜘蛛正の生鋼糸ゲーット!」
《んんんんんんんんんん!》
少女は鋼糸の束を手に巻きつけ、全身で喜びを表現しながら歓声を上げた。その表情は達成感に満ち溢れている。
どうやら村正は未だ完全には回復していないのか、身体に纏わりつく二人を押しのける事すら出来ないのだろう。鋼糸を無理やり引き抜かれて声を殺した嬌声を上げている。
気持ち良いのだろうかという疑問を押しのけ、景明は自分の劒冑から離れて貰う為、村正にとりつく二人に声をかけた。
―――――――――――――――――――
……………………
…………
……
さてさて、もう弄るところが無いのではないかというほど蜘蛛正を弄り倒し、美鳥は鋼糸まで手に入れ、俺は磁気制御に最適な三世村正の甲鉄の形状までもを事細かに記録し、ほくほく気分で借りている客間に戻り眠りに付き、堀越御所の事件から四日目の朝を迎えた。
公方が暗闇星人の布団から出たであろうタイミングを見計らって、毎度おなじみの早朝電波で朝の挨拶。
途中美鳥の『さくやはおたのしみでしたね』という発言に、今までに無い程のうろたえっぷりを見せた公方を微笑ましく思いながらもからかいを入れ、公方の堪忍袋の緒が切れる直前で電波を打ち切った。
打ち切ってから思い出したのだが、作中では金神や他の音が遠ざかるから、という理由で一緒に寝る事をせがんでいた筈なのだ。
既にそれら騒音被害から解放されている公方は一体ぜんたいどのような言葉で添い寝を通したのか、実に興味深い。
朝食を終え、女中さんが膳を下げるのを見送り、しばらく客間で寛ぐ。
ゴロゴロと文字通り部屋の高級な畳の上を転がった挙句に俺の膝を枕にして脱力している美鳥が、何とはなしに口を開いた。
「おにーさーん、今日は何か予定あったっけー?」
「ふむ、午前中は庭で景明と三世村正チームが無我の練習中に我らが鬼畜坊主と遭遇。午後は庭に湊斗光が現れるから、部屋に閉じこもってるか何処かに外出した方がいいな。あぁ、そういえば夜には黒瀬童子が忍び込んでくるか」
黒瀬童子の劒冑もかっこいいし、厄介な制約も無いから取り込んでみるのも良いかもしれない。
銀星号、『湊斗光』の治療は明日の夕方でもいいか。一応親族が来ているなら説明入れてからの方が問題無いだろうし。
そんな俺の説明に、ふぅん、と気の無い返事を返し、太ももに顔を擦り付けてマーキングを始めた美鳥。
マーキングを初めて数分、存分に頬ずりしたり涎が付かない程度に膝を甘噛みしていた美鳥が突如ガバリと身を起こした。
寸前までのマタタビを嗅いだ猫も顔負けのだらしない表情は一変し、その顔は青褪めている。
「わ、忘れてた……」
「何を?」
俺の問いに振り向いた美鳥の目には涙すら浮かんでいる。
「お姉さんのお土産、頼まれてた、髑髏の、盃」
「あー、そういえばそんなのもあったな」
俺への頼みごとでは無いのですっかり忘れていた。
今日古河公方が来るから、もう既に公開凌辱ショーは終了済み。
作中で描写されたのは英雄編だけだが、そのシーンの前後からは髑髏の杯の行方は知ることが出来ない。今から探して発見するのは難しいだろう。
多分姉さんは杯よりも芋サイダーの方をメインに据えているのだろうから、俺の強化の手伝いをしていたと言えば許される可能性は非常に高い。
高いが、仮に姉さんが許しても美鳥は結構後々まで気にしてしまうだろう。
とはいえ、俺達にとってみればそこまで焦る必要の無い話でもある。
「六派羅に忍び込んで、ボソンジャンプで一日ずつ遡って能舞台が開かれている日に移動すればいいじゃないか」
「あ」
俺の提案に、ガタガタと震える体をピタリと止め、顔色を見る見る元のカラーリングに戻す美鳥。
いくら人間の生体活動が擬態とはいえ、器用な奴だ。
「今回は俺達の関係無い場所での出来事だからタイムパラドックスを気にする必要も無い。しかも、だ」
以前にタイムスケジュールや細々とした情報を纏めた大学ノートを取り出し、開く。
分岐した後、どのルートでも起こるであろう共通イベントのメモ。
「英雄編、一条さんと暗闇星人が普陀楽に忍び込む少し前の普陀楽での四公方の会話で、八幡宮事件について言及されている。そして、今日堀越御所にやってくる古河公方は既にエロシーンを消化済み」
「今日は八幡宮排水溝事件から四日目、英雄編でエロシーンは潜入三日目の夕方だから……」
大学ノートを見ながら呟く美鳥に頷きを返す。
「能舞台のタイムスケジュールが英雄編通りなら、昨日の夕方辺りが妥当な筈だ。といっても、これはあくまでも無理矢理当てはめた場合の話だけどな」
能舞台で岡部桜子が古河公方に鬼畜エロされてしまった、というのは魔王編でもちらほらと情報が出ているが、それが八幡宮事件の後の事か前の事かが分からない。
流石に大ボスが生きている内にその息子の懸想する相手に手を出したりはしないと思うが。
とはいえ、そう何度も時を遡る事は無い筈だ。
「その時期には何故か普陀楽に大鳥獅子吼もケバ太も居ないからな、同太貫を取り込んできても良いぞ」
忘れがちだが、俺と美鳥の身体は電撃や炎などのエネルギー攻撃にすこぶる強い(何故、どうやってというのは美鳥も知らないらしい。ごく一般的な健常者が『右手を上げる方法を説明する』のと同じ程度には説明するのが難しいのだとか)。
仮に初手で陰義を使われたとしても充分に耐えきれるし、全てエネルギーとして吸収する事が可能だろう。
騎航速度、旋回性に劣る同太貫であれば、槍の間合いに入らずに遠距離から攻め続け弱らせるか、更に身も蓋も無い方法だが、ラースエイレムでステイシスさせてしまうのもありだ。
まぁ、同太貫は独立形体こそ可愛らしくて魅力的だが如何せんこれと言って欲しい機能が存在しない。
これはあくまでもおまけの様なものだ。美鳥もどちらかと言えば機能的に優れない劒冑よりも公開凌辱ショーの方の見物の方が好みだろうし。
「あ、お兄さんは付いて来てくれないんだ」
「そもそも髑髏の杯とか言い出したのはお前であって姉さんではないからな。俺は俺なりの土産物を用意するから、まぁ頑張って来い」
ボソンジャンプの準備の為かその場から立ち上がった美鳥に、投げやりで適当なエールを送る。
「お兄さんのいけずー。いいもんいいもん、お兄さんには『岡部桜子公開凌辱──兄と父の死骸の目の前で──』が撮影出来ても貸してあげないもんねー!」
「いらんがな」
アッカンベーしたままボソンジャンプした美鳥を見送りながら、俺はボース粒子の残る虚空に向けて虚しく突っ込みを入れるのであった。
―――――――――――――――――――
さて、美鳥にはああ言ったが、この世界独特でかつ面白そうな土産物は中々思いつかない。
例えば、金神の欠片を練り込んで鍛造する甲鉄製姉さんフィギュア(辰気の大渦に呑み込まれても壊れない)……二度ネタの上に金属生命体として目覚めかねない。
某禁書の如く姉さんの力の欠片とか受信したら手が付けられなさそうだ。これは没。
いっそ村正世界であるというこだわりを捨て、普通に土産物の饅頭を買うというのもありかも知れないが、そうすると逆に選択肢が多くなり過ぎて選別が難しい。
もう少し後の時代、六派羅とかGHQとかの全てが過去のお話になった後なら六派羅饅頭とか、四公方をモデルにしたゆるキャラのぬいぐるみとかもあり得たのかもしれないが。
普陀楽城をモチーフにした『ふだらくん』とか、適当にデフォルメした猫やら犬の頭に城の屋根と、背中には対空砲のミニチュア、尻尾の先に二頭身の六派羅制式数打竜騎兵の『りゅーくん』を付ければ誰がどう見ても普陀楽城モチーフにしか見えないだろう。
「うぅむ」
……これは意外と行けるかもしれない。ユキチの匂いすらする話だ。
更に考えてみれば、村正に登場する劒冑の独立形体はマスコットにし易い。布と綿を用意して、本編に独立形体の登場する全ての劒冑のぬいぐるみを作ってみてはどうだろうか。
グレイブヤードの無駄知識群にも、流石にぬいぐるみ造りの知識は存在しないし、俺自身ぬいぐるみを作った事は無い。
が、地球に行きたがっていた火星地下コロニーの少女の記憶の中にぬいぐるみ作成に関する知識が存在している。
取りこむ際に少しばかり快感覚のオーバーフロウで頭がイカレてしまっているが、ぬいぐるみ造りに関しては身体が覚えているレベルでしっかりとデータが残っているのでなんら問題は無い。
そして、ただの劒冑のぬいぐるみというのも良いかもしれないが、やはり劒冑を模すからには劒冑のような機能も欲しい。
こう、誓約の口上を告げると布と綿が分解して着ぐるみになるとか。
人型に当て嵌め難いのが多いから、デフォルメされた劒冑の独立形体から顔と手足を出す感じのデザインで纏めるとして。
想像してみよう。例えば、姉さんが蜘蛛正やら蟻正、あるいは亀太貫やらの着ぐるみを着た場合。
「……悪くない」
悪くないではないか、この構想……。
姉さんの様な妙齢の女性が、そんな一昔前の子供番組かバラエティに出てくる低予算マスコットみたいな恰好をする。
そして照れる姉さん! もじもじする姉さん! しかも着ぐるみで!
恐ろしい、これ程までに自分の才能を恐れた事が未だかつてあっただろうか。嫌、無い。
想像するだけでニヤケてしまう。
構想は纏まった。全ての劒冑をモデルにすると確実にかさばるので、最初に蟻正を作って、それからより完成度を高めた蜘蛛正を作る事にしよう。
布と綿と糸をどうやって溶鉱炉に燃やさずに突っ込むかとか、バートリーを参考にしたかったが所在も戦闘能力も知れないおばあちゃんには関わりたくない。
大体あれだ、装甲時の衣装の変化の仕方から考えるに、エロシーンでのあの大人パンツを老婆の状態でも穿いているという事は確実。
この衝撃の事実を考えれば別の意味でも近付きたくない。むしろ怖い、関わりたくない。
まぁ、高熱に耐えうる繊維なら幾つか心当たりが無いでもないし、試作を繰り返して最終的に一つ完成すればいい。
そうだな、試作を作るに当たっては、やっぱりあれに打たせるのが一番だろう。
着ぐるみならタッパを伸ばしてやる必要も無いから作るのが楽だ。
「よいしょ、っと」
目の前の畳を引っぺがし、その下の木の床をこじ開け、土の地面に触手を突き刺す。
土の中に潜った触手を分岐させ、周囲の土を取り込みつつ金属製の外枠を作り小さめの部屋を一つ作り出す。
簡易な炉と水を溜めておける風呂桶の様なものだけの簡単な設備。
更に、火に入れても金属と同じように赤熱するだけで燃えない不思議な布、糸、綿と、裁縫道具と机。
大体完成した所で、一旦地下鍛冶場に降りて内部構造を確認する。
「ふむ」
焼き入れの時の蒸気を逃がすのに煙突が必要になるな。後で蒸気を出しても良い場所が無いか女中さんから聞き出してみよう。
続いて鍛冶師。ぬいぐるみにフーさんというのもあれなので、この世界で拾ったあれを材料にする。
掌から人間の子供が入りそうなサイズの、パンパンに膨らんだ鞄を作り出す。
地面に落とすと、巨大な肉の塊が落ちた様な重々しい音が響いた。
鞄のチャックを開き、中からハンドボール程のサイズの肉と骨の塊──子供の頭部を取り出す。
さらさらとした銀髪とチョコレート色の肌の幼い少女の死に顔は苦悶に歪んでいる。
後頭部、頭蓋骨に守られていない隙間から細い触手を突き刺し、脳の記憶を改ざんする。
自分が何処で何をしていて、どういった最後を遂げたかという記憶を消し、鍛冶師の記憶、ぬいぐるみ造りの記憶、作るべきものの記憶、俺への服従心を植え付け、第一段階完了。
頭部を脇にどけ、鞄の中から首の無い少女の身体を取り出す。
心臓を鋭い刃物で破壊されており、その他内臓、脊椎にもダメージが入っている。
患部にこれまた細い触手を突き刺し、傷口を埋める様にUG細胞を埋め込み、機能を取り戻した処でUG細胞の働きを抑える。
首の切断面以外の損傷を修復した身体を壁に立てかけ、その上に先ほど脳味噌を改造した生首を乗せ、切断面をUG細胞で作られた糸でつなぎ合わせる。
最後に、UG細胞で直接蘇らせると凶暴化する可能性があるので、首のUG細胞も活動を休止させ、デモニアック化出来ない様に調整したペイルホースを打ち込んで──
「ん、うに……、おはよー!」
「うん、おはよう」
完成。
民族衣装を着た見た目は年齢一桁の銀髪褐色肌の少女が、苦悶の表情から寝ぼけたような表情に変わり、次の瞬間に目をカッと見開きその場から跳ねる様に跳び起きた。
通常、自分の死の記憶やら以前の生活などの記憶と現状との齟齬から、召喚酔いならぬ蘇生酔いとでも言うべき状態になるのだが、記憶をあらかじめ弄ってやればこんなものだ。
蘇生するまでに下準備を終えてしまえば、後は指令を下すだけ。
言ってしまえば料理と一緒で、下ごしらえの段階で手を抜かなければ料理自体にはそれほど手間もかからないのである。
「さぁ、ぬいぐるみ鍛冶師試作一号よ! ここにある素材を用いて、着ぐるみ型劒冑試作一号『にせいむらまさちゃん』の作成に取り掛かるのだ!」
「はーい!」
俺の命令に、針と糸と布を手に笑顔で応える褐色幼女を残し、俺は女中さんに煙が出ても大丈夫な場所を教えて貰いに行く事にした。
―――――――――――――――――――
……………………
…………
……
湊斗景明が堀越御所に運び込まれてから二日目の夜。
堀越御所から少し離れた人気の無い道を静かに、しかし風の如く掛ける人影があった。
普陀楽に軟禁されていた姉を公衆の面前で辱めた古河公方を追い、堀越御所に忍び込んでいた黒瀬童子。
侵入していた事を気取られ怪我を負い、隠れこんだ部屋の一時的な主である湊斗景明と三世村正の手を借り、この武者の警備の無い離れた小道まで連れ出してもらったのだ。
(何時か、恩を返せればいいが……)
どういった意図があったにせよ、あそこで騒ぎを起こさず、更に脱出の手引きまでしてくれたあの二人に、黒瀬童子は感謝の念を抱いていた。
最も、堀越御所で居候をしながら六派羅側の人間では無いというからには、それなりに複雑な身の上なのだろうし、その恩を返す機会には恵まれる事はそうそう無いだろうとも考えていたのだが。
「……っ」
足を止める。
周囲は暗く、月明かりだけが森の木々を抜けて地面を照らす夜道。
辛うじて人の通れる程度のその獣道に、一人の男が佇んでいた。
黒いスーツにサングラス、張り付いたようなというには余りにも胡散臭さの深さが強すぎるニヤケ顔。
そんな不審な男が、エンジン音の代わりに軽いモーターの様な音だけを鳴らす自動二輪に跨っている。
まるで、黒瀬童子を待ち構えていたかの如く。
身構え、このままやり過ごせるかどうか考える時間は直ぐに終わった。
結縁した劒冑からの警告があったのだ、あの自動二輪は劒冑である、と。
そして、まるでその劒冑の金打声が聞こえたかのように、胡散臭い男は黒瀬童子の潜む藪のへ顔を向け、にぃ、と口の端を歪ませ、
「──」
此方には聞こえない声量で何事か──恐らくは誓約の向上──を呟き、装甲した。
男の跨っていた自動二輪がバラバラに、いや、粉々に砕け、それが瞬時に男の肉体と結合、装甲する。
一瞬で装甲した男はしかし、未だ姿を見せぬ黒瀬童子に襲いかかるでも無く、しかし黒瀬童子が潜む茂みから目を離さない。
逆に、黒の瀬童子もその武者から目を離す事が出来ないでいた。
自動二輪という現代の作であろう事が分かり切っている、数打の劒冑で間違いないと思えるそれの装甲時の姿は、異様、という一言に尽きた。
例えば真打劒冑には重拡装甲、単鋭装甲といった括りがあり、その外見的特徴からある程度の性能を知る事が可能である。
逆に数打ち劒冑は量産性を高め、多くの武者で一つの劒冑を使い回せるよう、あるいは一つの劒冑が壊れた時に他の劒冑と変えても違和感無く戦えるよう、ある程度個性を潰した汎用的な造りになっている。
目の前の数打と思しき劒冑も、この例に漏れず個性を潰した作りではあった。
では何をもってこの劒冑を異様とするか。
この劒冑、重拡や単鋭という個性どころか、これが劒冑である、という個性までもを潰しているのだ。
武者や竜騎兵と形容するにはそのシルエットは余りにものっぺりとしている。
頭がある。首がある。胴体があり、手足が生えている。そしてそれらパーツに大雑把に粘土を張り付け表面を慣らした塑像の様な装甲が覆っている。
ただそれだけ。母衣も合当理も存在せず、空を飛ぶのかさえ怪しい。
おぼろげな人影の様な武者。影絵の武者だ。
影絵の武者が身を揺らす。塑像の様であった装甲が波立つ様に蠢く。
手には何時の間に大太刀を握りしめ、黒瀬童子の居る茂みに切っ先を向けている。
その切っ先が、黒瀬童子を挑発するように揺れている。
考える。
『あれ』がどのような武者、どの様な劒冑であったとしても、こちらが捕捉されている以上、生身では逃げる事すら容易では無い。
この場で装甲し、茂みの中から不意打ち。これも問題外。既に居場所が割れているのに奇襲も何もあったものでは無い。
茂みから獣道へと踏み出し、影絵の武者と対峙する黒瀬童子。
武者は大太刀を手に下げ、黒瀬童子が装甲するのを待っている。
それに不審を覚えながら、しかし劒冑から伏兵などの存在が居ない事を知らされている黒瀬童子は堂々と装甲ノ構を取り、誓約の口上を唱え、装甲した。
あっさりと、何の妨害も無く装甲を済ませる事が出来てしまった事に戸惑いながら、黒瀬童子は口を開き、未知の相手へと問いかけを行う。
「……追っ手か?」
「物取りです」
あっさりとした返答に甲鉄の下で眉を顰める。
先程の二人とのやりとりの時に自分が言った台詞であったからだ。この武者はどの時点から自分の事を見ていたのか。
刀を構え、油断無く相対する武者を観察しながら考える。
六派羅の追手であれば自分の身分を偽る必要はない。そもそもこの受け答えが発生する訳が無い。
で、あるならば、この武者の目的や如何に──?
兎角、この武者は自らの目的を明かすつもりは無く、ここを何事も無く通すつもりも無いらしい。
大上段に刀を構えた武者に対し、刀を下に構え、一歩踏み込む。
地摺りの青眼、下段の刀をプレッシャーに、がら空きの頭部を誘いに使い、踏み込んできた相手に斬り降ろされるよりも早く、下段から跳ね上げた切っ先でもって喉や胸に刺し貫く技法。
影絵の武者が、黒瀬童子に踏み込み太刀を振り降ろす。
その胸に、黒瀬童子の刀の切っ先が呆気なく突き込まれた。
影絵の武者の背から、黒瀬童子の突き出した刃の切っ先が見える。
教科書に乗せる事が可能な程の理想的な絵図。
勝った。
そう確信した黒瀬童子は、その確信を抱いたまま、この世から消滅した。
―――――――――――――――――――
特殊な能力無し、凄く強い訳でも無く、素晴らしい戦術を持っている訳でも無い。
黒瀬童子はつまりそんな程度の武者。凡百では無いが、特別と言える何かを持っている訳では無い。
剣術の腕は上の下か中の上程度、真打のお陰でまぁまぁ強いというだけの武者。
良くある凡人系主人公の如き、岩に齧り付いてでも生き残り、最終的には勝利を掴むといった命の煌めきを持っている訳でも無い。
戦って得られる物は何もない。
「そんなのと、まともに戦う、訳が無い」
字余り。季語が無いから川柳だな。
俺は身体の前面、胸部から腹部辺りから生えている、『食べ掛け』の黒瀬童子を身体の中にずぶずぶと押し込みながら考える。
俺や美鳥、版権で言えばアプトムなどもそうだが、何らかの対策を備えていないのであれば、融合捕食能力を備えた相手との白兵戦は鬼門だと言える。
特に俺と美鳥は、取り込むだけならほぼ一瞬で取り込むことが出来るのだ。
先ほどの様に、不用意に突っ込んでくるのはアウト、刀を突き刺して、そのまま放置したのも論外。
突き刺さった刀を通して融合し腕の制御を奪い取り、刀を離せない状況を作り出されてしまえば、あとはゆっくり捕食するだけ。
挙句、黒瀬童子は俺に刀を突き立てた時点で勝利を確信していた。俺を未知の存在だと感じながら、だ。
首を撥ねれば勝利というのが武者戦の基本ではあるが、相手が未知の劒冑であれば少しぐらい警戒するべきではないか。
世の中には仕手が真っ二つに両断されても戦闘を続行する劒冑も存在していたし、この世界にこの間生まれた劒冑は仕手を木偶人形にしてでも延々戦い続ける異能を持っているのだ。
敵を殺そうと思ったらきちんとバラバラに引き裂いて心臓と脳を潰して、脳チップのような記憶媒体が無いか調べてみるのが基本だろう。
世の中には爆発する船から飛び降りて、どう見ても船のスクリューに巻き込まれていたのに、次の巻では何事も無かったかのように再登場する敵役だって存在するのだ。
しかも理由が『便利な自動回復アイテムがあってな』
その理屈でいくと、死んだのを確認した後に怪しげな装飾品は全て引っぺがす必要も出てくるか。
とにかく、胸を貫けば死ぬだろうなどと、ホントに状況判断が甘いと言わざるを得ない。
──無論、刃が即座に対象から離れる斬撃ではなく、突きが来る様に構えで誘いもした訳だが。
「せっかくの真打劒冑も宝の持ち腐れだったな」
とはいえ、この劒冑から得られる情報も黒瀬童子の能力も、俺にさしたる力を与える事は無い。
劒冑は業物ではあるが陰義を持つ程のものでは無く、黒瀬童子の剣術知識、運用理論もたかが知れている。
なんとなく取り込んで見たものの、俺も間違いなくこの劒冑のデータを持ち腐れるだろう。
ふむ、そう考えると全く意味の無い外出でも無かったか。
「人のふり見て我がふり直せ、だな」
敵にはしっかりと止めを、最後まで油断しない。
これを守っていれば、スパロボJ世界では勝利を手にしていた可能性も高い。
手に入れた宝を持ち腐らせるのは俺も同じ。
俺も、一歩か十歩か百歩か、何かを踏み違えれば黒瀬童子と同じ様にあっさりと人生に幕を下ろしてしまう。
そんな当たり前の様で忘れがちな大切な事を彼は身を持って──
「ぁふ」
欠伸。
長々と考え過ぎていたせいもあるが、取り込んだ黒瀬童子とその劒冑のデータの最適化でほんの少しだけ眠気が襲ってきたのだ。
全体容量からして極々僅かな変更なので欠伸程度だが、もう今夜は殆どする事が無い。
そろそろ美鳥も帰ってきている頃だろうし、丁度いいのでさっさと眠ってしまおう。
俺は除装した劒冑、環状リニアモータードライブ式バイク型劒冑に跨り、堀越御所への道を走りだした。
―――――――――――――――――――
……………………
…………
……
魘され飛び起き、『寝れば寝る程疲れる気がする』などと呟き、その疲れからか再びあっさりと眠りに付いた湊斗景明は、慣れ親しんだ何時も通りの悪夢に苛まれていた。
自分の手によって殺された人たちの夢。
自らの手で破壊した銀星号の卵の数の、丁度二倍の犠牲者。
老いた老人、満足に動けない身体の子供、新聞記者。
何の罪も無く自分に殺された。自分が殺した相手。殺されたと訴える被害者。
笑顔で自分がどのように殺されたかを誇らしげに語ったかと思えば、怒りに醜く歪んだ顔で悪鬼と叫びつけてくる。
自分が殺した人々。卵の寄生体となった相手すら混じる。
暴き立てる事も出来ず、幻として現れる事しか出来ない死者の群れ、湊斗景明罪の顕現。
一人足りとも忘れた事は無い。忘れる筈が無い。
だが、居ない、足りない。
葛藤の果てに、一人残されては生きていく事も適うまいと、選んで殺してしまった幼子の姿。
何処にも居ない。姿を思い浮かべる事すら出来ない。
鮮明に記憶していた筈の、蝦夷の少女の姿を、その死に様を。
《…に…ゃぁ》
声が聞こえる。蝦夷の少女の声だ。
だが、憎悪が滲むでもなく、皮肉の様に自らの死を説明するでも無い。
《にぃや……》
虚ろな声。
《にぃやぁ……》
唯その発音を喉が、口が覚えているから繰り返すだけの、見せかけの感情すら乗らない声。
それは心の無い、獣の鳴き声、虫の咆哮。
姿を探す。探さなければならない。身体すら自由にならぬ夢の中で湊斗景明は声の元を辿る。
《にぃぃやあぁ……》
声が途切れる事はない。声の元を辿るのは容易い。
だが、途切れる事無く繰り返されるその声は、自分の手すら見る事の叶わぬ夢の暗闇の中、そこかしこから聞こえてくる。
しかし諦める事無く探索を続け、何処に響くとも知れぬ反響の中から、やっとの思いでその声の主の姿を見つけ出した。
地面に横たわっていると思しきその声の主の身体を持ち上げる。
それは、今まで見たどのような死に様よりも奇怪で、グロテスクなものであった。
切り離された筈の首は半ばまで繋がっている。
だが、その断面から漏れだす物は何か。
綿と、血。
縫い包みに用いられる様なその綿はうっすらと光輝を帯び、血は水銀を混ぜたかのような、重金属工場の廃液の様なおぞましい色合い。
一糸纏わぬその肢体は所々焼け爛れ、無事な個所はそのチョコレート色の肌と同じ布に覆われている。
いや違う、布に覆われている訳では無い。肌が布になっているのだ。
持ち上げた腕に返る感触は、所々に縫い包みの柔らかさ、肉と骨の硬さが乱雑に入り乱れている。
人間と縫い包みの合いの子。
人を模して、しかし人とは確実に違う物として造られた人形に対する、悪意に満ちた戯画(カリカチュア)
人ですら無い、死人ですら無い何かが、自らを抱え上げる者を見上げ、微笑んでいる。
《にぃや、にぃやぁ、にぃぁ、にぃやぁぁぁぁぁぁ》
壊れかけのラジオの如く、唯只管に鳴き声を上げる。感情すら乗らない声を繰り返す。
いや、違う。
この声は、喜びの感情に満ち溢れているのだ。
何の理由も無く、この状況、自らの状態に対して疑問すら持たず、喜びの感情だけで持って声を上げ続ける。
唯一つの感情しか持たない。唯一つの言葉しか発さない。
それはつまり、無感情で無言なのと同じなのではないか。
言葉にはやはり意味など無い。
唯、最後に残った言葉に、最後に残された感情を乗せて、表現しているのだ。
縫い包みと人の混じった、今にも胴体から千切れ落ちそうな頭、その頭に張り付いた顔が、湊斗景明を見つめる。
眦を緩やかに下げ、口は歪んだ半月。
貼り付く様な、しかし楔の様に少女に打ち込まれた強い感情。
天使の如き慈愛に満ちた、優しげな微笑。
「あ、ぅあぁぁ……」
自らの内から溢れる、表現するのもおぞましい感情に突き動かされ、抱え上げていた蝦夷の少女『だったもの』を取り落とす。
ごしゃ、ぼす、という人と縫い包みの出す二つの音が、夢の中に響き渡る。
見通す事の出来なかった暗闇に、光が生まれる。
《にぃや》
《にいや》
《に、ぁ……》
光源は、死体。
無数の、数えきれない程の少女の死体から溢れた極彩色の血液が、肉と代わりに詰められた綿の、骨の代わりに埋め込まれた鋼の光を反射して光源を生み出しているのだ。
死を弄ばれ、生の価値を踏みにじられた少女の馴れの果て。
夢の中、起きれば忘れる薄い思考の中で、湊斗景明ははっきりと確信した。
自分が殺したから。
「……っひ、」
自分に殺され、捨て置かれ。
「ひあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッッ!!!」
彼女は今も、苦しむ事すら出来ずに、死に続けているのだ。
―――――――――――――――――――
俺の触手が最後の失敗作の心鉄を砕くと同時、堀越御所のどこかから恐怖にひきつった男性の絶叫が聞こえてきた。
この低めの声質は……、暗闇星人か。
「お兄さん、そっちは終わった?」
背から生やした数本の触手に、様々な種類の劒冑のぬいぐるみを突き刺した美鳥がこちら。
「討ち漏らしは無いぞ。ちゃんと一つ残らず心鉄を貫いて殺してある」
「いやー、まさか試作とはいえ、一つ残らずまともに完成しないなんてねー」
「完成はしただろう。求める所とは違かったが」
俺が作ろうとしたのは、あくまでも装甲して着ぐるみになるヌイグルミの劒冑であって、持ち主が眠ったのを見計らって勝手に外に飛び出て動き回る呪いの人形ではない。
朝から作っていたヌイグルミ型劒冑には欠陥があった。
部分的な記憶消去のせいで劒冑になった後も子供らしさが残ってしまい、遊ぶ、という劒冑にもヌイグルミにもあるまじき行為を始めるらしい。
しかも動かすのが鉄の塊ではなく繊維の塊であるせいか、少ない熱量で長時間の自律行動が可能とあって、動きだしたヌイグルミ達はてんでんばらばらに、しかもかなりの距離を移動してしまう。
最終的に部屋に飾られる可能性の高いトリップ記念のお土産としては、余りにも相応しくない機能だ。
「しかも一丁前に陰義まで使うし」
ヌイグルミ達に発現した異能、陰義のお陰で全ての劒冑を捕まえる頃には丑三つ時を軽くオーバーしてしまった。
小賢しくも精神同調と幻覚を操って俺を惑わしに掛かってきたのだ。
もっとも、それも俺の身体の一部から湧き出る力であるが故に、あっさりと明後日の方向に弾き返せたのだが。
そんな感じで一つ一つは然したる脅威にはならないのだが、断続的に放たれる様々な種類の陰義によって妨害を受け、当初は破壊せずに生け捕りを狙っていた俺達はかなり翻弄されてしまったのだ。
「動いて陰義まで使うとか、保管に手間が掛かって仕方が無い。真打形式じゃなくて数打と同じ感じで行くしかないか?」
安っぽい物にはしたくないし、色々な意味で『心の籠った』お土産にしたかったが、不便に土産を贈るよりは余程ましだろう。
「それが妥当かもねー。つか、他には代案は無いの?」
突き刺した触手からヌイグルミを取り込んで始末している美鳥の何気ない問いに、心鉄を貫かれた二世村正型のヌイグルミを掌で押し潰しながら、しばし考える。
圧縮されたぬいぐるみはテガタイトの如き金属板に変化した。その硬質な手触りを感じながら答える。
「オリジナル正宗さんの欠片をモチーフにした、独立形体が菜箸の劒冑風ミトンとか」
ヌイグルミの材料は結局金神の水で金属繊維に変質させた普通の布と綿なのだが、金属繊維であるという性質上、束ねればそれなり以上の強度を誇る。
このヌイグルミ劒冑造りの副産物を使えば、独立形体と装甲時の強度、手触りに変化を付ける事も可能な筈なのだ。
熱が伝わり難い金属で長めに作って、ミトン装甲時には繊維状に分解して質量を誤魔化す。
デザインも正宗さんの腕をイメージしつつもポップでキュートなデザインに仕上げ直せばいい感じの一品になるだろう。
俺の答えに、美鳥は信じられないとでも言いたげな表情。
「革命的だわそれ。農家止めて発明家になった方が人生得するレベルで」
「そんな馬鹿な」
褒められて悪い気はしないが、間違ってもそんな博打染みた職には就労したくない。
美鳥に裏拳気味の突っ込みを入れながらも、俺は菜箸の長さ太さ重さ、ミトンの厚みと断熱性についての計算を始めるのであった。
―――――――――――――――――――
……………………
…………
……
夜が明けて、堀越御所滞在五日目。
失敗作のヌイグルミ型劒冑の捕獲を終え、客室に戻り布団に入ったのは午前四時で、現在時刻は午前九時。
もうここで手に入る物は何もないので、親族の許可を得て銀星号、いや、『湊斗光』の最終治療を行い、今日の夜にはここを出て行く事になるだろう。
折角の最終日、この時間帯は銀星号も活動していないので、庭にテーブルと椅子と日傘を用意して優雅に朝食をとる事にした。
堀越御所に来てから本格的な和食ばかりだったので、洋風やら邪道やらを味わおうという魂胆もあったのだが……。
「おかしいな」
「それはこの高級旅館の庭園みたいな見事な庭にテーブルとイスと日傘のティータイムセットの組み合わせ? それともお兄さんが手に持ってるチャーハンサンドイッチが?」
俺の手の中のサンドイッチを嫌そうに半目で見つめる美鳥。
そんなに駄目だろうかチャーハンサンドイッチ。お好み焼きをオカズにするのがありならチャーハンを具材にするのもありだと思うのだが。
むしろ、お好み焼きをオカズにするのがありなら当然タコ焼きもオカズに入ってしかるべきではないか。
そもそもアラブの方では米はルッズ、ロッズなどと呼ばれ、野菜の一種として扱われているのだ。
つまり、このチャーハンサンドイッチは分類すれば野菜サンドと同種の扱いが可能なのである。
そもそも、食パンに目玉焼きやベーコンと一緒に蒲焼さん太郎やわさびのり太郎を挟んで美味そうに食べ、マグカップに移したブタ麺をスープ代わりにする美鳥に食に関してどうこう言われるのは心底納得いかない。
納得いかないが、家で食事を取るとあまり派手に外道食いは出来ないので、元の世界に戻るまでの我慢とツッコミを抑える。
「違う、そうじゃなくて、あれだ」
庭の一角を食べ掛けのサンドイッチで指し示す。
そこには一組の男女が、一本の木に身体を向け微動だにせず構えている。
二人の目の前の木の枝には極々一般的な椋鳥が羽根を休めていた。
「あん? ……あぁ、やっぱり続けてんだ」
美鳥は興味の無さそうな視線を二人にいや、無想という境地を目指す湊斗景明に向けている。
美鳥にとってこの状況は想定外の出来事では無く、しかし余りにも意外性が無く詰まらないイベントなのだろう。
目指す事が無駄な夢想を目指している。つまり、無我を目指せという助言は受けていない事になる。
古河公方と出会っていないのだ、ここのこいつらは。
「同太貫は手に入った訳か」
「んー」
ブタ麺を片手でずるずると啜りながら、テーブルの上に置かれた美鳥の掌から金属の塊が湧き出しある一つの形に収束する。
直径五センチ程の甲鉄の甲羅を背負った小さな亀。
甲羅を下にしてテーブルの上に落としたその亀をフォークで突きまわしながら、美鳥はブタ麺のスープを喉に流し込み、マグカップをテーブルに置いた。
「けぷっ。……独立形体の亀を先に取り込んじまったし、騒がれるのも面倒だからハゲにはラースエイレム使ったから戦いにもならんかったよ。正直、ああいう烏賊臭いおっさんは取り込みたくないんだけどねー」
「乙女な意見だな」
まぁ、確かにちんこ臭いおっさん取り込むよりは、綺麗な女の子や見ていて目の保養になるイケメンの方が取り込むのに抵抗は少ないが。
「乙女だよ」
語尾にダブリューが付きそうな半笑いの美鳥の一言にあいまいな笑みを返す。
まぁ、乙女の定義自体が曖昧な訳だし、結婚していない歳の若い女、という意味で言えば確かに乙女だとも言える。
こういうのは自称した者勝ちだろうと無理矢理納得してしまおう。本人も逆で言ってる節があるし。
「普陀楽には簡単な受け答えができる肉人形を置いてきたから、今日一日くらいはばれないんじゃないかな」
となると、サーキットへ遊びに行くイベントは無し。
つまり、今日は湊斗景明、三世村正、足利茶々丸の予定が丸一日空いてしまっている訳だ。ついでに言えば、銀星号も夜半過ぎまで目覚めない。
「丁度いい、三時のおやつを食べたら、湊斗光の治療を始めよう」
「親族への許可がどうたらってのはいいの?」
「ああ、よくよく考えたら、俺達のできる治療って、事情を知らない奴が見たら何がなんだか分からないだろうしな。治療の終わった患者に引き合わせるだけでいいだろう」
肉体の治療は注射一本分のナノマシンで終わるにしても、精神の治療となると何かの宗教か冗談の類にしか見えないのだ。
「ふー、ん。お兄さんって、姉でも無ければ手駒でもない女の子にそこまで手を尽くせるんだ。ちょっと意外かも」
「今回のテーマが初心者救済トリッパーだし、それほど手間は掛からんからな」
街中でゴミが落ちていれば拾ってごみ箱に入れる。
横断歩道を渡ろうとしている老人がいたら、急ぎの用事が無く、気が向いたなら手を貸してあげる。
話し相手の社会の窓が開いていたら、少し時間をおいてから指摘してあげる。
相手はそれで助かり、俺は少しばかりの満足感を得る事が出来る。
これはその程度のお話なのだ。世の中助け合いが肝心なのである。
―――――――――――――――――――
……………………
…………
……
「で、どこに連れて行くつもりなのよ」
自分たちを先導し屋敷の中を進む少女に、仕手の修業を邪魔されて不機嫌そうな三世村正が声を掛ける。
銀星号を倒す、殺す為に必要な状態、無我の境地に至る為の試行錯誤の途中、堀越御所の主である少女足利茶々丸に呼び出されたのである。
「あても呼び出された側なんだ、内容なんて知るかよ」
呼びかけられ、振り向く事も無く応える茶々丸も負けず劣らず不機嫌さ隠すつもりも無い荒い口調。
彼女もまた、執務の最中に唐突に呼びかけられ、二人を連れてくるように指示されただけなのである。
「でも、」
ふと、歩みを止めずに顎に手をあて考え込む素振りを見せる茶々丸。
立ち止まり顔を上げ、湊斗景明の顔を真剣なまなざしで見つめながら、ゆっくりと口を開く。
「たぶん、お兄さんと、御姫に関わることだと思う」
「自分と……、光に?」
「ん」
景明に頷きを返しまた歩き出した茶々丸は、自分と景明と村正を呼び出した者達の事を説明する。
といっても、全てを話す訳では無い。
自称神で、神と呼んでも問題無い程の異能を持っている、などという話は今回の呼び出しとは関係無いからだ。
自然、彼等が医者紛いのボランティアである事、彼等が口にした胡散臭い活動方針、湊斗光が銀星号である事を理解しながら、死に瀕していた彼女の肉体を完全に癒し切ってしまったという部分だけを説明する事になった。
それらの内容を説明する上で、銀星号として力を振るう度に湊斗光が衰弱していくことも、景明と村正に明かされた。
一通りの説明を受けた所で、村正は激昂した。
「なんで、なんでそいつらはそんな……!」
「救えそうだから救った、だとよ」
「何よそれ! 頭おかしいんじゃないの!?」
「うっせ、あてが連中の残り正気度なんぞ知るか。あてが知ってるのは、患者の善悪に関わらず治療するとか、医は仁術とか、そんな良性の言葉とは無縁の連中だって事くらいだ」
心底嫌そうな茶々丸の口調に、村正は違和感を覚える。
言葉の内容からも、彼女がその連中を信用していない事は明らかだ。
「……貴女、なんでそんな連中を招き入れたの?」
ここ二日の滞在で村正には分かった事がある。
彼女は時折意味深な事を言い行動も破天荒ではあるが、決して頭は悪く無く、警戒心も強い。
そんな彼女が、得体の知れない、人格すら信用できる処の少ない人物を自らのテリトリーに招き入れるのだろうか。
「あいつらが勝手に押しかけてきて、勝手に治療してただけだ。……あいつら以外に、治療が出来る医者も居なかったからな。腕『だけ』は確かなんだよ、あの連中」
言葉尻に舌打ちを入れた茶々丸の言葉を最後に、全員の言葉が無くなる。
無言のまま廊下を歩き、曲がり角を数度曲がり、一つの部屋の前に辿り着く。
三人の呼び出された場所、湊斗光に与えられた部屋。
まだ日が明るい時間だからか部屋の明かりはついていない。
が、中からは話し声が聞こえる。
茶々丸の手が添えられ、静かに障子戸が開かれた。
―――――――――――――――――――
……………………
…………
……
さてさて、無事に湊斗光の治療を終え、『正気を取り戻した湊斗光』との対面を果たした暗闇星人──湊斗景明の表情は、僅かばかりの苦悩や葛藤を湛えつつも、やはり安堵の度合いの大きなものであった。
ここまでくれば後は葛藤の後に訪れるであろう決断、『銀星号の罪を暴き立てず、湊斗光と静かに暮らす』という選択肢を待つだけで一山幾らのハッピーエンドの完成である。
『殺すしかない悪人を改心させ、生き残らせる』
旅のしおりに書かれていた項目も一つ埋まり、何よりさりげなく湊斗景明の妹である湊斗光を救いたそうにしていた、俺の妹ポジションにあたる美鳥の喜ぶ顔も見れ、姉さんへのとびきりの明るい土産話も出来て万々歳。
だというのに、だ。
「なんでそんな不服そうなんですか貴様等は」
「あんま恩知らずだと。ここら辺にエロ触手植物の種ばら撒くよ?」
湊斗光と湊斗景明だけが残された部屋から出てすぐ、俺と美鳥は少し離れた部屋に連れ込まれた。
目の前の二人の女性の内の一人の手によって、だ。
しかもその女性、此方の胸倉を掴み、射殺さんばかりの視線を向けてきている。
「なんで、じゃねぇ」
ギリ、と歯を食いしばる音。
此方の胸倉を掴み上げている女性、足利茶々丸は、砕けんばかりに食いしばった歯の隙間から擦れた声で疑問を発する。
とはいえ、言いたい事は分かる。何故こんなに激昂しているのかも。
「御姫が自分の事を覚えていないのが、そんなに不服かな?」
「悪ぃか」
衝撃的な出会いを経て、本来の目的から逸れ始めた今でも、足利茶々丸は湊斗光、銀星号に好意を抱いている。
その相手が自分の事を忘れているとなっては、怒るのも仕方が無いといえるだろう。
「悪くは無いな。悪くは無いが、俺に当たるのはお門違いというものだろうよ」
「っ、テメェ……そりゃ、どういう事だよ」
俺の言葉に反応し、胸倉を掴み上げる手に更に力が込められる。
そのまま生体甲冑の怪力で持ち上げられそうになったので、手を払いのけて襟を正す。
純粋な組打ちの実力なら負けるが、堀越公方の肉体の半分は俺、金神の身体から派生した金属生命体、握力を少し緩めさせる程度なら造作も無い。
「足利茶々丸の事を知っているのは、湊斗光であって湊斗光ではない」
「!」
「故に、正気に戻った湊斗光が足利茶々丸を知らない、というのは至極当たり前の結果じゃあないか」
息を呑み、こちらから視線を逸らす堀越公方。
その外見に似合わぬ剛力は萎え、しなしなと萎れた花の様にその場で脱力して崩れ落ちてしまう。
まぁ、唐突に親しい友人が記憶喪失も同然の状態になったと思えばこうなるのも仕方が無いか。
と、ここまで黙っていた三世村正が一歩前に出た。
「ちょっとまって」
片手を上げて、少し控えめな声量。
心なしか俺とも美鳥とも距離を取っているのは一昨日の甲鉄測定が後を引いているのか。
いくら目的を持って鍛えられた劒冑だとしても、恥じらいや恐怖まで残すのはやり過ぎではなかろうか。
いや、そもそも普通の鍛冶師にはそこら辺の感情量の残し具合は調節できないんだったか。
「正直言って訳が分からないわ。湊斗光は銀星号としての記憶を失っているし、二世(かかさま)との繋がりも感じられない。……貴方達は一体何をしたの?」
なるほど、確かに銀星号がどのような理屈で動いているか、という説明を受けていない状態では、唐突に湊斗光が記憶喪失になったように見えるだろう。
二世村正は仕手である湊斗光との繋がりが治療の邪魔になるので、仕手と劒冑のつながりを断つ為に、ステイシスさせた上で少しばかり未来に送らせて貰った。
まぁ二世に関する説明は適当にはぐらかすにしても、湊斗光の状態と銀星号の正体程度は説明しておくとしよう。
俺が口を開き、説明を開始しようとしたところで障子戸が開き、陰鬱な雰囲気を背負った男が部屋に入ってきた。
「自分にも説明していただけますか」
暗闇星人──長いので以下景明──だ。
今朝方見た時も少しばかりやつれていたが、今見ると更に影がさして見える。
今回の治療の結果、間違いなく彼の中で激しい葛藤があったのだろう。
常識的に考えて自動発動型の読心能力は不便なので欲しくないが、こういう時にちょろっと人の心を覗いてみたくなるのは人情というものではなかろうか。
「勿論、今では唯一残った湊斗光の血縁者ですからね。えぇ、えぇ、治療内容の説明くらいはさせて貰います」
「……」
さりげなぁく、『あたしゃぜぇんぶ知っておりますよ』アピールをしたのに、リアクションが無いのは寂しいなぁ。
とはいえ、この人に派手なリアクションとか苛烈な感情表現とか求めるのは酷か。
返事をするでもなく俯いて押し黙ってしまったのが精いっぱいのリアクションだと思う事にしよう。
「といっても、答えられる事は少ないんですけどね。しいて言うなら、『頭のイカレていた湊斗光が正気に戻った』としか説明のしようが無い訳ですよ」
「だから、どうやってそれをやったって言うの!」
「精神病の治療ってのは少しばかり手順が複雑でしてね、詳しい方法を説明する訳にはいきませんが、彼女の心を砕いた原因、鉱毒病を患っていた時の記憶、その大半を消させて頂きました」
「記憶を……?」
びくびくしながらも此方に迫ろうとして来る村正を掌で押しとどめつつの説明に、景明が何事か考え込む素振りをした。
何を考えているかは大体分かるので、説明を続ける。
「そもそも人の人格というのは、それまでの生涯で得た知識、そして記憶を元に形作られています。二年前に鉱毒病の治療を終えた直後の湊斗光は、闘病生活中の激痛に精神を蝕まれ頭の中をぐちゃぐちゃに掻き回された状態だった訳です」
「そんで、まともにモノも考えれんような状態で汚染波を操る二世と接触、ハッピーバースデー銀星号。で、あたしとお兄さんは、頭がぐちゃぐちゃになっている原因である苦痛の記憶を、鉱毒病に罹った数日後辺りまで消して、きちんと思考できる状態にした訳さ」
ここまでの証言に、俺も美鳥も一切の虚偽は無い。
湊斗光の人格が崩壊した原因は間違いなく鉱毒病であるし、銀星号が生まれたタイミングにも間違いは無い。
記憶消去による人格の再構成も完璧である。
何一つ嘘は無いのだ。何しろ今の俺達は超善良なトリッパーであるが故に。嘘など吐ける筈も無い。
そして、湊斗光が正気に戻っている事は、なによりも言葉を交わした景明達こそが自覚している、疑うべき所は無い。
「では、光は」
「ええ、『正気に戻った湊斗光は』もう銀星号には成り得ません」
震える声の景明の問いに鷹揚に頷いておく。
が、その表情は隠しきれない複雑な感情に歪んでいる。
当然だ、如何に正気での事では無かったとしても、銀星号は大量殺戮を犯している。
正気に戻ったから罪が帳消し、とはいかないのが難しい所だ。
何しろ、今現在の湊斗光の頭の中には殺人の記憶が存在しないのだ。自分の罪を自覚する事すら出来ない。
何も知らない湊斗光を、一体だれが裁く事が出来るというのか。
とはいえ、それを悩むのも決断するのも目の前の男と、この世界の法だ。俺が考える事じゃあ無い。
存分に悩んだ後で、自分なりに納得いく結論を出して貰う他無いだろう。
「……それで、かかさま、二世村正は何処にやったのよ」
今の今まで黙っていた村正が口を開いた。
ここまでの出来事は湊斗景明と湊斗光の間に関する話だったので口を挟めなかったのだろう。
「結縁したままだと色々と治療に不都合でしたからね、少しばかり隔離させて貰ってますよ」
「じゃあ、」
「二世の破壊を目的とする貴女に引き渡したいのは山々ですが、今ここに連れてくると、浅い眠りに付いた湊斗光の身体を乗っ取られる可能性があるので、今日の夜にでも引き渡しますよ。『湊斗光が熟睡した頃』に、ね」
「……なんでも知ってるのね」
片手で収まる程の数の人間しか知らない事実を容易く口にした俺に、三世村正は目を細めて警戒心剥き出し。
心地よい、実に良い視線と態度だ。
この、何故かなんでも知ってる怪しいキャラはスパロボJ世界であんまりやれなかったから、ちょっと未練があったんだよな。
本当は鉄也だの隼人だのに疑われるポジションに収まりたかったんだが、鉄也はプロじゃなくて勇者だったし、隼人はそもそもゲッター未参戦だったから諦めた訳だが。
そんなこんなで、湊斗光の治療は終了だ。
後は荷物を纏めて地下室を埋め立ててここから出て行くだけだな。
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そして、夜が降りてくる。
月に照らされた堀越御所の廊下を、鳴無卓也と鳴無美鳥が歩いている。
湊斗光の治療を終え、もはや得るべきもの無しと判断した二人は、最後の仕上げを行いこの堀越御所から脱出、帰還までの時間を適当に潰すつもりなのだ。
二人の手には土産物の紙袋と大きめの旅行鞄、背には鎧櫃にも似た巨大な箱。
強化型通信遮断装置、仕手と劒冑の金打声だけでなく、結ばれた縁すら断ちきっておく事が可能な一品。
廊下をしばし歩き、立ち止まる。
立ち止まった卓也は、目の前の女性、湊斗光──いや、湊斗光の夢と笑顔で向き合う。
「こんばんは。良い夜ですね」
「こんばんは。うむ、新たな門出に相応しい、美しい夜だ」
挨拶もそこそこに、卓也は背に負った強化型通信遮断装置を廊下に下ろし、蓋の留め金を外す。
途端、蓋を開けて飛び出す銀色の劒冑、二世村正。
定位置である湊斗光の隣に、壊れた心から生まれた湊斗光の夢に寄り添う銀色の女王蟻。
何を問うでも無い。この状態は予測は出来ずとも予想は出来たから。
だから、余計な事は言わない。
「これだけは言っておきますが、このまま天下布武の為に戦い続けた場合、貴方の命は保証できません」
真剣さはない。
牛乳は身体に良い、そんな辺り前の事を説明するような口調。
「命の保証された戦いなど、在りはせぬ」
笑み、当たり前の様に、辺り前の答えが返される。
「そうですね」
「うむ」
無言。
これ以上話す事は無い。
天を仰ぐ湊斗光のような誰かはそのまま何時もの様に装甲ノ構を取り、何時もの様に誓約の口上を唱え、何時もの様に、天下に武の法を敷きに飛び立っていった。
その後ろ姿を数秒眺めた後、卓也と美鳥は再び歩き出した。
廊下を歩き、通りすがった女中や警備の兵とあいさつを交わし、玄関へと歩き続ける。
玄関から出、堀越御所の敷地から出てすぐ、また足を止める。
卓也と美鳥の目の前に立つのは、苦々しい表情の女性、足利茶々丸。
「結局、手前らは何がしたかったんだよ」
「分かりませんか?」
「分かってたまっか。これじゃ、お兄さんが、不憫過ぎる……」
俯き、唇を噛む茶々丸。握りこぶしは心なしか小刻みに震えている。
そう、卓也と美鳥は湊斗光の精神を立ち直らせはしたが、それで銀星号が消え失せる訳では無い。
銀星号は壊れた湊斗光の心が見る夢。だが、それは一夜毎に消える儚い夢ではない。
夢のメカニズムは未だ持って完全には解明されていない。例えば、長い間継続した内容の夢を見続けていたのなら、どうなるか。
……銀星号は、既に壊れた人格に残された願いの発露ではない。
湊斗光という少女の一側面、普段表には出ない別の面を現す、確固たる人格となり果てていたのである。
かつて心を壊された少女の欠片、少女が表に出してはいけないと思っている部分を司る別人格。
「一番可哀想なのは湊斗光だ。そこんとこ履き違えるなよ」
吐き捨てる様な美鳥の言葉。
結局のところこの世界、装甲悪鬼村正という大和の中の一部分を切り取ったお話の中で一番目立たず、悲惨な目に会ったのは湊斗光だ。
鉱毒病に侵され心を失い、自分の最も隠したい望みだけが独り歩きして、最終的には大量殺戮犯。
最後の最後で望みが叶ったから報われた、という話ではない。
あくまでも、それは銀星号、ムラマサ・ヒカルの願いなのだ。
銀星号は世界で一番純粋な湊斗光である。しかし、純粋でないからこその人間、不純物を織り交ぜて出来上がるのが人間なのだ。
例えば純粋な人格、思考を司る器官である脳を頭蓋から取り出して指差し、『これがあなたの本当の姿です』というのは普通に考えてありえない暴論である。
本心以外も持った、真実を呑みこみ、自らを押し殺し、娘ではなく妹であろうとした本当の湊斗光には、一切の救いが無いのだ。
初心者的救済をテーマとした今回のトリップ、卓也が最終的に救うべき対象だと彼女に中りをつけたのは至極当然の帰結だろう。
これから、湊斗景明は選択を強いられる。
起きている時の湊斗光を良しとして、銀星号を見逃すか。
眠っている時の銀星号を悪しとして、蘇った湊斗光諸共殺害するか。
湊斗景明にとって、究極的な善悪相殺。嘘の無い真の決着。
そして、湊斗光の虚偽と真実、どちらが生き残るか。
ようやく全てが対等な状態で、湊斗光と銀星号の戦いが始まる。
「用事はそれだけか?」
「……あぁ、もう手前らには何の用もねぇ。どこへなりと消えちまえ」
卓也の問い掛けに、茶々丸は悪態をつきながら不承不承頷く。
そんな茶々丸の横を会釈しながら通り過ぎる卓也と美鳥。
山道へと進む卓也と美鳥、その後ろ姿を見送り、茶々丸は自らの御所へと歩き出す。
門を潜り、屋敷に入る直前、空を振り仰ぐ。
月の昇りきった空、夜の闇を、白銀と深紅の流星が切り裂いていた。
おしまい。
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呪、完結。
ここまでの第一部第二部が最終回全編しっとり系だった事を考えると、バトルパートと堀越御所に入った辺りで一旦切って、最終回は治療の説明とラストシーンだけで良かったかもしれない第三十五話こと装甲悪鬼村正編最終回をお届けしました。エピローグはありません。
どこかのラノベ作法を教えてくれるサイトを斜め読みしていたら、物語は竜頭蛇尾で終わらせるべし、みたいな事を書いてあったからそれに従ってみた、訳では無いのですが、地味な終わり方ですね。
でも正直な話、普通に暗闇星人さんを絶望させて絶叫させるよりは、想像の余地を残しておいた方が興奮できるとおもうのですよ。
まぁ、毎度毎度最終回というかエピローグでは読者の方々の期待は裏切っていると思うのですが、ラストは静かに閉めるのはこのSSのお約束でもあるので。
明らかに投げっぱなしじゃねーか、とか言われると言い訳ができないんですけどねー。
ノリとしてはやや第一部に近いノリで纏まりつつ、所々に第二部のノリを入れることが出来たと思うのですが、そこんとこどうでしょう。
まぁ、第一部は読んで無いぜー、って人が多い感じなので返事は期待できないのでしょうが。
実のところ、この村正編はかなり雑な作りです。
プロットとかはやたら大雑把な骨組だけで、入りと中とオチしか決まって無いような状態での見切り発車同然。
治療説明のシーンを書いたり消したりしてる内に半月以上経過しちゃっているわで、反省点の多いお話になってしまいました。
正直、最初のバトルパートとかは二日程度で書き上がったんですけどねー、なかなかうまくいかないもんです。
自問自答コーナーは、あってもなくても同じ気がしてきたので省略。
疑問質問突込等ありましたら感想板までお越しください。
☆アンケート★
第二部まとめみたいな、主人公達の行動で運命を捻じ曲げられた人たちのその後とか、簡易な設定集とか、読みたいと思います?
正直、どいつがどうなってるかとか、ご想像の通りだと思うので、間違いなく蛇足になると思うのですが。
そこら辺可能な限りご意見下さい。
それでは、誤字脱字の指摘、文章構造の改善案、設定の矛盾に対する突っ込み、一行の文字数などのアドバイス全般、そして、短くても長くても一言でもモールスでもいいので、作品を読んでみての感想などなど、心よりお待ちしております。
次回予告
「うー、ラノベラノベ」
今ラノベを求めて古本屋へ人並な速度で走る俺は農業を営むごく一般的な成人男性。
強いて違う所を上げるとすれば、ガチシスコンで姉以外にはあまり興味が湧かないってことカナー。
名前は鳴無卓也。
そんなわけで隣町で新しく発見した古めかしい造りの古本屋にやって来たのだ。
店内でラノベを確保し怪しげな奇書を物色し、ふと顔を上げると、何時の間にか目の前に、おっぱいが今にも溢れだしそうなスーツとスラックスに身を包んだ、黒髪と白い肌が眩しい、
「何かお探しものでも?」
《燦然と炎える三つ目》の女性が俺の顔を覗き込んでいた。
「ウホッ! いい混沌」
次回、原作知識持ちチート主人公で多重クロスなトリップを、第四部序章。
『(無限螺旋、)やらないか』
引き継ぎあり、超やりこみ式ループ世界編開幕!
おたのしみに。