都震が起こった次の日、恐れていた事態がやってきてしまった。
修理にはあと半日程かかり、移動開始は今夜遅くという予報が出ている。
予報が当てにならないと言う事態を祈りたいが、それ以前に問題がやってきてしまったのだ。
『汚染獣を発見しました。雄性体二期が三体と、一期が二体です』
警戒に当たっていた念威繰者の報告が、武芸者の待機所に響き渡る。
メイシェンからもらった弁当箱を洗っていたレイフォンは、いつもよりも水が激しく飛び跳ねるのを確認して、自分の精神状態が万全ではない事を認識した。
何とか洗い終えたので丁寧に弁当箱を拭き、あてがわれたロッカーにしまい込む。
一緒に持ってきてくれたお守りは、慎重にボタン付きのポケットにしまい込む。
「取りあえず移動するか、レイとん?」
「そうだね」
そう言いつつ、汚染物質遮断スーツと錬金鋼を二本、手に持った。
「あれ?」
何か、違和感を感じた。
「どうした? 体調が悪いのか?」
心配気にナルキが聞いてくるが、体調が悪いとは決定的に何かが違う。
「なんでもないよ。少し、違和感を感じたんだ」
普段なら気が付かないはずだが、戦闘を前にした今は、かなりの重要度で正体を確認し、対応しなければならない。
それが出来なければ、不完全な状態で戦場に立ち、結果的に死を招くからだ。
「本当に大丈夫か? 顔色が悪いぞ」
「そうかな?」
どうやら、外から見るとかなり酷い状態であるようだ。
「汚染獣戦には参加した事あるんだろ? そんなに怖いのか?」
「たぶん違うよ。雄性体の二期でしょ? それなら、十分に対応出来るはずだからね」
戦力が充実しているヨルテムならば、それほど大きな被害を出す事無く殲滅する事が出来るはずだ。
レイフォン個人の都合としても、青石錬金鋼が一本有れば十分に対応できる敵でしかない。
だからこそ、今の違和感の正体をゆっくりと考える事が出来るのだ。
「手、震えてるぞ」
「え?」
ナルキのその言葉で慌てて自分の手を見たレイフォンは、言われたとおりに震えている事を確認した。
「違和感の正体は、これか」
なぜ震えているのかと聞かれると、まだ原因は分からないが、状況を理解しただけでも前進だ。
「大丈夫だよ。交叉騎士団はかなり強いから、私たちの出番はないさ」
「そうだね」
トマスがらみで、一度だけ交叉騎士団員を見た事がある。
天剣授受者と比べれば、流石に見劣りしてしまうが、老性体に一人で挑めとか言わない限りは、充分にその力を発揮してくれそうだと言う事は、理解している。
もしそれが無くても、雄性体の二期くらいなら、天剣を持たないレイフォン一人で、十分対応出来る。
出来るはずなのに、なぜか手が震えている。
「そんなに怯えるなよ。大丈夫さ」
「うん」
ナルキに励まされるという今まで考えた事のない事態に驚きつつも、待機所から出る。
見学組は放浪バスを改造した見学車に乗り込み、戦場から少し離れた場所まで行く。
当然、護衛を務める人間も居るのだが、ほとんどは子供達だ。
十歳から十五歳くらいまでの男女が、思い思いの錬金鋼と共に、乗り込んでいた。
流石に、子供達用の遮断スーツは用意されていないようで、そんな物を持っているのはレイフォンただ一人だ。
「レイフォン」
「はい?」
乗り込もうとした瞬間、いきなり後ろから声をかけられ、ステップに足をかけた状態で振り向く。
「・・・。あまり、平気そうではないね」
「トマスさん」
万が一にでも都市に接近された時の用心のためだろう、通常の戦闘服を着たトマスが、心配気にこちらを見ている。
ナルキが気が付いたくらいだ。当然トマスもレイフォンの状況を認識している。
「怖いのかね?」
「こわい?」
汚染獣戦を前に怖いと思った事は、今まで数えるくらいしかなかった。
そのほとんどが天剣を持つ前だから、感覚的にずいぶんと古い。
「そうか。これが恐怖なんだ」
今の自分の状況を認識して、その言葉がすとんと落ち着く所に落ち着いた。
「恐怖って。何が怖いんだね?」
「? 何が怖いんでしょうね?」
自分が恐怖を感じている事は分かったが、何について感じているかは、皆目見当が付かない。
「まあ、実際に戦う場面になれば、問題なく切り捨てますよ」
「いやね。君たちが戦うというのは、かなり物騒な事態になるんだがね」
「そうですね。僕が戦うと言う事は、前線が突破されて、見学車に汚染獣が接近すると言う事ですからね」
そんな事は有ってはならないのだが、事、汚染獣戦においてあり得ないなどと言う事は、それこそあり得ないのだ。
「ああ。なるほど」
納得した。今度こそ。
「どうしたのだね?」
「たいしたことではありません。帰ってきたら、詳しくお話ししますね」
出発を告げるアナウンスが流れる中、トマスに軽く会釈をして、ステップを踏み、見学車の中に乗り込む。
「で。何が怖いんだ?」
一段落しようとしたのだが、ナルキとシリアに挟まれてしまった。
レイフォンよりも背の高い二人に挟まれると、非常に圧迫感を感じるのだが、実のところ、羨ましいという感情もあるのだ。
特に、その身長が。
「うん。待つのが怖いんだよ」
出撃するとなったら、待機時間はそれほど長くなかった。
長く待つ事もあったが、優秀な念威繰者のおかげで、残り時間が明確に知らされている事がほとんどだった。
だが、今回は明らかに違う。
戦うかも知れないし、戦わないかも知れない。
予測が出来ない待ち時間という物に、始めて遭遇したのだ。
戦う事よりも、汚染獣よりも、待ち時間の方が、レイフォンにとっては恐ろしいのだ。
「変なやつ」
「普通、逆だと思いますけれど」
二人から、かなり痛い突っ込みをもらってしまった。
「まあ、取りあえず、いつでも出られるように、スーツを着ておくよ」
あまりに痛かったので着替えるという口実の元、二人の側を離れた。
更衣室と呼ぶにはあまりにも狭い部屋に入り込み、壁に肘打ちをしないように細心の注意を払いつつ、上着を脱ぎ、そこで思い出した。
「これは、持っていた方が良いよな」
メイシェンからのお守りだ。
これを持ってきたメイシェンは、何時も以上に緊張して蒸気を吹き上げていた。
ほとんど言葉を発する事も出来ずに、ミィフィに押し出されるようにお守りだけを差し出し、渡した次の瞬間には目を回して気絶するという、異常ともとれる行動を取っていた。
「なんだったんだろう?」
弁当を持ってきた時は、別に普段通りだった。
何やら思いついたらしいミィフィと、一時間程どこかへ消えていた後、帰ってきたら蒸気を吹き上げていたのだ。
明らかに、その一時間に何かあった事は分かるが、何が有ったかは、流石に分からない。
「まあ、いいか」
お守りを手に取り、スーツの小さな内ポケットに入れた所で、気が付いた。
「これって、こういう使い方するんだ」
スーツのデザインは、グレンダンで使っていた物とあまり変わらない。
天剣授受者用の物でもだ。
その頃から、ずっと気になっていたのだ。
どれにでも有る、心臓の側に作られた、何か入れるためのボタン付きの小さなポケットを。
今まで、お守りなどもらった事がなかったので、気が付かなかった。
「いや。リーリンにもらったけど、家の机にしまいっぱなしだったからな」
必ず帰って来るという自分への約束事として、机にしまっていたのだが、今回、待機所からここに来てしまったので、机がなかった。
と言うわけで、始めてスーツのポケットの使い方を理解し、実行しているのだ。
「あれ?」
ふと気が付いた。
手の震えが、止まっている事に。
「お守りって、こういう効果があるんだ」
迷信か、それに類似する事だと思っていたが、意外に実用的な効果がある事を認識したレイフォンは、さっきよりも少しだけ楽な気分で、ナルキ達の元に戻る事が出来た。
シリアは遠くで展開されている、汚染獣との戦闘を真剣に見つめていた。
弓や銃を装備した者が、羽に攻撃を仕掛け、地面に叩き落とす。
ただし、一体だけだ。
残りの汚染獣には、やはり弓や銃、衝剄などが乱射され、効果的に牽制をしている。
地に落とした汚染獣に、交叉騎士団を筆頭とする突撃隊が接近。
集中攻撃を波状展開し、確実に殲滅して行く。
高い技量を持つ武芸者が、経験に基づくその場に応じた高い練度の連携を行使し、波状攻撃を仕掛ける。
この戦い方が出来るのならば、汚染獣はそれほど怖い敵ではない。
逆に言えば、未熟な武芸者しかおらず、経験が不足していて、その場にあった連携を取る事が出来なければ、汚染獣とは大変危険な敵になると言う事だ。
ヨルテムという、恵まれた都市だからこそかも知れないが、シリアは自らが何時か立つべき戦場を見つめつつ、後ろを気にしていた。
大きな窓を後付けした、見学専用車の壁際。
五十人以上詰め込まれ、少し動くだけでも気をつけなければ、誰かにぶつかってしまう狭い車内だが、流石に窓から遠い壁に張り付いている人間は、一人しかいない。
つい先ほどまで、不安そうな表情をしていたレイフォンが、今は、時々心臓の付近に手を持って雪、安心したような安らいだような雰囲気をにじみ出させている。
何が有ったのか全く不明だが、レイフォンが落ち着いていてくれるのなら、それに超した事は無いとも思う。
頼るつもりもないし、その機会もないと思うが、シリアよりも遙かな高見にいるレイフォンが、冷静に戦場を見て戦える状態でいる事は、精神的に非常に安心出来るのだ。
すぐ隣では、ナルキもちらちらと後ろを気にしているが、おそらく同じ様な心境なのだろうと思う。
二ヶ月半の鍛練の結果、シリアは自分の実力がかなり伸びたと、自己評価を下していた。
始めの内は三時間程度しか活剄を維持出来なかったのだが、今は五時間は維持出来ている。
衝剄や化錬剄も、それなりに使えるようになってきた。
だが、今目の前で行われている戦場に立つためには、まだ力が足らない。
おそらくレイフォンならば、あそこで戦えるだろうと思うだけに、なぜ武芸者としての未来を捨ててしまおうとしているのか、それが理解出来ない。
何か、重大な秘密がある事は予想出来るが、それを知りたいとも思うが、レイフォン自身が喋っても良いと思うようになるまで、それを聞くつもりもない。
シリアがそんな事を考えている間に、雄性体二期の内の一体が殲滅された事が確認されたと、見学車のスピーカーが知らせてくれた。
見学車内に、歓声が上がる。
レイフォンをのぞく全員が、汚染獣戦を見るのは初めてなのだ。
歓声こそ上げなかったが、シリアも心が浮き立つのを確認出来た。
だが。
『緊急事態です』
念威繰者の、感情を感じさせない声が聞こえた。
歓声を上げている連中は、まだそれに気が付いていないようだが、流石にレイフォンは気が付いたようだし、彼を見ていたシリアとナルキも気が付いた。
『雄性体二期の二体が、包囲網を抜け、見学車に向かっています』
「げ!」
その知らせに、思わず一言うめいたシリアと。
「む!」
なぜか、やる気をみなぎらせるナルキ。
「・・・・」
見た目はなんの反応も見せずに、視線だけが外へ向かうレイフォン。
「姉さん。やる気出しても遮断スーツがないでしょう」
「根性で何とかする!」
「いやいや。それは無理ですから」
ナルキも分かっているのだとは思うのだが、今この場では、やりかねない雰囲気を振りまいている。
気力で汚染物質を無効化できるのならば、これほど人は苦労しないと思うのだ。
「護衛の人もいるんだし、もう少し落ち着きましょう」
「しかしだな。護衛は確か五人だろ? 汚染獣二体を足止め出来るのか?」
ナルキの疑問ももっともだと、シリアも理解している。
一体だけなら十分に対処出来るだろうが、今の状況では戦力的にかなり厳しい。
「前線から、戦力を引き抜けないですか?」
「向こうが崩壊したらどうするんだ?」
残りは二体なのだが、それでも油断する事は出来ない。
その意味でのナルキの認識は間違っていないし、上の方でもそう判断するだろうと言う事が分かった。
「ヨルテムから、応援が来るまで」
「汚染獣の方が速いと思うぞ」
そう言いつつ、緊急用の出口へと向かいそうなナルキの腕を掴んで、何とか押しとどめる。
「レイとんのスーツを奪って?」
その手があったかとレイフォンの方を見たシリアも、確認してしまった。
ナルキの台詞の最後が、疑問系になっている理由を。
「レイとん。武芸者止めるとか言ってなかったか?」
「レイフォンさんですからね。お人好し回路が全力で稼働中じゃないですか?」
いつの間にかレイフォンの姿が消えているのだ。
これで、ヨルテムに逃げ帰っているというのなら、まだ救いはあるのだが、おそらくそうはなっていないだろう事が予測出来てしまう。
「逃げていてくれれば良いんですけれどね」
「レイとんの望み的には、逃げているべきなんだがな」
ナルキとも意見の一致を見てしまった。
「取りあえず、僕達に出来る事はありませんね」
「いや。いざとなったら汚染物質に焼かれてでも戦ってやる!」
何時も以上にやる気満々なナルキをなだめつつ、シリアはふと思う。
レイフォンの実力は、本当はどのくらいなのだろうかと。
今までの鍛練中に感じた実力差は、あまりに大きすぎて判断の材料にはならない。
ある意味、汚染獣とどう戦うかが、良い物差しになるのではないかと。
「救いがたいのは、僕も同じか」
この瞬間でさえ、レイフォンと自分の差を計ろうとしているシリアは、少しだけ絶望の味を確認した。
非常口のエアロックを抜けた先、見学車の屋上と呼べる場所には、先客が居た。
当然、ここを守っている武芸者五人だ。
「やばいな。二体は手に余るぞ」
「とは言え、外で戦えるやつなんか、居ないだろ」
「成長期の子供用にスーツを作るなんて、不経済も甚だしいですからね」
「でもさ。こういう時は手数が欲しい者よね」
「十着とは言わんから、五着くらいは欲しかったな」
殺剄をしつつ音が出ないように細心の注意を払ってエアロックを抜けたおかげか、五人ともレイフォンには気が付いていない。
スーツを持ち込んだ事は知っているはずだが、それを思い出せる余裕がないようだ。
やはり、そっと移動して、見学車から飛び降りる。
武芸に対する情熱は、失われたと思っていた。
だが、二ヶ月半の教員生活で、それがまだ残っている事を知ってしまった。
教えるという大義名分の元、自分を騙しているのかも知れないとは思うのだが、それでも、新たな技を身につけたりするのが楽しいのだ。
そして、今こちらに向かっているのは汚染獣が二体。
明らかに想定外の事態だ。
ヨルテムからの応援を待っている間に、かなり酷い被害が出る事は間違いない。
ナルキとシリアの葬式を出したくないと言ったトマスの顔が浮かんだ瞬間、考えるよりも先に身体が動いてしまっていた。
「どうしようもないな」
グレンダンにいた頃、サヴァリスを戦闘狂のどうしようもない人だと思っていたが、多かれ少なかれ武芸者には似たような性質があるのかも知れないと、少しだけ自己嫌悪に陥っていた。
そして、何もしないでナルキ達が死んだのなら、今度こそレイフォンは全てを無くしてしまうような気がしている。
無くしたと思っていた情熱がまだ残っていた事もそうだが、うまく認識出来ない何かが、レイフォンを突き動かすのだ。
頭の中のもやもやを、意識の外へと放りだし、活剄を行使して、接近中の汚染獣を確認する。
一体は間違いなくこちらにやってくるが、もう一体の方は、少しだけ違う行動を取っているようだ。
直線的に、こちらに飛んできていないのだ。
もしかしたのなら、迂回しつつ横合いから見学車を襲うつもりかも知れないが、そんな知恵を汚染獣が持っているという話は聞いた事がない。
おそらく、単なる偶然なのだろうと言う事で自分を納得させたレイフォンは、ぎりぎり殺剄が溶けない範囲で高速移動を始めた。
誰かに見られるのは、得策ではない。
念威端子は、その殆どが汚染獣の追跡や戦場の把握に使われているはずだが、今の状態なら発見される危険性は少ない。
あちこちで色々な事が立て続けに起こっているので、その対応に追われているはずだから。
「一瞬で決める」
天剣授受者のデルボネでもない限り、一瞬の剄の流れを正確に把握する事は困難なはずだ。
そうなるとレイフォンのとれる戦法はただ一つ。
錬金鋼が壊れる事を前提にした、剄の集中による閃断を放ち、一瞬で勝負を決め、こっそりと逃げ出す。
これが、幼生体とかなら鋼糸でこっそりと全てを終わらせる事が出来るのだが、雄性体相手では少しだけ荷が重い。
「銃も一応撃てるんだし、弓だって使えるんだけどな」
今回持ってきた錬金鋼は、そう言う設定にはなっていない。
消去法でこれしかないと腹をくくったレイフォンは、そのときに備えて集中力を最大に持って行く。
右手に持ったのは、グレンダンから持ってきた青石錬金鋼。
先ほどもらったのは、調整が万全ではないので、こういう場合には使えない。
射程距離まで、あと少し。
戦場を遠くに見る事が出来る外縁部で待機していたトマスは、部下の報告に思わずため息が出てしまった。
「動きましたね、彼」
「動いてしまったか」
開戦直前から望遠鏡を覗く、いつもの部下の報告を聞きつつもう一度ため息をつく。
活剄だけでは補いきれずに、望遠鏡を使っての監視が成果を上げてしまったようだ。
「こっちに来ていないよな、やっぱり」
「汚染獣に向かって爆走中ですね」
ナルキとシリアの葬式を出したくないとレイフォンに言ってしまった事が、こんな場面で悪い方向に出てしまった事をトマスは後悔していた。
そもそも、あんな早い時期に心中をさらけ出す事自体に問題が有ったのだと、今は思う。
「足止めだけで済ませれば良いんだが」
「それなら、何とかごまかせますからね」
レイフォンの性格を考えるに、足止めだけという中途半端な攻撃はしてくれそうにない。
やるのならば、殲滅してしまうだろう事が充分に予測出来てしまう。
「一瞬で決められるわけがないから、念威繰者に見つかるな」
「こちらから、援護射撃でも出来れば良いんですけれどね」
射撃武器はあるにはあるのだが、どう考えても距離が有りすぎる。
戦線と見学車の位置を、もっと都市側に設定しておけば良かったのだが、あいにくとこういう展開は予測の範囲外だった。
「まてよ」
ここまで事態が進展して、トマスは疑問がある事に気がついた。
部下の報告に、爆走中という単語があった。
「念威繰者は、まだ気が付いていないのか?」
「そのようですけれど、殺剄でも使っているのかな? それにしてはかなり速いですね」
殺剄を使いつつ活剄を使う事は出来るのだが、それには限度という物がある。
武芸者の力量にもよるが、報告を聞く限りにおいて、レイフォンはかなりの速度で移動している。
にもかかわらず、おそらく殺剄を使っている。
「天剣授受者ってのは、どれだけ凄いんだか」
「我々の想像を超えている事だけは、間違いないですね」
投げ槍に言う部下だが、視線は常にレイフォンをとらえているようで、徐々に望遠鏡が移動している。
「会敵します」
やや緊張をはらんだ報告の少し後。
「おそらく、閃断らしき技を放ちました」
続く報告を待ったのだが、望遠鏡が見学車の方向に向かって、徐々に移動する事だけが確認出来た。
「どうなった」
「彼が、見学車の方向に、帰って行きます」
「足止めだけで済ませたのか」
予想とは違ったが、それならそれの方が良いと、トマスは安心したのだが。
『汚染獣雄性体二期の一体が、殲滅されました』
「は?」
部下の報告よりも、念威繰者の物の方が速かった。
しかも、トマスの予測とは全く違う内容でだ。
「いやね。一瞬で、一撃で、汚染獣を左右に切り裂いちゃったんですよ。あの人」
茫然自失気味の部下の報告を聞きつつ、望遠鏡を奪うように覗き込んだ。
「・・・・・」
奪い取った衝撃で位置がずれてしまったのを修正すると、なにやら背景の荒野とは違う色合いの物が、レンズの向こうに見えるような気がする場所を発見。
ピントを合わせ、その色違いの部分を凝視してみれば、確かに左右に分かれて横たわる汚染獣の死骸を発見出来た。
「ね? 言ったとおりでしょ」
「ああ。確かに、左右に分かれて、死んでいるな」
信じられない物を見る事は多いが、これは極めつけだ。
「念威繰者には気が付かれていないようだが、どうやって誤魔化すかな?」
「どうやってって、どうやりましょうね?」
グレンダンでの事がある以上、不用意にその武勲を評価する事は出来ない。
出来るだけ秘密にしておきたいのだが、今の状況は非常に拙い。
「俺達が不用意に動く方が、危険かも知れないですね」
「ああ。最速かつ最適な方法が必要だな」
遮断スーツと予備の錬金鋼は、安全だと思ったから渡したのだが、トマスの予測は今回ことごとく外れてしまったようだ。
トマスの予測と言うよりは、ヨルテムの全武芸者の予測が外れたと言うべきかもしれない。
「困ったな」
「ええ。これは非常に困りました」
部下と認識を共有しているのに、これほど暗澹たる思いを味わった事は、今回が初めてだ。
「上の方で、追求してくれないと良いんだが」
「それは、大いに無理でしょうね」
汚染獣を一瞬で、一撃で殲滅するような優秀な武芸者を、都市の上層部が放っておく事はない。
間違いなく、と言うよりも、躍起になって探す危険性が高い。
トマスが考え込んでいる間に、汚染獣は全て殲滅され、後処理が始まってしまっていた。
「取りあえず、後始末が先だな」
負傷者の収容と治療を含め、終わった後にも色々とやる事があるのだ。
それが一段落するまでは、取りあえずレイフォンも安全だろうと言う事は理解しているので、短い時間の安堵を味わっていた。
結局、錬金鋼の耐久限界まで剄を集中させ無かった一撃は、きれいに汚染獣を二つに切り裂く事が出来てしまった。
放つ少し前に、何も無理をして殲滅する事はないと考え直したのだ。
ヨルテムからの応援が来るまでの時間を稼げばそれで良い。
それならば、錬金鋼を駄目にするような攻撃でなくても良い。
そう考え直したレイフォンは、足止め出来るだろうぎりぎりの威力で、最大限まで集中させた閃断を放った。
だが。
「なんで、綺麗に切れちゃうんだよぉぉぉぉぉぉ!!」
思った以上の威力が出てしまい、汚染獣が二つに分かれてしまったのだ。
これは、かなりの計算違いだ。
だが、やってしまった物は仕方が無い。
殺剄を回復させつつ、見学車の側まで戻ったレイフォンが見たのは、護衛の五人が汚染獣と戦っている光景だった。
「おい! そっちに落とすぞ!」
長弓を装備した武芸者が、一度の動作で五本の針剄を放った。
その五本は、緩やかなカーブを描く物と、直線的に飛ぶ物に別れ、僅かな時間差を持って汚染獣の翔に直撃、これを破壊し尽くした。
(へえ)
威力的にはそうでもないが、剄の集中と操作技術はたいした物だと感心してしまう。
「でや!」
トゲトゲの付いたハンマーらしき物が、長い柄と鎖の先に付いた武器を持った武芸者が、衝剄をまとわせつつ、甲殻に打撃を打ち込む。
対人用としては色々問題がある形状だが、汚染獣用としては十分な威力を持っているようで、外郭をへこませつつ体勢を大きく崩せた。
「おりゃ!!」
そこに、短弓を装備した武芸者の素早い十連射が殺到。
踏ん張っていた足下を崩し、汚染獣の傾きがさらに大きくなる。
「のわ!」
驚いたのか景気づけか分からないかけ声と共に、左右に並んだ短い銃身から、小さな衝剄の散弾が放たれ、汚染獣の顔面付近に激突する。
威力よりも数を重視した攻撃は、まさに目くらましにはぴったりだ。
「倒れろ!」
最後のとどめとばかりに、鋼鉄錬金鋼で作られた巨大な金棒が汚染獣の腹に突き入れられ、仰向けに倒れる。
ここまでの攻撃に全く遅滞が無く、見事な連携を見せているところを見ると、かなり熟練した武芸者を護衛役としてここに配置したのだろう事が分かる。
「おし! 上手く行ったぞ! 本隊が来るまで、こいつには休んでいてもらうぞ!」
それぞれの攻撃は、決して汚染獣を倒せる程のものでは無いが、今回のように時間を稼ぐためには十分な威力だった。
いくら強力な汚染獣とは言え、羽をもがれ仰向けに倒されてしまっては、素早く行動を再開する事は出来ない。
それが分かっているからこそ、彼ら五人は的確に攻撃を行い、今の結果を呼び込む事が出来たのだ。
(やっぱり、僕たちは異常だったんだ)
ヨルテムに来て色々な武芸者に会い、天剣授受者という化け物の異常さが、客観的な事実として認識出来た。
グレンダンではどうしても、強くて当たり前だという認識が先に立つし、今回のように、後ろから観戦するだけと言う事はなかった。
(ああ。この人達と一緒に足止めしておけば、少し優秀な武芸者程度の認識で、乗り越えられたかも知れないのに)
その考えが浮かんだが、すでに後の祭りである。
(どうしようかな?)
考えつつ、見学車よりも戦場に近い所に設営されている、救護所へ向かって歩き出した。
どさくさに紛れて、レイフォンの存在をわかりにくくするためにだ。
途中で応急処置の手伝いを言いつけられても、その技量は充分に持っているからこそ出来る芸当だと、レイフォンは少しだけ自画自賛してみた。
後悔の後なので、あまりテンションは上がらなかったが。