前日に引き続きニーナはウォリアスの講義を聴くこととなった。
ただ聞くだけではない。
必死に頭を使って出来るだけ多くの物を吸収しなければならないし、そもそも、ただ聞いているだけと言うことをウォリアスは容認しないのだ。
そして、生徒会本塔内にある、武芸科資料室に到着したニーナは驚愕に固まった。
なぜならば、既にウォリアスが到着していたからだ。
いや。それだけなら何の問題も無いのだが、なにやら眠そうに歯を磨いている。
もしかしたらここに泊まり込んだのかも知れない。
「おはよう御座います」
「・・・・・。おはよう」
いきなり予想外の事態になっているが、相手が相手だけに許容するしかない。
取り敢えず、空いている適当な席に付き、ニーナは準備を整える。
「さて。昨日少し触れましたが、迎撃戦の詳細を」
「ああ」
言いつつ、一口サイズのサンドイッチを口に放り込みつつ、コーヒーをすする。
よくよく見れば、着ている物は昨日と同じだ。
やはり、ここで寝泊まりしているようだ。
「第一防衛戦でレイフォンが敗北した場合については、昨日話しましたね」
「ああ。お前が命がけで打撃を与えると言う事だった」
仕方が無いという言葉を使うつもりはない。
都市を守るために、ニーナはニーナを含めた誰の犠牲も払うつもりはないのだ。
「何かの理由で僕が失敗して、老性体がツェルニへ向かった場合、第三防衛戦が機能することになります」
第五小隊とナルキが用意した落とし穴だ。
動きを封じて何かの攻撃を仕掛けることは理解しているが、だが決定的な欠点がある。
「気が付いていると思いますが、あの落とし穴は戦場とツェルニを結ぶ直線上にありませんでした。老性体を察知してツェルニが逃げたというのもありますが、地盤の関係上あそこにしか掘れなかったという理由もあります」
ツェルニから戦場へ直行したはずのニーナ達が、その存在に気が付かなかったという事実がある以上、直線上に並んでいなかったのはおおよそ間違いがない。
それでは無意味だ。
罠とは、そこに標的がやってきて始めて意味を持つ。
ならば、最低限戦場とツェルニを結ぶ直線上に仕掛ける必要があったのだ。
ニーナが気付いているほどだから、当然ウォリアスもしっかりと認識している。
「そこで囮が必要になりますね」
「・・・・・。ああ。・・・・・。ナルキか!」
「オスカー・ローマイヤーとナルキ・ゲルニです」
何故、あの場所にナルキが居たか、それはずっと疑問だった。
だが、罠にはめるための囮として使うというのならば、話は分かってしまう。
「勘違いしてはいけませんが」
囮にするならば、逃げ足だけが重要で、それ以外の能力は期待しない。
超高速移動という能力のあるナルキならば、囮にはもってこいだと思ったのだが、やはりウォリアスに機先を制された。
「囮になれる人間を他に思いつけなかったんですよ」
「・・・。どういう意味だ?」
思いつけなかったという。
それがどう言う意味かまだ分からない。
「この場合、抗戦しつつ罠まで誘導しなければなりませんでした。あの老性体を相手にですよ?」
言われて見てやっと気が付いた。
罠まで誘導するとなると、足が速いだけでは駄目なのだ。
ある程度冷静な判断能力が必要で、それを戦闘しつつ維持しなければならない。
ニーナを恐れさせ、硬直させた老性体を相手にだ。
ただ立っているだけでも、逃げ回っているだけでも駄目なのだ。
きちんと戦いつつ誘導するには、想像を絶する精神力が必要になるに違いない。
「そこで白羽の矢を立てたのが、レイフォンが一年近く特訓して、臨死体験を済ませているナルキでした」
臨死体験という凄まじい単語を平然と使うウォリアスに、かなりの憤りを覚えたが、それでも話は分かるような気がする。
あの老性体とまともに戦えるレイフォンから、一年の時間特訓を受け続けていたのだ。
度胸は十分に付くことだろう。
「本来なら、メイシェンを支えるためにツェルニに残したかったのですが、どうしても一人足らなかったので」
ツェルニの最終防衛戦、その要である小隊から人を裂くことは出来なかった。
となると極端に人選は難しくなることは間違いない。
そして、それと同じように重大な疑問がわき上がってくる。
「私は候補に挙がらなかったのか?」
「まったく」
一刀両断だった。
ウォリアスの判断基準をニーナは満たしていなかったのだと理解した。
「猪突猛進型の人間を使うほど、僕は人生投げていませんから」
そう言いつつ、少し含みのある笑顔でこちらを見ているようだ。
何か反論しなければならないのかも知れないが、無駄な努力をしていた手前、あまり大きなことは言えない。
「一つ訪ねますが。アントーク先輩は、作戦計画に乗っ取って行動することが出来ますか?」
「当然出来る!」
「例え、すぐ側を走っていた人間が目の前で食われても?」
「そ!」
そんな事はさせないと言おうとして、言葉を飲み込んだ。
もし、ニーナが隣を走っていた人間を助けようとして、最終的に罠へ誘い込めなければ全てが無駄になる。
非情に徹して行動しなければならないのだ。
レイフォンの講義を聴いた今でも、それが出来るかどうかと問われたのならば、否と答えることしかできないし、そもそも否と答えるためにニーナは日々努力しているのだ。
ウォリアスの考える戦いの方法と、ニーナのそれは決定的に違うのだ。
「ふむ。納得していませんね?」
「当然だ!」
それが必要であると言う事は理解しているが、断じて認めることは出来ない。
例え犠牲者がウォリアスだったとしても、誰かの犠牲の上に成り立つ平穏などあってはならないのだ。
「私は! ツェルニを守るために私を含めた誰も犠牲にはしない!」
犠牲が出ないようにするために、指揮官が居るのだ。
それがどれだけ微かな可能性だろうと、諦めてしまってはそこでお終いだ。
だからこそニーナは反論する。
「・・・・・・・・・・・・・。はいはい。頑張ってくださいね」
だが、相手をしていたウォリアスは何か納得したのか、はたまた諦めたのか、暫く何か考えていてから投げやりにそう言ってコーヒーをすすった。
今のやりとりの何が問題だったのか、ニーナには分からないが、それでも何か致命的な間違いを犯してしまったことだけは理解した。
「投げるなウォリアス・ハーリス!」
「どわ!」
「!!」
そんな瞬間を狙ったように、第三の声が資料室に響き渡った。
いや。間違いなく狙っていたのだと思う。
目の前でコーヒーをすすっていたウォリアスが、盛大に転んで床に黒い液体をぶちまけた。
ニーナもそれ程違った反応が出来たわけではない。
飲み物を持っていたかどうかの違いでしかないのだ。
「武芸長?」
「うむ」
そこにいたのは、ツェルニ全武芸者の頂点に立っている、ヴァンゼ・ハルデイその人だった。
厳つい顔に厳つい雰囲気をまき散らしつつ、悪戯が成功した小さな満足感が見え隠れしているような気がする。
「殺剄をして人の側に来てはいけないという法律があったのを忘れたのですか! オスカー先輩も貴方も! どうして武芸科の頂点付近にいる人達は!!」
始めてウォリアスが激昂するところを見たと思うのだが、その気持ちは十分以上に理解することが出来る。
ニーナも全く同じ気持ちなのだから。
だが、殺剄に関する法律などツェルニにあっただろうかという疑問は、ニーナの中に少しだけ残った。
「まあ、それはそれとして」
「誤魔化さないでください!!」
「今はニーナの方が重要だ」
「それは認めますけれど」
なにやら激昂していたウォリアスが、一息ついて椅子に座り直す。
それを見たヴァンゼも、近くにあった椅子に座った。
誰も、床の上に零れたコーヒーについては気にしていないようだ。
そこに既に憤りを感じてしまった。
「何故伝えない?」
「僕が伝えたら、それこそ逆効果です」
「・・・・・。確かにそうかも知れんな」
二人の間だけで会話が成立している。
しかも、ニーナにとってかなり重要な内容で。
「よろしいですか?」
「ああ。お前が主役だからな」
言いつつヴァンゼの視線がニーナを捉える。
それはしかし、かなり厳しいものだった。
ゆっくりと息を吸い込み、そして。
「俺とカリアン、そしてお前は言ってはならない。既に犠牲は払われた。その犠牲に見合う成果を俺達は何とかして得なければならない」
「誰も犠牲になってなどいません!」
ヴァンゼの一言は、致命的にニーナの心に突き刺さった。
まだ、誰も犠牲になってはいないのだ。
そのはずなのに、ヴァンゼは既に払われたという。
納得することなど出来はしない。
それ以前に、ウォリアスが言うべき事のはずなのに、ヴァンゼが代わりをするなどと言う事を認めることも出来ないのだ。
「ウォリアスが言わないのは、お前が彼のことを否定しようとしているからだ。それに、そもそもこう言うことは、ずいぶん前に俺かシンから話さなければならなかった。俺達の方の落ち度でもある」
ヴァンゼがそう言うと、少し考え込んでいたウォリアスが席を立った。
そして、床を拭くための準備をしつつ距離を取る。
ここから先はヴァンゼとニーナの問題で、自分には関係ないと言う事なのかも知れない。
そして、それ以上に問題なのはニーナが感じているウォリアスへの嫌悪感だ。
卑怯な戦い方をしたウォリアスを快く思っていないことは間違いないが、それが何時の間にかかなり深刻な嫌悪感になっていたのだ。
自覚がなかったわけではないが、それでも認めたくはなかった。
「さて本題だ」
そんなニーナのことを理解しているのか居ないのか、ヴァンゼが小さく息を吸い込む。
既に払われた犠牲について、説明するためだと言うことは十分に理解している。
「俺とカリアン、そしてニーナ。三人だけは払われた犠牲に見合う成果を上げる義務がある」
「どんな犠牲が払われたというのですか!」
それが分からない。
幼生体戦で怪我人は出たが、それは全て武芸者だった。
そして誰も死んではいない。
武芸者である以上都市を守って戦うことは絶対だ。
そして、戦って犠牲者を出さないために指揮官が居るのだ。
前回、レイフォンの助けがあったとは言え、死者を出さずに済んでいるはずなのだ。
そうなると、幼生体戦での怪我人とヴァンゼの言う犠牲とは恐らく意味が違う。
「学生のみが持っている当然の特権、自分の将来を決めるための試行錯誤、そのために使うべき時間をレイフォン・アルセイフから奪っている」
「? レイフォンは武芸者以外にはなれません」
あれだけの才能を持った武芸者を、どんな都市だろうと遊ばせておくなどと言うことはない。
ヨルテムのように教官として招くというのもそうだし、グレンダンのように前線の戦力として期待するのもそうだ。
武芸者として生きる以外の選択肢は、レイフォンにはないのだ。
「そうだ。だが、それを決めるのは最終的にはレイフォンだ。そして、武芸以外で生計を立てる道を探すためにツェルニに来た。言う意味は分かると思うが」
「・・・・・・。はい」
グレンダンでのこともあり、武芸者として生きて行くことを止めたがっていたのは以前に聞いた。
それは未練であると思うのだが、それでも最終的に決めることが出来るのはレイフォン本人だけだ。
そう考えるならば、レイフォンが迷うという学生として当然持っている時間が奪われている。
ましてここは学園都市だ。
本来ならば、何よりも迷ったり考えたりする時間こそ守らなければならない。
それが出来ないと言うことは、レイフォンにとって非常に大きなマイナスだと言える。
マイナスを犠牲と言い換えるのならば、既に犠牲は払われていたのだ。
今までそれに思い至らなかったニーナこそ、迂闊だとしか言いようがない。
思い返せば、フェリも同じような経緯をたどっている。
フェリとレイフォンが試行錯誤をして、最終的に自分が何者であるかを決めるための時間、確かにそれをカリアンとヴァンゼは奪っている。
そして、その犠牲の上にこそ第十七小隊は成り立っているのだ。
ならば、犠牲者など出さないなどと戯れ言を言う権利はニーナにはない。
いや。そもそもニーナがシュナイバルから出ようと思った動機も、決められた道を歩く事が正しいかどうか分からなくなったからと言う理由もあったはずだ。
ニーナ自身も迷ったり考えたりするために、ここに来ているというのに、フェリやレイフォンにそれを許さないと言っているような現状は、酷く滑稽でありいびつだ。
「そうだ。ただし、厳密に言えば、誰も彼もが誰かの犠牲の上に今を生きているのだろうが、それでも俺達三人だけは決してそんなことを言ってはいけないのだよ」
溜息混じりにそう言うヴァンゼの表情は極めつけに厳しかった。
カリアンの独走だったのかも知れないが、それを止められなかったのは、武芸大会で連敗してしまった武芸者全ての責任だ。
そして、その責任を全て背負うべきなのがヴァンゼだ。
ニーナは、自分が思っているよりも何も分かっていなかったようだ。
だが、いや。だからこそ深刻な疑問がある。
ウォリアスだ。
十五歳でしかない彼が、何故そんな事まで理解しているのか?
ある意味の天才なのかも知れないが、それでもウォリアスの実力には驚愕してしまう。
「今すぐに答えを出す必要はないが、ゆっくり考えろ。お前は組織を率いる人間だ」
オスカーの話を聞いてさえ、ニーナには組織を率いると言うことが良く分かっていなかったようだ。
そして、犠牲というのが単に物理的に現れる物でないことも、理解し始めた。
「ウォリアス!」
「・・・・? はい?」
一通りの話は終わったと言わんばかりに、本来の講師をヴァンゼが呼んだが、呼ばれた当の本人はなにやら別なことを考えていたようで、非常に反応が遅かった。
視線がこちらを向き、そして焦点がヴァンゼとニーナに合う。
「ああ! そちらの話は終わりましたか」
「ああ。俺は他の用事を片付けに行く」
「僕の周りで殺剄は厳禁ですからね」
「覚えておこう」
そう言うと、堂々と部屋を出て行く。
もしかしたら、またこっそりと戻ってくるかも知れないが、今のところは安心していて良さそうだ。
ヴァンゼが出て行って、一息ついたところでウォリアスが口を開く。
今まで何を考えてあれほど集中していたのか、それは全く分からないが、それでも今はニーナへ向かって意識を集中している。
「途中になりましたが、第三防衛線へ誘い込む囮、それが二人だった理由は分かりますよね?」
「ああ。どちらか片方が食われても目的を果たすためと、二人いればお互いに支え合ってあれの恐怖で身動き取れなくなることが少なくなるからだ」
微かに頷いてニーナの認識と、ウォリアスの計画が離れていないことを告げた。
だが、ここでもやはり少し疑問がある。
「もっと用意しようとは思わなかったのか?」
「戦力の逐次投入は愚策ですが、無駄な犠牲を出すのもやはり愚策です。そして、二組四人で何とか出来るだろうと思っていました」
「・・・・・。ゴルネオとシャンテか」
第五小隊長を勤めるゴルネオと、相棒であるシャンテが囮の役を引き継ぐことで、万が一の事態に備えることが出来ると判断したようだ。
もちろん、あそこにいた武芸者の、本来の仕事は、落とし穴を作ることだったのは言うまでもない。
「それで、その落とし穴ですが、落としただけではあまり意味がありません」
「ああ」
「そこで使うのが作業指揮車です」
あの移動基地と呼べる指揮車でひき殺すのかと思ったが、どう考えても老性体の方が大きかった。
ならば、他に何か打撃力があるのだろうと思ったのだが、続いた言葉は想像を絶する異常な物だった。
「機械科と錬金科の有志が、大砲を作りました」
「・・・・・・。何故?」
大砲である。
作業指揮車ならば、万が一にツェルニが敗北した時に使うからと、おおよそ建造の理由は理解できるのだが、大砲などと言う物を作る理由が全く思いつかない。
質量兵器が必要ならば、その役は当然ミサイルがやるはずだというのに、わざわざ大砲を作らなければならない積極的な理由が、全く思い浮かばないのだ。
「趣味だそうです」
「・・・・・・・・・・・・」
趣味で大砲を作ると言う事にも驚くが、そんな物を使おうとする人間にも驚く。
どう考えても、それ程大きな威力を出すことが出来そうにないのだ。
何しろ趣味で作っているのだから。
「何処で仕入れたか不明ですが、色々と考えられていて、理論上あの老性体の甲殻を打ち破れるそうです」
「・・・・・・。冗談ではないのか?」
「僕も確認しましたが、計算上甲殻を打ち抜いて、かなりの打撃を与えられるはずです」
それはそれで驚きだ。
今回のために作ったわけではないだろうに、どうしてそんな強力な武器を作ったのかとことん問い詰めたい気分だ。
レギオスには、それ程多くの余剰物資があるわけでもないし、そもそも、作っただけで使わないとなれば完全にエネルギーの無駄なのだ。
「何でも完成までに十年かかったとかで」
「・・・・・・・・・・・・・・。そうか」
十年である。
それはどう計算しても、二世代にわたって作り続けられたと言う事になる。
それどころか、何人もの技術者があらん限りの知識と技術を有りっ丈使って、精魂込めて作り上げたに違いない。
使う予定がないにもかかわらず、何故そんな物を作っていたのか、非常に疑問ではあるのだが、技術者というのはそう言う生き物だと納得しておいた方が良さそうだ。
「作業指揮車の屋根に、大砲を据え付けましたが、残念なことに精密誘導なんて事は出来ませんでした」
「それで、落とし穴で動きを封じてからの砲撃か」
「そうです」
そして、落とし穴に落ちなかった場合、作業指揮車は自らを囮として砲撃を実施する。
もちろん、その時には生還を考えずに、外れることなど考えられない零距離からの砲撃になったことだろう。
ここまで来ればそれはおおよそ理解できるという物だ。
だが、ここでも疑問がある。
それだけの能力があるのならば、もっと有効に使えるのではないかと。
「実のところ、砲弾が三発しかありません。試射も出来ない状況なので、ぶっつけ本番ですね」
「成る程」
使えない理由は常に存在しているようだ。
もし、レイフォンが健在な状況で老性体が落とし穴に落ちて、ナパームといくつかの強力な技で殲滅できず、レイフォンが戦闘の限界に到達していたのならば、後のことを考えずに砲撃は行われただろう。
最悪、レイフォンやウォリアスが巻き込まれることも考慮の上で。
そして理解した。
全ては老性体を殲滅するために用意されたのだと。
これでおおよそ迎撃作戦の全容を把握することが出来た。
「さて。順序が逆になってしまいましたが、この作戦の目的です」
これが最後だと言わんばかりに、ウォリアスの口が開く。
しかも、聞くまでもない最も基本的な内容について、これから話すつもりのようだ。
「老性体の殲滅ではないのか?」
「違います。ツェルニが生き残ることです」
ツェルニが生き残るために、老性体を殲滅する。
違いはないと思うのだが、ウォリアスの考えでは違うのだろう。
「ツェルニが老性体の探知範囲外に逃れることが出来るなら、殲滅する必要はありません」
「・・・・。ああ。そうだな」
無理をして殲滅する必要はないと言っているのだ。
だが、非常に大きな問題が有る。
それは、傷を負った老性体が新たな餌を探して、近くにある都市に襲いかかるかも知れないと言う問題だ。
ツェルニは助かっても、他の都市が犠牲になってしまっては意味がない。
確かに、あれだけの準備をしてレイフォンまで投入したにもかかわらず、殲滅できなければ、ツェルニに打つ手はないのだろうが、逆にツェルニだけ助かれば良いという趣旨にもとれてしまう。
そもそも、これだけの準備をしていて、殲滅するための強力な支援兵器があるのだ。
殲滅できて当然だと思うのだが。
「汚染獣、しかも老性体とは常識と正気を疑うような化け物です。これで殺すことが出来ると思っているといきなり復活したりするそうです」
そんな事は考えられない。
高温の炎で体内を焼かれて尚、生きている生命体などと言う物を想像することは出来なかった。
しかも、ナパームとレイフォンの剄技、二重の攻撃で殲滅できなかった時のことを考えているなどと、想像を絶する思考方法だ。
「そもそも、レイフォンが炎破を放ったのはナパームでは殺せないと思ったからですし、それでも足りなくて浸透斬撃の技まで使っている」
言われてみて思いだした。
レイフォンは青石錬金鋼の刀で、今まで見たこともない凄まじい破壊力の技を使っていたのだ。
念には念を入れるというレベルの話では無い。
あれでもまだ足りないと言わんばかりに、更なる攻撃の姿勢を見せていた。
つまり、汚染獣戦、しかも老性体戦というのはそう言う物なのだ。
そして、そんな想像を絶する戦場でレイフォンは戦い、そして生き残ってきた。
それを認識したニーナの身体は、急速に冷えて行った。
レイフォンを部下にすると言う事を、始めて理解したような気分だ。
「以上で、老性体戦の講義を大雑把に終了します。詳しくは生徒会長のところに具体的な方法について書いた計画書があるので、それを見てください」
そう締めくくるウォリアス。
確かに、カリアンに見せられたあの計画書を詳しく解説することは、ウォリアスには出来ない相談なのだろう。
能力的な問題ではなく、一年生という学年的に、そして何よりも時間的に。
「そうそう。今度こそ最後ですが、僕はニーナ・アントークという人物を結構高く評価しています。これは嫌みでも何でもなく本心から」
「・・・・。そうか」
本心からと言われたが、考え無しにレイフォンの元へと走ってしまったニーナは、とても自分を評価することなど出来はしない。
もしかしたら、ウォリアスの評価だからだというのもあるのかも知れないが、それでもニーナは自分を評価することが出来ない。
「不公平や不条理、理不尽に対して不満を抱えている人は多いですし、文句を言う人なんかそれこそ何処にでも居ますが、行動する人は極めて少数です」
ウォリアスの言うことをそのまま理解すると、考え無しに行動してもそれは評価できると取れてしまう。
だがしかし、当然続きがあった。
「当然、やれば良いという訳ではありません」
「・・・。そうだな」
「個人的に行動する時には、別段後のことを考える必要はありませんが、誰かを巻き込む時や集団を率いる時にはきちんと考えなければなりません。アントーク先輩はそこが欠けていただけですね」
つまり、何かをする前に十分に考えろと言いたいのだ。
組織を率いると言う事は、そこに所属する者達に対して責任を持つと言う事に他ならない。
その責任を持つためには、事前の準備や思考がどうしても必要になるのだと、ニーナはやっと理解した。
少し遅かったが、それでも理解した以上は実際にやらなければならない。
新たな気持ちと共に、まだ調べ物があるというウォリアスを残して資料室を後にした。
なにやらニーナに講義をしていたらしいウォリアスから、カリアンに会いたいという連絡をもらったのは、いい加減夕方になってからのことだったとフェリは記憶している。
それは急ぎの用事ではなかったし、公式の物でもなかったので、最終的に寮に来るようにというカリアンからの指示を中継した記憶もある。
そして今、太陽は既にその姿を消し去り、煌々と輝く月が中天に差し掛かろうとする時間である。
「ふふふふふふ。なんだか怒っているようだねウォリアス君?」
「あははははは。全然これっぽっちも全く持って怒っていませんよ、カリアンさん」
二人とも笑顔を張り付かせて、なにやら牽制か威嚇を始めている。
縄張り争いでもするつもりだろうかと、ふとどうでも良いことを考えつつ、目の前にあるお菓子をつまみつつ紅茶を啜る。
お菓子はウォリアスが持ってきた自家製、ミックスフルーツ・パウンドケーキである。
レーズンやオレンジピール、レモンピールにクランベリー、その他にも色々なドライフルーツが細かく刻まれ、ブランデーを効かせたスポンジの中で踊っている。
メイシェンが作るほど洗練されていないが、やや荒っぽいその仕上がりは、これはこれで有りだと思う。
もう少し甘くしても良いと思うのだが、まあ、この次作る時にでも注文を付ければいいと結論を出す。
「ふふふふふふ。もしかして私に何か言いたいことでもあるのかね?」
「あはははははは。実は疑問があったので、それを解消して頂きたいと思いまして」
「ふふふふふふふふ。私のような凡人に答えられる問いならば言ってみたまえ。誠心誠意答えさせて頂くよ」
なにやら外界が五月蠅いが、取り敢えず薄く切ったパウンドケーキに噛み付きつつ、やや濃いめに淹れた紅茶を啜る。
なにやらウォリアスは何時もと違うような気がするが、ケーキに免じて全てを見なかったことにしてやろう。
そう決意を固めているのだ
「あははははははははは。何でメイシェンがリーリンの寮に泊まり込んでいたのかなって思って」
「ふふふふふふふ。そんな事かい。既に答えは出ているのではないかね?」
「ええ出ていますよ」
いきなり渇いて怖い笑いを捨て去り、これ以上真面目な表情など出来ないという真剣な顔でカリアンに向かい合うウォリアス。
どうやら威嚇と牽制は終了して、実際の戦闘が始まるようだ。
「アントーク先輩を失敗させるため、あるいはその価値を見極めるためですよね?」
「分かっていてここに来たのかい?」
「ええ。間違っていたら嫌じゃないですか」
ミサイルと砲弾が言葉へと姿を変えた質量兵器同士が、相手を討ち滅ぼそうと放たれる。
取り敢えずフェリは、殆ど手が付けられていないパウンドケーキを確保して、安全と思われる距離まで後退する。
「ニーナがどう行動するか、それを見たかったというのもあるが」
「行動して失敗して、そこから自分の体験として学ばせたい」
「分かっているじゃないか」
「理解はしていますよ。それがアントーク先輩にとって必要であると言う事もね。ですが」
「なんだね?」
「僕の言う事を、とことん否定してしまったらどうするつもりだったんですか? あり得ない予測ではなかったですよ」
「その時は、ニーナを切り捨てるよ」
今の会話を聞いていると、ニーナは謀略によって失敗させられたと言う事になる。
そもそもニーナは、メイシェンが住み慣れた寮にいなかったところから疑問を持つべきだったのだ。
まあ、ニーナにとってはよい薬になったと言う事で、特に問題はない。
なにやら、非情にフェリにとって魅力的な内容が会話の中にあったような気もするのだが、それは聞き流した方が精神安定上良いのだろうと結論づけて、全てを忘却の彼方へと放り投げる。
「私が予測した失敗の中で、最もニーナらしい失敗をしてくれて安心しているよ」
「アントーク先輩らしくない失敗をするよりは、だいぶましですからね。ですが」
「なんだね?」
細目で長髪の少年の視線が、いきなり鋭くなった。
眼が細いからと言うのとは明らかに違う。
その迫力はカリアンを超えてしまっているように思える。
非常に疑問な展開だ。
「分かっていると思いますが、確認のために言いますよ」
「そうしてくれ給え」
ふと思う。
カリアンの髪をウォリアス風に縛ったら少し面白いのではないかと。
いや。むしろウォリアスに眼鏡をかけさせた方が、もう少し面白いかも知れない。
「貴方はカリアン・ロスという人物の、人生の主役ではありますが、人間社会全体の主役などではありません。ツェルニという集団の中で中心的な人物ですが、世界の中心ではありません」
誰かの人生を考えるならば、その主役は人生を生きている本人に違いない。
ただ、それが社会全体となると全く話は違ってくる。
筋は通っているし理解も出来る、何よりも納得が行く。
特にカリアンのような腹黒陰険眼鏡は、自分こそが世界の中心であると思っているかも知れないのだ。
ここらでやはり、一度死んでみた方が良いかも知れないとも思う。
「それは理解しているよ。私は組織の中心にはなれても何かの主役にはなれない」
「ならば、今回みたいなことは止めて下さい。そうでなくても貴方絡みの問題で忙しいんですから」
「ふふふふふふふふふふふふ。ツェルニの滅びを避けるためになら、私は何だってやるよ?」
「具体的に僕にこれ以上仕事を回さないで下さい。そもそも、ヴァンゼさんを潜ませたのも貴方の仕業でしょう」
「そうだよ。ニーナに組織の長という職務を理解させるためにね」
やはり死ぬべきだ。
今夜辺り、ナルキに連絡をして抹殺してしまおう。
そう結論付けつつ、厚めに切ったケーキを口に放り込む。
「実は私も疑問があるのだが、聞いて良いだろうか?」
「僕に答えられる範囲内なら」
一段落したようで、攻守が入れ替わる。
それを確認しつつ、ウォリアスの前から手つかずの紅茶を奪い取る。
このまま冷めてしまうのはもったいないのだ。
「君は一体何歳なんだね?」
「さあ」
「レノスに問い合わせても十五歳であるという答えしか返ってこなかった」
「速いですね」
既にレイフォンの事を調べているので、ウォリアスに特に動揺した形跡はない。
やや呆れていると言った感じではあるが、特に不快に思ったと言う事もないようだ。
「だが君のその考え方、物の見方、何よりも立ち居振る舞いはどう考えても十五歳ではあり得ない」
それはフェリ自身も疑問に思っていた。
年相応の行動をすることもあるが、レイフォンやニーナ絡みでは全く印象が違うのだ。
年齢を誤魔化していると言われた方が、遙かにしっくり来るほどに落ち着いている。
「十五歳ですよ? 永遠の十五歳かは自信ないですが」
はぐらかす答えが返ってきた。
これは当然カリアンも予測していた。
フェリだって予測していた。
もしかしたら、レイフォンは知っているのかも知れないが、別段何か問題が有るというわけではない。
それよりも問題は。
「成る程。まあ良いだろう。ところで一つ頼みがあるのだが」
「あまり時間をかけなくて良いのならば」
カップに残った、最後の紅茶を飲み干す。
それは、パウンドケーキへ別れを告げる儀式でもあった。
そして、ロス家が抱える問題を、カリアンが口にする。
「夕飯を作っていってくれないかね?」
そう。夕食がまだなのだ。
そして、料理が出来るウォリアスをわざわざ自宅へと招いたのも、全ては夕食を確保するため。
「・・・・・・・・・・・。珍獣は?」
「レイフォン君なら夜間の清掃へ出かけているよ」
「外食するという選択肢は?」
「レイフォン君の料理に慣れてしまってね。外食が少々味気ない物に思えているのだよ」
「フェリ先輩の手料理は?」
「その選択肢を選ぶのだったら、私は卒業までゼリー飲料だけで生活するよ」
珍獣フォンフォンが料理を作りに来てくれたのは、この一週間ほどの間にわずか三回。
だがしかし、その僅かな回数で既に外食をするという選択肢が困難になってしまっているのだ。
もしかしたら、こちらこそ餌付けされているのかも知れないが、珍獣フォンフォンだから特に問題無い。
フェリ自身が料理をするという選択肢は、フェリ自身にとっても危険であるので、出来るだけ取りたくないのだ。
いや。料理でカリアンを抹殺するというのもありだろうが、間違って自分で食べてしまっては命に関わりかねない。
こちらでの使い方も、あまり好ましくないだろう。
「贅沢を言っていますね」
「あっはっはっはっはっはっは!! 私の家は裕福だから贅沢には慣れているのだよ!!」
「自慢になりませんから、それ」
突っ込みを放ちつつ、手元を見るウォリアス。
あまりにもあまりな展開に、少々疲れて喉を潤したくなったのだろうが、既に紅茶はフェリのお腹の中である。
からになったカップを不思議そうに眺めたのは一瞬。
理解の視線と共に、その細い瞳がフェリを捉える。
そして次の瞬間、驚愕に支配されたように限界を超えて見開かれるウォリアスの瞳を見た。
その視線は、紙の箱を見つめているような気がする。
「フェリ先輩?」
「何でしょうか?」
しらを切り通す。
それ以外に何もする事はない。
「質量が、最低でも一キルグラムル以上あったパウンドケーキ、それが今どこにあるかご存じありませんか?」
そう。ウォリアスが持ってきたミックスフルーツ・パウンドケーキは、その姿を完璧にこの世界から消し去っていたのだ。
だからこそしらを切らなければならない。
「ゼロ領域に飲み込まれたのではないでしょうか?」
「ゼロ領域ってなんです?」
「F理論で解明できる、謎時空です」
「解明できているのに謎はないですよ」
猛烈に鋭い突っ込みをその胸に受けつつ、視線をそらせ誤魔化すための話題を探す。
ウォリアスとカリアンの舌戦を眺めるだけというのは、実は結構大変な精神力を消耗する行為だったのだ。
消耗した精神力を補給するために、パウンドケーキはゼロ領域に消えてもらわなければならなかったのだ。
「さあ。速く夕食の支度をして下さい」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。太りますよ?」
「失礼ですね」
言いがかりである。
パウンドケーキはゼロ領域に消えてしまったのであって、断じてフェリのお腹の中に入ったのではないのだ。
「・・。分かりましたけれど、僕の分も作りますよ?」
「それで結構だよ。いや助かるよ。やはり手料理の方が望ましいからねぇ」
珍しく、本当に奇跡的にカリアンとの意見の一致を見た。
取り敢えず、これで食事の確保という難題がだいぶ改善された。
料理を始めたウォリアスを眺めつつ、珍獣フォンフォンを正式にロス家のコックとして雇えないだろうかと、本格的に思考するフェリだった。
ちなみに、次の日から暫くフェリは体重計に乗らなかったという。
ニーナについて。
これを書いていて思ったのですが、俺がニーナをあまり好きではない理由というのが、犠牲云々の台詞だったような気がします。
原作四巻でフォーメッド相手に似たような事を言っていたのを読んで、一気に不満というか疑念というかそう言う物が貯まっていったような。
ただし、これは俺、粒子案と言うフィルターを通して見た光景である事をしっかりと認識して下さい。
間違っているかも知れないし、とてつもない偏見かも知れないですから。