自分では決して走れない速度で病院を出たリーリンだったが、自分達の部屋が近付いている現状を何とかしなければならない。
いくら元天剣授受者だと言っても、一般人を二人抱えて延々十分以上走り続けるのは流石にきついと思うのだ。
と言うか、周りの視線がいい加減厳しい。
少女二人を小脇に抱えた武芸者が、路面電車も使わずに都市内を走り回る。
あまりにもシュールな光景過ぎる。
「レイフォン。そろそろ止まって」
「え? このまま送るよ?」
「・・。これは送るとは言わない。兎に角止まりなさい」
「もうすぐ家だけど、分かったよ」
武芸馬鹿ではあると思っていたのだが、まさかこの状況を家まで送ると認識しているとは思わなかった。
取り敢えず、地面が後ろに飛んで行く映像がかなり怖いので止まるように命令を出した。
息一つ乱さず汗もかいていないレイフォンの腕からやっと解放され、一息を付く。
「って。何で平気そうなのよ?」
「何でって、そりゃ武芸者だから」
当然と言えば当然の反応が返ってきたが、問題はそちらではない。
足腰に力が入らないながらも、何とか自力で立ち上がったリーリンと違ってメイシェンはまだレイフォンに抱えられたままだ。
「メイシェン?」
「きゅぅ?」
リーリンが声をかけても、現実を見ていないらしいメイシェンの視線がレイフォンを通り越して夜空を見つめたままだ。
もしかしなくても、羽の生えた人が見えているのだろう。
まあ、あんな事をいきなりされて平静でいられる人間は、そうそういるものでは無いが。
やった側のリーリンだってかなり衝撃なのだ。
そんなリーリンに変わって割と平気そうなレイフォンが声をかける。
「メイシェン。もうすぐ家だよ?」
「・・・・・? うち?」
「うん。ナルキは都市警の方の面接だろうけど、ミィフィはいると思うよ」
「ぃぃふぃ? られ?」
焦点の合わない視線がレイフォンを通り過ぎて、生徒会本塔付近を捕らえている。
と言うか、口元もゆるんできているような気がする。
大変危険な状況だ。
「どうするのよ?」
「え、えっと? もう一度病院に?」
「・・・・・・・・・・・・・・。取り敢えず頭を冷やしましょう」
病院に担ぎ込んで治るわけではない。
もうこれは時間が解決するのを待つだけだ。
そしてレイフォンが何か発見した様子で視線を向ける。
「あそこ、公園だね」
「都合良くあるものね」
確かにレイフォンの視線の先にあるのは、小さいながらも公園だ。
何故か見覚えが有るような気がするが、今は詮索している時間が惜しい。
見つけた公園へメイシェンを運びベンチに寝かせる。
手際よくハンカチを濡らしてきたレイフォンが、メイシェンの頭を持ち上げ自分の太股の上にのせる。
「・・・・・・。慣れてるわね」
「何度かこんな事があったからね」
遠い目をして過去を振り返るレイフォンは良いのだが、何が有ったかは是非とも知っておきたい。
だが、リーリンにはやるべき事があるのだ。
レイフォンがいなくなった後グレンダンで何が有ったか。
それを伝えなければならない。
デルクからの預かり物を渡すかどうかは、もう少し時間をかけて結論を出したい。
話の脈絡がないが、そんな物を待っていたのでは何時伝えられるか分からないのだ。
「リチャードから伝言があるわ」
「リチャード?」
最も年が近く仲の良かった弟の名前を耳にして、レイフォンの表情がこわばる。
きっと批難されるのだと決めているのだろう。
そんな事はないとリーリンは知っているしリチャードにもそんな気は無いのだが、目の前の武芸馬鹿は予測していないのだ。
「悪事を働くなら、まず俺に相談しろ」
その伝言を聞いたレイフォンの表情が一瞬怪訝な物になり、そして理解したのか破顔した。
「そうか。リチャードに相談すれば良かったのか」
「そうよ。レイフォン一人だけで悪戯したらすぐに分かったけれど、リチャードと一緒だと暫く分からなかったし」
ゆっくりと自分の中にある思い出をたぐり寄せているのだろう。
僅かに残っていた緊張がほぐれて行く。
「そうだったんだ。始めから僕は一人じゃなかったんだ」
人から羨まれる武芸の才能を持った故に、たいがいの戦いにレイフォンは勝ってしまった。
だから、一人で何とかしなければならないという視野狭窄状況が出来上がってしまったのだ。
その結果、誰かに相談するという行為を思いつけなくなってしまった。
ほんの少しだけ周りを見ていれば、ガハルドに脅迫された時にもまだ遅くなかったのだ。
その時にリチャードに相談していれば、全ては変わっていた。
今更言っても仕方が無いが、それでも、同じ過ちを繰り返さずに済む。
「それと」
「うん?」
大きく息を吸い、そして言葉として吐き出す。
「貴方の支援を心より感謝します。多くの子供達が生き長らえる事が出来、そして高い教育を受ける事が出来ました」
一気に言い切り、そして絶望した。
「ねえレイフォン?」
「な、なに?」
「貴方がお金送った孤児院からの感謝の言葉よ?」
「そ、そうなんだ?」
何言ってるんだこいつみたいな表情のレイフォンを見て、さすがのリーリンもあきれ果てた。
話の流れから、これも伝言である事が分かりそうなものだが、全く理解していなかったのだ。
このままでは駄目だ。
せめて人並みに頭を使えるようにならなければ、この先どれだけはた迷惑な事をするか分からない。
「レイフォン。ウォリアスにしっかりと頭の使い方教わりなさい」
「うん。・・・。そう言えばウォリアス置いて来ちゃった」
「・・・・・・。明日謝りましょう」
状況が状況だけにすっかり忘れていたのだ。
そして再びリーリンは絶望してしまった。
「何で落ち込んでいるの?」
「うん」
言ってすぐに思いついた。
リチャードに相談するという、天剣になる前なら当たり前だった選択肢を思いつけなかった事に、自分を責めているのだろう。
「あんまり自分を責めないでよ? 姉さんや兄さん達は貴方の事馬鹿だとは思っているけれど、批難はしていないわ」
「馬鹿だとは思っているんだ」
「思わない方がどうかしている」
とことん馬鹿だからこそリーリンはレイフォンに逢いたいと思い、ここまで来たのだ。
自慢にはならないが卑下する必要もない。
「良かった。僕がやった事が全て間違いじゃなかったんだ」
「ええ。間違った方法だったけれどね」
調子に乗らせてはいけないのだ。
時々こうやって批難しておかないと危ないくらいには、徹底的に馬鹿だ。
「じゃあ、帰ろうか」
いつの間にかメイシェンの頭を撫でていたレイフォンが、ゆっくりと立ち上がる。
「うん」
いつの間にか復活していたメイシェンも立ち上がる。
ここでふと思う。
メイシェンの胸を揉んだレイフォンが、何故衝撃を受けていないのだろうかと。
考えて、止めた。
とても恐ろしい風景しか思いつけなかったから。
そして気が付いてしまった。
今いる公園は寮のすぐ目の前にあると。
道を一本挟んだ玄関までおおよそ十五メルトル。
レイフォンは人間二人を小脇に抱えたまま、本当に送って行くつもりだったのだ。
以上の事を認識したリーリンは。
「すぐ側だから平気よ? 明日から授業だからレイフォンもとっとと寝なさいね」
「う、うん」
そう言うリーリンの中から破壊衝動が溢れ出しそうになるのを、必死に押さえる。
何か感じたのだろう。
レイフォンの表情がこわばりメイシェンの身体が縮こまる。
「そ、それじゃああした」
棒読みのレイフォンの後ろ姿が夜の闇に消える。
すでに寮は見えている。
ここから帰って襲われる事もない。
ならばやるべき事は一つ。
「レイフォン。肩の力が抜けたね」
「・・・・・。そうね」
リーリンが何か言うよりも早いメイシェンの一言で、少し落ち込んだ。
どんな事がヨルテムで有ったか聞くことばかり考えていて、レイフォンの後ろ姿をしっかりと見ていなかった。
だが思うのだ。
どうしてこうも大事なところで色々と余計な邪魔が入るのだろうかと。
女性として見られていなかった事もそうだし、病院での事もそうだ。
もしかして呪われているのはリーリンの方かも知れない。
「そう言えば」
「なに?」
三人部屋に四人で住んでしまっている寮の建物に入る頃になって、非常な違和感を感じる。
「私って、どうしてメイ達と一緒に住んでいるんだろう?」
「あ、あう?」
メイシェンにも答えが分からないようだ。
きっと、誰にも分からない。
とは言え、このまま六年間というわけには流石に行かない。
折を見て引っ越そうと決意したリーリンは、エレベーターの呼び出しボタンを押した。
結局のところ、レイフォンの十年少々の人生のあらましを語ってしまった。
天剣授受者についてはかなり減量した情報を伝えたが、ニーナにはそれで十分だろうしそもそも信じてくれるとは思えない。
第十七小隊の訓練場にいるのはウォリアスを始めとした、ある意味そうそうたる人物だ。
生徒会長のカリアンがベンチに座り、真摯な表情で話を聞いている。
その隣で壁にもたれかかったヴァンゼも歯痛をこらえる表情になっている。
テイルとゴルネオのグレンダンコンビも壁により掛かり驚きの表情をしている。
そして問題なのはニーナだ。
理解できないと言った表情なのは良いだろう。
そもそも、仕草に気品のような物が滲み出ている以上、かなり裕福なところの出なのだろう事が分かる。
食べるのに困った事がない以上、レイフォンの気持ちをきちんと理解する事は出来ない。
ウォリアス自身も飢えた事がないから正確な気持ちは分からない。
それでも、それに近い状況は経験している。
その経験がこんなところで役に立つとは思わなかったが、まあ、それは良いだろう。
問題なのは、ニーナの認識が恐らく全く的外れだと言う事だ。
「つまりですね。守ろうとした人達に批難されたからグレンダンを出たんですよ。追放処分は関係ないです」
話がガハルドとの試合後に至ると、全員の視線が厳しい物になっていた。
ゴルネオにとっては、兄弟子が天剣授受者を脅迫したと言う事が信じられないだろうし、テイルは何故レイフォンがグレンダンを出たのか理解してうなっている。
カリアンは苦虫をかみつぶしたような表情になっているが、これは恐らくレイフォンを守銭奴だと認識していた事に起因しているだろう。
ヴァンゼに至っては、はっきりと嫌そうな顔をしている。
深く物を考える以前に、都市に暮らす武芸者の禁忌をあっさりと破るような人物がやって来たのだ。
当然面白いはずがない。
だが、それもニーナの理解不能よりはまだ良い。
「何故もっと考えなかった? 子供達の心や希望を守れたはずなのに?」
そう言うのだ。
予測した通りにニーナの認識は、明らかに問題だ。
何故ならレイフォンの持つ価値観とは相容れない種類の物だからだ。
例えば、もし、今のニーナの言葉をレイフォンが聞いたのならばこう言うだろう。
死んでしまっては意味がない。
死がすぐそこで量産されていたからこそ、レイフォンはみんなが死なないように戦ったのだ。
それを批判する事はウォリアスには出来ない。
とは言え、食糧危機はとうの昔に終演していた。
財政難はあっても飢え死にすることはなかったはずだ。
ある意味無駄な事をやったとも思えるのだが、もしかしたらウォリアスの知らない事情がグレンダンにはあるのかも知れない。
安易に批判すべきではない。
それよりも何よりも。
「そもそも、武芸者としてやって行くつもりならば、傭兵なんかやっていれば左うちわなんですよ。それをわざわざツェルニに来たんですから」
ここに来た目的を全員に知って欲しいのだ。
武芸以外の方法で生きて行く事を選びたかったのだと。
だから、あえて話した。
凄まじい速度で寮に帰還していたレイフォンにも許可を取った。
あまり乗り気ではなかったが、ニーナに事情を聞かれ続けるのとどちらが良いかと質問したら、あっさりとウォリアスが話す事を承諾してくれたのだ。
もちろん、本人の体験談ではないのでいくつも憶測がある。
それは始めに断った。
不審な事があるのならば、レイフォンに直接聞くなとも念を押した。
また倒れる事が容易に想像できたからだ。
まあ、ここまで話せばたいがいの人は慎重に行動してくれるだろうと思う。
そして実は、ここからが問題なのだ。
「っと、ここまでは一年前の情報です」
グレンダンでの事はおおかた話し終えた。
問題なのはヨルテムに着いてからの事だ。
この一年でレイフォンは大きく変わっている。
ヨルテムでの事はウォリアスも詳しくは知らないが、ある意味悪事を働く大人達が、レイフォンのそばにいた事は分かっている。
その大人達から、多大な影響を受けただろう事も予測しているのだが、どんな影響を受けた釜では分からない。
だが、確実にレイフォンは変わっているのだ。
ある意味天下無双なだけで突っ走ってきていた人間が、多少なりとは言え頭を使う事を覚えたし。
「一年前のレイフォンが武芸をすると言う事は、子供達の批難の視線に直面し続ける事と同じだったでしょう」
実際にそこまで引きずるかと聞かれると、恐らく引きずると答える。
ならば今はどうか?
「ヨルテムで何が有ったかは僕も良く分かりませんが、それでも前向きにはなっているのだと思います」
錬金鋼を二本常に持ち歩いている。
ナルキとその弟に鍛錬を施している。
それは、立ち直り新たな目標を見つけたと思ってさほどの間違いはない。
「つまり。レイフォン君は武芸者としてやって行くかどうか迷っていると」
「そうなりますね」
カリアンの質問に答えつつウォリアスは思う。
多分、迷っているのではない。
何のために戦うか?
何のために武芸者でいるか?
それを見つけていないのだと。
残念な事に、本人がまだ気が付いていないのだ。
自分が何をやっているかと言う事と、その意味を。
本当にレイフォンの頭の中には、脳細胞が入っていないのではないかと疑ってしまうくらいに、直感でしか物を判断できていない。
「では、武芸者になる意味というのは?」
今度の質問はヴァンゼからだった。
ナルキも同じような事を言っていたが、実はこれについてはウォリアスも良く分からない。
なので、ゴルネオの方を見る。
「・・・・・・・・・・・・。経験が豊富だ。その経験を俺達に伝えるという意味だと思うが」
余り自信がないようで、少し間があった。
これは本人に確認した方が良いだろうと思う。
経験を伝えるだけでナルキがあんなに激高するとは思えないから。
「できれば、やはり第十七小隊に入って貰いたいのだがね?」
「難しいですね」
カリアンの呟きに応じつつも、ニーナの事が好きではないらしいレイフォンが、大人しく入るかどうかはかなり微妙だ。
だがふと思う。
本当に誇りや志がないから小隊入りを拒否したのだとしたら。
そちらの方が説得に苦労する事は疑いない。
「少し話してみますが、余り期待はしないで下さいよ? 二週間前にはレイフォンの事なんか殆ど知らなかったんですから」
念を押しておく。
失敗しても恨むなと。
最後にニーナを見る。
残念な事に、余りにも違う世界の話だった事もあり、上手く理解が追いついていないようだ。
これは時間をかけてゆっくりと自分なりに考えて貰うしかない。
そして、ウォリアスが腰を上げようかとした時。
「聞きたいのだが。ガハルドさんは本当に脅迫を?」
その身体からは想像できないほど小さな声の質問に、ウォリアスは申し訳なくなってしまった。
別段責任があるわけではないのだが。
「前後の事情から考えても間違いないかと」
脅していなければ、試合終了後にレイフォンを告発する必要はない。
そもそも、再起不能の大怪我をする必要もなかった。
そうは思うのだが、ゴルネオの気持ちも分かってしまうのだ。
今まで信じてきた人に裏切られると言う事は、かなりきつい体験だ。
ガハルドもレイフォンも、この一点においては同罪だ。
その背景に違う物があったとしても。
「取り敢えず今日はここまで。最後にもう一度。不用意に昔の事をレイフォンに聞かないように。発作を起こしたらやっかいですから」
レノスを一人で撃破したリンテンスとさほど変わらない実力を持っているはずのレイフォン。
そのレイフォンがトラウマの一つで戦闘不能になる。
兵器としては未完成も良いところだろうが、このくらいで良いのかも知れない。
ウォリアスの話を聞き終えたゴルネオは、明かり一つついていない自分の部屋のソファーに座り込み、考え込んでしまっていた。
兄であるサヴァリスは戦いの事しか考えておらず、ゴルネオなどほったらかしだった、
名門ルッケンス家に生まれながら、兄と比較され常に劣等感を抱いて過ごしたゴルネオが何とかまっとうに育ったのは、ガハルドがいてくれたからだ。
ガハルドが稽古をつけ心構えを説いてくれなければ、いつかどこかで取り返しのつかない事になっていたに違いない。
この意味でゴルネオは幸運だったしレイフォンは不幸だった。
もし、ガハルドのような人がレイフォンのそばにいたのならば、追放されることなく今もグレンダンで栄光の座に座り続けたに違いない。
だが、そのガハルドがあろう事か天剣授受者を脅した。
負けなければ秘密をばらすと。
ガハルドの身に何か致命的な事があったに違いない。
そうでなければ天剣を脅迫するという行為など、考えられない。
「はあ」
制服を脱ぐ気力もなく、ソファーに座ったまま大きなため息をつく。
病院で電源を落としたままだった携帯端末も、そのままソファーの上に投げ出してしまった。
いろいろな事がありすぎた。
レイフォンが倒れてからこちら、今まで知らなかった事が次々と明らかになった。
食糧危機があった事は覚えているが、それがどれほど凄まじい物だったかは今日まで知らなかった。
その地獄を生き抜いたために、レイフォンが強くなった事がすぐに分かった。
もし、レイフォンが体験した地獄にゴルネオが放り込まれたとしたのならば、きっと無事ではいられない。
致命的に人格がゆがんでしまうか、それとも犯罪に手を染めてどこかでのたれ死んでいるかのどちらかだ。
そんな世界で生きてきたのだ。多少人と違った価値観や思考を持ったとしても何の不思議もない。
もっとも、レイフォンが何かするよりも早く食料生産プラントは修復され、飢饉は去ったのだが。
それでも幼い心に残った傷は大きかったに違いない。
だからこそ金に執着して闇の賭け試合に出て、今このツェルニにいるのだ。
ゴルネオ自身が恵まれた人生だったのは間違いないと思うのだが、それでもレイフォンの事を許せるかと聞かれれば、とても許す事は出来ない。
ガハルドに裏切られたような気もするのだが、それでもゴルネオにとってもっとも大事な人だったのだ。
その人を傷つけられて黙って居られるとしたら、それは器が大きいのでも慣用なのでもない。
きっとそれは無関心なのだ。
そしてゴルネオは、多くの事柄に対して無関心ではいられない。
だが、ツェルニにはレイフォンが必要だ。
最前線の戦力として計算しているわけではない。
レイフォンがいる事によってツェルニの武芸者は、目標とする存在を得られるのだ。
目標に向かって前進する事は難しくない。
だからこそレイフォンが必要なのだ。
だが、ゴルネオの心情的に許す事は出来ない。
ならばどうしたらよいのだろうか?
「はあ」
二度目のため息をついてしまった。
どうしたらよいか全く分からないのだ。
もしこれで、戦って勝つ事が出来るのならば、全身全霊を懸けてそれこそ命がけで戦う事も出来る。
だがどう考えても勝つ事は出来ない。
ならばどうしたらよいのだろうか?
ゴルネオが更に考え込もうとした瞬間、部屋の扉が控えめにノックされた。
「今行く」
すでにかなり遅い時間になっているにもかかわらず、部屋にやってくる可能性のある人間のリストを頭の隅で作りつつ、ゴルネオはおかしな想像をしてしまった。
もしかしたらレイフォンは、狼の皮を被った羊なのではないかと。
誰から聞いたかは覚えていないが、羊は限度を知らずに突っ走ってしまう生き物らしい。
食糧危機の時の悲劇を引きずったままだったレイフォンは、限度という物を知らずに全速力で目標のみを見て走ってしまったのではないかと。
「いや。違うな」
狼の皮を被った羊ではなく、狼になりきれなかった羊なのではないかと、そう思ってしまった。
もし、天剣になるほどの凄まじい才能を持たなければ、きっとレイフォンは穏やかに幸福に暮らせたはずだ。
そんな埒もない想像が浮かんだゴルネオは、扉をゆっくりと開けた。