やっとの事で捕まったレイフォンを連れたウォリアスが体育館に到着すると、全ての準備が滞りなく整っていた。
ハーレイよりも速く出発したレイフォンの方が、来るのが遅かった理由については色々想像できるが、これは余り突っ込まなくても良い。
問題なのは、すでにウォーミングアップが終了しているニーナの方だ。
もちろん、どう言う人物かを詳しく知っているわけではないのだが、それでも明らかに異常に燃えさかっているのだ。
自分が相手しなくて良かったと心底思うウォリアスの影に隠れるように、レイフォンが怯えるくらいには異常に燃えさかっている。
「やっと来たな! さあ武器を取れ! そして貴様の実力をこの私に見せるのだ!!」
「う、うわぁぁぁん」
逃げようとするレイフォンの首にピアノ線を巻き付ける。
これを強く引けば確実にレイフォンを殺せるという、凶暴な代物だ。
何でそんな物を持っているのかと聞かれると困るのだが、取り敢えず常に一本は持っているのだ。
暴れそうになる度に少しずつ締め付けつつ、舞台へとレイフォンを押しやりウォリアス自身は観客席へと逃げる。
レイフォンが助けを求める腕は見なかった事にして。
五十メルトル四方の競技場を持つこの体育館は、その一面に観客席を持っている。
百人以上が観戦できるそこに座っているのは、実は思ったよりも多い。
ヨルテム三人衆とリーリンは良いだろう。
レイフォン絡みで観戦に来るのは目に見えていた。
カリアンが居るのもかまわない。
武芸科に転科させたのだから、是非とも実力を知っておきたいのだろう。
もしかしたら、標的はニーナの方かも知れないが、まあ、さほど問題はない。
フェリにシャーニッドにハーレイと、第十七小隊の面々が居るのも当然だ。
これから一緒に戦う人間の実力を知っておくのは当然だ。
非常に不機嫌そうにしているフェリが怖いが、関わったら駄目だと判断して他の観戦者を見る。
その視線の先に現れたのは、対戦を希望しているヴァンゼだ。
これから対戦するのだから当然だ。
第一小隊の面々も興味津々とレイフォンを見ているのも、まあ当然だ。
問題なのは、何故かゴルネオの率いる第五小隊が居る事だ。
個人的な事情でゴルネオがここにいるのは問題無い。
だが、小隊員が居る事は少し問題のような気もする。
まあ、ゴルネオ絡みの問題が有る以上、知っておきたいという気持ちは分かるのだが。
「シャァァァァァァ」
巨漢であるゴルネオの肩に乗った赤毛の生き物が、威嚇の声を上げているのは少々問題だと思うのだ。
もしかしなくても、隙あらばレイフォンを襲うつもりなのだろう。
気持ちは分かるのだ。
分かるのだが。
「シャンテ。出来れば何だがもう少し大人しくだな」
「シャァァァァァァ」
何故か恐る恐ると赤毛猫に声をかけるゴルネオだが、返って威嚇の声を大きくさせる事しかできてない。
その威嚇はレイフォンに向けられているはずなのだが、何故かゴルネオが怯む。
「隊長がいけないのだぞ」
第五小隊員、オスカー・ローマイヤーが慎重な間合いを取りつつゴルネオにそう言う。
若干呆れた雰囲気があるところを見ると、何かあったのは間違いないのだが、あまり深く突っ込んではいけないのだろうと判断して距離を取る。
取り敢えず、赤毛な生き物に関わらないように出来れば、それで良いのだ。
「う、うむ。理解はしているのですよ」
「シャァァァァァァ」
普段ならどんな事があったのか結構真面目に考えたり調べたりするのだが、今回は余り知りたいとは思わない。
痴話喧嘩の匂いがするから。
「あ、あの。これどうぞ」
「しゃぁぁぁぁ?」
そんな一触即発の状況を打開したのは、何故かお菓子の一杯詰まった箱を差し出したメイシェンだ。
非常におっかなびっくりと言った感じだが、最前列に座ってしまったせいで、後ろからの威嚇の声はかなりきついのだろう。
取り敢えず食べ物で釣ろうという作戦のようだ。非常に有効性の高い一手だと思う。
何時もお菓子を持ち歩いているのか、あるいは観戦には必要だと考えているのかは非常に疑問だが、取り敢えず赤毛猫の注意をそらせる事には成功する。
ゴルネオの肩から飛び降り、いそいそとメイシェンの差し出す箱に手を伸ばそうとして。
何故か不明だが、白くて小さな手同士がぶつかった。
「シャァァァァァァ!」
「不愉快です」
何故かシャンテとフェリが威嚇の視線をぶつけ合う。
体格的には非常に似ている二人だが、もしかしたらその行動原則も似ているのかも知れない。
大きくなるためにエネルギーを必要としているとか。
「私は先輩だ。敬え」
「敬えと言った瞬間、その人はその資格を無くす物です」
更に張り詰める空気。
おろおろするメイシェンだったが、何か思いついたのか鞄の中をあさり。
「も、もう一つありますから」
同じようにお菓子の詰まった箱を二人に差し出す。
何で二つも持っているのか非常に追求したいが、まあ、今はそれどころではない。
どっちがどっちの箱を手に取るかでもめるかと思ったのだが、これは案外すんなりと二人とも手近な箱を確保。
蓋を開けて片方は幸せそうに、片方は無表情に食べ始めた。
すでに餌付けされているのかも知れない。二人とも。
まあ、それはそれとして、競技場の中央ではニーナとレイフォンが五メルトルほどの合間で対峙している。
審判というか司会進行というか、二人の間に立つのは武芸長を勤めているヴァンゼだ。
「試合形式を取る以上、双方俺の審判には従って貰う」
ゴルネオを凌駕する巨体を持ったヴァンゼが、逸るニーナを何とか押さえているように見えるのだが、それもそろそろ限界のようだ。
昨夜何が有ったかは不明だが、ニーナは何か異常にやる気満々だ。
「では、はじめ!」
上げた腕を勢いよくヴァンゼが振り下ろした次の瞬間、何の躊躇もなくニーナが突っ込んだ。
「いや。それは無謀ですって」
思わずウォリアスが呟くほど、何の躊躇も迷いもなく、間合いの計り合いもなく突っ込むニーナ。
右手の鉄鞭が上段から唸りを挙げてレイフォンへと襲いかかる。
それを微かに身体をかしげる事で回避しつつ、黒鋼錬金鋼の剣の先端を左胸の方に向けた。
次の瞬間、ニーナの左の鉄鞭が斜めになった剣の横腹を滑る。
次の一手が分かっていたからこそ、無駄な動きをせずに防御したのだ。
更に右の鉄鞭ががら空きになった左腹部を狙うが、これはレイフォンが後退した事で空を切った。
「どうしたレイフォン! 貴様の実力はその程度ではないはずだ!!」
そう言いつつ連続攻撃を繰り出すニーナだが、それは全てレイフォンの防御と回避によって無力化されている。
その攻撃と無力化は非常に見応えがあるのだが、それでも本来のレイフォンらしくはない戦い方だとウォリアスは思う。
「隊長の言っていた事を信じるのならば、アルセイフ君はかなり出来るはずですが?」
「はい。あんな物ではありません」
先ほどからゴルネオに話しかけているオスカーが、冷静に試合を眺めつつ感想を口にする。
確かに本来のレイフォンの実力からすれば、ニーナは瞬殺されているはずだ。
まあ、それはそれで色々と問題が起こると思うのだが。
「ナルキ」
「ああ。あれはレイとんなりの流儀だ」
こういう時には、レイフォンとの関係が一番長い武芸者に聞くのが一番だと判断し、ナルキに聞いてみたが当然の様の答えが返ってきた。
ナルキの返事でおおよその見当は付いたのだが、説明の続きを聞く。
「相手の剄量の七割程度で様子を見る」
「ああ。それで勝てないようだったら、始めて同じ土俵に立ったと」
「ああ。ただ言うとだな。ヨルテムで同じ土俵に立てた人間は数少なかったぞ」
「成る程ね」
レイフォンが言っていた武芸科に関わる理由とも合致する。
ならばこれは、試合と言うよりは本当に腕試しなのだ。
ニーナの腕が試されているという意味で。
そして、ナルキの説明が終わった観客席が納得に包まれた頃、ニーナの米神に青筋が浮かんでいるのを確認できた。
内力系活剄で肉体を強化している以上、聴力も当然上がっている。
ナルキの話が全部聞こえてお冠なのだろう事は理解できるのだが。
「貴様! 全力を出せ!」
今まで以上の速度と威力を込めた鉄鞭がレイフォンに襲いかかるが、当然のように余裕で防御か回避されてしまっている。
ニーナにしてみれば当然の要求なのだが、レイフォンを知っている武芸者的には非常に無茶な要求だ。
もしここで本気を出してしまったら、それは恐ろしい事が起こるのだ。
「全力なんて出せませんよ」
余裕の態度を崩さずにレイフォンが応じる。
当然更にニーナの攻撃が激しくなるが、やはり全く通じていない。
全ての動きが予測されているのだ。
次の手が予測できれば、最小限の動きと剄量で拮抗できてしまう。
それを覆すためには、レイフォンの意表を突く攻撃か、あるいは奥の手的な攻撃が必要なのだが、ニーナはそれを持っていないようだ。
「ええい! ならばこれでどうだ!」
奥の手はなかったが、捨て身の攻撃は持っていたようだ。
両手を顔の前で交差させ、一気に間合いを詰め衝剄を放つ。
だが。
「っが!」
苦鳴を漏らしたのはニーナだった。
その両手から鉄鞭がこぼれ、前屈みになって倒れる。
次に認識できたのは、しゃがんだ体制から黒鋼錬金鋼の長剣を前方に突き出しているレイフォンの姿。
ニーナの突進に合わせて突き出されたのだろう。
捨て身の攻撃だったが、自爆技になってしまったようだ。
と言うか、格上の相手にする攻撃ではない。
「勝者レイフォン・アルセイフ」
無情にもヴァンゼの宣言が会場にこだました。
当然と言えば当然なのだろうが、もう少しやり様はあった。
レイフォンの実力が分からないから仕方が無いのかも知れないのだが、それでももう少しやり様はあったと思うのだ。
同じ条件のレイフォン相手だったら、ウォリアスなら苦戦させる事は出来た。
言っても意味はないが。
息を整えつつ姿勢を正すニーナが、非常に悔しそうに羨ましそうにレイフォンを見る。
今の自分では全く勝てない相手に対するあこがれと嫉妬。
それは武芸者の困った性癖と言ってしまえばそうなのだが、レイフォンを模倣してはいけないのだ。
恐らくレイフォンはそれをしっかりと理解している。
だからナルキがついて行っているのだし、今こうしているのだ。
「では、次は俺の番だな。続くが大丈夫か?」
「大丈夫です」
今の壮絶な技量を見て、やる気満々なヴァンゼがレイフォンの前に立つ。
強いやつを見たら戦いたくなると言う性癖を持っているようだ。
こちらも武芸者である以上当然だ。
ニーナとの戦いを見た以上慎重になるだろうし、それ以上に実力を計ろうとするだろう。
長期戦が予測された。
これならばお菓子は二箱有った方が良いかもしれないと思ったのだが。
いきなり風が動いた。
視界の隅を巨大な影が飛んで行く。
目的地はレイフォンの目の前。
このタイミングでそんな事をする人間をウォリアスは一人しか予測できない。
第五小隊長ゴルネオ・ルッケンスが、衝撃波を伴って舞台の中央に降り立った。
考えるよりも先に身体が動いていた。
これが非常に問題である事、ヴァンゼに対して失礼だと言う事も理解している。
だが、もはや待つ事が出来なかったのだ。
ガハルドが卑劣な事をしてレイフォンを追い詰めた事は理解している。
その報いを受けて植物状態になった事も理解している。
ガハルドに対する一撃が元でグレンダンを追放された事もだ。
そして、レイフォンの過去に同情している事も間違いない。
だから、そのもやもやを全て片付けたいのだ。
「申し訳ありません武芸長。この場を譲って頂きたい」
深々と頭を下げる。
折角至高の相手と戦う機会だというのに、いきなり横から出てきて譲れと言われたヴァンゼの気持ちは十分に分かるのだ。
それでも、止まる事が出来なかった。
頭を下げ続ける事十秒、やっとヴァンゼが動く気配を感じた。
「ゴルネオ。・・・・。良いだろう」
「申し訳ありません」
レイフォンとの関係を知っているヴァンゼが、沈黙の後了承してくれた。
きっとこの後色々なもめ事を押しつけられたりするだろうが、甘んじて受ける。
今を逃したら一対一でレイフォンと戦う事が出来ないかも知れないから。
「済まないが、俺と戦って貰う」
半ば事後承諾でレイフォンに告げる。
ヴァンゼの挑戦を受けたのだから、当然断らないと思っていた。
「お断りします」
「な、なにぃ?」
驚いたのは断られた事ではない。
レイフォンの視線がほんの少しだけゴルネオの顔から横にずれているのだ。
若干上にもずれている事から考えて。
「シャンテ?」
「シャァァァァァァ」
ゴルネオが飛び出す寸前まで、お菓子を食べて幸せに包まれていたはずなのに、いつの間にか肩に乗っている赤毛の少女に驚く。
非常識だとは思っていたのだが、今回の行動は余りにも想定外だ。
ゴルネオの個人的な事情に巻き込むのは本意ではない。
なので説得を試みる。
「これは俺とアルセイフの問題でだな」
「シャァァァァァ」
説得を試みるが、シャンテに聞く耳はないようだ。
それ以上に何か殺気が強くなっているような気がする。
更に人間の言葉を忘れているのではないかと心配になったが。
「こいつのせいでゴルは笑わなくなった! こいつのせいでジュースが飲めなかった! こいつのせいで訓練場で待ちぼうけだった!!」
「う、うむ」
笑わなくなったのはレイフォンのせいであるのは間違いない。
だが、あと二つはどちらかというとゴルネオの責任なのだ。
レイフォンの視線が説明を求めているが、出来れば無視したい。
「えっと? 何があったんでしょうか?」
「お前が倒れた時にシャンテに買い物を頼まれていたのだがな」
はっきりと聞かれてしまっては仕方が無い。
結局病院に直行してしまったために、ジュースは置き去りになって行方不明。
今も発見には至っていない。
「待ちぼうけって?」
「お前の過去の話を聞いていてすっかりシャンテの事を忘れてな」
部屋に帰っても気が付かずに、シャンテと同室の女生徒から問い合わせがあって始めて思い出した。
他の隊員が帰るように促したのだが、何故か頑固にゴルネオを待ち続けていたシャンテの機嫌が悪いのは当然だ。
そのおかげでここ数日頭が上がらない状況が続いているのだ。
「・・・・・・・・・・・・」
「う、うぉ!」
そして極めつけとして、レイフォンから哀れみの視線が突き刺さった。
これははっきり言って痛い。
「そんな目で俺を見るな! そもそもの原因はお前だ!」
著しく虚勢を張ってみる。
そうしないと戦うと決めた心が折れそうだったからだ。
そしてレイフォンの肩の力が抜けた。
「良いですよ。二人一緒で」
「そ、そうか」
「ええ。ただし、剄の総量はシャンテ先輩でしたっけ? と同じくらいにさせて頂きますが」
「ああ。それでかまわない」
当然だが、二人掛かりでもレイフォンに全力を出させる事は出来ない。
いや、むしろここで全力など出せないのだ。
もしそんな事をしたのなら、その余波だけでこの体育館は崩壊してしまうかも知れない。
それほど危険なのだ。
目の前にいる、気の弱そうな少年は。
「・・・・・。では、双方準備は良いか?」
若干脱力気味のヴァンゼが仕切り直す。
ゴルネオがグローブとブーツに錬金鋼を挿入し、シャンテが槍を復元する。
「いつでも良いですよ」
「こちらも準備できました」
ゆっくりとレイフォンが剣を構える。
ゴルネオも右手を前に付き出し左半身を若干引く。
「では、はじめ!」
ヴァンゼの手が勢いよく振り下ろされた。
その直後ゴルネオは拳にありったけの剄を込めて、化錬剄の変化を起こさせる。
元の大きさの数倍になった拳をレイフォン目がけて振り下ろす。
小細工は無意味だ。
そんな事をしていてはとうてい届かない。
だから後先考えずに全力で打ち込む。
サヴァリスという同僚が居たレイフォンは、ルッケンス流の動きは見慣れているのだ。
当然のように軽く回避された。
それを追って連続で拳を繰り出し蹴りを放つ。
その合間にシャンテが攻撃の準備を終わらせた。
「シャァァァァァァ」
威嚇と余り変わらない声と共に、ゴルネオの背中から飛んだシャンテの槍が炎を纏ってレイフォンに迫る。
その気迫と勢いと威力は、試合と言うよりもむしろ死合だ。
「っち!」
舌打ちしたのはゴルネオだ。
全てを読み切っていたかのようにレイフォンが横へと移動して、シャンテの一撃もあっさりと回避された。
だが、全く無駄ではなかった。
極々僅かだが、レイフォンの体制が崩れた。
「ふん!」
今までと拳の軌道をやや変えた攻撃を打ち込む。
回避が間に合わないと判断したのか、防御に回るレイフォンの手がゴルネオの拳を受け止める。
「貰った!」
俊敏な動きで背後に回っていたシャンテの槍が、殺意さえ込めてレイフォンの背中へと襲いかかったが。
起こった現実を認識して。
「え?」
「なに?」
黒鋼錬金鋼の長剣が槍の穂先を受け止めた。
未だにゴルネオの拳を受け止め続けているレイフォンがだ。
しかも背中側に剣だけを回して、一瞬たりともシャンテを見る事がないという凄まじさでだ。
「ひゃ?」
「うお!」
それどころか、槍を受け止めたままシャンテの両肘を掴み、ゴルネオの方に投げてよこすレイフォン。
だが、流石に危なげなく空中で体制を変えたシャンテが、ゴルネオの肩に着地。
それは良いのだが、計算が合わない。
人間の腕は二本しかないのだ。
一本でゴルネオ、一本でシャンテの攻撃を受けたとしても、両肘を掴む事は出来ない。
はずだった。
「き、きもい」
「う、うむ」
何時もの重さを肩に感じつつ二人の出した感想だ。
それはある意味非常識で合理的な姿と言えない事はない。
そう。レイフォンの身体から六本の腕が生えていたのだ。
二本は元々だとして、後四本は。
「千人衝」
ルッケンスの秘奥。
こんな事が出来るのは、千人衝を改良した剄技以外には考えられない。
とは言え、サヴァリスなら兎も角、レイフォンが人の家の秘奥を使うなどとは思いもよらなかった。
「げ」
「ぬを」
錬金鋼を待機状態にしたレイフォンが軽く構え。
更に腕の数が増えた。
合計十二本。
「うぁたぁ!」
鋭い踏み込みから一気に間合いの内側に入り込み、十二個の拳が殺到する。
幻でもなければ錯覚でもない、ある意味実体を持った拳が体にめり込むのを感じた。
「「ひでぇぶ」」
当然防御はしたのだが、三倍の戦力差はどうする事も出来なかった。
百発を優に超える攻撃が二人の身体に突き刺さったのだ。
当然こらえられるはずも無く吹き飛ばされた。
「・・・・・・・・・・・・・。勝者レイフォン・アルセイフ」
余りにも余りな展開に、ヴァンゼの判定が数秒遅れてしまったくらいだ。
衝撃はかなり大きかったが、それほど剄が籠もっていなかったためにダメージは殆ど負っていない。
これも恐らくレイフォンの計算なのだろう。
「シャァァァァァァァァァァァァ!!」
悔しさの余り、理性を無くしたシャンテが吠えているのをなだめつつ、ゴルネオは聞かずにはいられない。
さっきの剄技のことだ。
「千手衝です」
「せんしゅしょう?」
「千人衝を改良して少ない剄量で実現できるようにしました」
簡単に言ってくれるのだが、そもそも秘奥というのは会得するのが難しい物なのだ。
剄量をいくら抑えたとしてもそうそう出来るものでは無いと思うのだが。
「前にサヴァリスさんが使ったのを見て覚えました」
「・・・・・。化け物め」
聞いたことはあった。
レイフォンは一度見た剄技の殆どを自分の物に出来てしまうと。
まさかと思っていたのだが、どうやら本当だったようだ。
自分の身体で思い知らされるとは思いもよらなかったが。
「あれってきもいの?」
「はじめの頃は驚いたけれど、その内見慣れたわね」
観客席の方からそんな会話が聞こえる。
ヨルテムから来た黒髪の少女とグレンダンから来た金髪の少女が話をしている。
シャンテにお菓子を与えて気を紛らわせてくれたことには感謝しても良いのだが、今の会話はしっかりと確認しておきたい。
「それはつまり、お前達は何度も見ていると?」
「あ、あう」
いきなり声をかけたので、少々怖がらせてしまったようだ。
笑えば愛嬌のある顔だと表現されるのだが、今はかなり怖いはずだと言う事は認識している。
当然のように激しく怯えて答えることは出来そうもない。
「大勢の料理を一人でやる時にはよく使っていましたよ」
「な、なに?」
変わって答えたのは金髪の少女だ。
そして、ゴルネオは更に驚き困惑してしまう。
料理に使っていたと言う事は。
恐ろしい予測と共にレイフォンの方を見る。
「便利なんですよ。一人で二人分の仕事が出来るから」
「人の家の秘奥で家事をするな!!」
頭をかきつつ言うレイフォンを怒鳴りつける。
レイフォンほどではないが、武芸を神聖視する思考をゴルネオは持っていない。
身近にサヴァリスという戦闘愛好家が居るせいで、とても神聖視できなかったのだ。
だが、これは流石に許容量を超えている。
「千人衝で掃除をすると速く終わるんですよ」
「貴様! もう殺す!」
試合は終わったが、今ここでこいつを殺さなければならないとゴルネオは判断した。
そうしないと武芸の技が全て家事に使われてしまう。
「鍛錬としても結構良いですよ」
「な、なに?」
必殺の気合いを込めた拳を叩きつけようとしたが、いきなりのレイフォンの一言で緊急停止。
「普段から使っていると効率的な使い方を身体が覚えるんですよ」
「う、うむ」
言われてみて気が付いた。
それ以前に思いつくべきだったのだ。
千人衝を体得したとしても、それを制御することは至難の業だと。
千人の自分を創り出しても、全く同じ事しかできなければたいした意味はない。
まあ、数は力だから全く無意味ではないだろうが、それでも剄量に見合うだけの戦力かと聞かれれば疑問符が付いてしまう。
「な、なるほど」
納得してレイフォンを見たが、視線をそらされた。
これは間違いなく出任せだ。
「・・・・・・・・・・・・。アルセイフ?」
「え、えっと」
更に視線が横にそれる。
さっき以上の気合いを拳に込める。
だがそのゴルネオの腕が押さえられた。
「まあ、珍しい技を持っていることは間違いないのだ。もしかしたら覚えられるかも知れないぞ?」
「そう言う問題ではありません! もっとこう、本能というか納得というか」
ヴァンゼの取りなしで拳だけは納めたが、全く納得は出来ていない。
だが、稽古相手としてはレイフォンは格好の存在だ。
何しろサヴァリスと一緒に戦ったことがあるのだ。
ならば、レイフォンと組み手をすることで得られる物は多いだろう。
都合良く相手は引け目を感じているのだ。
言い方は悪いが利用しない手はない。
「まあ、良いだろう」
そう言って踵を返して気が付いた。
シャンテが居ないことに。
「シャァァァァァァァ!」
「う、うわ!」
何故かまた戦闘態勢になっている。
レイフォンに向かい槍を構えて、今にも飛びかかりそうだ。
これはかなり拙い。
試合はすでに終わっているのだ。
これ以上の戦闘は私闘でしかなく、それは規則違反である以上にゴルネオとしても許容できない。
なので何とか矛を収めさせるために説得を試みる。
「もう良いんだ」
「私は良くない!」
「シャンテ。向こうにお菓子があるぞ」
「そんな物いつでも食べられる! こいつは今しかやれない」
強情だ。
仕方が無いのでとっておきの台詞を口にすることにした。
出来れば使いたくないのだが、致し方ない。
「会長の妹さんに全部食べられるぞ」
「!!」
とっておきの餌をばらまいて、ようやくこちらを見るシャンテ。
だがその目はとうてい納得しているものでは無い。
ゴルネオも納得していないところがある以上、説得するのは困難を極めるだろう。
「ゴルは良いのか? こいつを生かしたままにしておいて」
「俺は自分の気持ちの整理を付けたかっただけだ」
勝てないことは分かっている。
だが、本能というか身体が納得しなかったのだ。
今は違う。
ゴルネオとは、やはり見ている物が違うのだ。
わだかまりが無くなったというわけではないが、今までのようにどうしようもないほどでもない。
「良いんだ。ゆくぞ」
「ぶぅぅぅぅぅぅ」
やや子供っぽい膨らみ方をしているが、それでもこれ以上レイフォンに詰め寄ることはなくゴルネオの肩に乗るシャンテ。
取り敢えず今はこれで良い。
もしこの先何かあったら、その時に考えればいい。
全てを満足させる方法など無いのだから。
だが、視線の先にはさらなる問題が鎮座していた。
もっと正確に言うのならば、ゴルネオが呼び込んだ問題だ。
「シャァァァァァァ」
シャンテもすぐに気が付いた様子で、そちらを見て再び威嚇の声を上げている。
そう。頬を一杯に膨らませてお菓子を飲み込もうとしているフェリに向かって。
どう考えても、つい今し方詰め込んだようにしか見えないし、その手には大事そうにお菓子の入っている箱が捕まれている。
空だったらメイシェンに返しているはずだから。
確保しているのが自分の分だとすると。
「私のお菓子を食べたな!!」
当然返事は返ってこない。
もごもごと口が動き、必死に飲み込もうとしているのだが、もう暫く時間がかかるだろう。
「ああ。また作ってもらえよ」
「ゴルはそれで良いのか? 私は断固として抗議する!!」
珍しく難しい言葉を使って飛び出そうとするのを、首根っこを引っ掴んで襲いかからないようにする。
なんだか今日はこんな仕事ばかりだと、複雑な疲労感に襲われつつもシャンテをなだめようと言葉を探していたのだが。
「あ、あの。今度倍の量を作りますから。あ、あの、えっと。今は我慢して下さい」
「しゃぁぁぁぁ? いいのか?」
「はい」
今度もメイシェンの取りなしで事無きを得てしまった。
これははっきり言って立つ瀬がない。
レイフォンに引け目を感じさせたのは良いのだが、ゴルネオ自身も引け目を感じてしまっている。
責任は無いのだが、心情的に複雑怪奇だ。
「ああ。取り敢えず座り給え。ヴァンゼの立場もなくなってきているからね」
「申し訳ありません」
カリアンに指示されるまま、元いた席に着く。
かなり色々と問題のある立ち会いだったが、それでも得る物は少なくなかったと思いたい。
少なかったら、くたびれもうけの骨折り損だ。