ツェルニが勝利を収めたその夜に、レイフォンは戦慄を覚えていた。
深夜になっているというのに、ツェルニ生徒の興奮は一向に収まる事を知らず、繁華街からは大勢のさんざめく声が聞こえてきているが、外縁部に近いここは静寂を保っている。
だが、その静寂は何時破裂するか分からない緊張を孕み、そして何よりもレイフォンを取り巻く環境が静かな展開など全くもって約束してくれていない。
後ろにいるのは、褐色赤毛の武芸者であり、ある意味弟子と呼ぶ事が出来る少女だ。
何時も勝ち気ではっきりしている少女が、レイフォンの背中に隠れ、必死にその服を掴んで助けを求める姿に、何か普段とは違う物を感じてしまっているような、いないような。
そして、前にいるのはグレンダンからの使者サヴァリスだ。
何時も以上に深い笑みを湛えたその表情は、これから何が起こるのか楽しみにしている少年のそれである。
期待しているのが、お祭りとかの平和的なイベントでない事が、決定的に違うかも知れない。
いや。ある意味お祭りかも知れない。
血祭りという、とても平和的ではないお祭りに招待されかけているのだ。
そして、逃げ場は存在していない。
リーリンに何とかしろと言われたという事実もあるが、レイフォン自身が出来るだけの事をしたいと思っているのだ。
半泣き状態で腰が抜けたミィフィを、ウォリアスが背負って帰ってきてから既に四時間ほどが過ぎ去っている。
そのミィフィとウォリアスを交えた宴会が終わってからでも、既に一時間以上が経過しているはずだ。
出来れば、あのまま部屋へと帰って眠ってしまいたかったのだが、生憎と問屋が卸してくれなかったのだ。
そう。とても熱烈な視線でナルキを見詰めるサヴァリスを認識してしまっていた以上、あのまま帰って眠ってしまうと言う選択肢は存在していなかった。
それでも、宴会が終わるまで待ってくれたサヴァリスの気遣いに感謝すべきかも知れないと、ほんの少しだけ思ってしまったが、そんなレイフォンにお構いなく話は突き進む。
「ああ。僕とナルキの愛を妨げようとしているとは、罪作りな男だねレイフォン?」
「・・・・。それ、微妙以上に言葉の使い方が間違っていますからね」
正確を期すならば、微妙などと言う可愛らしい表現ではないくらいに違うのだが、そこを突っ込んでいると話が先に進まないのも事実なので、これくらいで受け流す事とする。
ゴルネオから、もしかしたら廃貴族を狙ってサヴァリスが来たかも知れないと言う情報をもらっている以上、下手な事をすれば即座に死につながる程度の覚悟はしている。
とは言え、いきなり愛などと言う単語が出てくるとは思わなかった。
「僕とナルキは、愛という絆で結ばれているんだよ? それを邪魔するというのだったら例え陛下の命に背く事となっても、レイフォン。君を殺すよ?」
「・・・・・・・・・・・。サヴァリスさん」
ここで気が付いた。
サヴァリスは愛という単語を乱用したいのだと。
何が原因か分からないが、単語自体がとても気に入ってしまっているのだ。
だからこそレイフォンは言わなければならない。
「貴方が愛しているのはナルキじゃないでしょう」
「うん? 僕はナルキを愛しているよ。心の底から愛しているからこそ殺し合いたいんだよ」
流石にサヴァリスだと、そう表現できるだろう。
恐怖のあまり小さく痙攣したナルキの手を、そっと外してサヴァリスに相対する。
言うべき事は既に決まっている。
だからこそ、指を突きつけて絶叫する事が出来る。
「貴方が愛しているのはナルキじゃない。殺し合いそのものを愛しているんだ!!」
「な、なんだって!!」
そう。サヴァリスはナルキを愛しているのではなく、心の底から楽しめる殺し合いを愛しているのだ。
たまたまその標的がナルキになっただけの事でしかない。
ならば話は簡単である。
サヴァリスの間違いを正して、彼なりの平常へと戻ってもらえばいいのだ。
だが、結果的に甘かった。
自らの間違いを指摘されて硬直していたサヴァリスの視線が、少しだけ理性を取り戻す。
いくら戦闘愛好家だと言っても、この程度の事は出来るのだと言う事を知ったが、その認識さえも甘かった。
「なんだそうだったのか。と言う事でやはりレイフォン。僕と殺し合おうよ」
「・・・・・・。めげませんね」
「うん? めげている時間なんか僕にはないんだよ」
硬直したのは、まさに一瞬。
瞬時に平常運転へと戻ってしまったサヴァリスは、やはりレイフォンとの戦いを所望なさった。
極限に前向きな戦闘愛好家だと、そう表現できるかも知れないが、全くもって嬉しくない。
なぜならば、ほっとした気配を背中に感じるし、躍動的な剄の高まりも前方に感じるからだ。
これこそは、前門の虎後門の狼というのだろうと確信する。
だが、その剄の高まりが瞬時にして消失した。
あまりにも唐突な展開で、思わずサヴァリスに斬りかかりそうになる身体を何とか留める。
「と言いたいところだけれど、やはり陛下の命令は実行しておかないと後が面倒だからね」
「何しに来たんですか貴方は?」
てっきり廃貴族を確保するために来たと思っていたのだが、なにやら別な用事があるらしい事にやっと気が付いた。
用心しつつ、戦闘状態の精神はそのままに、少しだけ話を聞く体制へと移動する。
油断など出来はしない。
「絶叫マシーンとか言うのに完膚無きまでに叩きのめされた記事を読んだ陛下がね」
「・・・。ああ。あれですか」
既に遙か過去の出来事としか思えないのだが、実際問題として、老性体などよりも遙かに恐ろしい絶叫マシーンに殺されかけたのだ。
その記事はルックンで掲載され、ツェルニで知らぬ者のいない珍事として記憶され続けている。
出来れば、全生徒の記憶を抹消したいくらいなのだが、生憎とレイフォンにその手の芸は出来ない。
そしておそらくではあるのだが、リーリンの手によってグレンダンに知らされたのだ。
正確を期すならば、シノーラと名を変えたアルシェイラへと。
「あまりの情けなさにレイフォン抹殺指令が出たのだけれどね」
「どんな写真を撮られたのか未だに知らないですね」
ミィフィの事だから、きっと恐るべき情けない写真を撮り、それを堂々と掲載したのに違いないと分かっていたから、未だにルックンは表紙を見るだけで遠ざかるという生活を送っている。
ルックンを破り捨てるとか言う話ではなく、レイフォンが逃げるのだ。
破ったところに、自分の写真が現れる事が怖いから。
「グレンダンにない絶叫マシーンとか言う物がどんな物か、ほんの少しだけ興味を持ってね」
「グレンダンは、本当の意味で僕にとって天国だったんだ」
戦っていれば良かった。
多少頭が悪くても問題無かった。
絶叫マシーンなんて物もなかった。
天国から追放されてしまったがために、レイフォンは苦労しているのだと、改めて理解した。
全て自分の責任である。
「でだね。僕がその絶叫マシーンとやらを体験して、怖かったら手を出すなと命じられているんだよ」
「・・・・・・・・・・。意地でも怖くなかったと言って、殺し合うつもりですね」
「うん? そんな事はないよ。陛下がヘマをしたせいで半殺しまでだと釘を刺されてもいるからね」
あのアルシェイラがどんなヘマをしたかについて興味があるが、問題はそこではないと強引に目を背ける。
そして考える。
あの恐ろしすぎる敵に挑みかかり、サヴァリス・クォルラフィン・ルッケンスが無傷で済むのかを。
おそらく無理である。
レイフォンがヘタレだと言う事もあるだろうが、自分の思う通りに動けない機械に乗せられるというのは、特に、武芸者にとっては致命的に不快で恐ろしい体験なのだ。
ならばと考える。
傷を負っているサヴァリスなら、楽に殺れる。と。
「・・・・・・・・・・・・。ああぁ」
恐ろしい速度で、自分が汚れて行くという事実を認識してしまった。
これもきっと、グレンダンという天国から追放されたためなのだとそう結論付ける。
ツェルニに来たばかりに、ウォリアスという極悪非道な悪魔と知り合ってしまったがために、レイフォンは剄脈の暗黒面へと引き寄せられているのだ。
だが、もはや止まる事は出来ない。
サヴァリスではないが、止まっている暇など無いのだ。
「と言う事で、一刻も速く絶叫マシーンとやらを体験したいんだけれど」
「ツェルニが平常運転に戻るまで無理でしょうね」
「それは残念だね。ああ。この熱くたぎる心と身体を何とか鎮めないと夜も眠れないよ」
久々の勝利を得て、血湧き肉躍っているツェルニ全生徒の前では、絶叫マシーンなど木の葉一枚の重さもない。
これで時間が稼げた、そう思った瞬間、いきなり事態は急変してしまった。
「おや?」
「うん?」
「な、なんだ?」
突如として、ツェルニの空が七色の膜に覆われたかと思うと、何か言葉には出来ない違和感を身体が感じた。
それは、平衡感覚の微妙な狂いだったかも知れないし、もしかしたら、聴覚が捉えられなくなった、自律型移動都市の足の音かも知れない。
もしかしたならば、ツェルニの何処かで立ち上った巨大な炎の柱のせいかもしれない。
だが、それ以上に、何か決定的に違う物を感じていた。
あえて言うならば、世界が変わった。
「おや? 都市の足が止まっているようだね」
「問題は、おそらくそれじゃないですから」
簡易・複合錬金鋼を復元する。
異常事態なのは間違いない。
そしてツェルニで異常事態と言えば、ハルペーの襲来が真っ先に思い出されたからだ。
サヴァリスと二人で勝てるかと問われたのならば、きっと勝てないと答える事しかできないが、それでも無抵抗という訳にはいかない。
「サヴァリスさん?」
「うん? 天剣だったら持ち出し不可だったよ」
ふと気が付いてみてみれば、サヴァリスが装備していたのは、明らかに通常の錬金鋼だった。
グレンダンの秘宝と呼ばれる天剣を、おいそれと持ち出す事は出来ないだろうから、それはそれで良いのだが、戦力の低下は明らかである。
以前戦った、老性体二期だったら、問題無く勝つ事が出来ただろうが、ハルペーとか辺りになるといくら何でも無理である。
いや。天剣授受者全員が完全な状態だったとしても、ハルペーと戦って勝てるかどうかと問われたのならば、かなり厳しいと答える事しかできないだろう。
だが、虎徹を復元して構えるナルキと三人で気を張っていたのだが、いくら待っても何も起こらない。
いや。こちらの方向にやってこないと言うべきだろうか。
かなり離れた場所で、誰かと誰かが戦っているような気配だけがする。
そこまでは良いだろう。
だが、その二つの戦力の気配は、どちらも記憶にない物だった。
「ワクワクしてきたね」
「全くこれっぽっちも」
「ああ。ナルキ。僕はやはり君を愛してしまっているようだよ」
「他の人を愛してあげて下さい。グレンダンの女王陛下とか」
「いやいや。陛下は駄目だよ。僕なんかとは遊んでもくれないんだ」
和やかを装った会話を交わしつつも、二人とも何か神妙な顔つきをしている。
この気配に覚えがあるのかも知れないが、それを確認する暇はなかった。
そう。二人とも高速移動をしてしまったからだ。
当然、レイフォンもついて行く。
サヴァリスだけだったら見捨てても罪悪感を感じる事はないだろうが、ナルキが居ると言うだけで事情が違ってくる。
サヴァリスにしてはやや慎重に、ナルキにとってはほぼ全力で、レイフォンは二人に合わせて移動して行くと、とても見覚えのある建物の前で戦闘が行われていた。
赤毛でお面を被った武芸者が、同じお面を被った雑魚を蹴散らしているという、少し訳の分からない光景だったが、問題は実はそこではないのだ。
「雷迅」
レイフォンがニーナに教えた技だ。
未だに、ニーナが使いこなせていない技だ。
レイフォンが、何時覚えたか分からない技だ。
その雷迅を、赤毛の武芸者が使いこなして、圧倒的な戦力差で雑魚を蹴散らしている。
ついでに、周りの建物や建設用の足場を粉砕しているようだが、止めて良い物かどうか分からないために傍観に徹する。
徹しているのは、一緒にいる二人の方も同じだった。
「ワクワクが止まらないよ」
「心臓止まって下さいよ」
「ナルキが僕の心臓を止めてくれるのかい?」
「そんな力はありませんから、他の人に頼んで下さい」
「愛しているナルキに止めて欲しいんだよ」
「私じゃなくて殺し合いを愛しているんでしょうに」
こんな時だというのに、ナルキとサヴァリスはとても連携の取れた会話をしている。
だが、その視線は極めて真剣に戦場を見詰めている。
そして思い出した。
「お面の集団」
マイアスで電子精霊を盗んだ一味が、全員お面を被っていたという話を思い出した。
ならば、今目の前で行われている戦いは、割と深刻な物であると判断しなければならない。
問題なのは、どちらに加勢するかと言う事だ。
手っ取り早く両方殲滅してもかまわないというのだったら、数秒以内に全て片付ける事が出来る。
ナルキの経験が確かならば、マイアスを襲ったのは雑魚の方だと思うのだが、断定する事は危険な気がする。
レイフォンが逡巡している間に、戦いは赤毛武芸者の圧勝で終わってしまった。
「ったく。見てるだけかよ?」
息を弾ませた赤毛武芸者が、お面を外しつつ苦情を言ってくるが、こちらとしては即断できる状況ではなかったのだ。
それはきちんと理解しているようで、苦情を続ける事はなかった。
不思議な事と言えば、外したはずのお面が何時の間にか何処かに消えていた事だが、それを追求する暇はなかった。
「俺は用事があるんだ。手伝わなくて良いから邪魔だけはするなよ」
そう言いつつ、やはりこちらの答えに興味がない様子でニーナの住む記念女子寮へと入って行こうとする。
だが、その行動をナルキが妨害する。
水鏡渡りで一気に赤毛武芸者の前へ出て、虎徹を突きつけて牽制する。
「こんな時間に女子寮に入ろうとするような奴を、はいそうですかと見過ごす訳には行かないんだ。警察官としてはな」
「ああ。そういえばそうか」
一瞬だけ、ナルキがどうして邪魔をしたのか疑問に思ったのだが、警察官だったならば当然だと言う事に気が付いた。
まだ宵の口ではあるのだが、それでも、不審者が女子寮に入ろうとしているのだ。
警察官だったら、間違いなく職務質問をするだろうし、行動で止めようとしても何ら不思議ではない。
「うっとうしいな。ぶち殺すぞ」
本性を現したのか、ナルキを威嚇しつつ何故か焦る赤毛武芸者。
一瞬だけ考えたレイフォンは、ナルキと赤毛武芸者の間に入って虎徹の切っ先をそっと押し下げた。
「レイとん?」
「異常事態だよ。あれだけ雷迅を連発したのに、誰も出てこない」
「・・あ」
そう。その特色として雷迅はもの凄い騒音をまき散らす。
どう考えても、どんなに熟睡していたとしても、どんな人間でも起き出す事は間違いない。
だと言うのに、記念女子寮からは誰かが起きだしたという気配は伝わってこない。
それどころか、都市全体から殆ど音を感じなくなっている。
活剄を使って聴力を強化しても、人の話し声一つ聞き取る事が出来ないというのは、どう控えめに表現しても非常事態である。
「僕らも一緒に行こう。建物の中で雷迅を使われたら迷惑だし」
言いつつ青石錬金鋼を鋼糸として復元する。
建物の中ならば、明らかに刀よりも鋼糸の方が使い勝手がよい上に、死角を補う事も出来て便利なのだ。
少しだけほっとした息をついた赤毛武芸者が、レイフォン達を避けて記念女子寮へと入って行く。
それに続くレイフォンとナルキだが、何故かサヴァリスが着いてこない。
いなくても問題無いと言えば問題無いのだが、その行動に少々驚きを覚えてしまってもいた。