放浪バスの停留所に降り立つと、そこは今までいた都市とは全く違う雰囲気に包まれていた。
放浪バスという狭い空間から出られたからと言う、開放感だけではないのは、間違いない。
空気に混じる匂いそのものが、違う感じなのだ。
彼の生まれ故郷であり、唯一知っていた都市、槍殻都市グレンダン。
そこは常に汚染獣との戦闘を前提とした、隠れた緊迫感が見え隠れしていたのだが、この都市にそのような物はない。
汚染獣との戦闘が全く考慮されていない訳ではないのだが、それでも、年中警報が鳴る様な都市とは、全く違う。
自律型移動都市。
汚染された世界を放浪する、人類が暮らして行ける、小さな箱庭の世界。
基本構造はどれもさほど変わらない。
無数に存在し、轟音を立てて荒れた地面を歩く、金属の足。
その足に支えられた、かりそめの大地。
中央に行く程高層建築が増え、外縁部は更地になって行く町並み。
それは、どの都市でも基本的に変わらないと聞く。
それはここでも同じだが、やはり、流れる空気はかなり違うと思うのだ。
よく見れば、建物も新しいものが多く、非常に明るい色のものが目立つ。
交通都市ヨルテム。
全ての放浪バスがここに集まり、それぞれの目的地を目指して出発して行く、閉鎖された小さな世界をつなぐ、極々細い糸の起点。
そこに降り立ったレイフォン・アルセイフは、小さくため息をつきつつ、未だにしつこく疼く右目の傷に触れた。
ガハルド・バレーンとの試合に圧勝してしまってから、おおよそ三週間。
右目の傷とつきあい始めてから、二週間少々。
いい加減、左目だけで世界を見るのにも慣れてきたと感じる、今日この頃だ。
「さて、これからどうしようかな?」
手荷物と所持金は少ない。
青石錬金鋼が一本と、着替えが数日分。
安宿に一週間泊まれば無くなる程度の金。
どれもこれも、かなり逼迫した状況であるには違いない。
「傭兵でも、やろうかな?」
武芸の本場であるグレンダンで、最強の十二人に数えられたという事実は、公表するつもりにはなれないが、それでもレイフォンが当面生きて行くための標識になる。
そんじょそこらの武芸者に負けるはずはないという程度の、きわめて貧弱な標識ではあるが。
「さてと」
景色に感動したりこれからの行動計画を決めたりしている間に、停留所に残っているのはレイフォンだけになっていた。
右目の傷と合わせると、かなり怪しい人に見えてしまうかもしれない事に、やっと気が付いたのだ。
周りから冷たい視線はやってきていないが、とりあえず移動する事にした。
「とは言え、傭兵の募集とかは、どこでやっているのかな?」
何しろ、全てが初めての事態だ。
何をどうしたらいいのか全く分からない。
真っ先に宿を決めて、そこで職安を教えてもらおうかなどと考えつつ、とりあえず都市の中央へ向かってゆっくりと歩く。
傭兵の求人情報誌なんかがあったら、少し嬉しいかもしれないと思いつつ、紙ゴミを入れる屑籠を覗きつつ歩く。
なにしろお金がないのだ。
ゆっくりと、町並みと空気を身体に教え込むように、屑籠を覗きつつ歩く事十五分。
何やら騒動の気配を感じ取ってしまった。
「やだなぁ」
傭兵になる予定ではあるのだが、それと不良武芸者と関わるのは話が違うのだ。
万が一この騒動を起こしている連中が、一般人だった場合、レイフォンにどうにかする自信は全く無い。
反射的に剄脈を発動させ、思わず手を払っただけでも、相手は大けがしてしまう危険性があるから。
だがしかし、見つけてしまった以上放っておく訳にもいかないのも、また事実。
「や、やめてください」
黒髪で小柄な女の子が、泣きそうな瞳で抗議しているのを見てしまったら、なおさら放っておく事は出来ない。
さらに言えば武芸者らしい少年が、三人で囲んで逃げ道をふさいでいるのだ。
警察に知らせるという手もないわけではないが、ここに着いたばかりのレイフォンには、警察の出先機関がどこにあるか分からない。
「良いじゃないか? 俺達がこの都市を守っているんだぜ? 少しくらい付合ったって、罰は当たらないだろうに」
三人のリーダーらしい少年の言い分に、少し苛立ちを感じた。
都市を守ろうという気持ちは、レイフォンにはない。
だが、それは今目の前にいる三人組も同じ。
レイフォンと決定的に違う事は、何もないと思うが、なぜか非情に苛立ちを感じる。
「やめておいたらどうですか? その娘嫌がっているし」
威圧するわけでも、荷物の中にしまったままの錬金鋼を出す訳でもなく、ゆっくりと近づく。
別段戦うつもりはないし、もし戦ったとしても素手で何とか出来る自信があるのだ。
「ああ? 俺達のやる事になんか文句有るのか? 一般人がよぉ?」
ふとここで理解した。
彼らの行動に非情な苛立ちを感じていたのは、絶対的な暴力で相手に自分の意見を押しつけようとしていたからだと。
「・・・・。僕は、一般人じゃないよ?」
自分の優位を疑わない人間には、それが幻想だと教える事が平和的に事態を収拾するために必要だと思ったから、あえて言ってみたのだが。
「ああ? 武芸者だからって俺達三人だぜ?」
数の優位を主張されてしまった。
確かに、数は力なのだが、質が伴わなければあまり意味は無い。
彼らは理解していないようだが。
「ねえ。騒ぎは起こしたくないんだ。行ってくれないかな?」
警察沙汰になるのは、レイフォン的にも困るのだ。
たとえそれが、女の子を助けるためでも、出来るだけ穏便に済ませたい。
「そう言う事は、俺達みたいに強くなってから言うんだなぁ」
どうやら、右目の傷が彼らには弱い証拠に見えてしまったらしい。
別に、この傷で威圧したりとか、報酬金を上乗せしてもらおうとか、そんな事は思っていないのだが、弱いと判断されるとも思っていなかった。
「忠告は、したよ」
事、ここに至っては、仕方が無い。
とは言え、汚染獣と戦った事も無さそうな未熟者相手に、錬金鋼を使う必要もない。
一瞬だけ思考した。
「耳をふさいでいて」
「は、はい?」
黒髪の少女に向かい、ジェスチャー込みで指示を飛ばしたが、あまり理解してくれているようには見えない。
「耳を、ふさいでいて。すぐに終わるから」
「は、はい」
何とか理解したのか、少女の柔らかそうな手が、耳をふさいだのを確認した。
「へえ。俺達にやられて、悲鳴を聞かれたくないってか?」
「げへへへへ。状況判断が完璧だなぁ」
「だけど無駄だぜ? 大きな悲鳴が上がっちゃうからなぁ」
そんなご託を並べる三人組のそばへ、活剄を使って移動。
一人目の少年の耳の上で、割と本気になって指を弾いた。
猛烈な破裂音と共に、衝撃波が発生。
周りの空気をふるわせた。
「ひきゃ!」
悲鳴を上げたのは耳をふさいでいた少女で、攻撃を受けた少年は脳を直接揺らされたために即座に昏倒。
「え?」
「な、な」
残り二人の耳の上でも、やはり指を弾いて昏倒させて終了。
「もう、大丈夫だよ」
一秒少々の出来事だったのだが、少女は何が何だか分からないといった雰囲気で、耳をふさいだまま固まっている。
「大丈夫だよ」
怖がらせないようにゆっくりと近付き、そっと手を取って耳から外した。
「ひゅぅ」
一気に気が抜けたのか、その場に座り込んでしまう少女。
立ったまま失神していなかっただけ、状況的にはましなのかも知れない。
「えっと」
こんな状況になった女の子を、どうしたらよいのかなど、当然レイフォンは知らない。
汚染獣なら即座に殲滅しているのだが、相手は女の子だ。
それなので。
「よっと」
「ひゃ!」
少女の膝の裏と背中に手を入れると、そのまま持ち上げ、とりあえず現場から離れる事にした。
人だかりはまだそれほど多くないが、やはり騒動に巻き込まれるのは、得策ではないからだ。
「この辺に、公園とか有るかな?」
最後が疑問符になったのは、実は質問をしたからではない。
「あ、あのぉ」
全身から蒸気を吹き上げそうな程赤くなった少女が、気を失っていたからだ。
「ど、どうしよう」
思わぬ事態に、硬直してしまったレイフォンだった。
暖かな日差しと、額に感じる冷たい感触を感じつつ、メイシェン・トリンデンは目覚めようとしていた。
何かやや堅いけれど適度な弾力を持った枕らしい物が、後頭部を支え非常に気持ちがよいので、もう少し眠っていたいような気もするのだが、この後行きつけのスーパーで売り出しがあるので、あまりゆっくりとしているわけにもいかない。
それほど貧乏をしているわけではないのだが、お小遣いは少ないのだ。
節約するに超した事はない。
「あれ?」
何か、衝撃的な事が有ったはずだが、それが何だったのか、思考が迷走している今は思い出せない。
今朝起きたときからのことをゆっくりと思い出してゆくのだが、明確な記憶という物が徐々に無くなって行くような感覚があり、上手く思い出せない。
「気が付いた?」
「え?」
同い年くらいの男の子の声が、頭の上の方から降って来たような気がして、慌ててそちらを見て。
「ひゅう!」
「わ! だ、駄目。しっかりして」
視界にいきなり飛び込んで来たのは、右目を縦断する傷に潰された、茶色の髪と紫色の瞳の少年。
見知らぬ人が急激に現れたので、メイシェンの思考は一気に混乱に突き落とされた。
「あ、あうあう」
混乱が加速する最中、唐突に何故こんな事態になったのかを思い出せた。
騒動が一段落するところまでは良かったのだが、その後の少年の行動がメイシェンをとことん追い詰めたのだ。
「しっかりして。もう、怖い事は無いから」
「あうあう」
少年はそう言うけれど、男の子に膝枕されている状況で落ち着ける程、メイシェンは人間が出来ていないのだ。
「!!」
いきなり、額に何か冷たくて気持ちの良い物が当てられた事により、少し落ち着く事が出来た。
「落ち着いた?」
「は、はい」
それが、濡らしたハンカチである事に気が付き、改めて周りを見回して。
「ひゅぅぅぅ」
「うわ!」
女性の膝枕で、気持ち良さそうに眠る男性とか、ベンチに座って抱き合っているカップルとか、いきなり口付けをかわしている、女の子と男の子とか。
そんな人達が一杯いたのだ。
メイシェンの日常からは考えられないその風景に、再び意識が遠のきかけたが、それを何とか防いだのは、少年の声だった。
「と、取り敢えず、移動したいんだけれど、立てる?」
「・・・・・・・・・。はい」
歩けなければ、また抱っこされる危険性が極めて高い。
それは、今さっき回避したばかりの気絶という事態に、問答無用で突っ込む確率が極めて高く、気が付いた次の瞬間に、再び意識を飛ばすという、無限ループに陥る危険性さえはらんでいる。
何とかして、避けなければならない事態だ。
力の入らない足腰に鞭打って、少年の腕に捕まりつつ、周りを見ない様に細心の注意を払いつつ、ゆっくりと移動する。
よくよく考えれば、男の子の腕に寄り添うなんて事も初めてなのだが、それには気がつかないふりをしつつ前に進む。
不用意な行動は無限ループに突入するので、絶対に避けなければならないのだ。
「あ、あの、ごめん。君が倒れた所から、一番近かったから、あそこ」
「い、いえ。ちょっと驚いただけです」
驚いたなんて生易しい物ではないのだが、人の良さそうな少年にこれ以上負担をかけないために、少しだけ強がってみた。
「良かった」
朗らかに笑うその少年は、右目の傷が何かの間違いのような気がしてし方が無い。
「ここに来たばかりで、地理に詳しく無いんだ。送って行くって言えれば良いんだけれど」
「大丈夫です。このまま真っすぐいけば、家の側ですから」
実を言えば、売り出しに行きたい気持ちもあるのだが、流石に初対面の少年にそんな事は言えない。
「じゃあ、その辺まで送るね」
今日やって来た放浪バスの乗客のはずなのに、やはり非常にお人好しだと判断した。
もっとも、お人好しでなければ見知らぬ人間を助けたりしないはずだから、始めから分かっていた事ではあるが。
「きさまぁぁぁぁぁぁ!!」
「うわ!」
そんな気のゆるみを狙っていたかの様に、いきなり黒い疾風が横から現れ、強力無比な一撃が少年の頭部目がけて放たれた。
その衝撃から考えれば、かなり優しく、少年がメイシェンを突き飛ばした。
横に流れる映像と声から何が起こっているのかを判断すると。
「ナッキ」
黒い疾風は、幼なじみで武芸者の少女。
赤毛で長身で、非常に押しが強い割に、もう一人の幼なじみのブレーキ役をやっている少女だ。
名も知らない少年が、武芸者らしい事は知っているが、突然の攻撃になす術無く吹き飛ばされ、壁に激突する光景が展開された。
メイシェンの脳内だけで。
「え?」
「な!」
実際には右側、彼にとっての死角からの攻撃だったはずなのに、全く動じる事なく、その拳を右手で受け止めている光景が展開されていたのだ。
少年は何か驚いたような表情をしているが、それは受け止めた事ではなく、いきなり殴りかかられたからだと言う事も、何となく理解してしまっていた。
「え、えっと?」
受け止めたは良いが、現状が今ひとつ分からないようで、呆然としている少年。
「貴様!」
更に激昂したナルキの攻撃が、連続で放たれているようだが、少年は落ち着き払い、全てを受け止めているようだ。
一般人であるメイシェンには、もはや速過ぎて何も見えなくなっているが、連続して発生している破裂音からそれが予測できるだけだ。
状況からそう予測しているだけで、本当は違うのかも知れないが、今度は間違いないだろうとは思っている。
だが、そんな事を考えていたのは、僅かに一秒程度。
「だ、駄目!」
必死の覚悟で、ナルキの腰にしがみつく。
「メイッチ?」
突然の状況に、完全に動きが止まるナルキ。
普段のメイシェンからは、想像もできない行動だったせいもあり、驚愕に支配された顔でこちらを見下ろしている。
「この人は、悪く無い。・・・・・・。とおもう」
「・・・・・・。どっちなんだ?」
出会って間もないので、はっきりは言えない。
「停留所の方で何か爆発音がしたって聞いて、行ってみたら、メイッチらしい女の子が絡まれていて、怪しい男が連れ去ったって聞いたから」
「あ、怪しいかな?」
頬をかく少年が、自信なさげにそう呟くのが聞こえたが、メイシェンから見ても多少は怪しいと思う。
「いやいや。よく見なさいよナッキ。こんなお人好しそうな顔して、誘拐なんか出来る訳無いじゃない」
「甘いぞミィ」
いつの間にか、メイシェンの後ろに忍び寄っていたミィフィが、びしっと少年に指を突きつけ、断言している。
茶色の髪をツインテールにした、騒動ともめ事を取材するのが大好きな中背の少女だ。
「人を外見で判断してはいけないと、学校で教わらなかったのか?」
「それを言うなら、メイッチを連れて歩いているだけで、いきなり殴り掛かったナッキは、どうなのよ?」
「私は良いんだ。最初の一撃は手加減したからな」
「へえ。あれで手加減だったんだ」
二人の会話を聞きつつ思い出してみれば、確かに最初の一撃はメイシェンでも何とか見る事が出来たと思う。
「お人好し?」
呆然とつぶやく少年の声も聞こえたが。
「いい? メイっちがだまされているんだよ? 本能的に危険人物を見分ける、メイっちがだよ?」
「む? 確かに、それはおかしいかもしれんな」
「そうでしょう? もし、それが出来るんだったら、もう少し緊張しているとか、目つきが鋭いとか、いろいろあるはずじゃない?」
「た、確かに」
「それがさ。こんな腑抜けているというか、間抜けているというか、だまされやすそうな顔しているわけ無いじゃない」
「そ、そう言われてみれば、そうだな」
全然違うと思うのだが、二人の間では認識が共有されているようなので、突っ込むのはやめておく事にした。
だが。
「あはははははは。そうか。僕ってお人好しで腑抜けで、間抜けで、だまされやすいんだ」
メイシェンを助けてくれた少年は、何やら呟きつつ、道の隅に座り込み、建物の壁に延々と指で円を描き続けている。
少し。いや。かなり怖い光景だ。
「そうだったんだ。僕のせいで汚染物質が消えないし、汚染獣が飛び回っているし、生徒会長の性格は悪いし、小隊の人たちの連携が悪いんだ」
「お、おい」
「ね、ねえ」
「あうあう」
その少年のあまりの変貌ぶりに、三人で少しひいてしまった。
「そうか。そうだったんだ。僕が生まれた事が、全ての現況なんだ。そうだ、生まれてこなければみんな幸せだったんだ」
なにか、非常に危ない方向に思考が進んでいる事だけは分かった。
「ど、どうするんだ?」
「え、えっと。殴って気絶させる?」
「あうあう」
この異常事態に、周りに人が集まりだしたが、誰も何もしようとはしていない所を見ると、全員が野次馬のようだ。
「あはははははははははは」
乾いた笑いだけが、冷たい風にながれていった。
仕事を終え自宅へと帰り着いたトマス・ゲルニは、我が家だというのにもかかわらず異次元に迷い込んでしまったような、そんな錯覚を感じてしまった。
今年四十を超えたばかりの警察官である以上に、二人の子供の父親であるのだがこれほど動揺したのはひどく久しぶりだ。
築二十年の二階建ての我が家に帰り着いたはずが、間違って全く関係のないところに入り込んでしまったと、そう言われた方がしっくりくる状況だ。
「ahahahahahahahahahaha」
顔に縦線を入れつつ、不気味に乾ききった笑い声を上げる少年が廊下の隅にうずくまり、壁に向かって延々と円を描いていれば、誰だって恐慌状態の一つや二つには陥ろうというものだ。
その周りを遠くから囲むように、長身で赤毛の妻アイリと、同じく長身で赤毛の長女のナルキ、茶色の髪で、将来的にトマスを超える身長になるだろうシリア。
そしてナルキの幼なじみでお隣さんの娘、メイシェンとミィフィが恐る恐る囲んでいるのだ。
是非とも誰かに現状を説明してもらいたい所だ。
「お帰り、父さん」
「ナ、ナルキ。これはいったい何なんだ?」
少年を指さしつつ、錬金鋼に手をかけつつ、娘に問いかけるくらいには不気味で意味不明だ。
「い、いや。色々あって、少し壊れたというか、かなり壊れたというか」
何やら、複雑な事情があるらしい事は分かったが、このまま放っておく訳にはいかないのも事実。
「メイシェン君とミィフィ君も、絡んでいるのかね?」
「絡んでいるというか、積極的に絡まったというか」
いつもは、トマスに似て直線的な性格としゃべり方なのだが、かなり事態が混乱しているのかもしれない。
「仕方が無いか」
事、ここに至っては、もはや仕方が無いと諦めたトマスは。
「父さん?」
ナルキの疑問とその他四人の視線を無視しつつ、胸ポケットにしまってあった煙草を取り出し、火を点け、大きく紫煙を吸い込み。
「がは!」
火の点いている先っぽを、少年の鼻先に近づけた。
当然のことながら、煙が少年の鼻から進入し、粘膜を過剰に刺激した。
「大変危険なので、良い子の皆さんは、まねをしないようにしてください」
念のために教育的な発言をしたが、あまり意味がないだろう事は、しっかりと理解している。
「!! ぼ、僕が眠っている間に、何をしたんですか?」
トマスが馬鹿な事をやっている間に再起動した少年は、両手で胸付近をかばいつつ、円を描いていた壁を背に警戒態勢へと移行する。
「いやいや。眠っていないから」
その場にいた六人全員から突っ込まれ、ようやっと自分がどういう状況に陥っているのか脳の処理が始まったようだ。
「ぼ、僕は、確か、放浪バスでヨルテムに来て、不良を三人程始末して、えっと。・・・・・。あれ? その後の記憶がない」
再び、動揺から混乱に陥りそうになる少年に向かって。
「これをくわえて」
「はい」
根が正直なのか、それとも正常な思考能力が欠如してしまっているのか、トマスの差し出した煙草を、言われたとおりに口にくわえる少年。
「大きく、力の限りに吸い込むんだよ」
武芸者らしく、猛烈な勢いで息を吸い込み、そのついでに煙草の先端の火が、力強く燃え上がった。
「ごほごほごほごほ」
一気にむせた。
「やはり、煙草の精神安定効果は絶大だね」
「あなた。未成年に喫煙を強要したのですよ? 分かっているのですか?」
普段使わない錬金鋼を復元させたアイリが、一歩トマスへとにじり寄る。
「うん。これが手っ取り早い方法だったからね」
妻であるアイリの冷たすぎる視線に耐えつつ、少年の手で揺れる煙草を奪い取り、自分も大きく吸い込んだ。
「それに、彼が喫煙常習者でない事が分かったのは大きいよ」
警察官であるので、この辺は少しごまかしをしておいた方が良いかもしれないと思い口にしたが、当然のように誰もそれに乗ってくれなかった。
「それはさておき」
携帯灰皿で火を消してから、小さな机を持ってきて。
顔色が明らかに悪い少年を、椅子に座らせ、その周りを一周する。
「さて。吐いてもらおうか?」
ナルキとシリアが好きな、テレビの刑事ドラマの一シーンをまねてみたのだが。
「は、吐きたいので、洗面器かバケツを貸してください」
「トイレが向こうに有るから、ゆっくり吐いておいで」
五人の冷たい視線が突き刺さっているが、気にしてはいけないのだと、自分に言い聞かせつつ、少年が帰ってくるのを待つ。
胃液しか吐く物がなかったが、トイレの水を流し終わったレイフォンは、とりあえず人心地がついた気分にはなれた。
「はあ」
ため息を一つついて、扉を開けてみると。
「さあ、警察官である貴男が、未成年者に煙草を吸わせた責任、どう取るお積もりなのか、きっちりしゃべって頂きますよ?」
「それは全力をもちまして、責任を取る事を前提に、鋭意協議中でありまして」
長身で赤毛の女性が、復元した碧石錬金鋼の短剣を男性に突きつけているという、かなり色々問題のある光景が展開されていた。
「え、えっと」
「大丈夫よ。いつもの事だから」
ツインテールの少女がこともなげにそう言っているのだが、とても大丈夫なようには見えない。
だが、実際問題としてレイフォンに介入する事が出来るかと聞かれれば、それは断じて否だ。
「それよりもさ」
「は、はい?」
目の前で行われている戦争一歩手前の光景など、全くないかのように赤毛で長身の少女がこちらに詰め寄ってきているのに、気が付いた。
「今更というか、手遅れだと思うのだが、さっきは済まなかったな」
「何か、有りましたか?」
謝る少女については、何となく記憶があるような無いような、不思議な感覚を覚えているのだが、謝られるべき事があったかどうかは、全く記憶にない。
「メイっち。あそこでおろおろしているやつ」
夫婦喧嘩らしき物を前に、一人おろおろしている黒髪の少女を指し示す。
「メイっちを誘拐したやつだと思い込んでな、思わず殴りかかってしまったんだ」
だから済まないと、改めて頭を下げる少女だが、レイフォンにとっては、全く心当たりがないのでかえって恐縮してしまう。
「い、いえ。たいした被害もありませんでしたし、気にしないでください」
「いや。被害は甚大だったんだが」
いきなり切れが悪くなる赤毛少女だったが、ツインテール少女は、そんな事お構いなしだった。
「じゃあ、それはそれでおしまいと言う事で。君の名前教えてくれるかな?」
「あ、はい。レイフォン・アルセイフと言います」
レイフォンが名前を言うと、ほかの四人も続けて自己紹介をしてくれた。
「まあ、とりあえず今日はもう遅いから、家に泊まって行けばいいさ。部屋はあるからな」
「ありがとう」
「気にするなよ。メイッチを助けてくれたのは間違いないんだからさ」
ナルキがシリアに視線を向けると、軽く頷いて寝床の準備をするために部屋を出て行った。
「貴男は、いつからくだらない官僚主義に陥ったのですか? 我々武芸者は、とっさの戦闘にも耐えられるように、いついかなる時でも心の準備をしておかなければいけないというのに?」
「はい。それにつきましては、関係機関と協議の上、状況の打開を前提にしつつ、対処したいかと」
「ええい! この愚物が!!」
ついに堪忍袋の緒が切れたのか、短剣が一閃。
「どわ!」
トマスの鼻先をかすめた。
「付合っていたら、胃に穴が開くぞ。放浪バス暮らしで疲れただろう。夕飯食べて寝てしまえ。メイッチ」
まだおろおろしているメイシェンだったが、ナルキの呼びかけに何とか応じ、エプロンをその手に取った。
「あの。手伝います」
「え? 料理出来るんですか?」
レイフォンが何気なく言った言葉に、過剰ともいえる反応をするメイシェンの横に並びつつ、軽く笑顔で答えておく。
「孤児院で育ったんで、一応の料理は出来ると思うよ」
「あ、あう」
なぜか、いきなりメイシェンの顔が真っ赤に染まったかと思うと、頭から湯気を噴出。
「わ!」
そのまま昏倒しそうになったので、慌てて背中に手を入れて転倒を阻止。
「あ、あの。メイシェンって、もしかして何か病気なんですか?」
一連の事態に呆然としていた三人が、このとき再起動。
「い、いや。病気なのは、どちらかというとお前だ」
「そうですね。レイフォンさんの方が、病気です」
「うんうん。レイとんはもしかしたら不治の病かも」
頷きつつ三人とも同じ様な見解らしく、話の中心にいるのにレイフォンだけがさっぱり分からない。
「とりあえず、メイッチはしばらく再起動しないな」
「そうですね。となると、僕達で食事を作らなければいけないのですが」
「レイとんが作れるんだったら、丸投げしても良い?」
相変わらず、三人の息はぴったりだ。
「それはかまいませんが」
事ここにいたって、ようやくレイフォンは気が付いた。
「レイとんって、もしかして僕の事?」
「うん。レイフォンじゃ呼びにくいからね」
「いや。そのままレイとかってのは、駄目かなって」
「駄目」
ミィフィの断言に、ほかの二人も頷いている。
「まあ、良いですが」
別段、断る理由も反対する理由もないので、そのまま流してエプロンを身につける。
「食材とかは、どこですか?」
「ほとんど冷蔵庫の中だと思うが」
「床下収納に芋が少々」
「後は、何とか探して」
三人は全く料理をしない事が分かったので、慣れないキッチンを使った孤独な戦いが始まった。