第九十二話【薬学】
「お断りします」
キッパリと即断でルイズは断りの言葉を口にする。
「しかし、さもすれば国がどうなるか君ほどの人間ならおわかり頂けるだろう? ここはどうか、“亡きポワチエ元帥”の為にも引き受けてはくれまいか」
降誕祭最終日、事態はルイズの辿った軌跡通りに最悪の展開へと発展した。
反乱、謀反、協定違反による攻撃。
始祖に対し敬意を持って然るべきこの祭日に、事は再び起きてしまった。
何故、どうして、などの疑問と理不尽な暴力に嘆いている暇は無い。
自軍を束ねるド・ポワチエ“元帥”
彼は、“元帥”に昇進したばかりだった。
それ故の浮かれもあったのだろう。
自身への警戒を怠った。
いや、たとえ警戒していたとして、それを防げたかはわからない。
寝返った兵の凶弾を胸に浴びた、それだけが事実。
昇進祝いとしての元帥の証である元帥杖も彼の傍で無惨に折れていた。
ウィンプフェン参謀総長は傍に居ながら何も出来なかった。
元帥になっていつもより豪快だったポワチエ。
同時に素直に喜びきれてはいなかったポワチエ。
ウィンプフェンはそんなポワチエが好きだった。
彼は人の上に立つべき人だと尊敬していた。
故に、ポワチエが目の前で凶弾に倒れたのは衝撃だった。
そのポワチエが、最後の命令……撤退命令を出し、自分に後を任せ司令官の座を託し……息を引き取った。
正直に言えば、これほど悔しく、悲しいことは無かった。
戦争だといっても、これはあんまりではないかと軍人らしからぬ激情に駆られもした。
だが、後を任された以上、ポワチエの言葉を全うするのが彼の為に出来る最後の事であり餞だとそう思ったウィンプフェンは、その激情をぐっとこらえ、為すべき事……託された仕事を全うするために奔走した。
逃走経路の確保、撤退準備、兵の振り分け。
お祭り騒ぎによってやや弛んでいた兵達に現実の厳しさを一喝し、奮い立たせた。
撤退準備から撤退移行へはウィンプフェンの頑張りもあってスムーズに進んでいるかのように思われた。
だが、どうしてもある一点だけウィンプフェンでは解決できない問題があった。
それは時間。
兵達はよく働いてくれているが、それでも時間が圧倒的に足りない。
見張りや偵察兵からの報告を聞けば万単位の軍勢が侵攻中とのことだ。
それが撤退前に到着すれば全滅は免れない。
となれば、ここはやはり腕の立つ“殿”が必要だった。
だが、
「私は戦争への参加をしていません。従う理由はありません」
目をつけた相手、我が軍の切り札とも呼べる女性、伝説の系統『虚無』によって無血勝利を淡々とこなしてきた公爵家の三女、ルイズ・フランソワ-ズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールはその首を縦には振らなかった。
「やむをえない事態なのだよミス。本国のマザリーニ枢機卿も危機的状況においての殿を立てることに意は唱えないと聞いている」
「マザリーニ枢機卿、ですって!? あの人のせいで私の計画がどれだけ崩れたか……余計に、そして絶対にお断りしますわ」
ウィンプフェンは彼女が嫌いだった。
その理由の一端に、今回のポワチエの昇進も絡んでいる。
ポワチエは此度の戦争、その功績によって元帥に昇進したが、自他共に全てが彼の功績とは見ていなかった。
虚無であるルイズとその使い魔の功績を上司……司令官であるポワチエが受け取ったとする見方は強い。
ウィンプフェンでさえ、確かに此度の功はポワチエ一人のものではないと自覚している。
しかし、それだけの功をポワチエが立てられないかと言えば……答えはノーだ。
ウィンプフェンはポワチエならば、例えあの二人がいなくとも功を立てられたと考えていた。
だから、尊敬するポワチエの顔に泥を塗っているようで、彼女や彼女の使い魔の事は嫌いだった。
加えて彼女は女王直々にその我が侭……自身は戦争には参加しないが戦争に参加する自身の使い魔の傍には居るという一見して矛盾している行動を許されていた。
言ってしまえば詭弁、贔屓とも取れる。
結果を残してきてはいるが、だからこそそこもウィンプフェンはやはり好きになれなかった。
オマケに、今亡きポワチエ元帥の為に動いている自分の苦渋の選択すら突っぱねた。
気持ちがわからないワケではない。
死ねと言われはいそうですかと言える者は多くない。
だが、その覚悟無くしてここに居てもらっても困るのは事実。
ウィンプフェンは内心腸が煮えくりかえりそうだったが、その矛先は引っ込めた。
今は議論や喧嘩をしている場合ではないし時間もない。
冷静になれ、と自身を叱咤するウィンプフェン。
彼女が女王直々の権限を持っているのなら、こちらも権限内で出来る最善にして最低の手段を取らせてもらおう。
「わかった、別の者に頼む事にする。下がってくれミス。ああ、そうだ、こんな情勢下だが先日からこちらには女王からの特使が着いていてね、その方が君に話があるそうだ。この後そこに行き、その後速やかに撤退してくれたまえ。それと気が変わったというのなら出来るだけ早く言ってくれ。以上だ」
話の終わったルイズは急ぎ足で出て行く。
だいたいサイトと引き離されて気分の悪いところにマザリーニの名前まで出てきたのだ。
彼女にとってマザリーニは敵だった。
国にとって当然の考えだろうとなんだろうと関係ない。
彼のせいでルイズのサイト貴族化計画は遅れ、結果的におじゃんになったのだ。
アンリエッタが戦争に参加すればサイトを貴族に、とも言っていたが、もともと戦争自体に参加したくなかったルイズは戦争前にサイトが貴族にならなければ意味は無かったのである。
いくら先見の目があるマザリーニと言えど、一個人の、それも極めて異質な感情によって、まさかその国を揺るがしかねない事態になろうとは、その時は思いしなかったことだろう。
ルイズは一秒でも早くサイトと合流するために、ウィンプフェンとマザリーニに内心で悪態を吐きながらさらに足を速めた。
***
一言で言って意外。
それ以外の言葉は思いつかなかった。
サイトはルイズを待っている間、アンリエッタからの特使が是非会いたいと言っていると言われ、そこに案内させられた。
居たのは見知った顔。
にっこり笑い、胸にあるその豊満な果実をたわわに揺らす黒いおかっぱの髪をしたメイド少女、シエスタだった。
いや、今は既にメイドでは無く、貴族になったとのことだった。
その辺の詳しい予備知識が豊富でないサイトは、平民も貴族になれるんだ、などとたいして気にはしなかった。
「お久しぶりですサイトさん、タルブの村以来ですね」
「そうだな、元気そうで良かったよ。しかしシエスタが貴族かぁ、俺よくわかんないけど貴族って誰でもなれるものなのか?」
「いいえ、私は本当にたまたま、運が良かっただけなんです。偶然アンリエッタ女王様に目をかけて頂いて。あ、でも私はまだ貴族になって日が浅いですし元平民ですし今まで通り接して下さいね?」
「? ああ、そのつもりだよ。あれ? もしかして、俺って未だにいまいち貴族云々ってよくわかってないんだけど貴族になった人には謙らなきゃダメなのか?」
「う~ん、基本はそうかもしれませんね。貴族と平民ではやっぱり差がありますから。でもでもサイトさんには普通通りにしてもらいたいです」
「おう、任せとけ!!」
ニカッと笑い、当然だとサイトは告げる。
サイトにとっては今更知り合いに仰々しくなる方が嫌だったのだ。
それは、シエスタにとっても望ましい対応だった。
「そうそう、サイトさんに来て頂いたのは他でもありません。渡したい物があったんです」
この情勢下だ。
加えて、“彼女”がいつまでもサイトを一人にしておくわけがないという思いから、シエスタはポケットから“二つの小さな小瓶”を取り出して渡し、本題を切り出した。
「サイトさん、私貴族になったおかげで“こういうもの”も手に入りやすくなったんです。しかもそれは“アンリエッタ様が直々に手配してくれた”もので……本当にあの人にはもう頭があがりません」
「えっと……それでこれは?」
「あ、すいません。ええとですね、その“青い小瓶”が“眠りの魔法薬”で“赤い小瓶”が“気付けの魔法薬”です。眠りの魔法薬は大変よくきく薬で、本当にすぐ深い眠りにつきます。起こすにはその気付けの魔法薬を使わないとまず目覚めません」
「眠りと気付け? 何でそんなものを俺に?」
サイトは首を傾げる。
「それは……このままミス・ヴァリエールがここに居ることを、戦争の為に働くことを決意したらきっと使い魔のサイトさんは逆らえません、だから……」
「は……? 何を言ってるんだシエスタ?」
「いいんです!! 私全部わかってるんです!! サイトさんは“ミス・ヴァリエールのせい”で戦争に参加するはめになったって!! だけどこのままじゃサイトさんは死んでしまうかもしれない。だから……」
「ちょっ!? ちょっと待て!! 別にルイズのせいじゃない!! 俺が戦争に参加したのはルイズの「いいんです!!」…………」
足枷になりたくなくて、とは言わせてもらえなかった。
「いいんです、何も言わないで。私本当に全部わかってるつもりです。“女王様から聞きましたから”」
本当にわかっているのか、それはサイトにはわからなかったが、あの時その場にいたアンリエッタに聞いたというのなら、それを信じるより他無かった。
「だから、サイトさんはきっと無茶をします。それじゃ困るんです!!」
「心配してくれるのはありがたいけど、でもシエスタ」
「待って、最後まで聞いて下さい」
「あ、ああ」
シエスタは途中でのサイトの反論を許さなかった。
「私は貴族になりました、それも領地持ちの。アンリエッタ様が私が必要だからとそこまで取り立ててくれたんです」
「………………」
「領地持ちとなると、対面的にも私は一人は腹心に近い専属のメイドか執事を雇わねばなりません。でも私は知らない人にそんなことをお願いしたくないんです。ですからサイトさん、私はこの戦争が終わったらサイトさんに執事になってもらいたいと思っています」
「いや、でも俺はルイズの……」
「わかっています。でも女王様に確認したら使い魔が執事になってはいけないということは無いそうです。何せ事例が無いそうですから。それに、基本的に貴族が平民に頼んで断る、というのは出来ないからだれでも好きな人を、と言われたんです。お願いしますサイトさん、こんなこと頼めるのはサイトさんしかいないんです!!」
シエスタの、サイトと同じ色の瞳がうるうるとサイトを見つめる。
その目にやや気が引けたサイトだが、聞ける頼みと聞けない頼みがある。
「俺は……」
「待って下さい。返事はこの戦争が終わってからでお願いします。だからサイトさん、その為にも絶対に死なないで下さい」
返事を聞かずに微笑むシエスタに、ああそうか、とサイトは勝手に納得した。
これはきっとシエスタなりの死なないで欲しいという思いやりなんだと。
執事云々が本当かはわからないが、その心遣いは確かに嬉しかった。
だから、
「良いですか? その薬はいざというときには“絶対にミス・ヴァリエールに飲ませて”下さいね? 起こす時もですよ? “間違ってもサイトさんが飲んじゃいけません”からね?」
やたら念入りに薬のことを押すシエスタを、不審に思わなかった。