第五小隊に所属するオスカー・ローマイヤーは、かなり微妙な雰囲気に包まれ始めた観客席から見下ろしていた。
銀髪を短く刈り込んだゴルネオに匹敵する身長とやや細身の体格をした、前衛タイプの武芸者だ。
ヨルテムから来た黒髪の少女、メイシェンのおかげでシャンテとフェリの対決は避けられた。
それは喜ばしいことだ。
何よりも二人の少女が骨肉の争いをする姿を見なくて済んだのだ。
たかがお菓子と侮ってはいけない。
食い物の恨みは恐ろしいのだ。
そして視線の先では、食べ物のために人生を狂わされた男が、武芸長であるヴァンゼを全く寄せ付けない戦いをしている。
全ての攻撃は軽く受け流され避けられ、はじき返されている。
ニーナの時と同じで、予め来る攻撃が読めているとしか思えない動きだ。
だからこそ相手の剄量の七割で戦って勝つことが出来るのだ。
ずいぶん昔に誰から聞いたかは忘れたが、強くなるためには二つの物が必要だと教えられた。
それが信仰と飢餓。
家族という信仰対象を持ち飢餓を経験したレイフォンの前に、一般人よりも優遇されて温室で育ったヴァンゼを始めとするツェルニの武芸者では、どれだけ修行をしようとその高見に辿り着く事は出来ないだろう。
オスカー本人も含めて。
そんな雲の上のような武芸者に対抗するためには、こちらも信仰と飢餓感を持たなければならない。
強い者に対する信仰と、自分の弱さに対する飢餓感をだ。
「でね。私がそれ教えてって言ったんだけれど」
「武芸者じゃないと使えないって言われました」
「ああ。やっぱりそうなんだ。武芸者ってずるいよね」
その二つを持って始めて、レイフォンと同じ土俵に立つことが出来るだろう。
それでさえ、同じ土俵に立たせて貰ったと言っても良いくらいだ。
ゴルネオの話が本当だとしたのなら、一緒に戦うことはおろか、近くで観戦することさえ出来ない現状を変えることさえ困難だが。
「私を見るな! まだそんな高度な技は使えないんだ!」
「ナッキ頑張ってるんだからもうすぐだよ」
「無理だって! 理屈は分かるけれど実際にどうやって良いか分からないんだ!」
もし万が一にでも、老性体がツェルニに襲いかかってきたのならば、オスカーを含めた武芸者はレイフォンの邪魔にならないように、シェルターに批難していることしかできない。
それはとても受け入れられない事実ではあるが、万が一にでも足手まといになってツェルニが滅んでしまっては元も子もない。
だが、光明は見いだせている。
レイフォンという信仰するに足る強者が目の前にいる。
それと比較してどれだけ弱者かをオスカーは理解した。
この二つをツェルニの全武芸者が持った暁には、大きな変化が起こることは間違いない
「メイッチが千手衝を体得できたら、お菓子を作る速度だって倍なのにね」
「な、なに! そうなのか! そうか。あいつに頑張ってもらえば私は毎日お菓子を食べられるんだ!」
カリアンがレイフォンを武芸科に転科させた本当の理由は分からないが、それでも現状は最大限に利用させてもらう。
オスカーは現実逃避気味にシリアスなことを考えつつも、視線はヴァンゼの劣勢を捉え続けていた。
そう。巨大な棍が宙を舞って、切っ先が喉元に当てられたヴァンゼの姿をしっかりと見届けた。
そして、少女達の会話が一段落したらしいと判断してから、ゴルネオに視線を向ける。
戦い終わったヴァンゼから視線をそらせて。
「武芸長が睨んでいますよ」
「あ、ああ。そのようですね」
「先に済ませておくべきだったと、思っているかも知れませんが」
「ああ。失敗したかも知れません」
先ほどレイフォンの使った技で盛り上がってしまった少女達のおかげで、ヴァンゼの戦いは非常に注目度が低くなってしまっていた。
もちろん武芸者はかなりの注意を持ってみていたのだが、それでも会話の方にそれてしまうことも一度ではなかった。
結果として、ヴァンゼの立場というか立つ瀬というか機嫌というかが、かなり悪くなってしまっているのだ。
はっきり言って、ゴルネオを最後にすべきだったと後悔しているに違いない。
非常に弛緩しきった空気で会場が満たされているが、試合はこれで終わりではなかったようだ。
「時にナルキ・ゲルニ君」
「は、はい?」
突然の呼びかけはカリアンからだ。
しかも、レイフォンの弟子と呼べる少女に向かって何の脈絡もなく。
呼ばれたナルキの方は明らかに警戒しているが、この状況では当然だ。
どんな無理難題をふっかけられるか分からない。
カリアンとの付き合いは、五年以上になるが、その腹黒さは十分以上に理解している。
「君の実力も見ておきたいのだがね?」
「私のですか?」
「ああ。こう言っては何だが、今までの三試合ではレイフォン君の実力がはっきりとは分からなかった」
カリアンの言う事ももっともだ。
レイフォンが強いことは分かったが、どれほど強いかはさっぱり分からない。
だが、弟子であるナルキが戦うところを見ることが出来れば、それから予測が出来るかも知れない。
あながち間違った選択ではない。
それでも分からないかも知れないが、ナルキの実力を知っておくことはマイナスではない。
だが、問題はいくつもあるのだ。
「きょ、今日は駄目ですよ。錬金鋼を持っていないですから」
何故か怯えつつそう言うのだ。
何故怯えているかは置いておいても、一年生であるナルキは錬金鋼の携帯が許可されていない。
彼女の錬金鋼は保管庫に預けられている。
今から取ってきたとしてもかなりの時間がかかってしまう。
もっとも、カリアンのことだからその辺の手はすでに打ってあるだろうが。
「はいこれ」
「げ!」
オスカーが想像した通り、十七小隊付きの錬金技師が鞄から長細い箱を取り出してナルキに渡そうとしている。
当然中身はナルキの錬金鋼だ。
きっと昨日の夜にでも連絡をして、突貫作業で準備させたのに違いない。
「いやぁ。これは手こずったよ。設定が細かくて構造が複雑で、僕一人だったら二日か三日かかっていたよ」
「そ、そうなんですか?」
「ああ。同じ研究室のやつがこう言うのに詳しくて助かったよ」
「余計なことを」
何か非常に不満そうにナルキが嫌々と錬金鋼を受け取る。
これでやらないための口実が一つ減ってしまった。
とは言え、もっと本質的な問題がないわけではない。
それは、レイフォンが四試合目だと言う事だ。
いくら武芸者が活剄で疲労を押さえられるとは言え、それには当然限界がある。
汚染獣との戦闘という非常時ならば仕方が無いが、試合という延期できる場でそれを強要することは望ましくはない。
「ナルキ」
だが、舞台の中央にいるレイフォンが、ナルキに向かって猫招きをしている。
疲労などと言う物が存在することを知らないと言わんばかりの、平然とした態度だ。
「え、えっと。あ、明日にしないか?」
「良いけど」
ナルキの延期嘆願に素直に応じるレイフォン。
これで落胆したのは場を盛り上げてしまったカリアンだ。
ナルキの実力も把握しておきたかったに違いないカリアンとしては、この展開は不本意なのだろう。
激務が続く生徒会長という役職にある以上、そうそう試合をのぞきに来ることは出来ない。
それはつまり、かなりの確率でナルキの実力をその目で見ることが出来ないと言う事で。
「三百パーセントね」
「さ、さんびゃく?」
「うん」
オスカーがそんなことを考えている間に、レイフォンが異常な数字を平然と言ってのけた。
全く意味不明だったので周りを見てみるが、ナルキ以外にそれを理解した人間は居ないようだ。
「今やるんなら一回だけど、日にちが伸びるんだったら一日三百パーセントの福利」
どんな悪徳貸金業者でも出さないような、凄まじい利息を提示するレイフォンに会場が呆気に取られた。
暫く誰も何も言わなかった。
「い、いやいや。そんな複利の計算なんかレイとん出来ないだろう」
「ウォリアスにやってもらう」
「他力本願は良くないぞ!!」
「まあまあ」
なんだか非常に微妙な雰囲気になってきてしまっている。
だが、真面目な表情で言う以上レイフォンは至ってそのつもりなのだろう。
そして、実行されて生きていられる保証はない。
むしろ、死んでしまう保証が出来てしまうくらいだ。
「ええい!!」
諦めの極致に達したのか、ナルキがいきなり席を蹴って飛び上がる。
一回転三回ひねりをして舞台中央へと、殆ど衝撃波を伴わずに着地。
その活剄の切れと早さは驚愕に値する。
以前のナルキの実力を知ることは出来ないが、今は間違いなく小隊員レベルの強さを持っているはずだ。
「レストレーション!」
そのかけ声と共に、ナルキの右手に握られた錬金鋼が待機状態を解除された。
それは鈍い白銀に耀く見事な刀。
庵峰、切っ先は小さく詰まり、地肌は良く鍛えられて輝きが冴え渡るが、鍔元の一部にやや弱い部分が見える。
瓢箪刃が明るき冴え渡った殆ど反りのない、二尺六寸の堂々たる刀だ。
「うむ。強く重く良く切れそうだ」
刃物について造詣の深いオスカーから見ても、それは見事の一言に尽きる名刀だ。
それを清眼に構えたナルキの左手だけに、何故か皮のグローブがはめられている。
このグローブにも錬金鋼のカードが差し込まれているが、まだ復元はされていない。
何か奥の手なのかあるいは予備の物かは不明だが、レイフォンがそれを知らないわけがない。
これは非常に楽しみな試合になったとオスカーは思い、成り行きを見守る。
ナルキが刀を持っていることにかなり驚きつつも、続く会話に凄まじい違和感を覚えた。
「コタツとか言う名刀らしいですよ」
「コタツ?」
第五小隊最年長で防御役のオスカーが、ミィフィの解説で小さく疑問の声を上げる。
銃使いのはずの彼が、何故刃物について詳しいのか非常に疑問だが、もっと問題なのはミィフィが出した単語だ。
「なんだか暖かそうな名刀だな」
「おう! 中で丸まって昼寝がしたいぞ!」
「いや。ここは映画でも見ながら柑橘系の果物を食べつつゴロゴロすべきだろう」
シャーニッドを始めシャンテにゴルネオがそんな感想を口にしている。
オスカーも何故か頷いているところを見ると、ミィフィの間違いに気が付いていないようだ。
違和感はぬぐえないようだが。
舞台中央では脱力したナルキが疲れていることだし、少々修正を加えるべきかも知れないと思い、控えめに声を出す。
「あ、あのぉ。コタツじゃなくてコテツ」
ウォリアスの知識を総動員して検索した結果なので、間違っては居ないはずだ。
文字列も似ているからミィフィが間違っても不思議ではない。
だが、事態はあらぬ方向へと進む。
「これか?」
「にゃぁ」
シャーニッドが首根っこをつまんで持ち上げたのは、何故か額に三日月印が付いた赤毛猫。
なかなか良いボケだと言っておこう。
「いえね。小鉄じゃなくて虎徹。虎に徹するといった意味合いの刀鍛冶の名前ですよ」
この辺は知らない人間に説明することが非常に難しいのだが、取り敢えず言ってみる。
漢字文化というのは、大昔の存在で、今はよほどの専門家にしか分からないのだ。
だが、もしかしたら誰かが理解してくれるかも知れないから言ってみた。
「へえ。お前さん物知りだな」
取り敢えずシャーニッドは理解してくれる方向で進んでくれるようだ。
非常にありがたい。
そしてオスカーが何か考え込みつつこちらを見て。
「しかし、虎徹という刀には格言があったはずだが?」
「ええ。虎徹を見たら偽物と思え。よく知ってますね」
良く切れることで知られたらしいので、非常な人気商品だったらしい。
当然人気商品の常として偽物が出回った。
問題なのは、偽物の方が遙かに多いという現実で。
一説には本物の百倍は偽物があるとか無いとか。
「つまり、あれって偽物?」
「え、えっと」
ミィフィの突っ込みがとても痛い。
正確を期すならば、錬金鋼である以上全て偽物と言う事になるのだが、問題は元になった刀が本物かどうかと言う事で。
「あ、あれ良く切れるんですよ」
「そ、そうだよ。良く切れるんだったら本物ですよ」
メイシェンが発した決死の覚悟の台詞に便乗し、ウォリアスは決断する。
もし偽物だったとしても、それを確かめる術はない以上、本物である確率はあるのだ。
そして、良く切れるのだったら本物として扱って、何ら差し支えない。
そのはずだ。
「うむ。良く切れることこそが刀の本分だ。切れるのだったら本物なのだろうが」
同意してくれたオスカーだったが、なにやら微妙な表情でメイシェンを見つめる。
そしてウォリアスもその微妙さに気が付いた。
「トリンデン君」
「は、はい?」
何故かメイシェンのことを知っているオスカーが、ズイっと前に進み出る。
思わず少し引くメイシェンだが。
「なにやら実感がこもっているような気がするのだが?」
「は、はい。あれで一度料理をしたので」
「そ、そうなのか」
のけぞり気味のオスカーと一緒に少し引く。
この二人は錬金鋼や剄技と言った物を、徹底的に家事に利用しているようだ。
とは言え、長大な刀でどうやって料理などするか疑問だ。
普通に考えれば明らかに長すぎて、台所で使うことは出来ないはずなのだが。
「一度、天井からつるした大根をメイッチが切ってね」
「何でそんなアクロバチックなことを?」
「ナッキがなかなか切るの上手くならなかったから」
ナルキが上手く切れないからと言って大根を切ることはないだろうと思うのだが、それはそれで意味があるのかも知れない。
とは思うのだが、ろくに運動もしていないはずのメイシェンがフルスイングで虎徹を振り回す光景を想像してみる。
明らかに刀に振り回されているようにしか見えないが、きっと見事に切れたのだろう。
だからこそのメイシェンの発言であり。
「ナルキ?」
いつの間にか全員の視線がメイシェンに注がれていたのだが、ふと違和感を覚えて舞台の方に向けてみると。
「ああそうさ。刃のある方で斬りつけても峰打ちしても断面は同じだったさ。ああそうさ。どうせ私なんか刃物も使えない猿さ。ああそうさ。赤毛猿さ」
なにやら蹲り床に延々と円を描き続けている、自称赤毛猿が居た。
当然と言えば当然だが、会場全体を微妙と言うには少し冷たい空気が支配する。
なにやら聞いてはいけない物を聞いてしまったのは間違いない。
このままナルキが落ち込み続けるだけで、無駄に時間が消費されるかと思われたが。
「ナァルゥキィ」
「っひぃ!」
間延びした声と共に全てをぶち壊すべく、レイフォンの手に握られた黒い剣が一閃。
閃断がナルキに向かって疾走。
埃を巻き上げ切り裂きつつ一直線に命中するかと思われたまさにその瞬間、見事と言うには余りにも早い反応を見せて回避に成功。
「うふふふふふ。流石に反応が早くなったね」
「あ、当たりまえだ! 命中したら大怪我間違い無しの攻撃の不意打ちなんか、そうそう食らってたまるもんか!」
どうやら、ウォリアスが想像していたよりも遙かに恐ろしい鍛錬を続けてきたようだ。
そうでなければこれほど見事に反応することは出来ない。
だが、いかんせん体制というか精神的な状況が悪すぎた。
立て続けに放たれる閃断は、容赦なくナルキを角へと追い詰めて行く。
立ち直ったとは言い難いナルキは、まだ自分が誘導されていることに気が付いていないのか、それとも知っていても他に逃げ道がないのか、凄まじい速度で追い詰められて行く。
「し、しまった!」
そして、あっさりと角に追い詰められてしまった。
上に逃げることは出来るだろうが、そんな事をすれば次の一撃は完全に避けられない。
詰まれている。
そして、何か考えるよりも速く、レイフォンの一撃がナルキに迫る。
「はっ!」
だが、空気を切り裂いて迫っていた閃断はナルキの発した気合いと共に、何か堅い物同士が激突したような音と共に弾け飛んだ。
あり得ない事態に、会場が沈黙によって支配される。
何が起こったか分からない人間ばかりの中、ただ二人だけが事態を正確に理解していた。
「うふふふふ。凄いよナルキ。僕に気が付かれない内に金剛剄を体得していたんだね」
「あ、あああああ! つかっちまったぁぁぁぁぁぁ!」
窮地を脱したはずなのに、何故か絶望の悲鳴を上げるナルキ。
頭を抱えて蹲りたいのを何とかこらえていると言えばいいのか、あるいは数秒前の自分を抹殺したいと思っているのか、とてもそんな感じで落ち込んでいる。
何となくは分かるのだ。
きっと、こっそり特訓していたことがばれたら、レイフォンの鍛錬がきつくなると思ったのだろう。
ウォリアスの予測も余り変わらない。
「うふふふふふ。さあナルキ! 僕と遊ぼう! 今という現実に止まったら死んでしまう僕達には、前に進む以外の選択肢はないんだ!!」
「だぁぁぁぁぁぁ!! もう殺す! 絞め殺す刺し殺す毒殺する斬り殺す惨殺する!!」
なにやら物騒なことを言いつつ、かなり開いていた間合いを旋剄で縮めるナルキ。
その勢いのまま、刀をレイフォンに向けて叩きつける。
「オラオラオラオラオラオラ!」
「無駄無駄無駄無駄無駄無駄!」
叫びつつナルキの打撃がレイフォンを襲うが、当然のように防御されてしまっている。
それよりも問題なのは、反りがないとは言え刀を使った攻撃なのにもかかわらず、どう修正しても打撃に見えてしまうナルキの姿だ。
上手く切ることが出来ないと言っていたのは本当のようだ。
そして問題はもう一つ。
「あの二人って何時もこうなの?」
今まで静かな戦いが続いていたというのに、いきなりの展開に少々では済まない驚きを覚えていた。
観客席を見渡しておおよそ答えを予測していたのだが、取り敢えずミィフィに聞いてみた。
「うん。ナッキの弟と三人で、オラオラ無駄無駄アタタたって、丸一日ボールを打ち合っていたこともあった」
「元気だねぇ」
剄脈が小さいウォリアスにとって、丸一日動き続けることさえ困難だというのに、あのテンションでボールを打ち合っていられる人間は驚異に値する。
まあ、熟練の武芸者なら誰でも出来る事なのだろうが、とりあえずウォリアスには不可能だ。
「これがレイフォン・アルセイフか」
オスカーが何か感心しているが、きっと間違っているのだと思う。
と言うか間違いであって欲しい。
「もらった!」
「うわ!」
そんな事を考えている間に、試合は動いていた。
突如として攻防のテンポを変えたのはレイフォンの足払いだった。
それに反応が出来ずに転倒するナルキ。
これで終わったと誰もが思ったのだが。
「ってぇぇい!」
「っち」
止めを刺そうと接近したレイフォンを阻んだのは、ナルキが無茶苦茶に振り回した刀の切っ先だった。
まぐれ当たりでもかなりの打撃になるそれを、当然レイフォンは一端下がって回避する。
間合いを最大限有効に活用してナルキが慎重に体勢を立て直して、第二ラウンドが開始される。
「うふふふふふ」
何故か非常に嬉しそうなレイフォンが不気味だが、全精神力を総動員してそれを無視する。
そしてナルキが何か仕掛けるためだろうが、大きく右半身を引き切っ先をレイフォンに向けた。
それは恐らく突きを放つという無言の宣言だったのだろうが、その後の展開はウォリアスには理解できなかった。
「え?」
会場全体がそんな感じだったようで、最も近くで見ていたヴァンゼの疑問の声も聞こえるほどだ。
何があったかは分からないが、ウォリアスが認識できたのはただ三つだ。
ナルキがレイフォンに向いたまま遠ざかりつつ、床を削って減速していった。
そしてレイフォンがこちらに背中を向けて何か避けたように見えた。
レイフォンの背中側、ナルキと反対にある壁が盛大に粉砕された。
何が有ったかは皆目分からないが、旋剄を超える高速移動が使われたらしいことは分かった。
「し、しまったぁぁぁぁ!!」
「う、うふふふふふふふふふ」
相変わらずナルキの絶望の叫びと、レイフォンの嬉しそうな笑いが聞こえるが、いい加減なれた。
会場を見回してみても、案外落ち着いている人間ばかりだ。
「凄いよナルキ。水鏡渡りで間合いを詰める。当然僕はとっさに避ける、ナルキの狙い通りにね」
背中を見せていたレイフォンがナルキの方に向き直る。
そしてウォリアスはあり得ない物を見てしまった。
レイフォンの制服の胸の部分が切り裂かれ、微かとは言え血がにじみ出しているのを。
相手の七割の剄量で戦って尚、圧倒するだけの技量を持ったレイフォンに傷を付けた。
そのナルキに驚きを覚える。
「そして、避けた僕の後ろにある壁を蹴る時に旋剄を使って加速。練っていた剄を全て注ぎ込んだ逆捻子を使って超高速の一撃を放ったんだね」
「ああああああああ!」
レイフォンの説明を聞いているとそれほど難しいことをしているわけではないようだ。
基本的には、高速の攻撃を二つ続けて放っただけだ。
壁を蹴る事で立体的な動きになったが、全く新しい攻撃方法というわけではない。
だが、そこに注ぎ込まれた技量は恐ろしい物がある。
移動用と攻撃用の剄を二種類、同時に練ることは熟練した武芸者ならたいがい出来るが、ここまで洗練した使い方が学生武芸者で出来るかと聞かれたのならば、かなり難しいと答えるしかない。
そうでなければ、浅いとは言えレイフォンに傷を付けることは出来ない。
「ああああ、レイフォン落ち着くのだ。これはあれだ、単なる間違いだ偶然だまぐれだ」
「うんうん。偶然もまぐれも運も実力の内だよ」
「ち、ちがう。きっとレイフォンが油断していたからに違いない。うんきっとそうだ」
「そうだね。僕の油断もあったね」
「そうだろう」
「ナルキがこんなに強くなっているなんて思いもよらなかったよ」
「う、うわぁぁぁ」
何故か必死で自分の功績を無かったことにしようとするナルキと、褒め称えようと努力するレイフォン。
ナルキの気持ちは分かるのだ。
実力が付いたことがはっきりと分かれば、今まで以上の地獄が待っているはずだから。
「そんなナルキに激励の言葉を」
「い、要らない要らない」
どうでも良いが、この二人が戦うと非常に騒がしいようだ。
そこに問題を見いだしてしまっても居た。
「無様な負け方をしたら特訓ね」
「うわぁぁぁん」
とうとう泣きの入ったナルキだが、構えは一切乱れないし隙らしい物も作らなかった。
これはもう、レイフォンの特訓のおかげなのだろう。
「じゃあ、行くよ」
ナルキの言葉を待つこともせずに、レイフォンから放たれた衝剄が床を盛大に破壊しつつ埃や破片をまき散らし、視界を奪う。
突然の事に、観客席から悲鳴のような物も聞こえるが、そんな物は戦っている二人には関係がない。
「っち!」
精神状態は不明だが、ナルキの身体は状況にすぐに反応。
身体を回転させつつ、切っ先が床を切り裂きつつ衝剄を放ち、周囲に破片の弾幕を張った。
これならば目つぶしの効果は余り期待できない。
小さな破片が当たったくらいではどうと言う事はないのだが、位置は特定されてしまう。
だが、事態は思わぬ方向に進んだ。
ナルキが飛ばした全ての破片が、虚しく飛び散ったのだ。
「上か!」
周囲全ての方向に居ないとなれば、残るのは上からの攻撃のみ。
天井付近に向かった視線の先には、案の定レイフォンが滑空している姿があった。
いくら何でもこれは逃げられない。
ここでナルキの選択肢は二つ。
対空攻撃を放つか、着地した瞬間を狙うか。
だが、ナルキが選択したのはそのどちらでもなかったと言えるし、どちらでもあったと言える攻撃だった。
「レストレーション02」
そのかけ声と共に、左手にはめていたグローブが復元の光を放つ。
現れたのは極細の赤い糸が五本。
その糸が放電の火花を伴ってレイフォン目がけて疾走。
一本は直線的に伸びるが、残り四本は微妙な曲線を描きつつレイフォンに迫る。
これならば対空攻撃と着地点の攻撃と、両方を一動作で行うことが出来る。
リンテンスの鋼糸の技の縮小版だが、この場面では有効な攻撃だ。
「っふ!」
その赤い糸がレイフォンを捉えようとした瞬間、いきなり大きく落下コースが変わった。
恐らく衝剄を放った衝撃で軌道を変えたのだろう。
「っち!」
それにすぐさま反応したナルキの糸が追尾するが、ほんの僅かに及ばなかった。
糸での迎撃が間に合わないと判断したナルキは、刀で剣を弾こうとふるったがその軌道を完璧に読まれていたようだ。
弾いたはずの切っ先が流れて。
「うわ」
ナルキの目の前に着地したレイフォンの切っ先が、喉元に突きつけられている。
その背中に糸が届いたが、どう見てもナルキの負けは間違いない。
「勝者レイフォン・アルセイフ」
ヴァンゼのその声で変にテンションの高い試合は終幕を迎えた。
観客席から疲労と感嘆の溜息が漏れ聞こえるが、それに同調している余裕はウォリアスにはないのだ。
この試合でレイフォンの致命的な問題を理解してしまったから。
そしてもっと問題なのは、武芸者全員がレイフォンに憧れと嫉妬の視線を送っていること。
そして何故か、カリアンがナルキを情熱的に見つめていること。
想像以上のナルキの戦闘能力に心惹かれているのだろう。
気持ちは分かるのだが。
今のこの状態はあまり歓迎できないのだ。