それは、ある意味異常な光景だった。
本来ならば、カリアンとのやりとりをするのは、アルフィスの生徒会長であるはずだったが、何故か武芸長という男性が応対の全てを取り仕切った。
それは越権行為だとニーナは思うのだが、もしかしたら、アルフィスでは武芸長が武芸大会を仕切ることになっているのかも知れないと思い、何も言わずに一通りのやりとりが終わるのを見守った。
濃い茶色の髪と鋭い目つきをした武芸長は、確かにやり手であろう事が分かったし、生徒会長の陰の方が薄かったのは認めるが、違和感をぬぐうことは出来なかった。
試合開始は正午と決まり、各々がそれぞれの準備へと取りかかる。
マイアス戦では、打撃部隊が休息を取るための時間を稼ぐという役割を存分に果たしたニーナだが、今回は試合開始直後に突っ込んでくると予測される部隊を迎撃するという任務を負っている。
ここで崩れてしまえば、戦いそのものに悪影響を与えかねない重要な役だと念を押されている。ニコチン中毒で身動きできないウォリアスからそう聞かされるという、少々反応に困る展開だったが、それでもやるべき事がはっきりと分かっている以上、全力を尽くすのがニーナだ。
指揮下に入ることになった部隊を見渡す。
見知った顔ぶれと言えるのは、ダルシェナとナルキ、そして何故か第十四小隊の面々だ。
とても良い笑顔のシンと目が合ってしまった。
別段プレッシャーを与えるつもりはないのだろうが、この自分を使いこなして見せろと無言の圧力をかけられているような気がしてくる。
何しろ、一年程前まではニーナこそがシンの指揮下に入っていたのだ。
逆転しているというと聞こえは良いが、マイアス戦での暴れ方を考えれば、出来るだけ単独行動をさせたくないという上層部の考えには共感できる。
ウォリアスは違う見解のようだったが、見ていて危機感を覚える暴れ方をされるのはとても胃に悪いのだろう事は理解しているらしい。
ニーナだって、シンの戦い方を肯定することにはかなりの苦痛を感じているのだ。
そこまで分かっているからこそ、シンがとてもにこやかにニーナを見ているのだとしたら、それはつまり、首輪をはめられる物ならはめてみろと、そう挑発していることになる。
恐るべき重圧に背骨がきしみを上げそうだが、それを精神力で何とか跳ね返さなければならない。
「だが」
ニーナがやることになった作戦行動は、更なる負担を強いる物だった。
それだけ上層部に期待されていると思えばやる気も出てくるが、ニーナにとって恐ろしく難しい課題であることも事実だ。
だが、やらなければならない。
何よりも、シンを暴走させないために。
ニーナが決意を固めた瞬間、大会を開始するサイレンが鳴り響いたのだった。
派手なサイレンの音と共に、接岸部に待機していた双方の武芸者が雄叫びを上げつつ激突する姿を眺めつつ、サヴァリスはサンドイッチをつまみつつツェルニの旗を背に日向ぼっこと洒落込んでいた。
別段、食べ物に興味はないのだが、ニコチン中毒だという細目の武芸者に強引に持たされたのだ。
ツェルニに来てから仕入れた情報が正しいのならば、細目の武芸者こそがレイフォンを使い、僅か一日で二期の老性体を始末した参謀と言う事になる。
知略を尽くした戦いという物がこの世に存在していることは理解しているが、サヴァリス自身はそれに価値を見いだしてはいない。
いや。正確に表現するのならば、価値を見いだしていなかったとそう表現することになるだろう。
「ふむ」
薄く切ってトーストしたパンに、卵が挟まったサンドイッチを噛みしめつつ眼下で行われている戦いを興味津々と観察する。
双方前衛が力任せに激突しているように見えるが、それが完全に出来レースであることが分かる。
ツェルニ側が手を抜いているのだ。
その証拠に、開始されてからこちら、その場に留まることを最大の目的としているように積極的攻勢には出ていない。
これで、力不足で出られないというのだったら話は分かるのだが、明らかに、何人かは実力を全く発揮せずにその場に留まり続けている。
アルフィス側がこの事実を理解しているかどうかは別だが、ツェルニ側は明らかに次の一手に誘い込むためにその場に留まっている。
「これはこれで楽しそうですね」
もちろん、老性体との戦いを例に出すまでもなく、サヴァリスにとって技量と剄量と精神力を全て注ぎ込んだ、死合こそが最上ではあるのだが、そこに知恵という物が加わったらどうなるのかを見てみたい。
そしてその答えの一端を示しているのが、あの細目の武芸者だ。
いや。彼が所属している研究室だ。
条件付きならばレイフォンにさえ勝つことが出来るという、ある意味脅威の能力を持っているらしい。
実際にその場に遭遇したことはないが、ここはツェルニだ。
サヴァリスを連戦連敗に追い込んだ恐るべき乗り物が存在している以上、何が有っても何ら不思議ではない。
「僕も留学すれば良かったですかね?」
無理なことは分かっているが、世界はこうも驚くべき刺激に満ちあふれているのだったら、少しの無理をしてでもグレンダンから出るべきだったかも知れないと、そう考える。
だが、それでも分かっているのだ。
グレンダンと同じだけツェルニが異常であると言う事は。
そうでなければ、レイフォンがいるはずはないし、天剣授受者を叩きのめす乗り物が存在してるわけがないのだ。
ならばやはり、ツェルニに留学すべきだったのだとその結論に達する。
ほんの少しだけ不運を呪いつつ、五個目のサンドイッチを口に放り込む。
そのサヴァリスが見ている先では、ツェルニ第二陣がゆっくりと慎重に左右に分かれて行く光景が広がっていた。
突出した敵部隊を左右から挟んで殲滅するのかとも思ったが、第一陣がゆっくりと後退して行くところを見ると、もう少し凝った嗜好で戦ってくれるようだと見当を付ける。
ニコチン中毒の武芸者の頭から出てきた戦場が、今、サヴァリスの前に出現しようとしている。
戦いつつ後退してアルフィス第一陣を懐深く引き寄せる。
後退しつつ戦線を維持することがこれほど大変だとは思わなかったが、それでもニーナは出来うる限り的確と思われる指示を出しつつ、指揮下に置かれた部隊の隅々に視線を飛ばす。
本来ならば、最前線で戦いたいところだが、指揮官は指示を出す職業だと言うことを色々な人達から教わった。
汚染獣戦でのヴァンゼの的確な指揮に比べれば、遙かに見劣りするだろうが、それでもなんとか後退しつつ戦い続けられている。
気が付けば、ツェルニ第二陣がニーナが指揮する部隊の両脇に出現していた。
その部隊と連携しつつアルフィス第一陣の進撃を食い止める。
この場で勝てない程強いわけではない。
いや。第一陣同士が正面から戦えば、明らかにツェルニが勝っていた程度の強さだ。
だが、それとこれは話が違うのだ。
今やるべき事は一武芸者としての戦いを極めることではなく、指揮官としての経験を積むこと。
そう自分に言い聞かせたニーナは、前へと出ようとする自分を押さえつけてほころびかけた場所へとシンの第十四小隊を送り込み傷口を塞ぐ。
「もう少しだ!! もう少しで我々は勝つぞ!!」
指示を出すついでに声を張り上げ、実力を発揮できないで苛立っているらしい部下達を押さえつける。
ここで突進してしまったら、全体の計画が崩れて負けることだってあり得る。
それが分かっているからこそ、ニーナ自身も自分を押さえつけて戦線を維持することだけに全力を注ぐ。
目の前の戦いに勝つことだけならば、何の問題も無くやれる。
だが、その勝利が武芸大会の勝利に結びつくかは全く不透明だ。
だからこそニーナは現状維持に必死になる。
そしてその瞬間は来た。
「今だ!!」
予め伝えられていた作戦構想は簡単だ。
アルフィス側が突進してきたら、出来る限りツェルニ側が戦力を集中してこれを押しとどめる。
突進してきた部隊が疲れたら、次の部隊と入れ替わるための一瞬の隙を突き、攻撃力を集中させて出来る限り削る。
接岸部での戦闘はこれを基本とする。
もう一つ、状況が変わった場合の作戦も用意されているが、それを何時発動するかはニーナには分からない。
アルフィス側次第だからだ。
ひたすら忍耐を続けるニーナの指揮が功を奏したのか、アルフィス側は大きな被害を出しつつ部隊を後退させる事に成功する。
力任せに押し返すよりも、ツェルニ側の消耗が少ないことを主眼に置いた戦術は、最初の一撃と言う事もあり予想以上の成果を上げているようだ。
だが、二度目以降は効果が薄くなるだろうし、何度もやっていれば確実に対抗手段を取られる。
その時、力任せの攻撃で相手を撃破する。
そう。アルフィスの戦力を削るだけではなく、ツェルニの武芸者にストレスを与えて、いざという時の攻撃力を増そうという作戦だ。
そして、それに対応するためにアルフィスが行動を変化させた時こそ、次の一手のために部隊を動かさなければならない。
人格破綻者ではないにせよ、性格に致命的な問題が有るウォリアスが考えただけ有り、双方にとって最も嫌な作戦であり、部隊を指揮する人間に途方もない負担をかける。
だが、アルフィスの戦い方ならば有効であり、決まった時の効果は計り知れない。
だからこそニーナは、深追いしないように指揮下の部隊にブレーキをかける。
ツェルニが勝利するその瞬間まで、全く気の抜けない戦いはまだ続く。
見ている前で、面白いようにツェルニ側が有利に立っていることを認識しつつも、サヴァリスは少しだけ退屈を覚えてきていた。
アルフィスがもう少し嗜好を凝らした戦いをすると思っていたのだが、今のところはニコチン中毒の武芸者の、掌の上で踊らされているだけである。
開始から一時間程が経過した現在に至るまで、戦場はアルフィスが押し切れずに後退する度に被害を蓄積させて行くという、最初と同じ展開を延々と繰り返しているだけなのだ。
「ふむ。これはつまらないですね」
頭上にあるツェルニの旗を見上げる。
これをちょっと引っこ抜いたら面白いことになるのではないだろうかと、ほんの少しだけ考える。
考えるだけでやらないが、そうでもしていないと退屈でレイフォンかナルキに襲いかかりそうなのだ。
だが、そんなサヴァリスを喜ばせるためではないだろうが、アルフィス側の動きが変わった。
消耗した部隊を下げつつ、今までに無い規模の戦力を接岸部からツェルニ側へと送り出す。
その中心にいるのは、他の雑魚とは明らかに違う、おそらくアルフィスの最精鋭達。
この戦力をぶつけてツェルニのこしゃくな防御を打ち破ろうという腹なのは間違いないが、これは恐らく失敗するとサヴァリスは確信していた。
なぜならば、ツェルニ武芸者は規則正しく乱れることなく迎撃態勢を整えているからだ。
明らかにアルフィスの戦術を読み切った上で全てを計画している。
「ふむ? アルフィスが莫迦なのか、それともあのニコチン中毒武芸者が凄すぎるのか、どちらでしょうね?」
サヴァリスの見ている間に、双鉄鞭を駆使して防御の要となっていた、確かレイフォンの部隊の隊長を勤めている武芸者が、視線で指示を飛ばし、その指示に従った部隊がゆっくりと後退しつつ左右へと別れる。
左右から挟み撃ちにするつもりなのかと思ったが、そんな安直な戦い方はしないだろうとも思う。
それ以上に問題なのは、アルフィス側の最精鋭部隊が後方の犠牲を全く気にせずに、前へと突き進んでいることだ。
孤立しても問題無い強さならばこの戦い方は十分に有効だろうが、残念なことにそこまで突出した実力者を発見することは出来ていない。
それはつまり、最精鋭部隊が適地の奥深くで孤立し、そして、ツェルニ側の最精鋭部隊の集中攻撃で消滅すると言う事。
そう。目の前で行われている戦いには、決定的な違いがある。
アルフィス側は、接岸部を迂回してツェルニへと侵入している部隊があるが、ツェルニにはそんな小細工をしている部隊は存在していない。
ツェルニは防御することを主眼に置いた布陣で、全武芸者が自都市内に配置されているのだ。
戦力差は明らか。
お互いの置かれた状況から戦力差を的確に把握することが出来ていないのか、それとも、自軍の戦力を過大評価しているのか。
判断は出来ないが、それでもこの戦いの行方は見えてしまった。
少しだけ残念だ。
散々苦労して、アルフィスの最精鋭部隊とその他の連中を分断することに成功したニーナは、ここで大きく息をつくことが出来た。
「ああ。押さえるのがこれほど大変だとは思いもよらなかった」
全てはアルフィスの最精鋭部隊をツェルニ中央部へと誘導するため。
そこに待ち構えているヴァンゼとゴルネオに指揮された、文字通りツェルニ最強部隊とつぶし合わせるために、散々苦労して何度も暴発しそうになる味方を、心血を注いで止め続けた。
だが、もうそんな気苦労は要らない。
「良く耐えた!! もはや我々の前に敵など存在しない!! 存分に蹂躙しろ!!」
そのニーナの声を聞いた指揮下の部隊は、その全ての、武芸者の目の色が変わった。
もはや、弱いふりをして前線を支えるだけというつまらない仕事から解放されたのだと。
この後は、全力で相手を蹴散らしてアルフィスに勝つことが出来るのだと。
鬨の声を上げつつ、今までに溜まり続けた鬱憤を晴らすかのように、一時間を超える戦闘の疲れなど存在しないかのように、目の前の敵に向かって突っ込んで行く連中の先頭には、当然のこと猛禽のシンとその黒い三連星が立っていた。
外力衝剄の変化 点心・連。
剄を二重に練り続け、一秒の間に五発以上という速い速度で収束した剄弾を撃ち出すという、人間散弾銃と化したシンの攻撃で怯んだところに、黒装束に身を包んだ三人が突撃を行い、まるで机の上のゴミでも片付けるかの様に道を綺麗にして行く様は、相手に同情を覚えてしまう程凄まじい。
だが、当然のことではあるのだが、こんな攻撃が長続きするはずはない。
だからこそニーナは、シンの散弾が途切れた瞬間を見計らい雷迅で突っ込む。
それに続く部下達が第十四小隊の空けた隙間に入り込み、後続部隊が展開するだけの空間を確保する。
空間の確保が終わったところに、第二陣が入り込み完全に掌握したら第三陣が前線に出てアルフィスを蹴散らし更に前進する。
この繰り返しで最終的にアルフィスのフラッグを奪取する。
相手の出方を完全に読んでいたらしいウォリアスの、作戦のお陰とは言え、割と楽な戦いだなと思ったニーナだが、ここで油断して逆転されたのでは全てが水の泡だ。
気を引き締めて、第二陣が前に出たお陰で休むことが出来た自分の部隊を再編するのだった。
目の前に広がる恐るべき光景を認識しつつも、ヴァンゼは全力を尽くしてアルフィス部隊を迎撃し続けていた。
もちろん、根をふるって敵を薙ぎ払っているわけではない。
その都度的確と思われる指示を出して部隊を送り込み続けているのだ。
侵入した敵部隊を迎撃するのはマイアスと同じだが、シンの第十四小隊を接岸部へと回しているために、前回よりも若干戦力が少ないように思える。
だが、それは勘違いであるはずだ。
マイアス戦と違い、ツェルニ側は潜入部隊を出していない。
それはつまり、防衛部隊は前回よりも多いはずだと言うこと。
であるにもかかわらず、やや押され気味に見えてしまう。
アルフィスの潜入部隊の実力が高いというのもあるだろうが、ツェルニ側に前回程の必死さが見えないことが最も大きいだろう。
そう。今回落としたとしてもツェルニが滅びることはない。
その認識が、全体として僅かではあるのだが、戦力の低下に繋がってしまっているように見える。
「ミンスは敵戦力の排除に成功したか?」
『成功したようですが、小隊の半分が戦闘不能になりました』
「・・・半分か」
必死さが無いために、同格の相手とやり合った時には結果が顕著に出てしまう。
マイアス戦ならば、殆ど被害無く勝てたはずだというのに、今回はこの有様である。
だが、ミンスは最低限の仕事をこなした。
最低条件が、敵戦力の漸減であったのだから、全体としてみた場合は勝利と言える。
言えるのだが、素直に評価することは出来ない。
「問題は、こちらと言う事になるか」
ヴァンゼが陣取るのは、生徒会本塔の正面玄関。
こここそが、ツェルニの最終防衛ラインだと言える。
ヴァンゼの後ろにいるのは、手持ちぶさたに佇んでいるレイフォンだけである。
そう。そのヴァンゼの目の前で恐るべき事態が展開し続けているのだ。
それはアルフィスが強いと言う事ではない。
ウォリアスの予測通りの展開となっていることが、とても恐ろしいのだ。
ウォリアスの言葉を信じるならば、アルフィスには知っている人間がいて、その人物が作戦を立てているはずだから、自分の予測と大きく違うことにはならないだろうと。
だが、現実はそれどころの話ではなかった。
予測から殆ど外れることなくアルフィスの最精鋭部隊はツェルニの中央に向かって突き進みつつ、後方や横からの攻撃で戦力をすり減らしている。
接岸部でニーナの部隊を突き破った時に比べれば、その戦力は三分の二程度まで落ちているだろう。
ただでさえ、接岸部から中央部までの距離を異動するだけでも消耗するというのに、そこに、常に攻撃を受け続けてしまったのではどんな精鋭だろうと消耗する。
後ろで手持ちぶさたにしている規格外の武芸者とかでなければ、間違いなく消耗する。
これはどんな指揮官だろうと理解しているはずの事実だというのに、アルフィス側は気にすることなく一直線に中央を目指してくる。
「いや。違うな」
前提条件が違った。
アルフィスの突撃部隊は二層構造になっているのだ。
被害担当の外苑部隊と、それに守られた本当の攻撃部隊。
被害担当部隊が、その身を削って防御に専念しつつ攻撃部隊が最後の一撃のために力を蓄えている。
この状況でも十分に勝算があると判断しているのだろうが、こちらには全く無傷の二個小隊を含めた精鋭が待ち構えているのだ。
レイフォンやサヴァリスといった規格外の武芸者でなければ、十分に対応することが出来るはずだ。
ウォリアスの予測と違いがあるとすれば、二層構造になっていたことだけだし、それは十分に許容範囲内だった。
「来るぞ」
小さく呟いて、指揮下の最終防衛部隊に戦闘準備を指示する。
ここが突破されてもツェルニが敗北することはないだろうが、武芸科を統べるヴァンゼは敗北する。
そう。レイフォンを戦わせた瞬間にヴァンゼは敗北するのだ。
負けることは、許されない。
ある意味懐かしい光景と言えるかも知れない物が、目の前で展開されていることには気が付いていた。
突入部隊の外苑にいる防御専門の武芸者と、その内側で最後の攻撃力を担当する武芸者。
カウンティアとリヴァースを彷彿とさせる光景だったが、残念なことに実力差がある状況ではあまり意味がない。
防御担当の武芸者が力尽きた瞬間、攻撃担当の武芸者は殆ど無防備となってしまうからだ。
だが、この評価は少し酷なのかも知れないとも思っている。
同程度の実力者しかいないのだったら、十分ではないにせよ、余力を残して最終決戦場まで攻撃部隊を送り届けることが出来ただろう。
だが、ツェルニ側の攻撃で既に瀕死の状況である突入部隊は既に詰んでしまっている。
そしてそこに、文字通りツェルニの最強集団が襲いかかるのだ。
その後ろで半分眠っている、元天剣授受者の活躍の場はないだろう。
「ふむ」
ゴルネオとそのお嫁さんがまず先制攻撃を仕掛け、瀕死だった防御部隊に止めを刺した。
間髪入れずに巨大な剣だか銃だかを担いだ武芸者が突入し、攻撃部隊の隊列に大きな穴を開ける。
隊列を乱されたためだろうが、元々攻撃力重視だったために各個撃破の憂き目にあうのは当然のことだ。
だが、ただではやられまいとして生き残りの突入部隊は必死の抵抗をしている。
もしかしたら、アルフィス側の潜入部隊が駆けつけるまでの時間を稼いでいるつもりかも知れないが、そんな物は既に存在していない。
むしろ、ツェルニ側の防衛部隊が集まりだしている。
この状況になってしまってはもはや弱い者虐めでしかない。
相手の手の内を読み切り、必要にして十分な体制を整え、そしてそれを実行して勝利を得る。
簡単なようでいてそれがどれほど難しいかはサヴァリスとて理解しているつもりだ。
もし簡単だったのならば、アルシェイラやリンテンスにだって勝つことが出来るはずだという認識ではあるが、一応理解はしているのだ。
「となると、あの武芸者が凄いと言う事になるのかな?」
疑問系になったのは、あまりにも打つ手に無駄がなさ過ぎたからだ。
最初から手の内を知っていたかのように全てを整えて、そして実行する専門家に丸投げして勝利してしまった。
これが異常な事態であることも、やはり理解している。
そして、アルフィス強襲部隊が全滅した頃合いになってツェルニの勝利を知らせるサイレンが鳴り響いたのだった。
凱旋するつもりだった。
今年行われる武芸大会に全て勝ち、そしてその実績を持って故郷へと凱旋するつもりだった。
だが、その計画は二戦目にして完全に潰えてしまった。
第一戦は文句なく勝つことが出来た。
相手の実力はそれなりに高かった。
基本的な戦術も問題無かったし、指揮する人間も十分に優秀だったとそう評価できるのだが、それでも勝つことが出来たのは最精鋭による中央突破戦術が正しかったからなのだと、そう確信していた。
二戦目のツェルニにも同じ手を使って勝つつもりだった。
だが、蓋を開けてみれば、完璧に手を読まれていたとしか思えない程完璧な敗北に終わった。
中央突破戦術の要はなんと言っても、最前線を任される最精鋭だが、その後に続く本隊の援護も重要だ。
本隊が躓いてしまったら最精鋭は敵中に孤立してしまう。
そして、躓いた本体と再合流することは出来ない。つまりは敵中での孤立。
孤立してしまったら、いくら優秀だと言っても全方位からの集中攻撃を受けて何時かは全滅する。
だからこそ、何度か戦い相手の戦力を把握して十分に対応できると判断したはずだった。
だが、後に続くはずの本隊は接岸部で粉砕され、アルフィスへのツェルニ側本隊の侵入を許してしまった。
完璧だった。
「何故だ」
小さく独りごちる。
疑問ではない。
あえて言うならば、それは愚痴。
だが、答えが返ってきた。
「指揮官になったからだよ」
「!!」
廃残の身を引きずるようにアルフィスへと帰る道すがら、殆ど無傷なツェルニ武芸者の間からその答えはやって来て、そして、ランディー・ハーリスの胸を撃ち貫いた。
聞き覚えのある声だった。
他の都市の人間には理解できないだろう程複雑な関係ではあるが、五歳年下の弟の声だった。
声を頼りに首を回してそして細い眼と適当に首の後ろで縛った黒髪という、五年半前と同じ姿の弟を目視確認した。
「ウォリアス」
「五年半ぶりだね、兄さん」
勝ち誇るでもなく、ただ事実が淡々とそこに存在しているだけだった。
そして、この瞬間になってやっと納得が行った。
今回の敗北は、都市運営シミュレーターで対戦した時に、ウォリアスがよく使った、極端な防御重視の戦術そのものだったと。
細かいところは幾つも違っているが、全体の流れとして既視感を持っていたが、ウォリアスが大きく関わっているならば納得が行く。
ウォリアス自身がツェルニに居ると言う事は知っていた。
だが、今年入ったばかりであり、とうてい武芸大会に大きく関わることが出来ないと、そう結論付けていた。
それこそが油断だった。
だが、ウォリアスが言う指揮官になったから負けたという認識を認めることは出来ない。
「僕らは参謀にはなっても良いけれど指揮官にはなるな。じいさんが口が酸っぱくなる程そう言っていたのを忘れたの? それとも、覆したかった?」
複雑な関係で繋がっている戦略や戦術の師と呼べる祖父を思い出す。
当然のこと、言われたことは覚えている。
だが、それでも納得が行かなかった。
だからこそ、アルフィスで武芸長となり勝利を重ね、そしてレノスに帰り指揮官としてもやって行けるのだと証明したかった。
「戦場全体を見ることと、部隊をきちんと動かすことは全く違うことなんだよ。準備をするのが参謀で実行するのが指揮官。双方出来る人間は極めて希で貴重で僕達にその能力はない」
いや。五年半前とは明らかに違うところがある。
明らかにウォリアスの視線には圧力があり、そして、その身に纏う雰囲気は。
「おまえは!! おまえは!!・・・」
「そう」
身の毛がよだつ恐怖をこの時はっきりと認識した。
ウォリアスは、既に自分の人生を生きられなくなっているのだと。
武芸者として決定的に弱者であったために、一族の多くから邪魔者として扱われたウォリアスは、禁断の箱を開けてしまったのだと。
「もう、レノスには帰れない。餞別代わりにもらった」
気楽そうにそう言っているが、その細い瞳から微かに敵意を感じる。
それは、比較的優秀だったランディーに対する物なのか、それともレノスに対する物なのか。
そして、この瞬間になって、やっと負けたことを受け入れることが出来た。
元々剄脈に問題のあったウォリアスは参謀としての能力を極端に磨いていたが、今は既に人でさえなくなりつつあるのかも知れない。
こんな化け物と戦ったのだから、負けるのは当然だとそう納得してしまった。
「帰ったらみんなによろしく言っておいて。僕は適当に生きて行くからって」
「・・伝えよう」
そう声を出したランディーは、精神力を総動員して背筋を伸ばしてアルフィスへの道を歩く。
負けた責任は武芸長であり、中央突破戦術の考案者であり、更に最精鋭を指揮したランディーが取らなければならないのだ。
ウォリアスの言うことに納得はしていないが、それでも指揮官として最低限の仕事はしなければならないのだ。
目の前で兄弟の邂逅を見送っていたディンだったが、幾つもの疑問が残っているのを確認していた。
いや。合うべくして合ったのだから邂逅とは言わないだろうか?
「お前の兄だったのか」
「あちらさんは剄脈も大きくて将来有望な武芸者。こちらさんは予算を食いつぶすだけの駄目人間ですけれど」
「・・・。そうか」
本来優秀な武芸者を外へ出すことは殆どないのだが、レノスなりの事情があるのだろうと当たりを付ける。
都市を上げて古い資料を漁り尽くすというおかしな習性をもったレノスならば、優秀な武芸者を外に出して情報収集させると言う事くらいはやるだろうとも思えるからだ。
だが、ほんの僅かに垣間見えたアルフィスの武芸長に対する敵意は恐ろしく鋭利であり、何よりも冷たかった。
ディン自身よりも年下の少年が発するにはあまりにも洗練されたその敵意は、ある意味ウォリアスという異常者を象徴する物なのかも知れない。
だからこそ、向けられた相手はそれ以上の会話を拒絶するかのように背筋を伸ばし、立ち去ったのだとも考えられる。
とは言え、これ以上個人的な事情に踏み込んで良い物かどうかは分からないので、話題を少し変えることとする。
外見的に全く似ていないところを見ただけでも、かなり複雑な話だろう事は容易に想像できるから。
「まあ、今夜も祝勝会だ。これで二勝したのだし少しだけのんびりするとしよう」
「流石にこの後汚染獣との一戦なんかは起こらないでしょうからね」
冗談めかしてそう言うウォリアスだが、実はあまり冗談になっていない。
今年、ツェルニが遭遇した汚染獣の数を考えれば念のための準備はしておいた方が良いだろうとさえ思えるのだ。
レイフォンが全く消耗していないしサヴァリスもいるのだから、相当の奴とやり合わない限りは大丈夫だと思うが、念のために。
アルフィス側で戦っていた部隊が三々五々帰ってくるのを眺めつつ、もう一戦くらいして鉱山の予備をもう少し確保しておきたいという欲も出てきたディンだった。
だが、その前にやることがあるのだ。
金髪縦ロールの、燃え盛る武芸者が帰ってきたのならば、夜を徹しての宴会を開かなければならないのだ。
それが少しだけ、ほんの少しだけ心を重くするディンだった。