やや身長が低く体重の大きいエド・ドロンは、割とよく食べる。
昼食前ではあるのだが、チョコレート菓子を手に持ってやおら立ち上がった。
今日は午前中だけで授業は終わりだし、のんびりと昼食を食べつつチョコレートをつまんで、午後をゆっくりと過ごそうと思ったのだ。
そのための準備としてトイレに行こうとしたエドだったが、いきなり生命の危機が到来した事を理解してしまった。
それは何故かと聞かれたのならば、話は簡単だ。
「ひ、ひぃぃぃぃ!」
先日行われた入学式で派手な学園デビューをした武芸科のレイフォンが、開けた扉の向こうで腰を抜かし涙を流し、恐れおののいているからに他ならない。
それはつまりツェルニが今日滅ぶという意味に他ならないように思える。
「え?」
それはもうあり得ない光景だったので一瞬呆然としてしまった。
だが、その一瞬が生死を分けた。
何を思ったのか、いきなりレイフォンがエドにしがみついてきたのだ。
決定的に、もうエドにはどうしようもない事態に巻き込まれた事を意味する。
「た、たすけて」
「え?」
一般教養科から転科した武芸者が、一般人に助けを求めている。
それはもう驚きを通り越してあり得ない事実なのだが。
それも無理はない。
「ミィフィ。ソード」
瞳が紅く燃え上がった隣のクラスの超弩級美少女が仁王立ちしていた。
そして、同じクラスのミィフィが恭しく鞘に入ったままの長大な刀を渡す。
それをゆっくりと引き抜きつつ超弩級美少女の視線はレイフォンだけを見据える。
それはもう、これで殺すという意思表示。
その刀は根本の付近で急角度に曲がり、鋼の輝きを持った凶器。
どう考えても普通の少女が持てるはずのない物だが、それを軽々と操っている。
そして、向けられているレイフォンは。
「た、たすけて」
なんとエドの後ろに隠れてしまったのだ。
その結果、エドは標的までの障害物となってしまった。
紅く燃える瞳はエドを認識しているが、路傍の小石を見ているほどにも興味がないのだ。
それはつまり、レイフォンの前にエドが殺される事を意味している。
あるいは串刺しで同時に人生を終えるかのどちらかだ。
(ああ。でもこれは悪くない)
エドは思うのだ。
これほどの美少女に殺されると言う事は、ある意味で幸せな最後だ。
持てない事にかけては定評のあるエドだけに、最後とはいえこの展開は悪くないと思える。
思わずレイフォンを庇うようなまねをしてしまうくらいに、悪くないと思っていた。
(い、いや。待て俺)
だが、すぐに考えを改める。
それは何故かと問われるのならば。
(こんなモテ男と一緒に殺されるのは、俺のプライドが許さないんじゃないか?)
モテ類モテ科モテ男であるレイフォンと一緒に殺されるのでは、恐らくレイフォンの方ばかりが目立ってしまうだろう。
それではエドが忘れ去られてしまうかも知れない。
レイフォンの遺影の前に飾られる花束の数々に比べて、エドには遺影さえないかも知れない。
それは断じて許容できない。
(考えろ俺! 何とかこの場を乗り切って生き残るんだ)
レイフォンよりもかなり優秀な頭脳がこの時猛烈な勢いで回転。
そして自分が今持っている物が何かを思い出した。
恐る恐ると、最小限の刺激でチョコレートを差し出す。
全く意味のない無機物を見るような視線がエドを捉えるが、それに何とか耐える。
「ど、どうぞお納め下さい」
後ろの方で安堵の雰囲気が生まれるが、エドには全く関係のない事だ。
そう。目の前の少女の殺意が降り注いでいる事に比べれば。
その視線はすでに無機物を見る物ではなくなっている。
はっきりと敵を殲滅するものに変わっているのだ。
「邪魔をするの?」
「とんでも御座いません」
切っ先がエドに向けられそうになったので、慌ててひれ伏して攻撃を避ける。
その瞬間レイフォンが剥き出しになったが、すぐに同じようにひれ伏してしまう。
呆然としている内に刺されればいいのに。
「怒るにせよ殺すにせよ、エネルギーは必要でしょう。これをお召し上がりになって英気を養って頂きたいと」
猛烈な敬語の連続になっているが、この危機を乗り越える事が出来るのであれば許容できる。
そして、エドの主張の正しさを認識したのか、少女の手がゆっくりと伸びてきてチョコレートを一つつまんで行く。
本来愛らしいはずの唇が開かれ、巨大な犬歯を併せ持った口腔へと消える。
ゆっくりとチョコレートが口の中で転がされるのが分かる。
アーモンドを砕いてビターチョコで固めたそれは、エドのお気に入りなのだが今はそれだけが命をつなげる希望だ。
ドキドキとして表情を窺っていると、表情は全く変わらず手だけが伸びてきて二つ目をつまんで行く。
それが三つ目、四つ目となるにつれて、段々と雰囲気が穏やかになって行くのが分かった。
これは行けるかも知れない。
だが、安心するのはエドが助かった後で良い。
もしかしたら、本当にエネルギーを補給して本格的に暴れてしまうかも知れない。
そうなったら目の前にいるエドが生きていられるはずはないのだ。
「美味しい」
だが、何とかチョコレートを気に入ってくれたのか、瞳の色が水色に戻って行く。
一箱殆どが消費されたが、それで命が買えたのだったら激安だ。
「「た、たすかった」」
思わずレイフォンと抱き合って生きている喜びを謳歌してしまった。
すぐに自分の状況を理解して離れたけれど、記憶は残ってしまっているし。
「にひひひひひひひ」
不気味に笑うミィフィがカメラを掲げている。
当然今の一シーンは取られたのだろう。
まあ、死ぬよりはだいぶましだと思う事にする。
そんな非日常の教室に日常的な声が響く。
「終わった?」
エドがそうして安心しているところにかかったのは、始めて見る細目で黒髪の少年。
なにやらつまみつつ微笑んでいるところを見ると、ずっと見ていたに違いない。
見ていないで止めろと言いたいところだが、エドが逆の立場だったら間違いなく高みの見物を決め込んだ。
当然、絶対に巻き込まれない距離から。
今はチョコレートを頬張っている少女の迫力は尋常な物ではなかったのだ。
そしてその細目の少年は何の躊躇もなく超弩級美少女に歩み寄り、あっさりと凶暴な刀を取り上げてしまった。
別段抵抗する事もなくチョコレートを食べて幸せに包まれる美少女。
それを認識しているのかいないのか、しげしげと刀を調べる細目の少年が、何かに驚いたように少しだけ瞳が大きくなる。
「流通君村正?」
刀の根本の付近を見つめつつ不思議な発音で何か言ってのけた。
刀の名前なのかも知れないが、不思議なイントネーションだった。
「にひひひひひ。流石ウッチンだねぇ」
「それは良いんだけれど、どっから持ってきたこれ?」
ウッチンと呼ばれた少年がミィフィに聞いているが、何故ミィフィが持ってきたと分かったかが疑問だ。
だが、ウッチンのその予測は正しかったようでミィフィが不気味な笑いと共に答えている。
「にひひひひひ。週間ルックンの倉庫にあった」
「何で刀なんかあるんだよ?」
「なんでも、ルックンに代々伝わる名刀だとか」
「おいおい」
どうやらミィフィの職場にはこんな恐ろしい物がゴロゴロあるようだ。
出来るだけ近付かない方が賢明かも知れない。
「まあいいや。それよりレイフォン。少し話があるんだけれど」
「え? えっと。お昼は?」
「・・・・・・。良く食えるな」
最後に言ったのはエドだ。
あれほどの恐怖体験をしているというのに、すぐその後に食事が出来るなんて驚きだ。
まあ、緊張が解けたせいで空腹を感じるのは時間の問題だろうが。
「一緒に食べる?」
「おれか?」
突然、いきなりの提案で思考が止まる。
レイフォンのせいでチョコレートが無くなったと言えない事はないだろうが、一緒に昼食と言う事はかなり微妙な話だ。
何故ならそれは。
「まあ、ウッチンの話があるから余りおすすめは出来ないが」
ナルキがなにやら恐る恐ると少女に近付く。
もちろんレイフォンとの間に入らないように細心の注意を払っているのだ。
「込み入った話なんだけれど」
どうやらエドは余り歓迎されないようだ。
歓迎されても困るのだ。
なぜならば。
「ご、ご飯にしよう」
メイシェンがおそるおそるとお菓子を差し出しつつ、未だに幸せに包まれている少女に提案する。
そう。レイフォンの提案を受けると、女の子四人と食事をしなければならない。
今は幸せに包まれているが、何時またバーサーカーモードになるか分からない少女と一緒にだ。
それは余りありがたくない。
しかも、何時レイフォンに盾にされるか分からないのだ。
「俺は他で予定があるから、遠慮するよ」
「そうなんだ。じゃあ、また今度ね」
「ああ」
こうしてエドの恐怖体験は終了した。
だが、また再び同じ事が訪れないとは誰にも言えない。
いや。レイフォンが近くにいる以上、これから何度も同じ目に合う事は間違いない。
ツェルニに来た事を少し後悔し始めたエドだった。
当然のことではあるのだが、ウォリアスはミィフィが用意してリーリンが握っていた刀を確保している。
何時また暴走するか分からない人間に、凶器を持たせるのは大変危険だからだ。
それに、真面目な話を先に片付けなければならないのも、また事実。
なぜリーリンが暴走状態になったかを知りたいという欲求はあるのだが、血の涙を飲んでそれを押しとどめる。
「でだが」
「うんうん」
何時ものメンバーで食事を取り始めるのは良い。
いつの間にかリーリンが完全に元に戻っているのは喜ばしいことだ。
メイシェンとリーリンとレイフォンが作った料理の数々が、テーブル狭しと展開されているのも良いだろう。
どこから嗅ぎつけてきたか不明だが、シャーニッドも一緒に食べているのも、まあ許容範囲内だ。
なので話を始める。
「第十七小隊に入って貰いたいんだそうだ」
「ふぇ?」
全く予想もしていない事態が起きたとばかりに、呆然としつつ辺りを見回すレイフォン。
はっきり断ったのにウォリアスを通じて依頼してきたことが非常に驚きなのかも知れない。
ニーナが嫌いだから入りたくないとはっきり言っていれば、そこで話は終わりだったのかも知れないが、取り敢えず予定通りに進める。
「第十七小隊の現状は知っていたよな?」
「頭数が足らない」
「そ。そこでお前さんが是非とも欲しいんだそうだ」
言ったは良いが、話が難航することはわかりきっていた。
だが、事態はウォリアスでさえ予測も出来ない展開へと進んでしまった。
「名誉も栄光も興味はないし、誇りも志も持っていないから入れないって言ったのに?」
「・・・・・・。本心だったのか」
これは予測していた中で一番くだらない展開だ。
まあ、ニーナが嫌いだから入らないと言われるよりは、ずいぶんと建設的ではあるのだが、それでも余りにも馬鹿げた展開ではある。
「誇りは兎も角、志なら有るだろう?」
「え? そんな物生まれた時から持ってないけど?」
「・・・・・・・・・・・・・・・。良く分かった」
レイフォンと言う人物が良く理解できた。
溜息をついて辺りを見回して絶望したくなった。
ここにいる全員が悲壮な表情でレイフォンを見ているのだ。
それはつまり、レイフォンが志を持っていないと確信してしまっている証拠だ。
理解が足らなかったとしか言いようがない事態に、再び溜息を付き話を進める。
「ナルキとその弟に武芸の手ほどきをしているんだろ?」
「うん。出来ればナルキ達に死んで欲しくないから」
「でさ。知っている人間がツェルニの滅びに巻き込まれるのが嫌で、武芸科に転科したんだよな?」
「うん。知らない人が死んでも寝覚めが悪くなるだけだけど、知っている人はかなりショックだから」
「でだな。そうやって何かの目標に向かって進もうとする気持ちを志というのだよ」
「え?」
当然のことなのかも知れないが、ここに居合わせた全員から驚きの波動が伝わってくる。
辞書をかるく引けば言葉の意味はすぐに分かるし、他の人が使っているのを見ていればおおよそ理解できると思うのだが、もしかしたらウォリアスの常識とは違うのかも知れない。
そもそも、グレンダンでレイフォンが武芸を始めて八歳で汚染獣戦に出撃するようになったのも、孤児院を何とかしたいと志した事に始まっているのだ。
言い方は変だが、レイフォンは始めから志を持って戦っていたのだ。
そして、一時それを無くしてしまったが、今は十分に持っている。
「えっと。みんなが志とか誇りとかって偉そうに言っているから、もっと凄いのじゃないと、そう言わないのかと」
「ああ。そういう風に考えたのね」
振り返って考えてみれば、レイフォンの身近にいた大人達は、かなり凄い人達ばかりだった。
天剣授受者に立派な人は少ないようだが、それを統べる女王はそれなり以上の人物のはずだ。
そんな女傑が身近にいたのでは、そう考えてしまうのも仕方が無いかも知れない。
「肉料理にたとえようか?」
「えっと。お願いします」
他の人に分かるように、分かりやすく誤解の無いような例えと言えば、余り選択肢がない。
「これは何?」
三人の力作揃いの中にあって、やや火を入れすぎて堅くなった豚肉を焼いた物を指し示す。
「えっと。僕が作った豚肉のソテー。少し失敗」
当然のようにレイフォンが作ったと自白。
「では、こっちは?」
時間が経ってから食べることを考慮し、味付けや火の通り方も完璧と言える豚肉の焼いた物を指し示す。
「私の作った照り焼き」
こちらもリーリンが答える。
豚肉の照り焼きというのは珍しいが、美味しいので良しとしようと結論を付ける。
「同じ豚肉の料理だけど、人によってその出来映えが違うでしょう?」
「ああ。豚肉を焼くのが志で、失敗したのが僕なんだ」
「たわけ!」
余りのことにやや声が大きくなってしまった。
内罰的というか、後ろ向きというか、悪い特色を遺憾なく発揮したレイフォンに少し怒りを感じる。
「美味しいかどうかなど食べる人間次第だ。そう言うことを言いたいんじゃないの」
はっきり言ってしまうと、リーリンの作った物よりもレイフォンの作った物の方が、ウォリアス的には好きなのだ。
歯ごたえがないと少し寂しいと思うのは、間違った感想なのだろうかと少し考えるくらいに。
「ああ。つまりだな」
言葉に詰まる。
この先どうしたらいいか分からないのだ。
「つまりだな。どちらが上とか下じゃなくて、まとめて肉料理なんだよ」
考え込んでいたシャーニッドが横から口を出したが、まさにウォリアスはそう言いたかったのだ。
「肉料理には違いないけど」
納得していない様子でレイフォンが首をかしげる。
「食べる人間が評価するけれど、肉料理には関係がないだろ?」
「それはまあ。食べられることに変わりはないですけれど」
シャーニッドも必死に言葉を探しているのだが、やはりレイフォンは強敵だった。
「ああ。えっとな」
シャーニッドに助けを求められてしまった。
ウォリアスにしても今この場ではこれ以上どうしようもないので、先送りすることにした。
「じっくり時間をかけてその辺説明するから、今は志は持っていることを知ってくれればいいよ」
「うん。持っていたんだねそんな物」
さほど興味がないのか、あっさりと流されてしまった。
思わず殺意がわいてくるような気軽さでだ。
本当に興味がないようだ。
「で、話を続けるけど」
レイフォンに一般常識を教えることがとても大変なことが、理解できただけでも十分な収穫だと思うことにして、話を進める。
「入らない?」
「うぅぅぅん? 入らない方が良いかなって思っているんだけれど」
「アントーク先輩が好きではないから?」
「へ? 何で先輩のことが嫌いだと思ったの?」
心底驚いた表情でウォリアスを見るレイフォンで確信が持てた。
志云々は別にしても、何か理由があって小隊入りを断ったのだと。
「いやね。自分の意見を人に押しつけるから嫌いなんじゃないかと」
「別にそんなこと無いけど?」
「そ、そうなんだ」
「僕の周りには唯我独尊な人も多かったけれど、人に自分の基準を押しつける人も多かったから」
「良くそんな難しい言葉知ってたなと言うのは置いておいて、それならアントーク先輩にも免疫があるのか」
少しレイフォンの人物像に修正を加えつつ、ウォリアスは理解していた。
ウォリアス自身がニーナのことを好きではないから、レイフォンもそうだろうと思っていたことを。
「若さ故の過ちと言うやつかね?」
呟きつつも、視線を感じていた。
全員からの疑問の視線だ。
何故レイフォンがニーナのことを好きではないと思ったのかを聞きたいのだろう。
「ああ。僕はウォリアス・ハーリスというフィルターを通してしか世界を認識できないんだよ」
核心を言ったが、残念なことに誰も理解してくれていない。
まあ、いきなりこんなことを言って理解できる人間の方が珍しいだろう。
「僕が余りアントーク先輩のことが好きではないから、レイフォンもそうだろうと思っていたんだ」
「・・・? どうして? ウォリアスの好き嫌いが僕に影響するの?」」
「い、いや。どうしてって」
真剣に分からないと言った表情で、レイフォンに見つめられてしまった。
ニーナの事がなぜ好きではないかと聞かれなかったのは、個人的な事情に深入りしたくなかったのか、はたまたフィルターがどうのと言う方に焦点が行っているからだろう。
ここでまた例えを出してみて理解できるかと思って考え。
「シャーニッド先輩がさ、男の子と手をつないでいたらどう思う?」
いきなり例えになったせいもあるだろうし、シャーニッドに標的が移ったせいもあるだろうが、呆然とする一同。
「ミィフィだったら、翌週の週間ルックンはシャーニッド先輩のヤオイ疑惑で一杯だろうし、レイフォンだったら仲が良いんだな程度でしょう?」
二人の方を見てしきりに頷いているのを確認。
今回は余り外れなかったようだ。
「それがフィルターを通すと言う事。同じ現象を見ても人それぞれの反応があるんだよ」
これ以上噛み砕いた説明は出来ないので、この辺で納得して欲しい。
「ああ。前にトマスさんが言いたかったのはそう言うことだったんだ」
納得してくれたようで、手を打って喜ぶレイフォンとその他の皆様。
その辺の認識が、かなりたりていないようだ。
「はあ」
大きく溜息をつき姿勢を立て直す。
非常に疲れているがやらねばならないのだ。
「それで、小隊に入らない方が良い理由って?」
「・・・。うん。出来ればナルキとシャーニッド先輩だけに」
一般人を避けたその一言で、ウォリアスはかなり重い話になることが予測できてしまった。
「じゃあ、食事が終わってからね」
その後、何の波乱もなく食事は終わった。
この後に問題が有ることは間違いないので、楽しむことは出来なかったが。
昼食が終了して、少し離れた場所で内緒話しをしている四人を眺めつつ、リーリンは驚いていた。
デルクは誇り高い武芸者だった。
その誇りが邪魔をして孤児院の経営が上手く行かなかったとは言え、それでも立派な人だと思っている。
だが、レイフォンはその誇りを持っていないと言い切っているのだ。
本人が知らないだけかも知れないし、認めたくないだけかも知れないが、今の状況はあまり良い物だとは思えないし、やはりレイフォンには大切な何かが欠けてしまっているのだと理解させられた。
ならば、デルクから託された鋼鉄錬金鋼を渡すべきかも知れない。
それを渡したからと言って、レイフォンが誇りを持てるかどうかは分からないが、それでも今よりは胸を張って生きて行くことが出来るはずだ。
そう考えるリーリンの視線の先では、レイフォンが何か難しい顔をしている。
ナルキも補足説明をしているのか、その表情は非常に厳しい。
話を聞いているだけのシャーニッドとウォリアスも、似たり寄ったりだ。
かなり重要な内容であることは分かるが、それを知ることは恐らく出来ない。
それは恐らく、一般人は知ることを許されない世界の話だから。
「ミィちゃん、何しているの?」
「うん? 近くの病院を探しているの」
なにやら地図を見ていたミィフィが、平然とそんなことを言っている。
実を言えば、昨日レイフォンが倒れた時も、ミィフィが予め病院までの道順を探しておいてくれたので、迷わずに行くことが出来たのだ。
今日もそれが役に立ってしまうかも知れないと不安になったが、どうやら杞憂に終わったようだ。
溜息に似た空気を吐き出したウォリアスに促されて、四人がこちらにやってくる。
「ねえねえ。どんな話?」
「ああ? そうだな。取り敢えずレイフォンが無双だって事が分かった」
「おお! それはあのことかね? それともそれとも。ああ!! 心当たりが多すぎる!」
シャーニッドのおどけた話題転換に乗って、あれこれ考えを巡らせるミィフィだが、候補の多さが非常に腹立たしいような気がする。
思わず殺気が漏れてしまいそうだ。
「そうそう。これ返しておくよ」
そのリーリンの状況を知ってか知らずか、ウォリアスが持ったままだった刀をミィフィに差し出す。
いつまでもそんな物を持っているのは疲れるのかも知れないし、リーリンの精神状態を敏感に察したからかも知れない。
話題転換としてはあまり好ましくないが、無いよりはましかも知れない。
「うんうん。じゃあリンちゃんに?」
素早くウォリアスに奪い返される刀。
リーリンだってあれは危険だと思っているのだ。
持っている間中、殺意というか害意というか、そんな物に支配されていたのを覚えている。
もしかしたら、あれにこそ呪いがかかっているのかも知れない。
好意を持っている人間を殺せと訴えかけるたぐいの。
ぽっちゃりな男の子がチョコレートで気を引かなければ、真面目に流血の惨事が起こっていた。
「っち! 仕方が無い。それはルックンの倉庫に返してこよう。レイとん」
「え?」
いきなり話を振られたので、全く反応できなかったようで呆然とするレイフォンに向かって刀を差し出すウォリアス。
躊躇というか恐れおののいたレイフォンが、わずかに後ずさる。
「レイフォンが持って行くんだって」
「そうだぞレイとん。か弱い女の子である私にそんな重い物を持たせるのはいけないぞ?」
来る時には持ってきたはずだが、流石に一往復はきついのかも知れない。
きっと何かの間違いだが。
「え、えっと」
刀を見つめるレイフォンの視線に複雑な感情が見える。
憧れと愛情と、恐怖と拒絶、そのほかにも色々な感情が複雑に混ざり合っていて、それ以上はリーリンにも分からない。
刀を持つことに未だに抵抗があるのだろう。
それが鋼鉄錬金鋼でなくとも、刀の形をしている以上持つ資格がないと思っているのだろう。
「ほれ。こんな切れない刃物でも危険物なんだ。とっとと持って行く」
レイフォンに向かって投げられる刀。
落とすわけにもいかないと思ったのか、やや危なっかしくも受け取る。
そして自分が握った金属の固まりに向かって、熱い視線を送るレイフォン。
それはもはや恋い焦がれる視線だと言っても良いくらいだ。
切れないと言われていても、それでもレイフォンにとってそれは刀であり、情熱と愛情を注ぐ対象なのだという事が分かった。
「それじゃあ、暫くレイとん借りて行くからね」
ミィフィに先導されるがまま、歩き去るレイフォンの背中を見送る。
問題を解決するには時間がなさ過ぎるのだ。
それが分かっているからミィフィはレイフォンを急かせたに違いない。
二人の姿が見えなくなるのを確認して、ウォリアスに確認する。
「あれ、切れないの?」
「切れるよ。紙くらいなら」
「ああ。ペーパーナイフみたいな物ね」
ペーパーナイフとしては極めて扱いにくい物だが、全く切れないわけではないのだと理解したのだが。
用途的に言ってあの刀には刃が付いていないことになる。
「刃は付いていないの?」
「付いてないよ」
見かけは非常に危険極まりないようだが、中身はそうでもなかったようだ。
あのままでも惨事は避けられたかもしれない。
撲殺という道は残っているが。
「それにしても、あんな鉄の固まりなのに、レイフォンはかなり悩んだよな?」
「ああ。刀を持たないって堅く心に誓っているみたいでな。私達に鍛錬する時も技を教える以外では絶対に持たない」
ナルキの話を聞き、リーリンは決意した。
レイフォンは刀を持つべきなのだと。
デルクが言う通りにレイフォン自身が自分を許すために。
だがふと思う。
デルクは許したはずなのに、なぜあれほど刀を持つ事を拒否し続けるのだろうかと。
「ねえ。相談に乗って欲しいんだけれど」
「なんだい?」
何故かシャーニッドが真っ先に飛びついてきた。
もしかしたら、出番が無くて寂しかったのかも知れない。
リーリンの隣では、殆ど喋れなかったメイシェンもしきりに頷いている。
そしてリーリンは、デルクから託された物について四人に話した。