境界恋物語 その①
唐突ではあるが、僕の家族は、自分も含めて五人である。
新聞社の重役である父と、昔は看護師だった母。妹と弟が一人ずつ。妹は高校生で弟は中学生だ。ちなみに甲信越の田舎には農業を営む祖父がいたりするが、まあこちらは本編とはあまり関係が無いので割愛する。
両親はごく普通の常識人だ。
毎日会社に行き、仕事をして、帰って来る生真面目な父親と、料理が上手な普通の母親。
ところが、だ。
この二人からいかなる化学反応が発生したのか、それとも何か突然変異でも起きたのか、僕の妹弟は普通じゃ無い。いや、常識の範疇にいる人間ではあるけれども、色々と変だ。
まず妹。彼女は運動が得意である。得意であるだけだったらいいが、陸上競技は既に高校総体レベル。格闘マニアで剣道はすでに段位持ち。しかも何やら最近は他の武道を極めることを目標にしているらしく、日本中を放浪して彼方此方に人脈を作っている。
次、弟。こちらは完璧にインドア派で、本の虫だ。凄いのは本を読むために世界各国の言語を勉強するところであり、昨日など電話の受け答えがラテン語だった。でも学校の成績は悪い。分からない奴だ。
さて、妹・弟共に普通から少しだけ離れた人間であるが、その兄である自分はどうであるのか。
つまりはそれが、僕と彼女の関係を進める重要なファクターだった。
◇
「で、突撃したのか」
呆れたような浦戸は、僕に聞いた。
「そうだ」
「……結果は?」
「ヒエラルキーの最下層だが何とか認めて貰えた。メンバーというか仮入部扱いだけどな」
「――――どうやって説得したんだ?」
「ああ、それは……」
考えてみれば、いきなり突撃して名前を聞くと言うのは、いささか礼儀に反すると思う。一歩間違えれば不審者だ。元に、マエリベリーの親友・宇佐見蓮子は盛大に僕を警戒し、そして僕をまず座らせた。
教室の床に。
なんとも男らしい方だと思う。
ちなみにマエリベリーさんは困ったような表情で椅子に座って、僕と彼女のやり取りを眺めていた。
「……それで」
彼女は、まるで危険物を見るような目つきで僕に尋ねる。
「入部希望なんだって?」
「はい」
「……どこでこの倶楽部のこと聞いたの?」
「友人からです」
僕は、友人・浦戸から情報を貰ったと言うことを説明する。名前を出した瞬間に、嫌そうな顔をされたのは多分見間違いではあるまい。
「――動機は?」
探るような、猛禽類の瞳で僕を見て。
「マエリベリー・ハーンさんに惚れました」
「却下」
彼女の瞳が余りにも鋭かったから、僕は正直に言った。正直に言ったのに彼女は却下した。
思わず何故ですか!と叫びそうになった事は秘密である。
ちなみにマエリベリーさんは、あらあら、とでも言いたそうな空気で僕の発言をあっさりと受け流していた。流石にまだ眼中にはないと言うことだろう。
「理由を説明して下さい」
「そんなの決まってるじゃ無い」
宇佐見女史は、背筋を伸ばして床に正座した僕を見降ろすように言う。
僕ははたして、どんな反論が返ってくるのかと身構え。
「私とメリーの二人だけの空間に入って来るんじゃないわ!」
「いや、ちょっと待て。本当にそんな言葉を言ったのか?」
歩きながら浦戸は僕に尋ねる。
「違う。最後の部分は今勝手に付け加えたんだ。でもまあ、内心で思っている事にあまり違いは無かったと思う。実際はこう言った。『その条件だとちょっと入部は認めるわけにいかないわね』」
「……ああ、まあ。当然の反応だろうな。親友によく知らない悪い虫を付けるわけにいかない、ってわけか」
「そうだ」
それは至極当然のことだろう。
実際、僕も最初から入部を認めて貰えるとは思っていなかった。
断られて追い出されたらその時に考えるつもりだった。
考えている様でいて考えなし。深い考えがあるようで実は感覚でしか動いていない、とは高校の友人のセリフである。全く持ってそう思う。
「ところが、マエリベリーさんがこんな事を言ってくれた」
「蓮子。少し良いかしら?」
「――何よ」
宇佐見女史は何やら言いたそうな表情であった物の、マエリベリーさんは気にせずに僕に話しかけた。
記念すべき瞬間だったと言える。
「貴方、尾形縁さん」
「はい。何でしょうか」
面白みのない返事、と言えるかも知れないが、緊張していたからだと思っていてほしい。
「貴方、何か特殊な力を持ってないかしら?」
「何か、ですか?」
さて、想像してみていただきたい。
いきなりそんな事を言い出す人間に対して、普通の人間は電波系だと思って退散するだろう。
もう一方、本当に特殊な「能力」を持っていた場合。
見ず知らずの人間である人間の能力を看過するような女性である。
普通の寛政の人間ならば、やはりそこで気味悪がって退散するか、それを顔に出さずともさり気無く距離をとるに違いない。普通ならば。
僕はそう言う意味では常識はずれである。
むしろ、流石は彼女だと思っていた。
どこかで理解していたが、その理由が分かるのはしばらく先の話である。
変?――自覚している。自分は自分の中で、おそらく彼女は僕の性質を読み取っても、あるいは悟っても奇妙では無いとどこかで理解していたのだ。
「視線がね。面白いのよ。貴方の視線は人間相手には――効果が無いみたいだけれど。物質、かしら。物質に向けた時に、ほんの少しだけ線になって現れる」
僕の「能力」の性質を、「線」という言葉で彼女は表現した。
ふふ、と怪しげな笑顔で、彼女は言う。
「蓮子。私は彼を入れるのは構わないわ。少しだけ――興味が出た」
「メリー!?」
驚いたような声を上げる宇佐見女史は、しかし最後にはこういったのである。
どうやらマエリベリーさんの言葉を、最後は信じたらしい。
「分かった。とりあえず仮入部を認めてあげる。その代わり、貴方の持つその「能力」を私とメリーに説明しなさい。それが条件。勿論私達は絶対に口外しない。出来るかしら?」
「で、だ。僕は結局、彼女たちの目の前で実演する事になった」
「おい!」
浦戸が突っ込む。
「お前!良いのか!」
心配も最もなことだと思う。浦戸は僕が幼い頃に、この力でどんな被害にあったのかを知っているし、原因に近い場所にいた。
けれども、僕は平然と返す。
「良いか悪いかで言ったら悪いさ。でも僕はマエリベリーさんと宇佐美女史を信頼する事にした。仮にアレだ……僕の力を悪用されたら、それは僕が悪い。そう言う人間を見抜けなかったと言う僕の責任だろう。そして僕は自分でそう結論付けて彼女たちの前でちょっと頑張ることにしたんだよ。惚れた人間を信用するのは基本だろ?」
まあ、恋は盲目、という言葉もあるけれども、僕は十分、自覚した上での行動だから誰に文句を言われる筋合いも無い。
浦戸も僕に注意をしない所を見ると、おそらく僕が自分を見失っている事は無いのだろう。
それにこれは感覚的な物だが――たぶん、彼女達は僕の能力についてを口外する事は無い。
無意識の領域でしか把握できないが、おそらくそれは正しいと思う。
「ところが、だ。君も知っている通り、僕の力ははっきりと証明する事が難しい」
僕は言う。
教室内の歴史でも紐解こうかとも思ったのだが、しかし自分の持っている知識とどう違うのかといわれて、説明するのは難しいのである。
「それで、休日だってのに俺はお前と歩いているのか」
「そういうことだ」
もう一つ。マエリベリーさんと宇佐見女史の二人を相手にするには、僕一人では心細かった、という理由もある。浦戸と宇佐見女史は知り合いらしいから大丈夫だろう。
どんな知り合いなのか、そもそも仲が良いかどうかは兎も角として、浦戸がいれば僕は随分、いざという時にも助けられるのだ。能力を使った時とかにも。
ちなみに、マエリベリーさんの持っていた帽子であったり、日傘であったりで対象に「能力」を使おうかとも考えたのだが、宇佐見女史曰く『一歩間違えるとストーカーに見える』とのことで却下された。
残念だ。マエリベリーさんの持ち物に触れるチャンスだったのに。
「宇佐美女史曰く、『此方が適当に準備した物でやりなさい』だってさ」
「それに成功したら?」
「晴れて『秘封倶楽部』の一員だ」
だから、そう。
今日は少し、気合いが入っているのだ。
◇
「久しぶりだな宇佐見蓮子」
「貴方もね、浦戸」
やはりと言うかなんと言うか、浦戸と宇佐見女史とは仲が悪かったらしい。一応、浦戸と仲良くなるのは彼の普段の性格もあって、相当に至難の技なのだということを言っておく。
それでどうして顔が広いのか、理解に苦しむ所でもあるが。
「相変わらずオカルトを追い求めているか」
「ええ。そう言う貴方のお友達もオカルトに近いらしいわね」
君達、性格が変わっているよ、と思ったのは――たぶん、僕だけでは無いだろう。
マエリベリーさんも少し驚いていた。
「えっと、……今日はどうも、有難うございます」
僕は頭を下げる。
「気にしないで良いわ。私が希望したことだから」
「助かります」
彼女の目の前に立つと言うのは、結構緊張するものであるが――それでも、彼女と話せる喜びの方が大きかったりする。
「お前と最初にあった時の事を忘れてはいないぞ。一の家の敷地に勝手に入って来て」
「それは此方も同じこと。あんな場所にいた貴方が悪い。そしてその後で私に何をしたのかを忘れたわけじゃ無いでしょう?」
……本当に、仲が悪いらしい。
険悪というか、犬猿の仲という言葉が似合うだろう。
結局、浦戸は僕が。
宇佐見女史はマエリベリーさんが仲裁に入ることで双方の空気は解消された。
いや、解消されてはいないけれども、兎にも角にも一端は落ち着きを見せた。
「……尾形縁。貴方の「能力」、場所はどこでも良いのね?」
それでもまだ不機嫌さが残っているのだろう。はっきりと言葉の中に機嫌の悪さを見せながら、宇佐見女史は言う。
「ええ」
場所は何処でも構わない。というか、発動自体はいつでも大丈夫なのだ。
ただ、酷く集中力を有することと、結果が不特定であるということか。
「なら、移動するわよ」
宇佐見女史はそう言って、僕と浦戸を引き連れて、小さな喫茶店へと案内した。
マエリベリーさんの手を是でもかという位に弾いていた事を伝えておく。
羨ましい、と思ったのは内緒――――
「羨ましいかしら?」
「羨ましいです」
気が付いたら、宇佐見女史の質問に正直に答えていた。
僕は実は馬鹿なのかもしれない。
まあ、それでもマエリベリーさんは困ったような表情を見ていただけだったけれども。
「さて、取り合えず一息入れた処で、本題に入りましょう」
宇佐美女史が案内したのは、繁盛しているが静かな、落ち着いた空気の店だった。
四人掛けのテーブルで、僕と浦戸が、宇佐見女史とマエリベリーさんが隣り合うように、そして二組が向かい合うように座っている。
僕の目の前にはマエリベリーさんがいた。
嬉しい。
因みに、隣の浦戸とその向かいの宇佐見女史は目も合わせ無い。過去に一体何があったのだろう。
「尾形縁。まず謝るわね」
宇佐見女史は僕に言う。
「昨日私は、『秘封倶楽部』に入るのならば貴方の能力を教えなさいと言った。あんな風にいえば貴方は諦めるかと思って言ったのだけれど……逆に貴方は頷いた。だから、癪だけれど私も約束を守るわ。自分の言ったことへの責任は持ちたいから。……教えてくれれば、入部を認めます。メリーからの了承も取ってあるから」
彼女の瞳は真剣だった。
自然と、僕も真剣に返す。
「有難う。……それじゃあ、何か――持ってますか?」
僕は宇佐見女史に聞く。
僕は先日、能力を見せて欲しいと言った時に、ある程度の条件を付けてある。
対象を、自分で手に持つ必要がある、とか。
はっきりと証明するのならば、絶対に僕が知りえない情報を保有している物が良い、とか。
「これよ」
宇佐見女史が指示したのは、スプーンだ。
それも今、この喫茶店で彼女が頼んだ紅茶について来た銀のスプーンである。
「出来るかしら?」
「十分です」
こういう物の方が、僕の力は発揮しやすいのだ。
過去に妹が持ってきたナイフやら、弟の古書からに使ったこともある。スプーンというシンプルな物の方が、きっと僕には「解読」し易い。
スプーンを手に取る。
其れほど重くない。
息を吐く。
集中する。
視線がスプーンの身に固定される。
周囲の色が落ちる。
その中で、銀色の物体だけが僕の脳内に映し出される。
僅かだが、見えてくる。
銀色のスプーンは誰の物だったのか。
どうやって使われていたのか。
そして――。
「……あの、宇佐見女史」
僕は、尋ねる。
これが本当ならば、彼女は意外と性格が悪い。
「これ、――――猫の餌、混ぜてませんか?」
僕の知らない老人の飼っている猫、その猫の餌を拡販する時に使われる物だ。
「――――! ……正解」
参ったわね、と言いたいような表情で、彼女は肩を竦めた。
スプーンは、どうやら今、僕に渡す際に摩り替えたらしい。
彼女が持っていた之は、近所に住む老人から一時譲り受け、そしてそれに良く似た喫茶店を出すこの店に案内したらしい。だから猫の餌の中に刺さっている光景が見えたのか。
納得した僕は、目立たない程度に大きな声で言う。
「僕の力は『対象を読み取る』能力です」
ESP的に言うのならばサイコメトラーと言う奴の発展系が一番近いと思う。
分かりやすく例えると――――あれだ。以前浦戸が進めてくれたゲーム。赤い髪を持った正義の味方を目指す「少女」が、アーサー王を召喚して戦う魔法バトルである。あそこに出てきた『解析』とか言うのが近いかもしれない。
最も僕は、魔法で剣を生み出す能力も回復力も持って無いのだが。
以前に言った、「分かりにくい」というのは――――詰まる所、自分の持っている知識が、本当に自分が持っていた物なのか、それとも能力で読み取った物なのかを外部から判断が出来ないからである。
そう言う意味では、今回のこれは上手く証明できたと思う。
「視線に能力を載せることで、対象の歴史を読み取る……と言えば、恰好は良いんですけれども」
欠点が多いのだ。
「読み取れる情報はランダムです。時間をかければ大抵の情報を得られますが、集中力が必要ですし」
僕は、決して大きい声では無いけれども、語る。
例えば、大きなのっぽの古時計があったとする。
これに対して能力を発動させるには、第一に時計を観察する必要がある。
次に、自分の中で「能力」で時計を紐解いて行く。
時計の持ち主が誰であったのか、顔を見る事は出来る。
ただし、僕にとっては名前も知らない老人でしかない。
時計が置かれていた環境は分かる。
ただし、それが「どこ」なのかは把握できない。
時計が生まれたのは何時だったのか。
時計がどれ位動いていたのか。
どのようにして時計が動いているのか。
時計の仕組みはどうなっているのか。
そう言うことは分かるが――――。
「――――最初を除けば、時計に詳しい職人ならば大体分かる物ですよね」
だから、知識と区別が付かないのだ。
これは対象が変わっても同じこと。
「例えば、時計の意志までは分からないんです」
だから正直に言えば、非常にピンポイントなのだ。
具体的にいえば――――『名前と用途が分かっても、使い方が分からない道具』に使って、過去を見て『使用方法を導く』であるとか。
未知の物質に使うことで、それがどういった物なのかを把握するとか。
読めない字を読めるようにしたり、書かれた字が何時頃の物かを判断したり。
そんな、現在では何かしらの方法に取って代わられる様な性質しか持っていないのである。
勿論、テストなどの日常では役に立たない。製作者の議論まで読み解けば多少は楽になるが、そんな事をしていたら時間切れで終わってしまう。
土地や空間の様な、広い存在にも使えない。
そしてそもそも、人間には使えない。
使えない、はずだ。多分。使ったことが無いし。
「…………なるほど」
宇佐見女史は僕の話に、納得したように言う。
「メリーの道具を貸してほしい、って言ったのはだから?」
「ええ」
勿論、彼女の身に付けていた物に惹かれなかったかと言えば嘘になるが。
「彼女本人しか知りえない事を、僕が知っていれば「能力」の証明になるか、と思いまして」
「ふうん……」
その言葉に納得したのか、宇佐見女史は頷き。
「まあ、納得するしかないわね」
宇佐見女史は息をはいた。
内部に、多少の葛藤はあったのだろうけれど。
「貴方の入部を認めるわ」
かくして僕は『秘封倶楽部』に入ることに成功した――――のだが。
この休日は、まだ終わらなかった。
僕と彼女を結ぶ、とあるイベントが発生したのである。
◇
喫茶店を出た後に、マエリベリーさんの表情はあまり優れなかった。
「メリー、何かあった?」
そんな風に尋ねた宇佐見女史に、彼女は大丈夫よ、と言う。
浦戸はと言えば、ちょっと用を足しに行く、といって離脱してしまった。その内に追いつくだろう。
「いえ。……何でもないわ」
少し怪しげな笑顔を見せながら歩いていた彼女たちは、楽しげだった。
会話は明るいし、正直僕はその後ろ姿を見ているだけだったと言える。
それはそれで、とても良い時間だったけれども――彼女たちは少し、前を見ていなかったのだろう。
ドン、と。
ガラの悪い連中にぶつかってしまったのだ。
正直、道路を横一列で歩いて何が楽しいのかとか、そんなに歩きたければ陸上競技でもすれば良いだろう、とか思ったが口には出さない。
「あら、御免なさい」
そう言って通り抜けようとした彼女たちであるが、まあお約束のパターンと言えるだろう。
残念ながら僕には理解できないレベルの言葉だったが、要約するとこんな感じだった。
『お詫びにちょっと付き合えよ姉ちゃん達』。
正直、見ず知らずの人間と一緒に歩いて何が楽しいのかと思う。
確かに宇佐見女史もマエリベリーさんも、容姿は整っている方だ(僕は彼女の容姿は確かに魅力的だと思うが、そこだけに惚れたわけでは無いと強調しておく)。
けれども。
流石にそれ以上は、困る。
困るとした言いようがないから、困ると言わせて貰おう。
「済まないけれども」
目の前のガラの悪い連中は、ザッと見積もっても十人はいる。
けれども、だ。
僕は彼らの前に立って、言う。
「彼女は僕が先に見つけたんだ。引いてくれないかな」
人数など関係が無い。
関係が無いのだ。
自惚れるつもりは無い。だが、目の前の連中と自分ならば、まだ自分の方がマシだと思う。主として人間性の問題で。よしんば――仮にそうでなくとも、マエリベリーさんを彼らに渡すのは嫌だった。
つまり自分の我儘だ。
好きな女性を他人に取られたくないという、実に単純な理由である。
「あん?」
顎を上げながら不満そうな顔をした連中に、僕は言う。
「彼女は僕が見つけた。言い換えよう。女ならば誰でも良いと思っている君達とは違って、僕にとっての女性は母親と兄弟を除けば彼女だけだ。君達には渡したくない」
ポカン、と口を開けた連中と。
「あら、」
驚いたようなマエリベリーさんの言葉と。
「私はどうなのよ」
僕の発言に宇佐見女史が突っ込みを入れる。
「マエリベリーさんの親友である貴方は例外です。どちらかを選べと言われたら僕はマエリベリーさんを選ぶでしょうが、そうでないのならどちらも庇うのが筋でしょう」
「……ふーん」
何やら僕のセリフに感じ入る物があったのか、彼女は黙る。
「そう言うわけで」
僕はその間に、連中に、再度言った。
「さっさとお帰り下さい。出口は――――」
咄嗟に。
後ろに下がる。
目の前を握り拳が通り過ぎて行った。
目の前の連中は、呆けた状態から復活し、黙れだのカッコつけてんじゃ無いだの、その他多くの罵詈雑言を並べ立てている。逆に言おう。その程度しか理論を持っていなかった。
これで例えば、僕の欠点を指摘するのならば、多少納得がいくのであるが。
「――――直接的な暴力ですか」
やっぱり、というべきか。こういう連中には理屈は通用しない。頭の中にあるのは欲望だけ。
そこにどんな理由があるのか、欲望の発露が何であるかなどは関係が無い。
人間を襲うことが目的の妖怪ならば、まあ良いだろう。襲われても納得できる。許す許せないは別として合点は行く。
けれども、目の前の人間たちは違う。
気に入らない存在に対して暴力を見境なく振るうような奴が、彼女に触ろうだなんて。
彼女をこんな連中に渡す訳にはいかない。
自然と、視線に力が入る。
その瞬間に――――マエリベリーさんの視線が鋭くなったのは、たぶん見間違いでは無かった。
「マエリベリーさん。一つ聞きしたいのですが」
僕は、彼女達を後ろに下げながら尋ねた。
丁度、背中に庇うような格好になる。
「目の前の連中達と、僕と浦戸。どっちがマシですか?」
「そうね」
こんな時でも余裕を崩さない彼女は、正直豪胆過ぎると思う。
まあ、そう言う部分も魅力的だと思うけれど。
「――――貴方達かしらね」
…………よし。
ならば、僕のすることは一つだ。最も、目の前の連中だと言われても僕は同じ行動をとっただろう。
自分の出来る事を思考し、冷静なままで集中し、息を整え、前を見据える。
僕は格闘など全く出来ない。
だから、出来ることはと言えば。こうやって前に出て時間を稼ぐこと。
そして――。
「――――浦戸。後全部、任せた」
とっとと逃げることだ。
「おうよ!」
いつの間にか戻ってきた親友に喧嘩を任せて、彼女達を連れて逃げるだけである。
声は不良達の真後ろから。用を済ませて帰って来た浦戸は、背後から飛び蹴りで不良の一人を地面に叩きつけ、手に持っていた缶ジュースの缶を振り向いた相手の口に突っ込むと、同じく振り向いた男の顔を殴りつける。瞬く間に三人が地面に倒れ。
僕はと言えば。
「逃げます!」
マエリベリーさんの手を掴み、ついでに宇佐見女史の手も掴んで走るだけ。
浦戸は喧嘩慣れしているし、そもそもの身体能力も高い。怪我の治りも早い。サバットとかいう足技も使える。だからあの連中は全部任せる。昔はあの倍の相手を以前はどうにかしていたから大丈夫だろう。
「――おg!?」
「名前を言っちゃだめよ?」
宇佐見女史は呆気に取られたような表情だったが、マエリベリーさんは此方も冷静だった。親友が名前を言いかけた瞬間に素早く開いている片方の手で口を塞いでいる。
連中で一番面倒なのが逆恨みであることを、彼女は知っていたようである。
さっさと逃げる。彼女たちの手を引いて逃げる。
情けない?――――いやいや、そんなことは無い。
特別に運動が出来ない僕にとって、一体多数のケンカなど無茶を通り越して無謀以外の何物でもない。
そして僕の背後には、マエリベリーさんと宇佐見女史がいた。
そんな状態で向かっていくのは色々な意味で危険だ。彼女達が成人男性数人を相手にケンカできる実力があると言うのならば別だけれども。
だったら逃げるのが一番賢い方法だ。浦戸に任せておけば、後始末も含めて二度と彼女たちに手を出さないように手配できる。そして僕がいれば、逃げる際に彼女たちの、多少の盾くらいにはなる。
要するに僕は、マエリベリーさんに怪我が最も少ないであろう可能性を選択しただけだった。
背後から、浦戸が大立ち回りを演じる音を聞きながら、僕たちはさっさとその場から逃げ出しのである。
◇
「怪我は無いですか?」
僕は彼女に尋ねる。
「ええ。お陰様で」
涼やか、という言葉が似合いそうな笑みを見せて、彼女は言う。
「お友達を置いて来ても大丈夫だったのかしら?」
「心配な……いえ、ありません」
浦戸と同じ態度で話し返すわけにもいかず、僕は言いなおす。
「浦戸は僕よりも遥かに喧嘩慣れしています。あの程度の人数は障害にもなりません」
ちょっと離れた場所からは騒ぎの音が聞こえてくるが、京都の町中でそんなに長く暴れられるはずもない。時期に静かになるだろう。
宇佐見女史は少し離れた場所で息を整え、携帯電話を取り出している。浦戸達の事を対処するらしい。
僕とマエリベリーさんだけが、揃っていた。
「そう。……尾形縁。一つ尋ねても良いかしら?」
彼女は、僕をフルネームで呼ぶ。そう言えば彼女はさん付けで人を呼んではいない。やはり文化の違いだろう。
「ええ」
「――――貴方の能力、あれで全部?」
小声で。
小さく言われたが故に、宇佐見女史には聞こえていないだろう。
僕は動きが止まる。
凍りついていた、とも言える。
その一言は、僕の予想を超えていた。
内心で思っていた事は、一つ。
そこまで読まれるとは――思っていなかった。
これだけである。
先ほどに、視線が鋭くなったのはそれが理由だったのだろう。
「……いいえ」
僕はこのとき、おそらく彼女の中に将来の片鱗を見た。
正直に言おうと思ったのは――感覚的な物である。
彼女には、正直に本当の事を言うべきだと思ったのだ。
「――――あの「能力」の説明は殆ど正解です。ですが……」
言ったことの中に嘘は無い。
通常は人間相手にも使えないのも、土地や空間に使用する事が出来ないのも、事実だ。
けれども、そこには一つだけ重要なポイントがある。
言おうか、言うまいかを迷う。
この秘密は、浦戸にすらも言っていない。
だが。
「境界を見る」
「はい……?」
迷っていて、しかし反応した僕に、マエリベリーさんは言う。
「私の能力。貴方だけ言うのは不公平よね?」
にこり、と小さく笑う。
その笑顔を見て、覚悟を決めたと言っても良い。
惚れた弱み、という実例に違いないだろう。
彼女の中には、僕への興味はある。
けれども、僕に対する友情は――これから結べる可能性はある程度だろう。
愛情になることは、たぶん無い。
それを僕は、彼女の笑顔を見て感じ取った。
しかし、だ。
彼女が僕の能力を吹聴する事は無い。
僕もまた、彼女の能力を吹聴する事は無い。
そして何よりも重要な点。
そのとき僕は、僕は彼女の笑顔を見れるのならば、自分の人生を掛けるのも良いと思った。
もっと慎重に判断しろ、と人は言うだろう。
出会って二日でそこまで思い過ぎだ、とも言われるだろう。
だが、僕のこの考えには迷いが無かった。
理由は簡単だった。
自分に対して「解析」をして――自分自身の心を計ったのだから。
自分の中の感情が、絶対に動かない、礎の様な物であることを理解したのだから。
僕は自分にも、能力を対象とすることが出来る。
人間相手には不可能では無いのか?という疑問も当然だろうけれども。
それはちゃんと説明するから待って欲しい。
「さっきの説明だと、貴方の視線に、境界が乗っている理由が不明なのよ」
彼女は「境界」を認識できるのだと、簡単に語った。
その話を聞いて、僕は納得する。
確かにそんな能力を持っているのならば――僕の視線に「境界」が映るのも納得だった。
「……対象は、「物」だと言いました」
僕は、小声で言う。
「僕は人間と言う生き物を基本的に信じています。生物に関してもそう。だから生き物相手には使えません。ですが――」
僕は、小さな声で言った。
「僕が目の前の生物を「物」と本気で認識すれば、それに対して能力が発動出来るんです」
それは人間でも変わらない。
自分自身でも変わらない。
目の前の人間を「物」と判断した瞬間に、相手を対象にすることも可能になる。
過去においてそれをしたことは唯一、一回だけだ。
言い換えよう。
僕が能力を使用するためには、対象を「物」であると認識しなければならない。
そしてそれは、目の前の事象・物体がなんであろうと関係が無い。
そこに、拒絶の意志さえあれば良い。
だから視線に、境界が生まれる。
「言い換えれば、「物」と認識した物しか対象にする事は出来ないんですよ」
物質、物体。意志を持たない物。そして自分自身が「そうである」と認識した物。
だから人間には使えない。
範囲が大き過ぎる、空間や土地には使えない。
家族・友人・親友にも、勿論使えない。
自分に近い存在には使えないのだ。
「……きちんと話したのは、貴方が初めてです」
僕は言う。
そして。
「そして――――同時に思いました」
別に彼女を口説こうとか、そんなことは一切考えていない。
けれども僕は唯、純粋に彼女に言っていた。
理由はわからない。
理由を見いだせる程に僕は自己分析が得意では無い。
『解析』を使って心の中を覗いても――マエリベリーさんへの思いは見える。
確固たる形を持っているのは分かる。
だが、僕はおそらくその時、彼女の中に「何か」を見ていた。
それは期待であり、願望であり、憧憬であった。
人間には過ぎた能力を持った僕を、一回で看破してのけた、やはり人間には過ぎた能力を持った彼女に対しての思いだった。
「やはり僕は――――マエリベリーさん。貴方が好きなようです」
愛情かと言えば、確定は出来ない。
ひょっとしたら、ただ彼女を見ていられればそれで良いというだけの感情なのかもしれない。
恋なのか、愛なのか、それとも友情なのかの判断も付かない。
けれども僕は悟ったのだ。
僕の人生には必ず彼女が必要だということを。
「……そう。それじゃあ頑張って、私を振り向かせてみなさい。縁君」
面白そうな顔をして、彼女は僕の名前を呼んだ。
浦戸が不良達を全員叩きのめして帰って来たのと、宇佐見女史が僕と彼女が会話をしている事に気が付き間に割って入ったのは、すぐ後のことである。
……と、まあこんな出来事があって、僕と彼女、いやマエリベリーさんは少しだけ距離を縮める頃が出来た。
この日から僕は彼女と、少しずつ恋人同士に近づいて行く(べく僕が頑張る)のだが――――それは次回にするとしよう。