その日ハイアは病院のベッドの上で悶絶していた。
レイフォンにこれ以上無いくらいの敗北を喫してから、既に一週間が流れている。
その間に色々なことがあった。
生徒会長とか言う銀髪の腹黒悪魔がやってきて、不法入都を見逃す代わりにツェルニ武芸者を鍛えてくれないかと持ちかけられたり、ミィフィの持ち込んだ映像記憶素子を見てしまったミュンファが、なにやら動揺著しくハイアの元から逃げ出したりと、色々あった。
何よりも驚いたのは、パジャマを着たナルキと遭遇したことだろう。
そう。生地の薄い服を着ていて始めて分かったのだが、胸付近が膨らんでいるのだ。
なにやら変な病気でなければ、オカマだとずっと信じてきた警官は、女性だったと言う事となる。
ミィフィの見下すような視線も、ミュンファの批難の視線も、メイシェンの不満げな態度も、認めることは非常に腹立たしいのだが、レイフォンの怒りも納得が行こうという物だ。
目があった途端、ナルキに殴りかかられたりしても、あまり文句は言えなかったのだが、犯罪者ではないと言う事になっているために実力行使はなかった。
もちろん、冷たいと言うにはあまりにもさげすんだ目で見られたが、実力行使だけはなかった。
もちろん、万全な状態だったら返り討ちに出来るのだが、レイフォンとの戦闘での負傷は思ったよりも後に引いているために、今のところまだろくな戦闘能力を回復できていないのだ。
今襲われたら、幼生体はおろか、学生武芸者にさえ遅れを取ってしまうだろう程には、ハイアの傷は回復していないのだ。
そんな中、一週間目にして最悪の人物が入院中のハイアの元へとやって来たのだ。
「よう。兄弟」
二十代中盤の青年だった。
黒い髪をやや長めにして、皮肉げな黒い瞳がハイアを見下ろしている。
着ている服は、最大限譲歩して、着崩しているといった感じだ。
無駄なく鍛えられたその肉体を見るまでもなく、周りの空気は明らかに熟練の武芸者のそれだ。
そして、ハイアの記憶の中にこんな兄弟はいない。
親の記憶などと言う物は無いので、もしかしたらハイアが知らないだけかも知れないが、それでもこんな兄弟はいないはずだ。
「誰さぁ? オレッチに兄弟はいないさぁ」
「ああ? 同じサイハーデンの継承者で、同じレイフォンにぼこられた仲じゃねぇか。かてえこと言うなよ」
当然のハイアの返答に、当然の様に返された答えで、一気にテンションが下がりまくった。
サイハーデンらしいと言う事は、その立ち居振る舞いからおおよそ分かっていた。
同門だからこそ、僅かな空気の揺らぎからでも見分けることが出来るのだが、まさかレイフォンに挑んで一方的に叩きのめされたところまで同じだとは思いもよらなかった。
それにしては全く悔しそうでないが、人それぞれだからハイアはあまり気にしない。
だが、次の単語ははっきりと気になった。
「所で、そのレイフォンに一矢報いたくねえか?」
「さあ?」
ニヤニヤと言うには、やや苦味のある笑みと共に皮肉げな視線が少し鋭さを増す。
本気であるらしいことは間違いないが、二人掛かりで戦って勝つというのは、ハイアのやり方としてはあまり上位ではない。
最上の勝ち方としては、当然一対一で戦った末の結果であるが、二対一というのはギリギリ合格ラインと言ったところである。
ただ勝てばいいと言う訳ではないのだ。
特に元天剣授受者のレイフォン相手には、戦い方と同じように勝ち方が重要なのだ。
前回のように、茶髪猫に一方的にボコられた末の敗北とかは、絶対に避けねばならない。
一度は仕方が無いが、二度目など有ってはならないのだ。
「やるんなら勝手にやって、勝手にぶちのめされるさぁ」
と言う訳で、この青年の話は断ることとした。
戦い方や勝ち方もそうだが、なにやら危険な匂いがするのだ。
そう。例えばあの茶髪猫と同じような、危険な匂いがしているのだ。
近付かないに越したことはない。
「ああ? 折角ヨルテム秘伝のレイフォン暗殺術を会得したってのによ」
「・・・・・・・。突っ込みどころ満載な危ない話は、絶対にお断りさ」
ヨルテムと言えば、あの茶髪猫の故郷である。
それに、秘伝なんて物をおいそれと披露するはずがない。
更に、暗殺術などと言われてしまった。
総合的に判断するまでもなく、こんな怪しげで危ない話には関わらない方が良いと結論付けた。
「ああ? なんだてめえ。危ない橋の方を喜んで渡るんじゃねえのか?」
「オレッチはそんな趣味はないさぁ」
傭兵団の長などと言う職業は、たいがいにおいて危険と隣り合わせな物だ。
ならば、もっとも重要視すべき事柄は、危険と利益を天秤にかけて判断を下すことだ。
危険ばかり多くて実入りがない仕事などは、きちんと断るのが優秀な傭兵団長の、最低限の資質と言っても過言ではない。
そしてこの場合、ハイア個人の趣味が大きく関わっているが、それでも尚、この男の話は危険であると判断したのだ。
「成る程な。じゃあ、レイフォンの首は俺が貰っちまうけれど、それで文句は無いよな?」
「かまわないさぁ。ヴォルフシュテインに勝ったら、お前にオレッチが勝って、オレッチこそが最強さぁ」
「ほう。でかい口叩くじゃないか」
まだ名前も聞いていない、同門の男の視線が、急激に厳しさを増した。
そして、だらしなく着ていたシャツの胸ポケットへと手が伸びる。
次の瞬間、ハイアは今までで最も屈辱に満ちた敗北を味わう羽目になったのだった。
途中経過は全く不明だが、何故かナルキは練武館近くの体育館に来ている。
入学直後に腹黒陰険眼鏡な生徒会長の取り計らいで、レイフォンと一戦交えてしまった場所である。
ここにいるのは、ある意味そうそうたるメンバーだ。
カリアンこそいないが、第一小隊と第五小隊の面々はそろっているし、第十七小隊もフェリ以外は来ている。
メイシェンやミィフィと言った一般人は来ていないが、当然の様にウォリアスはナルキの隣に座って、ポップコーンを食べつつ観戦するつもりのようだ。
そして何よりも問題なのは、体育館の中央に佇む二人の存在である。
そう。イージェとレイフォンだ。
何時も通りにニヤニヤとした笑いを浮かべたイージェは、自信満々でこの場に望んでいるが、対するレイフォンはやや疲れたような表情で脱力気味に見える。
対照的な二人である。
イージェが登場した頃は、二人はよく似ていると思っていたのだが、徐々に本性を現してきたためにこのような構図と相成っているのだ。
化けの皮が剥がれたというか、ツェルニになじんでしまったのだろうと思う。
レイフォンが疲れ切っているのは、きっと無理矢理この場に引っ張り出されたからだろう。
何時も通りに不幸な奴だと、心の中で軽く同情しつつ事の成り行きを見る。
「良く来たなレイフォン」
「来なかったらメイシェンのスカートを毎日めくるって脅しておいて、どの口で言っているんですか?」
ナルキを瞬殺できるはずのハイアを、激怒したレイフォンを使って廃棄物へ変えたというミィフィの武勇伝は聞いている。
イージェも同じ道を歩む寸前だったことが分かったが、今回は未遂なので安心だ。
と言うか、レイフォンと戦うためだけにそんな危ない橋を渡ってしまう辺り、イージェという武芸者の人格が非常に疑わしい。
このままでは、イージェと同門と言うだけで、ナルキも駄目人間のレッテルを貼られてしまうかも知れないと、そんな恐るべき予想が脳にちらついた。
「うへへへへ。だってよ、そうでもしねえとお前全然戦ってくれないじゃないか」
「嫌だよ。イージェとやると疲れるんだもの」
「うへへへへ。そうかそうか」
「どんな罠張ってるか分からないし」
イージェと戦った後、確かにレイフォンは疲れ切っているように見える。
だが、それは実力が拮抗しているからと言う訳ではない。
どんな悪巧みをされているか分からないという、隣に座っている極悪武芸者と同じ種類の精神的緊張から来る物だ。
「だってよぉ。普通にやったら勝てねえんだもん」
「もんじゃないでしょう! もんじゃ!!」
このやりとりだけで、レイフォンのやる気は見る見ると減って行くのが分かった。
既にイージェの術中に填ってしまっているようだ。
そして、脱出の方法などレイフォンの手にないのも間違いない。
「さっさとやって、さっさと帰りたいんだけれど」
「いいぜ? 今日こそ貴様をぶちのめして俺が最強であることを証明してやる」
今まで、つい一瞬前まで弛みまくっていたイージェの空気が、恐るべき速度で張り詰めた。
そして右手が伸び、ベルトに突き刺さっている錬金鋼を引き抜く。
そして何故か、左手は胸ポケットへと伸びていた。
「イージェ?」
「じゃあ、行くぜ!!」
「イージェ!」
「へぶ!!」
イージェの左手がひらめいた瞬間、何故かレイフォンが少し慌てて制止したが、全ては一瞬で終わってしまった。
イージェの左手につままれた、なにやら掌サイズの紙が宙を舞った。
そして、レイフォンの右手が完璧にイージェの顔面を捉えていた。
全ては一瞬の出来事だった。
「それは危ないから止めた方が良いよって、もう遅いね」
「ぼ、ぼぞい」
宙を舞っていた紙片が床に落ちる、微かな音が沈黙に支配された体育館に木霊した。
もはや何が起こったかさっぱり分からない。
周りを見てみれば、ウォリアスを除いた全員がナルキと同じように、解説してくれる人間を捜している。
となれば。
「ウッチンよ?」
「僕が前に使った手は覚えているよね?」
「ああ」
代表してナルキがウォリアスへと質問をする。
そして返ってきた答えは、ある意味懐かしい物だった。
今回と同じ場所で、ナルキも協力してレイフォンに強烈な敗北を叩きつけた、凶悪な作戦だ。
あの時はメイシェンを使ったが、今回は紙切れだった。
ならば、白い面を上にして落ちているのは、間違いなく写真だ。
「とても卑猥な写真を見せて、レイフォンを動揺させて、その隙に勝ってしまおうという、対レイフォン戦術の根幹だね」
「・・・・・・・・・」
全員の視線がイージェを捉える。
間違っているなどと言う事はあり得ないが、念のための確認は必要なのだ。
だが、十八才未満は見ない方が良いかもしれない写真に、手を伸ばそうとする猛者は決して存在しない。
そんな事をしたのならば、この後の学園生活が非常に窮屈になってしまうから。
その沈黙を嫌ったのか、レイフォンが軽く左手を振りつつ言葉を発するが、それはあまりにも恐ろしい内容だった。
「同じような手をヨルテムで散々食らったから、返し技を身につけたんだ」
「返し技って、そんなもん有るのか?」
「有るよ」
物理的な技だったら返すことも出来るだろうが、精神面への攻撃は極めて対応が難しい。
それは、ある意味レイフォンが変革を遂げなければならないと言う事を意味していると思うのだが、知り合った頃から何かが変わったと言う印象はあまり受けない。
もし変わっていたら、とっくにメイシェンは人妻になっていることだろうし。
いや。現実はもっと問題に満ちあふれている。
ヨルテムで散々食らったと言っていた。
つまり、交差騎士団がこの戦術を多用したと言う事に他ならない。
ヨルテムが誇る武芸者集団であるはずの交差騎士団が、こんな卑劣な手を多用したという事実に、ナルキは途方に暮れる思いがした。
「・・・・・・」
だが、団長であるダンの厳つい割ににやけた顔を思い出して、十分にあり得ることだと断言した。
もしかしたら、ナルキが知らないだけで、世の中には駄目な人間が溢れているのかも知れないと、そう考えてしまう。
「兎に角、卑猥な物を出した人を見たら、即座にぶん殴る」
「・・・・・・。成る程」
「手加減が効かないことが多いんで、かなり危ないから止めようと思ったんだけれど、イージェの方が速かったんだ」
「・・・・・・」
何故、行動を起こす前のイージェに声をかけたかが、これで嫌になるくらい分かった。
分かりたくないというのに、十分すぎるほどに分かってしまった。
気分は最低最悪だ。
そして、ウォリアスが勝てたのは写真ではなくメイシェンを使ったからに他ならず、危うい勝利だったのだと今になって分かった。
「うへへへ。人から譲り受けた技なんぞ、そうそう役に立たないと言う事が分かっただけで十分儲け物だな」
鼻血を盛大に流しつつにやけるイージェに、少しだけ感動を覚えてしまった。
間違いなく気のせいだけれど。
そして、流れる血をそのままに刀を構え治す。
まだやるつもりのようだ。
「これからが本番だぜ!!」
清眼に構えた刀を、横一文字に持って行く。
そして、そのしのぎを覗き込むような姿勢となり。
「我、不敗也。我、無敵也。我、最強也」
そう呟いた、イージェの周りの空気が、今まで以上に張り詰め、その身体が一回り大きくなった錯覚を覚えた。
何かの技を使ったようだが、当然のことナルキには分からない。
今まで習ったサイハーデンにこんな物はなかった。
・・・・・・・。いや。
「ウッチンよ?」
「自己暗示だね」
「だよな」
漫画で見たことがある。
しかもかなり昔の奴だ。
実際にこんな場面に遭遇することになるとは、全くもって思いもよらなかったが、ナルキ自身一度やっているから、もしかしたらヨルテム武芸者のお家芸なのかも知れない。
凄まじく嫌な予測に、思わず寒気を感じてしまった。
「ネタは漫画だけれどな。俺なりの改良をしてあるから気をつけろよ?」
ナルキの寒気など知らぬげに話は進む。
レイフォンを見るイージェの視線はあくまでも透明で鋭く、何よりも恐ろしく研ぎ澄まされていた。
これこそが、イージェの本気なのだと言う事がはっきりとした。
「自己暗示で、恐怖を押さえ込んだり攻撃衝動を激しくしたりするのは、割と色んな都市でやっていることだね。ただね」
「・・・。ああ」
漫画でこれをやったキャラは、主役に一撃で倒されてしまったはずだ。
そして、恐怖心を押さえ込み攻撃衝動を前面に押し出し、潜在能力を引き出したとしても地力の違いは克服できないのだ。
最終的にイージェの実力では、どう足掻いてもレイフォンの敵ではない。
「良いですよ。どんな技でも好きなだけ使えばいい」
そう言いつつ、刀を左の腰へと回す。
そして、左手で刀身を下から支えるように包み込んだ。
抜刀術。では無く。
「ふははははは!! レイフォン! 貴様の負けだ!!」
それを見た次の瞬間、イージェが全力で突っ込む。
その速度は、予め活剄で視力関連を強化していたナルキでさえ、捉えることが困難なほどの速度だった。
その速度のまま、大上段に構えた刀を。
「ごふ!」
振り下ろす前に、二歩前へと進んだレイフォンの焔切りが腹筋に食い込んでいた。
当然の結果である。
「鞘がないことくらい十分に承知していますから。普通に焔切りを使うでしょう」
「へ、へへへへ。そうだよなぁ」
そう言いつつ崩れ落ちるイージェ。
当然の結果に、会場を失望の溜息が支配したのは当然のことである。
だがナルキはそんな失望とは無縁だった。
ギャグ的な展開に付き合っていられる精神状態にはないのだ。
とても気になることが二つあるのだ。
「自己暗示って、必要だと思うか?」
「そうだねぇ。使えて困ることはないと思うよ」
実戦などと言う物は、幼生体との戦い一回きりである。
ヨルテムでは遠くから見ていただけだった。
老性体戦では、万が一レイフォンが倒された場合に汚染獣を引き寄せて、罠に落とすための予備戦力として、やはりかなり遠くから見ていただけだった。
だが、その僅かな経験しか持たないナルキでも十分に分かる。
汚染獣との戦いは、まさに生存競争なのだ。
食うか食われるか。
その戦場で、恐怖で身体が動かないなどと言うことは、有ってはならない事態だ。
だが、始めて戦場に出る武芸者が、全員冷静に判断して行動できるとはとうてい思えない。
レイフォンでさえ、初陣の時は恐怖に支配されたというのに、ナルキがそうならないなどとはとうてい思えない。
幼生体戦は、都市内で支援が十分にあったために冷静に行動できたが、もっと強力な奴との戦いで同じように行動できると言う保証はない。
ならば、自己暗示だろうと何だろうと使うべきだと思うのだが、ウォリアスは少し否定的な視線の動きでナルキを見る。
「恐怖というのは、適度にあると脳の計算能力が上がって、何時もよりも敏捷に行動できるんだ。それをごっそり無くすのは、あまりお勧めできないかな?」
「そ、そうなのか?」
「そ。僕も老性体戦で使ったけれど、あれはあまり頻繁に使うべきじゃないと思う」
「使ったのか?」
老性体戦と言えば、ついこの間遭遇した奴のことだ。
あの時、ウォリアスはただレイフォンが来るのを待っていただけで何かをしていた訳ではない。
そのはずだ。
「僕が役に立つと言う事は、レイフォンが死んで、僕自身が老性体に食われると言う事を意味したからね。そのための準備をしていた」
「そ、それは」
今まで考えたこともなかったが、老性体戦でウォリアスは自らの死と引き替えに老性体に大打撃を与えるために、あの場所にいたのだ。
ナルキ達と違い、ただ一人で荒野の真ん中に。
ある意味、戦いに夢中になっていたレイフォンよりも、遙かに厳しい環境で自分の死を見続けていたのかも知れない。
「あの時僕は、これは映画で食われても痛くもかゆくもないし、死ぬなんて事はないって自己暗示をかけ続けていた。そうしなかったらいざという時にナパームの入った容器を放り出して、全力で逃げていたはずだからね」
ナルキは、すぐ隣にレイフォン以上の怪物が座っていることに気が付いた。
剄脈が小さく、一般的な武芸者の基準では最弱かも知れないが、恐るべき未来予想図を正確に描いて、黙々とそれに備えるという、気が狂いそうな精神状態に耐え抜いた、おそらくツェルニ最強の武芸者が隣に座っているのだ。
そのウォリアスがあまり使うべきではないというのだ。
「きちんと訓練して、恐怖を克服することの方が重要だね。自己暗示は邪道だし、後々の日常生活に問題が出るかも知れない、麻薬を使った時の効果を自分で発揮するだけだよ」
言われて見れば、確かにそうかも知れないとも思う。
最終的には、脳内物質をコントロールして精神状態を変化させるのだから、恐怖を克服するような強力な自己暗示は危険かも知れない。
それは、また後で考えることとして、ナルキにはもう一つ聞きたいことがあるのだ。
そしてそれは、ある意味自己暗示よりも遙かに重要な問題なのだ。
「所でウォリアス。是非とも正直に答えて欲しい質問があるんだが」
「なんだい? 僕に答えられる物だったら」
ナルキの周りの空気が、一瞬にして張り詰める。
それはこの体育館全てへと伝わり、あんまりな展開で脱力していた武芸科の全員が緊張するのが分かった。
そしてナルキは、決定的な質問を発する。
「サイハーデンは、駄目人間の大量製造流派かなんかか?」
「っごわ!」
中央で刀を持ち、イージェを見下ろしていたレイフォンがもんどり打って倒れる。
剄脈が絡むと、ツェルニ最強の武芸者であることは間違いないが、精神面が著しく不安定で弱いところのあるレイフォンにとって、この質問がどれだけのダメージを与えるか、それは十分に理解しているが、それでも聞かなければとても落ち着けない気分になるのだ。
そう。ナルキは現在サイハーデンを学んでいるのだ。
最悪の展開として、ナルキまでも駄目人間になるかも知れないのだ。
それを避けるべく行動するのは、人間として間違っていないだろう。
「ふむ。そうだね。強い流派など存在しない。いるのは強い武芸者だけだ」
会場全体が固唾を飲んで見守る中、ウォリアスの声が微かに空気を震わせる。
そして、この答えは少しだけナルキを安心させた。
「駄目な人間がサイハーデンを納めていると言うだけで、流派自体は問題無いと思うけれど・・・」
言葉の最後が濁された。
そしてそれはある意味予想通りだ。
幼生体との戦いの直後、イージェがいっていた事とも関連する。
サイハーデンの技を全てを納めると、放浪癖も付いてくるとイージェは言っていた。
例外は当然あるのだが、それでも間接的に知っている武芸者の多くは生まれた都市を離れて、旅を重ねて生きているのだ。
つまり、駄目人間大量製造流派だという疑惑を、完全に否定することは不可能。
そもそも、不可能の証明は非常に難しいのだ。
俄然不安になってきた。
「取り敢えず、ナルキが頑張って駄目人間以外でもサイハーデンを使えると言う事を、この世界に知らしめるというのはどうだろう? それ以前に駄目じゃない武芸者っていないの?」
「・・・・。いる」
聞かれて思いだした。
そう。ヨルテムのサイハーデンの継承者たるイージェの父親は、立派な人物だった。
武芸者としてはそれ程突出した実力を持ってはいなかったが、武芸に対しては非常に厳しい姿勢を貫く人だったが、それでも駄目人間などとはとうてい呼べない人だったと断言できる。
子供は決定的に駄目人間だが、父親は違ったのだ。
「少しだけ明るい未来を見られるような気がしてきたよ」
「頑張れナルキ。サイハーデンの命運はお前さんの肩に掛かっているぞ」
他人事な台詞だが、それでもナルキにとっては十分な励ましだった。
だが、ふとここでもう一つの危険性に気が付いた。
そう。サイハーデンを納めた優秀な武芸者は、駄目人間になってしまうのではないかという危険性だ。
中央付近でぶっ倒れている二人とか。
折角明るい未来を予測できたナルキだったが、目の前には凄まじい暗雲が立ちこめていることにも気が付いた。
一部始終をこっそりとのぞき見していたハイアは、オカマ警官ことナルキの懸念を払拭することが出来ない自分に、恐るべき自己嫌悪に陥っていた。
客観的に見ると、確かにハイアは駄目人間である。
思わず本能的な発言をして墓穴を掘ってみたり、八つ当たり気味にメイシェンを怖がらせてみたりと、色々と反省するべき所があるのだ。
イージェというヨルテム出身の武芸者が敗北したことは、これはどうでも良い。
病室にいたハイアを一撃の下に戦闘不能にした、その手腕は見事としか言いようがなかったが、同じ手をくらい続ければ対抗策を用意するのは当然のことであり、何時までも同じ手が通用することの方が遙かに異常なのが武芸者の世界だ。
「ハイアちゃん?」
「帰るさ。ここにいる理由はもう無いさ」
一緒に付いてきたミュンファの方を極力見ないように注意しつつ、ハイアな阿鼻叫喚の地獄となり果てた建物からの脱出を試みる。
そう。サイハーデンの武芸者にとっての地獄から、とっとと逃げ出すのだ。
イージェの策にまんまと填り、第十一肋骨の先端を丁寧にマッサージされ、剄息も出来ないまま三十秒という長きにわたって悶絶した記憶と共に、この地獄から逃げるのだ。
別段卑猥な映像などと言う物に興味はない。
ぱっと見ミュンファにそっくりだったために、思わず突きつけられた写真に注意が行ってしまっただけなのだ。
断じてミュンファの方が胸が大きそうだなどとは思っていない。
写真の女性が着ていた服を、ミュンファに着せたら凄そうだなどとは、全くこれっぽっちも思っていないのだ。
思っていないが、それでも、現状でミュンファと目を合わせることが非常に気恥ずかしいのだ。
と言う事で、痛む身体に鞭打ちつつ、無理に前だけ向いて背後の地獄から遠ざかるのだ。
ここは地の果てグレンダン。
強者の天国、弱者の地獄。
弱肉強食を体現する戦う都市。
そのグレンダンの外縁部にほど近い、零細武門サイハーデンの道場、そこに併設される居住区域の、部屋の半分近くを占領するベッドの上で、リチャードは唐突に目覚めた。
グレンダンの学校的に休日ではあるが、朝の鍛錬があるために普段からかなり早起きである。
武芸者の割に早起きが苦手なデルクとは偉い違いだが、養父の苦手な部分を補佐するのもリチャードの勤めだと思い、かなり速く目覚める習慣が付いているのだが、今度ばかりは異常だった。
時間がでは無い。
深夜と呼べる時間に、サヴァリスの襲撃を受けるなどと言う事でもない限り、朝まで目が覚めるなどと言うことは滅多にない。
時間は何時も通りだった。
目覚めた場所がでもない。
気が付いたら見知らぬ都市の、芝生の上で寝ていたとか、汚染物質に支配されていない上に、自律型移動都市が存在していない世界で目覚めた訳でもない。
時間も場所も何時も通りだった。
では、何が異常だったのか?
寝ている人間がである。
別段、リチャードが別の誰かに変わったと言う訳ではない。
そう。同じベッドにもう一人入り込んでいただけなのだ。
しかも、驚くべき事にうら若い女性である。
だが、喜んではいけない。
喜べるようなシチュエーションではないし、人物でもないからだ。
「な、何をやっているんですか!!」
驚き慌て、覆いに取り乱しつつリチャードの腕を抱きかかえるようにして横たわる、黒髪で長身の女性に声をかける。
強いて救いがあるところを探すとすれば、熱くなかったためにきちんと寝間着で眠っていたと言う事だろう。
そう。リチャードだけが。
「お早う御座いますリチャード」
普通に返事をしたように見えるその女性は、薄いネグリジェ一枚をその身に纏っているだけだった。
思春期真っ盛りなリチャードにとって、それはもはや衝撃を通り越して破滅的な破壊力を秘めていた。
いや。思春期かどうかは別としても、凄まじく破壊的な威力を秘めていた。
そう。その女性とは。
「カナリスさん」
「はい?」
強者の天国グレンダンで、その名を轟かせる天剣授受者の一人にして、女王アルシェイラの影武者であり、更に執務代行をやっているという恐るべき立場にいる女性だったのだ。
どうしてリチャードのベッドの中にいるのか、それが気になると言えばなるが、それ以上に恐るべき状況であることも認識していた。
そう。リチャードの感覚で捉えられなかったのだ。
いや。
「眠っている間は感知できないのか」
「そのようですね」
平然とした態度を装いつつ、そう答えるカナリスではあったのだが、その頬は隠しようがないほど紅く、瞳が潤んでいるような気がする。
これはリチャードがどうのこうのではなく、おそらくアルシェイラに無理矢理やらされたせいで、色々と胸の中が荒れ狂っているためだろう。
つくづく不憫な人である。
だが!!
「リチャード」
「何ですか?」
突如として、今までにない厳しい視線で見詰められた。
それはもう、これからお前を殺すと言われるのではないかと言うくらいに、凄まじく厳しく鋭い視線だった。
そして、このリチャードの予測はある意味正しかったのである。
「着替えたいので」
「あ? ああ。俺はそっぽを向いていますから」
女性の着替えというのは、思春期の男の子にとって、かなり魅力的なシチュエーションである。
いや。男と生まれたからには、一度はゆっくりと観察してみたい状況であると断言できる。
だが、それをカナリス相手にするほど、リチャードは命知らずではない。
「申し訳ありません」
「気にしなぐぇ!!」
突如として凄まじい一撃を首筋に貰った。
サヴァリスと初遭遇した時、デルクに撃ち込まれた奴と比べるまでもなく、こちらの方が遙かに強力だ。
そして理解した。
始めからリチャードを眠らせるつもりでいたと言うことを。
薄れ行く意識の中で、次に目覚められるだろうかという不安がよぎってきたが、それも一瞬でしかなかった。
おまけ。
リチャードは死ななかった。
だが、気が付いたのは昼過ぎであり、更に、近くにある病院のベッドの上だった。
その日の午後遅く、カナリスが見舞いに来てくれた。
大量の駄菓子を分け前だと言いつつおいていった。
アルシェイラも見舞いに来た。
こちらは、ふがいない奴だとその視線でリチャードを攻撃し続けていた。
おそらくではあるのだが、アルシェイラがカナリスと賭をしていたのだろう。
リチャードに気が付かれることなく接近できるかどうかと言うような、そんな下らない賭をしていたのだろう。
そして、見事に寝込みを襲われたリチャードは、カナリスと一緒のベッドで目覚めるという無様な真似をしてしまった。
景品の半分ほどを迷惑料と言う事でカナリスから貰ったが、全然嬉しくなかった。
孤児院の弟や妹たちは喜んで、またもってきてくれとか言われたが、二度とごめんである。
やはり、天剣授受者と関わったがために、リチャードの周りも、色々と騒動が多発することとなったようだ。
レイフォンがいてくれたのならば、きっと被害はレイフォンに向かったはずだから、リチャードは安全だったのにと、少しだけ考えてしまったほどには、このところ騒動が多い。
少しだけ後ろ向きな思考をしたリチャードは、身体と心を治すために早々に眠りについたのだった。
後書きに代えて。
はい。短編をお送りしました。・・・・・・・・・? あれ?
サイハーデンの武芸者が、いかに強くて格好良くて頼りになるかという話を書くはずが、なんでこんな駄目人間が大活躍する話になってしまったのだろう?
っは!! これはあれか? 魔王なあの娘と村人Aを、読んだからか!! 勇者には勝てないの方なのか!! 分かったぞ!! 妖狐×僕SS(いぬぼくシークレットサービス)を読んだからに違いない!!
うん。きっとそうだ。断じて俺が駄目人間だからじゃない!!(いや。どんどん嘘くさくなって行くな)
と言うわけで、第七話の前祝いにこんな話をお送りいたしました。
とはいえ、七話は少しまじめ成分多めでお送りする予定ですので、ここで飽きないで頂けると嬉しいです。
そうそう。魔王なあの娘と村人Aに、シュールストレミングが出てきました。
俺の前作では不慮の事故か、せいぜいが不法占拠のネタだったのに比べると、あちらは無差別テロって感じでしたね。
食べ物なのに、なんでこんなに破壊力満点なんでしょうね、シュールストレミングって。
そうそう。これは完全に蛇足なんですが、いぬぼく風のレギオス作品を計画しました。
配役まで考えたんですよ。
狐=レイフォン。 白鬼=フェリ。 青鬼=カリアン。 木綿=シャーニッド。 雪=ダルシェナ。 狸=ゴルネオ。 髑髏=シャンテ。
目玉=ディン。 河童=ハーレイ。 小人=メイシェン。 草鞋=ナルキ。 大蛇=ミィフィ。 等々等々。
ただ、オリジナルのエピソードを思いつけなかったんで、構想の段階でぽしゃりましたけれど。
誰か書いてくれませんかね? 僕娘のフェリとか。
え? ニーナですか? 猫又とか?