レイフォンの弟でありながら、その実色々な面倒を見てきたリチャードは少々の溜息と共に、遙かツェルニから来た手紙を開いた。
リーリンとレイフォンからの手紙だ。
レイフォンからの手紙は殆どリチャード宛で、デルクや他の人に来たという話は聞いていない。
一度だけデルク宛に来たことはあったが、それは完全に例外的な事柄だった。
そして、リチャードだけに手紙が来るという事実は、未だにレイフォンに頼られているのかも知れないと言う、少々困った予測を裏付けるための材料になってしまいそうだ。
まあ、ツェルニには頭の使える人間がいるそうなので、大した困りごとは書かれていないのが救いだが。
高等学校の校舎二階にある休憩所で、ぬるいと評判のコーヒーを啜りつつ何度も読み返した手紙をもう一度眺める。
レイフォンからの手紙の内容としては、暫く前に老性体二期と戦い、天剣を持たない状況だったがあまり苦労せずに倒せたという、少々驚くべき事柄が書かれていた。
実はリーリンからの手紙にも似たようなことがかいてあった。
もっとも、女性特有の丸っこい文字で書かれていたのは、老性体戦の事よりはもっと恐ろしげな内容だったが、まあ、レイフォンだったら死なないだろうと自分を納得させても居た。
だが、一月近く前に出された手紙がやっと届くというこの自律型移動都市世界の不便さは、何とか改善して欲しい物だと思ってしまう。
都市間を電話線で結んではどうかという、あまりにも現実離れした案を、レイフォンが昔言っていたのだが、そんな方法も検討する価値はあるかも知れないと思ってしまうほどには不便だ。
「でだがサヴァリスよ」
「なんだいリチャード?」
誰もいないはずの休憩所で、独り言のように知人の名を呼ぶ。
この時間この休憩所は殆ど無人である。
運動系のクラブに所属している連中は、もっと体育館や運動場に近い休憩所を使うし、文化系の連中はクラブ活動している部屋で休憩をするからだ。
ここを使うのは図書館に用事のある一部の人間だけのはずなのだ。
断じて、レイフォンの元同僚で天剣授受者が居て良い場所ではない。
もっとも、サヴァリス辺りに常識は通用しないのだと認識しているから、それ程問題はないのだが。
「一日俺を付け回していたみたいだけれど、そんなにストーカーは面白いか?」
何故人気のないこんな休憩所を使っているかと問われたのならば、一日サヴァリスに付け回されていたからだ。
もしかしたら、命を狙ってくるかとも思っていたのだが、それならば道場でいくらでもやれるはずだから、何か用があるのだろうとこの場所を選んで話を振ったのだ。
「心外だね? 僕は君と殺し合いたいだけだよ?」
「俺は一般人だって」
基本的にリチャードは礼儀には礼儀を持って返す人間だ。
当然無礼な振る舞いには無礼を持って対応する。
特にサヴァリス相手に礼儀正しくなどと言うのは、もはや考えることが苦痛なほどである。
万が一にでも公式の場に出ることがあったら、精一杯猫を被るつもりではいるのだが、どのくらい猫を被っていられるか甚だ疑問である。
「まあ良いけどな。兄貴からの手紙読むか?」
「うん? 僕と殺し合いたいとか、死闘を演じたいとか、死合たいとか、もしかして僕を殺したいとか書いてあったかい?」
「ねぇよ」
隙あらばリチャード相手にでも襲いかかってきそうな、この危険極まりない戦闘愛好家が天剣授受者かと思うと、グレンダンの将来について少々では済まない危機感を覚えてしまうのだが、まあ、汚染獣戦が多いからこれで良いのかも知れないとも思っている。
非常に矛盾した思考を切り捨てつつ、レイフォンからの手紙をサヴァリスに渡す。
「・・・・。ほう。天剣無しで老性体二期と戦って、僅か一日で倒したと」
普段からにやけているだけのサヴァリスの表情が、一気に破顔した。
こう言うとおかしな表現に思えるのだが、実際にそう思えるのだ。
それは多分、普段のニヤケ笑いは取り敢えず貼り付けてあるだけの物で、今のが心からの笑顔なのだと言う事だろう。
手紙を渡したことを少々後悔しているリチャードだったが、事態は全くお構いなしに進む。
「おわ!」
いきなり風景が溶けた。
これは恐らく動体視力を無視した、高速移動による現象であろうと思う。
痛みも違和感もないが、凄まじい力で何かに引っ張られているのだ。
そして、今の状況からある人物をすぐに思いつくことが出来た。
実は二年近く前のこと、レイフォンに同じようなことをされた記憶があるのだ。
そして、このグレンダンにおいてさえ、この武器を使える人間はたったの一人。
「ああ! もう」
溶けた風景の中で、サヴァリスだけがその輪郭を保ったまま、リチャードの視界の一部に存在し続けている。
恐らくサヴァリス自身も高速で移動しているのだろうと思うのだが、リチャードにはどうすることも出来ない。
そして、不意に投げ出された。
「っと!」
とっさに受け身を取って衝撃を最小限にする。
回転する視界の中で、ある人物を確認。
ボロボロのコートを着込んだ、ボサボサ頭の中年男性だ。
回転を止めてから、更に詳しく観察するがその必要はなかった。
原因は全く不明だが、猛烈に不機嫌な様子で何処か遠くを眺めている険しい視線。
これでもかというくらいに短くなった煙草。
それはレイフォンから聞かされていた、ある人物の特色と完璧な一致を見ていた。
「貴方はどうしてこうも力業に走りたがるかな?」
「貴様の話が長いからだ。一体俺を何億秒待たせれば気が済む? そのガキの娘と貴様が結婚するまでか?」
「それをお望みならばどうぞ。貴方なら何処にいても女王の命令を実行できるでしょうから」
「俺が何億匹汚染獣を虐殺しようと、それは俺個人の趣味の問題だ。女王などとは関係ない」
「汚染獣と戦うことこそが女王の最重要命令でしょうに」
天剣授受者同士がなにやらもめているようだが、取り敢えずリチャードには関係のない話だ。
なので話に夢中になっているらしいサヴァリスから、レイフォンの手紙を回収する。
これをそのままにしておくと、色々と厄介なことになりそうだと言う事に、遅ればせながら気が付いたからだ。
「ところでリチャード?」
「ああ?」
「その手紙リンテンスさんにも見せたいんだけれど?」
「・・・・。どうしてもか?」
「うん♪」
何故か最後だけ猛烈に機嫌が良さそうだった。
と言うかはっきり言って不気味なほどに機嫌が良さそうだ。
と言うよりはむしろ、気持ち悪いほどだ。
「レイフォンが老性二期と戦って、一日でけりを付けたそうですよ」
「・・。ほう」
微妙に感心しているのか、それとも取り敢えず相づちを打っただけなのか、判断に迷う反応をリンテンスがする。
聞いた人柄からすると、微妙に感心している方だと思うのだが、断言することは危険極まりないだろう。
と言う事で、リンテンスに向かって手紙を差し出す。
「成る程な」
リチャードが指し出した手紙を、武芸者特有の身体能力を遺憾なく発揮して、信じがたい速度で全て読み終えてしまったようだ。
とても人間業とは思えないのだが、これも天剣授受者の能力なのだろう。
レイフォンで慣れているつもりだったが、それは甘い認識だったようだ。
「それで、俺に用なんだろう?」
「うん? そうそう忘れていたよ」
どうでも良さそうに笑うサヴァリスと、やはりどうでも良さそうにそっぽを向くリンテンス。
リチャードのことよりも、レイフォンの戦果の方が重要だと体現している。
常識と良識が通用しないのは、レイフォンだけではなかったようだ。
「しばらくの間、君の護衛をすることになってね」
「天剣授受者がか?」
驚きだ。
天剣授受者とは、性格や人格は兎も角として、グレンダンを守る最強の盾であり矛のことだ。
その天剣授受者が二人してリチャードを守ると言っている。
そこから導き出される答えは、どう楽観的に見てもかなり深刻な物だ。
「気が付いていると思うけれど、少々厄介ごとでね」
「厄介ごとには慣れているさ」
軽くうそぶいておく。
最近は特にサヴァリスが年中道場にやってくるので、不穏な空気にも慣れてしまった。
恐るべき事であるが、慣れてしまったのだ。
実際問題、始めてサヴァリスと会った頃には、僅かでは済まない緊張を強いられていたのだ。
サヴァリスは気が付いているようだが、全く気にしていなかったし、デルクはサヴァリスの方に気を取られていて気が付いていなかったようだが、実際にはかなり緊張していたのだ。
その緊張との付き合い方に、やっとこさ慣れたと思ったら、更なる厄介ごとが降ってきた。
不運である。
「普段の生活の邪魔はしないけれど、出来るだけ一人で居る時間を増やしてくれると助かるよ。ついでに人気のないところをフラフラしてくれると、僕としては最も好都合だね」
「一つ聞くんだが」
「なんだい?」
「サヴァリスが襲ってくるなんてオチじゃないだろうな?」
「それは無いよ。僕だって一応仕事と私事は区別しているからね」
にこやかにそう言っているのだが、それを信じて良い物かどうか、判断に苦しむところだ。
だが、もう一つ聞きたいことがある。
「何で俺なんだ?」
「そうだねぇ。レイフォン絡みで色々と」
「喋りすぎだ」
今まで殆ど無視していたリンテンスの声で、これ以上の質問が不可能であることが分かった。
どう言おうと、天剣授受者とはグレンダンを守っている武芸者の中でも、最強の連中なのだ。
ならば、色々と不安はあるのだが、天剣授受者の言う事に従っておいた方が良いだろうとも思う。
「分かった。ケリが付いたら言ってくれよ? 俺だって色々とやることがあるんだから」
「それはもちろん。ところでリチャード?」
「殺し合わないぞ」
「違うよ」
なにやら、今までにないサヴァリスの迫力に、少々腰が引けてしまう。
慣れたと言っても、それは天剣授受者としてのサヴァリスではなく、あくまでも私人としてのサヴァリスなのだ。
「僕の殺剄は下手だったのかい?」
「・・・。俺は一般人だ。殺剄なんか効かねえよ」
そっちだったのかと少し安堵する。
剄脈無しでも殺し合おうとか言われたら、流石に生きていられる自信はないのだ。
と言う事で、本人にも理解できてないのだが、何とか説明するために言葉を探す。
「サヴァリスの匂いがするんだよ」
「どんな匂いだい? もしかして鼻の奥がつんと来るような良い匂いかい?」
明らかに何か期待している目の色だ。
ここはその期待を見事に裏切らなければならない。
そうでないと、厄介ごとの前にサヴァリスに殺されてしまうから。
「言葉にしにくいんだが」
「うんうん?」
「空気がサヴァリス色に染まるというか、空気自体にサヴァリスが溶け出しているというか、そんな感じなんだが、分かるか?」
「うん。全然分からないよ」
「だろうな」
本人もこの感覚には、少々困惑しているのだ。
それを他の人間に教えるなんて事は、ほぼ不可能なのだ。
何故かリンテンスも興味深げに、横目でこちらを窺っている。
もしかしたら、リチャードのこの感覚は非常に珍しい物なのかも知れない。
武芸者が持つ特有の匂いというか空気を、感じることが出来ると気が付いたのは何時の頃だったか覚えていない。
始めはデルクやレイフォンの接近に気が付く程度だったのだが、何時の間にか誰が側にいるかも分かるようになってしまったのだ。
レイフォンが天剣授受者になった後も、それは全く変わらずに作動を続けている。
そして、他の人間が武芸者を的確に認識できているという話は聞いたことがない。
となれば、もしかしたら、グレンダン始まって以来の特殊能力なのかも知れない。
最悪の場合、研究機関に持ち込まれて生体解剖とかもあり得る。
厄介ごとで死んだことにしてしまえば、どんな事だって出来るのだ。
むしろそちらの方が心配になりつつも、突如として行われた会見は終了した。
試合開始の合図と共に、ニーナは走り出した。
レイフォンが老性体という化け物と戦ってから一月以上の時間が流れている。
その間に色々なことがあった。
シャーニッドが銃衝術を使うことがはっきりしたり、都市警の依頼を受けて荒事に参加したり。
そして、フォーメッド・ガレンという強行捜査課課長と知り合うこととなった。
かなり癖のある人物ではあったが、組織が動くところを目の当たりにして、責任者という物がどうあるべきか、その一端を見たような気がしている。
そして今ニーナは走っている。
第五小隊との対抗戦が行われている今現在、ニーナの役目は陽動だ。
レイフォンがシャンテとゴルネオを無力化し、ニーナが突っ込むことでオスカーを始めとする戦力を、出来る限り陣地から引きづり出す。
手薄になったところをシャーニッドが接近してフラッグを奪取する。
シャンテとゴルネオをレイフォンが撃破すれば、第五小隊に走る動揺は大きな物となるだろうし、接近戦もこなせるシャーニッドの突撃は、ある意味奇襲の効果が得られる。
銃衝術を披露してから三試合目だから、そろそろこの戦い方に対策を立てられているかも知れないが、その場合でもレイフォンが後詰めでフラッグを狙いに行くことになっている。
以前だったら、一発勝負というか出たとこ勝負になっただろうが、今はきっちりと後のことを考えて作戦を立てている。
ウォリアスから出された課題は、明らかにニーナの血肉となって今を作りだしている。
だが、予想外のことというのは何時如何なる時にでも起こる物だ。
「やあ、待っていたよアントーク君」
「せ、せんぱい、だけ?」
出発地点から第五小隊陣地の距離、その三分の二を迎えた辺りで出くわしたのが、一月ほど前に説教を食らった六年生のオスカーだ。
何時も通りの自然体で佇んでいるが、その手には当然のように錬金鋼が握られている。
いや。握られていると言うよりは既に構えられている。
「っち!!」
それを認識した次の瞬間、ニーナは大きく飛び退ってオスカーの第一撃目を回避しようとした。
そして、予測した通りにオスカーの攻撃は放たれ、そしてニーナの身体をかすめて多いに冷や汗を流させた。
「そ、それは!」
オスカーは本来銃使いだ。
対抗試合で、あの斬獣刀を使うことはもってのほかと言う事らしく、通常は剣を使用しているが今日は違った。
「ほう。私の攻撃を回避したか。アルセイフ君との訓練は効果を発揮しているようだね」
余裕の表情で、巨大な錬金鋼の先端部を持った左手がスライドする。
重々しい金属音と共に、空薬莢が排出され新たな弾薬が薬室へと送り込まれる。
黒鋼錬金鋼製らしい、その黒光りする全長二メルトルになろうかという、恐ろしげな外見をしたものは銃であるらしい。
らしいというのは、その外見が異常だからに他ならない。
銃身の下に平行して弾倉があるのは良いだろう。
その銃身と一体になった弾倉が非常に頑丈そうで、殴ることが出来るというのもさほど問題無い。
銃身自体も非常に肉厚であり、更に楕円形を半分に切ったような形状をしている。
明らかに打撃武器だ。
ここまでならばシャーニッドの拳銃と似たような物だから、それ程驚くことはない。
問題なのは、その弾倉の先から伸びた五十センチほどもあろうかという、剣だ。
真っ直ぐに伸びるそれは、どう考えても突き刺したり切ったりするための装備に見える。
全体的な印象としては、銃と言うよりはむしろ槍に近い。
シャーニッドの拳銃と同じく、接近戦にも対応できるという、恐るべき錬金鋼をオスカーが持っている。
しかも、先ほどの攻撃は確実に避けたはずだというのに、見事にニーナにかすっているのだ。
そして、注意して見ればはっきりするが、銃口がかなり大きい。
そう。散弾銃だ。
「厄介な」
双鉄鞭を構え直し、現状を分析する。
ここにはオスカーしか居ない。
シャンテとゴルネオはレイフォンが押さえていることを、フェリの念威端子越しに確認している。
残る第五小隊員は念威繰者を入れて四人。
明らかにシャーニッド一人が相手取るには多い人数だ。
どうやら、ニーナの作戦は読まれていたようだ。
「ふむ。作戦を立てると言う事を覚えたようだが、まだまだだね」
そう言いつつ第二射が放たれた。
だが、相手が散弾銃だと分かっていれば、何とか回避することが出来る。
距離が比較的近く、効果範囲が比較的狭いからだ。
とは言え、ここでニーナが倒されてしまえば、第十七小隊の敗北が決定してしまう。
それを避けるために、何か手立てを考えなければならない。
逃げ回るというのもあるだろうし、急速に接近して懐に入り込むというのも有りだ。
オスカーが持っているのが拳銃だったなら、間合い的には双鉄鞭と変わらないので危険であることに変わりはないが、今目の前にあるのは違う。
その打撃部位から判断して、間違いなく槍に似た使い方を想定しているはずだ。
ならば、間合いの内側に入り込めばニーナの方が有利。
問題は、どうやって散弾をかいくぐって懐に飛び込むかだが。
メイシェンの見ている前でレイフォンが戦っている。
とは言え、これは試合だしレイフォンが怪我をすると言う事はほぼ考えられない。
だが、それを理解していて尚メイシェンは非常に心配だ。
世の中どんな事があるか分からないのだ。
ミィフィとリーリン、それにウォリアスとイージェ、ついでにエドという何時ものメンバーで観戦しているのだが、思わず胸の前で手を組んで無事にレイフォンが帰ってくることを祈っているのだ。
そして、今戦っている相手は第五小隊長のゴルネオだ。
その巨漢から繰り出される攻撃力は、まさにツェルニ最強クラスであるらしい。
メイシェンは武芸者ではないので、その辺詳しくは分からないが、ミィフィが仕入れてきた情報によるとそう言うことらしい。
だが、現実としてメイシェンが見ているのはある意味何時もの光景だった。
『アルセイフ!!』
『ゴルネオ!!』
接触した次の瞬間、ゴルネオの腕が六本に増えた。
それを迎え撃つレイフォンの腕も六本に増える。
何時も通りのレイフォンだ。
『たぁぁぁぁぁりゃぁぁぁぁぁぁ!!』
『ぬぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!』
『おおっと!! 双方いきなり腕の数が増えたぁぁぁぁ!! これは凄まじい打ち合いだぁぁぁぁぁぁ!!』
雄叫びと共に拳をぶつけ合っているらしい二人。
そして、絶叫を放ったのは司会進行というか解説の女生徒だ。
既に絶好調を通り越して、興奮のあまり卒倒しそうな勢いだ。
そして、そんな解説の暇すら惜しいとばかりにレイフォンとゴルネオが六本の腕で、正面から殴り合っている。
既にメイシェンには何が何だか分からないほど、凄まじい打ち合いをしているらしい。
『双方一歩も引かずに殴る! 殴る! 殴る! 殴る! 殴る! 殴るぅぅ!』
実際に見えているのか全く疑問だが、取り敢えず二人の周りで土埃が舞っているところを見ると、確かに何か行われているのだろうと思う。
全く見えないのでさっぱり分からないが。
『これぞゴルネオ・ルッケンス!! これぞレイフォン・アルセイフ!! いや違う! これこそ! これこそ槍殻都市グレンダンだぁぁぁぁぁぁぁぁ!!』
その絶叫が辺りを支配した次の瞬間、いきなり今まで殴り合っていた二人の動きが完全停止。
近くを飛んでいる映像中継装置へと、二人一緒に視線を向ける。
そしてじっとそのまま中継装置を見詰める二人。
『・・・・・・・。え、えっと? もしかして、違ったりしますか?』
声が冷や汗を流せるとしたら、今聞こえているのがそれだ。
うんうんと頷くレイフォンとゴルネオの周りだけ、いきなり空気の温度が低くなってしまったようだ。
だが、その低温状況も僅かに一瞬だった。
『炎剄将弾閃!』
何処からともなく現れた赤毛猫が、その髪と同じ紅い槍を回転させつつそう叫び、炎の固まりを創り出す。
そして、回転の勢いをそのままに、渦を巻いた炎の固まりがレイフォンとゴルネオに向かって飛翔する。
よりにもよって、殆ど密着して殴り合ったまま固まっている二人に向かってだ。
『ば、馬鹿!』
焦ったのはむしろゴルネオの方だったようで、驚愕に支配された一瞬の後、回避行動を取ろうとした。
だが、あまりにも驚くべき事態が発生してしまった。
『な、なにぃぃぃ!』
いきなりゴルネオの身体をレイフォンが捕まえたのだ。
それも六本の腕でしっかりがっちりと。
これはもしかしたら、一蓮托生というか死なばもろともというか、そんな敗北覚悟の行動かと思ったのだが。
『えい!』
『う、うわぁぁぁ!』
『え?』
何を思ったのか、あろう事かシャンテの放った炎に向かってゴルネオを投擲。
あまりの事態にゴルネオは当然としても、シャンテまで全く反応できなかった。
そして、見事に炎の固まりにゴルネオが激突。
当然、その灼熱の炎に焼かれて。
『どわぁぁぁぁ!!』
服が焼け焦げ、悲惨な有様で地面に激突。
メイシェンの見ている観客席まで、何かの焦げる匂いが漂ってきそうだ。
同士討ちだとは言え、当然撃破判定で第五小隊は最大の戦力とも言えるゴルネオを失った。
だが、本番はこれからだった。
『貴方はなんて酷い人なんですか!』
『な、なにぃぃ!』
ピシッと擬音がしそうな勢いで、レイフォンの左手人差し指がシャンテに突きつけられる。
当然のように、三本の左手である。
レイフォンが何を持って、シャンテを酷い人だと言っているのか、それは全く分からないが、かなり怒っているらしいことは間違いない。
会場全体を、緊張と沈黙が支配する。
そして一言。
『仲間をこんな有様にして、貴方はそれでも人間ですか!!』
『お前が言うな!!!』
思わずシャンテの絶叫に、観客席全員の気持ちがシンクロしてしまった。
確かにゴルネオは第十七小隊所属というわけではない。
所属ではないから全く問題無いと言えば、問題無いのだが。
「レイフォン、あんたどんどん性格がひねくれて行くわね」
隣の席で見ていたリーリンの一言が、恐らく観客席全員の統一見解だったのだろうと思う。
だが、まだ試合は終わっていない。
六発目の散弾をかろうじて回避したニーナだったが、ダメージがかなり蓄積していることを理解していた。
直撃を許してはいないが、回避するだけでも精神力と体力をもの凄く消耗するのだ。
普通に銃を持った人間と戦う時ならば、銃口と引き金にかかった指の動きに注意していれば、攻撃を見切ることは出来る。
だが、それが散弾だった場合かなり難易度が上がってしまう。
攻撃範囲が面であるために、回避行動が通常よりも大きくなってしまうからだ。
そして銃使いの特色として、剄の制御を全て活剄に回すことが出来る。
当然、反応速度も上がっているわけで、中途半端な回避などあっさりと追いつかれてしまうのだ。
引き金が引かれた瞬間に、旋剄を使って移動すればそれ程のこともないのだろうが、その場合明らかに距離が開いてしまう。
距離が大きくなればその構造上、散弾の効果範囲が広がってしまう。
それはつまり、次の攻撃を回避できるかどうか分からないと言う事につながる。
高速移動が必要なのは間違いないが、それにはオスカーから離れすぎないという条件が付いてしまう。
以上の状況を打開して、ニーナが勝利するためには、弾倉に入っている散弾を使い切った瞬間を待つしかない。
そこまで持ちこたえることが出来るかどうか、それは全く不明だがやるしかないのだ。
残弾が無くなってしまえば、あれは槍として考えることが出来る。
槍のように大なきな散弾銃の間合いの内側に入り込めれば、何とか有利に立てるはずではあるのだが、それでもオスカーを相手にする以上油断は出来ない。
油断は出来ないが、勝機がないわけではないのだ。
そして、それは唐突に起こった。
「む?」
いきなり軽い金属同士がぶつかり合う音だけがした。
普通は銃声によって聞こえないはずの音だ。
それはつまり、弾倉内の弾薬を全て使い果たし、装填しなければ飛び道具としては使えないと言う事。
今しかない。
内力系活剄の変化・旋剄。
収束した剄を脚に流し、一気にオスカーに向かって加速。
その加速力と共に右の鉄鞭を叩きつける。
散弾銃を持ち上げて、大きく振ることで防御するオスカー。
だがそれは計算済みだ。
オスカーほどの実力者を、一撃で倒せるなどと言う事の方が考えられない。
右手を前に出すことで左手を引いていた。
その左手を、右手を戻すと共に前へと突き出す。
狙うのはオスカーの顔面。
胸や腹を狙いたかったのだが、そこはきっちりと散弾銃で防御されていた。
防御されて膠着状態を作られる危険性があったために、消去法で顔面を狙ったのだが、恐るべき物がニーナの視界に飛び込んできた。
銃床だ。
左手で持っていた銃身を引くことで、ニーナの動きよりも一瞬速く突き出すことが出来たのだろう。
そして、その銃床にはとても凶暴な突起が付いていた。
そして理解した。
この状況こそオスカーが狙っていたのだと。
残弾がある状況で接近戦を挑んでこなかったのも、途中で装填しなかったのも、この状況を狙っていたからに違いない。
考えてみれば、残弾の確認をするのは銃使いとしての鉄則だ。
それを怠りわざわざ驚いて見せたのも、この瞬間を狙っていたからに他ならない。
そして、ニーナの腹筋に向かって突き進む銃床を止める術は、無い。
歯を食いしばり腹筋に力を入れて、倒れることだけは防ごうとしたまさにその瞬間、いきなり試合終了のサイレンが鳴り響いた。
「え?」
「っむ?」
左手を突き出しかけて止まるニーナと、あと僅かで目的を達成するところだった銃床。
急激な展開に二つの動きが全くもって停止する。
何が起こったかは予測できているのだが、心も体もそれを納得していないのだ。
それ程までに急速な展開だった。
そう。第五小隊敗北のサイレンが高らかに鳴り響いたのだ。
目の前には不完全燃焼気味のオスカーが居るし、ニーナだって全くもって不本意な勝ち方だ。
「隊長の作戦は失敗したのか」
小さく呟いたオスカーが錬金鋼を基礎状態にして踵を返す。
その背中はかなり不本意そうであった。
だが、兎に角試合は終わってしまったのだ。
ならば、これ以上戦う事もできず、ニーナも踵を返した。