昼間の間に行われた鍛錬の熱が残る、夕闇が迫るサイハーデンの道場の床に寝転んだリチャードは、全く動き出そうという気配を見せない。
それは当然だ。
つい先ほどデルク自身の手によって止めを刺したのだ。
錬金鋼と同じ重さの木刀でのことだが、それでも武芸者ではないリチャードに対して打ち込んだ物としては過去最大。
何故そんな大人げないことをしてしまったかと聞かれたのならばこう答える事しか出来ない。
「いつの間に実力を付けたのだ?」
気付かぬ内に実力を付けていたために、思わず振るってしまったのだ。
活剄で強化していないとは言え、鍛え抜かれた武芸者の身体から迸った力は、とうてい十五歳の少年が受け止められる物ではなかった。
いわゆる気絶をしているのだ。
一応確認したが、骨折などの怪我はしてないようだ。
とは言え、数日は身体を動かすことが困難な状況になることは明白。
しばらくは出前や出来合いの食事にしようと心に誓った。
それに掃除もデルクが受け持つ方が良いだろうとも思う。
それくらいには強烈な攻撃を打ち込んでしまったのだ。
「良く死んだ」
そんな決意を固めている頃合いになって、やっとの事でリチャードが目を開けた。
言っていることが少々物騒であるが、もしかしたら臨死体験をしたのかも知れない。
とは言え、死んだ人間は蘇らないのだが、その辺は綺麗に流した方が良いのかも知れないとも思う。
「突っ込みくらい欲しいな。言った俺が馬鹿みたいじゃないか」
「う、うむ。突っ込んで良い物かどうか迷ってしまってな」
どうやら、突っ込まなければならないところだったようだ。
この辺の会話の機微はかなり疎いと実感はしていたのだが、どうやらまだまだ修行が足らないようだ。
恐らくレイフォンも同じような苦労をこれから先することになるだろうと少し不憫に思う。
「それで夕飯何にする?」
全く何時も通りとは行かないが、心配したほど酷い状況ではないようでゆっくりと立ち上がる。
とは言え、これから食事を作るとなるとかなりの負担になることは間違いない。
それはあまり歓迎できることではないのだ。
「今日は出前にする」
「ああ? それは拙いだろう。お客さんもいることだし」
「なに?」
リチャードが意味不明なことを言っている。
これはもしかしたら病院に連れて行った方が良いかもしれない。
頭に攻撃した訳ではないのだが、倒れた時に打ったのかも知れない。
そう思ったのだが、視線がデルクを捉えていないことに気が付いた。
今日の鍛錬はもう終了している。
道場にいるのはデルクとリチャードだけのはずだが、入り口付近を見つめているのだ。
もしかしたら幻が見えるのかも知れない。
救急車を呼ぶべきだと判断したデルクだったが。
「いやいや。驚いたねぇ」
そんな軽い言葉と共にいきなり人が現れた。
いや。それは恐らく違う。
殺剄を使ってこっそりと、こちらを観察していたのだろう事が分かった。
熟練の武芸者であるデルク相手にそんなことが出来る人間は、このグレンダンがいかに広かろうと数えるほどしかいないはずだ。
そして、現れた人物はそれが確実に出来る。
それは何故か。
「クォルラフィン卿?」
鍛え抜かれた身体と銀髪。
何時も穏やかに微笑んだ甘い表情。
だが、その視線だけは鋭くリチャードを見つめている。
そして何よりも他を圧倒する存在感。
それはグレンダンが誇る天剣授受者の一人、サヴァリス・クォルラフィン・ルッケンスだ。
普通に考えれば、こんな零細道場にやってくる人物ではない。
レイフォンがいるのならばまた話は違うのだが、今はここにはいないのだ。
「何かご用でしょうか?」
一瞬で心身を戦闘態勢へと移行させ対応する。
これは拙いことになるかも知れないと思った。
何が拙いかは全く分からないが、良くないことが起こる予感という物が、ひしひしとデルクを締め上げる。
今更レイフォンの罪を問いに来たとは思えないが、他に用事らしい用事を思いつくことが出来ない。
「いやね。レイフォンが普段どんな事をやっていたのか興味がわいてね。少々覗かせてもらったよ」
全くなんでもないことのように、微笑みつつそう言うサヴァリスだが、天剣授受者にそんなことを言われて鵜呑みに出来るほど、デルクは大人物では無い。
いや。天剣授受者相手にそんなことが出来る人間が、このグレンダンにいるとはとうてい思えない。
レイフォンには出来るかも知れないが、あれは別格だ。
「へえ。それで昼頃からずっと見てたんだなオッサン」
「・・・・? おっさん?」
だが、そんなデルクのことなど知らぬげに、言ってはいけないことをリチャードが言ってしまった。
今日、サイハーデンは終わりを迎えることだろう。
天剣を怒らせてしまった武門としてグレンダン史上にその名をとどめることはあるかも知れないが、実質的には今日終わる。
(い、いや。レイフォンがいる。それにヨルテムを始めとする都市に技と心は残る)
決意して、せめて一太刀と錬金鋼に手が伸びる。
もちろん、どんな間違いがあってもかすり傷一つ付けることは出来ないが。
それが一般武芸者と天剣授受者の差だ。
だが、事態はデルクの覚悟などお構いなしに進む。
「オッサンは酷いな。僕はまだ若いんだよ?」
「ああ? 兄貴よりも上ならオッサンだ」
「兄貴というとレイフォンだね? そうするとグレンダンにいる人の殆どはオッサンだね」
「ああ? オッサン頭悪いな。女の人がオッサンなわけ有るかよ」
「! 言われてみればそうだね。君は頭も良いのだね」
「当然だろう? 兄貴をそそのかして悪戯を成功させていたのは俺なんだからな」
何故かタメ口の応酬が起こっている。
これはもしかしたら走馬灯かも知れない。
いや。もしかしたらすでにサヴァリスと戦い、有るかどうか不明ではあるのだが、死後の世界にいるのかもしれない。
あり得ない状況に、熟練の武芸者であるはずのデルクの思考が止まる。
戦場では決して有ってはならないことだ。
いや。戦場ではないからかまわないのかも知れない。
「取り敢えずオッサンは止めて欲しいのだけれどね?」
「兄貴は駄目だぞ? もういるから分からなくなる」
「ふむ。では、サヴァリスと呼んでくれて良いよ。公式な場では駄目だけれどね」
「なら俺のこともリチャードと呼ばせてやる。光栄に思え」
なにやら、信じられないことが立て続けに起こっているような気がするので、取り敢えず深呼吸をして心を落ち着ける。
まずはお茶を出すべきだろうと考える。
生憎と良いお茶はないが、出さないという選択肢はないのだ。
「ところでリチャード」
「なんだサヴァリス?」
「もしかして死にかけたら剄脈が出来たりしないかな?」
「ああ? そんな事があったらこの世の中武芸者であふれているだろうに」
「成る程。確かにそうだね」
和やかに笑う二人から距離を取る。
もしかしたらこれがジェネレーションギャップというやつかも知れない。
デルクには信じられないことでも、当人達にとってはごく普通の出来事なのだろうと結論づける。
「それで、飯食って行くか?」
「ふむ。そうだね。お呼ばれしてしまおうか」
なにやら現実的な世界に二人が戻ってきたようだ。
天剣授受者と息子の作った家庭料理を食べる。
かなり現実離れしているような気もするが、突っ込んではいけないのだろう。
「・・・・・。リチャード」
「ああ?」
「ここは突っ込むべきところか?」
「・・。どの辺に突っ込みたい?」
訪ねられたが、何処にしたらよいか全く分からないのが現状だ。
取り敢えず食事にしようとしか言えない自分を、デルクは少しだけ恥じた。
セクハラまがいの作戦を立ててしまった加害者として制裁を受けているウォリアスは、夕食の後片付けを命じられていた。
当然ヨルテム三人衆の寮でのことだ。
ウォリアス自身の部屋は全く片付いていないことを考えると、非常に問題のある行為ではあるのだが、まあ、代償としては安いと諦めるしかない。
家族用のアパートという感じの部屋には、近々他の寮へ移動するリーリンの荷物が隅に置かれているが、今夜も仕事があるレイフォンはすでにここには居ない。
そして、今夜ウォリアスが呼ばれた本当の目的が、リーリンの荷物の中から現れた。
きっちりと片付けを終え、エプロンで手を拭きつつそれを見る。
実際に見るのは始めてだが、これが誰に送られた物で何なのかは理解している。
「錬金鋼が入っていそうだね」
「ええ。サイハーデンの免許皆伝の証として、鋼鉄錬金鋼が入っているのよ」
大きめのお菓子の箱といった感じだが、中に入っているのはある意味レイフォンの今後を変えるかも知れない品物だ。
丁寧に布で巻かれたそれは、非常に重厚で厳かな雰囲気を持っている。
武門の本場と言われるグレンダンで、零細ながらも延々と続いてきたサイハーデンの免許皆伝の証。
そこに込められた意味はウォリアスが思うよりも重いのだろう。
「だがしかし」
ウォリアスは少しだけ疑問を持ってしまった。
まさかの展開こそが人を混乱させて、決定的な隙を作る。
今日のレイフォンのように。
「中身って、本当に錬金鋼?」
「あのね。ウォリアスじゃないんだから、そんな悪戯しないわよ」
確かに、デルクという人がそんなことをするとは思っていないのだが。
逆に言えば、人物像を僅かでも知っているのはデルクだけなのだ。
「箱を開けたらさ、引っかかったねレイフォン、とか書かれた紙が出てきたりとか」
辺り一面がしんと静まりかえる。
そんな紙が入っていたら、レイフォンは再起不能の大怪我を負ってしまう。
「蓋を開けたら、バネの力で拳が飛び出してくるとか」
直撃したら最後、即死しかねない。
無いとは思うのだが、絶対にとは言い切れない。
「だ、大丈夫よ。父さんにそんなことするセンスはないから」
「やりそうな人はいる?」
「・・・・・・・・・・・・。一人だけ」
ウォリアスの質問に答えるために時間がかかったのは、リーリンが該当する人物を捜していたからではない。
否定する根拠を探していたのだ。
それは十分に理解できる。
そして、心当たりが出来てしまったリーリンに、先ほどウォリアスが出した懸念を否定することは出来ない相談だ。
そんなコメディーをやりつつも、ウォリアスの脳は実は違う方向で働いている。
何故未だにレイフォンは刀を使わないのだろうかと。
ナルキやリーリンの話を総合すれば、刀を持っていてもおかしくはない。
レイフォンに未練がないのならばそれはそれで良いのだが、流津君村正を持った時のことを考えると明らかに未練がある。
ならばもっと違うところに問題が有ると考えなければならない。
そして、実は時間があまりない。
今日の試合で刀を持ったナルキと、剣を持ったレイフォンが戦ってしまった。
師弟でどうして武器が違うのかと疑問に思う人間は、間違いなく出てくる。
あの場で問題が表面化するのを押さえることは出来たが、この次はない。
最低でもオスカーは変に思っていたし、ヴァンゼやゴルネオも今頃は気が付いているはずだ。
カリアンも気が付いているはずだが、繊細な問題であることを認識しているはずだから問題はないはずだ。
そう。問題なのはニーナだ。
彼女の性格からすると、確実にその事をレイフォンに問いただすだろう。
最悪の予測として、刀を持てと詰め寄るかも知れない。
それまでに何とかしなければならない。
何とかしなければならないのだが。
「さてさて。どうやってレイフォンに話を聞いた物かね?」
視線の先では、女性四人が箱を開けようかどうしようか迷っている。
考えをまとめるための時間稼ぎだったのだが、どうやら思わぬ方向に話が進んでしまいそうだ。
女性陣がそんな状況なのでウォリアスは更に考えに沈み込む。
レイフォンが刀を持たない理由について。
「・・・。やめた」
数秒の思考の後、考えることを放棄した。
不確定要素が多すぎて、全く絞り込めないのだ。
それに、本人に直接聞けばいいのだ。
何故剣を使い続けているかを聞くだけならば、そんなに激しい反応は来ないだろう。
もし、どうしても刀を持たないと決意してしまっていたのならば、レイフォンのその気持ちを優先しても良いかもしれない。
その場合リーリンがやや可哀想ではあるが。
「も、もしかして、賞味期限が短いお菓子かなんかが」
「い、いや。レイとん甘い物はヨルテムに来るまで苦手だったはずだし」
「で、でも、今は食べられるからもしかしたら」
「父さんも甘い物はあまり好きじゃないから、お菓子はないと思う」
話を振っておいてなんだが、かなり逸脱が過ぎるとも思う。
そもそも、錬金鋼以外の物が入っていると決めつけているように思えるのだが、もしかしたらウォリアスの認識が間違っているのかも知れない。
ただ、話の流れが面白いので、そのまま続きを聞きつつ頭の半分で考えを続ける。
もし、レイフォンを含めてあまり納得が行かない理由で、刀を持たないと決めていた時の対応だ。
説得するのは簡単だし、刀を持たせるのもやはり簡単だ。
逃げ道をふさいで他の選択肢を潰せばいい。
自主退学という選択肢は潰せないが、今の状況から考える限りにおいて、レイフォンがツェルニを去る危険性はかなり低い。
だが、その方法では駄目なのだ。
レイフォン本人が悩んで考えて迷って、そして決断しなければ害だけが残ってしまう。
最悪、誰かの言う事を聞いていればいいとレイフォンが思ってしまうかも知れない。
そうなったら最後、ただの戦闘機械に成り下がってしまう。
断固としてそれだけは避けなければならないのだ。
「やっぱり一度開けて中身を確認して」
「だ、駄目だ! これは神聖にして不可侵なんだ。中身を見るなんて言語道断だ」
「あ、あう。でももし錬金鋼が入っていなかったら、レイフォン死んじゃう」
「そ、そうよ。あの馬鹿に冗談が通用するわけ無いわ。きっと即死よ」
まだまだこちらの結論も出ないようだ。
しかしリーリンも気が付いて欲しいと思う。
そこまで底意地の悪い人間が居たのならば、リーリンはもっと速く箱の中身に疑問を持ったはずだと。
つまり、中身は間違いなく錬金鋼だ。
「いや。間違って臍の緒が入っているとかもあるかも知れない」
世の中何が起こるか分からないのだ。
そのくらいの冗談は覚悟しておかなければならない。
レイフォンは真面目だから、その辺無理なのだろうが。
と、ウォリアスの思考も徐々に女性陣に引っ張られているようだ。
ここは頑張って軌道を修正する。
レイフォンが刀を持つと何が変わるだろうかと。
戦闘能力ではない。
若干の違いはあるだろうが、大きな差はないはずだ。
後は、レイフォンの戦いに望む気持ちは変わるかも知れない。
これは大きな変化だ。
今日の様に、戦う度にレイフォンが追い詰められるという事態を避けられる。
ナルキとの試合は、恐らくレイフォンの中では稽古の一環として処理されているのだろう。
だからあれほど楽しそうだった。
とうてい平常心とは言えないけれど。
他の三組との試合も、稽古の一環として処理してくれていれば良かったのだが、そこまで期待することは今のところ出来そうもない。
その追い詰められたレイフォンを平常心へ復帰させるために、セクハラまがいのショック療法を使ったのだ。
ショックが強すぎたかも知れないが。
毎回メイシェンを犠牲にしてショック療法をする訳には行かない以上、これは非常にありがたい。
その他の選択肢を探している間に、女性陣は少々疲れたようでお茶を淹れているようだ。
非常に心地よい香りが部屋を支配している。
残念なことに、お茶請けはない。
ミィフィが懇願の視線をメイシェンに送っているが、当然そんな物で落とされるほど甘くはないのだ。
「って、まてよ」
ふと驚愕に見舞われた。
もしかしたら、メイシェンのために刀を持たないのではないかと。
もしそうだとしたら、レイフォンの精神構造はウォリアスのそれとは相容れない物になってしまっていることになる。
「待て待て待て待て」
そのあまりの意外さに、思考にブレーキをかける。
ゆっくりと息を整えて、目の前に出されていたお茶を一口啜る。
そして、思考を再開。
刀を持たないことが、何故メイシェンのためになるのだろうかと考える。
だが、何も思いつかない。
「ウッチンよ。何難しい顔してるの?」
「ああ? ちっとレイフォンの事考えていたんだけれど、少々行き詰まっていてね」
「錬金鋼はもう良いの?」
「そっちはそっちでやってくれてて良いよ。こっちはこっちでやるから」
おざなりにミィフィとの会話を進行させつつ、二口目を啜り。
硬直する。
メイシェンのために刀を持たずに戦う。
これは流石にあり得ないと。
「まさかな」
メイシェンのために刀を持たないなどと言う、あり得ない想像を切り捨てた。
あり得ないなんてあり得ないと言うが、それでもこれは度が過ぎている。
刀を持てば生きて帰れる確率が僅かでも上がるはずだ。
メイシェンのために刀を持つと言った方が、説得力が大きい。
「・・・・・・・・・・・・・。あり得ない」
ウォリアスなら間違いなくそう考える。
ならばレイフォンは?
これは非常に疑問ではある。
前にも言ったように、二週間前にはレイフォンなんて知らなかったのだ。
長年付き合った人間の思考でさえ、時として読み間違えることがあるのに、僅かな時間しか一緒にいない人間の考えを読むなどと言うことは不可能だ。
取り敢えずウォリアスには出来ない。
「やはり本人に聞くしか無いのかぁぁ!」
ここまで思考したところで、恐ろしいことに気が付いてしまった。
夜間の機関掃除のバイトにニーナが行っているという事実をだ。
これは絶望的に拙いかも知れない。
もしニーナが刀を使っていないことを疑問に思っていたら、今日聞いてしまう。
そして、話の流れ次第ではレイフォンに刀を使えと迫る。
これは非常に拙い展開だ。
時計を見るが、残念なことにレイフォンはもう機関部に入っている。
「誰かレイフォンの携帯番号知ってる?」
最悪の状況を避けるべく努力したいウォリアスだが、連絡方法を知らないことに思い至った。
そこで、レイフォンの携帯端末の番号を聞いたのだが。
「レイとん、お金がないとか言って携帯は持ってないよな?」
「あう。預金残高多いのに」
「あいつは殺す。私の預金が増えない限り殺す」
「そう言えば、グレンダンでもそんな物持ってなかったわね。念威端子から連絡が来るからいらないって」
四人からは絶望的な答えしか返ってこない。
そもそも、機関部は通信圏外のはずだ。
直接行かない限りは連絡のしようがない。
フェリに頼み込んで協力を得るという手もない訳ではないが、夜遅い時間に呼び出すのは流石に躊躇してしまう。
「最悪に備えるか」
ニーナに強要された時の対応を考えなければならない。
とは言え、何故持たないのかを知らない現状ではそれさえ困難だ。
そして視線を感じる。
「ウッチン?」
なにやら心配げな視線で女性陣に見られていたことに気が付いた。
さっきから時々ぶつぶつ言っていたから、当然ではある。
「レイフォンがもっとも信頼する人って、誰だろう?」
「い、いきなり難しいことを聞くな」
動揺したのはナルキだ。
武芸者として一緒にいる時間は長いが、それでももっとも信頼している人間なんて物はそうそう思いつかないのだろう。
だが、それでも考えなければならないのだ。
ウォリアスがそう考えている時に、リーリンがもっとも確実な人を指名した。
「やっぱり父さんじゃ?」
「他には?」
「え、えっと?」
リーリンの言う事は正しい。
レイフォンがもっとも信頼する人物はと聞かれたら、最初に上がるのがデルクだ。
だが、二つの理由でそれは今回望ましくない。
一つはグレンダンが遠いと言う事だ。
物理的な距離は分からないが、現在の人類の生存環境的には非常に遠いのだ。
汚染獣との戦闘が異常な数値に達しているグレンダンには、放浪バスも寄りつかない。
それは、手紙が届くのに非常に長い時間がかかると言う事を意味している。
あまり時間はかけられない。
レイフォンもそうだしニーナもそうだ。
二つ目の理由として、デルクでは命令に近くなってしまうかも知れないと言う懸念がある。
ニーナの詰め寄りに対抗するためにデルクの命令では、全く意味がない。
恐らく取り越し苦労だとは思うのだが、念のために他の人も候補に挙げておきたいのだ。
「後は、父さんかな?」
「団長とか?」
「え、えっと。えっと」
そうなるとヨルテムにいる人物に頼るのが次善なのだが、こちらもなかなか良い人物が出てこないようだ。
これでは、八方手詰まりだ。
それを何とかしようと考えるのだが、全く何も思いつけない。
「うがぁぁぁぁ! これもみんなあの馬鹿がいけない!」
とうとうキレた。
叫びつつソファーから立ち上がり、拳を天に付き出してイライラした気持ちを世界に知らしめる。
こんな事ならもっと早く錬金鋼のことを確認しておくのだったと、そう思ったが既に後の祭り。
カリアンとの話し合いに始まり、ヴァンゼとの折衝等々、やる事が多かったのだ。
最悪に備えることさえままならない。
こうなったら明日の朝レイフォンが帰ってきたら、強襲して全てを吐かせる。
その決意を固めたウォリアスは、腰を落ち着けて紅茶を一気に飲み干した。
呑まなければやっていられないのだ。
「ナッキのお父さんて、どんな人なの?」
「どんなって、ただの警官だけど? レイとんに色々教えたみたいだけど」
「性教育も?」
「ああ。父さん以外にそんなことする人はいない」
少女達の会話を聞きつつ、今更な疑問が浮かんできた。
一応ウォリアスは男性なのだ。
そしてここには四人の乙女がいる。
その気になったら何時でも襲える。
「いや。無理だ」
武芸者として最弱を目指せるウォリアスと、既に小隊員レベルの実力を持つナルキ。
正面からやり合ったら間違いなく瞬殺されてしまう。
レイフォンのように弱点を突くという事は出来ない。
藪蛇になってしまうかも知れないから。
「ただの警官なんて、そんな謙遜しなくても良いのに」
「いや。本当にただの警官だ。それなりに部下の受けは良いようだけど」
「・・・・・。そうなんだ」
なにやら、リーリンが衝撃を受けている。
そして、羨ましそうにヨルテム三人衆を見る。
「いいなぁ。レイフォンに一般常識を教えられるような人が、ただの警官だなんて。きっとヨルテムって凄く良い都市なんだろうなぁ」
「い、いや。普通の都市だと思うぞ? 他よりも予算が潤沢なだけで」
「やっぱりお金なんだね。お金が有るから人を育てられるんだ」
「い、いや。そう言う言い方されると、変な罪悪感が」
万年金欠状態のグレンダンと、交通の要であるヨルテムでは、その経済に大きな開きがある。
戦闘に直接関係がないところは極力予算を削りたいグレンダンでは、確かに教育機関の予算は十分とは言えないかも知れない。
そこから考えると、レイフォンはグレンダンによってその人生を狂わされた被害者という見方も出来るかも知れない。
直接の責任はデルクにあるのだろうが、デルク自身も被害者であるかも知れない。
闇の賭試合に出ていたのも、福祉に回す予算があまり多くなかったからだとするのならば、これもグレンダンという都市が抱える問題と言う事になる。
「本当に、やってられないな」
そう呟いたウォリアスは、ヨルテム三人衆が肩身の狭い思いをしている部屋を辞した。
明日のための準備をしなければならないから。
具体的にはきっちりと眠って、早朝の襲撃のために気力と体力を充実させるのだ。