「どうだ、超鈴音」
「おや、エヴァンジェリン? 態々ココまでゴ足労賜れるとハ。茶々丸のコトかナ?」
「それ以外に私が此処に来る理由があるか」
「フム―――まあソレはアチラに聞いて見ると良いヨ。ハカセ、茶々丸ハ?」
「はーい。最終チェック完了しました。今日一日の活動記録にも不備が出ていませんし、もう大丈夫ですねー」
「ありがとうございます、ハカセ、超鈴音。ご心配お掛けして申し訳ありませんでした、マスター」
「ホントーに酷くやられちゃってましたからねー。三日三晩貫徹の不眠不休、さらに今日まで授業終わってとんぼ返りの缶詰め状態…………。もーかんべんですよー」
「ム。今回ばかりは流石の私も参ったヨ……。重要なプログラム保護用の対魔法最終防壁も破られる寸前だたし。アレをやられてたらもうお手上げネ」
「……………………」
「……あの、マスター、二人とも悪気は無いのですから」
「黙れ」
「ハハハ。八つ当たりはみっともないヨ、エヴァンジェリン? ―――それよりも。茶々丸をこうまで破壊せしめた相手のコトを聞きたいのだガ?」
「――――ふん。タカミチに直接聞け。連中、クラスにヤツを編入させる心算らしいからな」
「なんと!? フム…………」
封鞘墜臨 / 七
―――こほん。
生徒達に情けない姿を晒した高畑先生と学園長は揃って咳払いでお茶を濁し、件の少女は気まずそうに明後日の方を向いている。
「さて、と。それじゃあ、自己紹介からやってみようか」
「…………」
ちらり。少女が高畑先生を見る。高畑先生は黙したまま首肯する。
ちらり。今度は学園長を見る。フォッフォッフォ、と笑いを返され、見なければよかった、とでも言いたげに視線を切る。
最後に、諦観のこもった溜息を吐き、
「――――衛宮、アルト」
とだけ、ポツリと呟いた。
「――――衛宮――――?」
龍宮は記憶を探るように口の中で言葉を転がし、
「――――アルト…………そうか」
高畑先生は何やら納得顔。
その顔をじろりと睨む新参者。
改めて観察する。
真っ先に目に付くのはやはり頭髪だろう。
この東洋圏では珍しい、赤い髪。真っ赤ではなく、2、3近い割合で銀色も見えるのが、一層物珍しさに拍車をかける。そんな、普通ではまずありえないだろう色の髪を被った感じ。前髪は眉あたり、耳を隠す側面や後ろは肩まで伸ばし、全体的にシャギーをかけている。手入れをしていないのか、ボサボサになっているけど。
その下の顔立ちは逆に東洋系に見える。ただ、肌の色は黄色よりも白色に近い。そして童顔。なのに眼つきばかりが鷹か何かのように鋭いものだから妙な感じだ。
その更に下に視線を落としていく。なんとも素っ気無い黒無地のトレーナーにジーンズ。ついさっき、偶然見れてしまった体型は全く鍛えられておらず、とても『闇の福音』を打破した戦闘者だとは思えなかった。
ふと、少女がこちらを振り向いた。琥珀色の瞳。鷹の眼。
――――ぞわり、と。薄ら寒いモノが背筋をはしる。瞬間、
「二人とも」
高畑先生の声に、跳ねる様に振り向いていた。一瞬だけ、多分、私達に釣られて振り向くであろう衛宮アルトにはギリギリ見られないタイミングで、表情が変わる。
「今日は取り合えず、校舎と学生寮、後は……その周辺辺りを廻ってみるといい。後で僕が衛宮君を迎えに行く。場所は……学生寮にしようか」
「…………引き受けた。―――行けるかい?」
「む。よろしく頼む」
龍宮と衛宮アルトのやり取りを背に、私はそちらへ振り向けない。
―――これは、恐怖? 何に対して?
そんな私に、やはり高畑先生は一瞬だけ先程と同じ顔を見せる。
…………真摯さの向こうに、気遣いと心配、そして力付けようとする様な。
◆
――――弾痕の眼だ。
龍宮真名がソレに気付いたのは顔合わせを済ませ、簡単に街を案内しよう、という話になり、件の少女を連れて散策、一頻り歩いて後はまた今度、と別れた後の事だった。
高畑先生も学園長も、もう既に彼女を危険人物とは見ていないらしく、散策には同行しなかった。監視役は私達で十分と見たのか、とも思ったが、仮にも『闇の福音』を破った相手だ。油断は厳禁―――そう見ていたのだが。
彼女は終始控えめな態度だった。巡ったのは編入する校舎、入る事になるであろう学生寮、麻帆良内にある店舗を一通り。それも生活用品店やスーパーとか、妙に所帯染みたリクエストだった。……うん。スーパーでは買わないくせに野菜の品定めもしていたし。
だが。その眼は終始“熱”がなかった。覇気、あるいは生気と言っても良い。
足取り、手捌き、間の取り方。どれもが戦闘者のソレであり。
纏う空気は明らかに第一線の戦場に立つ者のソレだ。
幾つかの言葉のやり取りでは、年上と話している印象さえ受ける。
だと言うのに、幼い身体つきは鍛えられた跡が微塵も無く、その上『持ち得なくては絶対に生きてはいられないモノ』が無いのだ。
その矛盾が、龍宮真名の感性を狂わせた。そんな、仔細に観察しなくては判らない矛盾の大きさに惑わされて、一目見た瞬間に悟れる筈の事実に辿り着くのが夕食、入浴まで済ませた後。
――――私も戦場から遠ざかって久しい、と言う事か。
一人、失笑を漏らす。技能が衰えたとは思っていない。身体能力は成長している。研鑽も積んでいる。今なら、当時より効果的に、最大の結果をこの手に出来ると確信している。
それでも、この体たらく。―――心中に湧き上がる想いを封じ込める。慣れた作業だ。だが、ここしばらくは意識する事も無かったその想いは―――。
ベッドに倒れ込む。そのまま全身を弛緩させ、訪れる微睡に意識を委ねる。
間際、言葉が毀れた。
「――――穿たれたのか」
アレは、現実(弾丸)に理想(ココロ)を穿たれた弾痕の眼だ。
◆
学園都市の規模はやはり大きい。
約一週間の深夜徘徊で凡その地形は把握していたが、存在する施設等はやはり分からず、案内を受けられたのは衛宮アルトにとっては幸いだった。
「どうだったかな」
「取り敢えずチラチラと感じた監視さえなければ概ね好感触、かな」
あれ? と毀す高畑。
「“件の侵入者”はさぞや警戒されているらしい……な。例の吸血鬼がこの地の警備役だったと言う話からすると、アレを追い詰めたのは余程大事と見える」
「そりゃあそうさ。エヴァンジェリンは六百年を生きた『不死の魔法使い』だからね。彼女の魔力だけは封じれても、その戦闘経験は間違っても軽視できない。だからこそ、それを万全でなくとも撃退できた君は凄いんだよ」
「…………潜って来た死線の質の違いだろう」
「――――かもね」
その視点は概ね正しい。
これは両者の“戦闘”に対するスタンスの違いだ。
エヴァンジェリンは自衛の為にその異能に磨き上げ、
衛宮■■は理想を目指す為にその魔術を鍛え上げた。
エヴァンジェリンは逃れる為に戦い、
衛宮■■は理想へ向かう為に戦った。
エヴァンジェリンが吸血鬼として幾多の窮地を潜り抜けてきた“歴戦の猛者”ならば。
衛宮■■は、その窮地をも遥か凌駕する地獄を数多と踏破し尽くした“英雄”である。
逃れる者と立ち向かう者。
その違いがエヴァンジェリンと衛宮■■の差だ。
無論。これはエヴァンジェリンの在り方を格下と卑下するモノではない。
むしろ、そこまで自身を突き詰め、鍛え上げ、磨き上げてきた衛宮■■の異常性を示すモノと云える。
常人ならば、其処まで自分を突き詰める事など出来ない。
しない、のでは無く、『出来ない』のだ。
挑む先が絶死の地獄であるのなら、その結果は遍く死であらねばならない。
その地獄へ、一度ならず挑み続けなお、カタチを変えどこうして存在している事。
その事実そのものが衛宮■■の異常性の証。
同時に、彼の英雄の強さの根源なのだ。
案内役の二人もその異常性を感じ取っている。
一人は己の秘する特別性から。
一人はその優れた観察眼から。
そして、感じられた事を衛宮アルト自身も気付いていた。
◇
街の案内は三日目に及んでいた。
今日は来週に決まった編入の為に必要な物資を調達しよう、と言う話になり、校舎で支給される教科書の類を受け取りに出向き、次に筆記用具や制服を買い付ける為に商店が集まる一角に行って、ついでだからちょっと休もう、と提案されて喫茶店に入店し今に至る。
目前には何か釈然としない表情をしながらショートケーキを食べる衛宮アルト。もとい、衛宮さん。
最初、一口目を頬張った瞬間に思わずといった感じで崩れた表情がやけに新鮮に感じ、龍宮と二人彼女を観察している最中だったりする。
「どうしたんだ、衛宮さん。最初の一口目は美味しそうだったのに。甘いのは苦手かい?」
そう尋ねる龍宮の前にはあんみつがある。
「……いや、体感的に味覚が変化しているのかな。正直、ただのショートケーキをここまで美味しいと思えたコトがなかったから」
「味覚が変化?」
「……まあ、そういう事情があるってだけだ」
ちらり、と周囲を気遣う素振りを見せる。深くは聞くな、と言う事だろう。
「成程、じゃあ味の好みも変わったんじゃないかな?」
「……そうかな、甘い物限定な気も」
「甘い物、苦手だったんですか」
「…………好物として挙げる対象では無かったな。そもそもあまり好き嫌いが激しい訳でもなかったと思う」
「……意外だ。てっきり余程の拘りがあるんだと思ったが」
「む、なんでさ?」
「いや、食材までこれだけ買い込んでいるからね」
そう。
この喫茶店で休憩を入れる事になった最大の要因。それは衛宮さんが、筆記用具を購入した後、ごく自然な流れの様にスーパーに入って、約一週間分の食品を買った事。
おかげで荷物がどっさり。私達は貴女の荷物持ちではないのですよ、衛宮さん。
「食材は自炊の為だぞ。この先、金銭面はともかく生活は自立しなければならないだろう」
「…………料理、出来たんですか」
「――――もの凄く引っかかる言葉だぞ桜咲。わかった、其処まで云うなら……うん、案内の礼も兼ねて振舞ってやる」
「ほう?」
「え、あれ? そ、そういう意味で言ったのではなくてですね」
言うが早いが、席を立ち荷物を纏め始める衛宮さん。隣を見ると、龍宮は面白そうに口元を綻ばせていたりする。―――楽しんでいる。
こうやって会話をしている分には、衛宮さんには異常性は何処にも無かった。
不自然な点も無く、ごく当たり前の様に私達の問いに答え、疑問を返してくる。
ならば、初めて顔を合わせた時のあの悪寒は何だったのだろうか。
龍宮は龍宮で何か引っかかるものがあるらしく、時折静謐に衛宮さんを観察している。
けれど。私にしろ龍宮にしろ、彼女に『そちら』の問いはかけられなかった。
大抵が街中の案内で、そういった『裏』の事について話し辛かったのもある。
だが、それよりも。彼女の纏う空気が、それを許さなかったのかもしれない。
……ああ、認めよう。私は、『彼女が闇の福音を破った事』等に関係なく――――
――――彼女に、恐れを抱いているのだ。
◆
衛宮アルトは、未だ関東魔法協会支部施設に半軟禁状態として拘束される立場にある。
『半軟禁』と銘打つとおり、桜咲刹那と龍宮真名の両名が案内と言う名目で連れ出さない限り、つまり彼女らの授業が終わるまでは支部施設内に拘束されているのだ。
この状態は来週、つまり12月9日付けに行われる衛宮アルトの2年A組編入に際し解除、学生寮へ入寮し、以後、関東魔法協会一協会員とされるまで続く事になっている。
この期間は衛宮アルトを協会員と認められるかを判断する為の『試験段階』とも言うべき期間であり、この期間中にいわゆる『問題行動』を行わないかを審査されている。
そして同時に、衛宮アルト自身にとってはクラス編入・入寮により始まる新たな生活への準備期間とも成る時間なのだ。
その衛宮アルトは、現在。頭から煙を吹かんばかりに加熱させて唸っていた。
◆
「………………全く覚えていない………………」
仕方ない事ではある。
今、衛宮アルトの目前には中学2年生が一年間お世話になっている、まあ、いわゆる『教科書』の“軍”が在り、
「……………………まずい、な。コレ、絶対まずい、よな……………………?」
衛宮アルトは、その“軍”の前に成す術無く敗北の証を挙げざるを得なかった。
つまり、『あたまがまっしろ』ってコトである。
「――――――――――後で、高畑にでも頼もう」
あ、逃げた。 ――――これぞ正しく『ペンは剣に勝る』と言えよう(違
◆
「……美味い」
「……美味しいです」
「そうか、それは良かった」
約束どおり、衛宮さんは私達に料理を振舞ってくれた。
メニューはオーソドックスな和風だった。
ご飯にお味噌汁、焼き鮭に肉じゃが、揚げ出し豆腐ほか漬物等数点。漬物数点がスーパーの出来合い物である点に不満が残っているらしい衛宮さんはつまり、以前は漬物も自前で作っていたのだろうか。
ご飯はふっくらやわらか、まあコレは良い。最近の電子ジャーの性能は驚異的に向上しているのだから、その性能を十分に理解し最大限引き出せれば私でも出来るだろう。
お味噌汁の具はシンプルに若布とお豆腐、しいたけ。鮭の焼き加減、肉じゃがの煮込み具合も完璧。揚げ出し豆腐の衣も丁寧につけられていて、普通の一般家庭ではまずお目にかかれない出来。ちょっと尊敬の眼差しを送ってしまった。
「…………これは、素直に脱帽だ。衛宮さん、何処かで料理人の修行でもしていたのかい?」
「いや、必要に迫られて仕方なく覚えたんだ……少なくとも、最初は」
「その後は違う、と?」
「……いや、不思議に思ってな。そんなに身を入れて覚えた訳でもないはずなんだが、そんなに驚くレベルか?」
「…………成程」
「?」
「いや。『無自覚とは罪』っていうのは、こういう場合にも言えるコトだな」
「…………そうか。成程」
「いやまて納得するな桜咲」
穏やかな時間。こうしていれば、彼女が『闇の福音を破った侵入者』とは思えない。
だから、
「ところで衛宮さん」
「ん、どうした龍宮」
「貴女が此処に来た理由はなんだい?」
龍宮が放ったその一言の意味を把握するのに、数瞬を要した。
「――――ッんな、龍宮っ!?」
「……落ち着け、桜咲。―――それと、何でそんなコトが聞きたいんだ、龍宮」
「興味を持つなと言う方が無理だろう。貴女が此処に転移してきた手法、転移して来てから起こした騒動。その上で学園長や高畑先生には信を置かれているらしい事。私でなくとも、仔細を把握したい魔法使いは多いはずだ」
「…………興味本位の問いに易々と答えられるほど、俺の事情は軽くない」
「―――そうだ。その眼だ―――」
「……龍宮?」
「その眼だ。私は以前にもその眼を見た。何度もだ。親を失った子、子を失った親。慕うべき者、敬うべき者、信仰。それらを失った者。それが正しい道と信じて身を投じ、いつの間にか戻り様の無いほど間違っていたと思い知らされた者。そして、」
―――――鏡越しの自分自身。
「…………龍宮、真名」
突然、捲し立てる様に発せられ続けた言葉は唐突に、つっかえる様に止まった。
声を出せない。ここは、私が出る幕は恐らく無い。
「俺は、一度死んだ身だ。俺を殺した誰かがいて、俺を生かした誰かがいて、俺を生かした誰かが俺を此処に送り込み、俺はその事実を知らず、この地の魔法使い達を俺を殺した連中と同列と考え、件の騒動を起こしてしまった。今俺が判っていて言える事実はこれだけだ」
「………………、すまない」
「気にするな。自分の過去に関わる物なら、誰でも過敏になる。それが、良くないものならなおさらだ」
―――その日は、そのまま一言も交わさず、衛宮さんの仮室を辞去した。
◇
「分からない?」
「そうだ。率直に言う。助けてくれ」
「…………もうあと四日しかないよ?」
「だからこそだ。頼む。助けてくれ」
「…………そうだね。取り敢えず、一度習ってはいるはずだしね」
「恩に着る」
「…………うーん(どうしようかと真剣に悩む)」