――捻れた理想(ツルギ)は戻らない。
◇
始まりは、波打つ紅蓮と漆黒の太陽。
助けられなかった人がいて、助けられた自分がいた。
救ってくれた養父は、魔法使いで正義の味方。
彼の理想はとても綺麗で、憧れたから受け継いだ。
転機は、肌寒い真夜中、月明かりの下。
一秒すらなかっただろう、その光景。
魔術師と従者、七組十四人だけで行われる聖杯戦争。
そして、その身を剣と誓う騎士王。
互いを想い、その道程を誇り、故にこそ迎えた必然の別離。
修羅の世界へと身を置いたのは一年の後。
駆け抜けた戦場は数知れず、
潜り抜けた危地も数知れず、
重ね見捨てた殺戮も数知れず、
救った民衆はその数倍をも悠に超え、
遭った裏切りすら数知れない。
それでも求めるモノには届かない。
その手をいくら伸ばそうとも、
その身をいくら鍛えようとも、
その術をいくら磨こうとも、
――その想いを、幾度叫ぼうとも。
行程は既に千日手。
目指す理想は尊過ぎ、
理解する者など一人もいない。
その身は剣で出来ている。
血潮は鉄で、心は硝子。
己が身を以って全てのショウガイを斬り伏せて、
万人のココロを恐怖(ふる)わせる。
想いの骨子は捻れゆく。
何処までも純真で真摯な願いは裏切りを以って朱に染まり、
行き過ぎた業の行使はその身を蝕む。
突き進む方法は一つしかなく、
ソレでは多くの人を傷つける。
結末は呆気ないものだった。
古い御伽噺にもある話だ。
彼は鋼鉄で、古典では蝋で翼を造る。
構成材質は違えども、その結末は変わらない。
結局彼は、憧れた理想にすら、養父同様に裏切られたのだ。
それでも、彼は――――
◇
――――カレは鋼鉄の魔術使い。
最強を謳われた、幻想をカタチ造る英雄の鞘。
封鞘墜臨 / 一
目が醒めた。
半ばまで持ち上げた瞼の向こうに、ぼやけた色彩を認識する。
―――、“目が醒めた”?
覚醒直後の胡乱な思考が、第一の疑問を浮かばせる。
意識の覚醒。それは外界を認識する為の器――肉体――を有する精神(観測者)だけが許される、その個体を取り巻く周囲(セカイ)との情報交換を開始する為の一つ目のプロセス。
その始めの情報交換が視覚によるものだ。光を媒介とした色彩、形状などの情報を受信する専用の器官、すなわち眼球を持ってそれらの情報を認識する。
「――ぅぁ………?」
ついで、鼓膜の振動を音として受信、認識。
同時に喉の振動も。吐き出した呼気が、意図せず無意味な音を発したのか。
鼻腔からは微かにツン、と刺激される――これは匂い、だろう。
後頭部から首、背中、臀部、脹脛まで感じる感触から、自分は仰向けに横たわっているのがわかった。胸から腹、その下までにも何かがある感触を認識したが、正面を向いている視界が開けている事を鑑みれば、柔らかいものを掛けられているのだと解釈するべきだろう。
――――視覚、聴覚、嗅覚、触覚による、周囲情報の認識・把握が可能。
「は…………?」
あくまで、発する音に意図は無い。
何故、という疑問だけが思考を支配する。
自分が自分として正常な思考が出来る、というこの状況が既に異常。
何故ならあの時、自分は、彼■らの目前で、■印■■て――――!
「―――痛ッ!!」
ズキリ、と突然脳髄に釘を刺し込まれた。
違う、それは錯覚だ。脳髄そのものが動作不良を起こし、それが痛覚となって認識されたに過ぎない。
唐突に走った激痛に、身体が拒否反応を起こして跳ね上がる。
ばふっ、と上に掛けられていた何かを足が蹴飛ばし、腕が突き上げ、瞬間的に浮き上がって、ふわりと再び包まれる。
「……ぅ――――」
その体勢のまま、けれど思考は止まらない。
「―――痛んでいる」
それは、生命活動の代償。
自分は、確かに、一己の人格をもって、個体を有し、――――いきている。
「…………」
そして、やはり最後には一つの問に集束する。
「 何故 ―――― 」
呼気じみたその呟きに応えは返らず。
ただ大気を震わせ、消えるのみ―――。
◆
――同調、完了。
身体機能に異常は無い。だが、全神経との総適合率は六割強、といったところか。反射行動はともかく、意識的運動命令から反応、実作動までの誤差が生まれる為、各行動に支障をきたしそうだ。
魔術回路にも不備が出ている。おそらくは、長期間保管されていた脳髄と神経をこの器(身体)へ移植した際に多少問題が生じたのだろう。どの問題も永く植物状態に在った患者が蘇生した直後に似ている類だ。稼動停止していた機能そのものは回復しても、その性能を全十に発揮する為には確立されたメンテナンスが不可欠である。実運用と調整を複数回行う事で、時間はかかるが回復出来る。
だが。何故自分に再び、しかも元の身体(オリジナル)ではない器を与えられたのかがわからない。
―――否。判断材料が少なすぎるこの状況下で不毛な詮索は後回しだ。今はまず現状の正確な把握と、今後の行動指針の決定を優先するべきだろう。
◆
そこはとある教育機関の一室、有り体に言うなら「保健室」だった。
魔法関係者と思しき者を連れ込むのに適した場所ではない。――本来ならば。
学園都市。種々多様な教育機関が集中し、それを核として形成されたこの都市は、同時に極東の『聖地』を管理する魔法使い達が所属する『関東魔法協会』の本部でもあり、その構成員である魔法使いの大多数は、表向き何らかのカタチで各教育機関に身を置いている。
カレが居た保健室も、所謂『魔法教師』や『魔法生徒』らが複数在籍する学校の一つである。魔法によって転移してきたと思われる人物にはしかし、一般人以上の魔力は検知出来ず、その結果彼らはその人物を『魔法使いの従者』もしくは文字通りの一般人、そのどちらかであると推定。一般人ならば無論の事、『従者』であってもそれを示す魔道具を所持していなかったカレを無害と判断し、無理な覚醒を促さず、意識の回復を待つ意味で世界樹――“神木・蟠桃”から最寄りの施設であったこの場所に休ませたのだ。
彼らは、件の人物が意識を回復してから詳しい事情を聴取し、得られる情報を元に今回の騒動の原因究明を行うつもりだった。
保健室に仕掛けられた魔法はたった一種類。
カレの覚醒を、術者に知らせる。その為だけに構築された結界は、
その、組まれた機能ゆえに。術者に、カレの困惑も、焦燥も、カレが素早くそこから離脱した事実さえ、伝える事は無かったのだ。
◆
放課後。
彼女がその少女を見つけたのは、単に、彼女が所属する部活動――水泳部の活動する屋内プール施設に向かう道中だっただけの事だ。
後姿だったが、一目、視線を奪われる特徴を持つ少女である。
まず目に付くのは髪。赤い。微かに銀も入っている点、プラチナレッド、と評する事も出来るかもしれない。すとん、とクセなく真っ直ぐ肩辺りまで伸びて、先端は揃えずにシャギーにしている。
で、着ている物も赤い。っつーか紅い。成人サイズとしても大きめな、真紅に染め上げられたまことに目立つ事この上ないぶっかぶかの外套を強引に羽織っていた。
相対的に少女の背格好は小さく見えてしまうが、恐らく彼女の親友でもある新体操部所属のクラスメイトよりは高めだろう。
そして、なにより。体調が悪いのか、そんな歩きにくそうな格好である事を差し引いても不安に思ってしまうほど、よたよた、ふらふら、と危なっかしく左右に揺れながらゆっくり歩いている。
そんな少女の姿を無視して行ける訳が無い。
彼女は何の躊躇いも無く少女に近づいて、驚いてしまわないようにそっと声を掛けた。
「あの……、大丈夫ですか?」
「―――ん?」
少女が振り返る。ツリ目がちな瞳が彼女を射抜いた。
全体的にバランスの整った、可愛い、と分類出来る顔立ちが、今は極度の疲労で青くなっている。
見詰め返された事で心の奥底に言い様の無い疼きを覚えたが、それよりも少女の具合の方が気になった。
「何か、すごく辛そうですけど」
「……ああ、うん。すまない。少し、ワケありでね。最近まで寝たきりだったんだ。リハビリがてら散歩など試みたんだが………モノの見事に、無謀な挑戦だったらしい」
「な。駄目じゃないですか、キチンと身体を治さないと! 無断で出てきちゃったんですか? 病院――なのかは知りませんけど――の方も心配してますよ、きっと」
「う―――ん。……そう、だな。けど、俺は、速く――この身体に慣れないと」
「……え?」
「や、なんでもない……うん、そうだな。今日は、コレ位にして、少し休んだら戻るよ。心配してくれて、ありがとう」
「大丈夫ですか? 私、送っていきますけど―――」
「ああいや、それは流石に悪すぎる。君にも、君の予定があるだろう?」
「でも、このまま放ってもおけないです」
「む。――――そう、か。じゃあ、そこのベンチまで、付き合ってくれないか」
「はい」
ゆっくりした口調。何故か年上のような印象。会話はたどたどしく、けれどしっかりとした意志を感じさせた。
呼吸もさほど乱れている訳では無い。
心なし、会話の最中から徐々に顔色が戻ったように見える。
何処から、どうやって此処まで来たのかは分からないが、確かにきちんと休憩をとりながらならば歩く事が出来るだろう。
それなら、と、
「っ、―――よ」
「!? ……ぅわ!」
ひょい、と。
彼女は少女を抱き上げた。――オヒメサマダッコ、で。
「! ? !? !!?」
「――――(あ、軽い。可愛い♪)」
まさかこんな方法をとられるとは思わなかったらしい少女はただ困惑するしかなく。
彼女は、軽々と少女をベンチまで運んでいった。
◇
それが11月中旬、早朝から日暮れまでに起こり、密かに学園都市全体を警戒態勢に移行させた出来事である。
以降、都市に所属する魔法使い達の捜査網を掻い潜り、転移魔法の詳細を知ると思われる重要参考人は姿を隠し続ける。
その現実に、焦燥感を感じずには居られない者が一人いた。
エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。600を超える年月を生き、しかし現在はこの麻帆良に縛り付けられている吸血鬼である。
◇
11月20日、水曜日。
今宵は満月。吸血鬼が闊歩するに相応しい、真円を描く光芒を主と冠する、星影たちとの狂騒夜。とある魔法式により自身の特有能力を悉く封じ込められた「不死の魔法使い」も、この夜ばかりは例外である。天上を飾る月より一時の寵愛を受けた彼女は、限定的ではあるが、その異能を発揮する事が許される。
だが、そんな事実は彼女の現状に対して何の意味も無い。許された限りの異能ではその身を縛る拘束を破る事など出来はしない。学園都市に括られ、積み重ねさせられた時はじきに15の年を数えるだろう。現状に対する不満は鬱積する一方で、何より、その呪いを解呪すると約束していたあの男が死んだという現実がエヴァンジェリンには許せない。
だがそれももうすぐ終わる。少なくとも、現状を打破する為の布石は着々と整いつつある。もう三月。いや、すぐに動いては流石に学園都市の魔法使い達も警戒する。ある程度の期間を挟むとして、それでも五ヶ月中には今此処に縛り付けられる全てに決着をつけてやる――――。
しかし、その布石もあと一歩で足止めを食らう事になってしまった。『聖地』の魔力を使い、既存の如何なる神秘基盤にも属さぬ魔法術式を用いた、大胆不敵も極まりない転移魔法の発現。直後の被転移者の失踪。その為に敷かれた、学園都市全域に亘る警戒網。
布石は未だ十全ではない。いや、残った時間の全てを可能な限り有効に使おうとも万全には程遠いというのに、それが判るからこそ常に心中に燻り続ける焦りの火種を煽るかのように突如として計画の前に立ち塞がった障害。
―――ギリ、と。我知らず爪を噛む。
煩わしい。
何処の何者かは分からないが、よりにもよってこの時期に、これほどの厄介事をこの地に持ち込むとは。
そんないらつきが、あり得ない筈の可能性を閃かせては焦燥感を煽ってくる。
まさか。
まさかとは思うが、これら一連の事件が全て、自分の計画を阻害する為に図られたのであれば?
「――――馬鹿な考えだ」
浮かぶ思考を声に出して切り捨てる。落ち着かない。この数日間、募るばかりの苛立ちはとうとう表層にまで現れ始めた。よりにもよって高畑に指摘されるとは………。
「マスター」
呼び掛けに振り向く。傍には、自身と契約を成した自動人形(オートマタ)。
絡操茶々丸。現代工学技術を遥か凌駕した超科学と、エヴァンジェリンの魔力によるハイブリット。
「いいか」
「はい。準備は全て完了しました」
「……行くぞ」
「了解」
短い数度のやり取りの後、吸血鬼は決意する。
出来れば取りたくない賭けではあるが、現状がいつまで続くかもわからない。
警戒網の把握は出来る。網の目を掻い潜るのは一苦労だろうが、燻り続ける焦燥はこれ以上押さえ込めそうもなかった。
練達の吸血鬼が空を駆ける。
闇夜に解ける漆黒の装束を身に纏い、行く先は魔術師の潜む学園都市。
時刻はじき夜の9時。
人口の大半が学園関係者である為にじき闇に沈もうとするかの街の向こうに、
見据えるモノはただ1つ―――――。