老性体との戦いを終えた二人が帰ってきたのを出迎えたウォリアスだったが、心の中はとてつもなく乱れていた。
別段、レイフォンに負ぶさっているサヴァリスが、なんだかとても良い笑顔なのは気にならない。
移動指揮車に乗り込んだ途端、脱力しきって軟体動物のように蟠ってしまったレイフォンの事だって、別段気にならない。
それどころではない事態が、すぐそこまで迫っているからだ。
「点呼省略、発車」
一日弱の休息では、今回用意した武芸者にはかなり厳しいのは分かっているが、それでもここで時間を潰すという選択肢は存在していない。
一刻も速くツェルニに帰り着き、そして体制を整える必要があるかも知れないのだ。
左手と両足を負傷しているサヴァリスの治療をしつつ、ウォリアスはフェリへと視線を向ける。
なにやら、難しい顔で誰かと会話しているように見えるが、相手はこの車の中にはいない。
まだフェリにしか認識されていない遠距離にいる人間と、念威を通した無音会話をしているのだろう事は分かる。
その相手が誰なのかも、実はおおよそ理解しているのだ。
「でだが、悪いかも知れない情報が有るけど、聞くよね?」
「え、えっと。聞きたくないって言ったら?」
「物理の勉強をツェルニに帰るまでやるけど、僕はそっちの方が好みだよ?」
「どんな情報でしょうか?」
突然ウォリアスが話を振っても、きちんと対応してくれるレイフォンにほんの少しだけ感謝しつつ、最初から拒否は許さない体制を整えていたことは、それとなく匂わせる程度にしておく。
実際問題、レイフォンにとってもこの情報はかなり重要なのだ。
いや。もしかしたら、レイフォンにとってこそ重要かも知れない。
「僕らの後ろに都市が迫っている」
「? この、移動指揮車の後ろ?」
「そ。まだフェリ先輩の念威に引っかかる程度の距離だけど、確実にこの車の後を追ってきている」
それはつまり、その都市はツェルニに向かっていると言う事を意味する。
移動指揮車自身の移動速度よりは遅いが、身動きの取れないツェルニに逃げるという選択肢は存在していない。
それはつまり、やって来る都市は一日半程度の時間で接岸することになるだろう。
「その都市が問題でね」
これが、普通の学園都市だったらあまり問題はなかった。
ツェルニの状況で戦えるか疑問だが、いざとなったらレイフォンをけしかけるからさほどの問題ではない。
ウォリアスは敗北するが、ツェルニの敗北よりはまだ気楽だ。
だが、残念なことに接近中のは、普通の都市ではなかった。
「槍殻都市グレンダンだ」
「「? は?」」
サヴァリスとレイフォンの間抜けな声を聞きつつ、思わず同情してしまった。
ウォリアスだって、最初にこの情報に接した時に理解するために時間を必要としたのだ。
三秒経っても、二人は、今起こっている現実を認識できていないようだ。
なので、余裕を見せるためにゼリー飲料をすする。
もちろん、パッケージは確認しているし、舌の上に少量乗せて安全を確認してからだ。
小さく舌打ちした誰かのことは、気が付かなかったことにする。
ここで二日意識不明になるわけにはいかないので、用心をしたのだが、舌打ちが本物だったかどうかは疑問だ。
流石にこの状況で悪ふざけをするとは思えないのだが、それでも用心はしておいて損はない。
「そろそろ現世に復帰して欲しいな。特にサヴァリスさん。貴男を迎えに来たかも知れないんですから」
「・・。ああ。そう言うことなのかな? 僕は戦いを愛していると思っていたんだけれど、戦いの方でも僕を愛していてくれたんだね」
「相思相愛ですね」
ウォリアスに手当てされつつ、我が身を抱きしめ悶えるサヴァリスの反応に動揺することはない。
この程度は、予想範囲内の反応なので驚くことも取り乱すこともしない。
問題なのは、グレンダンが迎えに来たと仮定できる人物が、四人いると言うことだ。
まあ、ゴルネオを迎えに来たという確率はあまり高くないが、シャンテと込みだったら有るかも知れない。
だが、それでも、残り三人に比べたら確率的には低いだろう。
時期的に一番あり得るのがサヴァリスだと言うだけで、レイフォンとリーリンも十分に考えられるのだ。
特に、暴走事件収束前後から微妙に印象の変わったリーリンを迎えに来たと言われても、あまり驚かないだろうと思っている。
「で、今フェリ先輩が向こうのキュアンティス卿でしたっけ? 念威繰者と連絡を取っているんですが・・・・」
視線をフェリに向けると、難しい顔は何時の間にか消え、とてもうっとうしそうな表情で驚いていたりするのを発見した。
まだ、向こうの話が終わっていないと判断することとした。
巻き込まれたら、とても厄介なことになりそうだから。
何時までも続けられる現実逃避ではないが、他にやるべき事もあるので、そちらを優先させる。
「で、帰りますよねサヴァリスさん?」
「うん? 奥さんを連れ帰っても良いかい?」
「本人の希望次第ですが、おそらく断られると思います」
「そうだよねぇ。ナルキは僕にはとてもつれないんだよ。どうしたら良いだろうね?」
「知りませんから」
何故か、サヴァリスと話していると緊迫感が抜け落ちて行く自分を認識しつつ、ナルキのことも色々と問題であることは分かっている。
今は大人しくしているが、廃貴族が何時、活性化するか分からないし、そうなったらツェルニでは押さえられないだろう事も分かっている。
ナルキが自分の意志で、グレンダンへ行ってくれることが一番望ましいのだが、そんな事にはならないだろう事も分かっている。
何しろグレンダンには、サヴァリスを抜いたとしても、天剣授受者が十人もいるのだ。
一般武芸者が近付きたい場所ではない。
「その事で一つ相談に乗ってくれないでしょうか?」
「はい? グレンダンに行くかどうかですか?」
突然フェリから話を振られて、対応に困った。
何についての相談なのか分からないし、デルボネと会話をしているはずだからだ。
だが、その疑問もすぐに氷解することとなった。
「私に縁談を進めてきてうっとうしいのです」
「ああ」
「グレンダンに来て、子供を作ってはどうかと、先ほどから候補の男性を列挙されていまして、とてもうっとうしいです」
デルボネと言えば、そろそろ百才になろうかという年齢であるはずだ。
であるならば、縁談を他人に勧めても何らおかしくない。
完璧に先入観だが、フェリが辟易するのも納得できるという物だ。
であるならば、既に相手がいるという偽情報を流すのが最も手っ取り早い。
「適当に誰か相手がいるとか?」
「・・・・・・・。適当な人がいますか?」
「これとか?」
「・・・・・・? え? ぼ、ぼく?」
我関せずといった雰囲気だったレイフォンへと話を振る。
二百年以上の人生経験があるかも知れないウォリアスだが、残念なことに恋愛経験は多くないのだ。
そして、当然のことレイフォンは驚き戸惑い混乱している。
だが、事態はそんなレイフォンなどお構いなしに突き進む。
これもある意味当然のことなのだろうと思う。
「私には心に決めたレイフォンという男性がいますので。縁談もグレンダン行きもお断りさせて頂きたいと」
何故か、今まで無音会話をしてきたというのに、口に出して喋り始めるフェリ。
その目的は、当然のことレイフォン虐め。
であるならば、フェリの戦術としては、ツェルニに帰り着くまでデルボネと会話しつつレイフォンを虐めるという暇つぶしの方法を選択するはずだ。
そしてそれは、即座に現実の物となった。
「はい。トリンデンさんのことは存じ上げておりますが、それでも私の心と身体はレイフォンに奪われてしまっています」
心は兎も角として、身体は拙いのではないだろうかと思うのだが、かまわずに突き進む。
なにやらとても嬉しそうなフェリの表情を見る限りにおいて、デルボネは縁談とフェリのグレンダン入りを諦めたのだろう。
だが、何故か突然両耳を押さえて悶絶する。
「な、なんですか、この意味不明なのに大きさだけは尋常ではない声は? 念威が混信するなんてあり得ません」
「凄い人がいるもんですねぇ。流石グレンダン」
どんな内容の雑音がフェリを悩ませているのかを考えつつ、ふと何か引っかかることがあるのに気が付いた。
ウォリアスは以前、こんな感じの雑音に遭遇したことがあったはずだと。
そしてそれはすぐに思い出された。
老性体との戦いを終えてツェルニにレイフォンが帰ってきた際、シノーラという人物から届いた手紙だ。
そこから少しだけ想像の翼を羽ばたかせて、結論に達する。
手紙の文字が二種類であったことから想像していた答えの中から、今回の現象と照らし合わせるだけなので割と簡単であった。
「ああ。これがグレンダンか」
想像していた中で、最も下らない結論だったが、それでもまあ良しとした。
常識という物を何処かに置き忘れてきた都市ならば、ありな結論だと思うから。
思惑と違った形になったが、ツェルニに帰り着くまで退屈しないだろう事はおおよそ決定した。
フェリにとって、全然楽しくないだろうが。
それよりも優先すべきは、ツェルニとグレンダンの接触が何を意味するのかを考察することだ。
「本当に、サヴァリスさんの回収だったら良いんだけれど」
それならば、問題が一つ片付く。
ナルキが絡んでいるので、丸く収まるかどうかは分からないが、現状より悪くなると言う事はないはずだ。
そう。天剣授受者が大挙して留学を希望するとか言う事態にならなければ。
その知らせが届いたのは、残り一つのカプセルを迎撃するために戦力の再建が終わった頃のことだった。
軽傷を負った武芸者は応急手当を負え、錬金鋼はダイトメカニックによって調整、あるいは新品と交換された。
ミサイルの在庫はまだ残っているし、栄養補給と休養を交代で終えたので戦意も十分だ。
それでも、この知らせを聞いた時の衝撃は半端な物ではなかった。
ニーナでさえかなりの衝撃を受けて、一瞬惚けてしまったほどなのだから、身の危険を感じている人物にとってはもはや想像を絶する破壊力であったようだ。
その証拠に、虚ろな視線で辺りを見回し、簡易・複合錬金鋼を持つ手から力が抜け、切っ先が大地へと接触している。
そう。衝撃を受けているのは、ニーナの指揮下に入っているナルキである。
表情が抜け落ち、生気を全く感じさせないその虚ろは全てを諦めているようにも見えるし、全てに悟りを開いた修行僧にも・・・・・見えない。
どう修正しても、生ける死体以外の何物でもない。
「は、はははははは」
呼吸する虚ろが、冷たく乾ききった風が吹くように笑う。
そのあまりの不気味さに、ツェルニの小隊員が恐れ戦き後ずさる。
思わずニーナも、三センチほど後退してしまったほどに不気味である。
「やはりこの世は地獄。強ければ死に弱ければ食われるんだ」
意味不明な音の羅列が、暖かいはずの日差しを掻き消し、背筋に悪寒を走らせる。
そして、ゆっくりとぶら下げられていただけの刀を持ち上げる。
その刃は自らの首筋へ。
「ああ。私はあの世で幸せになるよメイシェン、ミィフィ」
絶望という名の笛が吹かれ、死への渇望という旋律が奏でられる。
そこに光はなく、ただ闇だけが存在していた。
「済まない。私に代わってみんなに謝っておいてくれ」
躊躇することなく、刀が首筋を切り裂こうとする。
精神力の全てを投入して、この事態を何とかするべく行動する。
レイフォンが帰ってくるまで、ツェルニを守ると自分に誓ったのだ。
それはつまり、レイフォンの親しい人達を守ると言う事。
ナルキを、自分自身から守るために、必死に声を絞り出す。
「お、落ち着けナルキ!! 死んだら全てが終わりだ!! 生きていれば、きっと良いことだってあるはずだ!!」
「生きていて、何か良いことがありそうですか? この展開で?」
「・え、そ、それは」
瞬時に切り替えされて言葉に詰まる。
普通に考えれば、サヴァリスのお嫁さんとしてグレンダンに連れて行かれ、そして血も凍るような恐るべき経験をすることになる。
どんな経験をするかは分からないが、楽しいことがあるとはどう考えてもないと思う。
それは最初から分かっていたはずだというのに、後先考えずに突っ走ってしまった。
ニーナは、相変わらずニーナだったようだ。
「シャーニッドォォォォ」
「はいはい」
困った時のシャーニッド頼みが最近のトレンドだ。
この男なら、きっと何とかしてくれる。
その確信と共に頼ってみたのだが。
「今のグレンダンにいる天剣授受者って、レイフォンがいないから十一人だよな?」
「ええそうですよ。念威繰者が一人いますが、天剣授受者の念威繰者なんて、どんな生き物か解りませんからね」
何故か持ち出したのが、現在グレンダンにいるだろう天剣授受者の数。
ナルキの瞳から光が失せ、魂まで暗黒に支配されたことがはっきりと分かった。
これは駄目かも知れないと、そう思った矢先だった。
「でさあ。あの世って物があるとしてさぁ」
「有ったら良いですけれど、この世じゃなければ何処でも良いですよ」
「その、あの世にいないのかね? お亡くなりになった天剣授受者って?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
徐々に、しかし、確実に、ナルキの周りに暗黒空間が広がって行く。
そこに一切の光はなく、ただ、何処までも続く暗い世界が広がっていた。
いや。星の瞬きのような光が見えるような、見えないような。
七色の乱反射も、見えるような見えないような。
まあ、それは今はどうでも良い。
問題なのはナルキの方だ。
これでとてつもない量の不安が存在していることがはっきりとした。
この世から退場しても、そこに安楽な生活は存在せず、もしかしたら、今以上の地獄が用意されているかも知れないのだと。
歴代の天剣授受者が何人いるか分からないが、十人以下と言う事は考えられないだろう。
「ああ。そうだったのか」
絶望という笛が奏でる、死への渇望と言う旋律の先にあったのは、それでも生温いとばかりに燦然と輝く絶望だった。
全身から力が抜け、重い刀が大地へと投げ出される。
へたり込んだナルキを救う方法など、この世に存在していない、そう思われた。
「だが安心しろナルキちゃん。その地獄をぶち壊す方法ならある」
「あるんですか? 死ぬことさえ出来ない地獄から抜け出す方法が?」
「ある!!」
力強く吠えるシャーニッドには、本当に良い案があるようだ。
それが分かったのだろう、ナルキの瞳に力が戻り、取り落とした刀を再び手に取り立ち上がる。
だがしかし、それはもしかしたら聞かない方が良かったのかも知れない。
「天剣授受者を越える強さを手に入れれば良いんだ!!」
「・・・・・・・・・・・・・。ああ。私には絶望がよく似合うんですね」
無理である。
天剣授受者と言われて思い付くのは、レイフォンとサヴァリスだが、どちらか片方と戦って勝てる見込みなどこの世に存在していない。
それはシャーニッドも分かっているはずだ。
少し前、遊び半分のサヴァリスに満足して頂くのに、どれほどの地獄を見たか、忘れたとは言わないだろう。
だが、それでもシャーニッドは止まらなかった。
「諦めるなナルキちゃん!! 君は一人じゃない!! この胸の中に味方がいるじゃないか!!」
そう絶叫したシャーニッドが、勢い良く腕を伸ばして、ナルキの胸を鷲掴みにする。
・・・・・・・・・・・・・・・。
今起こっている現実を認識するのに、一瞬以上の時間が必要だった。
あろう事か、大衆の面前で、ニーナの小隊員が、女生徒の胸を、鷲掴みにしているのだ。
「・・・・あ。え、えっとな、あのな、だからね?」
状況を認識できなかったのはシャーニッドも同じようで、鷲掴みにした手をそのままに混乱の坩堝へと墜落してしまっていた。
そんな目の前の光景とは別に、ニーナのすぐ横で、殺意が爆発寸前までふくれあがる。
金髪を縦ロールにした、ニーナの小隊員の形をしたそれは、しかし、タコによって静止させられていた。
タコの命も風前の灯火だと思うのだが、今問題にしなければならないのは、最大の問題であり、発端であり、胸を鷲掴みにされている女生徒である。
そして、遅ればせながらニーナも理解した。
ナルキの中には廃貴族という、狂える都市の意志がいることを。
廃貴族の力を借りることが出来るのだったら、あるいは天剣授受者を越える強さを手に入れることも出来るかも知れない。
そこにニーナは希望を見いだした。
そして、シャーニッドも希望を見いだしたのだろう。
だが、ナルキだけは違った。
「無理ですよ? 廃貴族は確かに凄いですけれど、天剣授受者を相手にするなんて、私が無理ですよ」
少し言葉が怪しいので、一呼吸おいて考える。
ついでに、胸を鷲掴みにしたままだったシャーニッドの手を、強引に降ろさせる。
シャーニッドの手を握りつぶしたい衝動と戦いながらだったが、そこからナルキの言葉を理解することが出来た。
「つまり、剄量は同程度になったとしても、それを操る能力が追いついていないと言う事か?」
「ええそうですよ? 錬金鋼が壊れないようにするだけで手一杯なのに、レイフォンみたいに卵の殻を割らないように絵を描くなんて、とうてい出来ませんからね」
話には聞いていたし、実際に見てもいるが、卵の殻を使った悪戯書きにどんな意味があるのかは全く分からない。
技量の凄さは分かるのだが、やる必要性が全く分からない。
だが、制御の訓練だというナルキの言葉を信じるならば、十分に凄い技術だと表現することは出来るだろう。
当然のこと、ニーナには出来ないし、ツェルニ武芸者で出来るのはレイフォンだけだろう事は間違いない。
「そこだナルキちゃん!!」
ニーナに腕を捕まれたままだったシャーニッドが、更に咆哮する。
その勢いは、一瞬前までの混乱の坩堝にいた時とは偉い違いだ。
腕ではなく、頭を握りつぶしたら気分が良くなるのではないかと思ったが、話の途中なので延期することとする。
「レイフォンという、人類最強の制御能力を持った武芸者が側にいるんだ。そしてナルキちゃんはそのレイフォンに師事しているんじゃないか!! だったら、レイフォンに近付いて、越えることだって出来るはずだろう!!」
これも正論であるように思える。
レイフォンの能力を、例え縮小再生産品だったとしても、身につけることが出来れば希望はある。
だが、この論理でさえナルキには届かなかった。
「・・。ああ。シャーニッド先輩。貴男は分かっていないんですね、レイフォンの変態さ加減が」
「へ?」
思っていたのと違う反応だったためだろうが、シャーニッドの勢いがいきなり消失する。
それはニーナも同じだ。
レイフォンという人類最強の武芸者に師事しているナルキならば、何時かそれを越えることだって出来るかも知れない。
ニーナだったらそう考える。
いや。そう考えて自分を奮い立たせる。
だが、ナルキの反応は明らかに違った。
「レイフォンに師事して二年近く。強くなれば成る程差が開いて行くような感覚に襲われ続けるんですよ? 凄さを実感できるというとしっくり来ますかね?」
そう言いつつ、とうとう座り込んで落ち込みが激しくなるナルキ。
もはや絶望という名の彫刻と言う事さえ憚られる、それは虚無の局地を見た人間の姿だった。
思い返せば、レイフォンの修行メニューは、ニーナからすれば訳の分からない物が多かった。
錬金鋼の外に剄を留めておいて大威力の技を使うとか言う、現実味のない技の訓練をやっていたところも知っている。
普通の武芸者は、錬金鋼が壊れるような剄量を持っていないから、そもそも必要がないのだが、今のナルキには必要だろう。
だが、それをナルキ本人は体得できていない。
レイフォンに師事しているにもかかわらずだ。
それはつまり、師弟の間には想像を絶する技量の差が存在し続けていると言う事である。
いや。もしかしたら、錯覚ではなく、本当に開き続けているのかも知れない。
となれば、シャーニッドの、レイフォンに追いつけ追い越せ戦法は、最初から破綻していたことになる。
「・・・・・。え、えっっと、ニーナ?」
「わ、私に振るな!!」
シャーニッドでも駄目だった。
こうなったら、もはや頼れるのはカリアンしかいない。
カリアンの政治力でナルキをツェルニに留めておいて貰う。
これしかない。
そう決意したニーナは、手近にいた念威繰者を通して、カリアンと連絡を取るのだった。
その身に廃貴族を宿していると思われる少女が、絶望の果てに旅立つ姿を眺めつつ、木の枝で惰眠を貪るのに飽きたディックは、そろそろ動き出そうかと考えていた。
別段目的があるわけではないが、眠気覚ましに軽い運動がしたくなったのだ。
そう。戦う相手がそろそろやってくる。
「彼奴らも気合い入れてやって来るつもりか?」
そんな気配がする。
狼面集には、おそらく実体と呼べる物はない。
だからこそ、条件がそろえば何処へでも現れる。
まるきりゴキブリのような連中だが、だからこそ眠気覚ましには丁度良い。
ここにはディックを番犬と呼ぶいけ好かない女もいることだし、少しだけやる気も出てきた。
だが、当面は汚染獣の仕舞われているカプセルの方に注意を向けておく。
絶望の果てへと旅立った褐色の武芸者を覚醒させるのは、もしかしたら汚染獣かも知れないから。
「いや。あの状況じゃあ汚染獣と戦うのも無理かもしれねえ」
この世に留まっても、あの世に旅立っても、天剣授受者との縁は切れないという危険性が高まった少女は、全てにおいて無気力になり果ててしまっているかも知れない。
廃貴族という力があったとしても、それを使う武芸者が無気力ではおそらく意味がない。
あるいは、廃貴族に操られる人形となり果てるか。
ここまで考えて、ふと思う。
「無気力になっているんだったら、あれを俺の物に出来るかもしレねえ」
少女がでは無い。
廃貴族である。
もしディックが廃貴族を奪うことに成功すれば、あの少女は天剣授受者との縁を切ることが出来るし、廃貴族にとっても使ってくれる人間と一緒にいる方がよいだろう。
ディックの強欲が、珍しく問題を解決する方向へと働いているように見える。
「こいつは珍しい」
本人でさえ感心するほどの珍しさである。
となれば話は簡単である。
無限の絶望へと旅立った少女が、無気力に事態に流されてさえくれれば、全てが丸く収まる。
「と言うわけだから、汚染獣を見つけても何もするんじゃねえぞ」
他力本願的に強欲を発動させたディックは、いるはずのない神に祈ることとした。
無駄だとしても、金はかからないので気にしない。