第八十六話【賢者】
決してコルベールが迂闊だったわけでは無い。
背後を取られた事に気付くのが遅れたのは、それだけ気配を消すという隠密に特化したスキルを相手が所有していたからだろう。
それに対し顔を向けるより本能的に杖を先に向けていたコルベールだったが、ルーンを唱えはしなかった。
「君ですか、気配を消すのは相変わらずたいしたものですな」
コルベールは杖を降ろした。
そこにいたのは月光を浴びた蒼髪の少女……と灼熱色のロングヘアーを持つ褐色肌の少女だった。
「……襲撃の模様」
蒼髪の少女、褐色肌の少女に比べると胸の起伏は悲しいと言わざるを得ないタバサは、現状の予測を手短かつ簡略的に口にした。
「どうやらそのようですな」
コルベールもさして慌てはしない。
たった今襲撃者を奥で仕留めたばかりだし、そういった状況には“慣れて”いる。
しかし、ここで二人が冷静過ぎるのを看過出来ない人間がいた。
「ちょっと!? 何を暢気にしてるのよ!? 学院が襲われているのよ? タバサもなんだってこんな弱っちそうな先生の所に行くのよ!! 今は一刻も早く食堂に捕らえられたみんなを助けるのが先でしょう!? 仲間を集めるにしてももっと頼りになりそうな人にしなさいよ、足手まといは迷惑よ」
赤い、燃えるような灼熱色の長い髪に、月夜にも良く映える褐色肌の若くしてグラマラスな少女、キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーは二人の落ち着き払ったような態度に業を煮やしたのだ。
「……現状分析及び戦力は必要、こういう時こそ冷静にならなければならない」
「そうですぞミス・ツェルプストー、これは遊びではないのです。浅慮な考えで行動すれば全滅の可能性もあります」
二人に同じように突っ込まれ、キュルケはますます面白くなくなった。
タバサはともかく、何故この“情けなさそうな火メイジ教諭”にまで説教されなければならないのか。
「ミスタ・コルベール、随分と臆病なことですわね。そんなことでは私達の足手まといではなくて?」
キュルケは前々からこの先生が気に食わなかった。
火のメイジのくせにいつも弱々しい態度で腰も低い。
授業も火に特化しているのかは大いに疑問だった。
火を扱う初級から始まり、魔法の使い方や可能性、果ては他への転用などと、とても誇り高く強力な“火”を使う同じメイジとは思えなかった。
その挑発的な言葉に、コルベールは少し悲しそうな顔でやれやれと溜息を吐き、彼女の内心を見透かしたように言う。
「魔法とは戦いの道具では無いのです」
その一見すると哀れんでいるようにも見える目が、さらにキュルケの神経を逆撫でした。
「行きましょタバサ!! こんな臆病な人必要無いわ!! 余計な時間を使っちゃったんだから少しでも取り戻さないと!!」
キュルケはそのコルベールの目に我慢できず、タバサの手を引いてこの場を後にしようとするが────クンッ────引っぱった小さい手が動かない。
「タバサ?」
キュルケは友人の態度に首を傾げるが、
「……ミスタ・コルベールは優秀。私の師匠でもある。彼は決して弱くない。ちゃんと話し合って協力するべき」
その言葉に納得は出来なかった。
「何言ってるのタバサ? あの人が優秀? 師匠? まさか彼に火系統の魔法の個人レッスンでもしてもらってたの? ダメよタバサ、あんな人に習ったって強くなれっこないわ、火なら私が教えてあげるわよ」
担当教諭に直談判して個人レッスン、というのは実はそれほど珍しくない。
もっとも、近年ではわざわざ個人レッスンを望むような勤勉な少年少女は珍しく、あまり個人レッスン姿は見られなくなっていたが。
しかしだからと言って皆無ではなく、例としてはヴィリエもギトーの個人授業を受けている為、さほど驚くことでは無かった。
しかしキュルケにしてみればそれも相手によりけりである。
いくら自分の苦手な系統だからと言っても、半端な使い手に習ったところで所詮そんなものは半端でしか無い。
それを危惧してのキュルケの言葉だったのだが、タバサは珍しく怒気の表情を露わにして、自分の等身大以上の大きさの杖でキュルケの頭を一発ポカリと叩く。
「……ミスタ・コルベールを馬鹿にしないで。彼は尊敬出来る」
タバサの怒った言葉にキュルケは目を見開いた。
彼女が他人の為にここまで怒気を露わにしたところなどほとんど見たことがない。
しかもその相手が自分が認めず嫌っている情けない教師と来た。
……こんなに面白くないことがあるだろうか。
キッとキュルケはコルベールを睨むが、コルベールは遠くを睨み据えていて……キュルケの視線に気付いたように彼女に向き直った。
「どうかしましたかな? ミス・ツェルプストー」
「貴方、タバサに何をしたの? 何か変なことしてるんじゃないでしょうね? まさか弱みを握っているとか!?」
「とんでもない、私はそんなことはしておりませんぞ。それとミス・タバサ、私なんかより尊敬出来る人間はたくさんいます、私などを尊敬するのは止めなさい」
「………………」
タバサはやや不満そうな顔になり、首肯も了解の意も唱えなかった。
「やれやれ。さて、どうやら学院内の人間はほぼ掴まっているようですが、学院に常駐している銃士隊が食堂を取り囲んでいます。なにやら交渉していますが旗色は悪そうですな。ここは急ぎたいところですが、急いては事を仕損じます、少し準備をして行きましょう、お二人とも手伝って下さい」
キュルケは何で貴方にそんな事がわかるの!? 策でもあるというの!? と騒ぎ立てようとしたが、タバサがキュルケの周りに“サイレント”を張ってしまい、その声が届くことは無かった。
***
「お前達は包囲されている!! 大人しく投降すれば今なら刑が軽くなるかもしれんぞ!!」
アニエスは食堂の門の外で叫ぶが、相手からの返事は変わらない。
「俺たちを脅そうたって無駄だ。俺たちの要求が呑まれない限り人質は解放しない、さぁオスマン学院長殿? アンリエッタ女王にアルビオンより撤退してほしい旨の手紙をしたためて頂けますかな」
白い目をした筋肉質な男、メンヌヴィルは黒く大きい杖を片手に長い白髭を生やしたオスマン学院長に詰め寄る。
食堂にはほぼ学院内の人間全員、といってもほとんどが女子で、戦争のため人も普段より半分以下程度でしかないが、後ろ手に縛られて座らされていた。
数はともかく、人質としての質はとんでもなく上質だ。
「そんなことは私に出来ん。それに私が手紙を書いたところで女王はお聞きにならないだろう」
「俺たちにはその筋の情報からアンタにはそれが可能な権力……“貸し”が王宮にあると聞いている、仮にそれがデマだったとしても念のためにアンタには手紙を書いてもらうぞ。その手紙の効力が無かろうとこちらには十分な数の人質もいるしな」
メンヌヴィルはオスマンの髭を掴んでぐいっと持ち上げた。
「ハ、“賢者”もこのザマでは形無しか」
オスマンは杖を取り上げられ、体中痣だらけになっていた。
唯一メンヌヴィルが今回の作戦で注意したのがこのオスマンだった。
いつも飄々としていている老人、そんなイメージが先行しがちだが、彼は魔法学院を束ねる学院長の座に長く着いている。
何より、彼は一度オスマンの魔法を見たことがあった。
いや、正確には……、
「そうだ、フーケに“盗まれなかった”アレ、『破壊の杖』はもらっていくぞ。幼いながらにあの威力には恐怖したものだ」
「!?」
オスマンはやや閉じかけていた目を見開いた。
「お主……何故それを……!?」
「簡単な話だ、あの場にはまだ小さかった俺もいた、それだけのことさ。今思い出しても体がゾクゾクする。あのワイバーンが焼けた匂いはたまらなかった……思えばあれから俺は焼ける匂いがたまらなく好きになったんだ。今もって“あんな独特な焼けた匂い”はあの時以来嗅いでいない。あれを使えば嗅げるんだろう? ゾクゾクするぜぇ」
「貴様……!!」
「アンタはその“破壊の杖”以上の威力の魔法を放てる、とも“その筋の情報”から聞いたのさ、だからアンタだけは年寄りだろうと念入りに潰した。あの威力を知らない者なら首を傾げるだろうが、知っているものとしてはそれほど恐い物もない」
恐い恐い、と言いながら実に楽しそうにメンヌヴィルは口を開く。
そんなメンヌヴィルを今にも崩れそうなボロボロの老人とは思えぬ眼光でオスマンは睨む。
しばし睨み合いが続いているその場からやや離れた所で、事はもう一つ起こっていた。
「あ、貴方は……よくもぬけぬけと私の前に顔を出せたものね!!」
「フ……これはこれは長姉殿」
ワルドの目の前には、後ろ手に縛られたエレオノールがいた。
エレオノールは今の自分の状況も顧みずに声を荒げる。
「よくも、よくもルイズを裏切ったわね!! 貴方ルイズを殺そうともしたそうじゃない!! よくも私の妹を!!」
エレオノールは知っていた。
幼い頃、何処かぎこちなくはあったが、ルイズはこのワルドを気に入っていたように思える……気がしなくもない……多分。
何しろ一緒に居る時は笑顔なのに離れると一転して触られたところを引っ掻きまくるのだから、あれも恋する乙女心の一つなのかと参考にした物だ。
それをバーガンディ伯爵の時に何度かやってみて、何故か「もう限界」と泣かれながら言われた事はまだ記憶に新しい。
ルイズの場合、実際には“サイトを召喚する”という未来を変えない為に出来る限り忠実に過去の自分を演じた姿であり、サイト以外の男に笑顔を振りまき、触られるのに我慢できずに見ていないところで気持ち悪さ払拭の為に引っかき回していたとは、知る由も無い。
「私も……それ相応の代価は取られましたよ、あの使い魔とルイズ……妹君によってね」
ワルドが冷たい視線でエレオノールを見つめる。
「それに私になど彼女は興味を示さなかった、彼女の頭は使い魔君で一杯でしたよ……だが“俺”にも彼女が必要な理由があった、あったんだ!! その為に今までああして接してきた!! それを……!?」
ガシャァァァァン!!!
爆発……いや窓が割れる音が鳴り響く。
どうやら高い窓から侵入しようとした銃士隊の一部が、“死角だったのにもかかわらず何故かそれに気付いた”メンヌヴィルの火の魔法によって吹き飛ばされたようだった。
「奴等はこちらの要求を聞かずに勝手なことをした!! よって見せしめに何人かは殺す事にする!! 恨むなら軽挙な行動に出たトリステインを恨め!!」
メンヌヴィルはぎょろりと大きい瞳で食堂中を見回し、生け贄候補を選び出す。
女生徒達は怯え、互いに手を取り合って震えながら視線を合わせないようにしていた。
***
失態だった。
賊の侵入を許したばかりか人質まで取られる始末。
奇襲は失敗した。
相手の中には感知に長けたメイジが居るのだろう。
だが、それでも落とされた隊員の言葉から中に立てこもってる人員は四、五人程度と少ないことがわかっている。
こちらでも三人ほど始末したし、この闇夜での行動と現在の戦争の戦況から鑑みても少数精鋭で来ているとみてほぼ間違いはない。
とすれば相手の援軍は無いだろうし、伏兵が居るとしても一名ないし二名程度だろう。
数ではこちらが勝っている。
(どうする? 踏み込むか?)
そうアニエスが悩んでいると中からテログループのリーダーらしき男の声で人質を殺すという言葉聞こえてきた。
このままでは踏み込まずとも遅かれ早かれ人質の安否は保障されない。
ならば、とアニエスは被害を極力抑える為に踏み込む決断をし、大扉を開いた。
「待て……!?」
人質の何人かには怪我無いし死亡もやむなしかと腹を括った突撃だったが、彼女らが食堂に入った時、食堂には無数の紙風船が浮かんでいた。