夕闇が忍び寄ってきた時間帯になっても、新入生が宿を探したり新しい寮に移動したりする行為は終わらない。
その騒々しく活気のある光景を眺めつつ、しかし、思いもよらない展開に狼狽している自分を発見していた。
肩に乗る赤い髪の小柄な少女の重さは、さほど気にならない。
始めの頃こそ体調を崩す事もあったが、今ではすっかり慣れてしまっているし、重さが無い方が落ち着かないほどだ。
ふと視線を横にやり、少女の足がある事を確認。
何時もの通りに存在している。
再び視線を動かし、前方で繰り広げられている光景が、現実の物であるかどうかを脳内で再検討する。
結論。
「うむ。よく似ているが別人に違いない」
ゴルネオ・ルッケンスは、そう自分に言い聞かせる。
ゴルネオが知っている天剣授受者とは、超絶の存在である。
基準型の都市が半壊する事を覚悟すれば、倒せるかも知れない老性体。
そんな怪物に、極少数で挑むような化け物が天剣授受者である。
その筆頭が実の兄であるサヴァリスであり、最も憎むべきがレイフォンだ。
「つ、つかれた」
断じて、女の子の買い物につきあわされ、荷物持ちをさせられ、青息吐息で公園の芝生で伸びていてはいけないのだ。
「だらしないわね。それでも男の子なの?」
金髪を後ろで束ねた活動的な少女に見下ろされ、情けない表情などしてはいけないのだ。
「たった六時間買い物につきあわせただけで? それでも武芸者なの?」
蔑むような視線を甘んじて受けて、飼い主に媚びを売るペットのような表情をしてはいけないのだ。
「そ、そんな事言ったって」
目の前の、元天剣授受者によく似た少年は、勘弁して欲しいと哀願しているが、似ているだけの別人では仕方が無いのだ。
ゴルネオとて、実際にレイフォンに会った事は無い。
映像で見ただけだし、ツェルニに来て五年も経っている。
きっと記憶が少しおかしいのだ。
ゴルネオの知るレイフォンは能面のような表情と、冷たく乾燥した瞳をした少年だ。
それはサヴァリスから聞いた特色でもあり、間違っていないはずだ。
断じて、女性陣に良いように使われ、ヘロヘロになっているような人物ではないのだ。
「なあ。ゴル。あれ」
「見間違いだ」
肩に乗ったシャンテが何か言おうとしたのを、強制的に止める。
「で、でも」
まだ何か言おうとするシャンテを黙らせる。
赤毛で長身の少女が納得しつつ頷いたり、黒髪で小柄な少女が心配気に頭を撫でたりしている光景から、全力で視線をそらせる。
女の子三人に買い物につきあわされる。
それは男にとって地獄のような体験に違いない事は理解している。
だが、天剣授受者であったのならば、平然とそれに耐えなければならないのだ。
たとえ今日この瞬間にツェルニが滅びの時を迎えようと、天剣授受者であったのならば、平然と耐えて見せなければならないのだ。
「おて」
「わん」
黒髪の少女の指し出した手を、喜んで取るようなヘタレではいけないのだ。
思わずやってしまった行為が恥ずかしかったのか、二人して照れてしまうなど有ってはならないのだ。
「・・・・・・。犬だったんだ」
「ひっ!」
その光景を見ていた金髪の少女に睨まれて、情けない悲鳴を上げるなどと言う行為は、死んでもしてはならないのだ。
たとえ、あまりの恐怖にシャンテが頭の後ろに隠れ、ゴルネオが一歩後ずさったとしても。
「・・・・・・。まあいいわ。少し休憩にしましょう。レイフォン。飲み物買ってきなさい」
金髪の少女が、絶対に間違っている名前を口にしたような気がするが、気のせいでなければならない。
あるいは聞き間違い。
「はい!」
ここだけ元気よく返事をして、猛烈な勢いで走り出そうとして。
「ちょっと待ちなさい」
「うお!」
加速し始めた瞬間に声をかけられ、前のめりに倒れかける。
「な、なに?」
「私は紅茶ね。何が良い?」
飲み物の注文を聞かずに走り出した少年を止めて、他の二人にも希望を聞く。
「紅茶」
「あう」
少し腰が引けた返事を返す二人。
「じゃあ、紅茶三つね」
注文は以上だと言わんばかりに、さっさと行けと手を払う。
「行きます!!」
再び走り出そうとして。
「ああ。待ちなさい」
「のわ」
二度目の停止命令に、今度はこらえきれずに前のめりに倒れる。
顔面から突っ込んで非常に痛そうだ。
元天剣授受者ではない少年にとっては、きっとかなり痛いに違いないと、同情してしまう。
「レイフォンの分も買ってくるのよ? 好きな物を買って来て良いからね」
「はい!」
立ち直ったが早いか、土埃をまき散らしつつ走り去る少年。
「なあゴル。レイフォンって」
「う、うむ」
気のせいでも聞き間違いでもなかったようだ。
ゴルネオの抱く天剣授受者についてのイメージが、著しく崩れ去ってしまったが、それでも現実は存在し続ける。
きっと間違いだが。
それほど多くない荷物と少女三人が残されたが、ゴルネオは動けない。
もしかしたら、グレンダンとは関係ないところのレイフォンかも知れないという、かすかな希望を見いだしてしまったから。
「それにしても、グレンダンと比べると本当に穏やかな都市ね」
金髪の少女が、言ってはいけない都市名を口にする。
だが、まだ希望は残されている。
グレンダンという都市が他にもあるかも知れない。
都市の名前は電子精霊に由来しているので、その確率は極めて少ないが、ゼロではない。
とゴルネオは思いたかったのだが。
「まあ、多い時で毎週汚染獣の襲撃があるような都市と、学園都市を一緒にしたらいけないと言う事だな」
赤毛の少女が決定させてしまった。
そんな恐ろしい頻度で汚染獣に襲われるグレンダンという都市が、他にある事はおおよそ考えられない。
つまり。
「買って来ました!」
尻尾があったら確実に振っているだろう勢いで、飲み物を買ってきた少年こそが、ガハルド・バレーンを再起不能に陥れた憎むべき敵。
超絶な技量と他の追随を許さない実力を持ち、都市一つを破壊する事さえ出来る武芸者。
と言う事になってしまう。
断じて認めたくないが、現前として事実は存在しているのだ。
今まで自分が立っていた地面が、猛烈な勢いでその強度を失うのを感じつつ、ゴルネオはその場を後にする。
これ以上天剣授受者に対するイメージが壊れるのには、耐えられないから。
買い物が終了したためレイフォンは帰らせた。
メイシェン達の借りた、かなり広く作られた寮のリビングのソファーに座り、リーリンは大きく溜息をついた。
「無理する事無いと思うぞ」
「そうだよ。いくらリンちゃんが頑張ったって、レイとんが気付くわけ無いもの」
三人の荷物がまだ片付いていない状況だが、宿泊費を節約するためにここに間借りしているのだ。
かなり強引だったのは理解しているし、正しい選択だったかどうかも疑問だが、気がついたらこういう状況になっていたのだ。
「分かってはいるんだけれどね」
別段、リーリンは買い物がしたくてレイフォンを連れ回したわけではないのだ。
一年分の鬱憤を晴らすという意味合いもあるにはあるのだが、それは副次的な物でしかない。
本当は、早く元通りの関係を築きたいのだ。
きっとレイフォンの事だから、リーリンに対して遠慮してしまう。
それが分かっているからこそ、かなりの無理をして色々と辛い目に遭わせているのだ。
断じてサディスティックに性格が変わったわけではない。
とは言え、リーリンの真意に気が付いてくれるほど、レイフォンは器用でも鋭くもない。
「はい」
「? 有り難う」
キッチンの方に行っていたメイシェンが冷たい飲み物を持ってきてくれたので、それを受け取りそして。
「有り難う」
「? な、なにが?」
あまりにもいきなりすぎたのだろう、戸惑ったようにメイシェンの目が大きく見開かれている。
「今まで、レイフォンのそばにいてくれて」
きっと、リーリンがそばにいても、レイフォンは萎縮してしまうか遠慮してしまっただろう。
それでは、結果的に何の解決にもならない。
この意味において、さっさと出て行ったレイフォンの判断は正しかった事になる。
そう考えてやったと言う事は間違ってもないだろうが、結果的に正しかったと思うのだ。
「私だけじゃないです。みんなレイフォンの事が好きだったから」
普段はレイとんと呼ぶメイシェンだが、本人がいないと割と本名を呼ぶ事が多い事に気が付く。
もしかしたら、照れてしまっているのかも知れない。
「うん。それでも有り難う」
ガハルドとの試合の経緯は知っている。
闇の賭試合に出ていた事もそうだが、その事で脅された事を誰にも相談できず、一人で悩んでいた事も。
結果として状況は最悪になり、レイフォンはグレンダンを追放され、ガハルドは意識不明の状態だ。
だが、今は違う。
レイフォンは他の人に相談して、自分とは違う意見を聞くと言う事を学んでいる。
それは、武芸者として一人で突っ走ってきてしまった天才にとって、大きな変化だと言える。
もし、今のレイフォンが一年前に立ち戻れたのならば、きっと不名誉であり、あちこちに迷惑をかけるだろうが、もっと穏便な処置が下る展開になったに違いない。
すでに過去になってしまった以上言っても仕方が無いが、同じ過ちを繰り返す確率が減った事は大きい。
「あ、あう」
リーリンに礼を言われて、更に混乱するメイシェンを眺めつつ、ふと思う。
「あの細目の人。グレンダンの事知っているの?」
ふと気になった。
ヨルテムの事は知らないようだが、レノスから来た以上レイフォンの事を知っていても不思議ではない。
むしろ、知らない方が不思議だ。
「ウッチン? もちろん知っているよ。ガハルドって人との試合については、色々言いたい事有るみたいだけれど」
気楽にミィフィが答えてくれたが、ウォリアスの存在はレイフォンにとってかなり大きい。
事情を知っていて尚、交友関係を築いてくれるなら、レイフォンにとって非常に大きな財産になる事は間違いない。
ツェルニにいる間だけだとしても、それは大きな財産だ。
「問題は、他に知っている人間がいるかどうか何だが」
ナルキが腕を組みつつ心配するが、こればかりはリーリン達にはどうしようもない。
だが、ツェルニはグレンダンからかなり遠い都市だ。
わざわざここに留学するような酔狂な人間は、そう多くはないと思う。
よほどの事情がなければ来ないはずだ。
それに、グレンダンは放浪バスがあまり寄りつかない都市だ。
偶然にレイフォンの事を知ってしまう旅行者というのも、かなり確率が低い。
「・・・・・・」
そこでふと思いだした。
天剣授受者の選考試合。
その決定戦の直後に訪れた、銀髪で知的な少年の事を。
彼は旅行者だと言っていた。
武芸者でもなかったはずだ。
計算上、彼がツェルニにいるとしたら六年生。
ここまで考えたリーリンだが、恐ろしいほどの偶然がなければ彼がここに居る事はない。
「まさかね」
だがふと思う。
まさかそんな事は無いと思った直後、それに近い事態が起こっている昨今の現実。
嫌な汗が集団で背中を駆け下りて行く。
「どうしたの?」
心配そうなメイシェンの声で現実に戻った。
「何でもないの。それよりも夕ご飯にしましょう」
他人の家に上がり込んで仕切るのもどうかと思うのだが、嫌な予感と戦うよりはまだましだ。
「そうだな。明後日が入学式だからその準備も必要だしな」
ナルキが同意してくれた事で、日常が復活する。
一抹の不安をリーリンの胸に残しつつ。
入学式を明日に控えてはいても、第十小隊は訓練を休まない。
それどころか、かなり早い時間から始めていた。
高さ五メイル、縦横それぞれ二十メイルの部屋は、防音と緩衝を兼ねる素材によって保護されているが、本格的に訓練をすると衝撃波と音がかなり漏れるが、今は昼休憩のために各々がくつろいでいるので、比較的静かになっている。
そんな第十小隊の訓練場の隅に置かれた椅子に座り、ディンは思考に沈む。
二年前の武芸大会で惨敗した記憶と、前の小隊長への気持ちを胸に、ディン・ディーは訓練に励んでいる。
本来のディンの剄量では、正直に言って小隊長を勤め続ける事は困難だっただろう。
ダルシェナやシャーニッドには有った才能という物が、ディンには欠けていた。
それでも、今年の大会で負ける事は許されない。
前の隊長の思いに答えるためにも。
だからディンは違法酒に手を出した。
剄脈加速剤を使って、やっとダルシェナの援護が出来るという惨めな現実に向き合いつつも、ディンは前に進む以外の選択肢がないのだ。
そんなディンの中にある決意を再確認していたところ、訓練場の扉が開き何処かに行っていたダルシェナが帰ってきた。
何時もなら扉を開けて軽やかな足取りで入ってくるのだが、やや動きがぎこちないような気がする。
金髪を見事にカールさせている長身の女性の動きがおかしい原因はと見れば、なにやら手に持っているからのようだ。
「シェーナ? 何だ、それは?」
その何かの大きさは、おおよそ二メルトル弱。
それなりには重いようで、ダルシェナは活剄を使って運んでいるようだ。
だが、そこまでして運ばなければいけない理由が思いつけない。
どう見てもゴミだからだ。
泥だらけになりあちこち破けた布に包まれ、汚水を滴らせるそれをゴミだと言わずに、何をゴミだと言えるのだろう?
「ゴミ箱は外にあっただろう?」
ダルシェナともあろう者が、それを認識していないわけはないのだ。
かなり大きいので、普通のゴミ箱には入らないかもしれないが、それにしても訓練場に持ってくる必要はないはずだ。
「い、いや。これは」
そう言いながら、部屋の中央にゴミを放り出し、自分の荷物の中からタオルを引っ張り出し、薄汚れた黄色い糸が生えている部分を拭く。
そして中から現れた物を見て、ディンは驚愕した。
「シャーニッド?」
それは、つい最近まで第十小隊でディンと肩を並べて戦っていた、狙撃手のシャーニッド。
何時もは軽薄そうで飄々とした態度を崩さない、今は袂を分かってしまった裏切り者のなれの果て。
いくら裏切り者とは言え、この有様は流石に看過できない。
仇討ちくらいはしてやっても罰は当たらないだろう。
「誰にやられたシャーニッド? まだ生きているのならば相手の名前くらいは言ってから死ね」
死ぬ事前提で話を進めるディンだったが、その声が聞こえたのかシャーニッドが薄目を開き。
「ニ、ニーナに五日分の訓練を一日でやらされた」
聞き取りにくいぼそぼそとした声で、とても不思議な事を言ってくれた。
聞き間違いかも知れないと思い。
「五日分の訓練?」
一度口に出してみたが、完全に意味不明だったので周りにいる連中を見回し、翻訳出来る人物を捜す。
「ああ。確かアントークが愚痴ってましたよ。シャーニッド達が四日も来ないから探して徹底的に鍛えるって」
ニーナと同じクラスだという隊員の情報を聞いたディンの脳は、素早く回転した。
それはつまり、鍛錬をサボったと言う事。
「お前に今日を生きる資格はない。今すぐ死ね」
普段、援護や探査に使っているワイヤーを取り出し首に巻き付ける。
後は引っ張るだけで終わりだ。
ボロボロでも悲痛な表情を見せるシャーニッドが、最後の時を迎えようとしたまさにその瞬間。
「ちわっす! 廃品回収ですけれど」
ノックも無くいきなり扉が勢いよく開けられ、茶髪でツインテールの少女が右手を高々と上げて入って来た。
思わずワイヤーを外して回収してしまうディン。
年齢はそれほど高くないようだし、身体も大きいというわけではない。
女性としては中肉中背と言ったところの少女が、廃品回収をしているなどと言う事はかなり不思議ではあるのだが、偵察か何かで後から本隊が来るという確率もある。
荷物として大きめの鞄を持っているだけだというのも、この予測に照らし合わせると辻褄が合っているように見える。
だが、問題がないわけではないのだ。
今は休憩中だから良いのだが、訓練中だった場合怪我をする危険性がかなり大きいのも事実だ。
ここは釘を刺しておく必要を感じたディンは。
「・・・。せめてノックはしろ。いきなり入ってくると危ないからな」
「ういっす! それで回収する廃品はどれですか?」
軽く流されてしまったが、偵察部隊としては早く仕事を片付けたいのだろう事は予測できる。
とは言え誰が呼んだか分からないので、ぐるりと隊員全員を見渡したが、誰も返事をしない。
結論として妥当な物は。
「部屋を間違えていないか?」
「いえいえ。ここで間違いないですけれど?」
携帯端末をいじりながら、そう言う少女の視線が中央に転がっているシャーニッドを捉える。
「ああ。それですよ」
「ああ。これか」
確かに廃棄物だ。
「おい。おまえら」
小さな抗議の声も聞こえるが、それは無視。
その少女はおもむろにシャーニッドの脇にしゃがみ込み。
「辛いですか?」
「とっても辛いぜ」
何時もの雰囲気を取り戻しつつあるのか、軽口がこぼれる。
「今、楽にしてあげますからね」
と、何故か鞄を開けて取り出したのは、手斧。
「お、おい?」
「今すぐに楽にしてあげますからね!!」
呆気に取られている間に、少女の手に握られた手斧が振りかぶられ、振り下ろされた。
まさに一瞬の出来事。
だが。
「あれ?」
「た、たすかった?」
振り下ろされた少女の手には何も握られていなかった。
「落としたのかな?」
そう言ながらあちこち見回す少女だが、何かが落ちたような音は聞こえなかった。
だが。
「ふざけるのはその辺にしてよ。僕は結構忙しいんだから」
「!!」
声に反応して、そちらを見たディンは驚愕してしまった。
いつの間にか、少女の後ろにもう一人いたのだ。
焦げ茶色の髪と紫色の瞳をした、なぜか非常に憔悴しているように見える中肉中背の少年。
彼の右手に手斧が握られている。
間違いなく、振り上げられた手斧をひったくったのだろう。
そんな都合の良い少年が、居る事自体には何の問題も無い。
いや。むしろいなければならないとさえ言えるが、問題はそこではないのだ。
「レイフォン。恩に着るよ」
「それは良いですよ。これも生活のためですから」
そう言うとレイフォンと呼ばれた少年は、実に軽やかな動作でシャーニッドを肩に担いでしまった。
片手に持った手斧を少女に渡しつつ。
「もっと丁寧にしてくれよ」
「こうなら良いですか?」
軽く空中に放り上げられたシャーニッドが、悲鳴を上げる前に抱きかかえられ方が変わった。
背中と膝の後ろに手を入れるそれは。
「お、お姫様だっこは止めて」
「えっと?」
これ以外の方法が思い浮かばないのか、疑問に首をかしげるレイフォン。
「さっきので良いよ」
諦めたのか、多少乱暴に肩に担ぎ直されるシャーニッド。
「じゃあ、回収していきますんで」
手斧を回収した少女が挨拶して、三人で部屋を出て行った。
話の展開から考えて、シャーニッド自身が彼女たちを呼んだ事は予測できる。
そこまでは良いとしよう。
「誰か、レイフォンとか言うやつが部屋に入ってきたのに、気が付いたか?」
そう。ディンは気が付かなかったのだ。
元気よく挨拶して入って来た少女に気を取られていたというのもあるが、それでも、レイフォンがああまで近付いても気が付かないと言う事は、あり得ない。
「いや。私も気が付かなかった」
ダルシェナが代表して答えているが、それはまさに代表した意見だ。
シャーニッドを軽々と扱った事から考えると、確実に武芸者だ。
しかも、ディン達には気が付かれない殺剄を行使できる。
それほどの実力者なら、多かれ少なかれ知っているはずだがディンは知らない。
そこから導き出される答えは、新入生。
「凄いやつが入って来たな」
「ああ」
ディンの呟きに、ダルシェナだけが答えた。
その後、訓練を再開するまでに精神的な再建が必要だった事は言うまでもない。
太陽がその姿を隠し、かなり涼しくなってからフェリは自分の寮へと帰る事にした。
昨日ニーナに付けた念威端子はその仕事を遺憾なく発揮し、シャーニッドの地獄を余すことなく伝えてくれた。
ニーナに捕まらなくて良かったと、心底ほっとするフェリはそれでも用心しつつ寮と呼ぶにはあまりにも豪華な部屋へと帰るべく、正面扉をくぐりエントランスへと入ったところで。
「?」
決して開けてはいけない扉を開けてしまったのではないかと、そんな予感と言うか疑念がわいてきた。
「問題有りません」
ニーナに付けた念威端子は、今もその機能を十分に発揮している。
酷く交通の便が悪い、女子寮へ向かって移動している事を再確認しつつ、それでも肉眼で辺りを見回す。
特に何も怪しい物は無い。
それで安堵したフェリは、エレベーターへ向かうべく一歩を踏み出そうとした。
「?」
何かが、肩に触れたような気がして振り返る。
「捕まえたぞ」
短く切り詰めた金髪といつも以上につり上がった瞳をした、武芸科の制服を着た少女が視界に飛び込んできた。
「た、たいちょう?」
地獄の底から響く声と言うのはきっとこれに違いない。
そんな事を思わず考えるほど底冷えするニーナの声と共に、肩に感じる圧力が増した。
どう考えても幽霊や亡霊のたぐいではない。
「どうして」
あり得ない現実に思わず呟いた。
即座に念威端子を通して向こうの状況を確認。
そして、ニーナにしては少し反応がおかしい事にやっと気が付いた。
「念威端子なら昼頃に発見したぞ? レウに来て貰って今は寮に向かって移動している最中のはずだ」
ニーナが気が付きトリックを仕掛けるなどとは、全く思わなかった。
気が付いたら、即座に粉砕して激怒すると思っていたのだ。
「失敗でした」
直情型だからと侮っていたようだ。
そうでなくても、特定の人物の精密監視などと言う物を長時間やる事は、念威繰者にとってもかなり大きな負担になる。
他に何もしなくて良いのならば出来るが、今回のように邪魔されないように監視する程度の感覚では、このような失敗もあり得る。
「さあ。今から特訓をするぞ」
軽々と持ち上げられてしまった。
「っく!」
抵抗してみる物の、始めから勝負は決まっている。
何しろ相手は肉体派だ。
「念威繰者の訓練ならやっています」
「私との連携訓練だ。不十分だからな」
実力行使が不可能ならば、理詰めでお引き取り願うしかない。
自動扉が開き外に連れ出された。
「十分な休養も必要です」
「明日は入学式だけだ。特に問題無い」
何が問題無いのか分からないが、理詰めでお引き取り願う事も不可能に思えてきた。
「無理強いは良くありません」
「五日も訓練を休まれたのでは無理強いしないわけにはいかん」
路面電車の駅に向かって移動しているところを見ると、野外訓練場でも借りてあるのかも知れない。
今日はかなり計画的に行動しているようで、少しだけニーナの人物像を修正する。
直情型だがたまに計画的だと。
「睡眠不足はお肌の大敵です」
「若いから平気だ」
女性にとって絶対的な威力を持つ美容を持ち出したのだが、それも通用しなかった。
「っく!」
もはやニーナが諦めるまで無抵抗の抵抗をしなければならないのかと諦めた、その瞬間。
「何をしているのだね?」
神か悪魔か、そのどちらの采配かは不明だが、書類を詰め込んだらしい鞄を持った銀髪眼鏡の青年が居た。
フェリの記憶にも殆ど無いほど上機嫌な様子のカリアンだ。
悪魔の采配を疑ってしまうのは、フェリの被害妄想かも知れない。
「会長」
「やあニーナ。フェリをどうするつもりだね?」
明らかに拉致しているとしか思えない状況に、流石に少し口元が厳しくなる。
「五日分の訓練をするつもりですが」
「ふむ。成る程ね」
カリアンの周りの、空気がなんだかおかしい事に気が付いた。
「いや。それはよろしくないね。明日フェリには少し大事な仕事を頼むつもりなのだよ。今から疲労させられる事は許可できない」
悪魔の采配である事がはっきりした。
明らかに何かの悪事にフェリを利用しようとしているのだ。
批難の視線をカリアンに送ってみたのだが、全く動じた様子もなく。
「拒否しても良いのだけれど。その時はニーナに付き合って貰うよ?」
カリアンの方を選ぶと言う事を疑っていない口調と、余裕が有りすぎる態度で迫る。
二者択一。
ニーナかカリアンか。
「明日の仕事の打ち合わせをしましょう」
ニーナに付き合わされたのでは、明らかに徹夜になる。
それならば、まだカリアンの方がましだと判断する。
一般人であり、生徒会長という激務をこなさなければならないカリアンなら、徹夜と言う事はほぼ考えられない。
「しかし!」
当然、納得できないニーナが異論を唱えるが。
「まあ、待ち給え」
更に余裕の表情を浮かべるカリアン。
ニーナに対しても何かカードを持っている事がはっきりとした。
「明日は入学式だ」
「当然です」
明らかに知れ渡っている事を言う時、その後に言わなくても分かる事実を突きつけるのがカリアンだ。
「毎年入学式前後に乱闘が起こるだろう?」
「・・・。確かに」
去年は、入学式の次の日に繁華街で乱闘があった。
重傷者は出なかったが、建物などにかなりの被害が出たと記憶している。
その乱闘に参加した武芸者五人が、退学になった事も覚えている。
「つまり、君達には十分な戦力を保持した状態でいて貰わなければならないのだよ」
ニーナを始めとする小隊員は、武芸科生徒の中でエリートだ。
そのエリートが警戒しなければならないほど、危険な状況をカリアンが想定している事を理解した。
「今年は敵対する都市の武芸者が結構居るのだ。式場で乱闘騒ぎを起こされた時に、速やかに鎮圧して貰わなければならない」
入学式の行われる会場で乱闘が起こったならば、一般生徒にも被害が及ぶ危険性が高い。
そのような事態に備えて小隊員を万全の状態で待機させておく。
筋が通りすぎていて不気味さを感じるのは、フェリの被害妄想ではないはずだ。
「・・・・・・。了解しました」
カリアンの腹黒さは理解していないだろうが、危険性が高い事は理解したようで、ニーナがフェリを地面におろす。
「では、君も帰って十分に休んでおいてくれたまえ」
「はっ!」
何か非常に不満そうな様子を残しつつも、踵を返してさって行くニーナ。
「ふふふふふふふふふふふふ」
その後ろ姿を見つめつつ不気味に笑うカリアンは、三ヶ月前の夜以上に恐ろしかった。