閑話・魂魄妖夢の驚愕
秋のある日の夜のことだ。
植木の前に立ち、楼観剣での剪定――剣捌きの正確さの修行と庭師の仕事を両立できるのだ――をしているとき、後方数尺の位置に気配を感じた。
同時にじゃりっと地面を鳴らして降り立った音もする。
幽々子様だろうか? ……否。幽々子は今頃お風呂に入っている。此処に居るはずもない。
しかも感じる気配には妖力が混じっている。かなり強大だ。
思いつくのは紫様だが、あの方ならだらけてスキマに座るかスキマから半分だけ体を出すくらいだろう。
ならば――何者?
そう考える前に、そのままの体勢で私は刀を突きつけていた。
……息を呑む音はしない。
得物を突きつけられて慄かないというのは、相当の実力を持つ証拠だ。
妖力や霊力も一つの基準とはなるが、心胆の太さと技量を兼ね合わせるとそれは絶対のものとなる。
確か、そのようなことを師匠――私の祖父である魂魄妖忌――がおっしゃっていた気がする。
何をしに来たかはわからないがどんな相手だろう。
不思議と心が躍る。
強者と手合わせするときの心中である。
そんなときだ。
「……ごめんなさい、仕事中だったのね」
相手はどこか抜けたような調子で謝罪の言葉を口にした。
眉を顰めて振り返ると、石を思わせる色合いの和服姿の女性。
手には人里の甘味所の箱を持ち、その笑みはどこかしゅんとしている。
「えーと……だ、誰だ!」
「んー? 妖怪の山の頂に住む岩の妖、石見と申します。お仕事中にごめんなさいね。
でも、その刀を下ろしてくれないかしら。危ないし……ね?」
「へ? は、はぁ」
拍子抜けさせられながらも、誤魔化しに名を尋ねれば答える妖怪。
礼儀正しいというのか、抜けているというか。
なんとなく幽々子様を髣髴とさせる物腰である。
そういえばこの妖怪、どこかで見覚えが……
「ところで、妖夢ちゃんだっけ? 夏の宴会のときとか、この間の異変のときにも会ったの、覚えてる?」
宴会に、異変……。
そのキーワードで頭に浮かんでいた点と点がつながった。
「ああっ! ある、見覚えがあります! 紫様とよく話していた、あの妖怪?」
「そうそう、その妖怪。覚えていてくれたのね、ありがとー」
何度も行われた宴会の最後の三回くらいに来ていた。
異変の時には人妖のペアの中、妖怪一人だけでついてきた。
今と同じ朗らかな笑みを浮かべていた、石色の妖怪。
そう認識すると、私は刀を収めた。
「これは失礼を。とはいえ、不用意に後ろに立たないでください。私とて驚きます」
「あー、それはごめんなさいね。貴女が随分集中してたものだから」
「いえ、今後気を付けていただければ十分です」
いやはや、白玉楼に来ることがあろうとは驚きである。
鋭い目をした猟師の方――確か、利一さんだったか――が新しい甘味所でほくほくとした笑顔でお饅頭を買ってる姿を見たときくらいには驚いた。
……いや、利一さんのときの方が驚いたか?
正直あれは紫様が真冬に生き生きと活動するくらい衝撃だった。
「それはそうと、何の御用でこんな辺鄙なところまで?」
妖怪の山といえば、此処からは相当離れているはず。
とてもじゃないが軽い用事で来ることはないだろうが……。
そう思いつつ尋ねてみると、石見様――多分偉いのだから、様と付けて呼ぶべきだろう――は、朗らかな笑顔で軽く箱を持ち上げた。
「人里でお饅頭を頂いたの。でも、お茶が無いし一人で食べるのもね。だからかな」
「……はあ、左様ですか」
想像以上に軽い用事だった。
確かに白玉楼にはお茶もあるが、わざわざ此処まで足を運ぶものだろうか。
間抜けだなあというべきか、それともご苦労様だなあとでも思うべきか、これは。
しかし、お饅頭の例を思い浮かべたそばからお饅頭が出てくるとは意外。
関係無いだろうけども。
「で、貴女の主人の幽々子さんは何処かしら? 一応でも挨拶しないと」
「幽々子様なら入浴中です。お話ならしておきますので」
「いや、でもねぇ……」
む? 困った顔をしながらも、何やら粘る。
幽々子様にどうしてそこまで会いたいのだろう。
理由は何にしても、通すことは出来ない。
「貴女はどうか知らないのですが、幽々子様はそろそろ眠る時間ですよ。それでもまだ会おうというのなら――」
一つ斬られて退散していただきます。岩の妖怪だから大丈夫でしょう?
続く筈のその言葉を言わずに、目前の首を掻っ切るべく背中の楼観剣を最短動作で抜刀。跳躍。一閃。
流星のように弧を描いて柔らかそうな首に吸い込まれてゆく。
そして曲線は当然のようにすっぱり、さっぱりと獲物の頭と体を切り離した。
振るった瞬間、そう確信した。――のだが。
「……危ない、危ないから。その刀を収めなさいよぅ……」
斬った筈の敵は、刀を振り切った丁度私の一足一刀の間合い、私が一歩前に出れば切ることのできる位置で恐々とこちらを見ていた。
避けられた――? 剣閃を見切られた、ということか。
今の一撃で大抵の妖怪は葬り去れたと自負できる。それをあしらう程度には、奴は強い。
「やはり手錬れでしたか。だが、そう何度も簡単に避けられると――」
「妖夢、お仕舞いよ」
横から制止の声。
そちらを向けば、亡霊なのにお風呂に入ったせいで肌は上気している我が主。
「あ、幽々子様。……駄目ですか?」
もう少し戦ってみたいのに。
そんな願いはむすっとむくれた幽々子様には届かないみたいだ。
「駄目。持ってきてくれたお土産が駄目になるじゃない」
「……私の価値は、これ以下なの?」
溜息とともに、今まで以上にしゅんと落ち込む石見様。
……うーん、初対面の貴女とであれば私もそれを選ぶかもしれない。
庭からところ変わって部屋の中。
「紫から話は聞いているわ。山の上の聡い大妖怪さん」
「うん? そんな大層な渾名なんて初めて聞いた。でも私には合わないと思うけど。だって、幻想郷の大妖怪といったら紫とかじゃない」
「そう、確かにそうかもしれないわ。なら名前で良いかしら、石見」
「あらあら、皆どうにも仰々しい渾名か様付けでしか呼んでくれないから嬉しい限りね。私も名前で呼んでいい?」
「いいわよ~。それにしても紫の知り合いだから、どんなのかと思ったわ~」
「あ、それ言えてる。紫だもの、変な知り合いが多そうだし」
幽々子様が二人居るような感じがする……!
その空間内に居る私は、恐怖とは違う意味で戦々恐々としていた。
ほんわかとした雰囲気が二倍。
いや、幽々子様より石見様の方が純粋にほんわかしている。
こういったらなんだけど、幽々子様は何を考えているかわからない度合いが強い。
これに対し石見様は短絡的なのかわかりやすい思考をしている。
お饅頭を貰った、でもお茶欲しいな、よし此処来よう、とまあこんな感じには。
……本当にこの方は大妖怪などであるのだろうか。
「それで本題だけど。これ、人里で頂いたの」
「あら、お饅頭ね? 石見、よく私のところに持ってきてくれたわ。ぐっどよ、ぐっど!」
「……あれ? これって今話題の甘味所の……。こんなのよく手に入りましたね。
というか、よく差し上げる気になりましたね、石見様に送った人って」
箱を開けて私が見たのはそう、利一さんが買っていたあれと同じところの同じ、一口大のお饅頭である。
ん? ……まさか。
「へぇ、いいところのものなのね。でもこんなもの貰うほどいいことした覚えは無いんだけどなあ」
「えっと、どなたからいただいたんですか? これ」
「え? ええと、確か、利一って人だったかしら。見たところ、猟師らしいけど」
確 定 。
成る程、石見様に差し上げるために買っていたのか。
でもなんであそこまで喜色満面の状態だったのだろう。未だ疑問は尽きず。
「そんな些細なことはいいから、早く食べましょう? ほら妖夢も」
「へ? あ、いえ私は」
「妖夢ちゃん、こういうときは食べなきゃ損よ?」
そういいながら上品に少しずつ食べていく石見様。
幽々子様の二つ一遍に頬張っている姿とはまさに対極だ。
というかやっぱり幽々子様の食い意地の張りように驚いている。
「それじゃあ私も……はむ」
一口頬張ると、餡子の甘さが口の中に広がる。
話題に上っているというだけあって美味しい。
程よく甘い餡子に程よい厚さの皮。
人の噂になるほど人気になるのもわかるというものだ。
結局幽々子様が大部分を食べてしまったが、それでも石見様は柔和に笑っている。
皆で食べて美味しかったな、とかそんなことを思っているのだろう。
実際そのことを口に出して言っているから間違い無い。
ふと、彼女の目線が落ちた。
その先には私がいつも携えている楼観剣と白楼剣が置かれている。
少しの間、じっと二刀を見つめた後、ふと思いついたように私に問いかけてきた。
「ねえ妖夢ちゃん、これって楼観剣よね。妖怪が鍛えたという、あの」
「ええ、知っていたのですか?」
「まあ、ね。そっちの短刀の方は?」
「こちらですか、これは白楼剣ですよ。斬った者の迷いを断ち切ることができて、楼観剣と一緒に師匠から受け継いだんです」
そんな私の答えを聞くと、考え込むように腕を組んだ。
もしかして、いやまさか? とぶつぶつ呟いているが一体どうしたのだろう。
見ているこちらとしては、正直に言うと気味の悪い反応であるのだが。
と、何かを思い出したらしく今度は私の方を向いた。
「妖夢ちゃんの苗字は魂魄、だったけど、魂魄妖忌という名前に聞き覚えは?」
今度は私が驚く番であった。
何せ自分の身内の名前が出てきたのだ、これで驚かずしてなにで驚けと。
「妖、忌!? 石見様……何故師匠の名を?」
「師匠? 何、まさかまだ生きてるの? あの剣客って」
「え、いや、今は何処に居られるかわからないのですが……師匠は、私のおじいちゃんです」
石見様は今日一番の驚きの表情をしていたに違いない。
目はこれでもかと見開き口はぽけっと開いている。
「うわー……世間って本当に狭いものねえ。私ね、貴女のおじいちゃんと千年前に戦ったことがあるのよ?」
驚きすぎてもう何がなんだかわからない。
師匠の話をもっと聞くため、私は彼女を更に問い詰めていった。
この日、私達はずっと聞いては答え、聞いては答えを繰り返し繰り返し続けることとなった。
日が昇って漸く時間の経過に気づくぐらい、眠るのも、帰るのも忘れるくらい夢中で。
それぐらい楽しかったのである。あの師匠の若い時代を聞くこと、語ることが。
結局一日石見様が泊まり、また夜更かしをすることになったが……それはまあ、面白かったので良しとしよう。
・そのときの幽々子の反応
「ねぇー、妖夢お茶はー?」
「石見ー、もう何か無いの?」
「二人とも聞いて……ないわね」
「……もういいもん、私寝るから」
「……」
「……zzz……」
「……」
「……寂しいわぁ……くすん」