第九十一話【再起】
サイトとルイズが二人で間借りしている一室。
ここサウスゴータでの二人の待機場所として指定されているその部屋で、サイトは一人ベッドに腰掛けていた。
珍しい事にルイズが少し部屋を空けると言われ、サイトはそれを生返事で見送り、そのままベッドに腰掛け床を見つめ続けていた。
「……今日までに、一体何人が怪我して、何人が死んだのかな」
ポツリと呟く。
それは今まで目を背け考えないようにしていた事だった。
人が戦って死ぬということは、戦争の最中であっても対岸の火事くらいにしか見ていなかった……いや、見ようとしなかった。
事実今までサイトが参加した作戦ではそう血が流れるような凄惨な場面は見ていない。
当然だ。
やることはほとんどヒットアンドアウェイ。
それもヒットを担当しているのはほぼルイズだったのだから。
(俺はなんて卑怯で臆病な人間なんだ)
サイトが両手で頭を覆う。
考えないようにしていた。
戦争に参加するという意味と、ついてまわる拭えない罪。
だが、片腕を失った親しい友を見たことで、背けていた物が一斉にサイトに実感を伴って降りかかる。
人は死ぬ。
戦えばどちらかの、あるいは両方の何かは失われる。
今まで目を背けてきた自分のなんと卑怯者なことか。
戦争が続く限り、参加している限り、負けてようが勝っていようが“加害者で被害者”な事に変わりはないのだ。
そんな当たり前の事に、サイトはようやくまともに直面した、直面せざるを得なかった。
だからといってどうしたらいいのかわからない。
わからないから、何も出来ない。
何も出来ないから、やってることは今までと変わりようが無い。
……ああ、なんて卑怯者なんだ。
サイトの頭の中でグルグルと自身を蔑む考えが無限ループのように巡り彼を苛む。
が、そんな思考が唐突に中断される。
考え始めてからどれほどの時間が経っていたのかわからない。
だが、サイトにはそれはとても長く、そして短く感じた。
苦しい時間は長く感じる。
一方で、まだ考えが纏まらず、これから考えなければならないことはたくさんあるように思えた。
長かったが、短い。
不思議な時間の体感に自分でも少し戸惑いながら、彼の思考を中断させた元凶、ノックの音に耳を傾ける。
「サイト、開けるわよ?」
そうしてみれば何のことは無い。
外出していたルイズが戻っただけのことだ。
ただ、それだけの取るに足らない……、
「ご、ご主人様元気だしてね?」
取るに足ら……、
「今日はサイトがご主人様よ? これからずっとでも良いけど」
………………………………。
……………………。
…………。
「……は?」
取るに足らない事象を359度傾けたような、取るに足らないけど無視できないような、そんな事態だった。
思わず間抜け声を出したサイトはルイズに注目する。
そう、注目すべきはルイズ、その発言もさることながら彼女自身……正確には彼女のその纏う衣装に注目せざるを得ない事象があった。
「スカロンさんにこっそり頂いたの」
ルイズはやや頬を赤らめて内股になりながら顔を俯ける。
今のルイズはなんというか……露出度が異常だった。
頭には黒いネコミミをつけているが、これはいかほどにも露出を防ぐ役には立っていない。
胸には、まるでビキニの水着のように黒い毛の胸当てをし、下も逆三角の黒毛を使った水着みたいなものを穿いていた。
ランプの明かりによって強弱ある光に照らされるルイズの素肌は妙に艶めかしい。
やや恥じらいを見せながら身じろぐその様は、些細な動きも艶やかに見える。
身につけている衣類が異様に小さいせいか、彼女の細く白い肢体はいつもよりスラリと長いような錯覚も覚える。
「な……?」
言葉にならない。
何故そんな格好をしているのか理解が追いつかない。
「えい」
呆然としているサイトに密着出来る程近づいたルイズは、可愛げな声と共にその身を勢いよくサイトにぶつける。
「おわっ!?」
ベッドに腰掛けていたサイトは、そのまま腰上からルイズにのし掛かられるようにベッドの上に仰向けになった。
ギシギシとスプリングが跳ねる音が、やけに耳に響く。
「ちょっ。イキナリなんだよ!?」
サイトの胸の上に、本物の猫のように甘える仕草で乗っているルイズは。瞳を潤ませてサイトを見つめ口を開く。
「今日は立場逆転しようかと思って。いつもサイトは使い魔として一緒に居るから今日くらい私がサイトの下になってみようかなって」
わけがわからなかった。
何でそんなことをする必要があるのか。
何でそんな格好をする必要があるのか。
何で今のこの時にやることにしたのか。
サイトのそんな疑問をよそに、ルイズは甘えるように頬をサイトの胸板にこすりつけて満足そうにしながら、
「何でも言って? 今日はサイトがご主人様だから何でもするわ」
と微笑みをたたえる。
「……お前、今の状況わかってるのか?」
「今? もちろんわかってるわよ、立場が逆転したサイトの上に乗ってる。嬉しくない? あ、重い?」
「いや、たいして重くないし嬉しくないかどうかで言ったらそれは……ってそういうことじゃない!!」
「キャッ!?」
サイトは半ば苛立ちながら無理矢理上半身を起こしてルイズを振り払う。
「今は戦争中なんだ!! 俺たちだって無関係じゃない!! なのにそんな気楽そうにしてていいのかよ!? 今この時も戦いで怪我を負った人が苦しんでるかもしれないんだ!! 休戦中でも爪痕は残ってる!!」
サイトは子供が駄々をこねるように声を荒げた。
ゼェゼェと肩で息をする。
「……サイトは今、私と居たくないの?」
ルイズのやや泣きそうな声がする。
「そういう事を言ってるんじゃない、ただなんていうか……不謹慎じゃないか」
サイトはルイズの方を見ずに、肩で息をしたまま床を見つめながら思ったことを口にする。
今はそんな事をしているような情勢じゃない。
戦時中、それも真っ直中で、休戦中とはいえ何も考えずわけのわからないご主人様プレイなんてしているのはどう考えても場にそぐわない。
まして、今そんなことをしていれば自分は余計に卑怯者になってしまう気がする。
考える事から逃げて、目を背けて、自分は関係ないと、関わってないフリをしているも同然になってしまう。
サイトは、そんな苦しみを含んだ言葉でルイズに答えたが、次の瞬間には冷水をぶっかけられたような心境になった。
「もしサイトが嫌ならそう命令して? 私は従うわ。だって今日はサイトがご主人様だもの。あ、勘違いしないでね? 普段でもサイトが嫌なことは絶対しないから」
寂しそうに、泣きそうな笑顔でルイズはサイトに微笑む。
何だか、胸が抉られるような気持ちだった。
いつもの照れた、幸福な笑顔ではない笑顔。
そんな顔をさせてしまったことに、早くもサイトは胸を締め付けられた。
「大丈夫、私は何があってもサイトの味方だから。本当は私、トリステインがどうとかどうでもいいの。たとえ“明日ハルケギニアが滅ぶ”としても私はサイトが居ればそれで良い。私にとって、トリステインより、ハルケギニアより、サイトが大事だから」
いつの間にか、振り払われた筈のルイズはサイトの膝の上に座って彼の胸に頭を預けていた。
サイトは言葉が出ない。
何と言っていいかも、どうすれば良いかもわからない。
ただ所在なさげに手が宙を彷徨う。
「だから悩まないでサイト。私だけはずっと貴方の傍に居るわ。貴方だけの傍に。貴方は……“私が護る”から」
「っ!! ルイズ!!」
頭をハンマーで殴られたかのような衝撃。
自分は何をやっていたのだろう。
何を考えていたのだろう。
宙を彷徨っていた手を彼女の背に回す。
素肌のルイズは、いつもよりもさらに華奢に感じた。
そもそも、自分がこの戦争に参加したのは何の為だ?
─────ルイズの為だ。
間違ってはいけない。
“ルイズのせい”ではなく、“ルイズの為”
そして、“自分の為”だ。
ルイズの足枷になりたくないと、彼女に負担をかけたくないと、彼女を護るのは自分だと、そう思って参加を決めた。
いつか言った言葉。
“俺に惚れさせてやる”
本気で向かい合い、彼女を射止めると決意した満月の晩。
そう、自分はもう決めていた筈だった。
ルイズを護ると。
ルイズを振り向かせると。
たとえ自分が卑怯者と呼ばれようと、気付かぬフリをしていた事があろうと、臆病者と罵られようと……それだけは変わらない。
─────ならばもう、迷うことなど無い。
「ルイズ、お前は俺が……」
護るから。
ギュッと胸の中に力強くルイズを抱きしめる。
強く強く抱きしめる。
「サイト……元気出た?」
「ああ……悪かった、ありがとう」
ようやく自然に、何の含みもなく出た言葉。
ルイズはそれに微笑み、二人の影がゆっくりと……交差した。
***
「本当にそれで問題無いと?」
「ああもちろんだとも。それに“あのお方”は既に“兵をこちらに向けている”」
神聖アルビオン共和国の皇帝とその秘書の女の声が暗い室内で響く。
ただ、異様な点が一点。
前者の声が皇帝、クロムウェルなのに対し後者の声がローブを纏った秘書の声であることだ。
「では指輪を」
「は、いやしかし……いえわかりました」
またもや異様。
“皇帝”であるはずのクロムウェルが秘書の女性に頭を下げて“指輪”を手渡す。
皇帝が秘書に従い謙っている。
「“お前”はこの事を兵達に知らせ、戦わせるだけで良い。この戦争はそれで“終わりを告げる”だろう」
「……はい」
不安な表情を隠しもせず、怯えた表情で“皇帝”のはずのクロムウェルは“自分より上の秘書”を見やる。
そんなクロムウェルを見て秘書の女はくつくつと笑い、
「どこに目があるかわかりませんわよ皇帝、そのような弱々しい姿は控えられた方が宜しいかと」
嫌味にも似た、わざとらしい臣下の礼を取る。
しかし、クロムウェルの顔は晴れない。
いつまでも情けない姿をさらす“皇帝”に秘書は段々と苛立ち始め、ふと思い出したように告げた。
「そうそう、忘れるところだった。戻ってこなかった“風”が居ただろう? アレの“死体”……お前使っているね?」
「……っ!! そ、それが何か」
クロムウェルは怯える。
彼……いや“彼の死体”は今のクロムウェルの唯一の心の拠り所だった。
彼は優秀な風のスクウェアメイジだ。
“遍在”と違い“従順な彼の死体”はボディガードには打って付けだった。
「出して頂戴。“アレが存在すると”ちょっと困るの。いえ、“あのお方”が楽しめないと言った方が正しいかしら?」
「それは一体どういう……?」
クロムウェルが首を傾げるが、秘書の女は「知る必要の無い事よ」と取り合わなかった。
そう言われて嫌な予感がしたクロムウェルは“それ”を出すのを渋ったが、秘書の女の睨む顔に怯え、とうとう折れた。
すぐに影から彼……“ワルドの動く死体”が現れる。
「おやおや。無理矢理体は縫いつけたのかい? いくら死人だからって随分とまぁ不格好じゃないか。まぁ、これからもう一回死ぬんだ、そこまで気にする事も無いかね」
ワルドの体は、その腕や足を本当に無理矢理縫いつけているような状態だった。
秘書の女がワルドの動く死体に“銃らしきもの”を向ける。
「これは“使うとまた弾に魔法を込めてもらわなきゃならない”のが面倒だけど、この際いいでしょう」
秘書の女が笑うと同時に引き金を引く。
途端、銃口からはトライアングルクラスの“火の魔法”が放たれた。
ワルドの死体は声も無く焼かれていく。
「さぁ、パーティを始めましょう」
その様を見ながら口端を釣り上げた秘書の額が、光っていた。