轟々、と。音を立てて桜が燃える。
はらはらと。静かに、しずかに火の粉が踊る。
―――その様は。例えようも無い程、美しかった。
大樹を一つ。丸ごと使い作り上げた巨大な松明。急に温められた空気が風を呼び、周囲を明るく照らし出す。
―――その中に。ヒトガタが一つ、燃え盛っていた。
呆然と。眼前の光景が信じられずに、ただ呆然とその様を見つめる少女が一人。
―――その少女を。冷たく睥睨する死神が――――
封鞘墜臨 / 四
「――――キ、ッ、………サマァァ――――――――――!!!!」
吼えた。
何も考えられずにただ吼えた。
思考など、いや、そもそも理性から吹き飛んでいた。
手当たり次第に魔法薬を掴み取る。
その目は魔術使いだけを睨み据える。
咆哮と同時に魔術使いへと飛び出して、
大きく弧を描き、なお肉薄する中華剣に阻まれた。
「―――ッ!!」
咄嗟のバックステップ。耳元を掠める風切り音。その間に、魔術使いはただ右腕だけを振るって追撃を放つ。
撃ち出される黒鍵。エヴァンジェリンは意識を対物理の恒常障壁へと向ける。
魔力の集中。強化される防御性能。
だが、既に魔術使いの投擲はその性能を凌駕していた。
障壁を突破した黒鍵が吸血鬼に襲い掛かる――――
「あぐッ!!?」
ドン、と。まるで乗用車同士の正面衝突事故でも起きたような衝撃音だった。
黒鍵は吸血鬼に突き刺さる事無く地に突き立つ。
直撃を受けたエヴァンジェリンは十数メートルと吹き飛ばされる。
「があッ………かっ――――はぁ…………!?」
不理解と不可解と激痛がエヴァンジェリンを苦しめる。
地に這い蹲って苦痛に呻くその姿は、とても数分前まで驕っていた吸血鬼とは思えない。
それを冷徹に観察して、これまでか、と魔術使いは判断する。
戦力の剥奪は成された。
戦闘能力の無い弱者を弄ぶ気など欠片も無い。
後はこの怪異(現象)を浄化し、あるべき秩序を戻すだけ――――。
――――その背後に。
正真正銘、“主従の”最後の一手が襲い掛かる。
未だ松明は健在。そも、そう簡単に効果が薄れる術式ではない。
だが、その燃焼の術で沈黙するほど、絡繰茶々丸は脆弱な自動人形でもない。
自身を、縫い付ける剣ごと燃え盛る松明より引き剥がし、なお起動し続ける燃焼に苛まれながらもその一本を引き抜いて、己の主に迫る脅威を排除する為に踊りかかる!!
「――――■れた■■」
◆
「………これまでだ。その身が在るのはこの地の脅威。
故に――――此処で朽ちろ、生きた死体(リビングデッド)」
沈黙する吸血鬼。その網膜には、まだ直前の光景が焼き付いて離れない。
―――背後より魔術使いに襲い掛かる自身の従者。
それを。この死神は、振り返りもせずに、たった一言だけを呟いて退けた。
爆発する六本の直剣。
突き刺さったままの剣が凶悪な爆弾と化した。
体内からの爆発に、抗いようも無く吹き飛ばされる茶々丸の「上半身」。
予想外の推進力と軽量化から、その体が魔術使いを、次いでエヴァンジェリンを飛び越し地に落ちる。
魔術使いは、それが当たり前の事の様に。見向きもせず、ただ標的(エヴァンジェリン)のみを睨み据え続けている―――。
「――――キ、サマ、………化け物、か」
喘ぎながら、胸に手を添えるしか出来ないエヴァンジェリン。その胸からの出血が止まらない。
わずかなりとはいえ、今宵は吸血鬼としての不死性も得ているはずだ。投擲剣の直撃は確かにダメージが大きかった。だが、それが何かの術式によるものなのか。直剣は「突き刺さる」事無くエヴァンジェリンを「吹き飛ばして」いた。故にエヴァンジェリンには、表面上は「直剣を喰らった瞬間の切り傷」しか残っていない。
だが、その傷が一向に塞がらないのだ。既に、より大きかった「吹き飛ばされた衝撃によるダメージ」からは回復しているにも関わらず。
―――浄化。ヒトである事を亡くした吸血鬼の肉体に、ヒトであった頃の自然法則を叩き込み、肉体を洗礼し直し塵と返す簡易儀式。
その為に用いられたのが黒鍵―――“摂理の鍵”である。物理的な衝撃ではなく概念、つまり魂魄、意味合いの重みによって対象に打撃を与える奥の手の一。
肉体的な復元、再生能力など無意味だ。
肉体のカタチは戻ろうとも、損壊した魂魄と精神がその損壊を肉体に映し出す。
そのダメージを癒すなら、まずは魂魄、精神の治癒・復元が求められる。
吸血鬼としての不死性に頼りきり、そちら側の回復法など修めていないエヴァンジェリンにその傷を癒す方法は無い。
そして、その傷が何よりもエヴァンジェリンに“死”を感じさせていた。
この地に縛られて15年。いや、確固たる実力を身につけて数十余。此処まで命の危険に晒された事は久しくない。
コチラへゆっくりと歩を進め始める死神。その右腕には、先程エヴァンジェリンに復元不能の傷を与えた黒鍵が二本。
睨み据える鷹の如き眼光が、絶殺の意思を持ってエヴァンジェリンを縛り付ける。
止まらぬ出血、一層荒くなる呼吸、いつの間にか響く空耳、視界が必要以上に白け始める。
死神がその右腕を持ち上げる。
死の気配に撃たれたエヴァンジェリンに打つ手は無い。
その眼前、黒鍵が真上に振り上げられて――――横合いから放たれた衝撃波に吹き飛ばされた。
◆
その直前。
魔術使いは、異様な“音”を確かに聞きつけて、咄嗟に真逆へと跳躍した。
同時に右手の黒鍵を盾に構え―――着地の瞬間、盾の黒鍵ごと脇腹を叩き付けられてバランスを崩す。側転から体制を整え襲撃者を睨みつける。
未だ燃え盛る松明によって、その姿は探すまでも無く見つけられる。
短いオールバックの髪。眼鏡の向こうに、油断無く魔術使いを観察する眼。
整ったスーツ姿。そのポケットに両手を突っ込み、泰然と佇み、
口元でタバコを燻らせるその姿。
エヴァンジェリンを死地に追い詰める魔術使いの前に、
学園都市最強の戦力―――高畑・T・タカミチが現れた。
◆
「――――、手酷くやられたね、エヴァ。大丈夫かい?」
眼を向けないまま高畑が問う。弱体化していたとはいえ、エヴァンジェリンの戦闘能力を熟知する高畑にとって、彼女を打倒しかけた眼前の敵は間違いなく危険因子である。
エヴァンジェリンのそばに、つい半日前からは見るのも憚られる姿へと変わり果てたその従者がいたとあっては尚更だ。高畑にとってエヴァンジェリンはかつての級友、そして今は茶々丸を含めて生徒であり、それ以上に(エヴァは決して認めないだろうが)友人である。それをこうも追い詰めた。常は公私混同を己に禁ずる高畑であろうと、平静を保つには些か以上に苦心している。
「――――、――――、――――」
一方、エヴァンジェリンもすぐに応える事は出来なかった。数十年ぶりに首元まで迫った“死”への恐怖と、それからわずかなりとも遠ざけられた安堵。呼吸は未だ不自然で、声を出すことも出来ずに呆然と高畑を見やるだけ。
声は、高畑の正面から届いた。
「…………成程。此処はやはり、魔都だったか」
心底から憎々しげに、魔術使いは吐き捨てる。最早自分の予測を覆す要素は存在しない、と。
その意味を理解し得ない高畑は、己の内から沸き上がるモノを辛うじて押さえつけながら通告する。
「君はもう包囲されている―――そこの松明が目印になっていてね。これだけの事が出来てしまう君は危険とみなすしかない。おとなしく従ってくれないかな、そうすれば手荒な事はしないと誓おう」
――――当然、魔術使いの答は一つ。
直後、周囲一帯が爆風に包まれた――――!!
◆
爆心は、先の戦闘で魔術使いが投擲し続け、茶々丸が弾き飛ばして周囲に散らばっていた黒鍵の剣群である。
全く予期せぬ不意打ち。魔法使いとしての才が無い高畑は、だからこそ全くの油断無く魔術使いを警戒していた。だからこそ言える。この不意打ちの為の予備動作は全く無かった。
「――――エヴァ!!!」
その一言が、高畑という人物を象徴している、といって良いだろう。咄嗟にとった行動は魔術使いの動向の把握ではなく、エヴァンジェリンの安否の確認だった。
そこに。
『―――大丈夫です、高畑先生! エヴァンジェリンさんは此方で確保しました!』
脳裏に響くのは念話。つられて顔を振り仰げば、爆風に煽られながら夜空に跳ぶ漆黒のヒトガタ達―――ソレに抱え込まれたエヴァンジェリンと茶々丸―――の姿が確認できた。
「――――クソッ!」
同時に、魔術使いの声も。
「そこかっ!!」
刹那の後に、声の方向に“居合い拳”を放つ。――――それは魔法が使えないハンデを背負った高畑が全霊を傾注し獲得した戦闘技能。ポケットを刀の鞘と見立て、あたかも抜刀術の如き神速の拳打を衝撃と放つ、察知も防御も困難な不可避の一撃。
手応えは―――あった。
「ぐぅ――――!!」
返る呻きは魔術使い。
同時に、飛来する投擲剣。
「!!!」
居合い拳で相殺を狙い、失敗。その軌道こそ僅かに逸れたが、狙い正確に高畑の正中目掛けて来た剣弾の着弾が左腕という程度。そして、直撃した左腕も唯ではすまない。エヴァンジェリンを吹き飛ばしたのと同じ攻撃である。上半身ごと左腕を弾かれてしまい、大きく体制を崩される。
その間に魔術使いは離脱を図る。―――まさか詠唱も無く拳打による衝撃波を放つ敵が居るなどとは、魔術使いですら予測の外。探ってみれば確かに、周囲に複数の魔力反応を感知した魔術使いは、最悪の結果となった戦場から最も囲みの薄い一点を狙い逃走する。
その上から、魔術使いを襲う捕縛術。察知と同時に黒鍵で相殺し、あるいは外套を翻して防御する―――次の瞬間。
「――――左手に魔力―――右手に気」
不穏な声が響き、咄嗟に干将・莫耶を構えて、
――――豪殺・居合い拳!!!
正面から。圧倒的な暴力の塊に打ちのめされる―――!!
「―――ごっ………は…………!!?」
衝撃を受け止めきれずに吹き飛ばされる魔術使い。鶴翼を持つ事も許されない。着地を取る事も出来ず、無様にゴロゴロと転がって、うつ伏せにようやく止まる。立ち上がろうとした時には既に、その周囲にこの地の魔法使い達に固められ、さらに上から高畑が体重をかけて全ての動きを封じていた。
「―――魔法の射手(サギタ・マギカ)・戒めの風矢(アエール・カプトゥーラエ)」
至近にて放たれる拘束魔法。如何に強力な対魔力防御であれど、ここに至ってなおこの拘束を破る事は出来なかった。
◆
「ここまでだ。君が何を思ってこんな騒動を起こしたかは………後でゆっくり聞かせてもらうよ」
高畑の言葉は魔術使いにとっては死刑宣告に等しい。
それも――――一度陥った地獄に再び落とすと。
繰り返そう。ならば魔術使いの回答など一つしか有り得ない。
「は。――――ゴメンだな。
オレは。もう二度と――――貴様らの実験材料にはならない――――!!!」
次の瞬間―――魔術使いの全身から、無数の剣が“内側から”撃ち出される――――!!!