枕元でジリジリと神経を逆なでする騒音を鳴らす目覚まし時計をぶん殴り、私はのろのろと毛布から顔を出した。
勢いよく叩き過ぎたのか、その空色の目覚まし時計はベッドの上から転がり落ち、背面をわたしのほうに向けている。
可愛くて頑丈で、それでいて値の張らないものという条件で探した目覚まし時計はそのファンシーな外見と安い値段には似つかわしくない頑強さを備えているので、少なくとも壊れてはいないと思う。
これもネルガルの製品の一つらしい。ナデシコを降りてからあまり関わる事も無くなった企業だけど、元クルーで色々と不慣れな人にはプロスペクターさんが何かと世話を焼いてくれる。
春から学生生活と共に一人暮らしを始めたわたし、フェステニア・ミューズも、世話を焼いて貰っている内の一人。
統夜やカティアに一緒に暮らさないかと誘われもしたけど、この国には人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて地獄に落ちてしまうという慣習があるらしい。
折角平和に暮らせるようになったのに早々に死にたくはないし、あの二人の桃色空間に耐えられる程、わたしの神経は太くできていない。
「ふあ……」
ベッドの上で上半身を起こし、欠伸を一つ。
昨日は千鳥に勧めて貰った映画を見たせいで遅くなって、お陰ですっかり寝不足になってしまった。
しかし、千鳥も毎度毎度宗助の巻き起こすトラブルに巻き込まれているわりには、戦争物とかガンアクションを好きなままだ。
これが日本で言う「いやよいやよもすきのうち」というものなのかもしれない。
うん、今難しい言葉を言えた気がする。流石わたし、もう日本の諺を使いこなし始めている。偉いぞわたし、頭いいぞわたし!
先生の教え方が上手いのもあるけど、こう見えてわたしは物覚えも悪くないのだ。
頭が悪かったら機動兵器のサブパイロットなんてできないのだから、当たり前と言えば当たり前なんだけど。
「うっし」
一声気合いを入れベッドから勢いよく立ち上がり、カーテンを開ける。
ここはとあるマンションの一室、ナデシコでの給料を使って買ったそれなりに良い位置にある部屋。
機動兵器のパイロットは高給取りだし、ナデシコでは危険手当とかがいっぱい追加されたので、暫くは働かなくても暮らせる程度のお金が手元にある。
私はパイロットはパイロットでもサブパイロットだったけど、わたしの身体に施された実験の跡、それを解析して、かなりフューリーの技術を解析出来たらしく、それで得た利益も少し上乗せされているのだとか。
でも、馬鹿みたいに贅沢な使い方はしない。
少なくとも今は、普通の女の子として、普通の学生として、普通の生活というモノを送ってみたいのだ。
教室で勉強して、友達とバカ話して、帰りに寄り道して、宿題して。
この歳になるまでずっと月で実験体なんてしていたから、そんな当たり前の生活がとてもありがたい事なんだって、わたしにはよく分かる。
「んー……」
日の光を浴びて背伸びをする。
今日は休日で、しかもいい天気だ。布団を干してシーツを洗って、そしたらどこかに遊びに行こう。
ああ、忘れるところだった。今日は千鳥と街に買い物に行くんだった。そうなると、余った時間で面白い遊び場も教えて貰えるかもしれない。
なんだか楽しみだ。女二人というのも色気の無い話だけど、そういうのもありだと思う。
「その前に、朝ごはんかな」
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サラダの中の半分に切られたプチトマトをフォークで突き刺し一口、続けてトーストをかじり、砂糖とミルクのたっぷり入ったコーヒーを飲みながらテレビのニュースを見る。
もう何時間かしたらいい○も増刊号が始まるけど、その時間には出かけているので見る事は無いだろう。
統夜から聞いた話だと、カティアはこの時間にやっている変身ヒーロー番組と、その後の変身ヒロイン番組を毎週欠かさず見ているらしい。
そういえばゲキガンガーにも一発でハマっていた。ナデシコを、ベルゼルートを降りてから気付いたけど、カティアは割と子供っぽい性格なのかもしれない。
でもまぁ、聞いた話ではそれなりにカッコいい役者さんが出ていたり、本物の変身ヒーロー(Dボウイ、タカヤとかミユキのことだろう)にも負けないような迫力だったりでそれなりに見ごたえはあるらしい。
うん、話の種に視てみようかな。面白ければ休日の楽しみが増えるし、つまらなければそれをネタにカティアをからかって遊ぶ事も出来る。
リモコンを手に取り、その番組の放送されているチャンネルに変えようとして──
──依然として月の再開発の目途は立たず、連合政府は次のように──
思わず、手を止めた。
ニュース番組が報道するのは、ザフトのジェネシスによって崩壊した月面都市、その復興についての話題だ。
戦争が終わり、侵略者の影も見えないほど平和になった今でも、戦争で破壊された施設は直されず、戦争被害者への援助も行き届いていない。
テレビの中でコメンテーターやジャーナリストのおじさん達が、やれ政府の怠慢だなんだと騒いでいる光景は、一気にわたしの心を冷ましてしまった。
難しい事は分からない。わたしは一年半の間戦場で統夜やナデシコのみんなと戦ってきたけど、それは死にたくないから戦ってきただけ、というのが一番大きい理由なのだ。
別に戦争経済がどうとか、戦後の復興がどうとか、そんな知識を得ることが出来た訳じゃない。
むしろ今は、普通の人よりも足りない知識を学校に通う事で覚えている真っ最中。
「……はぁ」
それでも、分かる事がある。
もう私達は、いや、人類は、二度と月に手を出す事は出来ない。
月は、もう人類の生活圏じゃ無い。
かつての月面都市に暮らす百万を超える魔人──テッカマンと、それを纏める眠れる女王の王国だ。
その事実は一般に公開される事は無い。
月の資源は惜しいけど、もう資源衛星は腐るほどあるので月に拘るのは月の資源の採掘権を持っている偉い人だけなのだとか。
実際、こちらが手をださなければ害がある訳では無いらしい。
それはそうだ。月の女王は、今も夢を見続けているあの娘は、好き好んで戦いを仕掛けたりはしない。
ただただ、好きな人の為に待ち続けているだけなんだから。
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…………
……
「でも大丈夫? テニアちゃん、ここらへんはそんなに来た事無いと思うんだけど」
「簡単な地図もあるから迷わないって。急がないとまたややこしくなるだろうし、がんばってねー」
「うー、マジでごめんね? ったく、あの馬鹿が騒ぎを起こさなきゃ案内続けられたんだろうけど……」
わたしに頭を何度か下げ、今度学校帰りにトライデント焼きを奢るという約束をして、千鳥は宗助の元に向かった。
なにやら宗助がまた騒ぎを起こしたらしく、そのフォローに向かうのだとか。
ナデシコ内では日常の風景だったから、日本では割とよくあることなのかと思っていたが、学校のみんなのリアクションを見る限りは非常識極まりない行動なんだろう。本当に勉強になる。
勉強になるけど、明日学校で会ったら、休日に買い物をしている時位は千鳥を休ませてあげないと嫌われてしまうと言っておこう。
お陰でわたしは、こんなメモ書き一つで買い物を済ませなければならない。
二人で荷物を運ぶ予定だったから、帰りは大変な事になるかもしれない。少し憂鬱な気分になる。
「えーっと、まずはここを真っ直ぐ進んで……」
繰り返し言うが、わたしはネルガルの生活保障を受けている。
これがプロスペクターさんの善意によるものか、それとも契約書に最初から乗っていたモノかは分からないけど、とりあえず生活する上で不便なところがあったら電話一本、殆ど待たずに即時解決してしまう。
何処で買えばいいか分からない生活用品(生理用品なども含む)は、お金を払って届けて貰うという手はずになっている。
が、流石にそれは年頃の女の子としてはどうなのかという千鳥やさやか、新しく友達になったクラスメイトの女の子のアドバイスを受け、そういったモノが安く手に入る店を教えて貰い、今日は千鳥の案内でその店の場所を覚えると同時に、暫く分の生活用品を揃えに来たのだ。
まだ一般の流通にそういったモノが満足に行き届いていない現在では、そういった店は貴重なのだとか。
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…………
……
どうにかなってしまった。
向かった先の一つである薬局は大量に商品を購入した場合、商品を纏めて宅配便で送り届けてくれるサービスも行っているらしいのだ。
なんだか最終的にネルガルの人に用意して貰うのと変わりがなくなってしまったけど、重くはないのに無駄にかさばる荷物を両手いっぱいに抱えて電車に乗り込むよりはよっぽど賢いと思う。
そういった訳で買い物開始早々手隙になったわたしは、一人家電量販店に来ていた。
テレビ番組で聞いたのだが、炊飯器はその性能によってお米の美味しさを格段に上げることができるのだとか。
一人暮らしを始めると共に、少しずつ自炊に手を出しているわたしには朗報だった。
流石にお米を洗剤で洗うような漫画によくある失敗はしないけれど、それでもナデシコの食堂で出てきたふんわりしっとり、甘くて味わい深いご飯を再現出来ていない今、機械の性能に頼ろうと思ってしまうのは当たり前の事だと思う。
思うのだが──
「むー、石窯式とスチーム式?」
──ここは異世界かもしれない。
正直な話、わたしは機動兵器のサブパイロットとしてやって来たから、機械の扱いはそれなりのもんだと自負している。
が、同じ機械を扱っている筈なのに、ここの炊飯器の説明はいまいち要領を得ないというか。
日本語は完璧にマスターしているのに、ここでは更に特殊な言語を必要とするらしい。そう思ってしまうほどに専門用語が多すぎる、理解させようという努力が足りない。
ここの商品と比べると、パソコンコーナーで見つけたネルガル製IFS対応PCの説明は分かりやすかった。
『あなたの思うがままに動く、機械仕掛けの奴隷(スレイブ)』なんて、ちょこっとポエミィかつストレートでグッとくる説明だ。
漢字にわざわざ英訳を当てるのは純粋な少年の心の表れなのだとか。
手近にある、レイズナーの頭みたいなデザインの炊飯器の説明を見る。
「内面フラットフレーム? ステンレス鏡面仕上げ?」
なんとなく強そうな響きだと思う、隠し機能でビームを反射する効果でも付いていそうな。
そういえばフレームにPS装甲を使った絶対に壊れない車が発表されたらしいけど、もしかしたらこれもどこかの機動兵器から技術が民間の方に流れてきているのかも。
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店員さんに説明して貰って解決した。最終的に購入したのはどことなくベルゼルートの頭に似たアンテナ付きの炊飯器だ。
やっぱりこういうのは意地を張らずにプロのアドバイスを貰うのが一番手っ取り早い。
しかもこれまた宅配便で届けてくれるらしい。
薬局と違い、こっちは家電量販店では当たり前のサービスなのだとか。
そりゃそうだ、こんな大きくて重い荷物、車で来た客でも無ければまともに持ち帰れないもんね。
この少し型遅れの大型テレビとか、まともに運びようも──
──また、基地には新たにソルテッカマン及び量産型ゼオライマーが配置され、過剰戦力では無いかという声も──
思わずその場に立ち止まり、テレビコーナーの最新式空中投影型テレビの画面に見入る。
マサトに事前に聞いていた事だけど、実際に映像で見るとかなりのインパクトがある。
何しろMSサイズで少し鋭角の少ない大人しいデザインのプチゼオライマーが、基地の滑走路の様な所にずらりと整列しているのだから、驚くなという方が無理だろう。
──他星系からの侵略者に対する特殊部隊として発足されたこの部隊は──
他星系からの侵略者。
もちろんそれもあるけど、この部隊はもっと身近な敵を排除する事を主眼に置いているのだとか。
この部隊の真の目的は、月の奪還。
多分それはとても難しい事だと思う。正直な話、百年かけて一部取り戻せればいいところじゃないかというのがマサトと美久の考えだ。
中々厳しいらしい。でも、
「……」
それはもう、わたしには関係の無い話。
画面から自然に視線が離れる。
映像にインパクトはあるけど、これはわたしの生活に関わるような話じゃない。
それより今は生活用品だ。宅配で送って貰えるなら多少買い足しても困らないだろう。
「うん、ハンドミキサーも買っていこう」
ネットで見たお菓子作りの動画を真似してみたい。
クリームや生地を混ぜる意外にも、肉をミンチにする事ができるのだとか。自力でひき肉を作れるなら最終的に節約にもつながるだろう。
わたしはテレビコーナーから離れ、店員の人にミキサーの場所を訪ねた。
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…………
……
買い物を済ませた後、街でたまたま同じクラスの友達と合流し、あちこち遊びまわって、帰ってくる頃には夕飯の時間だった。
冷蔵庫の中と相談し、今日は天麩羅蕎麦に挑戦した。
蕎麦は乾麺をゆでるだけだから完璧に出来たけど、天ぷらはまだ私には難易度が高かったらしい。
少しべしゃっとした仕上がりで、ナデシコの食堂で偶に引き当ててしまったアキト特製失敗天ぷらのような残念な代物になってしまった。
油の温度とか、どうやって確認すればいいんだろう。今度千鳥かプロスペクターさんに聞いてみよう。
夕飯を済ませた後は宿題、少しテレビを見た後にお風呂。
シャンプーが切れそうだ。買い物に行く前に確認しておけば薬局でまとめ買い出来たかもしれないのに。今度からは気を付けるように心に誓ってメモしておいた。
何だかんだで風呂上がり。
昨日学校帰りのスーパーで見かけて購入しておいたビン牛乳を一気飲み。
わたしは当然フルーツ派。
エイジに聞いた話では、遠い昔に滅んだハザード星ではコーヒー牛乳は戦士の飲み物であり、戦いの後に自らを労う意味を込めて夕日に向かって仲間と肩を並べて呑む風習があったのだとか。
なかなかイカした風習だと思う。
夕日をバックにコーヒー牛乳を煽るように呑む戦士達、それだけで一本のドラマが作れそうなかっこよさだ。
地球でも広まって欲しいけど、そうなったらコーヒー牛乳の値段が上がりそうだ。
そして、パジャマに着替えてブラックバ○エティを見ていると電話が掛かってきた。
発信元は光子力研究所、ここから電話を掛けて来そうな知り合いは二人居るけど、今日はどっちからの電話だろう。
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「へえ、じゃあ甲児はそろそろ退院できるんだ」
『ええ、復帰したらあいつらの分まで地球を守るんだって。今じゃリハビリが筋トレに変わっちゃってて、昨日も看護婦さんに怒られてたのよ』
電話越しにさやかとおしゃべり、話題は月の最終決戦で大けがを負った甲児の話題に。
やれ両腕が使えない間はご飯を食べさせてあげただの、当然トイレにも満足に行く事ができないのでしびんを使って手伝ってあげただの、看護婦さんが来るかもしれない空白の時間にあれこれするのはスリリングで興奮するだの。
正直な話、ウザい。
こう見えてわたしは失恋したばかりなのだ。カティアと統夜の幸せの為に告白するまでも無く身を引いた謙虚なわたしの前で惚気話とはいい度胸だと思う。
いくら穏やかさを信条としているわたしでも、いささか語気が荒くなる事無きにしも非ずという事を教えてあげるべきだろうか。
そろそろ受話器の向こうの相手を殴れる電話が開発されてもいいと、ほんの少しだけ思った。
『でも本当、生きて帰れて本当に良かったわ』
「ほんとにねー、生きてるのが不思議なくらいだよ」
『本当に、グ=ランドンとズィー・ガディンはすごい手強かったわ。こんなことを言うとアークエンジェルのみんなとボルテスとコンバトラーのみんなには悪いけど、全滅しなかっただけ運が良かったのかも……』
「──そう、だね」
一瞬、言葉に詰まってしまった。
それでもなんとか相槌を返し、なんとかかんとか会話を自然に終わらせる事に成功させる事ができたのは、これまで何度も同じやり取りをしてきたからだと思う。
なんだか最後の方は相槌ばかりでまともにさやかの言葉が聞き取れなかったけど、体調が悪いと言って誤魔化しておいた。
通話を終え受話器を置き、冷蔵庫からお茶のペットボトルを取り出したわたしは、パジャマにスリッパのまま、ベランダの外に出た。
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半年前の月での最終決戦、結論から言って、わたしたちは負けた。
それはもう酷い負け方だった。少なくともわたしはそう思っているし、カティアもそう考えているらしい。
ナデシコの中から見ているだけだったわたしですら理解できるような大負け。
今の地球の状況は、卓也さんの気まぐれというか、オマケにオマケして譲ってくれた勝利の賜物なのである。
偶然戦闘領域の外に乗り捨てられていたメルアのベルゼルートをナデシコの整備班が必死の思いで回収し、スクラップ同然にまで破壊されたB・ブリガンディのコックピットをむりやり組み込み、同じく重傷の統夜とカティアが再出撃。
ガウ・ラを起動して地球を破壊しようと準備をしていた卓也さんの黒いボウライダーのコックピットをブレードで貫いた。間違いなくコックピットの中の卓也さんは潰れていると分かるような貫き方。
ギリギリのところで勝った。わたしもみんなもそう思った。
でも、そんな簡単に話が終わる筈も無くて──
―――――――――――――――――――
……………………
…………
……
「いや、まいったね。まさかそれを回収するのを忘れていたとは。凡ミス、いや、これが補正とか、世界の修正力ってやつか?」
黒いボウライダーの頭部コックピット、ベルゼルートにブレードを突き立てられ身体を斜めに両断された鳴無卓也が、平然と喋り続けている。
大破したゴッドガンダムごと回収されていたドモンが、ナデシコのブリッジで叫ぶ。
「まさか、DG細胞!?」
少なくとも、身体を両断されて生きている理由は他に思いつかない。
「ああ、そういえば言っていなかったか。こりゃDG細胞じゃなくて、俺の体質だよ」
事も無げに言う卓也は、自らの肉体を両断しているブレードに手を触れる。
するとどうだろう、オルゴンライフルに括りつけられていた超合金ニューZ製のブレードはさらさらと砂のように崩れ去り、後には服が斜めに切り裂かれただけで、肉体的には全く無傷に見える卓也の姿だけが残った。
黒いボウライダーが軽く腕を振るい、撫でるようにベルゼルートに掌を当てる。
剥き出しのフレームを残らずへし折られながら激しく吹き飛ぶベルゼルート。
「メルアの乗り捨てたベルゼルートを回収し忘れて、そのベルゼルートが使うブレードはお兄さんがナデシコに置いてきた忘れ物で、通常なら致命傷になるような攻撃を直でくらってしまった、と」
からかい混じりの美鳥の言葉に肩を竦める卓也。もはや二人の眼中にナデシコもベルゼルートも入っていない。
「ここまで圧倒的な戦力でやっといて、最後に一太刀喰らっちゃあ、勝ちなんてとても言えんよなぁ」
黒いボウライダーが、その手に巨大な何かを呼び出す。
それは、巨大な機械を組み合わせ作った、魔法の杖の様な物体。
黒いボウライダーの身の丈を遥かに超えるその長大な杖を軽々と振り回し、その切っ先が幾何学的な、しかし呪術的な図形を描く。
空中に現れる、巨大な魔法陣。
「でも、お前らにはもう戦う力は残っていない」
魔法陣を乗せた杖の先端がナデシコに向けられる。
杖の動きに連動し、黒いボウライダーの強化型次元連結システムが発動する。
異次元より引き出される、ゼオライマーの使う力とは種類の、属性の違うエネルギー。
そのエネルギーが、魔法陣に巡り、その効力を発動させる。
「この勝負、勝ちも負けも中途半端だ。故に地球は今すぐ滅ぼさず、しかし滅びの可能性を残す、という事で痛み分けにしておこうか」
色付き、光を帯びる魔法陣。
光の三原色でも色の三原色でも表現する事の出来ない未知の輝き。
全くの異世界、平行世界でもスパロボJの世界での異次元でもないそこから引きずり出された、異界の魔力。
「どうせ手前らは、この結末が気に召さないだろうな。だから、こう考えてみろ。そうすりゃあ、全てが、大団円」
杖を構えるボウライダーに寄り添うMFデビルガンダム。その中に居る筈の美鳥の声が、杖の先に居る、ナデシコとアークエンジェルのクルー、撃墜され回収すらされていない機体のパイロット達全員の脳に直接響いた。
そして、続く卓也の声が、深く、深く全員の頭に沁み込んでいく。
「あなた達は今までずぅっとまどろみの中、虚ろう夢をご覧になられていたのだと」
そして、異界の色が、光が、その場の全てを包み込んで、弾けた。
―――――――――――――――――――
負けて、訳の分からない事を言われて、よく分からないモノに包まれて、わたしは意識を失った。
目が覚めたとき、ナデシコとアークエンジェルの残骸、ボロボロになったみんなの機体、今度こそ二度と修復できないレベルまで破壊されたベルゼルートは、地球のカワサキ基地に転送されていた。
全員が全員、例外なく気絶していて、基地で目を覚ました時、わたしとカティア以外の皆は偽物の記憶を植え付けられていた。
具体的には美鳥と卓也さんが関係している部分の記憶が丸ごと書き換えられていた。
その内容は、多分最初にシャナ=ミアさんが説明した事が真実だったなら起きたであろう事態そのままで、でも、現実に出た死人や被害とは矛盾しない内容。
まず月に居た非戦派の人達は全てグ=ランドンがズィー・ガディンで無茶をした余波で死んでしまったという事になった。
そしてアークエンジェルのクルーとか、アスランとか豹馬とか健一とかの死因もただ殺した相手が卓也さんからグ=ランドンとかいう人に変わっただけ。
メルアは、そんなグ=ランドンと刺し違えて死んでしまった事になっている。
勿論、そんなのが嘘だって事は月の中に存在するガウ・ラを調査すれば一発で分かる。
でも、ガウ・ラを調査する事は出来ない。
それどころか月の中にガウ・ラが存在しているのかどうかすらわからない。
「あー……」
わたしは、空に煌煌と光る月をぼんやりと見上げる。
一見、何も変わっていないように見える月。
おまんじゅうみたいにまん丸くて、ふんわりしておいしそうな、黄色い月。
でも、あの月は月じゃない。
あの月は、デビルガンダムなんだ。
月の調査に向かった軍人さんが、もう何人も撃ち落とされて、逆に月を守る番人に仲間入りさせられてしまった。
ボソンジャンプやゼオライマーの転移でも侵入する事ができなかった。
逆に月の地表に飛ばされて、文字通りの意味で地平線まで広がる無数のテッカマンに追い立てられ、命からがら戻ってきたらしい。
フューリーがボソンジャンプするテッカマンを作ったり、デビルガンダムを回収していたから、主であるズィー・ガディンを失って暴走を始めたんだろう、との事だ。
でも、わたしとカティアだけは知っている。
月に居るのは暴走したデビルガンダムなんかじゃなく、美鳥が言っていた、メルアをコアにした、ズィー・ガディンがベースの全く新しいデビルガンダム。
ガウ・ラと融合したそのデビルガンダムは、そのまま周りを取り囲む外殻、月そのものを取り込んでしまったんだ。
多分、卓也さんの頼みごとに必要だったんだろう。
好きな人にお願いされたから、お手伝いできるのが嬉しくて。
「ほんとに、一途だよね、メルアは」
あの月で、メルア以外には兵隊のテッカマンしか居ないあの月で、ずうっと卓也さんの事を待っているんだろう。
眠りながら、頼まれた仕事をしながら、ふわふわ、ふわふわ、楽しい夢でも見ているんだろう。
「んっ、んっ、んっ……、ぷは」
コンビニで買った、安もののペットボトルのお茶を煽り、月に掲げる。
ねぇ、メルア。今、どんな夢を見てるの?
みんなで、卓也さんと美鳥と、あたしやカティア、統夜と一緒にオヤツを食べてる夢?
夢の中だからって、卓也さんとのらぶらぶエッチな妄想とかもしてそうだよね、メルア、エッチかったし。
どんな夢を見ててもいいよ、夢の中身まで強制されなきゃいけないなんて、面倒臭くて嫌だもんね。
でも、
「待ってるだけじゃ、男は捕まんないみたいだよ」
待ってて振られたわたしが言うんだから間違いない。
「早く起きて、捕まえに行かなきゃ」
卓也さんと美鳥の事は、どうしてか嫌いにはなれない。
裏切って、最初から騙してて、いっぱい殺されたけど、それでもあの人は恩人だった。
だって、今の私が生きているのは、あの孤島で統夜が死ななかったのは、確かにあの人のお陰だから。
騙されていても、計画のうちでも、わたしたちの命の恩人である事に違いはないんだ。
誰が殺されたって、結局自分が生きているのが一番いい。その程度の常識は、月で実験体をやってた頃にもう身に付いてる。
一つの房から叫び声が消えて、また他の房から泣き叫ぶ声が聞こえてきた時に、自分の番じゃなくてよかったと、心底安心していたあの頃に。
「なんて言わなくても、きっとわかってるよね」
メルアは、強いし、賢しい。待つよりもいい選択肢なんて、自分から見つけることができる。
心を操る事が出来たとしても、作られた偽物の想いでも、メルアにとっては、確かに初恋なんだ。
ずっと隣で見ていたわたしには分かる。向ける相手は違っても、わたしとメルアは並んで一緒に恋をしていたんだから。
どこからどこまでが偽物の恋でも関係無い。メルアの恋は、最初から最後まで全部本気だった。
あの子の恋は、確かに本気の恋だったんだ。だから、
「だからいつか、メルアに捕まってあげてよね」
掲げたボトルに月が映り、光の屈折で月が歪む。
その月に、小さな影。わたしはペットボトルを下ろし、その影に目を凝らす。
月を横切り、一直線にどこかに飛んで行くボウライダーと、ぴったり後ろに張り付いて飛ぶスケールライダー。
あっという間に月を横切って、西の空へ、夜の闇に融けて消えていく二つの影。
本当に居たのか、幻だったのかは、誰にも分からない。
でも月は、のろのろ、のろのろと、それでもその影の消えていった方に進んでいる。
あの人は確かにこっちに居ると、絶対にいつか、追い付いてみせると。
「……っぷ、ポエミィ過ぎるよこれ」
ロマンチックが過ぎたかもしれない。ポエミィなのはカティアの秘密ノートだけで十分だというのに。
明日は学校がある、そしたら、カティアとも会うことになるだろう。
堅物なところがあるからまだ友人が少ないみたいだし、わたしが率先して引っ張ってあげるのもいいかもしれない。
踵を返し、部屋の中に戻る。
「またね、おやすみ」
少しだけ振り返り、月とメルアと、どこかに消えてしまった悪党で恩人で、とっても薄情な二人に、おやすみなさいの挨拶をした。
おしまい
―――――――――――――――――――
祝、完結。
前回の引きからそして半年後、多分期待していた人も多いだろう戦闘シーンなんて欠片も無い、しっとりふっくら静かな夜に、まさかまさかのフェステニア・ミューズこと薬用石鹸の日常オチな第二十三話ことスーパーロボット大戦J編最終話をお届けしました。
原作からして一部の連中のその後しか書かないエンディングだったし、特に問題は無いですよね。最後に無理やりいい話にしようとしてる、あざとい。とか言われそうですが。
でもなんか、自分的に的には書きたいもん書いたんですが、読者の皆様の機体は悪い意味で裏切った感が凄いですよ今。
だが私は謝らない。だって最初からスパロボ編エピローグはしっとり終わらせるつもりだったんで。
というか、前回の戦闘の続きをエピローグで書くとか思った人は居ませんよね? 前回のブラスレ編もエピローグは日常で終わらせましたし。
ていうか、ステージじゃなくてエンディングなんで戦闘とか普通は入りませんし。
そして過去の自分へ、
>ダイジェスト風味にして無理やり三話以内にまとめます(キリッ
だっておwwwwwwごめんなさい直ぐに除草します反省しています。
最初におっ立てた『基本一つの世界は1~3話で終わらせる→いったん元の世界に帰還して終了』の流れはこのトリップで完全にぶち壊れましたね……。
でもいいんです、何だかんだで中編くらいにはなる量の話を書けましたし、いい経験になりました。
やはり長々と話を書いていると微妙にプロットから話がずれてきて、修正とかこじ付けに手間がかかりすぎます。
正直に告白しますが最初のプロットだと、メルアがヤンデレてベルゼルートで戦う予定は一切ありませんでしたからね。
メルアの最後も月のデビルガンダムのコアとかそんな大それたもんじゃ無かったです。
原作通りフューリーの式典に向かう途中で主人公に関する記憶を主人公の手で消されて、式典の最中に出されたチョコレートケーキ食って無意識に涙を流して、なんで泣いているのか理解できないという事が異様に悲しくて、みたいな感じでメルアがぼろぼろ泣きながら終わり、みたいなラストの予定でした。
どんな話だったか想像もつかないでしょう?
このキャラの今の性格だと、こうなるとこういう行動を取るな、とか考えながら書いてると、話の大筋からどんどん逸れて、何時の間にかフューリー全滅ですよ。笑っちゃいますね。
話は無理矢理纏めて終わらせる事ができたけど、しばらく長編書く気力は無いなぁ。
これから『スパロボJこぼれ話──その頃の主人公──(仮題)』とか書きながら、一話完結の短編と何回か書いて行こうと考えてます。先ずは最初のトリップのリベンジかなぁ。
あ、七月になると思いますが、設定まとめを投稿します。
なんだかんだで設定とか見たいって人がそれなりに居るようだし、反対意見も無かったので。
設定集とか、読むの結構楽しいですよね。気に行ったゲームの設定本とかついつい買っちゃいますし、スパロボ辞典とかも結構時間かけて読むの楽しいですよね。
まぁ、この作品の設定がそこまで読んで楽しめるモノかは保証しませんが……。
でもなにより自分が書きたいので書きます。
条件は
・少なからず本編に使われた設定であり、未使用の設定は書かない事。
・ふざけてもいいのできっちり纏まった文章で作る事。
の二つで行きます。
あと、アンケートでは無いんですが、いちおう区切りとしてトップに(スパロボJ編完結!)とか書いた方がいいですかねぇ。
書くとしたら読む人は増えそうですけど、熱烈なJファンの方が怒りをあらわにして苦情を書き込んでくるかもとドキドキします。
保守的になるか攻めるべきか、よろしければご意見下さい。
それではいつも通り、誤字脱字の指摘、分かり難い文章の改善案、設定の矛盾、一行の文字数などのアドバイス全般、そして、短くても長くても一言でもいいので作品を読んでみての感想、心よりお待ちしております。
次回、スーパーロボット大戦J編付録
「スパロボ辞典」
消されるな、この設定。忘れるな、我が厨二。