フェリと名乗った少女をなだめつつも、レイフォンは第十七小隊に割り当てられた部屋にやってきていた。
教室二個分くらいの広さとかなりの高さを持った、なじみ深いその部屋の空気を吸い、少しだけ胸が苦しくなった。
グレンダンで間違わなければ、今もこの空気を存分に吸っていられたのだと思うから。
そして、やはり武芸が好きなのかも知れないと再認識もしていた。
だが、問題は目の前に聳え立つ金髪を短めに切りそろえた怖い女性だ。
剣帯に入るラインの色から三年生だという事が分かる。
そして、その剣帯につるされた錬金鋼が二本。
どんな武器を使うかは分からないが、左右から繰り出される連撃はかなり驚異になるだろう事が、直感として理解できる。
だが、それよりも問題なのはその女性のつり上がった眦が痙攣する瞳だ。
フェリの愚痴を聞きつつやって来たので、それなり以上に時間がかかってしまった。
もしかしなくてもかなり怒っているのかも知れない。
部屋の隅にあるベンチで寝転んでいるシャーニッドは、また廃棄物になっているのかも知れないからあまり助けは期待できない。
触媒液と油汚れが染みついたつなぎを着た青年も同じように部屋の隅にいるのだが、こちらもあまり助けにはならないかも知れない。
どちらかというと興味津々とレイフォンの事を見ているから。
「良く来てくれた」
口ではそう言っているが、不満を抱えていることは間違いない。
その纏う雰囲気はレイフォンの知る武芸者の中で、比較的デルクに近い物があるように思える。
デルクに近い雰囲気を持つ人と会えたのだが、今この場では全然嬉しくない。
「私が第十七小隊長の、ニーナ・アントークだ」
そう名乗るそれは、宣戦布告以外の何者でも無い。
もしかしたら、怒っているのではなく余裕がないだけなのかも知れないと、レイフォンがそう考え始めた頃合いに。
「我々小隊は武芸科のエリートだ。武芸大会では部隊の中核となり、あるいは潜入などの特殊任務をこなす。
汚染獣との戦闘の際にも、守りの要となる事が義務づけられている。
それはつまり、ツェルニの守護者であることの証明に他ならない。
エリートである以上強さと模範となる行動が求められ、常に自らを鍛え続けなければならない宿命を持つのだ」
一気に言い切って一息つく。
小隊がどんなところかは理解できたが、しかし、分からないことはある。
「それで、僕は何で呼ばれたのでしょう?」
小隊員がエリートなのは理解したが、レイフォンがここに呼ばれた理由が分からない。
まあ、カリアンに正体がばれているし入学式で派手に暴れてしまった。
入隊しろと言われるのかと思ったのだが、少し違うようなので安心しても居たのだ。
ニーナの性格ならば、小隊に入れと最初に言うはずだから。
「な!!!」
何故か猛烈に衝撃を受けるニーナが少し不思議だ。
「ぷはははははははははははは」
その不思議な空気を笑い飛ばしたのは何故かここにいるシャーニッドだ。
廃棄物になっているのかと思ったのだが、成り行きを見守っているだけだったようだ。
そして、何か違う目的でここに居るようだ。
「ニーナが悪い。ちゃんと目的を話さないからそう言う反応をされるんだ」
非常に楽しそうにしているところを見ると、もしかしたらこの小隊の構成員なのかも知れない。
別に意外ではない。
持つ雰囲気や身のこなしから考えるに、銃を使っているらしいことは予測できるし、将来かなりの実力者になるだろう事もおおよそ理解している。
そのシャーニッドが身体を起こし、レイフォンの方を見る。
「ぶっちゃけだな。お前をスカウトするって事なんだ」
「僕に小隊員になれと?」
「そう言うことだ。お前なら実力的には十分だろうからな」
実力とシャーニッドは言うのだが、何故か武芸とは関係がないことを期待されているような気がする。
気のせいであって欲しいのだが。
シャーニッドの介入で弛緩した空気が一瞬で引き締まり、ニーナから剄の波動が溢れ出した。
どうやら怒っているのではなく、余裕がないようだ。
「拒否は認めない! これは生徒会長も承認している決定事項だ。
そもそも、小隊員という名誉を拒否するような軟弱なことを武芸者がするはずがない!」
なにやらニーナが異常に張り切っている。
だが、レイフォンにとっては寝耳に水だ。
生徒会長と取引したのは、武芸科に転科する代わりにいくつかの便宜を図って貰うことだけだ。
小隊に入れなどと言う事は聞いていない。
そして何よりも。
「さあ武器を取れ! お前の実力を試す!!」
大きく手を振り壁際にかかっている大量の武器を指し示された。
その張り切りまくっているニーナの作る流れに逆らうために、内ポケットから嗜好品を取り出し口にくわえ、指を弾く動作を組み込んだ化錬剄で火を点ける。
「なっ!!」
案の定ニーナが驚愕に硬直する。
シャーニッドも思わぬ展開に若干瞳が大きくなっている。
フェリだけは我関せずと雑誌など読んでいるが、注意はこちらに来ていることは分かる。
そして、名前を知らないつなぎを着た錬金鋼技師と思われる青年が顔に手を当てて嘆いている。
どうやら誰からも褒められない行動のようだ。
まあ、それは当然としておいて、レイフォンはゆっくりと煙を口の中に導く。
決して肺に送り込んではいけない。
もし肺に入ってしまったのならば、それはもう地獄の苦しみが待っているからだ。
周りにいる人間はよい香りがして良いのかも知れないが、吸っている本人には極めつけの慎重さが要求されるのだ。
ふとここで思う。
何でこんな物騒な物を嗜好品にしているのだろうかと。
その思考を遠い棚に放り上げ、ゆっくりと口の中を回した煙を吐き出す。
酷く不味いが、その不味さを起点に精神を落ち着け思考をまとめる。
トマスが煙草を愛用しているのも、この辺が原因なのかも知れない。
「貴様!! 武芸者ともあろう者が!!」
「許可は貰っていますよ。生徒会長から」
ニーナが激高するのは予測できていたので、カウンター気味の攻撃を放つ。
「ぬっ!」
一声うなって沈黙するが、全く納得していないことは理解している。
それよりも問題は、レイフォン自身が今置かれた状況だ。
奨学金といくつかの便宜の結果がこれは、少し納得できない。
「お断りします」
「な、なに?」
「小隊入りをお断りします」
まだ残っている嗜好品を携帯灰皿に放り込み、蓋を閉めて消火する。
「名誉も栄光も興味有りませんし、誇りも持っていませんから」
そして、名誉などと言う無価値な物のために戦ってもきっとまた失敗するという確信があった。
だから、そんな物のために小隊に入ることは出来ないのだ。
ニーナが納得するはずがないことは分かっているが、これを曲げることはレイフォンには出来ない。
「言っただろう? これは決定事項なのだ。貴様の意志は関係ない!」
「では、何故腕試しがあるんですか?」
「それは簡単だ。貴様をどう使うかが問題なのだ」
ニーナの言動が何故か非常に引っかかる。
そして今まであった事柄を振り返ってみる。
カリアンはあまり好感が持てる人物ではなかった。
だが、交渉しようという姿勢を崩したことはなかった。
交渉が決裂しないように色々と画策しているところはあったが、表面上だけでも強制はしてこなかった。
だが、ニーナは明らかに違う。
その違いがどこから出てきたものかは分からないが、このままでは非常に困るのだ。
「僕はここに武芸以外で生きる道を探しに来ました。鉱山が残り一つなので転科しましたが」
「途中経過はどうあれ、武芸を志したのならば小隊員になるべきだろう」
あくまでもニーナはニーナの基準をレイフォンに押しつけようとしている。
それはある意味仕方がないのかも知れないが、それでも思う。
志などと言う物がレイフォンに無いことを理解して貰わなければと。
だから話の腰を折り確認をしなければならない。
「いくつか聞きたいことが有るのですが?」
「何だ?」
「実戦経験はありますか?」
ここで言う実戦経験とは、当然汚染獣との戦闘だ。
戦争という対人戦闘も実戦ではあるのだが、生憎とレイフォンにそちらの経験はない。
「いや。幸か不幸かまだ実戦は経験していない」
「では、目の前で同僚が死ぬところも見ていませんね」
「当然だ」
「では、誰か家族が亡くなりましたか? ここ最近」
「いや。十年ほど前に曾祖父が亡くなっただけだ」
ニーナの回答を整理しつつ、レイフォンはダンが言っていたことが正しいのだと改めて認識した。
ニーナは戦いがどう言う物か理解していない。
それは恐らくツェルニの全武芸者にも言えることだ。
これはかなり大変なことになりそうだと、覚悟を決めるしかない。
「それがなんだというのだ? お前は実戦を経験したというのか?」
明らかにそんなはずはないと決めつけている。
まあ、グレンダン以外でならそれが常識なのだろう。
それ以上に、グレンダンにおいても八歳の子供が戦場に出ることは、極めてまれだった。
サヴァリスとかは、まあ別格だ。
「公式記録によると、汚染獣との戦いに出た回数は、グレンダンで四十八回。その他には非公式にヨルテムで一回ですね」
その場に嫌な沈黙が落ちる。
当然嘘だと思われているのだろう。
そもそも、一生の内に四十九回も汚染獣戦を経験する武芸者は、グレンダン以外では居ないはずだ。
グレンダンの常識は世界の非常識。
そんな標語が浮かんだが、今は違う問題を片付けなければならない。
ここから先は若干凄惨なシーンがあります。苦手な方は次の頁へお進みください。
成り行きを見ていたシャーニッドは、レイフォンの言った数字の異常さにかなりの引っかかりを覚えていた。
嘘だと決めつけるのは簡単だが、僅かに知っているレイフォン・アルセイフという人物から想像するのならば、迂闊に決めつけてはいけないと思う。
そもそも、四十九回も汚染獣と戦ったなどと誰が信じるだろうか?
嘘をつくならもっとましな状況を考えるはずだ。
そう考えさせておいて嘘かも知れないが、今の段階で判断することは危険だ。
だが、当然ニーナはそんな思考とは無縁だ。
良くも悪くも直情型なのだ。
「そんな嘘をついて何の得がある!!」
そうなるだろう事が分かっていたからこそ、ハーレイも頭を抱えている。
シャーニッドも抱えたいところだが、そう言うわけには行かない。
取り敢えず、ニーナを止めるために会話に割って入る事にした。
「ああ。まあ、四十九回は兎も角として実戦経験はあるんだろう?」
「いえ。グレンダンで非公式に出撃したこともあるので実際はもっと多いですね」
あっさりと修正された。
しかも、非公式に出撃するとなるとかなり特殊な事例になる。
そして、そんな任務に駆り出されるほどの優秀な武芸者と言う事になってしまう。
目の前の、大勢の人前でラブシーンをやったレイフォンがだ。
「まあ、回数は問題ではありません。問題なのは僕が何故戦ったかと言う事です」
更に、出撃回数は問題ではないと言い切られた。
武芸者とはおおよそプライドの高い生き物だ。
そのプライドを満足させるために最も簡単な話が、汚染獣をどれだけ倒したかとか何回実戦を経験したかとか、そう言う数の話のはずだ。
だというのに、レイフォンは数は重要ではないという。
だんだん四十九回の出撃説に信憑性が出てきた。
「戦う理由など知れている。都市とそこに住む人達を守るためだ!!」
熱血直情型のニーナでは、レイフォンの話を理解することは出来ないかも知れない。
時間が経てば話は違ってくるかも知れないが。
「僕に限って言えば違います。グレンダンがどうなろうと関係有りませんでしたから」
都市に住むことしかできない人間にとって、言ってはいけないことを平然というレイフォンに、一瞬息が止まる。
軽薄を装っているだけのシャーニッドとは、やはり決定的に何かが違う。
「きさま」
ニーナは更に過激で、すでに錬金鋼に手をかけて制裁を加える体制を整えてしまっている。
そのニーナとレイフォンの間に入る。
ここで流血沙汰は拙い。
「僕は見たくなかったんですよ」
標的になっているレイフォンは、全く平然としている様に見えるが、その表情がどんどん無くなって行くことは理解している。
そして、冷たく乾いた視線が何処か遠いところを見ていることにも気が付いた。
「十年ほど前になりますが、グレンダンで食糧危機がありました」
周りの状況が見えているのかいないのか、昔話を始めるレイフォン。
だが、その昔話こそが今のレイフォンを作っていることも理解できた。
「見た事がありますか?」
「なにをだ?」
復元こそしていないが、黒鋼錬金鋼を両手に握ったニーナが一歩前へと出ようとするのを押しとどめる。
「泣きながら自分の子供の首を絞める母親」
「!!」
ニーナの前に出かけた足が凍り付いたのが分かった。
シャーニッドの心臓も一瞬以上動きを止めた。
「僅かな食料のために殺し合う兄弟」
普段無表情を通しているフェリの眉が移動するのを視界の端で捉える。
「餓死した人の死体を争って食べる人達を」
想像してしまったのだろう、ハーレイが口元に手を持って行くのを確認した。
「つい何時間か前まで、寒いとかお腹減ったとか言って一緒の布団で眠った兄弟や姉妹たちが、朝起きたら冷たくなっていたのを」
この時シャーニッドは理解してしまった。
レイフォン・アルセイフという人物は、違う世界で生きていたのだと。
「僕はそんな光景を見たくなかった。だからお金を稼ぐために汚染獣と戦った。孤児だったんで、同じ孤児も助けたいと思って闇の賭試合にも出ました。生きた手でなければ家族を守れないからどんな汚い手を使ってでも生き延びた」
凍り付いた視線がニーナを捉える。
そこに圧力は無かったが凄みを感じてしまった。
その凄みに押されたように、ニーナが一歩後ずさる。
「僕にとって名誉も栄光も誇りも無意味です。志なんて物もありません」
武芸者とは多かれ少なかれ優遇されているのが普通だ。
だが、目の前の少年は最底辺で足掻いて生きてきた。
そこにはニーナのような意志は存在できない。
生きるために必死にならなければならないから。
誇りやプライドを守って死ぬことは出来なかったのだ。
いや。そもそもそんな物に価値を見いだしていないのだ。
「ですので、僕は小隊員にはなれません。他の人を探して下さい」
丁寧に一礼すると扉を開けて出て行くレイフォン。
激高する事もなく淡々と静かに、扉が開けられそして閉められた。
「・・・・・・・・」
あまりにも自分と違う過去を聞いて、衝撃を受けているだろうニーナは全く動かない。
気持ちは分かる。
かなり裕福なところの生まれだと聞いたことがある。
そんなニーナにとって、レイフォンの過去はまさに異世界の話だったに違いない。
「本当の意味で、違う世界の生き物だったのか」
ニーナほどではないにせよ、シャーニッドもそれなりに優遇された家の生まれだ。
食べ物に困った経験はない。
話を聞いて想像は出来るのだが、実感は全く持てない。
第十七小隊に割り当てられた訓練室に響くのは、周りで行われている鍛錬の音だけだった。