実を言うと、いきなりの展開でアルシェイラも混乱していたのであった。
いきなりヴォルフシュテインが消失したかと思うと、何処にでもある青石錬金鋼が出現したりしたので、おおいに混乱してしまっていたのだ。
だが、それを完璧と言って良い制御能力で表に出さずに済ませたのは幸いであった。
汚染獣殲滅は、トロイアットとレイフォン、そして褐色の武芸者がやっているので問題無いだろうと判断する。
天剣二人と、廃貴族付き一人でこの程度、始末が出来ないなどとは考えられないから、問題無い。
「さて。リーちゃん迎えに行きましょう!!」
ここで意識を切り替える。
愛しのリーリンを迎えにツェルニに乗り込むのだ。
グレンダンが、どうしてツェルニと接触したかは知らないが、機会は最大限に使わなければ気が済まないのだ。
と言う事で飛び出そうとしたアルシェイラだったが、気が付くと袖を捕まれていた。
「なんでグレンダンが姉貴を迎えに来たんだよ? 兄貴じゃねえのか?」
「レイフォンじゃないわよ。だって、ヴォルフシュテインがレイフォンを選んだのはついさっきだし」
アルシェイラにこんな事が出来るのは、グレンダン広しと言えどリチャードただ一人。
と言う事で、念のためにレイフォンではないと言う事を主張する。
本当のところ、誰を、あるいは何を迎えに来たのかは分からない。
そもそも、この行動がグレンダンの意志かさえ怪しいのだ。
であるならば、どんな理屈でも成立してしまう。
成立してしまうからこそ、アルシェイラは自分にとって都合の良い結論に飛びついたのだ。
「姉貴って、一体何なんだ? 普通の女の子だよな?」
「普通? いいえ! それは違うわ!! あの胸!! あれが普通なんてあり得ないわ!!」
力説する。
自分の行動を正当化するために、そして何よりも欲望を満たすために。
だがここでふと、もう少し多めに欲望を満たしたいと欲が出た。
いや。欲望には限界がないから当然の思考であり路線であり、何よりも行動なのだ。
「ついでにレイフォンの現地妻、あの驚異的な胸もぉ!!」
更なる力説をしようとしたところで、何故か先制攻撃を食らった。
リチャードの拳が、軽くだがアルシェイラの頭に振り下ろされてしまったのだ。
活剄でも使っていれば十分に見切ることが出来たはずだが、平常の状態ではリチャードの技の方が遙かに有効なのである。
最強の武芸者と言いつつ、実は技に関しては大したことがないと言う事を実感したアルシェイラだが、主張を止めるつもりはない。
「あの胸!! 小動物的に怯えるあの子の胸を揉まないなんて事は、この女王アルシェイラの沽券に関わるわ!! それはとりもなおさずグレンダンの品位の問題でも有るのよ!!」
「へいへいそうですか」
折角の力説だというのにあっさりと流された。
先ほどの拳はなんだったのだろうかとか考えるし、不満を覚えているが、そんな物に動揺するようにはリチャードは出来ていない。
全くこの世はままならない物だ。
なので取って置きの情報を開示してリチャードを驚愕させることにした。
「うふふふふ。良いことを教えてあげるわ!! なんと!! 何を隠そうリーリンは王族なのよ!!」
「はいはい。それはすごいですね」
「・・・。あ、あのねリチャード?」
折角の取って置きの情報だったというのに、完璧にリチャードは流してしまっている。
いやまあ、アルシェイラが巫山戯すぎてしまったので真面目に聞いてくれないのだから、因果応報と言うべきなのは理解しているが、それでも不満を覚えてしまう。
と言う事で、助け船を出せとカナリスに視線を送る。
「事実として、リーリンさんの遺伝子を調べてみたところ、ユートノール家の先代当主、ヘルダーと一致しまして」
「・・・・・・・・・・・・。冗談じゃないのか?」
「私は冗談は嫌いです」
「・・・・・。なんで孤児院なんかにいるんだよ?」
「それには、幾つか極秘事項がありまして、今はお話しできません」
当然と言えば当然のことだが、カナリスの話はあっさりと信じるリチャード。
とても激しい憤りを覚えるが、身から出た錆なので仕方がない。
それよりも、今は前向きに事を進めるべきであると確信しているのだ。
「と言う事で、リーちゃんを迎えに出発!!」
今度は袖を捕まれて止められることはなかった。
カナリスにお姫様抱っこされたリチャードも一緒だが、それはある意味仕方のないことだ。
いざという時にアルシェイラを止める人間が必要だと、天剣全員に思われているから。
カリアンの我が儘に付き合わされて、やらなくて良い護衛などと言う仕事に駆り出されたあげく、結局汚染獣との遭遇戦に巻き込まれてしまった。
更に間の悪いことにフェリは現在戦闘不能状態とかで、現状の迷子という現実と戦っている有様である。
だが、身の回りでおかしな事が起こっている。
もはや逃げる事さえ出来ないと思われるほどに、汚染獣に囲まれた次の瞬間、やたらに躍動的な剄の気配に包まれたかと思っていたら、見る見るうちに汚染獣が輪切りになってしまったのだ。
こんな事が出来る武芸者を、イージェは二人しか知らない。
ツェルニ最悪の武芸者として知らぬ者がいないレイフォンと、グレンダンの天剣授受者リンテンスだ。
イージェの周りで猛威を振るっている鋼糸がどちらの物だろうかという、下らない疑問は最初から考えなかった。
汚染獣が殲滅されて、イージェ自身には傷一つ付かないのだからそれで問題無いのだ。
と言う事で、剄息を整えつつ何とはなしに歩き、そしてそれと遭遇した。
「よう兄弟。俺にも煙草くれ」
「ああ」
やたらめったらに不機嫌そうな、ボロボロのコートを着たボサボサ頭の武芸者と、絶世の美女らしき生き物にお姫様抱っこされたリーリンにだ。
ここで問題としなければならないのは、ボサボサ頭の男、恐らくリンテンスが煙草を吸っているという所だ。
イージェの煙草は、戦闘中に何処かへ飛ばしてしまった。
ただし、常に持ち歩いている映像記憶装置は死守した。
そして、ここからが最も重要なところなのだが、戦闘が一段落しているのならば、何よりもまず煙草を手に入れて一服するべきである。
その後に気が向いたら、リーリンのこととかを考えればそれで問題無い。
絶世の美女らしき生き物がなんだかご満悦な事だし、気が向くことは殆どないだろうと確信しつつ、空中を漂ってきた煙草を咥える。
ご丁寧に、咥えたら火まで点けてくれた。
「わりいな。ここの連中は煙草の効能も知らねぇ餓鬼ばかりでな」
「学園都市だが、腹立たしいことだ」
「全くだ。レイフォンに勧めたんだが、結局吸わなかったしな」
「ふん。45,360,000秒過ぎてもあの莫迦は莫迦のままか」
「・・・・・・・・・・・」
いきなり聞いたことのない数字が出てきたのでリアクションにしくじったが、あまり気にしなくて良いのだろうと思う。
何しろ相手は変態武芸者集団最強を唄われる、リンテンス・サーヴォレイド・ハーデンなのだから。
「さて」
口の端で煙草を保持したまま、煙を肺にゆっくりと送り込みつつ、それこそ必死の思いで守り通した映像記憶装置を取り出す。
向ける先は、絶世の美女らしき生き物にお姫様抱っこされているリーリン。
恐らくグレンダン女王だろう、計測機器が振り切れてしまいそうな剄量を無視して、録画スイッチを押し込む。
「っちょ!! な、なにとってるんですか!!」
「いやな。他にすることなくなったみたいだし」
「そう言う問題ですか!!」
「そう言う問題だと思うぞ?」
グレンダンなどと言う異常都市がやってきたのだから、イージェが活躍するような場面はもう無いと思って間違いない。
ならば、せめて暇つぶしのネタを探さなければ骨折り損という物だ。
「ああん。流石ツェルニ!! この私!! 女王であるこの私を録りたいだなんて!! 嫌々だけれど褒めてあげるわ!!」
「お前なんかいらねえよ。リーリンの方が絵になる」
「んんなぁぁ!!」
そうなのだ。
絶世の美女らしき生き物である女王は、完璧すぎて絵的につまらないのだ。
それならば、羞恥に染まるリーリンの方がよっぽど面白い。
と言う事で、主にリーリンに焦点を当てる。
そもそも、絶世の美女なんて怪生物はイージェの好みからは外れるのだ。
この辺もレイフォンと似ているのかも知れないと思うが、今はどうでも良いことだ。
硬直したアルシェイラの手を逃れて、リーリンが地面に降り立ったことだし、どうでも良いことだ。
「な、なぜ? 何故この私をみんなで無視するの?」
「お前が横暴だからだ」
「世界はこの私を中心に回るべきだというのに、何故それが分からないの?」
「お前が傲慢だからだ」
短くなった煙草を吐き捨て、新たな煙草を口に銜えたリンテンスが、なにやら呟いている怪生物と会話をしているが、そんな物はイージェにはどうでも良いことなのだ。
恐い顔してこちらを見ているリーリンに比べれば、些細でさえない問題である。
具体的には、記録素子を没収されないかが心配なのだ。
変に規格統一された汚染獣をほぼ駆逐し終わったレイフォンは、デルボネに導かれるまま歩き、そしてそれを見つけた。
「渡しなさい!!」
「やぁだぁよぉぉん」
「渡せと言っているの!!」
「へへん」
子供の喧嘩さながらに映像記憶装置を奪おうとするリーリンと、背伸びをして高いところにそれを避難させているイージェである。
この二人が絡んでいるところはとても珍しいと思うのだが、問題は他の所にも幾つか転がっている。
「ええそうよ。この私のために世界はあるのよ」
「どんなせかいだ」
「女王であるこの私以外に、世界を支配する事なんて出来はしないのよ」
「だからどんな世界だ」
「ふふふふふふ。私こそが世界の中心。人類で最も注目されるべき存在なのよ」
「何処の世界の、何処の人類だ」
蹲り、地面に延々と円を描きつつ何か呟き続けるアルシェイラと、一々それに付き合っているように見えつつ煙草を吹かすことにしか興味がないリンテンスとか。
全くもって意味不明であるが、取り敢えずレイフォンには関わり合いのないことなので一安心である。
汚染獣は片が付いているので、一安心したついでに一息入れようと煙茶を咥えたところで、いきなりの事態に遭遇した。
殺意にも似た敵意を感じた瞬間、首の周りに冷たい何かを感じたのだ。
それは既にレイフォンを完璧に捉え、逃げる事はおろか抵抗することさえ出来そうにない。
人はこの冷たい感触を絶望というのかも知れないが、レイフォンは少し違う名前をつけることが出来る。
「リンテンスさん?」
「なんだ?」
先ほどまで煙草を吹かすこと以外に何も興味がなかったリンテンスの瞳は、今は鋭く研ぎ澄まされレイフォンに向けられている。
そして、少しだけ首の周りの冷たい感触に熱が宿る。
それは殺意かも知れないし、敵意かも知れないし、もしかしたら、ただの警告かも知れない。
そう。リンテンスの視線は正確にはレイフォンを捉えていない。
レイフォンが咥えている煙茶に向けられているのだ。
それはつまり、このまま一息つこうとしたらレイフォンの首と共に、煙茶が細切れになると言う事を意味している。
もしかしたら、煙茶を普通の煙草と一緒に考えて酷い目に合ったことがあるのかも知れない。
一度くらいならあり得る。
レイフォンがそんな仮説を立てている最中、煙草が一本だけ空中を漂ってやって来る。
であるならば、レイフォンが取れる選択肢は二つ。
いや。ただの一つ。
「こ、これもらって良いですか?」
「やる」
煙茶を口から放し、箱の中へと戻し、そしてレイフォンの前に鋼糸によって運ばれてきた煙草を咥える。
他の選択肢など存在していない。
そして、咥えた直後鋼糸によって火が点けられた。
吸えと言う意思表示以外の何物でもない。
当然のこと、逆らえるはずもないので、細心の注意を払いつつゆっくりと煙を肺の中へと導く。
今まで経験したことのない苦味を中心とする刺激で、咳き込んでしまう。
涙が出るほど咳き込んだが、煙草を手放すという事は出来ない。
リンテンスの鋼糸が首に幾重にも巻き付いているから。
「ちょっ!! レイフォン!!」
リーリンの恐い声が聞こえるが、リンテンスの鋼糸に比べると緊急性は高くないので、あえて無視する。
だって、鋼糸に細切れにされてしまったらリーリンの小言も聞くことが出来ないのだもの。
だからこそレイフォンは、必死の思いで咳を鎮めて煙草の煙を肺に送り込む。
だが、レイフォンの努力など認めるわけには行かないとばかりに、世界が勝手に動いてしまうのも事実。
「ぬお!!」
「え?」
いきなりだった。
いや。こうなることは予測しておいて然るべきだった。
いやいや。誰がこんな事を予測できるだろう?
あろう事か、リーリンがリンテンスに蹴りを入れるなどと言う事態を、何処の誰が予測することが出来ただろう?
少なくともレイフォンにはできなかったし、リンテンス本人にも出来なかった。
もっと言えば、にやつきつつ映像記録装置を死守していたイージェも、なにやらこの世界から退場していたアルシェイラでさえ予測することが出来なかった。
であるならば、誰も予測できなくて当然であったとレイフォンは断言する。
「なにを?」
「未成年に喫煙を強要しないで下さい!!」
「あ、ああ」
あまりの事態に、リンテンスでさえ言われるがままレイフォンの煙草を粉砕してしまったのだ。
この展開を予測することなど、誰にも出来なかったに違いない。
だが、これで救われたのも事実だ。
煙草など吸いなれなかったために、いい加減限界だったのだ。
恐い顔でレイフォンの前に立ちはだかるリーリンに感謝して良いかもしれない。
そう考えたのも一瞬。
いきなり目の前が暗くなった。
これは、ニコチンが全身に回ったために起こる身体現象に違いないと思考を進めつつ、丁度良いところにあった何かに縋り付いて倒れるのを防ぐ。
更に活剄を使って新陳代謝を活発にして、ニコチンを早急に解毒する。
「?」
何かがおかしいことに気が付いたのは、大きく剄息を繰り返している最中だった。
レイフォンが縋り付いている何かが、細かく震えているのだ。
フルフルと。
更に、猛烈な勢いで温度が上がって行く。
いや。それどころではない。
あつらえたかのように、両手の中にすっぽりと収まり、とても柔らかくて良い匂いがして、更に顔を両方から圧迫する、心をとろかせるような・・・・・・・・・・。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
そっと、力が抜けていた両足を踏ん張り、縋り付いていた何かからほんの少しだけ身体を離す。
もっと縋り付いていたいという本能を、何とか理性と知性で押さえ込みつつだ。
そして、細心の注意を払いつつ何時の間にか閉じていた瞼を上げる。
目の前には、なにやら人が着る服のような物が見えるような気がする。
そして、一縷の望みを託した視線を上げて行く。
むしろ絶望と共に、恐る恐ると視線を上に上げて行く。
「あ、あのね、リーリン?」
ピントが合わないほどの近距離に見えるのは、羞恥と怒りで真っ赤に染まる幼馴染みの顔だった。
つまりレイフォンが、縋り付いて、更に大きく深呼吸していた何かとは。
「あ、あのねリーリン。これには色々と事情がっ!!」
突如、下から衝撃が来た。
その衝撃は戦闘衣を貫通し、レイフォンの、いや、男性の最も弱いところへと襲いかかる。
息が詰まり全身の筋肉が硬直し、全ての行動が完全に停止する。
そして、それは発せられた。
「死ね!!」
二発目の衝撃を感じたところで、幸運なことに意識が吹き飛んだ。