魂の絶叫を聞いたディックは、ほんの少しだけ自分の甘さを後悔していた。
もっと早くに褐色の武芸者をぶっ倒して廃貴族を奪い去っておけば良かったと。
そうすればこの事態は避けることが出来たはずだと。
だがもう遅い。
廃貴族は完全に彼女と融合してしまい、もはや引き剥がすことは至難の業である。
出来るのは、グレンダンに眠る存在のみ。
「強欲が人のためになると思った俺が甘かったって事か」
強欲は、ただひたすらに我が身と心を満たすためにこそ存在している。
いや。我が心と身体を満たそうと足掻くことこそが強欲であるべきだ。
他人のことなど考えてしまった時点で、それは強欲ではあり得ない。
強欲ではあり得ない物をその身に宿した時点で、ディクセリオ・マスケインという個性は存在できない。
それを忘れてしまったために廃貴族を奪い損ねた。
起こってしまったことは既にどうすることも出来ないが、この次があったのならば確実にディックはディックとして強欲のままに突き進む。
それを確信することが出来たことで良しとする。
そして、この後起こることに備えなければならない。
どんな事があっても、ディックは己の目的を達成し欲望を満たすために。
ほぼ丸一日かかって帰って来たツェルニを満たしていた空気は、かなり混沌としていたと、そう表現することしかできない。
注意して探らなくてもナルキの様子が切羽詰まっているし、カリアンやニーナの状況もあまり違わないのだ。
想像通りに、グレンダンが接近中だと言う情報はあちこちに混乱をまき散らしていたようだ。
かくいうウォリアスも平静を装いつつ、割と色々なことを考えている。
折角帰ってきたのだから、しっかりとした食事を摂って、少し眠りたいとか、色々。
だが、それでもやるべき事から逃れることなど出来ない。
場所は生徒会棟の地下にひっそりと存在している、戦略・戦術研究室。
「ああ。取り敢えずグレンダン出身者を集めて、対策会議など開いてみているんですが、どうなんでしょう、この会議に意味って有ると思います?」
「おそらくあるまい」
試しに放ったウォリアスの質問に即答したのは、第五小隊長のゴルネオである。
サヴァリスとレイフォンはこんな会議では最初から使い物にならないので、実質的にリュホウとゴルネオ、そしてリーリンから話を聞く以外にないのだが、それが全くもって無意味であると断定された。
しかしこれは当然である。
グレンダンという都市が自らの意志でツェルニに接近しているはずなのだから、そこに人間の意志は存在していない。
であるならば、電子精霊が何を求めてツェルニに接触しようとしているかを人間が推測しなければならないのだが、それはかなり難易度の高い仕事である。
人間からすれば永遠とも思える寿命を持ち、おそらく何らかの方法で接触をとり続けている電子精霊の思考を読むなど、人間には出来ないと断言してもそれ程おかしくない。
であるならば、次善の方策としてグレンダンに住む人達の考えを予測し、それに対応する必要が出てくる。
「えっと。私なんかがいて何か役に立つのかな?」
「立つと思うよ」
戦闘態勢はまだ続いているが、何とかリーリンだけはシェルターから連れ出すことが出来た。
まあ、サヴァリスとレイフォンが居るここよりも安全な場所など、ツェルニには存在していないから問題はないのだろう。
そして何よりも重要な情報源であるリーリンをのけ者にすることは、ウォリアスには出来ない相談である。
「で、王宮はこの機会をどう使うと思う?」
「え、えっと。なんで私に聞くの? 王宮絡みだったらレイフォンかサヴァリスさんの方が良くない?」
いきなり切り込んでしまったためだろうが、リーリンの反応が明らかに鈍い。
グレンダンからの手紙をレイフォンが読んだ時の反応から予測するに、リーリンは王宮のと言うよりも、女王と個人的に親しいはずなのである。
「シノーラさんはどう考えると思うと、聞き直そうか?」
「ええ、っと、やっぱり気が付くよね?」
「気が付くよ」
話を少し進めると、渋々と言った感じでシノーラというか女王と接点があることを認めるリーリン。
あの当時は知らなかったかも知れないが、今はきちんとその正体を理解していることがこれではっきりとした。
とは言え、ここからが更に問題である。
女王と面識がある、あるいは交流があるとは言え、それだけかも知れないのだ。
「で、何か心当たりはある?」
「・・・・・。あるとしたら、私を迎えに来たんだと思うけれど」
「・・・・・・・・・・。レイフォンでもサヴァリスさんでもなく、リーリンを?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・たぶん」
嫌々認めたというわけではない。
そこには、ある種の決意のような物があった。
それが、どの様な決意なのかまでは分からないが、存在することだけは認識した。
だが、決意の存在を理解しつつも状況が分からず混乱している人物も当然のこと存在する。
レイフォンである。
「あ、あのぉぉ? 何でリーリンを迎えに来るんでしょうか? サヴァリスさんなら当然だと思うんだけれど」
これは当然の疑問であるが、それに答えることはおそらくリーリン本人にも出来ないだろう。
過程が見えずに答えだけが存在している状況だろう。
人はこれを直感や思いつきと言うが、必ず外れる物でもないし、当たる物でもない。
だが、リーリンはそう考えていることだけは間違いなく、そしてある意味潮時であるとも思っているようだ。
メイシェンとレイフォンの関係のこともそうだろうし、もしかしたら、グレンダンに残してきた何かのことも考えているかも知れない。
どちらにせよ、リーリンがそうしたいというのだったら、それを止める権利は誰にもない。
問題はむしろ、この接触がこの先どんな事態を引き起こすかだ。
そして、ウォリアス自身がどう行動するかで。
「まあ、本当にリーリンを迎えに来たかは接岸した時に確認すればいい話だけれど、他の人も帰りますか? グレンダンへ?」
リュホウとゴルネオに話を振る。
サヴァリスは立場上、帰らないという選択肢の方がないので質問をする必要がない。
だが、そんなウォリアスのことなどお構いなしにサヴァリスが発言してしまうのも、世の常なのかも知れない。
「奥さんを連れて帰っては駄目だろうか?」
「ナルキは精神的に不安定ですから、今はその話しはしない方が良いでしょう」
「僕と別れる辛さを紛らわせるために、全力で愛し合ってくれないだろうか?」
「レイフォンで我慢して下さい」
「まあ、それはそれで楽しそうだね」
嫌そうな顔をするレイフォンの事は無視して、リュホウへと視線を向ける。
ハイアやサリンバン教導傭兵団のことを考えると、一度グレンダンへ帰った方が良いだろうと思うのだが。
「そうだな。一度故郷に立ち寄ってみるのも一興かも知れぬ」
あくまでもグレンダンに住み着くという話にならないようだ。
いや。そもそも立ち寄ると認識しているのだから、これはもう意地でも帰らないかも知れない。
それはそれで、外の世界を見たいと旅立った人間としては首尾一貫している。
そして視線をゴルネオに向けるが、こちらはサヴァリスと違った意味で答えは決まっているようだ。
「俺はここを卒業したい」
これでリーリンとリュホウ、サヴァリスがグレンダンへ帰ることが決まった。
ここでふと思う。
「お前はどうするよ?」
「ぼく? 僕は追放処分の身なんだからグレンダンへは帰れないよ」
いきなり話を振ったせいだろうが、一瞬ほどの時差があって、そして明確な答えが返ってきた。
行けないと言わなかったところを見ると、僅かなりとは言えグレンダンへの思い入れがあるのだろう。
だが、それは当面満たされることがない。
レイフォンの起こした不祥事はまだ新しすぎて、人々は忘れていないだろう。
ならば、まだレイフォンはグレンダンへ帰ることは出来ないし、おそらく立ち寄っただけでも色々と面倒なこととなるだろう。
だがと考える。
どうしてもレイフォンがグレンダンにいる必要に迫られたらと。
すぐに二つだけ妙案と呼べない物を思いつけた。むしろこじつけと暴走的な方法であるが、手立てがないわけでは無い。
そんな思考をしている間に、会議は大した成果もなく進展し、そして大した成果もなく終わった。
それぞれがそれぞれの仕事をするために荷物の置いてある部屋へと向かうのを眺めつつ、ウォリアスは少しだけ考える。
ウォリアスはどうすべきなのだろうかと。
もしかしたらと考える。
グレンダンとツェルニが接触するこの瞬間に、レノス出身のウォリアスが居合わせたことに何か意味があるのだろうかと。
この世界が異常であるらしいことは間違いない以上、疑ってかかっておいた方が良いだろう。
では、具体的にどうするかを考える。
答えは割とすぐに出てきた。
その答えを実行するためにウォリアスも自分の部屋へと向かうのだった。
グレンダン出身者を集めた会議が、大した成果もなく終了して一時間ほど。
槍殻都市グレンダンが接岸するまで、残り数時間。
この微妙な時間を狙っていたかのようにそれは現れた。
「もう一度報告してくれないかね? 何か誤解をしているかも知れないからね」
『はい』
報告が来たのは、第一小隊の念威繰者からだった。
グレンダン接近という非常事態に対応するために、シェルター内の指揮所と呼べる場所に生徒会の面々が集まっている。
ヴァンゼだけは念のために武芸者を指揮できるように、この場にいないが、それはこの際あまり問題ではない。
問題なのは、もたらされた報告の方だ。
音声からだけでも動揺が滲み出ているが、それは全くもって仕方のないことだとカリアンも思う。
『汚染獣が空から降ってきました。そして、それ以外の正体不明の生物と戦っている模様です』
「ふむ」
汚染獣がどこからやってくるかは知らないが、断じて空から降ってくるような物でないことだけは確かだった。
それは確かな事実として人類全体の共通認識だった。
もしかしたらグレンダンは違うかも知れないが、他の都市ではおおよそそのはずであった。
であるというのに、ツェルニでは違ってしまっている。
「映像をこちらへ回せるかね?」
『はい』
帰還したばかりのフェリは現在休息中であり、すぐに使うことは出来ない。
本来ならば、ツェルニが移動できるようになるまで警戒態勢を維持すべきだったが、汚染獣の接近にだけ気をつけていれば問題無いはずだったので、フェリは休ませた。
まさか、空から降ってくるなどとは想像もしていなかったのだ。
「これが、汚染獣なのかね?」
五メルトルほどの身長と、首を省略したような、人型の生き物らしい何かがそこには映し出されていた。
そして、それだけではない。
全長一メルトルほどの円筒形をした何かが、空から降ってきた汚染獣と戦っている。
双方が無数と呼べるほどの数であり、お互いに攻撃し合ってすぐに決着は付かないように思える。
そして恐ろしいことに、カリアンは円筒形の生き物らしき存在に心当たりがあった。
同じ映像を見た錬金科科長も、カリアンと同意見のようだ。
「会長。これはもしかして」
「ああ。守護獸だろうね」
汚染獣の襲来に備え、武芸者以外の戦力を用意するという名目で開発が始まった、守護獸。
それはしかし、とうの昔に中止になった計画だったはずだ。
でなければ、レイフォンが入学してきた直後の幼生体戦で使っていた。
それはつまり、ツェルニには存在していないはずの戦力であり、今、この瞬間に動き出しているはずのない存在であった。
だが、都市には人間の知らない場所などいくらでもある。
「いや。あれだけの生物を培養し続けるためには巨大な施設と莫大なエネルギーが」
「・・・。あそこならば。あれに変化が?」
「・・・・・。見に行く必要があるね」
遙か昔にあった、エネルギーシステムの事故。
その結果生まれたあの施設ならば人に知られることなく、守護獸を維持し続けることが出来るかも知れない。
行って確認しなければならない。
「しかし、外は戦闘の真っ最中ですが?」
「幸いなことにレイフォン君達が」
いるから護衛に事欠くことはないだろうし、汚染獣の殲滅はもうすぐ接岸するグレンダンが請け負ってくれた。
楽勝だとカリアンがそう考えるのを待っていたかのように、その報告はやって来た。
生徒会役員が集まる部屋の扉が破壊され、その報告は暴風となってやって来た。
「大変です!! サヴァリスさんとナルキ、ついでにレイフォンが外に出てしまいました!!」
「んな!!」
報告に来たのはニーナだった。
その顔から血の気が引いて、今にも倒れそうになっている。
全力疾走してきたのか、肩で息をしていることから考えて、その場面を目撃してしまい、取り敢えずカリアンに報告しに来たと言ったところだろう。
いや。もしかしたらレイフォンに頼まれたのかも知れないが、後を追わなかったという事実で、今年度のニーナの成長を実感できたが、当然のこと問題はそこではない。
よりにもよって、この状況下で主戦力二人が使えなくなってしまったのだ。
「ああ」
『現在、汚染獣を駆逐しつつ高速移動中。おおよその位置しか捉えることが出来ません』
質問を発する前に、第一小隊の念威繰者が答えてくれたが、これをどう解釈して次の行動を選択するかが重要だ。
今フェリは使えない。
ツェルニに帰り着くまで、延々となにやら念威の混信に付き合わされたとかで寝込んでしまっているのだ。
であるならば、使える戦力を最大限有効に使うしかない。
「ニーナ」
「はい」
察しているわけではないだろうが、それでも呼吸を整えたニーナは割と普通の状態に戻りつつあるように見える。
異常事態に慣れてしまっている、現在のツェルニの成果かも知れないが、それを喜ぶ気にはなれない。
念威繰者を通して、ヴァンゼに連絡を取り、使えそうな精鋭を集めて貰うこととした。
その精鋭に護衛して貰い、あの場所に行き事態を確認する。
それ以外の選択肢は、カリアンの頭には浮かばなかったからだ。
自分を抑えることが出来なかった。
グレンダンが近付いているという極限の状況であるにもかかわらず、汚染獣が空から、しかも大量と表現することしかできないほどの数で降ってきたのだ。
ナルキの心はもう限界を超えてしまった。
「ははははははははははははは!! こんな物は地獄でもなんでもない!! ただの殺戮だぁぁぁ!!」
掌を汚染獣に当て、軽く剄を流すだけで面白いように破壊できる軟弱な敵を殲滅しつつ、涙を流しつつ、ナルキは戦場を求めて疾走する。
自分が何物なのかにも、この先起こる事態にも悩まされることなく、ただ戦っているだけで良いこの時間こそが救いだと信じて。
「ふははははははははははは!! そうだよナルキ!! この程度では戦いとも言えないよ!! 単なる遊びでしかないんだよ!!」
隣を疾走するサヴァリスの叫声を聞き流しつつ、更なる敵を求めて全力で走る。
唯一無事な足を器用に使い、ナルキと同じ速度で疾走しつつ、いや。むしろ跳躍しつつ、汚染獣の胸を蹴る瞬間に剄を流し、次の汚染獣へと跳躍を繰り返すのだ。
殆ど地面や木に足を付けることなく、片足だけで移動と攻撃を同時進行させているのだ。
レイフォンについても言えることだが、どれだけの技量を持っているのか気が遠くなるほどだ。
そんな事を一瞬だけ考えたが、その時間さえも惜しいと身体を動かし汚染獣を殲滅する。
身体の中から沸き上がる、無限とも思える力に突き動かされ、周りの全てを破壊するだけのために、走る。
そうしていないと、本格的に自分を見失ってしまいそうだから。
少し後ろを付いてきているレイフォンは、良い迷惑だろうが、それは我慢して貰うしかない。
「うわぁぁぁん」
泣き言を言いつつ、どうにかこうにか調達が間に合った青石錬金鋼を鋼糸にして、ナルキの死角を補ってくれている。
いくら感謝してもしたり無いのだが、今そんな事をしている余裕などナルキにはないのだ。
錬金鋼がないために効率は悪いし、汚染獣は多いし、何よりも慣れない剄の使い方が祟って、身体の動きが鈍くなってきているような気がするからだ。
これ以上気にすることが増えてしまえば、きっと動けなくなるから、レイフォンへの感謝や礼は後回しにしてしまうこととする。
「良かったら、これを使いなさいな」
「はい?」
そんな極限の状況の最中、いきなり誰かが横に現れ、更に何か手渡されたので反射的に受け取ってしまう。
その後になって、誰かいるのだろうかと視線を飛ばしてみたが、そこには誰もいなかった。
振り返ってみてみれば、レイフォンがやや怯えた表情で辺りを見回している。
つい先ほど、ナルキの側に誰かがいたことだけは確かだが、それはレイフォンに気付かれることなく現れ、レイフォンが何かするよりも早く用事を済ませ、レイフォンが追うことさえ出来ない逃走をやってのけたのだ。
もはや人間業ではあり得ない。
人間では無い生き物に気付かれることも阻止することも、追うことさえ許さない存在をどう表現したらよいのかさえ、ナルキには分からない。
だが、手に持ったそれは確かに存在し続けている。
酷く手に馴染んだ感触だった。
右手にすっぽりと収まるそれは、基礎状態の錬金鋼としか思えない。
試しに剄を流して復元してみる。
「レストレーション」
一瞬の光を放ちナルキの手の中に現れたのは、間違いなく鋼鉄錬金鋼。
ファルニール戦の前に渡された、簡易・複合錬金鋼ではない。
それ以前から持っていた虎徹だ。
しかも、廃貴族が暴走中の現在、明らかに通常ではあり得ない剄量を発揮し続けているナルキが持っていても、何ら変化を起こさないという脅威の虎徹。
これをなんに使うべきかと一瞬ほど考える。
そして、ふつふつと殺意が沸き上がってくる。
サイハーデン刀争術 逆捻子・長尺。
「っは!!」
少し前を走るサヴァリスを巻き込む射線で、汚染獣の群れへと技を放つ。
普通の錬金鋼なら、技を発動することさえ出来ないはずなのに、全く問題無く一直線に伸びる破壊の本流が、汚染獣と周りの建物を細切れにして行く。
「うを!!」
やや慌てた叫びと共に、まだ完治していない足を酷使したサヴァリスが跳躍する。
一緒に粉みじんになれば世の中が少しだけ平和になった物をと、ほんの少し残念に思う。
特にナルキの周りは平和になったのにと、残念に思う。
「ああ。素晴らしいよナルキ!! 傷が完治していない僕を殺そうとするその愛!! 確かに受け取ったよ!!」
「なら、大人しく私に殺されて下さい!!」
「それは駄目だよナルキ!! ナルキ。君はまだ未熟!! 未熟者に殺されたのでは僕が楽しくないからね!!」
「ええい!!」
剄を十分に乗せることが出来る錬金鋼を持ち、ナルキ自身は殆ど完璧な状態であるにもかかわらず、片足しか使うことが出来ない天剣授受者を、それも錬金鋼を持っていない武芸者を殺すことさえ出来ない。
シャーニッドには語ったが、どれほど絶望的な技量差があるかを考えただけで、身動きできなくなりそうだ。
身動きできなくなることを避けるために、ナルキは汚染獣と建物、そして何よりもサヴァリスに攻撃を撃ち込み続ける。
まぐれ当たりでも良いから、かすり傷一つでも良いからとひたすらに。
いきなり天剣を持ったレイフォンの破壊力に比肩できるような技を繰り出したナルキを見送りつつ、辺りの音や空気の流れに細心の注意を払うことは止められなかった。
あまりにもいきなりすぎたのだ。
全力とはいかないが、それでもかなりの速度で疾走を続ける武芸者の側に、なんの音も気配もなくその人物は現れた。
そして、混乱気味のナルキに天剣とおぼしき錬金鋼を渡した。
最後の止めに、瞬きをしたわけでもないのにいきなり、ナルキの側に現れた人物が消えた。
記憶に残っているのは、長い黒髪をたなびかせた後ろ姿だけ。
これで神経質になるなと言うのは無理である。
レイフォンが、ナルキを追いかけるだけで身動きできないのを良いことに、目の前では想像を絶する破壊と殺戮が繰り返されている。
まあ、殺戮の方は汚染獣だけだから問題無いが、破壊の方はかなり問題が有る。
ツェルニの建物が、見る見るうちに粉みじんとなり吹き飛ばされて行くのだ。
修復とか復興とかを考えると、レイフォンにはなんの責任もないのにかなり気が重くなる。
『ああ、レイフォン君?』
「会長?」
神経質に周りの状況を探り続けるレイフォンの元に、第一小隊の念威繰者の端子が近付き、そこからカリアンの声が聞こえてきた。
フェリの端子でないのが少し残念ではあるが、責任者の出現は歓迎である。
どう行動したら良いのか分からない時には、とてつもなく嬉しい出来事だ。
『現状を説明できるかね?』
「無理です」
すぐ側で見ていたにもかかわらず、何が起こったのかさっぱり分からない。
異常な事態が進行中であると言う事と、その中に埋没する程度の、些細な問題であると言う事だけは理解しているが、それだけである。
もしかしたら、グレンダンがやってきたからこそ、この事態が出現したのかも知れないとさえ思ってしまうくらいには、事態を理解していない。
『出来ればなんだがね、ゲルニ君を止めてくれないかな?』
「無理です」
無理である。
レイフォンが今持っているのが天剣だったなら、ヴォルフシュテインが手元にあったのならば、話は全く違ったのだろうが、生憎と通常の錬金鋼でしかない以上、殺さずにナルキを止める自信は全く無い。
ヴォルフシュテインさえ手元にあれば。
こんな事を思ったのは初めてではないだろうかとさえ思えるほどに、レイフォンは今無力だ。
「ああ。結局僕は天剣授受者なのか」
ヴォルフシュテインは剥奪された。
持ち続けることが出来なかった。
それでも良いと思っていた。
だが、今、レイフォンはヴォルフシュテインを必要としてしまっている。
情けないことに、持ち続けることが出来なかった過去の栄光に縋ろうとしている。
天剣を持たなければどうしようもない武芸者こそが、天剣授受者となる。
異常者の中の異常者。
人外の中の人外。
異端者の中の異端者。
自らの戦い方を自らが見つけることしかできない武芸者こそが、天剣授受者。
「ああ。僕はやはり、天剣授受者なのか」
全てに納得した。
グレンダンに生きたことも、武芸者となったことも、汚染獣と戦い続けたことも、ヨルテムに流れ、ツェルニに流れ着いたことも。
レイフォン・アルセイフという武芸者の人生、その全てに納得してしまった。
戦いから遠ざかることなど出来ないのだと、そう諦めそうになる。
だが、諦めきることは出来ない。
メイシェンが待っていてくれるから。
「それでも、今だけでも、ヴォルフシュテインが欲しい」
ナルキを止める間だけで良いから。
そして、唐突に気が付く。
「え?」
レイフォンが持っている、青石錬金鋼であるはずの物が、何か違う存在になっていることを。
恐る恐ると視線を向ける。
サヴァリスを追いかけつつ破壊の限りを尽くすナルキから、離れすぎない距離を維持する努力を一時的に放棄して。
蒼銀に耀く鋼の糸はしかし、そこに存在していなかった。
それは、五年もの間慣れ親しんだ白銀に耀く鋼の糸へと姿を変え、天剣授受者としても多い剄量を受けても変わることなく、レイフォンの意志に従い破壊を押さえるために働き続けている。
「レストレーション01」
試しに、本当にただ単に試すつもりで、鋼糸から刀へと形状を変えてみる。
現れたのは、鋼鉄錬金鋼と全く変わらない形状と重さ、そして特性を持った至高の刀だった。
全力で剄を込めても何ら変化をすることなく、そこに存在を続けている。
気配自体はヴォルフシュテインだが、こんな設定を作った記憶はない。
あり得ないことが二つ起こっている現実を前に、一瞬だけ思考が止まる。
「いや。考えるのはウォリアスに任せよう」
所詮レイフォンは身体を使う武芸者でしかないのだと、今だけは割り切る。
そして、少し離れた場所で汚染獣と建物を破壊しつつ、サヴァリスを殺そうと躍起になっているナルキを視界に納める。
今は、ナルキを止めることを最優先に考えよう。
そう決意した。