明日の早朝出撃と決まったナルキだったが、いきなり第二中隊長のゴルネオに呼び出されてしまった。
何かヘマをしたという訳ではないはずだし、そもそも、今回の出撃においては命令系統が違うのだから、呼び出しを食らう理由がないと思うのだが、それでも、何か真剣だったために素直に応じてしまったのだ。
「呼び出して済まないな。取り敢えずそこに座ってくれ」
「はい」
明日の戦闘に備えるために、医療関係の人間でごった返すフロアの隅に置かれた、机と椅子が二つ並んだ場所に到着したナルキは、意味不明の状況だったが言われた通りに椅子へと座る。
そして、改めてゴルネオのことを観察した。
何時も通りに厳つい顔であるが、心なしか緊張の影が見える。
それは当然だろうと思う。
明日は間違いなく死闘になる。
そして、何人かはツェルニに帰ってくることが出来ないかも知れない。
そんな状況で平然としていられるほど、ツェルニの武芸者は実戦慣れしていない。
だが、今問題としなければならないのは、ゴルネオの手に持たれている巨大な試験管だ。
太さ三センチ程度、長さは三十センチ程度の透明な管の中には、何かが入っているという訳ではない。
何か入っているという訳ではないはずなのに、厳重に密閉されているのが、少々不気味で不可解だ。
「袖をまくって前腕を出してくれ。掌を上にしてだ」
「? はい」
「左手の方だ」
「? 分かりました」
全く疑問だらけだが、何か意味があるのだろうと思い、やはり指示された通りにする。
献血をする時にこんな体制を取ったことがあるが、それによく似ている。
だが、献血とは明らかに違うことが起こった。
素早く試験管の密閉を解き、試験管の口をナルキの、剥き出しになった前腕に押し当てたのだ。
力が入っているという訳ではないが、何をされているか分からないので、一瞬身体が跳ねてしまった。
そして、次の瞬間、恐るべき事が起こった。
「な、なに!」
いきなり、褐色の皮膚に黒いシミが現れたのだ。
そして、じりじりと炭火で炙られるような痛みを感じる。
もちろん、炭火で実際に炙られたことなど無いが、感覚としてはまさにこんがりと焼かれているのだ。
「この試験管の中に入っているのは」
「は、はぃ?」
思わず声が裏返った。
未知なる現象というのはかなり恐ろしい物だ。
特に苦痛を伴うとなれば、平静を保つのが困難になる。
「都市外の空気だ」
「!!」
思わず手を引っ込めようとしたが、ゴルネオの手が伸びてきてしっかりと押さえつけられてしまった。
炙られる感覚は、既に激痛と呼べるレベルへと到達している。
それでも、ゴルネオは容赦なくナルキの手を押さえつけ、気が付けば、第五小隊の面々がナルキの身体を総掛かりで押さえていた。
暴れることも出来ないまま、都市外の空気、汚染物質に皮膚を焼かれるしかない。
だが、その恐怖の体験も、ゴルネオが試験管を離したところで終了となった。
「な、何ですかいきなり!!」
思わず声が大きくなる。
だが驚いたことに、周りにいる医療課の人間の注意を引いていない。
またやっているのかと言った程度の、慣れきった視線が幾つか来ただけだ。
この一事だけで、何度もこんな事が行われてきたのだという事が分かる。
「グレンダンでは、都市外戦闘をする武芸者全てにこれをやっている」
「な、なんで?」
第五小隊の面々が、汚染物質に灼かれた皮膚に応急処置をしているが、それを何処か他人事と認識しながら質問をする。
全く意味不明なのだ。
「都市外戦装備が損傷した場合、汚染物質に灼かれるな」
「・・。当然です」
世界は汚染物質に満ちている。
だからこその自律型移動都市であり、汚染獣なのだ。
分かりきったことを言うゴルネオに、少しだけ殺意の視線を向けてみたが、当然のこと小揺るぎ一つしない。
「ならば、出来るだけ安全な環境で灼かれる痛みを経験しておけば、戦場で取り乱さずに応急処置をするなり出来るだろう」
「・・・・あ」
そう。ナルキは未知の体験に驚き、完璧に取り乱してしまっていた。
これがもし戦場だったならば、それは即座に死につながるはずだった。
そう。知らないことこそが最も恐ろしいのだ。
だからこそ、医療設備が充実した場所で、安全を確保した上で体験することによって、知らないという危険を回避したのだ。
レイフォンから、汚染物質に灼かれる痛みについては、話としては聞いていた。
だが、やはり実体験とは違いがある。
そして、戦闘が非常識なレベルで多いグレンダンにおいて、武芸者の損失は出来るだけ避けたいのは当然のことだ。
となれば、事前準備として汚染物質に灼かれるという体験をさせるのも当然のこと。
ナルキがここに呼ばれた理由が分かった。
出来れば、先に言って貰いたいとも思うが、突然の体験で学んだ方が有効だと判断しているのかも知れないし、あまり突っ込んで何か言うのは控えた方が良いだろう。
「俺の用事は以上だ。手当が終わったら準備をしておいてくれ」
「分かりました」
「本当は、もっと早くやるべきなのだがな、お前の出撃を知ったのは二時間前だったのでな」
「それはもう。傭兵団のせいですから先輩の責任ではありません」
この恐怖体験はこれで終了したようだが、安心など出来はしない。
そう。間違いなく明日は地獄の戦場に立ち、そしてなんとしても帰ってこなければならないのだ。
灼かれた前腕は多少痛むが、動かす時に違和感はあるが、これで生きて帰れる確率が上がるのだったら、非常に安い買い物である。
そう自分を納得させたナルキは、袖を治しつつ人でごった返す区画を後にした。
脇で見ていて胃の痛くなるリュホウとカリアンの話し合いから、実に四十八時間という膨大な時間が流れた。
話し合いの脇にいたレイフォンが精神的な疲労を駆逐しつつ、汚染獣戦のための準備をしていられた時間は、しかし既に存在していない。
そう。ここはツェルニ最下層にあるゲートのすぐ側。
数ヶ月前に、老性体との戦いへ赴く際、メイシェンに泣かれてしまった場所のすぐ側である。
その少し後、廃都市の調査に赴く際に、眼球を抉ると宣告された場所でもある。
そして今、この場にいるのはレイフォンを筆頭に汚染獣戦に向かう第一、第二中隊を始めとする、戦闘部隊である。
ハイアが指揮する傭兵団からの選抜部隊も、すぐ側で最終確認をしているところだ。
今回もバックアップをしてくれる都市外作業指揮車は、既にツェルニを出発した後だ。
そして、もっとも問題となる人物が、傭兵団の戦闘装備を身につけてレイフォンの脇に佇んでいるのだ。
「こ、これからどうしたら良いと思う?」
「ぼ、僕に聞かれても困るよぉ。ど、どうしよう?」
前回も前々回も、直接の戦闘をすることがなかったナルキが、半分涙目でレイフォンに縋り付かんばかりの勢いで、質問という名の懇願をしてきているのだ。
そう。メイシェンになんと言って出撃を告げればよいか、全くもって分からないのだ。
ツェルニに来てからの戦闘を前提とした出撃が二度目であるレイフォンでさえ、全くもって分からないことを、初心者であるナルキが分かる訳がないのだ。
だが、考える時間など既に存在していない。
もうすぐ時間である。
それはつまり、ミィフィとリーリンによってメイシェンがここに連れてこられると言う事を意味している。
天剣時代には、決してこんなことはなかった。
リーリンは心配してくれていたようだったが、出撃を見送るなどと言うことはなかった。
老性体戦の時は、メイシェンとレイフォンの二人きりだった。
だが、今は大勢がこちらを見ているのである。
ハイアの生暖かい視線がとても痛いし、ヴァンゼの蔑む視線はとても痛い。
ゴルネオに至っては、全くこちらを見ようともしない。
元が付いたとしても、天剣授受者の情けない姿を見たくないという気持ちは、それこそ痛いほどに理解できる。
留守番のシンが何故かとても健やかな笑顔と共にレイフォン達を見ているのだが、その視線でさえとても痛い。
涙目になっているナルキが珍しいとか、そんな事に感動を覚えていられるような余裕はないのだ。
そして、とうとう扉が開いた。
「あ、う」
「うぁ」
視線の先には、既に決壊してしまったメイシェンを支える少女二人が居た。
このところ、準備を口実に殆どメイシェンに逢いに行かなかったことが、ここへ来てとんでもない破壊力を持ってレイフォンを責めさいなんできている。
そして、恐ろしいことに、ミィフィもとても平常心であるとは思えないほど顔色が悪い。
普段、揉め事を探し回っている好奇心丸出しの視線が、焦点を失って出撃間近の騒然とした空間を見渡している。
ナルキとレイフォンを捉えたはずだというのに、何故か素通りしてしまっているという事実一つとっても、極限状態であることが伺えるという物だ。
ここまで認識したところで、視線を感じた。
そう。三人の中では唯一平常心に近いはずのリーリンの視線だ。
「「う、うぁ」」
その視線は語っているのだ。
この二人を何とかしなければ、今ここで殺すと。
何とかしなければならない。
汚染獣に殺されるのならば、この世を呪うことも出来るかも知れないが、リーリンに殺されたのでは自分を呪うことしかできないのだ。
もはや決死の覚悟で、メイシェンとミィフィへと向かって足を踏み出す。
老性体と戦う時でさえ震えなかった膝が、小刻みに震えていることを認識していても、それでも前に進み、そしてきちんと二人を落ち着かせなければならないのだ。
一歩遅れてナルキが続くが、気配を探るまでもなくとても怯えていることが分かる。
誰に怯えているのかは、それは恐らくナルキ本人にも分からないだろう。
そして、動揺著しい少女二人の前へと辿り着いてしまった。
もはや、頭の中は真っ白である。
「メイシェン」
「あ、あの、レイフォン」
俯き気味に涙を流すメイシェンを見詰めた時、レイフォンははっきりと分かった。
これから戦場に出て行き、そして二度と帰ってこないかも知れないと。
戦場に出ることは日常の一部と言っても良いくらいだが、天剣時代はお金を稼ぐことしか考えなかった。
それだけを考えてたために、自分が死ぬかも知れないなどと、全く考えなかった。
いや。どんな恥をさらそうと生きて帰るのだと心に誓って戦場に出た。
だが、今はもう違う。
廃貴族がレイフォンの心境を極限の意志と言っていたが、それはやはり違ったのだ。
死闘を繰り広げる場所から、生きて帰る覚悟はどんな武芸者でもしなければならないのだと。
戦うだけでは駄目なのだと。
勝つだけでは駄目なのだと。
戦って、勝って、そして何よりも生きて帰ってこなければ駄目なのだと。
自分の物とはとても思えない両手を伸ばし、メイシェンをゆっくりと抱きしめる。
その暖かさと柔らかさを、きちんと記憶する。
「大丈夫。今回もみんな居るから、僕一人じゃないから。ちゃんと帰ってくるよ。ナルキだってきちんと連れて帰ってくるよ」
「・・。はい」
小さなメイシェンの声が聞こえた。
そして、とても柔らかく小さな手が、レイフォンの服を渾身の力を込めて掴む。
都市外戦用に作られた、非常に強度のある布地は、メイシェンの力程度では皺が寄ることさえ殆ど無かったが、それでもレイフォンを引き留めるためには十分すぎた。
行かないでくれと、メイシェンは訴えているのだ。
だが、それを聞き届けることはレイフォンにはできない。
ツェルニに居る誰にも出来ない。
だから、レイフォンはゆっくりと、メイシェンを壊さないように慎重に、肩を掴んでいた手に力を入れて、そっと引きはがした。
そして、しっかりとメイシェンを見詰める。
「大丈夫。絶対に帰ってくるよ。だから・・・・」
だから、どうしろと言うのだろう?
安心しろ?
冗談ではない。
戦いに行く人間を見送りに来ているのに、安心しろなどとは口が裂けても言えない。
グレンダン時代、多くの武芸者が戦場から帰らずに、遺族が泣き伏す姿を何度も見てきた。
死ぬつもりなど全く無いが、それでも死ぬかも知れないと言う覚悟は常にしなければならない。
だが、言葉の続きは言わなければならない。
「だから、またみんなで一緒に遊びに行こう」
結局出てきたのは、前回と同じ台詞だった。
あの後酷いことになったのは、十分に記憶に新しいが、それでも他に言うべき事を思いつくことが出来なかった。
そして、前回この約束は叶えられたのだから、今回も大丈夫だとメイシェンと自分に言い聞かせる。
その思いが伝わったのか、メイシェンの手に入っていた力が少しだけ弛んだ。
そっと両肩を押しつつ、レイフォンが僅かに後ろに下がる。
行かなければならないのだ。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
メイシェンの頬を、止めどなく流れる涙を見詰めつつ踵を返す。
その動作の途中、視線だけでリーリンにお願いをする。
この瞬間ほど、幼馴染みの存在が大きいと思ったことはなかった。
メイシェンとミィフィが極限状態にある中で、リーリンはおそらく余裕を持っていてくれるだろうと、そう確信してのことだったのだが、何故か凄まじい殺意の視線で突き刺された。
疑問ではあるのだが、それにかまっていられる余裕など無い。
「大丈夫だ。私は脇でこそこそしているだけだから、レイとんよりもずっと安全なところにいるんだから」
「う、うん」
「じゃあ、メイのこと頼むな。それと、リンちゃんにあまり迷惑かけるなよ」
「善処するよ」
ナルキの方も、ミィフィにきちんと挨拶をすることが出来たようだ。
なんだか、出張に行く父親と聞き分けのない娘のような会話に聞こえるが、それでも、レイフォンのよりはよほどしっかりとしている。
ナルキも踵を返したところで、二人そろって歩き出す。
心と体を戦闘態勢に切り替えつつ、出撃する人間からの視線が、非常に生暖かいことに気が付いた。
特に生暖かいのが、イージェとハイアのそれだ。
相変わらずカメラで一部始終を撮影しているらしいイージェと、呆れているのか怒っているのか、はたまた莫迦にしているのか微妙な表情をしているハイア。
こちらも疑問だが、今はこれからの戦闘へと精神を切り替えなければならない。
出発の時間まで、あと二分。
レイフォン達が出発したのを見届けたリーリンは、非常な理不尽と共に少し上の階にある作業準備室と言うところに来ていた。
レイフォンの気持ちは十分に分かるとは言え、それでもメイシェンのことをリーリンに頼むその無神経さというか、鈍感さはとてもではないが平静でいられるものでは無い。
殺意のこもった視線で見たとしても、何ら批難されるいわれはないのだ。
そんな消化できていない感情と共に、階段を上がった部屋はかなりの人で埋まっていた。
本来は、都市外作業で使う機材を準備したりする場所なのだが、今は完全に戦闘態勢が敷かれている。
万が一のための予備戦力こそ都市の外縁部に用意されているが、ここには救急医療班を始めとした各種支援設備がそろっているのだ。
その中でも異彩を放っているのが、部屋の隅に端末や机を設置して陣取っている、戦略・戦術研究室にいるはずの二人組だ。
なにやら真剣にモニターを見詰め続けている二人だが、別段これから起こる戦闘に備えているという訳ではない。
それは二人の前にあるモニターに映し出されている情報でも十分に分かるという物だ。
「何しているの?」
「うん? お別れはもう済んだ?」
「見送りは済んだわ」
微妙に不吉な言い間違いをするウォリアスを睨んで、単語を修正した後に肯定した。
だが残念なことに、完全に間違いではない。
レイフォンが強いことは知っているが、それでも帰ってこないかも知れないのが戦場だ。
それは、グレンダンにいた頃に嫌と言うほど知った現実である。
そんな現実を無視するかのように、リーリンの質問に答えろと視線で訴えかける。
まだ戦闘が始まっていないとは言え、メイシェンは予断を許せる状態ではないのだ。
残念なことに、今回ミィフィもあまり状況的に安定しているという訳ではない。
あまりこの連中とのんびり話をしていられる訳ではない。
「この後の戦闘を想定して、幾つか準備をね」
そう言いつつ示されたモニターには、ツェルニの保有する質量兵器の状況や、備蓄物資の在庫状況が列挙されていた。
どう考えても、今回の戦闘で使う情報でないのは、素人のリーリンにも十分すぎるほど理解できようという物だ。
「今回のは良いの?」
「今回は勝てるよ。前線が突破されたら、次でツェルニは滅ぶけれどね」
あっさりと恐ろしい予測をするウォリアスの表情には、しかし全くもって悲観した様子はなかった。
それは隣に座るディンにも言えることだ。
レイフォン達が失敗するとは全く考えていないようだ。
万が一突破されたとしても、汚染獣も無傷では済まないはずだ。
傷付いた汚染獣ならば、ツェルニに残る戦力でも撃退は可能だと判断しているのだろう。
当然、それはじり貧の状況を招くために、この次の戦闘に耐えられる保証が無くなるが。
そもそも、この二人の役割は事前の準備であって、前線での指揮や運用ではない。
冷静に見える二人は、そう見せかけているだけかも知れないし、もしかしたら、この次の準備をすることで内に潜んでいる恐怖と戦っているのかも知れないのだ。
「いつまで続くのかしら」
二人の内面が気になったついでではないだろうが、リーリンがもっとも心配することが思わず口から漏れてしまった。
これがグレンダンだったら、そんなに問題はなかった。
リーリンが生まれる前から汚染獣と戦い、そして生き残ってきた最強の都市。
天剣授受者という絶対の守護者を頂点とした、戦場で研ぎ澄まされてきた熟練の武芸者達が居るグレンダンならば、何の不安もなく日常を過ごすことが出来た。
もちろん、レイフォンが帰らないかも知れないと言う心配はあった物の、それ以外は非常に落ち着いて生活することが出来ていた。
だがここはツェルニなのだ。
天剣授受者は居ない。
レイフォンは居るが、全力を出すことが出来ない。
熟練の武芸者さえいない状況では、この先の戦いは非常に困難な物となるだろう。
それを何とかするために全員で努力しているが、努力が報われる保証など何処にもないのだ。
戦いという現実がある武芸者はまだしも、それが無い一般人の方が先に参ってしまうかも知れない。
「そうだね。廃貴族とやらの眼鏡にかなう武芸者が現れるまでだね」
「それって、何時よ?」
リーリンの小さな声を拾ったらしいウォリアスが返してきたが、それは全く答えになっていなかった。
むしろ不安をあおるという意味では、全くの逆である。
救いがたい事実として、廃貴族の眼鏡にかなう武芸者が出ると言う事は、誰かが犠牲となると言う事だ。
それはそれで、かなり寝覚めが悪い。
だが、このままで行けば、必ず犠牲者が出る。
出る犠牲者を最小限に抑えるならば、廃貴族へ生け贄を差し出すべきかも知れない。
「・・・・・。最低ね」
「最低なことをやるために、僕達や生徒会長が居る訳だね」
そう言うウォリアスの視線は、何時もと全く同じであった。
それが演技なのか、それとも違うのか、リーリンには分からない。
「ここにいても憂鬱になるだけだ。トリンデン達のところに行くべきだな。後二・三時間で戦闘開始だ」
今まで黙っていたディンに指摘されるまでもなく、少しでも明るい材料を探してここに来たというのに、得られた物は今まで以上の重苦しさだけだった。
完全に来る場所を間違えてしまった。
溜息をつきつつ、メイシェン達の待つ場所へと向かうしかない。
安易な太鼓判を押されるよりもましだと思う以外に、平静を装う材料がなかった。
ツェルニからランドローラーで走る事二時間少々。
今ゴルネオの目の前には、未だ休眠中の汚染獣が横たわっている。
その数十二体。
全てが雄性一期と言った感じだが、幼生体と比べることが出来ないほどの巨体を前に、第二中隊に所属する武芸者達はやや怯えたような視線を交わし合っている。
それは無理ないとゴルネオも思う。
幼生体戦はレイフォンに勝たせて貰った。
老性体戦は殆どの武芸者は、最近になって映像で見ただけ。
通算二度目の実戦が雄性一期というのは、かなりきつい物がある。
グレンダンのように、熟練した武芸者が後見人となっているのならば、それ程恐れることはないのだが、生憎と今回レイフォンも他の汚染獣を相手にしなければならない。
これだけ悪条件がそろっていて、未だに泣き出す人間がいないと言う事だけでも、十分に賞賛に値する状況と言えるだろう。
だが、このままではいけないのも間違いはない。
特に、第二中隊長となったゴルネオにとって、現状の怯えた武芸者が居ることは、非常に危険である。
「良く聞けお前達」
ならば、何とかして士気を上げて目の前の戦いに勝たなければならない。
これから先も、ツェルニが何度汚染獣と戦うか分からないが、全く戦わなかったとしても、実戦を経験した武芸者は非常に貴重なのだ。
一人でも多くの戦力を連れて帰らなければならない。
「これから雄性体との戦闘へ突入する。改めてここで覚悟を決めて貰うぞ」
蛮勇は要らない。
自己犠牲も要らない。
必要なのは戦い、勝ち、そして何よりも生き残って次に備えることだ。
「良いか。動けなくなった奴は見捨てろ」
だから、あえてゴルネオはこう切り出した。
周り中の空気が、一気に緊張の度合いを増す。
「助けようとしたら被害が倍増する。苦しんで死にたくなかったら自害しろ」
冷酷に、戦場でどうするかを部下達に伝える。
何時かのレイフォンのように、徹底的に冷酷に。
「守るべきは仲間ではなく都市だ。そのために必要なことは、臆病になることだ」
仲間のために命がけで戦う。
耳に心地よいが、今回そんな事を言っている余裕はツェルニには無い。
「卑怯と言われようと時間がかかろうと、出来うる限り被害を少なくするために臆病になれ。だが、自分で動けなくなったら即座に見捨てる。ここはそう言う戦場だと言う事を心に叩き込んでおけ」
あえて命令する。
命令を出したゴルネオが、全ての責任を取るために、部下達に仲間を見捨てろと、そう厳命する。
そうしなければ、戦力の少ないツェルニなどすぐに滅んでしまうから。
「各自装備の点検にかかれ」
ゴルネオの言葉を聞いて動揺している人間も多いが、それでも、自分の命がかかっている以上、装備の点検の手を抜くなど考えられない。
戦略・戦術研究室が作らせた、こんな時のための装備があるかどうかで、本当に生死を分けてしまうかも知れないから。
ふと、隣から視線を感じた。
やや不安そうに見上げているシャンテだ。
軽くヘルメットを叩いて、言うほど大変な戦いではないのだと、そう伝える。
そう。レイフォンを相手に自然に組まれていった中隊一つで、たかだか雄性体を一体片付けるだけで良いのだ。
連携が乱れた途端に、轟音を響かせつつ飛んでくる衝剄に比べたら、汚染獣の突進や触手の攻撃など、笑えるほどに大雑把で未熟な攻撃でしかない。
全く恐れることはない、とは言えないが、それでも驚異度としては明らかにレイフォンの方が大きかった。
まあ、元と付いても天剣授受者である。
雄性体と比べること自体が大きな間違いではある。
そして、そのレイフォンへと視線を向ける。
少し離れた場所にある大きな岩の上に座り込み、念威端子越しでなにやら話し込んでいるらしい。
流石にもの凄い落ち着き様だ。
ふと気が付けば、何人もの視線がレイフォンへと向けられている。
助けてくれるとは思わないだろうが、それでも安心できる事実ではあるのだろう。
万が一にも、ツェルニに被害は及ばないと、そう確信出来るのならば、僅かでも余裕を持つことが出来るのだ。
それで十分ではないだろうか。
そろそろ戦闘が始まろうとしている頃合いだというのに、ニーナは訓練場で散々打ちのめされていた。
いや。第四中隊の全員が地面に転がされている。
相手はたったの一人。
老年に達しているはずの、顔の左半分に刺青をした武芸者にだ。
レイフォンほどの強大な衝剄を撃ってくると言うことはなかったが、それでも、その一撃はとても重く、防御において自信を持っていたはずのニーナでさえ、ただの一撃で吹き飛ばされたほどだ。
ツェルニの外では、二個中隊と傭兵団、そしてレイフォンが汚染獣と戦っているというのに、ニーナ達は為す術無く新たな教官に打ちのめされてしまっているのだ。
その事実こそが、身体の痛み以上にニーナを責めさいなんでいる。
「こ、こんな所で遊んでいる暇はないんだ!!」
「ほう。遊びのつもりだったのかね?」
思わず漏れたニーナの言葉に、きちんと反応するリュホウ。
戦闘要員だけで二十人になる第四中隊と戦い、圧倒的な実力差を見せつけた熟練の武芸者は、息一つ乱すことなくニーナの側に歩いてくる。
右手に握られているのは、レイフォンが持っている物よりも一回り小さい刀だ。
一応刃止めはされているようだが、そんな物はただの気休めでしかない。
そのつもりになりさえすれば、骨を断ち肉を裂き、容易に人を殺すことが出来ることはレイフォンやイージェで十分すぎるほどに証明されている。
「遊びに付き合うつもりなど無い。君達が戦場に出たところで、足手まといになるだけだと言うことを、折角教えてあげているのに、分かってもらえないのかね?」
違う。
この老人は、レイフォンとさえ一線を画す武芸者だ。
剄量を計算に入れた実力差ならば、レイフォンの方が上だろうが、潜った修羅場の数は遙かにリュホウが上だ。
それは純粋な戦いだけの話では無い。
教育者として、色々な都市で教えてきたその実績が、リュホウをしてレイフォンと比べてさえ一線を画す武芸者としているのだ。
この危機的状況で、このような人物に師事できることは、おそらくツェルニにとってもニーナにとっても幸運なことなのだと思う。
そう思うが、それでも、戦場に出ているレイフォン達のことを思うと、今すぐにでも駆けつけたいのだ。
「分からないのかね? 君達は二十人。私はただの一人。一撃を入れることはもちろん、倒すこととてそれ程難しくはない」
これは嘘だと思う。
確かに、レイフォンのような異常な強さという訳ではないが、それでもニーナからすればイージェを越える化け物に他ならない。
幼生体の襲撃からこちら、イージェという教官を得て実力は上がったはずだった。
レイフォンを汚染獣に見立てた訓練で、連携訓練も積んだはずだった。
だが、それでも目の前の老武芸者には全く通用しなかった。
中隊としての練度が今ひとつだと言うことも、レイフォン相手の訓練で他の中隊に比べて、遙かに被害が多く戦果が少ないと言う事も、ただの言い訳にしか過ぎない。
「それでも、私に止まることは許されないのだ!!」
叫びつつ活剄を総動員して立ち上がる。
双鉄鞭を構えて、全身に力を入れ、そして打ち倒された。
「寝ろ!」
「っが!」
刀の一閃で吹き飛ばされ、そして仰向けに倒れた瞬間、追撃の拳が鳩尾に突き刺さった。
全ての空気が肺から迸り出て、そして意識が遠のいて行く。
「指揮官とは味方を殺して成果を出す、非常に徹しなければならない立場なのだと、そう認識したまえ」
犠牲を出さないために指揮官が居るはずだというのに、リュホウはそれを真っ向から否定した。
それが正しいのだとは思うが、断じて認めることは出来ない。
そこでふと、ウォリアスの講義中にヴァンゼが乱入してきた時のことを思い出した。
あの時ヴァンゼは言った。
既にレイフォンの犠牲の上にカリアンやヴァンゼ、そしてニーナはいるのだと。
それも多分正しいのだろうと思う。
だが、それでも、ニーナはニーナ自身を含めた誰かの犠牲を認めることは出来ない。
だが、現実に汚染獣との戦闘に参加することも出来ずに、ここでリュホウに打ちのめされてしまっている状況だ。
ゆっくりと意識が遠のく中、ならばどうしたら良いのだろうかという疑問が、頭の中に浮かんできた。
「その認識を得て始めて、指揮官とは犠牲を極力出さずに成果を出すことが出来るのだ。そして、そのためにこそ指揮官は卑怯で悪辣であることが何よりも求められるのだよ。正面から馬鹿正直に戦うことしかできないのならば、末端の兵士でいるべきだね」
そうリュホウの声が聞こえたような気がしたが、定かではない。
後書きに代えて。
と言う事で、戦闘直前の風景をお送りしました。
リュホウが指揮官について語っていますが、これは完全に俺の偏見の固まりですので、信じない方がよろしいかと思います。
さて、この次は第七話の終わりになります。
メルルンは誰にk寄生するのでしょうね?