色々あったらしい。
らしいというのは、アルフレッド・マーローが一般人であり、事が起こっている最中はシェルターに避難していたために現実感が乏しいからだ。
母都市の武芸者には、大した被害は出なかったようだが、それでも都市が傷付いていたために復旧が結構大変だった。
こちらはアルフレッドも参加したために、きちんと実感がこもっている。
だが、ある意味お祭り騒ぎも収束した。
今はもう、母都市も殆ど傷が癒えて平常運転に戻っている。
それを確認したからこそ、学園都市へと留学するという贅沢が許されたのだと思う。
受験から出発までの慌ただしさは、もはやお祭りの後始末の再来かと思うほどだったが、それも既に過去の出来事となっている。
アルフレッドは放浪バスに乗り込み、そして目的の学園都市へと到着しているのだ。
留学先は、学園都市ツェルニ。
色々あった時に中心的な何かをやったとかやらなかったとかで、何となく不安な気持ちも有るのだが、それでもものは試しと留学を決めた。
放浪バスから降り立ち、大きくツェルニの空気を吸い込む。
母都市と比べると、何かはっきりとした違いを感じるが、それが何かはまだ分からない。
偶然放浪バスの隣に座っていた、焦げ茶色の髪と紫色の瞳をした、恐らく武芸者らしい少年もツェルニの大地を踏みしめ、そして大きく空気を吸い込んでいる。
その腰には剣帯が巻かれ、そして白銀に耀く錬金鋼が差し込まれている。
殆ど例外なく、こんな装備を身につけているのは武芸者である。
身体を動かすことが本業と言える武芸者が、いくら余裕が有るとは言え、密閉された放浪バスから解放されたのだ。
やるべき事は一つしかないだろう。
いや。放浪バスから解放された人ならば、誰でも同じようなことをするだろうと確信している。
だが、焦げ茶色の髪をした武芸者は少しだけ違った。
「ツェルニよぉぉ!! 僕は帰って来たぁぁ!!」
「うぉ!」
大きく吸い込んだ空気を全て絞り出すかのような勢いで、いきなり叫んだのだ。
しかも、学園都市に帰ってきたとそう絶叫したのだ。
思わず仰け反って、距離を取ってしまった。
この人には関わっては駄目なのだと、本能がささやいているから。
その身体から迸る熱は恐ろしいほどの高温であり、それ以上に、開放感と呼ぶ以上の何かを迸らせている。
そんな人に近付きたくないというのは、誰だって共感してくれることだろうと思う。
だが、アルフレッドが認識している現実はそれだけではないのだ。
「お帰りレイフォン」
「ひぅ」
黒髪を首の後ろで束ねた細目の、おそらくツェルニの武芸科の制服を着た少年が、絶叫を放った少年の後ろに忽然と現れたのも認識していたのだ。
そして、レイフォンと呼ばれた少年から迸り出ていた高温が一気に吹き飛ぶ。
代わりに辺りを支配したのは、今まで体験したことの無いほどの冷気。
後ろからそっと、レイフォンの肩に手をおいただけだというのに、その細目の少年は一瞬にしてレイフォンの動きを完璧に止めてしまった。
むしろ、レイフォンを支配したとそう表現できるかも知れない。
呼吸さえ許可がないと許さないと、そう体現しているかのように、レイフォンの呼吸が止まる。
「ああ。この時を待っていたよ」
「う、うぉりあす?」
「覚えていてくれたんだねレイフォン。さあ。僕と苦悶式試験勉強術を極めようじゃないか」
細目の武芸者、ウォリアスの単語一つ一つがレイフォンを追い詰めて行く。
それはまるで、名探偵に犯罪の細かいところを指摘されて追い詰められて行く犯人のようでさえある。
違うのは、出てきた単語。
苦悶式試験勉強術。
そんな術を身につけたいとはアルフレッドは思わないし、殆どの人間も同様だろう。
当然の様にレイフォンも出来るだけ遠慮したいようだが、現実はあまりにも容赦がなかった。
「もしかして、拷問式試験勉強術の方がお好みかい? 残念だけれどそれはまだ僕の方が体得していないんだよ」
「い、いやね、ウォリアスぅぅ!!」
これ以上何か言わせる必要を感じなかったのか、ウォリアスがレイフォンを持ち上げて頭の上へと持って行く。
流石武芸者だとそう表現して良いのかも知れないが、それはあまりにも恐ろしい現実として映った。
レイフォンの顔色が、既に死人のそれに変わり果てているから。
だが、人とは最後の最後まで足掻くことを止めない生き物であるらしい。
「ま、待ってウォリアス。僕は、僕はメイに逢わなければならないんだよ。そうしないと本当の意味で帰って来たことにならないから」
「ああ。そうだったね。一年にも及ぶ不実を詫びて関係を修復しないと死んでも死にきれない物ね」
「そ、そうなんだよぉぉ」
気が付いているのかどうか怪しい会話であることは間違いない。
ウォリアスははっきりとレイフォンを勉強で殺すと宣言しているのだが、動揺しているためだろうかまったく気がついていないようだ。
だが、ウォリアスは常識を越えて親切な、あるいは残酷な人物だった。
「メイシェンとの再会が終わって、元通りになったら」
「う、うん?」
「獄門式試験勉強術を一緒に体得しよう」
「ちょ!! ちょっと待ってウォリアスゥゥゥゥ!!」
絶望の絶叫を残してウォリアスに運び去られるレイフォンを見送る。
絶対にあれに関わってはいけないのだと、そう確信しつつ。
ここは学園都市ツェルニ。
狂おしき何かによって人々が変わって行くところ。
自律型移動都市の時代が終わってかなりの時間が流れた。
都市で人を生かしていた微生物の多くが、汚染物質が無くなった世界に広がったことで、人類の生存できる領域は格段に広がった。
それは良いことなのだが、人間とは争わずにはいられない生き物であることをニーナは噛みしめつつ目的の場所へと向かって歩く。
生存権が広がったことによって、武芸者の役割は対汚染獣戦から、ほぼ純粋な対人戦闘へと移ったが、重要度はさほど変わっていない。
そこには、幾つもの利権などが絡んでいるから、変わりようがない。
だが、極希にだが対人以外の戦闘も存在する。
かつての汚染獣とは比較にならないほど、脅威度としては低いが、それはあくまでも武芸者が遭遇した場合の話である。
一般人が出会ってしまったらほぼ間違いなく生きては帰れない。
その異形の者達との戦闘を専門に行う組織に所属するニーナは、今回の事態が過去に例を見ない物であることを確認して、そしてある場所へと向かうことを決意した。
出来れば向かいたくはないが、多くの人の命に関わることだけに手持ちの札を使わないという選択肢は出来なかったのだ。
向かうべき場所は、元ヨルテムのあった辺りに作られた都市だ。
そう。そこでお菓子屋をやっている、かつての部下の力を借りるべくニーナは向かっている。
とは言え、幾つもの問題が存在し続けている。
そもそもレイフォンは戦いの場から離れているはずで、錆び付いた武芸者を戦場に連れ出して良い物かどうかがまず一つ目。
メイシェンを悲しませたくないからと戦いの場から遠ざかっているにもかかわらず、引き戻して良い物かが二つ目。
レイフォン自身はお菓子屋の店主をやっているが、それでも旧ヨルテム関連の政府に登録されている武芸者であることが三つ目。
どれか一つだったとしても、あまり好ましくないのだが、三つもそろってしまっているというのはかなり厳しい。
だが、それでも、ニーナはレイフォンの力を頼らなければならない。
だが、事態はそんな覚悟とは無関係に進む物のようだ。
これは、ツェルニに居た頃から何も変わっていない、この世界の法則のようでさえある。
「レイフォン?」
「はい?」
ふと横道から出てきたのは、ツェルニ在学中と何ら変わらない元部下の、そしてニーナが知る限りほぼ最強の武芸者の姿だった。
だが、違和感を感じてもいた。
なんだかこう、記憶にあるレイフォンよりも柔らかいような気がするのだ。
その身に纏った空気や、物腰だけではなく、その身体付きから皮膚の感触まで、何故かとても柔らかいようなそんな印象を受ける。
その違和感に囚われている間に、レイフォンの方は体勢を立て直してこちらを少しの間観察し、そして言葉を放つ。
「えっと。もしかしてニーナ・アントークさんですか?」
「あ? ああ。私はニーナだが、レイフォンではないのか?」
「違いますよ」
微かに頬笑みつつ否定された。
この頬笑み一つとっても、明らかにレイフォンではない。
微かに頷きつつこちらを観察していた人物が、ふと視線をニーナが向かうつもりだった方向へと向く。
「こちらです」
「・・・。済まないが、事情が飲み込めないのだが」
「それは、着いたら分かりますから、付いてきて下さい」
そう言うと、それ以上の質問を許さずに歩き出すレイフォンに似た人物。
こうなってしまってはニーナに選択肢は存在しない。
目の前を歩く人物を追いかけつつ、甘い香りを認識していた。
これは、お菓子の匂いだろうかと考えるが、少しだけ甘さの質が違うような気がしている。
それがなんだったかを考えつつ、観察する。
目の前を歩くのは、間違いなく武芸者である。
身のこなしは柔らかいが、隙らしい隙は存在せず、滑らかに道を歩く。
常に剄息を行い、よくよく観察しなければ分からないほど隠されているが、張り詰めた緊張感も持ち合わせている。
実際に戦ってみないと分からないが、相当に腕が立つだろう事が分かった。
と、そこまで観察したところで、その人物が歩くのを止め、とても可愛らしい建物の扉へと向かう。
それは、まるで童話の世界から抜け出してきたかのような佇まいであり、何よりも濃厚なお菓子の香りに支配されていた。
ここが、レイフォンの店なのだろう事は分かるが、凄まじい違和感を覚えるのも事実。
いや。メイシェンのことを思い出してみれば、これは当然なのかも知れないとも考えられる。
つまり、この店はレイフォンのと言うよりはメイシェンのと言う事になる。
納得が出来る現象だ。
そんなどうでも良いことを考えている間に、その人物は扉を開けて、迷うことなく店の中へと入って行く。
それに続いたニーナは、あまりにも衝撃的な物を見たために硬直して、身動きはおろか呼吸さえ止まってしまった。
内開きの扉だったので、閉めるために三歩だけ店内に入ったところで、それを見つけてしまったからだ。
店内は明るかった。
大きな窓から降り注ぐ日差しで、適度に明るかった。
レジスターのあるカウンターと、商品の陳列棚、そして買った商品をそこで食べるためのテーブル。
そして、奥に向かう扉が二つ。
厨房と化粧室だろう事は分かる。
ご丁寧に、コーヒーや紅茶まで完備しているようで、店内はそれらの豊かな香りで支配されていた。
そして、店の中の客は一人だけだった。
銀髪を長く伸ばして、水色の瞳をした四十代とおぼしき小太りな女性。
念威繰者らしく、腰に剣帯を巻き無表情に大量のお菓子を目の前に並べて、それを駆逐するという作業を行っている。
そう。念威繰者である。
武芸者でないことは一目瞭然だった。
なぜなら、ニーナはこの特色を備えた念威繰者を、ただ一人だけ知っているから見間違えるはずがない。
「お帰りなさい」
「ただいま。お客さん連れてきました」
「見れば分かります」
無表情な客が無表情に答えを返し、無表情な視線がニーナを捉える。
思わず一歩だけ後ずさる。
圧力を感じたというわけではない。
そんな物はツェルニ在学中に散々浴びてきたから、今更臆することはない。
そう。目の前の念威繰者が四十代でなければ何ら問題無い。
いや。四十代だったとしても問題はなかっただろう。
小太りという特色がなければ、きっとニーナは久しぶりに会った念威繰者に挨拶を返すことが出来たはずだ。
「久しぶりですね隊長。お元気そうで何よりです」
そう言いつつケーキを口に運ぶ念威繰者。
相当に気に入っているのだろう事は、その体格を見るだけで十分に理解できる。
いや。在学中から執着していた以上当然の結果なのかも知れないが、驚愕して動けないことに変わりはない。
そして、もはや衝撃に打ちひしがれているのも限界である。
何とか、口だけでも動かそうと努力する。
「フェリ。ずいぶんと、その」
どう続けるべきかで硬直した。
ほんの少し前に会ったレウに外見のことを言ったら散々怒られた記憶が蘇る。
同じ事をフェリに言ってしまったら、一体どれだけのことが返ってくるか分からない。
だから硬直する。
「ちなみにこちらは、チェルシー・トリンデン。シェンシェンとフォンフォンの娘さんです」
「あははははは。それ本当にツェルニでやってたんですか」
「当然です。輝かしい私の珍獣コレクションでした」
「ははははははは。じゃあ、私もいずれは珍獣の仲間入りを?」
「シーシーと呼んで差し上げても宜しいですが、いかがいたしますか?」
「えっと。ご遠慮申し上げたいかなと思っている始末ですが」
「そうですか。それはとても残念です」
ニーナが硬直している間に、何かとんでもない会話が剛速球で侵攻してしまっている。
何かすることが出来ないという、恐るべき剛速球だ。
だが一つだけ確信していた。
外見のことで何か言わなくて本当に良かったと。
「フォンフォンを呼びますか? どうせそれが目的でしょう」
「あ? ああ。出来れば穏便に呼び出してもらいたいのだが」
「問題有りません」
そう言いつつ、何故かテーブルの上に乗っていた銀の鈴を鳴らす。
とても澄んだ軽やかな音を聞いていると、執事を呼ぶ女主人のようにさえ見えるが、ここはしかしお菓子屋さんなのだ。
高級でもなく、どちらかと言うと大衆向けのお菓子屋さんなのだ。
そのお菓子屋さんでこの展開。
思わずもう一歩後ずさってしまった。
だが、後退もここまでにしなければならない。
そもそも後退という言葉は、ニーナには相応しくない。
当然のこと、後退という行動も相応しくない。
だからニーナは、足を踏ん張りレイフォンが現れるはずの扉を睨み付ける。
無駄だった。
「な、なに?」
もう一歩後ずさる。
そして、背中に扉の感触を認識した。
内開きの扉なので、もはやこれ以上下がることは出来ない。
絶体絶命である。
「どうしましたかフェリ先輩? って? 隊長?」
そう声をかけてきたのは、明らかにニーナの知るレイフォンではなかった。
焦げ茶色の髪と紫色の瞳、中肉中背でありながら鍛え抜かれたしなやかな筋肉。
ツェルニ時代にオスカーが着ていたような調理人専用の白衣を隙無く着こなすその人物は、明らかにレイフォンだった。
だがしかし、知っているレイフォンではなかった。
簡単に言ってしまえば、四十代になっていた。
加齢による皮膚のたるみや小じわがその顔に刻まれ、ツェルニを卒業してからの年月がどれほど長かったかを物語っている。
殆ど二十代中盤で老化が止まってしまっているニーナとは、明らかに違う時間を生きてきたのだとそう実感できる。
「変わりがないようで何よりです」
「お、おまえがいうか?」
「僕は、歳を取ることを選んだだけですよ」
「そ、そうなのか?」
「はい。メイと一緒に歳を取りたかったので」
朗らかに笑うレイフォンからは、三十年近く前に始めて会った時の線の細さは感じられない。
汚染獣との戦いからは身を引いたはずだが、それでも社会で生きている大人の風格を漂わせている。
そしてニーナは、自分の中に不思議な感情が生まれていることに気が付いた。
折角遊びに出掛けようとみんなと約束したのに、気が付いたら先に行かれてしまったような、そんな一種の寂しさだ。
無論、ニーナだって色々あった。
だが、活剄で老化速度を遅くしているために、どうしても若造だと思われてしまう。
そのせいで何度か交渉が難航したこともあった。
それを自覚しつつも、今のような寂しさを感じることがなかったのは、昔から知っている人達の加齢を目の当たりにしなかったからだろう。
思わず目の前が暗くなったが、その直後現れた人物を見て全てが混乱の中に放り込まれた。
「隊長さん?」
「め、めいしぇんか!!」
ニーナが卒業する時に、最後に見たメイシェンと比べるとややふくよかになっただけの、明らかに四十代ではない女性が扉を抜けたところに佇んでいたのだ。
普通に見ると、三十代前半に見える。
これはおかしい。
レイフォンが二十代に見えて、メイシェンが四十代に見えることは予想していたが、逆転現象が起こるなどとは全く考えていなかったのだ。
だからこそ混乱する。
十代の少女がレイフォンで、三十代のメイシェンと結婚して四十代のレイフォンに養われていると、そう表現できるかも知れない。
それ程までにニーナは混乱していた。
「女性は若々しい方が良いに決まっていますし、本人が気をつけていますから」
「そ、そう言う問題なのか?」
「気をつけていれば、ある程度維持できるようですよ。武芸者ほどじゃないですけれど」
「そ、そうか」
女性の、若さを維持するための努力がどれほど凄まじいのか、実際の所ニーナは知らない。
活剄を使うという裏技が常態化してしまっているからだ。
チェルシーと呼ばれた二人の娘が笑い転げているところを見ると、今のニーナの反応は珍しくないのだろう。
それどころか、フェリでさえ机を叩いて楽しんでいることを表現している。
ここは、ツェルニ以上の魔都だと言うことだけは、はっきりした。
だが、何時までも混乱したり驚いたりしている暇はない。
ニーナにはやるべき事があるのだ。
そもそもここに来た目的を達成するために、口を開こうとしたまさにその瞬間、再びニーナとは無関係に事態が進む。
「チェルシー。降ろして下さい」
「はぁい」
ニヤリと笑ったフェリの指示が飛び、まだ笑い足りないらしいチェルシーがフェリの後ろへと回り込む。
いや。この後もう一笑いするぞと準備していると、そう表現できるだろう。
そして、そのチェルシーの右手が席を立ったフェリの背中へと伸びる。
そして、何かを摘んで一気に引き下ろす。
「ちょ!!」
あえて言おう。
今は昼間であり、大きな窓を通して外から丸見えなのだと。
この条件でありながら、服のファスナーを堂々と降ろすという少女としても女性としてもあるまじき行いに、思わず静止の声を上げようとしたが、全ては無駄だった。
「・・・・・・・・・」
ファスナーが降ろされ、フェリの着ている物が背中側から割れるように前へと向かってずり落ちる。
いや。小太りだとそう表現できる贅肉を伴って前へと雪崩を打って崩壊する。
現れたのは、最後に見た時と殆ど何も変わっていない細身の肢体。
落ち着いた感じの服もしっかりと着ている。
それはつまり、今までの外見は追加装甲のような物で。
「少々お待ち下さい」
そう言いつつ、四十代で細身のフェリが化粧室へと消える。
何が起こったか分からないのはニーナだけのようで、チェルシーは全力全開で笑い転げ、メイシェンは気の毒そうにしつつも顔を背けて笑い、レイフォンでさえ困ったように頬を掻きつつ頬笑んでいる。
全てはニーナを驚かせるために用意されていたのだと、そう確信したが、まだ終わっていなかった。
「お待たせしました」
「っな!!」
化粧室から出てきたのは、細身で二十代のフェリ・ロス。
ニヤリと笑うその表情も、肌の色つやもツェルニを卒業する際に見たまま、全く変わっていないようにしか見えない。
そしてニーナは、背中が扉に押しつけられていることを認識した。
これほどの驚きを覚えたのは、生まれて始めてかも知れない。
だからこそ恐怖を感じる。
始めての体験という物が恐ろしいことを、久しぶりに感じた瞬間だった。
「特殊メイクで、四十代で小太りな女性を演じていました」
「そ、そうか」
「はい。太りにくい上に歳を取らないとなると、ご近所の奥様方が発する、嫉妬のこもった視線が」
「ああ」
いくらフェリでも、嫉妬の視線の集中砲火を浴びていたのでは居心地が悪いのだろう。
あるいは、嫉妬だけならばよいが、何か悪意を持った行動を起こされることを心配したのかも知れない。
だが、この予測さえも全くもって的外れだった。
「あまりにも気持ちよすぎまして」
「・・・・・・・・・・・・・」
「この世が我が物だと勘違いしたら、お菓子の供給に問題が有るかも知れませんので」
とうとう沈黙した。
ツェルニでのフェリはここまでではなかったと思うのだが、何処かで何かが変わってしまったとしか思えない。
もしかしたら、ヨルテムという都市国家が全ての元凶かも知れない。
そして、視線を彷徨わせれば、もはや息も出来ないほどに笑っている十代の少女と、とうとうカウンターの影に隠れてしまった三十代前半に見える女性と、そして、表情をどうやって作って良いか分からない四十代の男性がいた。
そしてニーナは、全ての感情が凍り付いてしまっていた。
「ああ。それでなんだが」
凍り付いてしまったからこそ来訪の目的を告げる決心が付いた。
そうでなければ、幸せそうなレイフォンを戦場に連れて行くことを切り出せたか、甚だ疑問だ。
だが、このニーナの行動さえ無意味だった。
「良いですよ」
「い、いや。話を聞いてから返事が欲しいのだが」
「僕の力が必要なのでしょう? 他の人では恐らく駄目なのでしょう? ならば、それだけで十分ですよ」
そう言いつつ調理師用の白衣を脱ぐ。
その下から現れたのは、瑞々しいとは言えないが、十分に強者の貫禄を兼ね備えた鍛え抜かれた肉体だった。
そして何よりも、あの戦いの後も持ち続けている天剣が刺さった剣帯を巻いている。
「平和は自分の力で守る物だと、僕はそう思いますから」
「・・。そうか」
自分の大切な物のために戦うその姿勢は、あの頃と全く変わっていない。
いや。血の繋がった家族を持った今の方が遙かに強いのだろう。
それくらいは、まだ戦っている姿を見ていない今でも判る。
「チェルシー。お母さん達を守るんだよ」
「ま、まかせてぇ」
娘にそう声をかける姿一つとっても、年相応の風格を持っていた。
残念なことと言えば、未だに笑い転げているために、あまり絵にはならないことだろうか。
「では、私もお供しましょう。私も今の幸せを逃したくはありませんので協力させて頂きます」
「そ、そうか」
そう言えばと思い出す。
レイフォンの居場所は割とすぐに探し当てることが出来たのだが、フェリはここに来るまで見つけることが出来なかった。
それはつまり、フェリが情報を操作していたと言う事になるのではないだろうか?
この短い時間を経験してしまったために、否定することは出来ない。
だが、フェリの参戦はとても心強い。
ニーナもそうだが、レイフォンも戦闘速度に達してしまったら、普通の念威繰者の捜査範囲をすぐに飛び出してしまうから。
笑いすぎて呼吸が乱れている上に、笑いすぎでなのか、それともレイフォンが戦場に行くために心配で流した物なのか、涙を流すメイシェンに軽い口付けをするとこちらに歩いてくる。
やはり、ニーナが知らないところで時間は流れていたようだ。
だがこれで、レイフォンとフェリというこれ以上はないだろう援軍を得たことで、多くの人の命を守れるだろうという光明を見いだした。
二人を伴って店を出た。
必ずここに返すと心の中で誓いつつ。
だが、ここからが地獄だった。
子供が三人で、一男二女で、武芸者は末っ子のチェルシーだけだとか。
チェルシーにサイハーデンを伝えてしまったので、駄目人間にならないか心配だとか。
長男はレイフォンと違って頭が良いとか、長女は何故か警察官になってしまって心配だとか。
二十年に及ぶ、ニーナの知らないレイフォンの歴史を語られてしまったのだ。
そして思い出した。
ウォリアスから聞いたことをだ。
レイフォンは思いで記憶に関しては、ほぼ完全だと。
そして考える。
早く問題を解決してレイフォンをメイシェン達の元へと返さなければ、ニーナの安眠はないと。
こうして、何時も以上にやる気になったニーナは恐るべき手際で全ての手配を終わらせるのであった。
後書きに代えて。
さて、ここまで読んでいるフェリファンの方はいるのでしょうか?
それはさておき。
原作が完結するまでは、レヴァンティン戦まで書くつもりだったのですが、流石にそこまで書き続ける気力はなさそうだと言う事に気が付きここで終わりとさせて頂きます。
実際は、この後のことも色々と考えていたんですが世に送り出すことは適いそうもありません。
さて、最後と言う事で少し長めに色々と書きたいと思います。
まずレイフォン。
書き始めた直後、三話目の辺りから歳を取らせることは決めていました。
ただ、その度合いについては原作完結辺りまで決めていなかったのですが、最終的には一般人並に歳を取らせることとしました。
メイシェンが若いのは良いんです。女性だし。
フェリについて。
最後の着ぐるみネタは、当然フェリの詩から。
最初は完璧に着ぐるみの予定でしたが、二重に衝撃を用意する方が良かろうと思いこの展開となりました。
リーリンについて。
実を言うと、レイフォンに煙草を吸わせなかったのは胸に顔を埋めさせるため。
そして、その被害者は当然のことリーリン。
俺の話は、多くの人が不幸になることで進むようです。
ニーナについて。
散々酷い目に合い続けていて尚、最後の最後にも酷い目に合ってもらいました。
ちなみに言うと、この話を書き出した頃にはあまり好きではないキャラでしたが、今はそれ程の拒絶反応は持っていません。(原作の設定で納得しているというわけではないですが)
オリキャラのウォリアスについて。
最初の頃はレイフォンの支援要員として登場させたのですが、何時の間にか主役を食ってしまうこともしばしば。
これは完璧に計算違いでしたね。
イージェについて。
何処かの後書きでも書きましたが、早く出し過ぎたせいでツェルニに染まってしまいました。
恐らく死ぬまでツェルニで教官をやっていることでしょう。
ヨルテム三人衆について。
後日談にはメイシェンしか出てきていませんが、みんな何とか無事に生き残っています。
ナルキは、恐らく歳を取れない生き物となってしまっていることでしょうが。
最後に、チェルシーについて。
後日談については、チェルシーを主役にすることも考えたのですが、そうすると中途半端にお色気キャラになりそうだったので短めに切りました。
さて。本当に最後に。
レイフォンに歳を取らせることは早い段階から決まっていました。
それはある映画の影響が大きいでしょう。
それは、松本零士原作のさよなら銀河鉄道999 アンドロメダ最終着駅。
この映画の最後でハーロックの放った台詞がこの結末を俺に書かせたと言って良いでしょう。
良い作品ですので、是非一度ご覧下さい。
公開から幾星霜の間お付き合い頂きまして有り難う御座いました。
レギオスを原作とする話はもう書かないと思いますが、また何時か何処かでお会いできたら嬉しく思います。