第八十三話【黒姫】
場がしぃんと静まりかえる。
ルイズの完膚無きまでの拒絶の意は、一瞬それまで饒舌だったアンリエッタの口をも閉じさせた。
彼女にしては珍しい頑なまでの拒絶の意。
正直に言えば、アンリエッタはルイズならば二つ返事で協力を惜しまないだろうと思っていた。
自分が彼女を一番の友達と思い信用しているのと同時に、彼女も自分をそう思ってくれていると思っていた。
いや今もそう思っているし、それは間違いでは無いだろうとも思っている。
だから、今のこのルイズの拒否の言葉はアンリエッタを驚かせた。
無論断りの言葉を言われる可能性を全く考慮しなかったわけでは無い。
戦争と聞いただけで毛嫌いする者は当然居るだろうし、彼女の父は公爵程の身でありながら此度の戦争に反対し兵を出す代わりの税を納めている程の人間なのだから何か言い含められていてもおかしくは無い。
だが、心の何処かで彼女は最終的に私の願いを断れない、と思っていた。
“あの学院で頼み事をした時”も、心の奥の奥、隅の方では全くそう思わなかったわけではない。
“だからこそ”彼女の拒否する原因がわからない。
戦争は嫌だから。
人が死ぬから。
父がそうだから。
どれも理由としては一級だが納得出来るものではない。
その理由では、アンリエッタの信用たる答えに結びつかない。
あえてなのか、それともたまたまなのか、ルイズは理由の“核心部分”に触れない。
彼女には彼女なりの譲れない何かがあるのだろう。
だが、それは自分とて同じ事だ。
“あの人”の仇……無念を晴らし、このはちきれんばかりに膨らんだ胸の内側を爆発させないことには、自分には収まりが付けられない。
本当に彼女の事を大事な友人として思っている以上、“こういった手”は使わず本心からの協力を取り付けたかったのだが、仕方がない。
“将”を射んとするにはまず“馬”から。
この“馬”もただの“馬”ではなく、多大な戦力となることは間違いないので、むしろこの馬を落とす方が大変だと思い一計を案じようと用意していたものがあった。
本当ならこれは、ルイズから“彼”への説得が上手くいかなった時の為の用意だったのだが、この際あべこべでも構わない……いや、こうなってはこちらの方が話は早いかもしれない。
“彼”を籠絡して彼女の説得に協力してもらおう。
「ルイズ、貴方はどうしても本当の……“一番の理由”を言うつもりは無いのですか?」
静まっていた時間はそう長くはない。
だが、広い謁見の間には久しぶりに人の声が通った気がした。
ルイズは答えない。
これもアンリエッタ相手には今までに無いことだったが、先のことからアンリエッタももう驚かない。
むしろ、その沈黙は予想通りであり、“ありがたい”
「貴方は今回の件についてどう思いますか、使い魔さん?」
一拍の間を空けてから、アンリエッタは始めて話をサイトに振る。
それまでややおいてけぼり……半ば空気と化していたサイトは、突然の話題参加に思わず「え? 俺?」と自身を指差してしまった。
「姫様!! 私はサイトにも……いやサイトにだけは戦争に参加させるつもりはありません!!」
ルイズが思わず地……言い直していた“陛下”という呼び方を忘れて声を荒げた。
それはそれは鬼気迫る顔だった。
「ルイズ? 何をそんなに焦っているのです? 貴方が戦争に参加したくないというなら彼もまた主の意に沿う事になりましょう」
アンリエッタは優しげに諭すようにルイズを宥める。
だが、その言葉の抑揚に、何か含む物をルイズは感じ取った。
ルイズの表情からアンリエッタもルイズが不審に思っている事に気付いた。
……今しかない。
「ルイズ、このままでは埒があきません。“二人きり”でもう少しだけお話し合いましょう。すみませんがサイトさん、私の私室にて待っていてもらえませんか?」
「姫様、私はこの戦争には……!!」
「わかっています、しかし今の私の立場では貴方には言いたくないことも言わなければなりません。ならせめて二人きりの方がいいでしょう」
ルイズがサイトの服の裾を掴んで抗議するが、アンリエッタは仕方の無いことだと言って人を呼び、サイトを連れて行かせる事にした。
「ああ使い魔さん、一人でただぼうっと待っているのはつまらないでしょうから、丁度私の部屋に出している国宝のマジックアイテムがありますので、それでも見ていて下さい。本当ならそうお見せして良い物では無いのですけど、ルイズの使い魔さんですもの。特別に許可致しますわ」
そんなことを言われてサイトは入ってきた魔法衛士隊の一人に連れて行かれる。
ルイズは最後まで抵抗してサイトの腕を掴んだが、アンリエッタの「すぐに済みますから」という言葉と、サイトのパーカーを借りる、という妥協案で渋々と折れた。
例えその場にサイトがいなくとも、サイトの何かが無いとルイズは正気でいられそうに無かったのだ。
特にこの戦争の話題をしている時は。
アンリエッタはこれで二人きりで話が出来る上に、用意した策が使えるとこの事の成り行きに内心安堵していた。
無論大事な友達のルイズを失いたくはないし、大事なのは変わらない。
ただ“ちょっと”手を借りるだけ。
その為の奸計なのだから、申し訳ないが許し欲しい。
自分でも身勝手な考えだとは思うが、今の彼女に取れる道はこれしか無いのだと、ルイズも決して悪いようにはしないと、そう思っていた。
ただ、一つだけ気付いていなかったことがあった。
安堵したが故に、もうルイズの挙動……特にその目を見なかったせいだろう。
ルイズの目が、既にアンリエッタを友として見ていなかった。
その目は、これで貴方の無茶を聞くのは最後だと、そう告げていたのだが、普段なら気付きそうなそのアイコンタクトをアンリエッタは見逃した。
これまでアンリエッタがルイズを大切な友達だと思っている事に偽りは無く、ルイズも同じように思っていたが、ルイズの優先順位の一番がサイトのように、アンリエッタもまたルイズよりも優先すべき人がいる。
それによって産まれたこの歪みが、トリステイン女王アンリエッタ、そしてルイズの友人としてのアンリエッタにとって、後に後悔する事になる。
***
サイトは一人、大きな部屋に取り残されていた。
良く整頓されているが、あるのは丸テーブルに大きなベッド、大きな化粧台にびっしりといろんな本が詰まった本棚、と意外に殺風景と言えなくも無い。
国家元首といえど女の子なのだからもっと小物があってもいいとは思うのだが、ルイズもたいしてそういうものに興味を示さないあたりこの世界の女の子は日本と違ってあまりそういうのに興味は無いのだろうか。
それとも偉い人ほど清貧に努めて上の人間を見習わせようと言うのか。
イマイチハルケギニアでのその辺の常識がわからないサイトはポリポリと頭を掻きながら、そのうち考えても無駄か、と考えるのを止めた。
ただ何もしないというのも暇なので、先程アンリエッタが言っていた国宝とやらを拝ませてもらうことにする。
サイトとて自分が小市民であることは以前の世界観からも理解している。
なればこそ、国宝と聞いて滅多にお目にかかれない物を見れるというのは興味が惹かれた。
ここまで連れてきてくれた魔法衛士隊員は“それ”を見ることを許されたと聞いて驚いていたが、何も知らない風なサイトに気をきかせてどんな物なのかを教えてくれた。
曰く、それは『心映しの真鏡』と言って、その鏡に映った事のある人間の本心を見ることが出来るというものだそうなのだ。
ある意味嘘発見器だが、それを使った昔の王は真実と周りの者達が言っていることが違う事に気付いて人間不信に陥り、誰も信用しなくなって王家が崩壊しかけたとか。
それ以降、このマジックアイテムは危険なものとして封印されてきたのだという。
サイトは漫画やゲーム、御伽噺にはよくある話だ、と思いながら本当になんの気無しにその鏡を覗いてみた。
するとどうだろう。
鏡から眩い閃光が放たれ、その光に目を閉じ……次に目を開けた時、そこには一人の見知った少女がいた。
見間違う筈もない。
本人でないことはその雰囲気などでわかるが、彼女は間違いなく……ルイズだった。
「な!?」
まさか鏡から出てきたのだろうか。
サイトが驚いていると、そのルイズは“ルイズらしからぬことに”自分を見ずに口を開き始めた。
これが本物ではないと、何となくの雰囲気でわかっている以上それはそこまでおかしくは無いのだが、ルイズが自分を見ないということに、サイトは変な違和感を抱いてしまい、内心苦笑した。
(何か……俺も結構ダメダメだな)
そう自嘲染みたことを思いながら、偽ルイズの言葉に耳を傾け……硬直した。
「どうしよう……私は姫様の為に戦争に参加したいけど、使い魔のサイトが居る以上彼に危険が及ぶことはしたくない。ああどうしよう」
衝撃だった。
サイトが大切だ、でも姫様の頼みを聞きたい、という葛藤のような言葉がつらつらと並べられ、自分がやりたいことをすればサイトを巻き込む事になる、と彼女の苦悩を感じさせるようなことまで言ってくる。
彼女の口は止まらない。
中でも衝撃だったのは、
「私のしたいことをすればサイトが困るから出来ない。私は自分を殺してでもサイトを護らなければならない」
彼女が、自分の為に心を殺し、オマケに自分を護ろうとしていることだった。
「な、何だよそれ……俺の為にルイズはずっと我慢しているのかよ!?」
サイトが狼狽えるのと同時、“偽ルイズ”は急に歩き出して扉を開けて出て行った。
「え!? あ、おい!!」
慌ててサイトが追いかけるが、そこに彼女の姿は無い。
部屋の前で番兵をしていた魔法衛士隊の人が居たのでルイズの事を尋ねたが見てないという。
魔法の道具で出てきた幻のようなものだったのだから、消えてもおかしくは無い……が、あれがルイズの“本心”だったのだとするととてもやりきれない思いになる。
こんな思いになるのなら当時の王様とやらが封印したのも頷ける。
だが、幸か不幸か彼女の本心を知ってしまった。
戦争は恐いし馬鹿らしいし、人殺しなんて嫌だが……ルイズのお荷物……重荷にはなりたくなかった。
ましてや護られるより護りたかった。
だから……、
***
ルイズはサイトのパーカーを鼻頭に当てて匂いをスーハースーハーと嗅ぎ足りないサイト分を補いながら足早にアンリエッタの部屋に向かっていた。
彼女は今日、胸の裡でアンリエッタと決別に等しい思いを抱いていた。
アンリエッタはこう言ったのだ。
『お忘れかもしれませんが貴方は“シュヴァリエ”の爵位を与えられています、これが意味することはわかるでしょう? 私も本当ならお友達の貴方にこんな事は言いたくない、でも女王として、トリステインに必要と思った貴方だからこそ言わざるを得ないことでもあります』
軍役免除税は公爵家の娘と言えど一介の女学生には払えない。
実家に頼む手もあるが、サイトに手を出そうとした父を頼りたくは無いし、何らかの手を回されている可能性もある。
まさかこんな事を言われるとは思っていなかったルイズは憤慨し、即座に話す気も失ってサイトの元へ急いだ。
アンリエッタは怒ったルイズに「もう少しだけ考えてみて下さい、あなた達の身の安全は出来るだけ気を配りますから」と女王でありながらやや下手に出て頼むが、ルイズはもう話を聞く気はほとんど無かった。
何処か……それこそ東方にあるエルフの地サハラやロバ・アル・カリイエに高飛びすることすら視野に入れて。
だが、その考えは無に帰すことになる。
何故なら、
「ルイズ、俺戦争に参加するよ、お前は俺が護ってやるから」
再会したサイトがそんな事を言い出したからである。