合宿三日目の午前中が終了しようとしていた。
この後、三度目の昼食がやってくるのかと思うと、少々気分が重くなりがちなニーナだったが、事態は突然あらぬ方向へと進展してしまう。
なにやら焦った表情で、宿泊施設からリーリンとウォリアスがやってきたことが発端だった。
ウォリアスは公用の携帯端末を持っているが、それを振りかざして一路レイフォンを目指しているのだ。
リーリンに至っては、顔面蒼白を通り越して土気色である。
「ちょっと大変よレイフォン!!」
「レイフォン! 兎に角電話に出ろ」
模擬戦の最中にもかかわらず、全く周りのことなど無視して、携帯端末をレイフォンに手渡す二人に、何らかの緊急事態が起こったことを認識した。
ウォリアスだけではなく、リーリンまで慌てているところを見ても、それは明らかである。
しかも、その緊急事態がどんな物か、ニーナには全く想像も出来ないのだ。
それはレイフォンも同じだったようで、反応がかなり鈍い。
「うん? 何かあったの?」
「ええい! これでどうだ!!」
左手に刀を持ち、右手に持った携帯端末を見ながら、呆気に取られているらしいレイフォンに業を煮やしたウォリアスが、ハンズフリー機能を作動させたようで、いきなりミィフィの声が携帯端末から迸り出てきた。
こちらも、かなり焦っているようで、何時も以上に落ち着きがない事が、その声だけで十分に分かる。
『レイとん!! 一大事だぞ!!』
「どうしたの? スクープ記事を山羊に食べられたとか?」
『ええい! 戯け者め!! メイッチが誘拐されたのだぞ!!』
「ああ。そうなんだ」
別段大したことはなかったようで、携帯端末をウォリアスに返そうとするレイフォン。
だが、その動作が急激に停止。
ここで、ニーナを始めとするその場にいた面々が事態を把握し始めた。
「なに?」
『だ・か・ら!! 今朝早く女連れの赤毛男に、お姫様だっこでメイッチが誘拐された!!』
「お、お姫様だっこでメイシェンが誘拐されたって!!」
それまで比較的緩かったレイフォンの表情が、今まで見たことがないほど真剣味を帯び、そして、老性体戦前の講演会の時のように、冷たく渇いた瞳へと変化して行く。
戦闘モードへ移行したレイフォンの周りが、その温度と湿度を急激に失って行く。
だが、レイフォン本人の中には、今まで感じたこともないほど激しい炎が燃えさかり、その赤毛男とやらを灰も残さないための準備が進んでいる事が、未熟であるニーナにさえ十分すぎるほどに分かった。
『都市警が探しているんだけれど、昨日の夜ナッキを病院送りにしたのも、その赤毛男らしくて!!』
「へえ。ナルキを病院送りにしたんだ」
恐るべき平坦な声が、レイフォンの口から零れ落ちる。
メイシェンを連れ去られ、ナルキを病院送りにしたその赤毛男に対する怒りのために、どうやら感情が上手く働かなくなり、返って冷静に、いや。冷酷になれているようだ。
そして、今まで携帯端末を見詰めていた視線が移動する。
その場にいる人間を、ゆっくりと見渡しただけだったはずだ。
だが、それだけのことで、ニーナは一瞬心臓が止まったのではないかという錯覚に囚われた。
完全に呼吸は止まっていたはずだ。
それ程までに、今のレイフォンは凄まじい圧力を発しているのだ。
そして、その恐るべき視線が、フェリを捉える。
「フェリ先輩?」
「分かっています」
レイフォンの圧力を正面から受けているはずだというのに、対応するフェリは全く何時も通りだった。
いや。違う。
何時もとは比べることが出来ないほど冷たくなっているために、レイフォンの視線に耐えられるのだ。
そして、次の瞬間には、その長い髪全てが昼間であるにもかかわらず、燐光を放つのがはっきりと分かった。
今まで見たこともないほどの、凄まじい念威の量を目の当たりにしたニーナだが、それに驚いている暇など存在していない。
「例え、ツェルニの全生徒の個人情報を覗くこととなろうとも、トリンデンの居場所は見つけ出して見せます。ですから」
重晶錬金鋼から飛び立った念威端子が、普段とは一線を画す鋭い機動を描きつつ、ツェルニ全域へと飛んで行くのを眺めつつ、息苦しさが増していることにも気が付いていた。
そう。レイフォンである。
それ程大きくないはずのその身体から、制御に失敗しているとは思えない統制された剄が迸り出ているのだ。
問題が有るとすれば、その剄の量が尋常ではないと言う事だ。
その証拠に、簡易・複合錬金鋼が赤熱化を始めているのだ。
体内を流れる剄の余波だけで、通常では決して起こらないはずの現象を起こすほど、今のレイフォンはやる気満々である。
「例えツェルニを滅ぼすことになっても、メイシェンは無傷で取り返して見せます」
ここに、赤毛男の未来は決定した。
間違いなくフェリによってその所在を突き止められ、レイフォンによって細切れにされてしまうだろう。
もしかしたら、ついでにツェルニも細切れになってしまうかも知れない。
それ程までに、今の二人は容赦がない。
だが、人ごとだったのはここまでだった。
「隊長?」
「・・・・! な、なんだ?」
突然、レイフォンの視線がニーナを捉えていることに気が付いた。
心臓が変なリズムでダンスを踊り、横隔膜を始めとする呼吸筋は、ストライキでも起こしたかのように全く働かず、生まれたての草食動物のように立っていることが困難だ。
それでも、意地で何とか声を絞り出すが、どう贔屓目に見てもしわがれて、まるで臨終を間近に迎えた老人が最後の力を振り絞っているようにしか思えない。
そんなニーナに向かって、レイフォンはとても優しげな笑顔と共にこう切り出してきたのだ。
「済みません。用事が出来ましたので少し出掛けてきます」
とても優しげな笑顔だというのに、それは死を覚悟する物だった。
断った次の瞬間、何故か首だけで空を飛んでいる自分を想像できてしまう。
ならば答えはただ一つ。
「ああ。気をつけて行ってくるのだぞ」
赤毛男の冥福を祈りつつ、そう告げた次の瞬間には、レイフォンの姿はかき消えていた。
今から移動していても無駄になるかも知れないが、それでもじっとしていることが出来なかったのだろう。
気持ちは十分に理解できるが、今は全く別の問題が有る。
そう。フェリを除く全員の腰が抜けてしまったという重大な問題が有るのだ。
もっとも付き合いの長いはずのリーリンでさえ、泣き出さんばかりの表情でへたり込んでいるし、何よりも驚きなのは。
「こ、こわかったぁ。レイフォンが本気になるとああなるのか」
老性体を前にしても、全く動じることの無かったウォリアスでさえ、今はその場にへたり込んで深々と息を吐き出しつつ、レイフォンが置いていった携帯端末を眺めている。
フェリのサポートがある以上、軟弱な機械など必要なかったのだろう。
だが、置いてけぼりを食らった機械からは、更にミィフィの声が流れてきている。
『おおい!! 聞こえているか!!』
「あぁ。はいはい、聞いていますよ」
何時の間にか、精神状態をおおむね回復させたウォリアスが相手を始めたが、取り乱していたミィフィの声が通常運転へと復帰していることに気が付いた。
もしかしたらレイフォンが行動を開始したことに対する安心感があるのかと思ったが、少し違ったようだ。
そう。致命的な出来事が起こったのだ。
『メイッチから連絡があってね』
「ああ。身代金の要求でもあったの?」
『違う違う』
「ああ。身代金代わりにその身体を差し出せとか?」
『そうじゃなくてね。誘拐じゃないって』
「・・・・・・・? え?」
耳で聞いた単語を理解するのに、少し時間が必要だった。
つい一分前まで、メイシェンが誘拐されたと騒いでいたはずなのに、それが違ったと冷静に伝えているのだ。
よりにもよって、レイフォンが突っ走ってしまった後でだ。
「フォンフォンに連絡しましょうか?」
「・・・・・。そうですね。無実の人間が細切れになるのを、何とか阻止しないと」
フェリとウォリアスの会話を聞きつつ、ニーナは思う。
超絶的な天才二人を、この先使いこなして行くことが出来るのだろうかと。
本気のレイフォンを制御することなど、ニーナには不可能であるように思えて仕方が無い。
そして、全力状態のフェリを怒らせる恐ろしさを、やっとの事で理解し始めたのだ。
ニーナにとっての騒動は、むしろこれからである。
ツェルニ外縁部へとやってきたハイアは、既に二人の人物が約束の場所に来ていることを認識して、そして一気にテンションが下がった。
茶髪で中肉中背の少年は問題無い。
元天剣授受者であり、同じサイハーデンの継承者であるレイフォンとは、一度会って決着を付けなければならないと思っていた。
だから、それは問題無い。
問題なのは、茶髪をツインテールにしている少女の方である。
連絡の全てはメイシェンに任せていた。
ハイアがやると誤解が凄まじい勢いで増殖することが分かっていたし、ミュンファでは事情の説明に時間がかかりすぎてしまうと判断したからだが、この事態は全く予想外だった。
「ニヒヒヒヒヒ。久しぶりだねハイアちゃん」
「どの面下げてオレッチの前に現れたさ? ヨルテムの性悪女」
暫く前、ヨルテムでのいざこざを処理した際に、少しだけ関わったミィフィとツェルニで遭遇するなどとは、全くもって考えていなかった。
出来れば、一生関わりになりたくない類の生き物である。
「ご挨拶だねぇ。この私が直接君と取引してあげようというのだよ?」
「取引なんかするつもりはないさ」
目の前のレイフォンは、非常に不機嫌な表情と、敵意のこもった視線でハイアを見ている。
それは問題無い。
むしろ望むところである。
だが、その隣にいる茶髪な生き物は、ニヤニヤ笑いを消すことなくハイアを見ているのだ。
メイシェンと一緒に連れてきたミュンファは、明らかに気圧されて腰が引けているという、武芸者としてはあるまじき気弱さを発揮しまくっているし。
何でこうも問題が多いのか、非常に疑問である。
「なに! 折角この私が取引してやろうと、取って置きをもってきたというのに、それ程までにメイッチが魅力的か!!」
次の瞬間、レイフォンの目に宿っていた敵意が殺意へと変わった。
そして、その顔から一切の表情が消えるのが分かった。
思わず錬金鋼に手を伸ばそうとしたハイアだったが、それを何とかこらえる。
「取引する以前に」
「まあ、これを見給え」
ハイアの言葉を遮り、ミィフィがなにやら情報記憶素子を取り出した。
思わず見てしまった。
「ニヒヒヒ。これはな。金髪ショートで巨乳で、眼鏡な幼馴染みと、あんな事やこんな事をしてしまうと言う、非合法の卑猥映像が入った記憶素子なのだぞ」
「ひゃ!!」
ミィフィの台詞の終了と共に、腰が引けていたミュンファが可愛らしい悲鳴を上げてメイシェンの後ろへと隠れた。
何が何だか分からないが、兎に角話を元に戻さなければならない。
「そんな物は要らないさぁ」
「なに!! 欲張りな奴だな。ならばこれでどうだ?」
話を元に戻そうとした矢先、仕切り直されてしまった。
手に持っていた記憶素子をポケットに戻し、別な物を取り出したのだ。
「これはな、金髪ショートで巨乳で、眼鏡な幼馴染みに色んなコスプレをさせて、エッチな拷問をしてしまうと言うマニア垂涎の一品だぞ? しかも非合法品だ」
「あ、あう」
ふと視線を向けてみると、必死の形相でミュンファを守ろうと両手を広げているメイシェンが居た。
守られている武芸者はどうしているのかと思えば、なにやら真っ赤な顔と潤んだ瞳でハイアの方を見ているような見ていないような。
嫌な予感がしてきた。
「だから! そんな物はいらないと言っているのさ!!」
「なんだと! なんて強欲な奴だ」
更にもう一度、ポケットの中に消えた手が持ち出してきたのは、当然のように情報記憶素子だった。
制止するべきだと思うのだが、そんな暇をミィフィは与えてくれなかった。
「これこそ幻の一品!! 金髪ショートで巨乳で、眼鏡な幼馴染みが、女王様となって虐めてくれるという最強の一品でな」
「だから!! そんなものは!! いらないと言っているさ!!」
強引に話を切断する。
付き合っていてはいつまでたっても進まないからだ。
だが、やはり進まなかった。
「そうかそうか。金髪ショートで幼馴染みで、眼鏡な貧乳が好みか」
何故、全ての作品で金髪でショートで幼馴染みで、更に眼鏡な女の子が出てくるのか不明だ。
いや。分かりたくない。
更に、貧乳という所にミュンファが打撃を受けている所なんかも、絶対に分かりたくない。
「違うって言ってるさ!!」
「・・・!! まさか、長い黒髪で巨乳が好みか!!」
「それもいらん!」
「ま、まさか!! 男の子が好きなのか!!」
「いい加減にするさぁぁ」
もう溜息しか出ない。
だが、それでもやるべき事をやらなければならない。
ミュンファを守ろうと必死になっているメイシェンの手を、出来るだけ優しく掴み、自分の前にもってきたハイアは、そのお尻を軽く叩いてレイフォンの方へと押しやる。
「きゃ!!」
「なっ!!」
間違ってもミィフィの方へでは無い。
当然のことではあるのだが、勢いに乗ってトテトテと走りレイフォンの後ろに隠れたメイシェンが、中腰になりつつスカートを押さえ、ハイアを睨んでいるが気にしてはいけないのだ。
その胸を強調するような格好になっていることとか、気にしてはいけないのだ。
儲け物だとか思ったが、口にも表情にも出さないように気をつける。
「ただで返してやると言っているのさ!!」
「な、なに!! そうかそうか。やはりこの私の美しさに恐れをなしたな!!」
「・・・・・・・・・・・。ああ。ヴォルフシュテイン?」
「元。だよ」
レイフォンからの殺意の視線が、かなりきついことになっているのだが、これ以上ミィフィと関わるよりは遙かにましだと思うことで、話をする相手を変えることとした。
思えば、最初からこちらへ話を振っておくべきだったと、今頃気がついた自分に自己嫌悪を覚えたが、とりあえず話を進めなければならない。
殺意を抱いている人間と話し合い、そしてまとめるなどと言う自信はないが、それでもミィフィを相手にするよりはだいぶ疲労が少ない。
戦闘になったらなったで、それはそれで一向にかまわないことだし。
「悪気があった訳じゃないさ。それだけは理解して欲しいさ」
結果的に色々なところに迷惑をかけたという事実は、違法酒絡みの連中とツェルニに入った時と同じだが、悪気は全く無かったのだ。
誤解されるのはかまわないが、軽蔑されるのは少々居心地が悪いのだ。
「どの辺に悪気がなかったんだ? メイを誘拐したところか? それともナルキを病院送りにしたところか? まさかとは思うんだけれど、メイのお尻を叩いた辺りか?」
「ナルキって誰さ?」
話の途中に出てきた、聞いたことのない固有名詞に少し驚いた。
だが、ハイアが原因で入院した人間と言うのは、ここツェルニではおそらく一人しかいない。
「もしかして、オカマの警官さ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・。殺すよ?」
「ああ?」
何故か、レイフォンからの殺意の視線が三割ほど増した。
それどころか、ミィフィから虫けらを見るような視線を向けられた。
更に、メイシェンからも非常に不満なことが分かる視線を向けられているのだ。
そして、何故かミュンファが三人に頭を下げて謝っているという異常事態に、ハイアはどう反応して良いか分からずに話を元に戻すこととした。
「まあ、それはどうでも良いさ。兎に角用件は終わったから今日のところは引き上げるさ」
暫く前までは、あわよくばレイフォンと一線交えるつもりだったのだが、ミィフィの相手をしたために精神力を使い果たしてしまったのだ。
今日はこのまま帰って寝てしまおうかとさえ思うほどに、ハイアは疲れ切っていたのだ。
だが、事態はそんな生やさしいことでは収まらなかった。
「きゃ!!」
いきなりとても可愛らしい悲鳴がしたかと思うと、レイフォンの後ろに隠れてハイアを睨んでいたメイシェンが、突如として後ろを振り向きスカートの裾をしっかりと押さえている。
そして、その視線の先には、巨悪の根源と言える茶髪な生き物が、一瞬ニヤリと口元を歪めて挑発してきていた。
中腰のメイシェンが、まるきりおしりをハイアの方に突き出しているように見えるのだが、全身全霊を傾けて気にしてはいけないのだ。
「ああ。メイシェン。なんて可哀想なの!! レイフォンによってお嫁に行けない身体にされてしまっていたけれど、とうとうお婿ももらえない身体になってしまうなんて!!」
棒読みの台詞と共に、メイシェンをしっかりと抱きしめつつ舌をこちらに向かって出すミィフィ。
明らかに何か企んでいるが、それがどんな物かを察することなどハイアには出来ない。
だが、次の台詞も全く謎だった。
「み、みぃちゃん?」
「こんなに、こんなに可愛いのに!! おしりが二つに割れてしまうなんて!!」
一瞬呆気に取られた。
何処の誰だろうと、二つに割れていると思うのだが、どうやらここからが本番だったようだ。
「せめて、せめてパンツを履いていたら、割れずに済んだかも知れないのに!!」
「な、なにぃ!! 撫で回しておくんだったさ!!」
思わずもったいないことをしたと、心の底から思ってしまった。
ついでに口から本音が漏れたが、折角だからまくっておくんだったとも思った。
卑猥映像はどうでも良いが、実物は違うのだ。
そして、何故か、身体を左に傾けた。
「?」
何かが、すぐ横を通り過ぎたような気がしたが、それがなんだったのか分からない。
だが、目の前にいたはずのレイフォンが消えていることを認識。
そして、後ろから地面を削って止まる音を確認。
更に、地面を削る音をかき消すかのように、何かとてつもなく丈夫な何かが、盛大に切れる音を聞いたような気がした。
それらは、一瞬のうちに殆ど同時に起こったのだ。
「な、なにさ?」
事態が飲み込めなかったのは一瞬だった。
首筋の右側に、微かな痛みを感じた。
触ってみると浅く切られていた。
ならば、話は簡単である。
「あれ? やったと思ったのに、何で生きているんだろう?」
土煙を背にしながら、長大な刀を下げたレイフォンが、微かに首をかしげながらこちらに戻ってくる。
間違いなく、超高速で駆け抜けつつ、ハイアの首筋へと一撃を入れたのだ。
意識するよりも速く身体が動かなければ、今頃首から上が空中に飛んでいたことだろう。
だが、事態は更に突き進む。
「ミュンファ?」
軽い足音がすぐ隣から離れて行くのを聞きつけ、そちらを見れば当然のようにミュンファがミィフィとメイシェンの側へと小走りに近寄って行くところが見えた。
その手には、復元された弓が持たれている。
そして、ミィフィ達と合流したミュンファの弓が、ハイアを正確に捉える。
「な、なにさぁぁぁぁ!!」
突然、全力の射撃を食らった。
動揺していたというのもあるが、その攻撃は今まで見てきた中で最速であり、更に凄まじい収束率を誇っていた。
とどめとばかりに、過去最大の破壊力を秘めていた。
針のように極限まで凝集された衝剄が、咄嗟に避けたハイアのすぐ横を唸りを伴いつつ通り過ぎて行く。
「みゅんふぁ?」
「ふんだ! エッチなハイアちゃんなんか、消し飛んじゃえば良いんだ!!」
大人しい人間を怒らせてはいけない。
どっかの誰かから聞いた言葉が、脳裏をよぎったが既に遅い。
すぐ後ろに、押さえ込んでいるはずだというのに、今まで感じたことがないほど膨大な剄の固まりが近寄ってきているからだ。
「さあ。仲間の許可も貰ったし、少し死んでみようか?」
とても優しげな笑顔のレイフォンが居た。
だが、その瞳に宿る冷たさは恐るべき物だった。
背筋を冷たい汗が流れ落ちて行くが、サリンバン教導傭兵団の団長として、逃げる事も恐れを表に出すことも出来ない。
サイハーデンの継承者としてならば、逃げても良いかもしれないが、それはハイア個人の存在意義を否定しかねない行為である。
と言う事で、予定とは違ってしまったが戦うために刀を復元する。
「丁度良いさ!! レイフォン・ヴォルフシュテイン・アルセイフ!! オレッチの方がお前よりも強いって事をぉぉ?」
台詞の途中で、レイフォンの姿が数百へと増えた。
それぞれが、赤熱化している錬金鋼を振りかざし、ハイアへ向かって襲いかかってくる。
何かの冗談だと思いたい光景だった。
ハイアの台詞が途中で叩ききられてから、正確に三十二秒後、何時ぞやのシャーニッド以上に凄惨な廃棄物が地面に転がっていた。
散々衝剄で小突き回され、化錬剄の炎でこんがり焼かれ、やはり化錬剄の電撃で焦がされて、そして斬撃であちこち切り刻まれているという、これ以上ないくらいに完璧な廃棄物だ。
少し離れたところにしゃがみ込んだミュンファが、復元した弓の端っこを持ち、反対側の端っこでハイアを突いているが、全くもって反応がない。
もしかしたら、このまま火葬場へ運んだ方が良いかもしれないが、ミィフィには先にやるべき事があるのだ。
「なあ、レイとんよ?」
「うん?」
清々しい笑顔と共に、袖で汗をぬぐっているレイフォンへと声をかける。
まさに、良い運動を終えたスポーツマンと言った風袋であるし、隣に立ったメイシェンの差し出した、タオルもそれを補強している。
苦言を呈すると言えば、タオルで汗を拭くべきだと思うが、今は疑問の解決が先だ。
「おしりが二つに割れているのは」
「知っているよ」
「さぁあぁぁ?」
当然のように、清々しい笑顔のまま応えてくれた。
廃棄物が少し動いたようだが、気にしてはいけない。
「孤児院時代に、一体何人の子供と、お風呂に入ったと思っているんだい?」
「ああ。まあ、それはそうか」
いくらレイフォンだからと言って、そこまで愚かではないのだ。
となると。
「これは?」
廃棄物を指し示しつつ訪ねる。
答えは分かっているが、念のための確認である。
「うん? メイをお姫様だっこで連れ去って、挙げ句の果てにあんなに乱暴に扱ったんだから、これくらいは許容範囲だよ」
「まあ、それもそうか」
確かに、ハイアはやってはいけないことをやってしまった。
ならば、その制裁は受けるべきだとは思うのだが。
「パンツは?」
「うん?」
実のところ、問題がこれだ。
明らかにレイフォンは、メイシェンがノーパンだったと聞かされて怒り狂ったのだと思えるのだ。
ミィフィからしてみて、あまりにも短い時間で事が始まってしまったために、はっきりと断言できないので、是非ともはっきりとさせておきたいのだ。
「メイシェンが履いてないなんて事、有る訳無いじゃないか」
「さぁあぁぁああぁ?」
「ふむ。分かっているのか」
メイシェンが履いていないとしたら、それはごく僅かな状況以外では考えられない。
例えば、レイフォンの部屋にお泊まりするとか。
そのくらいのことは当然分かっているのに、何であんなに切れてしまったのかが疑問だったのだが、その疑問は何故か吹き飛んでしまった。
「これがミィフィだったら、受けを狙って死ぬ気でとかも考えられるけれどね」
「それは同意するさ」
「ぬぅわぁぁにぃぃ?」
続いたレイフォンとハイアの認識には、少々同意しかねる部分がある。
いくらミィフィだからと言って、パンツを履かずに出掛けるなんて事は、それこそあり得ないのだ。
彼氏も居ないことだし。
「・・・・・・・・・・・・・・」
少し寂しくなってしまった。
別段彼氏が欲しいとか思っている訳ではないんだが、居て困るという訳でもない。
学生という状況を考えると、居た方が良いと言えるだろう。
だが、厳然たる事実として、ミィフィには彼氏が居ないのである。
ここは断然八つ当たりをするべきであると判断する。
「ボロ負けしたハイアちゃんに良いものをあげよう」
「要らないさぁ」
ポケットをまさぐって、必殺の一品を探し当てる。
指先にその感触を確かめつつ、嗜虐的な笑顔になっていることをはっきりと認識できた。
「いらないって言っているさ」
「ニヒヒヒヒヒ。そうかそうか。ならば」
廃棄物が自己主張するなどとは世も末だが、せめてもの情けで受け入れてやっても良い。
と言う事で、ミュンファという名前らしい少女へと視線を投げる。
ルックンの情報網を最大限使って、ハイアとその相棒のことは調べてあった。
だからこそ、こうもピンポイントな準備をすることが出来たのだが。
「ひぃ!」
視線が合った途端、何故か小さな悲鳴を上げて後ずさるミュンファ。
そんなに怖い顔をしているとは思っていないのだが、もしかしたら、他人から見ると結構凄いのかも知れない。
だが、やる事には何ら変わりがないのだ。
「君にこれをあげよう」
「あ、あう」
メイシェンと同じ生き物らしく、怯える視線でミィフィを見る少しだけ年上の少女へと、必殺の一品を渡す。
内容は当然、本来ミィフィが持っていてはいけない物である。
「ニヒヒヒヒヒ。これはね」
「あ、あう」
「金髪眼鏡で巨乳な幼馴染みが、聖裸服をきて完全看護をしてしまうと言う恐るべき一品でね」
「ひぅ」
「ニヒヒヒヒヒ。服を買えるお店の住所が最後に記録されているのだよ」
「か、買わないと駄目ですか?」
「当然駄目だよ」
逃げ道を残すなどと言うことはしない。
徹底的に追い詰め、そしてハイアの看護をさせるのだ。
「はいはい」
「のわ!!」
だが、突然身体が持ち上げられた。
こんな事が出来るのはレイフォンだけである。
振り向けば当然の様に、何時もの表情に戻ったレイフォンがすぐ後ろにいた訳で。
「その人には関係ないんだから、あまり虐めちゃ駄目じゃないか」
「ええええ! メイッチと同じで虐めると可愛いじゃないか!!」
それは建前で、本音は、間接的にハイアを虐めたいだけである。
いや。完璧な八つ当たりである。
「はいはい。ナルキのお見舞いをしてから合宿に戻るんだからさ」
「うぅぅぅ。仕方が無いなぁぁ。じゃあ、それしっかり見て勉強するんだよ」
「い、いやです」
涙を一杯に貯めた視線で抗議してくる少女を眺めつつ、レイフォンに吊り下げられたままミィフィはハイアとの、久しぶりの接触の地を後にした。
今度、また遊んでやろうと固く決心しつつ。